タルイベーカリー(参宮橋)
2012.07.02 Monday 00:00
153軒目(東京の200軒を巡る冒険)
風が吹き、光が降り、緑があふれる。
居心地のいいテラスはもちろん、落ち着いた半地下の空間にも、大きな開口部から自然が差し込んでくる。
シンプルなコンクリートの壁に、OFCの木の家具がぬくもりを与える。
参宮橋に新しくできたタルイベーカリーは、インテリアをランドスケーププロダクツが手がけた。
そのテイストはアメリカ的な自由を感じさせるものだが、コンセプトの起点は西海岸にある。
「代々木上原のイタリアンレストランLIFEのオーナー、相葉さんとこの本を見て『すっごいいいね』て言ってたのからはじまりました」
TARTINE BREADという本がある。
サンフランシスコにあるタルティーヌベーカリーのレシピ集である。
樽井勇人さんが本のページをめくりながら、「この写真いいなー」とたびたび発する。
なぜなのだろう、この写真に写っているのはフランスパンなのに、どこか西海岸らしさが息づいているのだ。
「すごく楽しそうにやっていて、まさに『これやりたい』というイメージでした。
バゲットの形や、ポーリッシュ法を使っているというところは、メゾンカイザーに似ています。
クロワッサンなんか形がざっくりしていて、かなり適当。
youtubeでタルティーヌベーカリーのビデオがあるんですが、カンパーニュも丸めるんじゃなくて、たたんで締めていく。
ラフで、自由なスタイル。
1個1個形がちがったほうがむしろいい気がして。
揃いすぎなくていい。
相葉さんとこの本を見て「すっごいいいね」て言ってたのからはじまった」
天然酵母の草分けルヴァン出身。
その影響下にあることをまったく隠そうとしない。
「この前、久しぶりに食べたんですが、いやーすごいと思いました。
やっぱり深いなーって。
自分の種はまだ6年半しか経ってないけど、ルヴァンは何十年。
つないできた何十人もの思いが入ってるわけですからね」
種はつなげばつなぐほど育ち、作用する微生物の種類も高度化、複雑化し、さらに深い味わいになっていくことはまちがいない。
だが、できたばかりのタルイベーカリーのパンは、むしろ「若さ」を味方につけている。
ブール(1/2 315円)
コクよりもキレに傾いている。
酸味のさわやかな広がりの中に小麦のうまさが沸き立つ。
カリカリした皮にはコーンに似た強い甘さがある。
香りほどに中身はすっぱくはなく、むしろそれは快さとして感じられる。
熟成しすぎない酵母の若さが、小麦の味を余さず伝えて、軽やか。
何口食べてもやめられず、口に運んでしまう。
「ルヴァンには7年と9ヶ月いました。
僕なんか本当にオリジナルってないから。
甲田さんに教えてもらったパンをやってるだけなんで。
ルヴァンのパンは好きだけど、重たくて硬い。
ふわっと軽くて、より口溶けのいい、もっとしっとりした、一般の人にも食べやすいところに持ってっていきたい。
その上でルヴァンと同じ、2日目の香りや味わいがあればいいなと。
そういう視点で粉も選んでいます。
これからもっと水を増やしていけば、もっともっとふわっとしたものができる」
なにがなんでもオーガニックという堅苦しさは排して、誰にでも食べやすく、買いやすい、日常のパンを目指す。
「変なこだわりはなしにして、楽しい感じがいいですね。
もちろん、どんな材料でも使っていいかといえばそうじゃない。
ルヴァンではなるべくオーガニックを使おうという制限があった。
いまは自分で決めることができる。
あまりにも高いものばかりだと、非日常のハレの日しか食べられないパンになってしまう。
日常的といっても、安ければなんでもいい、というようなのはどうなんだろう。
中間ぐらいでいいと思います。
とびきりじゃないが、自分の目で選んで、決めてったものを使っていきたい」
二十歳から14年間も勤めた仕事を辞め、パン職人になった。
その理由を問うと、樽井さんは、ひどく長い間を置いてから、その頃訪れた価値観の転換を語った。
「高級レストランで仕事をしていました。
でもそれは一部の方向けにある感じで。
人工的というか、本当に非日常の、作られた世界。
残飯もすごく出る。
高いお金払って、気に入らなければ残して、どんどん残飯が出る。
そういう世界だってわかって入ったつもりだったんですが、途中からちがうと感じはじめました。
本当にお腹を満たしたくて食べるんじゃない。
味覚を満たしたくて食べる。
もちろん、自分もそういう店に出かけることもありますが、仕事をするんだったら、生活に根ざしたというか、ものを大事にして食べてもらえる職業がいい」
「自然を求めるようになった。
山に行ったりするようになって。
信州の奥のほうまで行って山の仕事もやりましたが、大変すぎてつづかなかった。
草刈り機の振動がすごくて、1ヶ月ぐらいしびれが取れない。
どんな仕事をしようか模索しているとき、甲田さん(甲田幹夫ルヴァンオーナー)に出会った」
ルヴァンで教わったこととは?
