パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
タルイベーカリー(参宮橋)
153軒目(東京の200軒を巡る冒険)

風が吹き、光が降り、緑があふれる。
居心地のいいテラスはもちろん、落ち着いた半地下の空間にも、大きな開口部から自然が差し込んでくる。
シンプルなコンクリートの壁に、OFCの木の家具がぬくもりを与える。
参宮橋に新しくできたタルイベーカリーは、インテリアをランドスケーププロダクツが手がけた。
そのテイストはアメリカ的な自由を感じさせるものだが、コンセプトの起点は西海岸にある。

「代々木上原のイタリアンレストランLIFEのオーナー、相葉さんとこの本を見て『すっごいいいね』て言ってたのからはじまりました」

TARTINE BREADという本がある。
サンフランシスコにあるタルティーヌベーカリーのレシピ集である。
樽井勇人さんが本のページをめくりながら、「この写真いいなー」とたびたび発する。
なぜなのだろう、この写真に写っているのはフランスパンなのに、どこか西海岸らしさが息づいているのだ。



「すごく楽しそうにやっていて、まさに『これやりたい』というイメージでした。
バゲットの形や、ポーリッシュ法を使っているというところは、メゾンカイザーに似ています。
クロワッサンなんか形がざっくりしていて、かなり適当。
youtubeでタルティーヌベーカリーのビデオがあるんですが、カンパーニュも丸めるんじゃなくて、たたんで締めていく。
ラフで、自由なスタイル。
1個1個形がちがったほうがむしろいい気がして。
揃いすぎなくていい。
相葉さんとこの本を見て「すっごいいいね」て言ってたのからはじまった」

天然酵母の草分けルヴァン出身。
その影響下にあることをまったく隠そうとしない。
「この前、久しぶりに食べたんですが、いやーすごいと思いました。
やっぱり深いなーって。
自分の種はまだ6年半しか経ってないけど、ルヴァンは何十年。
つないできた何十人もの思いが入ってるわけですからね」

種はつなげばつなぐほど育ち、作用する微生物の種類も高度化、複雑化し、さらに深い味わいになっていくことはまちがいない。
だが、できたばかりのタルイベーカリーのパンは、むしろ「若さ」を味方につけている。

ブール(1/2 315円)
コクよりもキレに傾いている。
酸味のさわやかな広がりの中に小麦のうまさが沸き立つ。
カリカリした皮にはコーンに似た強い甘さがある。
香りほどに中身はすっぱくはなく、むしろそれは快さとして感じられる。
熟成しすぎない酵母の若さが、小麦の味を余さず伝えて、軽やか。
何口食べてもやめられず、口に運んでしまう。

「ルヴァンには7年と9ヶ月いました。
僕なんか本当にオリジナルってないから。
甲田さんに教えてもらったパンをやってるだけなんで。
ルヴァンのパンは好きだけど、重たくて硬い。
ふわっと軽くて、より口溶けのいい、もっとしっとりした、一般の人にも食べやすいところに持ってっていきたい。
その上でルヴァンと同じ、2日目の香りや味わいがあればいいなと。
そういう視点で粉も選んでいます。
これからもっと水を増やしていけば、もっともっとふわっとしたものができる」

なにがなんでもオーガニックという堅苦しさは排して、誰にでも食べやすく、買いやすい、日常のパンを目指す。
「変なこだわりはなしにして、楽しい感じがいいですね。
もちろん、どんな材料でも使っていいかといえばそうじゃない。
ルヴァンではなるべくオーガニックを使おうという制限があった。
いまは自分で決めることができる。
あまりにも高いものばかりだと、非日常のハレの日しか食べられないパンになってしまう。
日常的といっても、安ければなんでもいい、というようなのはどうなんだろう。
中間ぐらいでいいと思います。
とびきりじゃないが、自分の目で選んで、決めてったものを使っていきたい」

