パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ヴィロン、もうひとつの物語。 西川隆博社長インタビュー
パン作りと経営は、コインの裏と表である。
ヴィロンの成功は、シェフ牛尾則明の技術力に、ル・スティル社長・西川隆博のブランディング力が合わさって、はじめて成し遂げられた。
地方のパンメーカーの3代目として生まれた西川は、なぜヴィロンという夢を見て、それを追いかけたのか。


「大学の頃、親父が首の骨を折って、僕はそのまま会社に入ることになりました。
当時、バブルがはじけて、会社の売り上げも年々下がっていた。
なんとか立て直さないと。
価格競争にさらされていましたが、それでは大手に太刀打ちできない。
品質で勝負したい。
ニシカワ食品は、職人の世界がしっかりある会社。
創業者が職人じゃなかった分、逆にいい職人が集まってくれていました。
設備もいちばんいいものを導入して、いいパンを作る企業文化があった。
価格ではなく、品質で勝負しよう。
職人の技術を活用したい。
そのためには、商品の特徴を出す舞台を作らないと」

商品の特徴を出す舞台とは「ブランド」のことだ。
高い品質のパンも、消費者に理解されてはじめて価値に変わる。
ブランドというイメージは、言葉を費やさなくても、一瞬にしてそれを可能にする。

「高品質のパンを高く売る業態をはじめるには、地元の加古川では物価が安すぎる。
そこで、神戸の北野で『サンミッシェル』という店をやって成功を収めました。
エシレバターやフランス小麦を使って、ヴィエノワズリーやバゲットを作ろう。
デニッシュを焼くなら、上にのせるグレープフルーツも手でむいて自前で作ろう。
そうやってクオリティの高いパンを作った。
とんがった店をやらないといけないんだと思いました。
専門店化したほうが、これからは評価されやすい。
じゃ、なんだろう?
パン好きの方は、だいたいフランスにあこがれがあるし、いいバゲットが焼けたら一人前といわれるように、業界的にもわかりやすいのではないか。
フランスをやろう。
あんぱんとか、カレーパンとかはやめよう。
ブーランジュリー・パティスリーをやろうと決めた。
いちばんわかりやすいのはバゲットです。
でも、バゲットは売れないパンの代表。
これ売るためには、ちゃんとした店舗業態を構築しないと」

フランスそのままのバゲットを売り物にブランドを立ち上げられないか。
芽生えたアイデアを実現させるための第1歩は、現地に本物のフランスパンを見にいくことだった。

「レトロドールのことはそれまでも聞いていました。
神戸の『イスズベーカリー』さんら、兵庫県パン組合の青年部でフランスに行き、グルニエ・ア・パンや、その他何軒か見せてもらったのが、2000年のことです。
でも、パリのバゲットは総じて、あまり美味しくなく、レトロドールも硬くてがりがり、中はねちょねちょでした。
その中ではグルニエ・ア・パンはいいほうでしたが、特徴がない。
こんなもんなのかと思って帰った。
でも、だんだん思いが固まってきて、2001年の11月、15区のコンバンションにアパルトマンを借りて、1ヶ月バゲットを食べ歩いた。
『いちばんおいしかったのなに?』というと、アパルトマンの近くにあったグルニエ・ア・パンだった。
レトロドールを使ったバゲットを売っていて、朝一のはおいしいけど、夜買うとまあまあ、という感じでした。
あとは、フルートガナがおいしい。
おいしいバゲットは、レトロドールかフルートガナだと思いました。
フルートガナはすでに神戸屋さんと提携していたので、うちがやるならレトロドールのVIRONだなと」

グルニエ・ア・パンで朝一番で出されるバゲットは、一夜かけて生地を冷蔵発酵させるために小麦の甘さが存分に引き出されている。
その話は牛尾のインタビューにもあった通りだ。
西川は自分の目指すパンのモデルを発見したのだった。
しかし、西川は単にそれを盗んで日本でコピーするという簡単な道は選ばなかった。
巨費を支払っても、製粉会社であるVIRONとの提携を目論んだ。

「日本のバゲットは、いわばリーンなコッペパン。
フランスパン専用粉といっても、原料はアメリカ・カナダの小麦です。
フランスのような、穴がぼこぼこ空いたバゲットを作ろうとしても、たんぱく量の多い、質の違う粉では目が詰まりやすい。
皮の食感、気泡がぼこぼこした中身、小麦の味がするちゃんとしたバゲットができれば、日本の消費者に絶対わかってもらえるという確信がありました」

レトロドール以外の選択肢はなかったのか。
たとえばパリには、ポワラーヌという、昔ながらの作り方を守る名店もある。
だが、本場フランスのパンと日本のフランスパンの最大のちがいが、小麦にあることに着目していた西川にとって、自家製酵母という選択肢はありえなかった。

「少量の酵母を長時間発酵させるやり方が、小麦の香りを味わうのにいちばんの方法だと思います。
自家製酵母のように、風味をマスキングしてしまうことがないからです。
また、ディレクト(ストレート法)だと甘みが薄い」

フィリップ・ビゴらによって日本に持ち込まれ、それまで日本でもっとも一般的だったフランスパンは、ストレート法で作られるものだ。
一方、自家製酵母を使うと、乳酸菌等の癖が出やすく、風味は強いが小麦の味わいが消されてしまう。
ニュートラルな風味に近い市販の酵母(イースト)を少量のみ使い、長時間の発酵によって味わいを増す。
それが、フランス小麦を味わうもっとも理想的な方法だと、西川は考えた。

当時(2001年のはじめ頃)、レトロドールはじょじょに日本でも知られる存在になりつつあった。
西川はVIRONとの契約を急いだ。

「人の目につく前に交渉にいかないとまずい、と。
僕ほど思いのある人はいないのだから。
そのためには、顔を見て握手しとかないとやばい。
なんとか時間を作ってパリに行きました。
シャンゼリゼのホテルで、VIRONの社長アレクサンドル・ヴィロン(当時専務)と握手して、説得した」

西川は切り出した。
「VIRONのレトロドールはとてもおいしい。
神戸でレトロドールを中心に据えたパン屋をやりたいと考えている。
そのためにVIRON社と独占契約したい。
日本ではレトロドールの名前でいろんなパンが乱立すると、レトロドールと言うブランドがすぐにダメになってしまう。
クオリティを維持して、安定的に供給しないと、イメージがぶれてしまいます。
そこまで日本の消費者はブランドに対して厳しい。
クオリティコントロールするためには、我々だけが使える状況にしてほしい。
クオリティの高い店を作るので、我々とやろう」

西川は情熱を伝えたが、相手から返ってきたのは、ビジネスライクな返答だった。
「フランスの人口は6500万人、日本の人口はその倍だろう。
それだけの市場規模があるのに、1社とだけ契約はできない」

「『日本にはごはんも、麺もある。
バゲットはパンの消費量のうち、1、2%しか売れてない』と僕は言いました。
ところが、アレクサンドルは、
『商社ならこれだけたくさんの量を買ってくれる』
とかそんな話ばかりするので、僕は泣きそうになった(笑)」

日をおかず、またフランスまで説得にいった。
「『要はいくらで買ってくれるんだ』という話になった。
2年で2000万円分、関税や運賃を乗っけると6000万円。
NOと言っちゃうと話が進まないので、小麦の代金は払うけど、ものは送ってくれるなということにして、店舗を開くための空き物件を探した」

リスクを承知で、契約を成立させた。
当初計画した神戸では空き物件が見つからず、渋谷・東急本店前という一等地に80坪の店舗を見つけた。
小麦粉の代金2年分、賃貸の権利金まで含め、4億という巨資が投じられた。

「2002年6月18日に開店という日取りも決まったのですが、3日前までバゲットができなかった。
それまでも、加古川の本社にスタッフを集めて、ミーティングをやっていた。
2階建ての店舗のうち、1階をブーランジュリー、パティスリーにしようというのは決まりました。
それから、客単価を上げるためにはどうしようと考えるうち、2階は、朝から晩まで食事をしていただけるブラッスリーと決めました。
スタッフで話し合って、問題があれば、それならどうしようと決めていった。
その中でコンセプトが見えてきました。
フランスにあるものしかやらない。
菓子はクラシックなものだけ。
フランス人が日常食べているような、しっかりした料理。
その中心にはバゲットがある。
みんなで決めて、実際の商品に落とし込んでいきました」

ブレインストーミングによって、コンセプトに沿った、商品と店舗のイメージをしっかりと固めた。
そのことにヴィロンの成功の鍵はあったのではないか。
このとき決まったことは、9年たったいまもまったくぶれていないのだから。

牛尾の話を聞いていただけではわからなかったことがある。
なぜ西川は、自分の頭の中にあった事業の内容をまったく告げずに、牛尾をフランスへ送り出したのか。

「実は、最初の視察でフランスに連れてった職人は、牛尾ではない社員でした。
本当は牛尾を使いたかった。
牛尾は、ビゴさんに修行に出したり、フランスパンの世界を習得させた、うちの切り札。
でも、最初はVIRONの事業に関わらせない方針だった。
それは、彼の今後も考えてのこと。
その当時、牛尾のセンスや商品開発力を買って、本社工場に戻して技術を発揮させたり、Pascoさんとのビジネスを担当させていました。
その仕事も軌道に乗ってきたところだったので、そのまま続けさせねばと。
もちろん、この事業(ヴィロン)を真剣にやるなら牛尾の力を借りざるをえない。
最初は神戸でやる計画だったので、本社の仕事をやりながら手伝ってもらえるかなとも思っていました。
ところが、東京でやることになり、地元の関西とちがって、助け舟はない。
そうやって考えていく中で、うちのベストでいくしかないとなった。
牛尾しかいない。
ちょうど、牛尾は地元に家も建てたところだった。
巻き込んで悪いなという気持ちもありましたが。
でも、4億投資して、絶対に失敗はできない」

つまり、西川にとっては、牛尾がはじめから意中の人物であったにもかかわらず、それを本人に隠さなければならない事情があったのだ。
そうと知らない牛尾は、社長が無言でフランスへ送り出したことを、自分の舌で最高のバゲットを見極めろというメッセージとして受け取っていた。
2人の思いはちがっていたが、期せずして最終的な結論は完全に一致した。
フランス産小麦、低温長時間発酵のバゲットがいちばんだということ。
そして、ヴィロンのシェフ・ブーランジェは牛尾則明以外の人物ではあり得ないということ。

「東京に行ってくれないか。
手伝ってくれ」
西川は4億を投じたプロジェクトの帰趨を、牛尾の腕に賭けた。

赤字を出しつづけた最初の数ヶ月。それでも、
「いまに絶対わかってもらえる」
と、西川は、牛尾とスタッフを励ましつづけた、その真意はどこにあったのか。

「未来のことがわかるわけではないから、大丈夫だと言いつづけていたのは、カラ元気。
なんの根拠もない。
でも、売り上げもじょじょに上がってきてたし、きてもらったお客さんの間では評判になっていたので、うっすら手応えはあった。
うちには本体のニシカワ食品もあるから、1億赤字でも資金繰りはできる。
それより、『もっともっとクオリティ上げろ、余計なこと考えるな』と、言ってました。
60年つづいてる会社の、次の柱になる事業。
きちんと考え抜いたことをやりきろうと。
余計なこと考えず、お客さまに、伝えたいことだけをシンプルに伝えよう」

マーケティングや宣伝といった技術論以前に、商売の原点とは、まず品質のいいものをしっかりと作って、人びとによろこんでもらうことではないだろうか。
クオリティさえあれば、おのずと商品は売れていくはずだ。
その原点を揺るがず持ちつづけることこそ、西川が「ブランド」と呼ぶものだ。