という問いに、「ふたつあります」と樽井さんは答えた。
「ひとつは、どれだけうまい具合に力を抜けるか。
力を入れなくてもいいんだよ、というのを、ルヴァンのみんなから勝手に学んだと思っています。
力を入れすぎると、硬くなったり、ぎくしゃくする。
逆に力を抜くとだらんとなる。
『いい加減がよい加減』だと甲田さんもよくいってましたね。
甲田さんは力を抜く達人。
生活も行動も仕事も、すべてがいい加減でいいんだよって教えてくれましたね」
「もうひとつは、自分も大切だけど、相手の気持ちになること。
相手と共有するというか、ひとに手を差し伸べる。
相手のことを考えるというのが、ルヴァンでは徹底されてましたね。
作業をやってもらっても、必ずお礼をいう。
洗い物でも、僕のを洗ってもらったらお礼をいうし、僕もひとのを洗う。
上下関係はあまりない。
そういうのも勉強になりました。
この店やるようになって、人とのつながりにすべて意味があることをつくづく感じてますね。
人にいいことしてれば自分に返ってくる。
自分のことを大切にしつつ、他人も大切にすると、つながりが出てくる。
必死にかけずり回らなくても、向こうからやってくる。
近くの人に話をすると、誰かが持ってきてくれる。
うちの店にあるもの、材料もそうですね。
小麦もcimaiの大久保さんに紹介してもらったり」
タルイベーカリーはもうひとつ別の店と「つながって」いる。
壁に開けられた出入り口によって。
ちょうど樽井さんが独立を考えていた頃、元々知り合いだった、代々木上原のイタリアンレストランLIFEのオーナー相葉さんに声をかけられた。
「いい物件があるんだけど、ひとりでは広すぎるから、半分半分でできないかな?」
イタリアンと天然酵母パンのマリアージュはすばらしい相乗効果を生んだ。
単に1店舗が開店するよりもイベント性があって、遠くからでも行ってみたいと思える。
レストランでパンを出すことができる。
「ぜんぶうちのパンを使ってくれてありがたいですね。
レストランでタルティーヌ食べたお客さんが、同じパンを、といって帰りに買っていってくれたり」
ランチでもディナーでもタルイベーカリーのパンはテーブルに供される。
ランチ(1250円)でまず出される、野菜のコクが溶けだした濃厚なミネストローネに、自家製酵母のパンはすばらしい相性を発揮し、私はパンにスープをたっぷりと滲みこませて食べた。
そして、卵とアンチョビのタルティーヌ。
アンチョビの小片が舌に触れるたびに、塩気によってとろとろの卵の甘みが心地よく変化する。
隠れるほどたっぷりの具材の下に隠れているカンパーニュは嫌が応にもおいしく感じられるし、こうやって食べればいいのか、と食べ方の勉強にもなる。
タルイベーカリーはルヴァンの単純なフォロワーではない。
引き継ぎながらさらに発展させている。
無理矢理作られた「コンセプト」ではなく、「向こうからやってきた」のである。
「『白い酵母』を作ったのは偶然でした。
もちろんあるのは知ってたけど、種は全粒粉で作るものだと思っていた。
ルヴァンのやり方に縛られていた。
夏休みに、ルヴァンの併設されたカフェ・ルシァレでワインバーをやってました。
そのとき、仕込みを頼んでいた女の子がまちがえて、全粒粉と中力粉の割合を逆にした。
明日のパン作れなくなった、と思ったら、それが案外よくて、『これいいじゃない、ふわふわしていいね!』。
それが転機になりました。
白い酵母、作っていいんだ」
バゲット(294円)
手強い引き、強烈な噛みごたえ。
野蛮人のようにかぶりつき、引きちぎって、噛みつづければ、その報酬はきっと大きなものになる。
白い小麦の風味が分厚く立ちはだかったかと思うと、やがてクリーム色に変貌して溶けていく。
皮も白めで、香ばしさより、なにより小麦の白さ、引き算のミネラル感。
酵母に色がついてないことにより、小麦の風味がダイレクトに伝わるからだ。
インタビューをしているとき常連客のひとりが樽井さんに声をかけた。
「イタリア大使館に持っていったら、おいしいおいしいっていわれたよ」
たしかに、このバゲットの目が詰まってもっちりして、分厚く、そして白い感じは、イタリアのカンパーニュに似ているのだった。
イタリア小麦のもっさりした感じは、国産小麦のみずみずしさに変わってはいるけれど。
楽しさという言葉が樽井さんの口から何度か出た。
それはタルイベーカリーのキーワードである。
パンの軽やかさ。
イタリアンとのコラボによって表出されるにぎやかさ。
客と店員とのコミュニケーションが作り上げる空気。
それらはすべて楽しさにつながる。
そして、パン作りも。
「楽しく作りたいと思っています。
意味はちょっとむずかしくて、心地よく、というか。
いつもにこにこして仕事はできませんけど。
そういう意味の楽しいじゃなく。
本当にやりたいことをやっているわけだし、こういうイメージでパンを作りたいなと想像しながらやることが、すべてにおいて大事。
強い気持ち、腹立たしい気持ちでいたら、そういうパンになる気がするし。
感情はパンに出ると思う。
おにぎりが作った人の味がするというのと同じで。
パンも手で成形しますしね。
気持ちが大事になる」
(池田浩明)
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