二十歳から14年間も勤めた仕事を辞め、パン職人になった。
その理由を問うと、樽井さんは、ひどく長い間を置いてから、その頃訪れた価値観の転換を語った。

「高級レストランで仕事をしていました。
でもそれは一部の方向けにある感じで。
人工的というか、本当に非日常の、作られた世界。
残飯もすごく出る。
高いお金払って、気に入らなければ残して、どんどん残飯が出る。
そういう世界だってわかって入ったつもりだったんですが、途中からちがうと感じはじめました。
本当にお腹を満たしたくて食べるんじゃない。
味覚を満たしたくて食べる。
もちろん、自分もそういう店に出かけることもありますが、仕事をするんだったら、生活に根ざしたというか、ものを大事にして食べてもらえる職業がいい」

「自然を求めるようになった。
山に行ったりするようになって。
信州の奥のほうまで行って山の仕事もやりましたが、大変すぎてつづかなかった。
草刈り機の振動がすごくて、1ヶ月ぐらいしびれが取れない。
どんな仕事をしようか模索しているとき、甲田さん(甲田幹夫ルヴァンオーナー)に出会った」

ルヴァンで教わったこととは?
という問いに、「ふたつあります」と樽井さんは答えた。

「ひとつは、どれだけうまい具合に力を抜けるか。
力を入れなくてもいいんだよ、というのを、ルヴァンのみんなから勝手に学んだと思っています。
力を入れすぎると、硬くなったり、ぎくしゃくする。
逆に力を抜くとだらんとなる。
『いい加減がよい加減』だと甲田さんもよくいってましたね。
甲田さんは力を抜く達人。
生活も行動も仕事も、すべてがいい加減でいいんだよって教えてくれましたね」

「もうひとつは、自分も大切だけど、相手の気持ちになること。
相手と共有するというか、ひとに手を差し伸べる。
相手のことを考えるというのが、ルヴァンでは徹底されてましたね。
作業をやってもらっても、必ずお礼をいう。
洗い物でも、僕のを洗ってもらったらお礼をいうし、僕もひとのを洗う。
上下関係はあまりない。
そういうのも勉強になりました。
この店やるようになって、人とのつながりにすべて意味があることをつくづく感じてますね。
人にいいことしてれば自分に返ってくる。
自分のことを大切にしつつ、他人も大切にすると、つながりが出てくる。
必死にかけずり回らなくても、向こうからやってくる。
近くの人に話をすると、誰かが持ってきてくれる。
うちの店にあるもの、材料もそうですね。
小麦もcimaiの大久保さんに紹介してもらったり」

タルイベーカリーはもうひとつ別の店と「つながって」いる。
壁に開けられた出入り口によって。
ちょうど樽井さんが独立を考えていた頃、元々知り合いだった、代々木上原のイタリアンレストランLIFEのオーナー相葉さんに声をかけられた。
「いい物件があるんだけど、ひとりでは広すぎるから、半分半分でできないかな?」

イタリアンと天然酵母パンのマリアージュはすばらしい相乗効果を生んだ。
単に1店舗が開店するよりもイベント性があって、遠くからでも行ってみたいと思える。
レストランでパンを出すことができる。
「ぜんぶうちのパンを使ってくれてありがたいですね。
レストランでタルティーヌ食べたお客さんが、同じパンを、といって帰りに買っていってくれたり」

ランチでもディナーでもタルイベーカリーのパンはテーブルに供される。
ランチ(1250円)でまず出される、野菜のコクが溶けだした濃厚なミネストローネに、自家製酵母のパンはすばらしい相性を発揮し、私はパンにスープをたっぷりと滲みこませて食べた。

そして、卵とアンチョビのタルティーヌ。
アンチョビの小片が舌に触れるたびに、塩気によってとろとろの卵の甘みが心地よく変化する。
隠れるほどたっぷりの具材の下に隠れているカンパーニュは嫌が応にもおいしく感じられるし、こうやって食べればいいのか、と食べ方の勉強にもなる。

タルイベーカリーはルヴァンの単純なフォロワーではない。
引き継ぎながらさらに発展させている。
無理矢理作られた「コンセプト」ではなく、「向こうからやってきた」のである。

「『白い酵母』を作ったのは偶然でした。
もちろんあるのは知ってたけど、種は全粒粉で作るものだと思っていた。
ルヴァンのやり方に縛られていた。
夏休みに、ルヴァンの併設されたカフェ・ルシァレでワインバーをやってました。
そのとき、仕込みを頼んでいた女の子がまちがえて、全粒粉と中力粉の割合を逆にした。
明日のパン作れなくなった、と思ったら、それが案外よくて、『これいいじゃない、ふわふわしていいね!』。
それが転機になりました。
白い酵母、作っていいんだ」