「僕にはパンは作れない。
職人は、いいパンを作ってお客さまによろこんでもらいたいと思う。
彼らが、誇り持って楽しく働いてくれる環境を作るのが僕の仕事。
そのためにはブランドが必要です。
僕は、味覚だけは自信があります。
立ち上げるときに味は決めますし、ぶれたときには出しちゃダメだという。
お客さんの期待を裏切っちゃいけない。
ブランドとは信頼です。
我々が求められているのはクオリティ。
それだけを考えてればいい」

ヴィロン、エシレ・メゾン デュ ブール、みんなのぱんや…。
幾多のブランドを世に問い、成功に導いてきた西川が、本当に目指しているのはなにか。
西川の父・西川隆雄は、全日本パン協同組合連合会(全パン連)の会長を務める。
障害を持つ父を補佐する立場にある西川の目線は、ただニシカワ食品1社の利益だけではなく、全国のパン屋の経営者、そこで働くすべての人たちへと向いている。

「『日本一高いパン屋を作る』というのが、ヴィロンを立ち上げるときの僕の目標でした。
パンの値段を高くできれば、いまとても劣悪な環境に置かれているパン職人の給料・待遇も、一部上場企業とまではいかないが、もっとまともにできる。
パン職人を、がんばったら報われる仕事にしたい。
業界の方には、『あんな高い家賃払ってパン売ってバカか』と言われました。
パンってこんな世界だという思い込みを崩したかった。
いまパンの値段が安すぎるので、給料もそこそこに休みも取らず朝から晩まで働いて、自分の身を削って仕事をしないとお客さんに買ってもらえない。
価格の競争になったら、街のパン屋は大手メーカーに負けて、食べていけなくなる」

牛尾則明のインタビューでも語られたように、職人のストーリーに長時間労働はつきものである。
それは果たして必ずしも美談といえるのだろうか。
牛尾のような陽の当たるスターシェフの陰に、金銭的に報われない何人のパン職人がいることだろう。
寝る間を惜しんで、いいパンを、安く作るために、働きつづける。
その献身が報われればいいが、働きすぎがたたって病気になっても、なんの保証もない。
多くのパン屋が置かれる劣悪な経営環境に、人びとの目は向いていない。

「諸悪の根源は価格。
いまパン1個の値段の平均は100円でしかない。
これをもっと高くしないとパン屋は幸せになれない。
パン業界はすごく厳しい。
特に地方でパン屋が成立しない。
人を雇って、労働時間を守って、社会保険かけて、というまっとうな待遇を保証するのがとてもむずかしい。
クオリティの高いパンを作れば報われるような、夢のある仕事にしたい。
一生懸命パンを作って、お客さまにその努力を知ってもらって、パン屋が報われるように。
そのためには、価格設定がポイントになる。
僕はその問題に踏み込むつもりで、ヴィロンを作った」

消費者は1円でも安いパンを求める。
当然のことだ。
だが、商品=価格のバランスが崩れたなら、不当な競争が起こって、国全体で価格が下がっていく。
これが、日本経済の置かれたデフレの正体である。
貨幣を通してすべては連関している。
誰かの仕事に対し、正当な対価を支払わなければ、まわりまわって消費者自身の首を絞めることになる。
西川はこの深刻な問題に、ブランドの力で切り込もうとしている。

「うちは幸い、利益が出ている。
当然社会保険も加入しているし、従業員に休みも取りなさいと言っている。
それでやっていけないということはない。
パン業界の給料をなんとか上げたい。
そのために、日本一高いパン屋のマーケットはあるよと見せたかった。
お客さんの信頼を得て、メディアに露出するようになれば、スポットライトが当たる。
ブランドの中身や精神が構築できれば、一人歩きできます。
一生懸命にパンを作って、ブランドも構築できれば、すごいことになるよ。
それを伝えて、全国のパン屋を、ひいてはお客さまを幸せにしたいというのが、僕のやりたいことです」




パンラボ単行本増刷完了しました。


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京都の空
かしわで


「きょうの京都の空は青色です」と恵文社のガレージでパンとパンラボとパンラボキーホルダーを売ってるコイデェーより報告がありました。


pan1.JPG

そうかー?
空の色が気になるところで売ってるのだね。

そういうパンラボなのだね。

昨日はあっという間にパンが売り切れてしまい、
後から来られた方に残念な思いをさせてしまったそうです。
今日はどうかな?

pan2.JPG

にしても雰囲気あるなぁ〜。

きょうは17時まで開催のようです。
お近くの方、
お近くじゃなくても、お近くに知り合いのいる方はぜひ。

東京の空もあおいよん。
ただ陽射しは暖かいけど、風は少し冷たい。

まだ不思議な天気はつづいてます。
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俺とMASAKOと男と京都
IMG_4131.JPGPascoのイングリッシュマフィン。


IMG_4132.JPGMASAKOはMASAKOでも渡邉政子で御座います。

政子さんお手製の夏みかんジャムを貰ったので、イングリッシュマフィンを焼いた。
瓶も可愛い。


IMG_4134.JPG具がごろごろしているのがMASAKO JAMの特徴。
糖分70%で、皮の苦みが合っていた。


IMG_4136.JPGバタを塗ったところにのせて。


IMG_4138.JPGMASAKO JAMは具の部分以外がさらっとした液体。

熱々に焼いた面に置いたバターが
バター汁と化した頃、MASAKO JAMの夏みかん汁をさらに重ねて注いでみた。
抱腹絶倒。
ははは! 
はははは!
何これははははは!
この貴重な汁々を受け止めるにはおそらくイングリッシュマフィンが適当でした。

さらさらタイプのジャムがある時はイングリッ汁マフィンを作ってみよう。
それで一緒に笑おう。
(↑ちょい自己啓発っぽい言い方)
 

で、ようやく男がデキました。


男は男でも"パンの中に住む男"。

神聖な様子でパッキングされている。
(キーホルダーの下に敷かれているのは単行本『パンラボ』で賛否両論を巻き起こした
通称パンラボペーパーが…)


キューティでプリティでファンシーでエマージェンシーなキーホルダーになったネ!!

どうかお楽しみに…。



風の噂によると、今夜放送の「8時です! 生放送!!」という番組でパンラボのことを
紹介してくれるみたい。あと政子さんが京都方面に飛んでるみたい。【D】



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はちみつ味噌のレシピだらけの臨時カフェー


ゴールデンウィーク某日。

気がつくと、千駄ヶ谷にいて、気がつくと、すてきな一軒家の前に立っていた。


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千駄ヶ谷にあるギャラリー。フェルト作家ササキヨシオさんのギャラリー。

しかし今日は、このギャラリーが臨時・居酒屋になるという。
(G.W.期間中だけの臨時居酒屋)

そこに、気がついたらいたわけだ。


mてーぶる.jpg


白い机にシア〜〜ンなテーブルクロス。
これだけでノッキング・アウツ!

ここはどこだ!? アキ・カウリスマッキーか!?
(白と青が組合わさるだけでアッキーナしてしまう単純な自分。うひ!)

ああ見たい。ル・アーブルの靴磨きが見たい! 

それはさておき、

とにかく気がつくと、このすてきな臨時カフェーにいたのだった。

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このカフェーは、「味付けがぴたりと決まる手作り調味料・はちみつ味噌のレシピ」(マーブルトロン発行)という本を出版された
フードスタイリストのダンノマリコさんが
その出版記念として開かれた居酒屋カフェーで、
旦那さんのササキヨシオさんと暮らす仕事場兼住居の一軒家の1階を特別に開放して開催された催しもの。

メニューは本に合わせて、全編はちみつ味噌がらみのスペシャル・メニュー。
いわば「はちみつ味噌づくし」。

にしても、心地よい空間でした。
風が吹いてるわけでもないのに心地いい風を感じさせてくれる場所ってあるじゃないですか。そういうカフェーでしたね。
不肖ものの自分が感じるんだから、ほんまもんです。もう「臨時」なんて超えてます。


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なんだか知ったように書いてますが、我ながらドヤドヤに書いてますけど、自分、ぜんぶ初参加です。うひ。
ダンノさんに会ったのも、このギャラリーにごめんくださいしたのもぜんぶお初です。ナイス・トゥ・ミーチュー!

自分のカミさんがダンノさんと知り合いで、そこにくっ付いていった。
そして気がついたら、そこにいた。

そして刹那に引き込まれた。それが真相です。


mちーずとー.jpg

バゲットにはちみつ味噌でつけたチーズを乗せたトースト。

めちゃくちゃ旨い!(食べてません。これは著書からの抜粋ですから)
でも旨い! 旨いに決まってる!

なぜなら、前菜で食べたはちみつ味噌でつけたチーズのたけのこがめちゃくちゃ旨かったから。

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左皿の左上がチーズのたけのこ(実際食べました)


おそらく、
食パンを2枚用意して、一枚にはちみつ味噌を薄めに塗って、もう一枚にチーズを乗せて、
それをおのおのトーストして、
薄めの味噌焼きパン、チーズ焼きパンにして、
それを合体させて食べたら、旨い。旨いに決まってる!(ここは妄察です)

おそらく、
食パンを縦長に、細長く切って、
それをカリカリにトーストして、
野菜スティック感覚ではちみつ味噌をつけて食べたら、旨い! 旨いに決まってる!
(これは自宅で試しました。ほんとうにおいしかった)


その日は、はちみつ味噌でつけた鶏肉と鮭を炙ったものをいただきましたが
ーーその身やわらかくーー臭みまったくなくーー旨味おくゆきありーーおまけに冷めてもずっ〜っとおいしいーーだから弁当のおかずにもぴたりときまるーー

発酵調味料の底力はきっと動物や魚に対峙させて、よりはっきりするのではないか?
と、またまた知りもしないくせに偉そうに書いてるけど、
そう思ちゃったんだからしょうがない!


mらすく.jpg
写真が上手く取れませんでした。

これははちみつ味噌のラスクです(妄察じゃありません。ほんまもんです)

バゲットにはちみつ味噌を塗り、ナッツをトッピングして作られたラスクです。

味噌田楽のラスクがおいしいことは前々から知ってましたが、
はちみつ味噌のラスクはさらに上を行くおいしさで困りました。

なんていか、手が止まらなくなるのですよ。お手手が。

「すみません。1ついただかせていただきます」「どうぞー」

しばらくして、

「すみません。もう1ついただかせていただきます」「どうぞー」

しばらくして、

「すみま…」「どうぞどうぞ」「恐縮です…う、腕が勝手に……」

ほんと困りものです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

シニフィアン・シニフィエでも扱われていたはちみつ味噌。
おそらく、今後、ますますパン業界でも、はちみつ味噌は注目されていくのではないか?

おっと! ふたたび何もワカンナイくせに知ったようなことを書いてしまいました。

つづく





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パンの中に住む男キーホルダー
かしわで


120509_1427~010001.jpg


先攻で超先攻で買わせていただきました。

1個500円です。

これを鞄にくっつけてパン屋さんに行ってみようかな?

誰かに声をかけてもらえるかな?

「もしやパンラボの……?」

「はい。自分が主宰のムッシュ池田です」とか言ってみたりして。うひ。


ジョーダンです(こんなこと書きたくないけど冗談は冗談と書いておかないと怒られる気がして。誰に? 誰かにですよ。いひ。)。


5/12、13に京都の恵文社一乗寺店で先攻購入できます。


後攻はどうなのか?

