パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ブレッド&バターファクトリー(二子玉川)【2014年オープンの新店3】
待ちに待ったコンセプト。
パンとバターという切っても切れないコンビを商品ラインナップの中心に据える新店が二子玉川に出現した。
さっぱりと整理された街区に整然と立ち並ぶハイセンスな再開発ビル群RISEを抜けたところ。
黒い外観、白を基調とした内観。

整体師から転じて、30で武蔵小杉のラ・セゾン・デ・パンでキャリアをはじめた永田希介さんがシェフを務める。

入口近くの冷蔵ケースに並べられたバター。
いまや高級バターの代名詞ともいえる「エシレ」をはじめ、フランスのバター「イズニーAOP」、「セーブルAOC」など。
海藻バターで名高い「ボルディエ」も、「ゆず」や「燻製塩」などあまり知られぬバリエーションまで並ぶ。
日本からは「町村バター」「トラピストバター」など北海道産のもの。
すべてを入れると、その品揃えは約30に及ぶ。

「世界各地からめずらしいバター、おもしろいバターを集めています。
パリで食べておいしくて、日本に帰ってきてから探したけどどこにもなかったものを、やっとここで見つけたという方もいます。
このパンにはこのバターが合うという提案もできる。
バターも個性があって、個性が強いものは、個性が強いパンに合う。
全粒粉のバゲットには、海外産の癖のあるバターが合う。
食パンには、国産などのあっさりしたバターがいい」

バターといえばクロワッサン。
クロワッサンはこの店の代名詞となっている商品である。

「土日は、昼頃に出すとすぐなくなります。
バターはよつ葉バターを使っています。
今後は、コストは高いですが、海外産でクロワッサンを作ることも計画しています。
イズニーでクロワッサンを作るとすごくうまいので、いつかやってみたいと思っています。
でも、食べやすいのはよつ葉ですね。
慣れ親しんでいる感じがあります。
日本人にはこのクロワッサンが合うんですよね」

バターの香りは生々しくて鮮やか、でありながらやさしい。
ぱりぱり割れる外皮を噛み破り、くにゃっとやわらかな中身にまで唾液が滴り落ちるとき、そのことはよりはっきりとする。
生々しい甘さが溶けだしてくるからだ。
もう一口齧りつき、さらにざくざくの表面がその甘さと入り混じるとき、バターは眩いほど輝やく。
バターの付着した自分の唇さえが甘い。

バター不足が報じられる昨今、クロワッサンなどの商品を減産するパン屋もあるが、この店ではそんな苦労はないのだろうか。
「バターをコンパウンド(マーガリンとバターを混ぜたもの)にするぐらいなら、この店をやめたほうがいい。
問屋さんに無理をいって調達してもらってます」

クロワッサンと並び、バターといえば思いだすパンはブリオッシュ。
キューブ型に作って、菓子パン系、惣菜パン系ともに展開している。

「パンはバターをイメージしてスクエアにしています。
甘めなんですけど、見た目もちっとして、売れ筋です」

cubeカレー
チーズの溶岩流。
カレーパンのチーズがこんなにとろけたところを見たことがない。
安らかで高らかなカレーの風味をバターみたいに甘いチーズがますますマイルドにする。
ごろごろ入ったひよこ豆は噛めばねっとりと旨味を口の中にすりつける。
コーンのつぶつぶからも甘い汁が出て、ブリオッシュのバターに追い打ちをかけて、このカレーパンに甘さを重ねていく。
生地は表面がかりかり、中は湿ってしゅっと溶ける。

ショコラクランベリー
生地にココア、クリームにチョコのダブル攻撃。
バターじゅわーな生地。
それが混ぜ込まれたヴァローナのココアの香り高さを信じられないほど加速させる。
意識をすべて奪い去っていくほどのチョコクリームの濃厚さ。
ときどき噛むクランベリーの酸味は、喉にひりひりするほどの甘さを引き締めつつ、チョコレートの中の酸味にフォーカスしてその深さを強調する。

「いちばん推しているのはチャバタです。
しっかり上げて(上に伸ばして高さを出して)、リュスティックに近い感じにしています。
まわりがぱりっとした薄皮で、中は軽いので、大きくても食べれてしまう。
チャバタの魅力ってこういうもんじゃないのかな。
サンドをチャバタで作って出しとくと、これ食べておいしいなと思ってくれた方が、チャバタを買ってくれて、固定客になっていただいている」

軽くむしゃむしゃ食べることの心地よさ。
薄い皮も、大きな気泡によってエアリーに感じられ、気泡の膜はしゅわんと瞬間的に溶けることで、軽い食感と軽快な溶け味を楽しめる。
そしてそこからすがすがしいオリーブオイルの風味が豊かにとろけだしてくる。
かつ歯切れよく。
永田シェフがいう通り、これはかってどこかで食べたことがある気がして、と同時に他店にはなかなかないものとして一歩先んじている、新しいチャバタなのである。

ポテト
チャバタ生地にじゃがいもとコーン、ベーコン、黒胡椒を練りこんだパン。
恐るべきやわらかさ。
ぽわんぽわんぱふぱふ。
弾む、そしてまったりまとわり、ねっちりと溶けていく。
じゅわーっとうるおいに満ちた生地が溶け、と同時にじゃがいもを、ベーコンを、小麦の甘さを滲みわたらせる。

母体はエイ出版フード事業部。
アメカジの雑誌『Ligntning』で知られる出版社。
同社の経営として知られる飲食店に「用賀倶楽部」があり、かってその一角でパンの製造・販売を行っていたことが、ブレッド&バター ファクトリーの前身である。
「バゲットや天然酵母パンなど、用賀倶楽部時代にあったものは基本的に変えていません」

牛のイラストがかわいい包装紙が目についた。
「なにしろエイ出版なので、頼めばいつのまにかかわいいのが出てくるんですよね。
こういうひとつひとつのちっちゃいアイデアがお店を作るんですよね。
おもしろいものがいっぱいあります」

入口で出迎えられた古い木で作られた牛のオブジェや、バターケースにショップカードを入れておくアイデア、アンティークの大きなブリキ文字(ティン・ビッグレター)で「B」「&」「B」と見つけて置いてみるアイデアも気が利いている。

「エイ出版には『カリフォルニア工務店』(アメリカンなデザインを得意とする設計事務所)という部署があって。
いちばん最初に訊いたのは白を基調としながら、そこにやわらかさも求めていこうというインテリアの方針でしたね」

言われてみればたしかにそうだ。
この店のインテリアを見れば見るほど、かって『Ligntning』で見たあの感じがオーバーラップしてくるのだ。(池田浩明)

ブレッド&バターファクトリー
東急田園都市線・大井町線 二子玉川駅
03-3700-3301
7:00〜19:00


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グリオット(駒沢大学)
196軒目(東京の200軒を巡る冒険)

おいしければいい、わくわくすればいい。
いままで食べたこともない新しいものであれば、さらにいい。
ブーランジュリーでも、ベーカリーでもなく。
パン屋にフレンチの感覚、パティスリーの感覚が融合する。
ときにはイタリアン、ときにはスパニッシュ。
なににもとらわれない店が、駒沢公園近くにある。

食いしん坊と食いしん坊との出会い。
グリオットの物語は、シェフの小島正義さんが、オーナーの石川暢子さんと意気投合するところからはじまる。

「知人の紹介でオーナーに会ったんですが、初対面にも関わらず3時間ぐらい、好きなパンについて語り合った。
どこのパンが好きだとか、どういうパンが作りたいとか。
僕はずっと、それまでなかったような新しい空間を作りたかった。
そこでスタイリッシュなパンを作ろう。
なんか楽しくやりたいなと思ってて。
そんなとき石川と出会って、なんか盛り上がるんじゃないかなと予感がしました。
みんなが幸せになるようなおいしいものを、作りたい。
もともとあったジャンルにとらわれずに作りたいという方向になってきて。
パン屋ではやらない新しいことに挑戦していければと考えています」

グリオットが挑戦する「新しいこと」とはパンと料理の融合。
おいしいものに国境もジャンルもないというスタイル。

「パンはフランスなんですけど、オーナーがニューヨーク好きなので、デリとか、お惣菜とか、なんでもある感じでいけたらいい。
1階で買っていただいたのを、地下のカフェスペースで食べられるように。
お惣菜やフィリングはぜんぶ手づくり。
ピクルス、タプナード、カレー…。
作れるものはできるだけ作っていきたいな。
クスクス,サラダ、キャロットラペ、ツナのブランダード。
お酒に合う感じのものを考えています。
サンドイッチならニソワーズのような、食事として成立するものを。
そういうのって家で作ると手間がかかるので便利だと思うんですよ」