バゲット(294円)
手強い引き、強烈な噛みごたえ。
野蛮人のようにかぶりつき、引きちぎって、噛みつづければ、その報酬はきっと大きなものになる。
白い小麦の風味が分厚く立ちはだかったかと思うと、やがてクリーム色に変貌して溶けていく。
皮も白めで、香ばしさより、なにより小麦の白さ、引き算のミネラル感。
酵母に色がついてないことにより、小麦の風味がダイレクトに伝わるからだ。

インタビューをしているとき常連客のひとりが樽井さんに声をかけた。
「イタリア大使館に持っていったら、おいしいおいしいっていわれたよ」
たしかに、このバゲットの目が詰まってもっちりして、分厚く、そして白い感じは、イタリアのカンパーニュに似ているのだった。
イタリア小麦のもっさりした感じは、国産小麦のみずみずしさに変わってはいるけれど。

楽しさという言葉が樽井さんの口から何度か出た。
それはタルイベーカリーのキーワードである。
パンの軽やかさ。
イタリアンとのコラボによって表出されるにぎやかさ。
客と店員とのコミュニケーションが作り上げる空気。
それらはすべて楽しさにつながる。
そして、パン作りも。

「楽しく作りたいと思っています。
意味はちょっとむずかしくて、心地よく、というか。
いつもにこにこして仕事はできませんけど。
そういう意味の楽しいじゃなく。
本当にやりたいことをやっているわけだし、こういうイメージでパンを作りたいなと想像しながらやることが、すべてにおいて大事。
強い気持ち、腹立たしい気持ちでいたら、そういうパンになる気がするし。
感情はパンに出ると思う。
おにぎりが作った人の味がするというのと同じで。
パンも手で成形しますしね。
気持ちが大事になる」

(池田浩明)

タルイベーカリー
小田急線 参宮橋駅
03-6276-7610
10:00〜19:00
月曜休み




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#153
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ユヌクレ(豪徳寺)
146軒目(東京の200軒を巡る冒険)

豪徳寺の駅から商店街を歩いてきて、ゆるいカーブを曲がると、ユヌクレが見えてくる。
商店街と緑道の角、大きな窓が印象的な白い店。
訪れるのが2度目、3度目になると、白い壁が見えてきただけで、ほっとするようになった。
またやってきた、と。

ユヌクレと「出会った」のは、トロペジェンヌ(240円)を食べたときだ。
発酵の香りがほのかにするブリオッシュにクリームとジャムがはさまっている。
硬めに作ったミルククリームはバターが勝って、オイリーに口溶け、自家製のジャム(りんごとカラメル)との相性が身悶えするほどにすばらしい。
クリームからは練乳に似た風味がじわっと滲みだして、口の中をじんじんさせ、カラメルでまろやかに強められたリンゴの甘さと一体になって、口いっぱいに膨張する。
ブリオッシュのあたたかなふわふわ感とのコントラストも相まって、気が遠くなる。

ユヌクレは3人の「男子」の店である。
オーナー、パン職人の伊藤公二さん、焼き菓子を作り、コーヒーを入れる佐藤務さん。
粉にまみれたVANSのシューズを履いた伊藤さんが経緯を話してくれた。

「オーナーがいまして、僕と佐藤が誘われて、この店をはじめました。
どんな形態かははじめから考えていました。
3人ともカフェ好き。
狭い空間なので、パンを買う人も買えて、コーヒーを飲む人はゆっくりと飲める感じにしたいね、と。
パン屋中心に食べ歩きしてたときの経験で、パン屋で食べられればいいのにというのはいつも思っていました。
店でなら、あたためて食べることもできますし」

オーナーはパン職人でも、パティシエでもない。
でも、トロペジェンヌにもはさまっている、コンフィチュールを作る。

「オーナーは以前から、
『パン屋をやりたい、自分がパンを作るのは無理だけど』
と思っていたようで。
『2人(伊藤さんと佐藤さん)の店にしたい。
ぜんぶ2人で決めてくれ』
と言ってくれました」