先攻があれば後攻もあるはず。

でも先攻が好きだ。



追伸・この下のスレッドの1000行インタビューはちょっと長いですけど、
ほんとうに読み応えがあるので、多くの方に読んでほしいと思ってます。



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ヴィロン エグゼクティブシェフ 牛尾則明 【職人インタビュー 008】
うしお・のりあき
ル・スティル専務取締役。
1960年、兵庫県姫路市に生まれる。
高校卒業後、ニシカワ食品に入社。
ビゴの店での研修を経て、直営店の立ち上げや商品開発に携わる。
2003年6月、シェフとして渋谷にヴィロンをオープン。

誰も登ろうとしなかった高い山へ、あえて踏み込む。
一種の冒険であり、賭け。
パリでもっともおいしいバゲットを、その通りに作り、その通りに販売する。
そのためにまず取りかかったのは、希少なフランス産小麦を輸入すること。
数億を投じて、パリさながらの店舗を東京の一等地に作り、フランスの伝統を守りながら、日本人の繊細な技術でそれを超えるようなバゲットを作る。
牛尾則明は、パン職人冥利につきるようなプロジェクトをシェフとしてまかされ、予期せぬアクシデントに出遭いながら、期待値を上回るクオリティで実現した。
1000行の物語は、地方の一高校生が、パン工場に就職するところからはじまる。


「働いてる人は、みんなランニングに腹巻き、汗でべとべと。
帰りに『パン屋だけは絶対やめとこうな』と仲間で話し合った」

「もともと、僕、手作業でなにかをやるというのはものすごく好きでしたから。
でも、仕事にそれを選ぼうというところまでは思わなかったですね。
若い頃だから、給料のいいところ、大きな会社に就職、そういう一心で外資の会社を受けたんですけど、そこが落ちてしまった。
学校の先生といろいろ話をして、パン屋さんどうかなと。
農業高校の食品加工科に入ってたので、製菓製パンの工業機器の勉強はしてましたんで。
ニシカワ食品という兵庫県加古川市の会社に入るんですけども、そこは高校時代、授業で工場見学に行ってるんですよ。
労働環境はものすごく厳しくて、オーブンのところなんかものすごく暑い。
いまのように空調もなにもないですから、窓開けっ放し。
働いてる人は、みんなランニングで腹巻きして、汗でべとべとですよ。
帰りに『パン屋だけは絶対やめとこうな』と仲間で話し合った(笑)。
でも、卒業してみると、そう言いあった4人ともみんなパン屋に就職してた(笑)。
なんか縁があったんでしょうね。
親の手前、就職しないわけにもいかないので、『とりあえず1年はがんばる』と先生には言いました。
その1年のあいだに自分の本当にやりたいことを見つけると。
その年にニシカワ食品11人入ったんですけど、翌年には半分に減り、結局いま残ってるの2人ですね。
ひどいのは、1日で辞めたのもいました。
それぐらい厳しい職場でしたね」

「『教えてくれ』といっても、ばんばん弾かれる。
だったらもう盗むしかないなと」

「パン屋さんって覚えることはものすごくあるんですよ。
計量からはじまって、分割、成形、焼成、冷却、出荷。
ものすごく工程がいっぱいあって、こんなたくさんのものを覚えるのたいへんだなと思った。
僕は単純にこう思いました。
いちばんむずかしいものにトライして習得すると、あとはついてくるんじゃないかと。
いまとなってはものすごく安易な考えだったんですけど、そういう思いでその当時の上司に『なにがいちばんむずかしいんですか?』と訊ねたら、それは、おまえ、フランスパンだよ
フランスパン覚えりゃ、あとはついてくるんだって勝手な思いで、『じゃ、フランスパン教えてくださいって言ったら、
『ペーペーの素人のおまえにできるわけがない。教えられない』
教えてくれないんですよ。
僕は別の仕事をしていたんですが、フランスパン焼いてるところは通路のすぐ横でしたから、いつも見えるんですよね。
じーっと立ち止まって見てると怒るんですよね。
昔の職人さんでしたから、技を取られるという感覚で、『どけ『あっちいけと怒られるけども、やっぱり興味ある。
カット入れたらクープが割れますよね。
菓子パンとか食パンとかは、そういう変化ってないんですよね。
単にふくれるだけ。
弾けて割れるという変化ないんで、なかなか興味深いなと。
それで、『教えてくれ『教えてくれといっても、ばんばん弾かれて、だったらもう盗むしかないなと。
教えてくれないんだから。
通り際にちょっとずつ見て、盗む。
そこは常に通るとこなんで。
パンの本や教材は会社にたくさんありましたから。
自分で独学ですよね。
『正統フランスパン』というレイモン・カルヴェルさん(フランス国立製パン学校教授。日本に本物のフランスパンを伝えた人物)の本があって、それは端から端まで読みました。
学習だけでは駄目だから、みんなが帰ったあと、自分で仕込んだり。
最初はぜんぜんパンにならないんですけど。
そういう試行錯誤をしながら、ま、そんなにものすごくいいものではないんだけど、それなりにパンができるようになってきた」

「次、おまえ、切れ。
俺より早かったら、このポジションおまえにやる」

「ちょうどそのぐらいのタイミングで、フランスパンをやってる人が胃潰瘍になったんです。
で、来週から入院するという話を聞いて、上司に『僕にやらせてください』と言ったら、『いや、おまえにはできない』
『できないかどうか、判断してくださいよ』
『わかった』
生地35キロぐらいをどーんとあげて、『時間計れ』って上司が言って、自分でがーっと切りはじめたんですね。
350グラムにカットしていくんですよ。
めちゃめちゃ早いんですよ、それが。
すごいなあと思って。
ちょうど100個ぐらいできるんですけど、だいたい10分ぐらい。
『次、おまえ、切れ。俺より早かったら、このポジションおまえにやる』
そんなの勝てるわけないですよね。
『何グラムにカットするんですか?』って訊いたら、『知らない』って言うんですよ。
もう自分が切り終えたときに、はかりの重りを変えてるんですね。
『おまえはそれを見てなかったのか? おまえには最初から資格ないよ』
時間計れって言われたもんだから、僕は時計しか見てないですからね。
で、『何グラムですか?』『知らない』っていう押し問答を5分10分した頃に、『じゃあ350で切れ』って言われて。
1個切ったら、持っただけで『軽い』『重い』って返されるんです。
結局、40分ぐらいかかったのかな。
その生地はもうアウトですよね。
ふくれすぎてる。
過発酵。
それが頭にきてね。
僕、その当時14、5時間働いてたんですけど、仕事を終えたあと、食パンとかの古生地を利用して一生懸命練習した。
やっぱりコツがあるんですね。
その人がやるのじっと見ながら、『そうか、ああいうふうにやるのか』って思いながら、1ヶ月近くかかって、やっと10分ぐらいで切れるところまでいったんですよ。
ところが、10分だとその人に勝てないですよね。
『俺より早く切れたら』だから、最低でも9分で100個切れないといけない。
あと数十秒って、なかなかそっからが縮まらないんですよ。
そしたら、ある人が『スケッパー(パン生地を切る包丁)があまり切れてないんじゃないの?』と教えてくれた。
そういや、けっこう手応えが硬くて、さくさく切れないんですよね。
工務室に行ってグラインダーで研いだら、紙がさーっと切れるぐらい鋭くなった。
するとね、9分半ぐらいでいける。
でも、1歩まちがえると指が切れますからね。
練習中には手を刺しました。
ひと月半ぐらいしたとき、その上司に、『もう1回テストやってください』
『じゃ、やれ』
僕、9分22、3秒で切った。
そしたら『明日からおまえやれ』って、そのポジションを確保したんですよね」

地方の一パンメーカーであるニシカワ食品が、なぜヴィロンを生み出すことができたのか。
資本力、経営力があったことはもちろんだが、それに加えて、もの作りの伝統、切磋琢磨しあう職人の文化が存在したことが大きな理由である。
牛尾則明というパン職人は、厳しい上下関係を揺りかごにして生まれてきた。

「『これ作ったの誰だ?』
『私です』スタッフのひとりが言うと、叩かれる」

「そのうち、営業の人に、『フランスパン最近、評判いいよ。おまえのパン、割れ方きれいなんだよ。見た目が前とちがうよ』って言われて。
(クープ[フランスパンの切れ込み]を入れるための)かみそりも、自分で割り箸に挟んで、マイかみそりを作ったりして、いちばんきれいに割れるかみそりの角度をいろいろ検討もして、それでまあすごくきれいなものができるようになっていました。
当時の社長(ニシカワ食品の創業者・西川隆二。ヴィロンを経営する株式会社ル・スティルの西川隆博社長の祖父)は、毎日工場に入ってこられて、僕のフランスパンを見てるんですよ。
やっぱりその社長も、『おまえの腕はなかなかいいな』と思ってくださって。
『おまえは、もうちょっと本格的に勉強するか。フランスパンといえば、ビゴさんだろ。ビゴさんに話するから、修行に行け。その間の給与はうちが出すから』。
そう言われて、僕はうれしかったですよね。
『そんなこと、会社のお金でさせてもらえるんですか』
3ヶ月半ぐらい、三宮プランタンの地下の、ドゥースフランスっていうビゴさんのお店で働くことになった。
ニシカワ食品では、週休1日で、14、5時間働いてましたから、よその店にいっても楽勝だと思っていました。
そしたら、ドゥースフランスの仕事開始は朝2時半。
みんな三宮近くのマンションに缶詰で寝泊まりしている。
2時に起きて2時半からスタートなんですね。
初日からみんな話もしないんですよ。
黙々と仕事をするんですね。
僕にとっては、見たことない光景なんですよ。
ニシカワ食品では、パートのおばちゃん連中とがやがや話しながらやっていた。
ちがうんですよ。
ぜんぜん話をしない。(*1)
朝食もない。
その当時、松岡徹(現パンテコのオーナーシェフ)さんって店長がいらっしゃって、すごく怖い人で。
前日には、松岡さんが『牛尾君、今日は歓迎会してやるよ』って、三宮でみんないっしょに食事してわいわいやって、『明日からよろしくお願いします』『あー、がんばってね』って言われていた。
次の日、松岡店長が店にくるのが、だいたいオープン30分前の9時半頃。
『おはようございまーす。昨日はどうもありがとうございました』って昨日の光景を思い浮かべながら普通言いますよね。
無視なんですよ。
『あれ、なんで?』と思ったので、いっしょにやってる連中に、『松岡さん、機嫌悪いの?』
『いつもあんなだよ』(*2)
松岡さん、ばーっと店見て、何個かパン持ってくるんです。
『これ作ったの誰だ?』
『私です』スタッフのひとりが言うんですよ。
麺棒持ってきてかこーんって頭叩くんですよ。
『何がいけないかわかるか?』
『焼き色が甘かった』
かこーん『ちがう』
『発酵が足りない』
かこーん『ちがう』
『折り込みがずれてる』
『そうだ』(*3)
みんな松岡さんがくる9時半が近くなってくると、そわそわしてるのがわかるんですよ。
それぐらい怖かったですね。
ビゴの店に行ったんだけど、僕が実質教わったのは松岡さん。
その当時のビゴさんは、ラジオだ、テレビだで引っぱりだこだったんで、現場でいっしょに仕事するというのは、本当に何日かだけでした。
松岡さんにほとんど教わってたんですよね」