フレンチレストランやビストロより、気楽に立ち寄れるバールやワインバーが近年の流行である。
パン屋が惣菜まで置けば、それよりさらに敷居の低い、日常的な形態になる。
グリオットの新しい「挑戦」。
オーナーの石川さんはこう言う。

「他にないようなおもしろい店を作りたい。
小さいお子さんも大歓迎ですが、大人の舌を満足させられるお店を。
会社帰りにパンも買えるし、ワインのお供になるようなものも買えたら楽しい。
チャバッタを使ったバインミー風サンドやニソワーズ(上写真)、そば粉のカンパーニュに合わせた、自家製オイルサーディンサンドとか、鶏のコンフィとキノコのソテーのカンパーニュサンド。
一皿の料理のような、それだけで食事になるようなサンドイッチ増やしてます。
カフェにはオーダー受けてから作るので、野菜と生ハム、ポーチドエッグのシーザーサラダサンドもありますし」

たしかにこれならお酒といっしょにちょっとなにかつまみたいときにうってつけである。
あるいは、フムス(ひよこ豆のペースト)やにんにくのコンフィも小さいサイズをパックで販売する。
あとはバゲットを1本買えば、簡単かつ満足いく夕食になる。

小島シェフがパンも惣菜もオールラウンドに作れる理由。
もともとはフレンチを志し、料理の専門学校卒業後、フランスで研修。
その後、一流のフレンチレストランで勤めた経歴を持つ。
特に、フランスでの食いしん坊経験はその後を決定づけるような経験となった。

「フランスに行ったことはかなりインパクトのある経験でした。
ケーキ屋ばっかり行ってた。
本当においしくて。
めちゃくちゃ甘いんですけど、慣れてきたらおいしい。
チョコとか、アイスとか、食べまくりました。
2つ星、3つ星のレストランはぜんぶいったし、普通のカフェやビストロも。
日本とは食材がちがうんですよね。
バターもおいしいし、鶏なんかもすごくおいしい。
リヨンにいたときには、フロマージュブラン1リットル食べてた(笑)。
本当においしかったですね。
仕事が休みの日はパン屋に行きました。
セーヌ川沿いのホテルで働いてて、川沿いをジョギングすると、すがすがしい。
そこに屋台のパン屋がある。
ガナッシュが詰まったコロネ。
ジャイアントコーンか、クッキーみたいなパイ生地でした。
シンプルで重いんですけど、おいしいな。
毎週毎週通いました。
その頃から、甘いものが好きだった。
ケーキ、チョコ、パン。
だから、パン屋になったのは正解だったですね」

フロマージュブランやコロネに取り憑かれる食いしん坊。
おいしいものへの半端ない執念。
こんな人なら人一倍努力しておいしいパンを作ってくれるはずだ。

メロンパン
白い甘さに捧げられたメロンパン。
中身とビス生地は完全に一体となっている。
ともに白さが強調されているからに他ならない。
白パンのように焼き切らない中身は、メロンパンとしては例外的に水分をたっぷりと含み、かつ少しだけ発酵の香りを残す。
あられ糖とビス生地はかりかりと響きあい繊細な糖分と口溶けよさゆえに、食べ終わったあとまでしみじみとさせる。

「白いメロンパンを作りたくて。
デニッシュ生地を使ってるんですけど、ビス生地は卵白だけを使ってゆっくり低温で焼いてしっとりに。
甘さはざらめ糖、ビス生地もパンもしっとりさせて、一体感を出せればなと。
卵白を泡立てて、軽い感じになるかなと。
メロンパンはぱさついてるイメージがあって、あんまり好きじゃなかった。
これはしっとりしてるのでいいなと思っています」

フランスでの食体験、料理人としての修行。
それは、いかにもフランスではない、日本的なパンにさえ顔を出す。

「フレンチの経験はいまに活きてますね。
フランス料理をやってると、どんな料理もだいたいはできるようになる。
中華も、パンも、菓子も、ワインも。
コニャックのことも覚えないといけないですし。
どんな料理でも本質的なところはいっしょなんじゃないかな。
フレンチをやっていると、食材とパンの相性がわかってくる」

カレーパン
この焼きカレーパンがはじめに香らせる一撃は、なんとバルサミコのすっぱい香りである。
カレーパンの屋上に野菜のマリネがのっているからだ。
カレールーのコクと刺激もありながら、野菜のさわやかさがそれらを押しまくり完全拮抗状態を作り上げる。
カレーのインパクトは、そこにあって、そこにないという不思議な体験。
焼きカレーパンゆえにものたりないかといえばそうではない。
フォカッチャから滲みだすオリーブオイルの芳香がルーも野菜も強力にバックアップする。

「カレーパンを考えたのは洋食屋で野菜カレーを食べたときです。
揚げた野菜がライスにのってる。
あれをパンでできないかと。
ルーと野菜をまぜないで別々にする。
単なる野菜だとインパクトがないので、ピクルスにしています。
カレーは昼にランチでも出していて、ルーは3日かけて手作りしています」

ある日、小島さんはパンのすごさに目覚めたという。
それを啓示として受け取り、料理人からパン職人へ転向したのだ。

「レストランの先輩がレーズンから起こしたルヴァン種を使ってパンを作っていた。
食べたらおいしくて。
『これあげるから、自分で作れば?』ってルヴァンをくれた。
せっかくもらったんで、勉強しまして。
100%自家製の種だけで。
すごくおもしろいな。
粉からパンができる。
魔法のように、なにもないところからものができる。
職人ってこれなのかな。
職人と呼ばれる人になりたい。
22歳ぐらいからパンの道に入って、いまは31。
パンにのめりこみました」

下積み時代に、一流の技術を持つ親方に出会えるかどうかは、一生を決定づけるほどの重要性を持つ。
その点、小島さんは幸運だった。

「ブルディガラ、オーバカナル、カフェ エメ・ヴィベール。
先輩に誘われて、いろんな店に行きました。
最初の店ブルディガラで、いまはクラブハリエ ジュブリルタン(滋賀県)のシェフ小金井利嗣さん、ブラッスリー オザミのシェフ木村さんに出会った。
パンは繊細なものだってはじめてわかった。
生地にちょっと触っただけで味が飛んじゃう。
いきなり厨房に入れてもらって、1ヶ月後には窯をまかされ、いろいろな技術を最初の店でほとんど教えてもらった。
家には30分しかいられない。
でも、ぜんぜん楽しくて。
弱音とか吐かないし、そういう思いもまったくなくて、恵まれていてよかった。
小金井さん、木村さん、2人はロブション出身。
厳しかったですね。
ミキシングのときは温度もきっちりはかる。
成形も新入りのときはすぐにはできませんでした。
成形ひとつで甘みも香りもぜんぜんちがうものになりますから。
パンチで味が決まる。
そこに感動を覚えましたね。
パンの情熱がある人しかいなかった。
パン食べて、味見て、感想を言い合う。
きっちり徹底してやるっていうのは、財産ですね。
先輩にロブション出身がいてよかった」

日本のパン作りの王道。
クープ・デュ・モンド(パンのワールドカップ)のゴールドメダリストも輩出した輝かしいロブションの厨房。
生地の見極めや、時間や温度を守ること、成形やパンチのワンタッチで、パンの味ががらりと変わるということをそこでは叩き込まれるという。
パン職人としてもっとも大事なベースを、ロブションの系譜を引き継ぐ小金井シェフらに学んだ。

たとえば、焼き色の薄いクロワッサンは、ロブションと同じくバターの生々しさを活かす方向性にある。
表面だけわずかにぱりぱりとして、その下の白い部分はたっぷりとして、予想を超えて次々と押し寄せるバターの波が唾液の洪水を誘いだす。
バターのフレーバーは、まるでクラムチャウダーででもあるかのようにずっしりとコクに満ちている。

「クロワッサンは、バカナルにいたときからずっと自分で試作してました。
バターの残るクロワッサンを目標にしてて、低温で焼いてるから、色が白い。
外はかりっと中ジューシー。
バターの味がして、中はふわっとして、最後に端を食べるとかりっと終わるようなものを目指しています。
黒く焼きこむより、むしろバターの味を重視する。
焼きすぎると、小麦の香ばしい味が出てきてしまいますから。
それより僕はダイレクトにバターの味を出したい」

