ブレッドプラントオズ(都立大学)
2013.09.02 Monday 00:21
189軒目(東京の200軒を巡る冒険)
メゾン・カイザーの総帥、エリック・カイザーに会ったとき。
私は以前から思っていた疑問をぶつけた。
なぜ、カイザーのパンはあんなにはまるのか。
一度食べると何度でも何度でも食べたくなる。
普通のパンとはちがう、「なにか」としか呼べないものが確かにそこにある。
エリック・カイザーはにやりとして、こう言った。
「ドラッグ」と。
彼は自分のパンを麻薬だといい、なぜそうなのかについては口を濁した。
その秘密を私に教えてくれた人がいる。
大島剛志さん。
メゾン・カイザーで技術指導の責任者を務めていたが独立、ブレッドプラントOZを立ち上げた。
彼がつかんだメゾン・カイザーの秘密は、その店でいかんなく発揮されている。
葉山ボンジュールという老舗のパン屋で修行したあと、はじめて覗いたメゾン・カイザーの厨房でこのように思ったという。
「フランスの仕事は簡単なんだな。
よくいえばダイナミック、悪くいえば大雑把。
前の店ではみっちり鍛えられましたから。
親方に右向けと言われて右を向いているのに、5度ちがう、6度ちがうといわれるような。
カイザーでは、右向けといわれて右さえ向いていればそれでいいというような感じでしたね。
本当はどっちも繊細なんだけど、繊細さの方向がぜんぜんちがう。
カイザーの場合、科学的なところで繊細。
粉の選び方、塩の選び方。
職人の勘でやってるところがない。
ぜんぶが合理的。
好みだからこっちにしよう、という仕事じゃないんですよね。
繊細の意味がちがう」
エリック・カイザーの繊細な「科学」。
それがマニュアル化され、パリ、ニューヨーク、東京、全世界で同じパンを提供することを可能にしている。
だが、それをつかさどる科学の核心まで知った者はおそらく少数だ。
「その部分は隠されているから、自分で追求しないと、知ることができない。
誰がやってもおいしくできるようになってます。
ぜんぶ手でやらないといけないという日本の職人さんと同じぐらい繊細に、機械でできるようにするには、マイクロの部分を追求するしかない。
たとえば、粉を選ぶ場合も、製法によって粉の粒子、グルテン量に向き不向きがあります。
何時間発酵させるならば、この粒子が向いているという考え方」
小麦粉の性質を判断するためのデータといえば、タンパク量・灰分(ミネラルの量)が一般的である。
メゾン・カイザーでは、もうひとつ粒子の大きさにも目を向けているというのだ。
粒子が粗いと、粒子と粒子のあいだにより大きな隙間ができるので、ふくらませると(酵母が空気を吐けば吐くほど)だんだんそれが開いて、ガスを保持しなくなる。
よって長時間発酵には粒子の粗い小麦粉は向いていない、というのが大島さんの教えてくれた理論である。
「あるいは塩ですが、天然の塩ならなんでもいいのかというとそうではない。
塩はカルシウムとナトリウムからできていますが、ナトリウムの部分が少ない塩がいいのか、多い塩がいいのか。
ナトリウムには生地を引き締める効果がある。
どれだけ引き締めるかで、食感にも発酵にも影響がある。
(ナトリウムが少ないと生地がだれやすいので長時間発酵に向いていない)
エリック・カイザーが合理的に調べてある。
現場のレベルでは(すでに決定されたことが降りてくるので)誰でもできるようになっている。
職人の勘に頼っている仕事は1個もない」
従来なら職人技と呼ばれていた部分。
その中には、理屈がわからないから勘でやるしかない、という側面があるのかもしれない。
ナトリウムイオンの濃度までわかっていれば、この塩とこの小麦粉の組み合わせでどれぐらい生地が引き締まるかがわかっていれば、職人技で毎日調整するまでもなく、品質を安定させることができる。
そして、メゾンカイザーが麻薬である所以(ゆえん)とは。
カイザーといえばルヴァン(自家製酵母種)だが、そこに秘密はあった。
「メゾンカイザーと僕の店はいっしょ。
乳酸菌の活性に特化した製法です。
(自家製酵母によって)いろんな酵母も拾ってくるんですけど、特化するのは乳酸菌。
乳酸菌に注目してパンを焼いている。
だから、いくら食べてもお腹にもたれないんですね。
なんとなく食べてっちゃう。
乳酸菌はお腹にもたれないようにできてるから。
大事なのは(酵母とそれ以外の菌の)バランス。
乳酸菌は発酵力がない。
むしろ、生地をだれさせる。
(発酵のとき)どの温度帯でやってくかのさじ加減が微妙なところで。
少し上にいっても、下にいっても(思うようなパンが)できない。
何割酵母を育て、何割乳酸菌を育て、と科学的に仕上がりやボリュームをコントロールする。
理に適って考えるので、修正するのもスピードが速い」
乳酸菌の甘さ。