「午前2時半から働いて、夜の8時半まで。
帰ってから、またみんな『正統フランスパン』とか本読んでる。
『これはえらいとこにきたわー』」

「朝の2時半から仕事に入って、お昼ごはんが昼の3時半なんですよ。
そのとき使ってたオーブンがダブルで4段。
片方に4段、片方に4段、合計8段にパンを入れて、8階の食堂に上がるんですよ。
で、いちばん最初に窯に入れたのが焼けるまでに降りてこないといけないんですよ。
交代要員っていないですから。
マックスで14分しかないんですよ。
だから、がーっとクープを入れて、がーっと窯に入れて、それでがーっと8階まで上がって降りてくる。
でも、エレベーターだけで5、6分かかっちゃうんですよ。
だから、実質、食べてる時間っていうのは7、8分なんですよね。
そうすると、どんぶりもんしか食べられないんですよ。
かき込むものしか。
14分で行って帰ってきて。
休憩なんてないですからね(*4)。
それで夜の8時半まで働いて、そこで仕事終わりです。
2時半から働いて、夜の8時半ですよ。
お昼ごはんが3時半ですからね。
帰りに大衆食堂みたいなところで食事して、帰って風呂に入ると、またみんな『正統フランスパン』とか本読んでるんですよ(*5)。
『これはえらいとこにきたわー』と思って(笑)。
だいたい10時半ぐらいに寝ますよね。
で、また2時に起きますよね。
みんな睡眠時間は3時間ぐらい
で、休みが月1回。
それで僕その子たちの給料見せてもらったことあるんだけど、僕のもらってる給料の半分ぐらいでしたからね。
『えーっ』って。
『おまえらなにが楽しくて、そんな劣悪なところで。そんな給料でやってんの』って。
その頃、ビゴで修行を1年した、2年したっていうと、次に就職するときに、すごく給料の値段が上がるんですよね。
ビゴで1年いたならいくらあげるよっていうのもあるし、本場のフランス人の元で教えてもらったほうがいい(*6)。
でも実際は、教えるのは松岡さんなんですよ。
松岡さんはものすごく厳しくて、僕、いまだに怖いですからね。
東京にきて、もう9年近くになるんですけど、いちばんはじめに、当時恵比寿でやってらっしゃったパンテコに行って、松岡さんに挨拶しましたから」

「パン生地にまだ触ってないうちから、ばーんと叩かれる。
『おまえはパンの気持ちがわかんないのか?』」

「とにかく、松岡さんがくるまでは、自分のやりたい速度で仕事は進んでいくんですけど。
松岡さんがくる前になると、みんなぴりぴりしちゃって。
松岡さんの教え方というのは、たとえばバターロールなら、松岡さんが麺棒で伸ばしたのを、3人ぐらい並んで、みんながそれぞれ向こうから巻いていく。
そうやってやるんですけど、僕、まだ松岡さんの伸ばしてくれたパン生地に触ってないうちから、叩かれるんですよ。
『なにがいけないんですか』っていったら、
『自分で考えろ』
人の作ったの見てもわかんないんですよね。
で、また触ろうとすると、かーん。
『ちがう。そうじゃねえんだよ』
なにがちがうんだろうなと思ったら、生地に触ろうとするときに持っていく、手の角度のことを言ってるんですよ。
角度が急だと生地にとってダメージが大きいから、できるだけフラットに、平行に手を降ろしていかなくちゃいけない。
これは後でわかったんですけども。
それを言わないんですよね。
『おまえはパンの気持ちがわかんないのか?』とか抽象的なことはおっしゃるんだけども。
『おまえな、もうちょっと手を台に向かって低くから入っていけ』とか、言ってくれればわかるんだけども、言わないんですよね。
ばんばんばんばん、正解が出るまで叩かれますからね。
頭が真っ白になるし、パニックですよ。
でも、僕はよそ者ですよね。
ビゴの従業員と同じように扱ってくれてるな、というのは感じましたね。
それはうれしかったですね。
おまえはよそからきてるからいいよ、じゃなくて。
手は叩かないんですよ、職人だから。
いまだに、松岡さん、まー怖いですよ」

「『30っていったら30で量れ。31、29グラムって言ってない。俺は30グラムって言ってるんだ』
松岡さんは秤を使わずにそれを見極められる」

「バターロールって30グラムなんですよ。
『牛尾、切れ』って言われて、僕が切ったのを、松岡さんが丸めていく。
で、切ると、まあね、3分の2ぐらい返されるんですよ。
松岡さんは目をつぶって丸めるんですよ。
『軽い』『重い』『軽い』『軽い』
どんどんどんどん返ってくるんですよ。
僕は秤を使ってるんですよ。
30グラムの生地なら、普通は1グラムぐらいの誤差はOKですよね。
それぐらいの精度でいかないと、時間がかかって大変なんですけど、ダメなんですよ。
松岡さんは1グラムのことを言っている。
『30っていったら30で量れ。31、29グラムって言ってない。俺は30グラムって言ってるんだ』(*7)。
松岡さんは秤を使わずにそれを見極められますからね。
量るとたしかにちがう。
『できるだけ切りくずを出すな』とか、『スケッパーで切る回数は2回にしろ』とか。
きついっすよ、そりゃ。
大変でしたね。
左手で持っただけで30グラムを見極めないといけない。
『秤にのっける段階でこれは何グラム多いのか判断できるだろ』っていうんですよ。
切って秤にのっける瞬間ですね。
『これは1グラム多いのか、1グラム足りないのか、また、2グラム多いのか判断しろ』
カンカン秤っていう、天秤式の秤があるんですが、皿があって、竿があって、下に重りがついてる。
枠がついてて、ちょうど真ん中に矢印があるんですけど、竿がその真ん中で止まればプラスマイナス0なんですよ。
だけど、枠の上に当たれば重い。
下に下がれば軽いんですよ。
松岡さんが分割するのを見てると、上がるか下がるか、竿が上がりかけたときの速度で、これは何グラム軽い重いって、判断されてるんですよ。
秤がぶらぶらしているのが静まって、ちょうど真ん中に到達するところまで待ってると、とてもじゃないけど、ぜんぶ終わるまで1時間以上かかりますよね。
置いた瞬間に秤が上がる速さを見る。
ものが載ってないと下に降りてますから。
上がる速度で、何グラムか瞬時に判断して、1回で切り終えちゃう。
生地を足すことがほとんどない。
足りないのに生地をくっつけて足すほうが時間かかる。
多い分には、余分を切ってその次のにくっつけてしまえば、くずとしては最小限に収まる。
そういうことをいっぱい教わったと思いますね(*8)。
『生地の気持ちになりなさい』という教えですよね。
フランスパンに限らず、菓子パンでも、食パンでも、バターロールの生地でも。
パンの生地に対してはすべて同じ対応でいけるんですよね。
『生地の思いを知れ』というのは、いま生地がどうしてほしいか考えなさいということ。
いま切ってほしいのか、まだ早いのか、もうちょっと待ってくれって言ってるのか。
それは自分で見極めなさいと。
時間通りにやれば、すべてが解決するわけじゃないんですよ。
23℃にあげた生地と25℃にあげた生地とは同じ1時間発酵させてもまったくちがうんですよね。
何度であげたから何分置こうって、ある程度の判断はもちろんしますが、最終的な判断っていうのは、手で引っ張って、押して、伸ばしてってことをしながら、これはいま切ってよいのかってことを考える。
そういう『深さ』を教わったので、ニシカワ食品に帰ってからは、よくいえば生地と対話するようになりましたね。
それまではすべて時間で配分してましたから。
『待ってくれ、もうちょっと置いてくれ』って生地が言ってる、って感覚になったのは、大元は松岡さんの教えですね。
ビゴさんも、とにかく生地に触ってからでないと分割しないですからね。
『もう5分置け』とか判断をされてました。
僕はそこでいろんなことを培ったなと思っています。
ニシカワ食品にそのままいたら、そんなに深いところまで、パンに対して探求心を持たなかったかもしれないですね。
ぜんぶ手でやるなんて、こんな旧式な古典的なことをやってるところがまだあるんだと思って。
その頃どんどん機械化のほうへいってましたよね。
省力化ということで、機械導入して人を減らしていく。
お店ではともかく、工場ではそういう流れでしたね」

パンテコシェフ松岡徹さんの話
麺棒で叩くって言っても、野球部の監督がケツバットやるように、お尻を叩く程度だよ(笑)。
いまは時代に合わないから、もうそんなことはやってないしね。
当時は、怖かったと思う。
鬼って言われてました。
新しく入ってきたばかりの人というのは、パンに対する愛情がない、丁寧さがない。
まずそこを教えないと、いいものってできないんですよ。
ものを作るって意識が、まだ生まれてないじゃないですか。
会社に勤めて、始業時間から終業時間までやればお金をもらえるという感覚。
それが、口で言ってるだけじゃ直らないんですよ」

松岡徹はフィリップ・ビゴの直弟子である。
ビゴは松岡に「ウイ」か「ノン」しか教えなかったという。
いいパンができれば「ウイ」、商品として店に出せないパンは「ノン」。
どうやれば「ウイ」のパンができるかを具体的に教えることはなかった。
職人の世界で、「技術とは教わるものではなく、盗むもの」とはよくいわれる言葉だ。
単に知識を得るのでは不十分。
上出来と不出来のどこがポイントになっているのか、研ぎすまされた感覚で把握し、問題意識を持つこと。
意識や感覚とは、自らつかみとらなければ決して自分のものにならない。
松岡が、自分がビゴに教わった通りのことを牛尾に伝授するためには、決して「教え」てはならなかったのだ。

「フランス行って、もう愕然としましたね。
バゲットって、こんなまずいもんだったのか」

「かえって、ニシカワ食品に戻ってからのほうが、極める作業に入るという意味で、よりたいへんだったかもしれないですね。
ビゴの店で、決まった設備、決まったオーブンの中でなら、どこまでのレベルかは自分でわからないけど、みんなとほぼ同じことはできた。
ニシカワ食品に帰ってからは、現状のフランスパンをブラッシュアップしました。
もうちょっと、こういうやり方でやれば、もっときれいになるとか、あるいはおいしさの追求ももちろんしないといけない。
そうするうちに、新しくイトーヨーカドーが加古川にくるということになって、そこにパン・ド・ミというお店を出店することになった。
せっかく修行してきたんだし、フランスパンをメインで売れるお店を作ろうか、と。
先代はもう会長になられたあとで、2代目の社長さん(現在のニシカワ食品社長・西川隆雄)の時代ですね。
イトーヨーカドーでは、1日100本ぐらい売ってましたからね。
オープンキッチンで、目の前で焼くというシステムで。
それも成功してですね、そしたら2代目の社長は、『もっと極めろ』と。
『フランス人のお店で働いたというだけじゃなくて、フランス行け』ということで、フランスに10日ほど行かせてもらった。
いまから22年前、僕ちょうど30のときです。
フランス行って、もう愕然としましたね。
フランスのパン、こんなにまずいのか。
バゲットって、こんなまずいもんだったのか。
フランス人のいい加減さを目の当たりにして愕然としましてね。
だから、ビゴさんという人は、フランス人なんだけど、すごく几帳面なところをお持ちなんですよね。
実際に町場で働いてるパン屋さん、ブーランジェ、職人さんというのは、ものすごく大雑把で、ものすごくいい加減だから。
バゲット並べてカット(クープを入れる)しますよね。
普通だと、観光にきた外国人に、『ちょっと1回切らして』って言われても、僕らだったら、断りますよね。
フランス人なら、『ああ、いいよ。切って、切って。それぜんぶ、ぜんぶ切って。ああ、そんなの適当でいいんだよ』(笑)
その観光客、よそを見ながら、切ってますからね。
クープというのは、筋を入れてればいいんだよ、という感覚なんですよ、たぶん。
そういう態度には腹立ちましたね。
僕が求めてたものってなんだったんだろう。
僕らは生地を余らせると怒られるけど、むこうは機械でびゃーっとのばして、がーっと適当な感じですよ。
流れ作業ですから。
1日1000本もバゲット焼かないといけないんだったら、丁寧にしてられないですよね。
それはわからなくもないんですけど、あまりにもそのギャップが、カルチャーショックでした。
だけど、やっぱり原料はちがうな、というのはわかりましたね。
僕らがビゴさんとこで教わってた当時、フランス産小麦って輸入できない時代でしたから、アメリカ・カナダの小麦を使って、フランス産小麦に近い小麦粉を作ろうとしていた。
なおかつ、日本の職人さんってフランスパン扱ったことのない人がほとんどだったから、小麦粉に作りやすさも求めたんですよね。
それで、ビゴさん、レイモン・カルヴェルさんの協力で、リスドオルという粉(日本初、現在でももっともポピュラーなフランスパン専用粉)を日清製粉が開発した。
でも、それは、フランスパン用の粉ではあっても、フランス産小麦ではないんですよ。
だから、あとからフランス行って思ったんですけど、僕らはアメリカ・カナダの小麦を使って、一生懸命フランスのフランスパンを作ろうとしてたんですよ。
それは無理なんですよね。
原料がちがうものですから」