「ユヌクレの謎…」と私にささやく人がいた。
「なぜ男子ばかりの店なのに、あんなにおしゃれで、女子の心をつかむのでしょうね?」

「そんなに考えて店を作ったわけではなくて、好きなものをいろいろ集めていったらこうなりました。
2人の趣味が似ている。
インテリアだったり、好きなものを」

店内に流れていたアコースティックギターの音(Bibioというアーティスト)が、きらめくようだった。
まるで大きな窓から差す春の光が反射でもしているように。
伊藤さんと佐藤さんがipodに自分の好きな曲を入れ、それが順番にかかっているだけなのだと。
それでもどの曲もユヌクレらしいと思える。
コーヒーに関しても、3人で納得いくまでさまざまな焙煎所を飲み比べ、武蔵小山のアマメリア・エスプレッソに決めたそうだ。
送ってもらった豆を飲み頃になるまで1週間置いてから供する。

「設計は、オーナーの知り合いに建築家がいて、その人に会ってみて、やった店とか見てみて、この人だったらいいですよ、という感じで決めましたね。
配置とか、大きさとか、建築家にこうしてほしいと。
すっきりさせたい。
パン屋とカフェがどうしても収まりきらない。
店を作るのは1回のことだから、相当話し合いました」

レジの下にある冷蔵ケース。
さりげないが、コンパクトに収まるよう特注したものだ。
開店まで、準備をはじめてから10ヶ月を要したという。
あらゆるものは、パズルにピースがぴたりとはまるように、3人がこれだと思うアイデアが訪れるまで、決して譲らなかった。

「ライトも、自分たちで探してきたものをつけました。
開店するまですごく揉めましたね。
壁の色も、イメージカラーは決まってたけど、塗るのか、塗らないのか。
納得するまで、ぎりぎりまで考えて」

空の青のような壁の色は、ユヌクレのイメージを決定づけるものだ。
たしかに、白でもかっこよかったはずだが、またきたいと思うような、なごみを演出したかどうかはわからない。

パン屋めぐりをするようなひとりのパン好き。
それが伊藤さんのパン職人の経歴の原点である。

「地元の愛知にパピパンというお店があって、フランスで修行した方が、バゲットとかフランスのパンだけを作っている。
そこで食べたとき、パンがおいしくてびっくりしました。
そんなにおいしいパン、それまで食べたことなかったから。
それで食べ歩きがはじまった。
急に目覚めちゃった(笑)。
ポワンタージュ(麻布十番)で3年やって、その前と後にも別の店で働きました。
ポワンタージュはいまも好きだし、愛知から東京に食べ歩きできてたときも、とてもいい店だと思いました」

パンを売るショーケースのすぐ目の前でイタリアンが食べられるポワンタージュ。
バールらしいにぎやかさと、いろんなパンを揃えた気取らないスタイルは、このユヌクレにも影響を与えているだろう。

「バゲットも作りたいし、街のパン屋でもありたい。
きてくれる人が偏らないように、日常に使えるパンを作りたい。
菓子パン、惣菜パン、いろんなパンを。
おいしいものを食べてほしいんで、そのために、それだけを考えています。
みんなやってるとは思うんですけど、自分で食べてみて、常にあれこれと変えてみる。
ちょっとおいしくならないか、もうちょっと水分量増やしたほうがいいかもとか考えたり」

桜と黒豆(200円・季節限定)
食パンの軽やかさ。
生地がふわふわと揺れ、たわむ。
黒豆の黒、桜のピンク、パンの白。
口の中ですぐパンが溶け、小さくなる。
黒豆のほんのりした甘さが、桜の塩味で増幅し、桜の香りとともに、白い味わいを目覚めさせながら、その範囲を広げていく。
食パンの味わいがシンプルで透明だからこそ、それを鮮やかに感じ、うつくしいと思えるのだ。

「食パンはむずかしいですね。
おいしくても、毎日食べられるかどうか。
本当にオープンぎりぎりまで、すごく甘い食パンをおいしいと思ってて、試作で食べたら、これだめだと、急遽変えたんですね」