それが人を狂わせ、他のパン屋にない、もうワンパンチをカイザーのパンに加えている秘密だった。
他の従業員には教えなかった秘密を大島さんはどのように知り得たのか。
「それとなく聞いたり。
なんとなく言葉を濁していたところを自分で調べたり」
メゾン・カイザー時代、木村周一郎社長の片腕だった。
「木村は豪快。
『日本一のおいしいパンを作るために仕事をしているんじゃないよ』と常々言っていました。
メゾンカイザー高輪店というお店があったら、そこに買いにくるお客様の生活にパンが入っていって、日常が素敵になったらいい。
日本一おいしいパンを作ってもお客様に届かなければ意味がない」
職人が自己満足のためにパンを作ることを禁じる。
それが木村さんの経営哲学である。
まだメゾン・カイザーが高輪1店舗だった時代。
毎日のように自宅に職人たちを招いて、飲み交わし、パン屋のあるべき姿をとことん語り合ったと木村さんは言っていた。
「もともと木村には『独立します』と言っていたんですが、一昨年、突然呼ばれました。
『会社をやめろ』
メゾンカイザーで働いている職人さんの夢になるお店をやれと。
材料とかの助けはすると言ってもらいました。
やりたいことをやろう。
フランスという枠の中だけでは満足できない思いがあった。
メゾン・カイザーのときは制約がありました。
明太フランスを作ったらクビになるぐらい(笑)。
生地のベースは同じですが、そこから派生させている。
ちょっとだけでも、もう少しこうだったらいいのになという部分が以前からあった。
それが自分のやりたいこと。
配合をいじってる」
バゲットOZ(300円)
鼻腔に食い込んでくる甘さ、香ばしさに、ざくざくと崩れ落ちる食感。
メゾンカイザーのバゲットモンジュの血を引いている。
けれども、中身のしっとり感、やわらかさ、ふわふわ感は、日本人が好きなバゲットの感じ。
歯で折るのではなく、撫でられる。
まず、塩気が先頭を切って、ぐいぐい引っ張る。
なんともいえない甘さが空気として口中に満ちて、塩がさらにそれを盛り上げる。
「配合をいじってる」と大島さんが言った言葉の意味。
カイザー的な甘さにプラスαの馴染み深さ。
フランスパン専用粉の定番リスドオル(日清製粉)の風味を嗅いだのだ。
カイザー粉と呼ばれるメゾンカイザートラディショナルに、リスドオルを20%ブレンド。
ライ麦2%、小麦粉全粒粉2%も加えて風味を出している。
タラモドッグ(250円)
メゾン・カイザーではいくら待っても食べることができないだろう、明太フランスがここにはある。
麻薬的。
明太子とパンがいっしょに歌う。
明太子の塩気がフランスパンの味わいを震わせ、拡大させる。
いっしょに和えられたじゃがいもの甘さによって、明太パワーが押し広げられ、パンへと波及して、中身の白さとも、皮の香ばしさとも相性を作りだす。
激しい海の香りが鼻へと流れこみ、口の中はぴりぴりがやまず、しかも飲みこんだときには塩気と小麦が呼応し、とても甘くなっている。
アップルシナモン(180円・夏期休止中)
ドライアップルとシナモン入りのドーナツ。
この食感はどうしたことだろう。
歯を降ろすとともに沈みこんでいき、沈んで沈んで戻ってこない。
噛み切る瞬間だけ少しもちっとしてあっさり歯切れる。
高級なソファに腰をかけたような。
やわらかい、という言葉では正確ではない。
単にふにゃふにゃなのではなく、食感にニュアンスがありながらの、極限のソフトさ。
シナモンシュガーの甘さの当たりのやわらかさも、ドーナツらしからぬもの。
「ドーナツは息子のために作ったものです。
もちろんカイザーにはありません。
ルヴァン(自家製酵母種)を使うことでもちっとした食感がでるのですが、それだとコシが強すぎる。
木村が開発して、僕もサポートした、特別な脱脂粉乳。
乳酸菌を多量に含んでいるので、食感がソフトになる。
ルヴァンの中にいる乳酸を活性化させ、やわらかくする。
薄力粉を使ってやわらかくした食感とはちがう。
歯ごたえがありながら、口溶けがよくなる」
食べたこともないドーナツ。
それを作りだす理詰めのクリエイティビティ。
「勘だけで仕事をする職人さんは結局誰かの真似になってしまう。
マイクロがわかると、オリジナルができるようになるんですよ。
これやるとこうなるって、(試作をしなくても)想像と結果が一致してくる。
理にかなってないことはやってません」
そして、秘密を聞きだしたと興奮ぎみだった私に、以下のように釘を刺した。
「まだあれはほんのさわりです。
本質を知ってしまったら発酵の魔力に取り憑かれますよ」
引き出しはまだたくさんある。
OZがかける「発酵の魔力」がシーンを変えるのはこれからだ。
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