「粉を輸入したら、日本でパリ以上のバゲットが焼けるか?」
「僕はいけそうな気がする」

「僕は、初代の社長に『ビゴさんとこ行け』といわれて、2代目の社長に『実際のフランス見てこい、極めろ』といわれた。
そして、3代目(西川隆博)とは、2人で、パン・ド・ミを関西で8店舗まで展開したんですよ。
8店舗まできたとき、お互いに、これ以上無理かなと。
いまのままで、さらに店舗展開できなくはないけど、なんかちがうな。
これ以上やっていく意義があるのかなって、お互い思いはじめてて。
で、うちの社長も3代目として、なにかを成し遂げないといけない立場ですよね。
社長はフランスに行ったんですよ。
そのときにこのレトロドールのバゲットを食べてるんですね。
僕がフランス行った時代にもあったんだろうけど、そんなおいしいのを食べた記憶がない。
うちの社長がフランスでレトロドールを食べて、『これは日本で売るとおもしろいことになるかもしれない』ということで。
突然、『長期だけどフランスに行ってほしい』と社長に言われて。
『若い子に行かせてあげればいいんじゃないの?』
『それはダメなんだ』僕に行ってほしいと。
なんの意味かわからず、1ヶ月半ほど向こうに滞在しました。
なんのために行ってくれとは言われなかった。
僕の反応を知りたかったんでしょうね。
『この店と、この店と、この店のバゲットを食べ比べて、コメントをくれ』と。
常にいっしょに行動するんじゃなくて、僕は僕で、社長は社長でパリで店回りをしてた。
僕も社長も100軒以上のパンを食べてるんですよ。
その中でも、このレトロドールはなんかちがうなと思ったんです。
グルニエ・ア・パンという店で、レトロドールを、バゲット・トラディションとして売ってるんですけど、それがめちゃめちゃうまいんですよ。
そこのはうまいんだけど、ちがうところのレトロドールはおいしくないとかね。
場所によってずいぶんちがうなと。
でも、うまく作ればおいしいなと思った。
で、グルニエ・ア・パンで、1週間いっしょに働かせてもらった。
そしたら、朝一のはおいしいんですけど、2発目、3発目はおいしくないんですよ。
なんでだろうな。
中へ入ってみると、朝一というのは、前日のいちばん最後の生地を冷蔵して置いとくんですよ。
冷蔵庫に入れたものを、翌朝分割してパンにする。
朝きてから一発目を仕込んでも、開店時間に間に合わない。
だから、前日の最後の生地をストックしておいたものを、切って、のせて、焼くんですね。
だから朝一は熟成の度合いがぜんぜんちがうんですよ。
冷蔵発酵でオーバーナイトさせてるので、16時間以上経ってるんですね。
ところが、朝一にきてから仕込んでいくと、醗酵時間としてはだいたい2時間半から3時間ぐらい。
だから、甘みがぜんぜんちがうんです。
で、それを僕ははじめて知って、『じゃ、おまえらなんでぜんぶ冷蔵でやらないんだ』と質問した。そしたら、
『冷蔵庫にそんなにたくさん入れるスペースない。いくら売れるかわからないのに、冷蔵庫買ったりできるか』
ま、そういわれりゃそうだなと。
それで日本に帰ったら、社長がこの事業(ヴィロン)の話を、はじめてしてくれたんです。
僕も、その実際に食べたレトロドールに興味津々だったんで、
『じゃその粉を仕入れるところから社長やるの?』って訊いたら
『そうしたい』と。
レトロドールがうまいのは、粉のちがいだと社長も思ってた。
だけど、社長が考えたのは、それに近い粉を日本で探すんじゃなくて、まったくそのまんま、そのもの自体を輸入できないか、ということ。
『粉の輸入は俺がやる。だけど、それを輸入したら、日本でパリ以上のバゲットが焼けるか?』と社長に言われたんです。
僕、ああやってこうやってこうやってやればいけるんじゃないかな、と頭の中で思って、
『僕はいけそうな気がする』
『じゃ、契約交渉に行ってくる』って社長、契約にいった」

「おまえの国に、うちのレトロドール作れる職人なんているのか? 
誰でも彼でもに提供できる粉じゃないんだよ」

「VIRON社は、パリから東に80キロ、電車で1時間弱ぐらい行ったところの、シャルトルっていう町にある。
うちの社長がそこ行ったら、VIRONの社長アレキサンドルは日本のこと知ってるんだけど、開発のスタッフは『日本? アジアのでっかい国だろ』って中国とまちがえてるくらいで(笑)、日本のことはほとんど知らないですよ。
『ニシカワ、おまえ契約っていうけどな、おまえの国にうちのレトロドール作れる職人なんているのか? それを見てみないと、誰でも彼でもに提供できる粉じゃないんだよ。まして、おまえのとこ外国だろ?』と言われて。
それで、社長が帰ってきて僕に『行ってくれ』と。
ということで、今度は僕がフランスに行って、VIRON社の研修センターで1週間ぐらい缶詰になった。
通訳はいるんだけど、やっぱり専門用語が入ってくると通訳もわからなくて、VIRON社の開発スタッフとのコミュニケーションがむずかしい。
そうすると、だんだん開発スタッフがしゃべらなくなってきて、こんなことを言ってきた。
『とにかく、おまえ見てろ。これから2日かけて俺がやるから、それを見てろ。3日目、4日目、おまえはひとりでやれ』
それだけを言って、淡々と仕事していくんですよ。
僕は同じように作らないといけないんで、仕込みの時間、窯の温度をチェックしたり、『生地の状態を見せろ』といって触らせてもらったり、という感じでやって。
一連の工程を、オーバーナイトなので2日がかりで彼らやるんですね。
で、3日目、4日目で、彼らと同じことを、僕が2日間でやり遂げた。
5日目には、『おまえのスペシャリテ、おまえのいちばん自信あるのをやれ』と言われた。
僕はバゲットをやったんですけどもね。
そしたら、まあ、簡単にできるんですよ。
彼らやっぱりすごく雑だから、『もっとこうやったほうが、すごくきれいにできるんだよ』ってことを教えてあげたぐらいで。
『なるほどそうだよね』って、彼らも言うぐらいに打ち解けて。
それで、先代の社長、フィリップ・ヴィロンさんも握手してくれて、
『これならいい。じゃあ、ニシカワと契約してやるよ』と言ってくれた。
それで契約に至ったんですよ」

「やっても、やっても、ぜんぜんバゲットができない。
ほとんど固まらない生地を無理矢理すくって、その時点でダメなのに、翌日に冷蔵庫を開けると、もっとダレている」

「最初の年、輸入した粉からはバゲットがぜんぜんできなかった。
その年の麦も出来がよくなくて、薄力粉ぐらいのタンパク量しかなかったんでね。
レトロドールは、年によるばらつきがものすごくある。
送られてきた粉を、奥本製粉さんに頼んで調べてもらったら、タンパク量が8.5っていうんですよ。
タンパク8.5って、それ薄力粉と変わんねえぞと。
薄力粉でバゲットなんてできないよね。
で、ヴィロンのアレキサンドルに訊いたら『10.5だよ』っていうんですよ。
『おまえな、どう計っても8.5なんだよ』
『そんなことない。10.5だ。じゃ、そのデータ送るから』
送られてきたデータ見たら、10.5なんですよ。
奥本製粉さんといろいろ話してると、日本は計測方式がアメリカ式で、フランスはドイツ式なんだとわかった。
だから、彼らの言う10.5というのは、アメリカ式のほうが低く出るから正解なんですよ。
ドイツ式の10.5は、日本の計測方式だと8.5なんですよね。
これ、どうやってもどろどろなんですよ、生地が。
塊にならないから、かなり悩みましたね。
フランスではぜんぜん普通にいいのができてた。
日本にフランスパンができる職人さんがいるんだって彼らがびっくりしましたけど、僕はその当時で、もう20年以上も、いろんなものを作ってきた経験があるわけですから。
どんなパンでも普通にできるはずなんだけど。
でも、できないんですよ。
粉は、向こうで製粉したものを袋に入れて送ってきてもらってるわけだから、VIRON社で僕が作ったときと同じものですよね。
機械も、ミキサー、オーブン、分割機、ぜんぶフランス製を使ってますから、同じものですよね。
環境はちがいますから、これはまあしょうがないですけどね。
日本のほうが湿度は高い。
それ以外に条件を思いつかない。
なんでできないんだろうって、ずーっと思ってて、2週間ぐらい寝れなかったですね。
なんでかっていうと、オーバーナイトなんで、今日ダメだと明日しかないんですよ。
今日仕込んで明日焼いてダメ、そうすると、また次の日にしか結果が出ないんですよ。
1日に5回やれれば5回結果が見れるわけですよね。
オーバーナイトだから1日1回しか結果が見られない。
明日ダメだとあさってしかないんですよね。
やっても、やっても、イーストの量変えたり、水の量も少しいじったり、醗酵時間を変えたり、塩の量も少しいじったり。
冷蔵の保存の温度帯もいじったり、いろいろやってもぜんぜんできないんですよ。
手粉まみれになってやっと成形しても、焼いたらせんべいみたいですよ。
もう仕込んだ段階で無理だと思うんですよ。
ほとんど固まらなくて、ペーストに近いような生地。
それを無理矢理すくって、その時点でダメなのに、翌日に冷蔵庫を開けると、もっとダレてますよね。
水しゃぱしゃぱっぽいんですよ。
これじゃ話にならない。
それで、かなり悩んで。
オープンの日はもう6月18日と決まっていた。
僕が試行錯誤してたのが、5月中頃。
社長に『どれぐらいテストメイクしたらいいの?』と訊かれて、
『3日もあればいいんじゃないの?』っていってたんですよ。
で、たまたま粉も早くきたんで、『前倒しでやろうや』ってやったからよかったけど」