実はパンもまた、メンバーの合議によって練られ、ふくらまされる。

「アイデアはひとりで考えて、それから作って、佐藤に食べてもらいます。
かなり厳しい意見をもらう。
だめならだめとはっきりいわれる。
こうしてみたら、とか。
『いいけど、甘すぎる。
1度買ったら買わないよ』
たとえば、タルティーヌにレンコンがのっていると、
『苦みがほしい。
下に春菊をのせたらおいしそう』」

パティシエの修行もしたパン職人がお菓子のみならず、パンも秀でているのによく出会う。
お菓子作りが、ある意味パン以上に繊細さを要求し、素材の知識や、バランス感覚を磨くからだろうか。
オーナー、パン職人、菓子職人。
ユヌクレという3本の矢は、ひとりのオーナーシェフがすべてを統括するやり方を乗り越える。

ローズと林檎のスコーン(230円)
パティシエの佐藤さん自身が作る焼き菓子もパンと並び立って秀逸である。
このスコーンは、かりかりな外側と一転し、口溶けはスムーズで、やわらかい。
なにより、ローズの芳香とリンゴのほのかな甘さと酸味がはかなく、うつくしく漂う。
まるでほの暗い、静かな部屋にアロマキャンドルを灯したような。
このスコーンを食べていると、不思議な、幻想的な気持ちに襲われる。

日だまりの席で、ひと口含んだパンをコーヒーで流しこむ。
外を見やると、ただ行き交う人さえ、なぜか楽しそうに見える。

(池田浩明)

ユヌクレ(une clef)
小田急線 豪徳寺駅/東急世田谷線 山下駅
03-6379-2777
世田谷区松原6-43-6 A101
9:00〜18:00
火曜水曜休み

#146 
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ムール ア・ラ ムール(伊勢原)
111軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ムール ア・ラ ムールは、自家製粉で名を馳せた故高橋幸夫シェフのブノワトンを引き継ぎ、同じ場所で営まれている(湘南小麦プロジェクトの現在)。
「ベースはブノワトンですが、配合は一部を除いてすべて自分で考えました。
パン屋をやるからには自分のパンをやりたい」

店舗だけではなく、小麦への情熱も、高橋幸夫シェフから引き継いだ。
本杉正和シェフが自ら農家と契約し、収穫されたものをブレンドして、工場で自家製粉したばかりのものを使う。
「大手の製粉会社さんから普通に粉を仕入れてパンを作るよりたいへん。
でも味はまったく別物です」

ムール ア・ラ ムールのパンを食べると、職人の技も、情熱も、すべては小麦の風味に捧げられていると感じる。
それは、疾風のように口の中を吹き抜け、燃え盛る炎のように湧きあがり、谷を駈け下る奔流のように激しい。
そして、最後には草原に身を横たえたときのようにあたたかく包まれる。
すべてが自然であって、技術は巧みに自然へと寄り添う。

「外麦に比べて、湘南小麦は風味がだんとついいですよ。
風味でいえば、日本の小麦がいちばんじゃないかと思います。
外麦とはまたちがう香りがありますね。
品種ごとにちがいますし、同じ品種でもちがうところで育てると、またちがいます。
例えば、湘南小麦を育てていただいている平塚・真田は、川ひとつはさんで隣り合っている地区同士でも、麦の質がちがう。
山から水がくるところと、こないところでは差がありますし。
水質や土壌でちがってきますね」

「毎年、同じものは、上がりません。
自然のものなんで天候に左右されちゃうんで。
長雨がつづくと、たんぱく質量がちがってきちゃう。
その年、その年で、いちばんおいしく食べられるように、ブレンドしています」

本杉シェフが、小麦の言葉をここまで繊細に聞き取ることができるのは、小麦との向き合い方の深度が、普通のパン職人とは異なるからだろう。
いくつかの小麦粉をブレンドする、小麦粉1袋1袋の微妙な性質を感じ取って生地を作る。
そうしたことは、優秀なパン職人なら誰しも行う。
ムール ア・ラ ムールの場合、方程式の変数はもっと多い。
雨が降るとき、暑いとき、寒いとき、畑で育つ麦野ことを思い、今年の作柄を考える。
その特徴をどうやったら最大限に引き出せるのか、製粉段階から工夫を凝らす。
小麦粉の粗さや、小麦の粒のどの部分まで挽くか、ふすまはどの程度加えるのか。
そして、小麦を生産した農家の人たちの思いまで、パンに込める。