このクロワッサン生地を使ったシナモンロールの衝撃。
見て驚き、食べて興奮する。
突刺すラム酒の香り。
シナモンロール史上、もっともセクシーなアイシング。
半透明に透き通って、デニッシュの渦巻を見え隠れさせている。
デニッシュ生地はエアリーに浮き、ゆえに軽く、歯切れよく、ぱらぱらっと壊れ、噛んではしゅわっと溶ける。
口に入れ、アイシングが溶けるとともにたっぷりとラム酒が生地にふりかかり、甘さはさらに狂おしくなる。
アイシングの甘い芳香とシナモンが出会うとき、興奮はマックスに達する。
デニッシュのバターと溶けそうで溶け合わない宙づりの時間が天国。

「お酒のインパクトがあるシナモンロールにしたいと思いまして。
ラム酒のアイシングを上からかけています。
コーティングされることで生地がしっとりもしますし。
アイシングを薄めにして、でっかく生地が巻いてあるのを見せたいなと。
パンのことをまったく知らない幼なじみがいて、アイデアに困ったとき意見をもらう。
ずっとなんかないかって話してたら、『ガラスのパンを作れ』。
べっこう飴みたいなのでパンを覆ってほしいと。
それで、『ガラスのパン』のイメージで、シナモンロールを透明なフォンダン(アイシング)で包みました。
まったく素人の人に訊くと、そういうアイデアが出てくるんですよね。
そういうのいろいろやってったらおもしろいんじゃないか。
食が好きなんで、おいしいものを見つけたら、この料理とパンが合わないか? とすぐに考える。
人とはちがうことをやりたいというのはありますね。
なんかないかなーって常に考えてます」

グリオット
東急田園都市線 駒沢大学駅
目黒区東が丘2-14-12 B1F〜1F
03-6314-9286
8:00〜19:00
月曜休み(祝日の場合は営業、火曜休み)



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ボネダンヌ(三軒茶屋)

191軒目(東京の200軒を巡る冒険)

いろんなフランスがある。
ル・プチメックの表現するフランス、VIRONのフランス、ゴントラン・シェリエのフランス。
どれもこれもフランスだが、ボネダンヌのそれはまた異なる。
荻原浩シェフが、パリの隅っこで見たもの。
このフランスは、ごく私的で、つつましい。

開店からまだ半年。
パン・オ・フゥでシェフを務めていたが、独立。
パン・オ・フゥもフランスをテーマにしていたが、荻原シェフには本当にやりたかったフランスがあったのだ。

パリへの愛があふれる。
それは敷き詰められたカラフルなタイルであり、壁に掛けられたワッフル型であり。
「骨董屋さんによく通っていました。
このアールデコ調のシャンデリアもパリで買いました」
気に入ったものを見つけるたびにひとつ買い、ふたつ買いして、集めた古いものたち。
人生を懸けて集めたものや技術やアイデアでボネダンヌは形作られる。

かわいい白い頭巾が飾られていた。
うさぎの耳のようなかぶりもの。
それが店名の由来だという。

「ロバの耳に似せて作られている。
小学生が悪いことをすると、こういう帽子をかぶらされて、廊下に立たされた。
そんな話を、フランス人の友だちに聞いたことがあって。
店名を考えてるとき、思い出しました」

対面式の棚に、選び抜かれたアイテムが並ぶ。
決して多品種ではないこと、それがいい。
パリのパン屋は本当にパンの種類が少ないのだ。
バゲット、クロワッサン、いくつかのヴィエノワズリーに、サンドイッチぐらい。
それがごく普通のパリのパン屋で、意欲的なパン屋になると、ここにカンパーニュのような大型のパンが加わる。
ボネダンヌは、パリを歩いているとき偶然出くわすような、そうした「当たり」のパン屋の雰囲気がある。

大きなパンの量り売り。
細長いパンを、断面を伏せて立たせている。
シャルポンティエ(100g/180円)という、はじめて聞く名のパン。
中身は素敵に湿り、まるで水を吸い込んだスポンジ。
しゅわっと溶け、みずみずしさの中でミネラル感を放ち、後味には全粒粉のコク。
皮は分厚く、引きがある。
焦げるか焦げないかまで焼き込まれた皮ゆえに、全粒粉が香ばしさを発揮する。
スパイシーと言えるほど、その香りは強い。

「石臼挽き全粒粉をブレンドしていて、水がたくさん入ります。
グルテンが出にくいんでしっかり(ミキサーを)まわし、パンチを繰り返して発酵させる。
ルヴァン種も入るので、パン・ド・ロデヴに似ています。
大型で焼くことで、香りが閉じこもる。
全粒粉なので、よく焼くことで皮がおいしくなります。

バゲット
硬く分厚いけれど、歯が入ってばきばきと割れやすい皮。
フランス産小麦の甘い香り。
噛みしめれば、みしみしと音がする、その食感が快い。
皮とは対照的に中身はしめっている。
ほんのわずかな酸味とともに種が香る。
コクがあり、穀物的な甘さを感じ、かつさわやかな後味。
さまざまな風味が細身のバゲット1本の中でせめぎあっている。

「バゲットはフランス産小麦100%。
フランス産の塩と浄水を使ってます。
小麦から起こしたルヴァン種を入れて、ひと晩かけて熟成させる。
ハード系はルヴァン種とレーズンの酵母を併用してます。
ルヴァンってがつんとくる。
レーズンはまろやか。
香りの出方がちがうんですよね。
両方入れることで、いろんなアロマを味わえる。
バゲット・トラディションにルヴァン入れると、おもしろいアロマが出ます。
入れるのと入れないのでは、香りがぜんぜんちがう。
フランスのパンの特徴は香りがあること。
フランス人は香りを重視する人たち。
日本人は食感に対して敏感です。
当日、2日目、3日目の香りの変化。
楽しんでほしいなと考えて、やってます。
フランス産小麦を使うのは、自分の記憶の中の(フランスのパンの)香りに近いから。
国産が悪いわけではない」

パティシエ出身だからなのか。
ヴィエノワズリーの表情が本当に愛らしく、パリっぽい。
ブリオッシュ・シュクレ、タルト・オ・ポム。
大きめのポーションも、表面のひび割れも。

「私が見てきたものでやってるんで、そうなるんでしょうか。
きれいに作らないように心がけてます。
フランスのパン屋さんには、手作り感がすごくあって、それがいいなと。
ベーシックなものを出している。
昔から変わらないもの、奇をてらったものではなく。
フランス人に愛されてきたものを作っている」

パン・オ・ショコラ・オザマンド(260円)
クロワッサンではなく、パン・オ・ショコラで作るオザマンド。
粉糖のじゅわっと溶ける甘さが、背筋をぞくぞくさせる。
内側からはバターの甘さが滲みだしてきて、さらにアーモンドのコクのある甘さへと玉突き衝突して、3つの甘さが混ざりあう。
さらにチョコレートがねっとりととろけだして、喉の奥までびりびりと甘さで震わせて、めくるめく快感に気が遠くなる。

「コンセプトはクラシック。
フルーツケーキなんかもおもしろいですよ。
牛の挽肉をフルーツと漬け込んだもので作っている。
挽肉を入れることで、味がしっかりするのとしっとりする。
1年以上漬け込んで、熟成させる。
五十嵐敏夫さんの洋菓子製法大全集(1968年出版)が、探してたら4巻まとめてあった。
シンプルなルセットなので、初心に帰れます」

荻原さんはもともとパティシエとしてパリに渡って、現地でパンの魅力に取り憑かれた。
「最初はショコラティエに勤めていました。
そのお店が定年で辞めることになり、『どうする?』とシェフに訊かれた。
『パンをやりたい』って言ったら、そのショコラティエ出身で独立した人の小さなお店を紹介してもらった。
いろいろ食べ歩いた中でも、働いた店がいちばんおいしかったんですね。
クロワッサンも、フランスパンも。
その店のイメージで、バゲットも作っています」

三宿と三軒茶屋のあいだの裏通り。
おしゃれといわれるエリアとは思えないほど、このあたりには肩肘張ったところがまるでない。
荻原さんの勤めていた店があった、パリの南の端っこのアレジアに似ているのだという。
エッフェル塔があるわけでも、シャンゼリゼがあるわけでもない、ごく普通のパリ。

「お年寄り、お子さんが多い町。
14区の店もこんな感じの住宅街の中。
雰囲気が似てるなと。
子供からお年寄りまでお客さんでした。
子供のおやつにマドレーヌ。
おばあさんはあんぱん。
地域密着の、そういう店を作りたかった」