『渋谷のいまの水道水、硬度いくつですか?』『いま67前後ですね』
社長とマツキヨに駆け込んで、そこでヴィッテルを買った」

「そのとき、川崎のエスプランという店の塩田さんという社長と打ち合わせをしたんだけど、僕はもうバゲットのことばっかり考えていて、社長の話も聞いてないんですよ。
塩田社長は職人さんなんですよ。
『牛尾さんもたいへんだよね。パン作りは本当むずかしいよね』って。
『別にそんなこと、この場で話されても困るわ』って思いながら、僕は上の空で聞いていた。
『牛尾さん、軽井沢って行ったことある?』
『すいません、ないです』僕はぜんぜんちがうこと考えてて。
『軽井沢ね、あそこパン作りすごくむずかしいんだよ』
塩田社長は、軽井沢の浅野屋でも修行されてるんで。
『すごくパンが作りづらいんだよ。あそこね、水の硬度が高いんだよ。すごい硬水だから、ぷりっぷりになっちゃうんだよ』
それ聞いて、『おっ、ちょっと待てよ』と思った。
『そんなに硬度高いんですか?』
『日本の中ではけっこう高いところなんだよ』っていわれて。
『そうなんですか? ぷりぷりになるんですか』
『もう、ぷりっぷりでさ、とにかくのびないんだよ。だから、普通より7、8%水入れないとダメなんだよ』
『えっ、そんなにちがうんですか! すいません、僕、帰っていいですか。ちょっと用事思いだしたんで』
そっから、電車の駅まで5分ぐらいなんだけど、渋谷の水道局に電話して、
『渋谷のいまの水道水硬度いくつですか?』
『いま67前後ですね』
『もしかしたら、これかもしんねえわ』と。
で、渋谷駅降りて、社長とマツキヨに駆け込んで。
ヴィッテルって水ありますよね。
エビアンでもよかったんだけど、ヴィッテルはだいたい硬度が308ぐらいなんですよ。
フランスの硬度ってだいたい300から350。
帰りにそこでヴィッテル買って、その日、夕方からがーって仕込んで。
小麦粉を水で練った瞬間に、『あ、これだ』って思ったんですよ。
なぜかというと、生地になる。
固まるんです。
『生地になってるわ』と思って。
そうすると、これは翌日、どのくらいの、どんなものが焼けるかって僕わかったから、
『社長、もうできたよ。これ、きっと大丈夫』
『じゃ、明日、楽しみにしてくるわ』
次の日、めちゃめちゃいいの焼けたんですよ。
ぱーんと上がるし、中の内相もぼこぼこぼこって蜂の巣状態になってる。
『これだよー!』」

「コレットに行ってなかったら、コントレックスに行き着かなかった。
いろんな経験の中で、無駄なものってひとつもないと思う」

「そしたら社長が『専務、悪いんだけどさ、それいくらで売るの?』って言うんですよ。
フランス小麦は普通の小麦の3倍ぐらいするんで、全量ヴィッテルで仕込むと、たぶんバゲット1本500円以上の売価設定じゃないと売れない。
その当時、300円以上のバゲットってなかったんですよ。
こりゃダメだ、と思って。
でも、待てよ、それなら、硬水を作ればいいのかと。
で、いろいろ調べると、理論上できなくはないんですよ。
要は、マグネシウム、カルシウムを添加すればいいわけなんで。
その添加量というのは、10リッターに対して1ccとか。
もう100万分の1g(ppm)を超えて、ppb(10億分の1g)レベルでの添加をしないといけないんですね。
そんなの現実的には不可能なんですよ。
100リッターで10ccぐらいならできなくはないんですけど、それも安定してないんですね。
作れたとしても。
それより簡単な方法ないのかなと思って。
で、また悩みまして。
硬水から、カルシウム・マグネシウムを取り除くのは簡単なんですよ。
フィルターを噛ませればいいので。
だけど、添加するというのは、基本的にどこの国でもやったことがないんですね。
で、ヴィッテル全量じゃだめ。
原価を安く抑えられて、なおかつ300以上の硬度をキープできる方法を考えた。
そのとき、思いだしたのが、パリで1ヶ月半パン屋巡りしてるときのことなんです。
通訳をしてくれた、パリ在住の日本人の女の子が、
『牛尾さん、お酒飲めないんですよね。じゃあ、お水のバーってあるんだけど』
『なんだよそれ』
『いろんな国のお水がものすごくたくさん種類あるから、行く?』
それがちょうど、フォーブル・サントノーレにある、コレットっていうセレクトショップ(パリの流行が作られるともいわれる有名店)の地下なんですよ。
そこではじめてコントレックスっていう水を飲んだ。
『これ、超硬水なんだよ』ってその子が教えてくれて。
そこではピエール・エルメのお菓子が食べられるんですよ。
僕、いまでも好きなんだけど、そこではじめてイスパハンを食べた。
ラデュレ時代にエルメの作った、ライチの実が入ってるお菓子なんですね。
それを食べて、コントレックスを飲んだ。
ものすごい硬い水だなと思って。
硬度が1500ぐらいあったと思う。
もう硬水どころか超硬水なんですよ。
それを思いだした。
マツキヨにたしかコントレックスって売ってたよなって。
じゃ、ブレンドしたらどうなんだろう。
計算式にあてはめると、8対2、コントレクッス2割、渋谷の67の硬度の水道水8割でブレンドすると、ちょうど350になる。
「これだ!」と。
コントレックスって、1.5リッター220円ぐらいだった。
2割だけでいいわけですから、知れてるやん。
値段も抑えて硬度もキープできるという方法を、やっとそこで見いだすことができた。
だから、僕、たぶんその子がコレットに連れてってくれなかったら、コントレックスというところに行き着かなかったと思うんですよ。
だから、いろんな経験をしていく中で、無駄なものってひとつもないんじゃないかなって思う。
たとえば、寄り道、脇道、なんかわからないけどこの店入ってみようかなって。
日本でもそうだけど、フランス行くと特にそうですよね。
自分になんの興味もないようなものが置いてあっても、なんかおもしろそうだと思ってふっと入るって、ものすごく大事なんだなと。
いつかなんかのときに、どんなふうに役立ってくれるかわからないから。
旅に行ったり、どこかに出かけたときには、時間を惜しみなく使って、いろんなところに立ち入ろうというのは思いましたね。
いまから9年前といえば、ちょうどダイエットブームの時代。
デトックス、排泄物を出すということで、コントレックスも重宝されだした、そのはしりの頃でしたからね。
それがちょうど合致して、最終的にそれに行き着く、到達することができて、いまがある。
その経験は大きかったですね。
でないと、僕、バゲットできなかったら夜逃げしかないと思ってましたからね。
そのために僕、東京にきたわけだから」

「古きよき時代のバゲットがここにはある。
もうパリには残念ながらないよ。おまえが継承してくれ」

「フランスにいま、うちのレトロドールみたいな焼き色のバゲットってもうないんですよ。
フランスの子供たちも、マクドナルドさんとかの影響で、やわらかいものを食べるようになって、咀嚼時間も短く、咀嚼力もだんだんなくなって、顎が突き出てきてるんですね。
そうすると、焼き色の濃いバゲットって『硬いからいやだ』っていう子供たちがだんだん増えてきた。
フランスって、店に並んでるバゲットの焼き色が、ぜんぶばらばらですからね。
いろんな色がある。
お客さんが『右から何番目のそれ』って選んでいく売り方をする。
そうすると、色の白いほうから売れていくので、店主は白いのをどんどん焼こうとしますよね。
白いのを焼くほうが焼き時間も短縮できるから、1日に焼ける本数も増えるし、労働時間の短縮もできるから、どんどん白いほうに進んでいく。
色の濃いバゲットってもうないですよ。
だから、アレキサンドルもうちにくると、
『古きよき時代のバゲットがここにはあるんだね。もうパリには残念ながらないよ。おまえのとこが継承してくれ』と言います。
僕は日本人なんで、窯で焼くときには、途中で手前と奥を入れ替えたり、差し替えたりしながら、ぜんぶ同じ色になるようにしますよね。
フランス人は奥、手前関係ないですからね。
当然、奥のほうが焼き色はよくついて、手前のほうは若干白くなっても、いっぺんにそれをぜんぶ出しちゃうんで。
手前は白い、奥はやや色がついてる。
それがだんだん、奥はやや白い、手前はかなり白いで出すようになっちゃうんですね。
そういう、時代の変化がパリでもいまかなりある。
でも、レトロドールって『黄金の古(いにしえ)』っていう意味なんで、そういう意味でも、うちがなんとか継承していければなと思いますけど。
この界隈に住んでるフランス人の方にも、
『こんなバゲット、昔はあったけど、いまはないよねー』『懐かしいよねー、これは変えないでね』って必ず言われます。
うちに来店したフランス人の方は感動しますもんね。
『こんなバゲットがここにあるんだ』って。
フランスでは残念ながら、労働時間が週35時間って決められてますから、彼らそれ以上働けないし、働かないですから」

「『フランスっぽい』とか、『フランス風だね』とか、それやめようよ。
パリの15区とか、6区あたりにあるのが、ぽんと抜け出して、この町にどんときた、そのままでやろうよ」

「僕も社長もね、この店作るときにね、
『「フランスっぽい」とか、「フランス風だね」とか、それやめようよ。そんなのどこにでもあるから。パリのお店、15区とか、6区あたりにあるのが、ぽんと抜け出して、この町にどんときた、そのままでやろうよ』と。
原料も基本フランス、仕入れるものはほぼフランスの食材を入れて、設備も空気以外はぜんぶフランスでいこうと。
インテリアもデザインも日本人だけど、フランス在住の日本人が手がけたので、やっぱりちがうんですよね。
そこで生活をしてる人の感覚・感性というのはやっぱり日本人とはちがう。
ちょっとしたところなんですが、この階段のところも縮み塗装という、特殊な塗装なんですよ。
値段が高い。
フランスでは一般的に使っているんですけど、日本ではほとんど見ないですね。
でも、テクスチャがやっぱりちがうんですよね。
それを知ってる人も少ないんだけど、そこはこだわりとしてやろうということになりました。
そういうところを、いちばん重視しましたね。
普通、日本人がデザインすると、天井が赤なんて考えられないですね。
でも、別にそんな居心地悪くないし、パリならいくらでも、こんな店、普通にあるんで。
図面で見たときは『えー』って思いましたけど。
できてしまえば、ぜんぜん受け入れられているというか、『天井、なんでこんな赤いの?』なんていう人いないですよね。
だけど、やっぱり『本物』とか『らしさ』っていうのは、そういう細部の積み重ねじゃないかと思うんですよね。
クロワッサンもフランスのまんまですからね。
『そんなでっかいクロワッサン』っていわれるけど、パリではあの大きさが主流っていうか、普通。
逆に日本のサイズのクロワッサンがフランスにはないんですよ。
ルセット(レシピ)も基本フランスのままだし、大きさももちろん、目方もフランスそのまんまで。
販売台の高さもフランスのパン屋さん30軒ぐらい計らせてもらった。
みんないっしょの高さなんですよ。
それでこの高さにしたんだけど、日本人の女性にとってはやっぱりちょっと高い。
でも、日本ナイズはいっさいやめようということで、そのままやりましたけどね。
背の小柄なご婦人の方はちょっと背伸びしてる方もいらっしゃいますけど。
1個を日本ナイズしちゃったら、ぜんぶがそっちに移行しちゃうのでやめようと。
ただひとつだけ日本ナイズできなかったことがあるんですよ。
なにかわかりますか?
お水なんですよ。
フランスって、店に入っても、お水出てこないですよね。
おしぼりなんて、うちはランチ・ディナーで出しますけど、フランスでは出てこないですね。
最初、オープンしたときにはうちでもお水を出さなかったんですよ。
お客さまに『水ほしいんだけど』っていわれたら、メニュー持っていって『エビアンいかがですか』っていうスタイルだったんですよ。
かなりお叱り受けまして。
『ふざけんな』『水も出てこないカフェなんて聞いたことない』と。
オープンしたのが夏だったこともあり、さすがにそこだけは仕方がないなという。
ここは日本だし、お客様あっての商売だから、ここは我々が折れないと仕方がないと。
だけど、商品に関しては一切妥協しないように。
新製品も出さない。
フランスって新製品が出ないんですよ。
パリだけだと商品が足りないから、いろんな地方の、ブルターニュとか、ブルゴーニュとか、地方のパンも寄せ集めて、サンドイッチ含めて60アイテムぐらいにはしてます。
パリのパン屋さんでも20アイテムないぐらいですからね。
だから、そこだけは一切日本ナイズせずに」

オープン当時、店の中はお客さんでいっぱいだけど、売り上げは悲惨でしたね。
バゲットを毎日300個廃棄してました。

オープン当時はさんざんでしたね。
店の中、お客さんがいっぱいなんですよ。
センター街の若い子ばっかりくる。
『なんだ、この店』ってことでね。
1回きたら『高っけ。クロワッサン245円、高っか、ばかじゃないの?』
『カレーパンないの? あんぱんは?』
『すいません、ございません』
それでみんな帰っちゃう。
ずーっとこれの繰り返し。
店の中はお客さんでいっぱいなんだけど、売り上げは悲惨でしたね。
バゲットを毎日300個廃棄してました。
日本はフランスより湿度が高いので、すぐに持たなくなるんですね。
この空間だけ湿度をフランス並みに30%ぐらいにできないか、っていうのも考えました。
理論上、できなくはない。
だけど、一歩外に出ると60%、夏だと80%ぐらいあるわけですね。
その環境でバゲットはもたない。
そうすると、焼き上げ回数を増やすしかないんですね。
いつもほぼあったかいものを提供するしか解決方法はなかったので。
オープン当初から1日12回焼きをしてます。
だいたい50分に1回のペースで、30本出す。
50分後、また30本出す。
売れないもんだから、それがそのまま30本あるんですよ。
50分前に焼けたものが。
引きますよね、焼きたて出しますよね。
次の50分後また30本ほぼあるんですよ。
1日40本も売れない。
30本ぐらいだったかな。
1回30本を12回、1日360本ぐらい焼いたのを、300本捨てるわけですよ。
そうすると、産業廃棄物だから、捨てるのにお金がいる。
オーバーナイトして2日がかりでパンを焼いて、原価の高い材料を使って焼いたものを、またお金を使って捨てるわけですよね。
4ヶ月ぐらいそんな状態でしたからね。
オープン当時、1ヶ月の赤字が1千万超えてました。
社長に『どこまでこれつづけるの』って訊いたら、『やれるまでやろうよ』っていうから、『わかった。とにかくいいものしか出さないようにはするからね』。
宣伝広告なんか一切やらなかったから。
『絶対わかってくれる、絶対わかってくれる』しか、社長は言わないし。
『あー、これは軌道に乗るまで時間かかるだろうな』とは思ってたんだけど、結局、センター街の若い子がこなくなったのが、開店2ヶ月後ぐらい。
4ヶ月過ぎたあたり、5ヶ月目に入った頃に、だんだん東急本店さんのお客様が、もしくは神山町の外国人の方がいらっしゃって、買ってくださるようになっていった。
この場所にオープンするときは、賛否両論、本当にいろいろあったんだけど。
パン屋としてはだめだよっていう人がほとんどだったかな。
そんなコアな商売をする場所じゃないって言われつづけて。
大手パンメーカーの方もここの市場調査をしてくださったり。
通行人がどれぐらいいるかとか、立地的にどうだとか。
『やめたほうがいいよ』といわれたんだけど(笑)。
東急本店の真向かいで、シースルーのエレベーターから見えるわけですから。
これは可能性あるから、ここでやろう。
1階2階で88坪あるんですよ。
そんな場所って東京にもうない。
田舎者が出てきて不動産屋に『80坪以上がほしいんだけど』っていったら『ばかじゃないの』っていわれるぐらい。
自由が丘にあったんだけど、ぜんぶアパレルに取られちゃう。
飲食は嫌われるんです。
唯一この場所は、オーナーさんが『パンも好きだしいいよ』って言ってくださった。
僕らが想定してたお客様がやっぱり多かった。
センター街のお客様を集客したかったわけではないし。
それこそ、文化レベルの高い、文化村で観劇した帰りの方とかを、この場所でお迎えしたいと想定していました。
業界の方がたはみなさん大反対、『やめたほうがいい、絶対失敗する』って言われた。
オープン当初はそんな状態だったので、『それ見たか』と思われた方も多いんじゃないかな。
最初の3、4ヶ月って業界のいろんな方がくるでしょ。
がらがらなわけですよ。
商品は山ほどあるしね。
見ればわかりますよね、売れてないって。
半年過ぎてからは、早かったですね。
だいたい1年ぐらいで黒字になり、2年目以降は利益もどんどん出てきましたしね」

「食パンだけのお店を今年やりたい。
カウンターが1個あるだけ、その後ろはファクトリーになってて、食パンが並んでる」

「『みんなのぱんや』をさらに特化した、食パンだけのお店を今年やりたいなと。
アメリカ・カナダの、特等粉といわれる粉をいま探してるんですよ。
それで1種類食パンを作って、あとは内麦(国内産小麦)で1種類。
食パンが2種類しかないお店。
それぐらい特化したお店をやりたいなと。
商品はだいたい8割方完成してるんですけど、いま場所探しをはじめて、夏までにはなんとかできれば。
老舗でいうとペリカンさんとか、業態としてはあんな感じです。
カウンターが1個あるだけの店。
その後ろはファクトリーになってて、食パンが並んでる。
1本(2斤)買いしてもらう。
それぐらいのサイズで売ろうかと。
2アイテムしかないわけだから、その代わり、とびきりなものを作らないとだめですけどね。
そこはもう職人技が問われるところなんで、がんばります。
内麦のほうは、いま『ゆめちから』というのが出てきてるんでそれメインで、あとはなにをブレンドするかですね。
そっちはそっちでやってます。
昔はアメリカ・カナダ産の1CWがいちばんよいとされていたんですけど、いま1CWでも産地によっていろいろランクがあるんで、1CWイコールおいしいにはなかなかならない。
じゃあ、食パンにしておいしい粉はなんなんだということで、製粉会社を通じて探しています。
製法は確立したものになってるんですが。
湯種(お湯で小麦粉を混ぜることでα化させる)と液種(水分の多いしゃばしゃばの状態の中種を作って熟成させる)をミックスした感じですね。
それをオーバーナイトすると、甘みがより増すんですね。
湯種と液種とレトロドールの製法を合体したような食パンを作れれば、というところです。
食パンを冷蔵発酵させるのはけっこうむずかしい。
食パンっていうと、生地の使用量がものすごいので、冷蔵庫にかなりのキャパシティがいる。
まして、食パン2アイテムの専門店となると、5坪ぐらいの冷蔵庫がいるんじゃないでしょうか。
それと同じだけの広さのホイロ(生地を温めて保存する機械)もいりますよね。
なかなかそれはむずかしいですよ。
リスクは大きいですよね。
1000本売るつもりの設備投資して、50本しか売れなかったらもてあそぶし、どうしようというのはあるんですけど。
まあ、挑戦ですかね」

「パリでお店を出したい。
パリ市主催のバゲットコンクールに出て、ガチンコで勝負したいですね」

「あとはパリで1軒お店を出したいですね。
VIRON社に働きかけて、『いっしょにやろうよ』ってことで。
いろいろ場所探ししてるんですけど、いまパリも景気がよくないのもあって、いい場所ってなかなか売らない。
VIRONという名前にはしないですけどね。
VIRONというと、『日清製粉』っていうお店があるのと同じことになりますから。
名前はもちろん変えますけど、このスタイル、この商品群で勝負したいなと。
どこまで受け入れてもらえるのか。
日本人の繊細さがわかってもらえればいいんですけどね。
(日本人の繊細さと、フランスの原料、伝統が合わさったときに、ヴィロンというスペシャルなものができた?)
そうだと思いますね。
融合してはじめてそうなったんですね。
パリ市主催のバゲットコンクールが毎年あるんですけど、それに出たいんですよ。
でも、レトロドール使ってるからって、日本から出場っていうのはだめなんですね。
別に外国人でもいいんだけど、出場の権利は、パリにお店を構えてるっていうのが条件。
ガチンコで勝負したいですね。
コンクールはもう10何年やってますけど、7割方レトロドールを使ったところが優勝してるんですね。
もちろん作り手にもよりますけど、やっぱり粉がちがいますからね。
出したいなとは思います。
最終的には、それが夢です」

パンテコ松岡徹の読み方
*1…「スタッフが仕事に集中してて話ができない。本気でパンを作ってたら話なんてできないもんなんです」
*2…「店に出ている商品の問題点やスタッフに対する質問を真剣に考えているから無視しているように見える。当然、スタッフはそのことをわかっている」
*3…「『今日は悪かった』で終わらせるんじゃなくて、なにが悪いかまで追求しないと、うまくならない。質問するのは、相手の考え、理解度を問うている。やれといわれたことをやるんじゃなく、知識があって仕事をしていれば答えられる」
*4…自分のパンは最後まで自分で作るのがうちのルールだった。パンに責任を持たせるために、他のスタッフに手をださせない。ただ厳しいということではなく、自分のパンに責任を持つということを、牛尾君はいいたいのだと思う」
*5…「仕事中に必ず質問されるので、予習復習をしているのです」
*6…「この部分は牛尾君の思い違いだと思います。本当は、ビゴで2年修行すると、他の店で5,6年修行した人のレベルになるという意味で、彼らはあまり給料のことは深く考えていなかった。当時のスタッフのうち3名が、3年でオーナーシェフや新規オープン店のシェフになっています。他の店に行ったら、機械も材料もすべてちがう。マニュアルでやってるんだったら通用しない。教わるか、自分で考えるかのちがい」
*7…「ニシカワ食品で35キロの生地を10分で切るというシーンが出てきますが、それとの対比が興味深いですね。早く切るのがえらいと牛尾君はいってない。妥協しないということを彼はいってる。妥協したら負け。『1グラムが、そのうち2グラム、3グラムになるぞ』と僕はいっていた。牛尾君はそのことに気づいた。妥協しないという気持ちが大事なんです。いいパンを作るのは、技術ではない。技術以前の気持ち。それがもの作りの楽しさ。そこまで追求しないと楽しくない。もっといいもの作るには、もっと妥協しないにはどうしたらいいかを考える。牛尾君はドゥースフランスで別の人種を見たんだと思う」
*8…「生地を大切に扱うということ。生地になるべくストレスを与えないように。*7と同じく、分割が速いだけではダメで、生地に対してやさしく、かつ速くということが大事なのだと、彼はいいたいのでしょう」



ル・スティル社長 西川隆博インタビューにつづく


パンラボ単行本増刷完了しました。


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パンフェストークショー レポート
5/3に行われた池田さんのトークショー。

調布パルコ上階にある調布クレストンホテル内が会場だったため
パンラボには無縁な荘厳臭がただよう。
(今あらためて見ると"パンラボ池田浩明氏によるトークショー"ってざっくりだね)


床がこういう柄。


「うわ、うわーーー…っとーえっ? 結婚会見?」と驚きを隠せない会場。
背後には金屏風。


今回のパンフェスを主催している手紙社の瀬底さん(=ハイパーイケメン)と最終打ち合わせ。


登壇直前の池田さんは、相変わらずのリラックスモード。


なんと定員を大幅に超える60名近くの参加者の方々が来てくださいました!!