マドレーヌ。
知っている人は知っている。
いつも売り切れの、密かな人気商品。
なにげないちいさなひとかけらが、とんでもない爆発力を持つ。
バニラとバターのすてきな甘い香りの広がり。
表面はちょっとだけかりっとして、中はしっとりとやわらかく、舌に触れたとたんにしゅわしゅわ溶ける。
溶けて甘さを放ち、舌の上でふにゃふにゃになっていき、やがて跡形もなくなって、甘さもなくなってしまう、夢のような1分間。
幸福とは、このマドレーヌのことだ。

ボネダンヌ
田園都市線 三軒茶屋駅
世田谷区三宿1-28-1
03-6805-5848
8:00〜19:00
火曜・第2・4水曜休み

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穂の香(あざみ野)
7軒目【新取材】(東京の200軒を巡る冒険)

穂の香という店名は「ほのか」な香りとか、味わいにつながるのだという。
はっきりした甘さ、強い香り、そういうものだけがおいしさではない。
なんとなく感じられる、なにかが漂っている、ゆっくりと滲みてくる。
穂の香のパンはまさにそういうパンである。

メロンパン(140円)
食べている最中よりも、すべて飲み込んでしまったあとに、ああおいしいものを食べたと思う。
不思議だが、そう感じられるのだ。
甘さがやわらかい。
弱いけれど、十分。
卵の風味と甘さが渾然一体になった感じに、甘食を思わせるような、素朴なやさしさがある。
酒粕にも似た発酵の香りもやさしい印象を与えるし、歯切れるときさくっとしていながら、ふにっという感じが同時にあることも、あるいは舌触りで感じるちょっと不揃いなテクスチャも、その印象をますます強める。

この店をはじめるとき、吉田学シェフはこのように考えたという。
「自分がおいしいと思ったパンを出そうと思いました。
売れるように、という感覚はあまりなく。
当たり前ですが、お客さんによろこんでもらえるものを作る。
お客さんが幸せな気持ちになれるものを」

吉田シェフはパンの天使ではないか。
1度か2度、言葉を交わしただけの人を、なぜかそんなふうに思った。
笑顔がやさしく、強くでてくるところがどこにもない。
裏表なく思ったままを口にし、思ったままを純粋に生きていると感じさせるのだ。

「(いちばん大事なことは)作り手の気持ちじゃないでしょうか。
どこのパンがおいしいとか、どこよりもおいしいとか、そういうことじゃなくて。
お客さんに対する気持ちがどれぐらいあるか。
それがパンにてきめんにでると思います。
ここがこうなってるからいいパンだとか、悪いパンだとかじゃなくて。
(お客さんは)感じるんだと思います」

パンには人柄がでる。
穂の香のパンは吉田シェフの人柄通りやさしい。
そう「感じる」。

カスタードホーン(210円)
ぎんぎんの甘さと素材の味でむせかえるようなカスタードももちろんいいものだが、これはそうではない。
はじめに、指についたカスタードを舐めたとき、おやっと思った。
生クリームが多めに入れられて、ヨーグルトのような酸味がとてもさわやかだが、甘さは薄味で物足りないのではないかと思った。
杞憂だった。
デニッシュといっしょに食べたとき、抜群にちょうどいいのである。
いままで食べていたカスタードデニッシュがむしろ濃すぎたのかもしれない。
この薄さだから、バターというレイヤーが加わることにより、甘さが深みを獲得する様がわかったのだった。
注文してから後入れするゆえに、クリームがフレッシュさ、とろとろさを保ち、デニッシュもかりかりのままだ。
かりかりが一瞬にして粒子にまで壊れ、そのパウダーの舌触りがなめらかに感じられる。

店内には、農作業や脱穀のための古い道具や、パン職人が描かれたミレーの絵、パンにまつわる古い写真が飾られている。
カフェスペースの本棚は、ちょっとしたパンのライブラリーになっていて、洋書や稀覯本も数多く含まれる。

「外国語はわからないので、なにが書いてあるかは詳しくわかりませんが、見ているだけでも、昔からいまに至る、パンの流れがわかってくる。
それをわかった上でパンを作ることが大事ですね」

フォルコンブロート(630円)
ライ麦70%。
小麦もライ麦も自家製粉。
パンの伝統を踏まえて作られていることがいちばんわかるパンを、と吉田シェフに訊ねると、このパンを指差した。
口に入れたとき、麦の香りがぱっと沸き立った。
やがて、じわじわと、強さのない、甘さ未満の、ヨーグルトを食べたときの後味ににた、いい感じが口に満ちてくる。
フォルコンブロートにはまちがいがないのだが、普通のドイツパンとは、ごくごく少しだけ、しかし決定的にちがっている。
やさしく、強くないが、味わいはすごくある。
押し込んでくるのではなく、寄り添ってくる。
ただそこにあるだけで、満ち足りている。
人間にたとえるなら、おもしろい人と、ずっといっしょにいられる人のちがい、とでもいうべきか。(池田浩明)

東急田園都市線 あざみ野駅
045-911-2987
7:00〜18:30
月曜休み、第1・第3火曜休み

#007


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JUGEMテーマ:美味しいパン 

#007
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パンテコ(駒沢大学)
114軒目(東京の200軒を巡る冒険)

パンテコはパン工場である。
パン工場に小さなパン屋が併設している。
メインは卸で、都内にある多くのレストランにフランスパンを配達している。
シェフブーランジェの松岡徹さんは、日本におけるフランスパンの父であるフィリップ・ビゴの、初期の弟子にあたる。

「ビゴの店は、ドンクで働いてたビゴさんが、芦屋にあったドンクの店を、藤井社長に売ってもらったことからはじまった(1972年)。
その初年度に入りました。
先輩が2人いたんだけど、すぐ辞めちゃったんですよ。
10人いたのが、1年経ったら3人になってた。
1日16時間働いて、休憩20分。
バゲットを300本、400本焼いていた。
朝3時出勤、夕方の5時、6時まで。
仕込みから掃除、片付けまで」

芦屋にオープンしたビゴの店には、ビゴ氏の愛すべきキャラクターも手伝って、客が押し寄せていた。
長時間労働に耐えかねた先輩が次々と辞め、松岡さんが中心となってパンを焼くようになった。
ムッシュ・ビゴは、この新入りの従業員にどのようにしてビゴの味を伝授したのか。

「パンの作り方は誰も教えてくれない。
ビゴさんだけですから。
『今日はこれだけ焼きなさい』と指令が下る。
あとは、『ノン』『イエー』それしかいわない。
どうしていいかわからない。
一応、工程は教えてもらっているが」

ムッシュ・ビゴにフランスパンを差しだす。
ビゴは製法について一切答えず、○か×という結果だけ伝えた。
「『頭で覚えるな。体で覚えろ』
とビゴさんはいった。
やり方がわからないので聞きにいくと、
『理屈で覚えちゃだめ』。
それは、言葉で説明しても、受け取り方がみんなちがうから、伝わらないからなんだと思う」

ビゴ氏は、マニュアル通りに与えられた仕事をこなす従業員ではなく、自らの感覚で生地の状態を見極められる職人を育てようとしていたのではないか。
与えるのではなく、つかませる。
結果は教える。
なぜそうなったのか、原因は松岡さん自身が導きださなくてはならなかった。

「生地を見てもどれがいいかわからない。
僕ははっきりいって素人でした。
ビゴさんは現場についてくれなくても、結果だけは教えてくれる。
結果を教えてもらえれば、仕込みから焼き上げまでぜんぶやんなきゃいけないから、どこが悪かったのかわかる。
データを大学ノートにぜんぶ書き留めて、それを見て考える。
ミキシング時間、温度、発酵時間、少しずつ変えたものを作る。
たとえば、あるときは、パンチだけ変えたのを3種類作る。
パンチを早くするのと、同じと、15分遅いのと。
30分ずつ発酵時間を変えたの作ったり。
パンがいい悪いという結果から、ああしよう、こうしようと考えていく」

さまざまな条件を変えて、パン屋の営みと同時並行しながらテストベーキングを行う。
ムッシュ・ビゴがいいといったとき、どういう条件だったか。
それを探り当てることによって、最適の製法を自分の手で見つけだすのだった。

「本には『発酵○時間』とか書いてある。
でも、実際の環境はぜんぶちがうでしょ。
本に書いてある通りにはうまくいかない。
1年間やるのに、春夏秋冬ぜんぜんかわってくる。
1年経つと、去年の春どうだったかわかんなくなる。
必死に大学ノートに書いた。
何十冊と」

ムッシュ・ビゴの出す○か×は、厳密で、正確で、微妙なものだったのだろう。
単にマニュアル通り作るだけでは十分ではない。
日々、パンを作るたびに変わってくるような、秤や温度計に表れる数字以上の、繊細な見極めを要求された。