かなりの悪天候にもかかわらず、本当にありがとうございました。


今回はパンフェスに登場したお店から4軒のパンを集めて、テイスティング。

パンの新しいテイスティング方法からパン屋さんパン職人さんへの取材秘話、
ガラスの話、沖縄の話、おまんじゅうの話、壁の話…などいつの間にかどんどん脱線して
途中から聞いた人は何のトークショーか分からない状態までハッスルハッスル。

ベーカリー業界の超最新情報など
ここでしか聞けない愛パン家垂涎モノの話も飛び出しましたね。


自分も少し味見。


時間を多く取っていただいていたおかげで、
質疑応答コーナーやサイン会・写真撮影会も余裕をもって行うことができた。

トークショーのために様々なご準備をしてくださった手紙社の皆様、
パルコ調布店の皆様、調布クレストンホテルの皆様、ありがとうございました。
他の写真はFacebookのパンラボページに掲載しているので是非ご覧下さい。



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ユヌクレ(豪徳寺)
146軒目(東京の200軒を巡る冒険)

豪徳寺の駅から商店街を歩いてきて、ゆるいカーブを曲がると、ユヌクレが見えてくる。
商店街と緑道の角、大きな窓が印象的な白い店。
訪れるのが2度目、3度目になると、白い壁が見えてきただけで、ほっとするようになった。
またやってきた、と。

ユヌクレと「出会った」のは、トロペジェンヌ(240円)を食べたときだ。
発酵の香りがほのかにするブリオッシュにクリームとジャムがはさまっている。
硬めに作ったミルククリームはバターが勝って、オイリーに口溶け、自家製のジャム(りんごとカラメル)との相性が身悶えするほどにすばらしい。
クリームからは練乳に似た風味がじわっと滲みだして、口の中をじんじんさせ、カラメルでまろやかに強められたリンゴの甘さと一体になって、口いっぱいに膨張する。
ブリオッシュのあたたかなふわふわ感とのコントラストも相まって、気が遠くなる。

ユヌクレは3人の「男子」の店である。
オーナー、パン職人の伊藤公二さん、焼き菓子を作り、コーヒーを入れる佐藤務さん。
粉にまみれたVANSのシューズを履いた伊藤さんが経緯を話してくれた。

「オーナーがいまして、僕と佐藤が誘われて、この店をはじめました。
どんな形態かははじめから考えていました。
3人ともカフェ好き。
狭い空間なので、パンを買う人も買えて、コーヒーを飲む人はゆっくりと飲める感じにしたいね、と。
パン屋中心に食べ歩きしてたときの経験で、パン屋で食べられればいいのにというのはいつも思っていました。
店でなら、あたためて食べることもできますし」

オーナーはパン職人でも、パティシエでもない。
でも、トロペジェンヌにもはさまっている、コンフィチュールを作る。

「オーナーは以前から、
『パン屋をやりたい、自分がパンを作るのは無理だけど』
と思っていたようで。
『2人(伊藤さんと佐藤さん)の店にしたい。
ぜんぶ2人で決めてくれ』
と言ってくれました」

「ユヌクレの謎…」と私にささやく人がいた。
「なぜ男子ばかりの店なのに、あんなにおしゃれで、女子の心をつかむのでしょうね?」

「そんなに考えて店を作ったわけではなくて、好きなものをいろいろ集めていったらこうなりました。
2人の趣味が似ている。
インテリアだったり、好きなものを」

店内に流れていたアコースティックギターの音(Bibioというアーティスト)が、きらめくようだった。
まるで大きな窓から差す春の光が反射でもしているように。
伊藤さんと佐藤さんがipodに自分の好きな曲を入れ、それが順番にかかっているだけなのだと。
それでもどの曲もユヌクレらしいと思える。
コーヒーに関しても、3人で納得いくまでさまざまな焙煎所を飲み比べ、武蔵小山のアマメリア・エスプレッソに決めたそうだ。
送ってもらった豆を飲み頃になるまで1週間置いてから供する。

「設計は、オーナーの知り合いに建築家がいて、その人に会ってみて、やった店とか見てみて、この人だったらいいですよ、という感じで決めましたね。
配置とか、大きさとか、建築家にこうしてほしいと。
すっきりさせたい。
パン屋とカフェがどうしても収まりきらない。
店を作るのは1回のことだから、相当話し合いました」

レジの下にある冷蔵ケース。
さりげないが、コンパクトに収まるよう特注したものだ。
開店まで、準備をはじめてから10ヶ月を要したという。
あらゆるものは、パズルにピースがぴたりとはまるように、3人がこれだと思うアイデアが訪れるまで、決して譲らなかった。

「ライトも、自分たちで探してきたものをつけました。
開店するまですごく揉めましたね。
壁の色も、イメージカラーは決まってたけど、塗るのか、塗らないのか。
納得するまで、ぎりぎりまで考えて」

空の青のような壁の色は、ユヌクレのイメージを決定づけるものだ。
たしかに、白でもかっこよかったはずだが、またきたいと思うような、なごみを演出したかどうかはわからない。

パン屋めぐりをするようなひとりのパン好き。
それが伊藤さんのパン職人の経歴の原点である。

「地元の愛知にパピパンというお店があって、フランスで修行した方が、バゲットとかフランスのパンだけを作っている。
そこで食べたとき、パンがおいしくてびっくりしました。
そんなにおいしいパン、それまで食べたことなかったから。
それで食べ歩きがはじまった。
急に目覚めちゃった(笑)。
ポワンタージュ(麻布十番)で3年やって、その前と後にも別の店で働きました。
ポワンタージュはいまも好きだし、愛知から東京に食べ歩きできてたときも、とてもいい店だと思いました」

パンを売るショーケースのすぐ目の前でイタリアンが食べられるポワンタージュ。
バールらしいにぎやかさと、いろんなパンを揃えた気取らないスタイルは、このユヌクレにも影響を与えているだろう。

「バゲットも作りたいし、街のパン屋でもありたい。
きてくれる人が偏らないように、日常に使えるパンを作りたい。
菓子パン、惣菜パン、いろんなパンを。
おいしいものを食べてほしいんで、そのために、それだけを考えています。
みんなやってるとは思うんですけど、自分で食べてみて、常にあれこれと変えてみる。
ちょっとおいしくならないか、もうちょっと水分量増やしたほうがいいかもとか考えたり」

桜と黒豆(200円・季節限定)
食パンの軽やかさ。
生地がふわふわと揺れ、たわむ。
黒豆の黒、桜のピンク、パンの白。
口の中ですぐパンが溶け、小さくなる。
黒豆のほんのりした甘さが、桜の塩味で増幅し、桜の香りとともに、白い味わいを目覚めさせながら、その範囲を広げていく。
食パンの味わいがシンプルで透明だからこそ、それを鮮やかに感じ、うつくしいと思えるのだ。

「食パンはむずかしいですね。
おいしくても、毎日食べられるかどうか。
本当にオープンぎりぎりまで、すごく甘い食パンをおいしいと思ってて、試作で食べたら、これだめだと、急遽変えたんですね」

実はパンもまた、メンバーの合議によって練られ、ふくらまされる。

「アイデアはひとりで考えて、それから作って、佐藤に食べてもらいます。
かなり厳しい意見をもらう。
だめならだめとはっきりいわれる。
こうしてみたら、とか。
『いいけど、甘すぎる。
1度買ったら買わないよ』
たとえば、タルティーヌにレンコンがのっていると、
『苦みがほしい。
下に春菊をのせたらおいしそう』」

パティシエの修行もしたパン職人がお菓子のみならず、パンも秀でているのによく出会う。
お菓子作りが、ある意味パン以上に繊細さを要求し、素材の知識や、バランス感覚を磨くからだろうか。
オーナー、パン職人、菓子職人。
ユヌクレという3本の矢は、ひとりのオーナーシェフがすべてを統括するやり方を乗り越える。

ローズと林檎のスコーン(230円)
パティシエの佐藤さん自身が作る焼き菓子もパンと並び立って秀逸である。
このスコーンは、かりかりな外側と一転し、口溶けはスムーズで、やわらかい。
なにより、ローズの芳香とリンゴのほのかな甘さと酸味がはかなく、うつくしく漂う。
まるでほの暗い、静かな部屋にアロマキャンドルを灯したような。
このスコーンを食べていると、不思議な、幻想的な気持ちに襲われる。

日だまりの席で、ひと口含んだパンをコーヒーで流しこむ。
外を見やると、ただ行き交う人さえ、なぜか楽しそうに見える。


小田急線 豪徳寺駅/東急世田谷線 山下駅
03-6379-2777
世田谷区松原6-43-6 A101
9:00〜18:00
火曜水曜休み


200(小田急線) comments(2) trackbacks(0)
パンの漫画39 『朝の散歩』

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パンの漫画1 『パンと金持ち』
パンの漫画2 『クロワッサン』
パンの漫画3 『朝にパン』
パンの漫画4 『こがす』
パンの漫画5 『ガレット』
パンの漫画6 『罪悪感』
パンの漫画7 『ながら食べ』
パンの漫画8 『買いすぎる』
パンの漫画9 『先祖とフォカッチャ』
パンの漫画10 『VIRONで朝食1』
パンの漫画11 『VIRONで朝食2』
パンの漫画12 『こんがり』
パンの漫画13 『緊張』
パンの漫画14 『花巻』
パンの漫画15 『禁止令』
パンの漫画16 『シベリア』
パンの漫画17 『風紀』
パンの漫画18 『張り込み』
パンの漫画19 『タイミング』
パンの漫画20 『パン』
パンの漫画21 『張り込み2』
パンの漫画22 『太田原くん』
パンの漫画23 『映画館』
パンの漫画24 『見栄』
パンの漫画25 『公開パンラボ』
パンの漫画26 『話し』
パンの漫画27 『護送』
パンの漫画28 『漫画家フード』
パンの漫画29 『発売します』
パンの漫画30 『無題』
パンの漫画31 『張り込み』

パンの漫画32 『あるパン屋にまつわる物語』
パンの漫画33 『喫茶店』

パンの漫画34 『ハニートースト』
パンの漫画35 『3色パン』

パンの漫画36 『グルテン』

パンの漫画37 『新築祝い』

パンの漫画38 『お土産』

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君は1001円のバゲットを食べたことがあるか。

1.jpgその名もMISOハチミツバゲット。
みそでも味噌でもミソでもなくMISO。
バゲット1本が税込みで1001円するという代物である。

意味わかんねー頭がどうにかなりそー(゜∀゜)


2.jpgシニフィアン・シニフィエ。


3.jpg高島屋様ははーッ(土下座)。


5.jpg「あ、Dさん編集部いる? ちょっと居てほしいんだけど」とテルがあって、
しばらく経つとかしわでさんがバゲット持って現れた。


そのバゲットがMISOハチミツバゲット(写真上)で、
もうひとつの袋に通常のプレーンなバゲット(写真下)のハーフ。
一緒にラボろうZE☆ってわけね。

まず匂いが凄まじく香ばしく、見た目が濃い。


4.jpg食べてみると、お醤油のような匂いを放ちつつ味噌のような味わい。
ハチミツ感は不明。

「ああこの1切れで100円くらいか…」と呟きながら1001円の理由を求めて、
プレーンなバゲットと交互に食べた。しつこく食べた。

5分後「うーんうんうんうん…」
10分後「うんうんうんうううぬうぬうぬぬぬぬぬうううううう…」
15分後「うううううううわあわああああああああああああああああああああ」


(↑ MISOハチミツバゲットを食べた人が15分以内に発現するおそれのある波乱万丈)


6.jpg完。


MISOハチミツバゲットをおかずにプレーンなバゲットを食べた気分。
パンの手土産って難しいですが、15分間の波乱万丈(と書いてドラマティックと読む)が体験できるとすれば
とてもイーネ!
とりあえず履歴書の特技欄に「手土産コンシェルジュ」とか書いてる系の人はチェックしておいてほしい。【D】




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5/3に調布パルコを訪れた愛パン家の皆様にトークショー参加権強制授与の刑


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