「僕は何が悪いかわかんないんですけど、ビゴさんが外見だけ見て、『温度高すぎた』『発酵過多』ということがある。
夏なんかに急に気温が高くなると、発酵温度が高くなる。
気温や水温を計算に入れても、それでも発酵が狂ってしまうことがある。
なんでそうなるのかわからなくて、なにが悪いんだろうって考えたら、粉自体の温度が袋ごとにちがっていた。
1週前にきたのは部屋の温度を吸ってあたたかいのに比べて、今日きた粉は中がまだ冷たい。
ロッド番号によってちがう。
だから、生地状態見ながら足し水したり、ミキシング時間を変えたりしなくてはならない」

松岡さんは「頭で覚える」のではなく、仕事を「体で覚える」職人に育っていった。
ビゴ氏の狙い通りか、それ以上に。
「生地と会話ができるようになるまでは時間がかかる。
毎回毎回、生地の状態を覚えておいて、焼きあがったあとの結果とつなげていく。
それをつづけていくと、半年ぐらい経ったら、生地の色が毎回ちがって見えるようになった。
ミキシングの加減も音でわかるようになった。
忙しすぎてミキサーのそばについてられないので、音でもうやめたほうがいいとかわかる。
生地を触る、見る、嗅ぐ。
そのうち、第六感というか、五感を超えた感覚がわかるようになってきた。
生地を見なくてもわかるようになってきた。
勘が働くというか。
あえて、いままでのデータを覆すことをすることがある。
『きょうはこれがいい』って」

松岡さんは、自分が感じているものを、「職人の感覚」という言葉で表現した。
一般人には見ることのできないかすかなものさえ見る感覚。
仕事の合間を縫って、あらゆる職人に会いにいく。
小麦粉の熟成のことを訊きに小豆島のそうめん職人を訪ね、発酵の疑問を酒造りの杜氏にぶつける。
ジャンルはちがっていても、職人同士は、見えないものを見る繊細微妙な感覚において、共通する世界を持っている。

「カナダの森林警察は、山に入ったら、木の色とか土の色を見ると、雨がふるかどうかわかるらしい。
マタギは風でわかるっていうよね。
山に入った瞬間にわかるとか。
毎日、山に行ってると見えるんだ。
宮大工は、材木を見ただけでどこにどういうふうに使うか決める。
この木はこっちが南に向いて立ってたから、こっちに曲がるとか、そういうことがわかる。
建物は20年先にならないと結果がわからないが、先祖代々の知恵が伝わっていくんだろうね。
長年の知恵。
パンはすぐ結果が出る。
同じ発酵食品でも、造り酒屋は1年に1回しか経験できない。
パン屋は楽。
1日に5回も6回も結果が見られるんだから」

結果と、そこに至るすべての状態を繊細に感じ取り、過程をすべて記憶すること。
職人とは、ビゴ氏のいう通り、体で覚える生身のデータベースである。

神戸という土地柄もあって、ムッシュ・ビゴの周囲にはフレンチの料理人など、たくさんの外国人がいた。
「ビゴさんの存在があるから、僕はいろんな人に訊きにいけた。
フロインドリーブ(ドイツパンの日本における草分け)のハリーさんに、サワー種の作り方を教えてもらって、持って帰ったり。
他にも4人ぐらい外人のパン屋がいて、『見学させてください』って。
それしか、パンの作り方覚える方法ない。
パリ祭にはフランス人が集まってパーティをやる。
そこで、フュメ・ド・ポワソンのダシの取り方や、その頃まだ出してる店なかったガレット・デ・ロワの作り方なんか、フランスの料理人に訊けた。
『なんですか? なんですか?』って、『おまえ、うるさい』っていわれるぐらい、訊きにいきました」

パンもそうだったし、料理も、お菓子も、「洋食」を食べていた日本人が、本物のフランス料理に接触をはじめた時代。
フィリップ・ビゴが来日し、はじめて本物のバゲットを、国際見本市で人びとの前で披露したのが1965年。
1966年には青山のドンクに、ビゴの焼くフランスパンを求めて行列ができた。
芦屋にビゴの店ができて、松岡さんが入社したのが1972年。
いまでは、本場と遜色がなくなったフランスパンも、当時の人びとにとって新しいパンであり、レシピも広まってはいなかった。
松岡さんは、自分が本物のフランスパンを習得しようとする努力を、鎖国時代の蘭学者や、西洋の技術を外国人から学び取ろうとした明治維新の頃の日本人になぞらえていた。

「新しい見識がどんどん入ってくる。
おもしろかったですよ。
昔から坂本龍馬のことが好きだったし、その当時はよく『解体新書』のことを思い浮かべてました。
どうしてオランダ語を知らない人が、あれを翻訳できたのか。
辞書もなんにもないのに、日本語に訳してる。
江戸時代の人たちにできるなら、自分もできるだろう。
だって、言葉が通じるんだもん」

ビゴ流のフランスのパンとはどういう製法だったのか。
「最初は、種を入れてない、ストレート法でした。
途中から、老麺法に変わりました。
イースト入れないで中種を仕込む。
ポーリッシュ法です。
カルヴェル先生(レイモン・カルヴェル。フランス国立製パン学校教授。弟子のフィリップ・ビゴを日本に派遣した)がきたとき、こういうやり方もあるよ、と教えてくれた。
『今日の生地、冷蔵庫で取っといて、明日入れてごらん』って。
老麺法はイースト入れる、中種法はイースト入れない。
中種と老麺の中間に近づけた方法。
イースト少なくしようと。
その方法を考えて、作って出したら、ビゴさんに『香りがいい』といわれた。
そういうときは、『こういうの作りました』っていうと、先入観を持たれてしまうので、なにもいわずに出した。
配合はいまも同じです」

ビゴの店を辞め、神戸から東京に移った松岡シェフは、恵比寿にパンテコをオープンする。
「25、6年前は、東京に配達専門のパン屋なかった。
店の近くのレストランに行って、名刺とパン置いてくると、2、3日して、『明日から持ってきてくれる?』と電話がかかってくる。
当時レストランで出すパンは、紀ノ国屋、明治屋のバターロールが多かった。
フランスから帰ってきた料理人が多くなった時代。
5、6軒だったのが、2ヶ月で50軒にもなった。
口コミで、恵比寿から、広尾、白金、外苑西通りへ広まった。
ヒラマツとか有名なレストランが並んでた。
クイーンアリス、プティポワン…。
料理人同士がつながっていて、そのあと銀座のレストランにも届けるようになった。
百何十軒。
死ぬ思いで作りました」

フレンチレストランでバターロールが供されていたとは、隔世の感がある。
まるで大昔からそうしていたみたいに、私たちはバゲットをしたり顔で食べるが、そうなったのは実は最近にすぎないのだ。
もしフィリップ・ビゴが来日しなかったら、あるいは、ビゴの弟子たち、松岡さんのような人がフランスの製法を懸命に学び取ろうとすることがなかったら。
いまのように、日本に本物のフランスパンが広まっていたのかどうか、それはわからない。

バゲット(2/3 170円)
歯を当てた瞬間にばりばりっと高い音で歌う。
中身は心地よく乾いて軽く、皮と中身は一体になっている。
じょじょに塩気が意識されてきて、そのあと堰を切ったように、一気に味わいが増幅される。
微妙に異なる小麦の味や香りが、時が経つにつれ次々と姿を現す。
折り重なった味わいの層が、噛むたびに一枚一枚剥けていくような。
例えば、はじめに梅干しを思い、そのあとウィスキーを思った。
長い熟成のときを経て、その過程の記憶をパンが閉じこめているような複雑さだと思われた。
重たい、特別なバゲットではない。
軽やかで何の変哲もない普通のバゲットに見せながら、味わいはこんなに濃く、深い。

シャンピニオン(60円)
いい色に焼けたてっぺんがオレンジ色に輝いていた。
ユニークな形のシャンピニオン(きのこ)。
てっぺんだけむしって食べると、ぱりぱりしてせんべいのようだ。
このフランスパン生地はぎりぎりに熟成されている。
甘さが主張してくるタイプではなく、あくまで食事パンとしての軽さ、慎みを持つ。
にもかかわらず、小麦の味はどこまでも充実して、甘さのすぐ近くまで接近していると感じられるのだ。

ムッシュ・ビゴの「イエー」と「ノン」に導かれ、到達したのは、この軽さ、この深さだった。

東急田園都市線 駒沢大学駅
03-5779-7049
10:00〜19:00
日曜休み

#114



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#114
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ピュイサンス(藤が丘)
77軒目(東京の200軒を巡る冒険)

フランス菓子の名店が、なぜパン屋を巡るはずの冒険に登場することとなったのか?

窓際に並んだパンの中にパン・オ・ルヴァン(1/2 600円)を見かけた。
重く、硬く、食べやすいとはいえない、このパンを焼くのは、パン屋にあってさえ多数派ではないにもかかわらず。

片手間ではない、本気のカンパーニュ。
一般的なものより身は詰まってもっと重い。
あまりのかぐわしさに電流が走った。
自家製酵母の発酵の、あるいはライ麦の重たさをまとった香りは、紅茶の茶葉のようにも、香水のようにも感じられる。
身の詰まった重い中身はしっとりとして、そのためにひやりとするようにも感じられ、噛むと、ほどけていくような感触がある。
複雑な風味は錯綜してとらえがたく、酸味や苦みや渋ささえ味方につけ、バラの香りを錯覚させるのだ。

井上佳哉(いのうえよしや)シェフは語る。
「ビオのライ麦で種を起こしてます。
ただライ麦と水と小麦粉だけのパンですから、粉本来の香りを大事にしています。
自家製の生ハムを作りはじめたので、それにあったパンも作りたいと思ってカンパーニュやバゲットを作っています。
フランスには、お菓子屋のお惣菜パンがあります。
キッシュやクロワッサンにハムをはさんだサンドイッチ。
豚肉を加工してパンツェッタ(バラ肉の塩漬け)をはさんだり。
カンパーニュにバターをちょっと塗って生ハムをはさんだり、ジャンボンフロマージュといって、フランスでは定番のサンドイッチですが、バゲットに生ハムとチーズをはさんだおだししたりしています。
そうやってお菓子屋としての幅を広げていきたいと思っています」

なるべくシンプルに、商品数を絞りこんで陳列するのがきれい。
そのような一方向の美意識に、私たちは感染しているのかもしれない。
この店の場合は、「所狭し」。
ピュイサンス=「情熱」のおもむくままに、ありとあらゆるジャンルの菓子が置かれている。
ケーキ、ボンボン、焼き菓子、チョコレート、コンフィチュール、そしてパン。
その眺めは、フランスのパティスリーを、あるいは井上シェフの師、河田勝彦シェフのオーボンビュータンを思いださせる。
選ばれたのではなく、あらゆるお菓子が集会に集い、語り合っているかのように見える。
ありとあらゆるものが集合することによって、博物辞典のように、お菓子それぞれに秘められた長い伝統や記憶まで開示されるようだった。

ボストックピスターシュ(130円)。
ブリオッシュ生地がなんとかりかりに焼きあげられていることだろう。
一方で、シロップのしっとりが残り、くにゃとなる中身とのコントラストがせつない。
あるいは、香ばしい表面のダマンドの瞬間的な甘さと、よりゆっくりとじわじわ滲みだす中身の甘さとの対比。
強く焼かれたところ、そうでないところ、シロップの滲みこみ具合。
さまざまに発する甘さの微妙なゆらめきが官能的である。

「ボストックはこう、という僕の中での定義がある。
どれだけ、シナモンとオレンジの皮を入れたシロップに漬けるか。
アーモンドは、粉糖はどれだけか。
どれだけ水分を残して焼きあげるか。
他の店には他のボストックがあってそれでいいと思います。
僕には僕のボストックがある。
うまい具合にばりっと割れているのが、僕のボストックだと思っていますから」
微妙に残したこの水分量でなくては甘さのゆらめきは起こりえず、それは一瞬しかないうつくしい焼き上がりによって生まれるものだ。

パンオパティシエール(150円)。
芥子色をした濃厚なカスタードは滴り落ちるほどのとろとろ。
バニラの香りが分厚く立ち上がる。
あまりにたっぷりのカスタードは、濃厚さとあいまって、一口食べただけでも口の中をいっぱいにし、あふれさせる。
それはなめらかで冷たく、甘さは舌の上に粘りつくようでありながら、すばやくとろけいき、後にはバニラのかぐわしさしか残らない。
食べるまでは決して気づかれることのない贅沢さの不意打ちで身も心もとろけさせる。
焼きしめられたブリオッシュ生地はうすく軽やかにクリームを包んで、特に砂糖の焦げたところは鋭い甘さと食感のアクセントを与えて飽きさせない。

「シュークリームのように、クリームをたくさん詰めた。
これでもかと。
クリームパンをくつがえしたかった。
がつんとくる感じ。
まさにピュイサンスというか、パワーを感じるような。
好まれる方と好まれない方がはっきりしていると思います」

この店のパンにはどれも、瞬間的な強度、嵐のようなテンションを感じる。
圧倒するもの、疾走するものだけが本物だとシェフは考えているようだ。

「ヘルシーとか、やさしいとか、甘さ控えめとかっていうのは、僕んちには合わない言葉。
お客さんに、『もっと甘さ控えめに』といわれても、崩さない。
これだけたくさんのお店があるのだから、選んでいただければ。
僕がおいしいと思うかどうか。
嗜好の問題。
インパクトがあるかどうか。
軽くてわからないようなものは好きではありません。
結局、なにを表現したいのかになると思います。
食べ物なので、おいしそうだという表現をしたい。
お菓子屋はきれいさが求められますが、僕は宝石のようなものを作りたいとは思わない。
それよりも、おいしそうだと思っていただければ」

それにしても不思議だった。
パティシエの追い求める激しい甘さの快楽、パッションは、プレーンなパンのはずであるパン・オ・ルヴァンの香りにさえなぜか感じられたのだ。
ピュイサンスが酵母にまで乗り移ったかのように。(池田浩明)

#077
東急田園都市線 藤が丘駅
藤が丘駅から青葉台行きバスで祥泉院下車
青葉台駅から藤が丘行きバスで祥泉院下車
045-971-3770
9:30〜18:30
木曜休み・不定休


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#077
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ベーカリー クマ(青葉台)
66軒目(東京の200軒を巡る冒険)

食べ終わることに後ろ髪を引かれるほど心を打つ、リュスティックくるみ(150円)があった。
くるみと小麦という2本の味わいの軌跡がうつくしい線を描くさまをずっと見つめているような。
2つの味わいには完全なバランスがあって、淡く繊細であるがゆえに目を離せないようなマリアージュを作り出す。
大粒のクルミがあまりにも香ばしくて鼻孔に残る。
それがまるで、オリーブオイルのひとしずくをパンに垂らしたときのように、生地の味わいに火をつけ、広がりを与える。
皮の強い香ばしさと、一転して中身は焼けきらない白い味わい。
噛むたびにふにっふにっと音を立てる。
無数の小さな風船を噛み切ろうとして、それがあまりに張りつめているために、つるっとすべって逃げていくような感覚。

ベーカリー クマが開店したのは1年前。
名店ひしめく青葉台に、小さな店。
限られたメニューの中に、くるみリュスティックをはじめ、焼きカレーパン、大納言入りの食パンと、もう一度食べたくなるような、きらりと光る名物パンをいくつも擁している。

大熊健さんはいう。
「焼く直前の生地の状態をいちばん大事にしています。
見た目や、つや、表面の感じから、長年の経験でいちばんいいと判断した瞬間に、焼いたり、生地を切ってあげるのが、いちばんおいしく膨らむ。
だから、毎日プラスマイナス30分ぐらい誤差があるので、焼き上がり時間はお客さんにいってません」

発酵の不思議に魅了され、パン職人になった。
「調味料を使わないで味がおいしくなる。
料理やお菓子は調味料や素材でおいしくできるのに、パンは粉と塩と水というみんな同じ素材を使うのに、職人さんによって味に差が出る」

「理想にはまだ15%ぐらいしか近づけていません。
よく火が通ってかりっと焼けていて、見た目がおいしそうで…。
パンががんばってくれた、という感じの。
冷たい生地だと、がんばれない。
ちょうどいい温度で焼くと、限界までふくらんでくれる。
それを手助けするのが仕事です」

「パンががんばってくれた」という言葉に、やさしさが滲みでた。
自分が作るのではない。
まるで小人の靴屋のように、酵母菌たちがおいしいパンを作ってくれる。
職人の役割はそれを助け、励ますことだと。

「生地は手を加えないで、作ります。
なるべくミキシングも成形もしない。
発酵で生地ががんばってくれるので」

大熊さんがいちばん自信を持っているのはリュスティック。
このパンは切りっぱなしで成形をしない。
オーブンの中で自ら持ち上がって、おいしそうに焼き上がるパンだからだ。

大納言(300円)。
中身のぷるんとした感じを見るだけで幸福な気分になる。
大納言のほのかな甘さがパン生地のバター・乳製品の味わいと楽しく反応する。
一瞬にして歯切れる食パンはあくまでしっとりで、ややもっちり。
噛んでいくにつれ、ねばりながら発揮する生地の秀逸な口溶けと、溶けていく大納言のざらざらした粒子感、ほわっと消えていくやわらかい甘さがシンクロする。
無理のないやさしい味わいなのに、明確なおいしさの印象を与える。
だから、このパンはいくらでも食べつづけられる。

まなちゃんのおしり。
赤ちゃんのおしりのふわふわ感。
生地とカスタードの2種類のふわふわ。
生地のふわふわには、軽いむちむちとさっくりとほのかな甘さが。
カスタードは直火で焼かれたために、ベーシックなクリームパンにはないふわふわが、とろとろに加わっている。
卵味の濃厚さに対して、甘さはごくやわらかく、これもふわふわ。
カスタードが乾いているために、甘さはよりスローになっている。
唾液がまわるにつれ、生地もクリームも甘さがより華やかになり、体温をふくんでよりなじみ深くなる。
作り手のやさしさが目に見える。(池田浩明)


ベーカリー クマ(Bakery kuma)
東急田園都市線 青葉台駅
045-985-7933
8:00〜19:00 (売切れ終了)
日曜、第3月曜休み

#066



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SORA(駒沢大学)
64軒目(東京の200軒を巡る冒険)

SORAとは、フランスの片田舎で見た、雲ひとつない青空のことだという。
「日本の空の色とはまったくちがう、強烈な青。
その色がまぶたの裏にいまでも印象深く残っています」
フランスの空のヴィヴィッドな青。
ワインとパンを中心とするフランスの食生活の経験がバックボーンにあることをSORAという店名は表している。

山型食パン(1/2 340円)。
レーズン酵母から作られたパンはワインととても近しい成り立ちをしている。
それにしても、こんなにもフルボディの赤ワインをほうふつとさせる香りのパンには、はじめて出会う。
噛めば噛むだけワインの香りは濃厚になっていく。
食べはじめには自家製酵母と国産小麦の組み合わせに特徴的な、あのなつかしい風味が。
しばらくして、甘さは膨らんで、喉の奥を明るく照らす。
中身はしっとりともちもちして、しかも表面の張力はぷちんと歯切れる快さを生んでいる。
自家製酵母でここまでの食感の完成度を実現しているのは希有。

カンパーニュにも、バゲット(フランスパン)にも、ワインの風味は感じられる。
金丸信乃さんはいう。
「主人が無類のワイン好きで。
ワインとパンのある店を開くのがずっと主人の夢でした。
パンの製造は主人の担当です。
酵母は主人が100%抱きしめています。
今日は雑味がでてるとか、パンの味に関しては私が逐一伝えます。
酵母って毎日毎日状態が変わってすごくたいへんなんですよ」

夫婦で営むパン屋。
将来にわたって料理に携わっていきたいとそれぞれに考えていた旧知の2人が、日本から遠く離れたスイスで、まったく偶然に出会った。
そのときにもきっと、大陸特有のうつくしい青空はあった。
2人は結婚してパン屋を開く。
空の青は運命の青でもあったのだろう。

夫婦には役割分担がある。
パンを焼くのは旦那さん、カフェメニューやサンドイッチを作り、パンの味を客観的にチェックするのが奥さんの仕事。
「私がことごとくうるさいんです。
味とか腹持ちとか男性的な感じに仕上がっていることが多いので。
形状でもよりお客様の口に入りやすく、とか。
ものすごくお客様のことを考えるんです」

味が確立するまでは、夫婦でいっしょにパンを作り、試行錯誤を行ってきた。
「なんでもかんでもいっしょにやってきました。
ああでもない、こうでもない、といつもケンカしながら。
それを乗り越えてよかった。
自分たちのオリジナルが作れた。
自分たちのやり方で。
パンを作るのに忙しくて、よその店のパンは食べたことがないんです」

国内産小麦と天然酵母にこだわっている。
「ポストハーヴェストの影響が騒がれていた20年前、ドキュメンタリー映画でフィリピンのバナナを農薬の中にどぽーんと浸しているシーンに、ショックを受けました。
なるべくそういうことのない、体にいいものを提供していこう。
それを商品にメッセージとしてのせていきたいと思っています」

普通、健康を気づかうと料理はおいしくなくなっていく。
この店ではまったく逆である。
「オムレツでも野菜がたくさんとれるようになるべくたくさん入れてあげたい」
というその心づかいは、母が子を思って作る家庭料理と変わることがない。
なのに健康を気づかって、体に害のある素材をなるべく迂回しようという努力が、まったく新鮮なアイデアやオリジナリティを生み出し、料理をバージョンアップさせている。

ポケットサンド(380円)。
アレルギーを考え、ポテトサラダにマヨネーズではなくドレッシングを使ったことがこの上ない軽やかさを生んでいる。
甘く、くせのないじゃがいもの粒子は細やかに心地よく舌の上でざらつき、滲みこんでいく。
たくさんの野菜。
大根、きゅうり、レタス、ブロッコリー、にんじん。
食感のすばらしさと、さわやかさはあれど、健康のために無理に詰めこんだ感じはない。
ピタパンの酸味も調味料。

このポテトサラダは信乃さんのお母さんの思い出に満ちたものだ。
「料理人の母が、手作りのマヨネーズを使ったポテトサラダを何十年も作りつづけてきました。
そのレシピから卵を抜いたのがこのポテトサラダです。
意識して母の料理につなげようと思ったわけではないのですが。
母は頑固で、死ぬまでこの店のことを認めてくれませんでしたが…」

信乃さんは、お母さんが一生を捧げたのと同じ職業を選び、同じポテトサラダを作りつづけている。
食べ物は作り手から食べる人へと確実に愛情を受け渡すのだ。

「パン作りに尽くしすぎて、子供に手をかけてあげられなくて」
と3人の子を持つ母親である信乃さんは悔やんでいるようだった。
言葉とは反対に、SORAは家庭的なやさしさがあふれている。
もしパンが愛情を運ぶものだとしたら、パンに込めた愛情はお客さんの口に入り、いつの日か、信乃さんのお子さんたちのところへもどってくるだろう。

りんごのプレザーブ(262円)。
デニッシュ生地には自家製酵母らしからぬ完成度があって、いつまでもぱりぱりと音をたてる。
と同時に、この小麦味の深さはイーストのデニッシュ(クロワッサン)にはないものだ。
最初のシナモンの一撃。
りんごのおっとりした味わいが膨張し、ぐんぐん押し出しされて、あまりにも口の中をいっぱいにする。
これがりんごなのかと驚く。
しかも、その甘さにはまったく癖がなく、どこまでもやわらかい。
この後口はあまりにもったいないので、なにも飲まないでいるか、飲むとしたらとびきりおいしい紅茶で洗い流したい。(池田浩明)


SORA
東急田園都市線 駒沢大学駅
03-3718-9970
10:00〜19:00(土曜日は9:30〜)
無休(夏冬春休みあり)

#064


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マザーズベーカリー(藤が丘)
50軒目

偏見は捨てなければならない。
おいしいパンはいつでもどこにでも現れるのだから。
たしかに、スーパーのベーカリーには何度も失望を味わわされてきた。
でも、そうした期待値の低いシチュエーションで、ハイレベルなパン屋に出会ったときこそ、よろこびはひとしおではないか。

藤が丘駅前のマザーズはオーガニックのスーパー。
マザーズベーカリーは店の中で小麦粉からパンを手作りするスクラッチベーカリーである。
小麦粉も国内産のみ、副材料もオーガニックを使用している。

シェフは、大手のスクラッチチェーンから転職したばかりの人だった。
「よその店から見ると、マザーズは、格段にいい材料を使っているなと思いました。
ずいぶん高い材料を厳選して使っています。
卵や牛乳も店頭で売っているのと同じものですし、油脂もマーガリンは使わず、バターを使用している。
それと、いちいち手作りが多いな、というのもこの店にきて思ったことです。
前にいたところでは、業者さんの作ったフィリングを納めてもらっていました。
マザーズでは手作りのものが多い。
カレールーも、カスタードも。
唯一、あんこだけは業者さんに頼んでいますが、こちらで指定した国産大豆を使い、砂糖も店で使っているオーガニックのものを使っています」

スーパーの袋パンといえば、ふっくらふわふわのパンに決まっていて、もしそうでなければ、苦情がくるぐらいのものだ。
マザーズベーカリーではそうではない。
ハードすぎる、マニアックなパンは注意深く排除されているけれど、どのパンも硬くはないが目は詰まりぎみで、ふわふわとはいえない。
でも、それがかえってオーガニックのスーパーらしい素朴さと、信頼感を与えている。

「ひとつひとつ丁寧に作ることを心がけています。
手を抜かないように。
というのは、素材にもこだわって、天然酵母と国産小麦を使っていますし、添加物も入れていませんので、そういうことを大事にしていかないと、パンにならない。
細かいことをおざなりにすると、きちんと膨らまない」
パン作りの最初の一歩である素材へのこだわりは、その下流にあたる工程にもいい影響を与えている。

すべてのパンに天然酵母を使用。
2種類の酵母を使い分けていて、シンプルなフランスパンには長時間発酵に向いたホシノ天然酵母を使い、卵やバターを入れたリッチなパンには、冷蔵にも対応できる白神こだま酵母を使っている。

ポテトサラダサンド(260円)。
とても丁寧にこのパンを作っているのがガラス越しに目に入って思わず購入。
ポテトサラダのフルーティなさわやかさに瞠目した。
ヴィネガーのものなのか、りんごのように甘く軽やかな香りをまとっているのだ。
野菜の味はしっかりしているけれど、とてもすっきり。
グラハムの食パンなので素朴な味わいがきちんとでて、サラダとちょうどよく拮抗もしている。
惣菜のおいしいスーパーというのはほっとする安心感がある。
お腹が空いたらいつでもここで買って帰ればいい。
こんなスーパーが家の近所にあったらなと思う。

大納言コロン(380円)。
オーガニックの味わいを楽しみたくて、副素材の入ったものに手が伸びる。
大納言コロンも期待に違わない。
大納言の甘さのすばらしさ。
その甘さは、強くもなく、弱すぎもせず、ふわっと舞いあがり、すーっと滑空し、やがて青空の中に溶けいってしまう。
ごまの香ばしさ、噛み締められる硬い皮、ふわっともちもちの味わいのきれいな中身。
それもそうだが、このパンの魅力はとにかく大納言につきる。

さつまレーズンロック(168円)。
この店の、芋たこ南京系ほっこりパンの充実ぶりはどうしたことだろう。
特にこの、さつまレーズンロック。
さつまいものほんわかした甘さと、白パン生地の出会い。
むっちりと、ときにねっちりとさえして、小麦の焼き切らない甘さを滲みださせる。
さつまいものもっさりした甘さとの組み合わせだけでも十分満たされはするだろうけれど、そこへ、ひんやりとして酸味のあるレーズンを配して、コントラストを与えている。
目が詰まりぎみでずっしり重め。
このパンを、ちぎっては食べちぎっては食べしながら、家の中でだらだら過ごしたい。(池田浩明)


東急田園都市線 藤が丘駅
0120-935-034
10:00〜20:00

#050


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パン・ド・コナ(藤が丘)
51軒目

幸福なパン屋を想像してみる。
それはこういうものかもしれない。
うつくしい新興住宅地の中にまっすぐな桜並木がつづいている。
途中には公園があり、ところどころに畑や緑が残っていて、ずっと歩いていったその先に、フランスのブーランジュリーをイメージさせる青いひさしが見えてくる。
香ばしい匂いが外まで漂い、大きくはない店の中には、きつね色に焼けたパンやサンドイッチで満ちている。

それがパン・ド・コナである。
頭の中の幸福なパン屋というイメージをそのまま現実にすると、このような店にならないだろうか。

高橋シェフはこう考えながらパンを焼く。
「僕の場合、一貫して、頭の中にコンセプトがあるんですね。
天然酵母ならこう、フランスパンならこう、菓子パンだったらこう、と。
そのコンセプト通りにきちんとできるように、と考える。
それが最初にあって、それから材料を選ぶとか、自分の選択肢が広がっている」

この店のパンには意志を感じる。
硬い皮は硬く、やわらかい中身はひたすらにやわらかく。
甘い香りは現実を忘れるように甘く。
そうなった、のではなく、そうした、というような。
パンから触知される、すべての食感や味覚にそれは感じられる。
パンのひとつひとつに、意志や気持ちがきちんと込められている。

角型パンドミ(304円)。
こんなに硬く、こんなに噛み切れない耳ははじめてだった。
かりかりとして、はっきりと香ばしく。
一方で、中身はおそろしくなめらかで、ふわふわで、まるで綿のよう。
木枠の中に真綿。
それが端的なイメージである。
香りはほのかに、ふわっと。
甘いバターの香りと、発酵の香りにバランスがある。
味わいは実にあっさりしている。
これだけすっきりとしていながら、とても充実し、満ち足りて感じられる。
あらゆる風味はとても自然で、リーンな食事パンの理想が描き出されている。

「食パンを作るにあたってまず考えたことは、食パンとは、自分にとって、日本人にとって、幸福を感じさせるパンだということ。
おいしいという以上に、幸福を感じさせるような。
それは黒っぽくて、酸味のある、天然酵母のパンではないだろう。
広がってくる副材料のおいしさであったり、ふわっとした生地の幸福感であったり。
そういうコンセプトがあって、それを実現するために、ミキシングはこう、副材料はこうしようと考えていく。
僕はスキンミルクは嫌いです。
よそのお店ではよく使っていますが、あの香りが嫌い。
食パンには自然なバターの香りがほしい。
開封したとき、自然な乳製品の香りが広がってくるように」

「コンセプトを大事にするのは、自分の習慣的な考え方だと思います。
パン屋になる前は、広告を仕事にしていました。
広告の仕事は、コンセプトを大事にしっかり思い描いてから表現ができてくる。
その方法が考え方のベースとして自然にある。
よく『こだわりはなんですか?』と聞かれるんですが、僕にはこだわりってなんなのかよくわかんない。
あえていえば、自分のズレにこだわっている。
イメージしたものから、実際にできあがったパンがどれほどズレてるのかが気になる」

「すべての前提は、お客さんがおいしいと思うこと。
味がわかる人ではなく、知識もない人に、おいしいと思ってもらえるのが目標です。
なにも知らないおばあちゃんに『ここのパンはとにかくおいしいわ』って思ってもらえるかどうか。
おばあちゃんの頭の中には、有名店かどうかとか、どんな粉を使っているかとか一切ない。
うまいか、うまくないかしかない。
だから説明はしたくないし、材料がどうのこうのもできればいいたくないです」

「食べる幸福というのは、生きていく上でとても大切なものであって、少なくとも悪いものではない。
そう信じたい。
なにも考えず、ただおいしい。
おいしいということで、幸福を感じてもらえれば。
食べておいしいと思うよろこびは、根源的な幸福に通じているはずだと、僕は思います」

ピタサンド チリコンカン(294円)。
パン・ド・コナに行くときは、お腹をすかせて、店の前のテラスでたっぷりランチをとるつもりでいきたい。
それほど、惣菜パンやサンドイッチがおいしい。

私はパンが好きなので、以前からピタサンドというものに不満を抱いていた。
薄すぎて、パンらしさが感じられず、かならず具材に負けているのだ。
このピタはそうではない。
分厚く、ふっくらとして、少しむっちりとして、しっかりとした食べごたえと満足感を感じさせてくれる。
コリコリ感を残して煮上がった赤インゲン豆と、ひき肉のしっかりしたコク、手加減なしのスパイシー感。
ほんの少し塗られたマヨネーズの中の酸味を感じるとき、チリコンカンのコクとさわやかさが手を携え、マリアージュが生まれる。

デニッシュークリーム(231円)。
皮がシューではなくデニッシュでできている。
これはシュークリームの革新だと思う。
そういえば、シュークリームのシューとは、カスタードの引き立て役にすぎず、それ自体おいしいものではなかった、とこれを食べてはじめて気づいたのだった。
この皮は主役を張れる。
香ばしさが心地いい。
歯に触れてあっさりと崩落すると、生地のあいだにはらんだ空気がバターの香りを漂わせて押し出される。
皮から垂れ落ちんばかりに詰め込まれたクリームのすばらしさ。
カスタードとホイップクリームを半分半分にしたことで軽やかさが生まれている。
甘さが舌にまとわらず、ふわふわの上にもふわふわ。
でありながら、深く舌に滲みいってくる卵とミルクの味わいはそのままある。
デニッシュでシュー皮を作る技術と、妥協なきイノベーションへの意志に脱帽する。(池田浩明)

東急田園都市線 藤が丘駅
045-974-4717
7:00〜18:00
火曜休

#051


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