ブランオーレ(160円)
常連客の熱烈な支持を受け、ブノワトン時代と同レシピで焼かれる、ふすま入りのパン。
ヴィヴィッドで素朴な香ばしさ。
ふすまと聞いて想像するよりもはるかに軽やかで、目覚ましい甘さが印象的。
ぷりぷりと粒が弾けるような噛みごたえが心地いい。
噛めば噛むほど強くなる甘さが口いっぱいにふくらみ、草のような野生の風味が入り混じる。

ドイツ産生ハムとクリームチーズのバゲットサンド(290円)
東京で食べるバゲットの味わいとはまるでちがっていると思われた。
とてもあたたかい風味。
皮はしっかりとして風合いがありながら、しなやかで、やわらかい。
噛みしめていくときに快い弾力を感じ、それを越えて噛み破るとき、中身にある小麦味のニュアンスと一体となった具材の味わいを感じる。
かつてブノワトンでは自らハムを作っていた。
自家生産こそやめているとはいえ、意識の高さは変わることがないと、このドイツ産の生ハムを食べて思った。
香り高く、ナチュラルで、舌になめらか。
清らかなクリームチーズと相まりながら、口の中の至るところで、とろけいく快感が同時発火する。

黒い食パン(360円)
すっとする発酵の香り、なつかしい香ばしさ。
舌触りはしっとりとしてしなやか。
ここに麦がいる、と皮が主張をしてくる。
まるでクルミのように味わい深く、香り高い。
その分、やや重たくはあるが、風味の強さと食べやすさという相反するものの葛藤の中で、両者をぎりぎりで両立させている。

農薬、添加物、カロリーの過剰摂取、放射能…。
現代が抱える矛盾を超える未来がやってきたとき、食卓にのぼるのは、こうした素材そのものの味わいを感じさせるパンではないだろうか。(池田浩明)

ムール ア・ラ ムール
小田急線 伊勢原駅
0463-57-3085
神奈川県伊勢原市板戸645-5

10:00〜18:00(売切れ次第終了)
火曜水曜木曜休み

#111


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#111
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成城ベーカリー(成城学園前)
92軒目(東京の200軒を巡る冒険)

この店は町の中で透き通ってしまうほど個性を消している。
「駅前のパン屋」といえば通じてしまうような普通さ。
そのことはパンにおいてなにが大事なのかという優先順位を考えさせる。
日々の生活があり、食卓があり、そこにパンが置かれる。
大切なのは人間で、パンは従。
パンを食べるのであって、店の名を食べるわけではない。
ラ・クロシェットの鈴木暁シェフが成城ベーカリーを目標にしているといっていた理由がわかった。

パン・ド・ミpart2(221円/ハーフ)
甘い発酵の香り、乳製品の香りがごくかすかに。
しっかりと中身を包み込んだ厚めで引き締まった皮。
甘いと思わせてリーン、リーンと思わせて甘い。
やわらかさがあり、かつ張りがあるので、噛みごたえも楽しい。
口溶けがスムーズで、かつ味わいが豊か。
ことさらに誇るでもない普通の食パンの中に職人の仕事が秘められている。

社長の樋口勝吾さんはいう。
「パン・ド・ミpart2は湯種製法で作っています。
小麦粉を先にお湯でこねると、でんぷんが変化してやさしい甘みになる」

1929年、昭和4年の創業、80年以上つづく老舗。
有名なのが桜あんぱん(105円)。
成城のイメージその通りの上品なあんこに、中からでてくる塩漬け桜の花がでてくるサプライズが実に風流。
演出もさることながら、パン生地がすばらしい。
表面の香ばしさとあんこのマリアージュがすばらしい。
さくっとして、すぐ溶けて、あんこの前に決してでない。
あんこの甘さが弱まったとき、はじめてじわじわと小麦自体の甘さが発揮しはじめ、第2の波を作り出す。
あんこの余計な甘さを吸収しながら、甘さに甘さを重ねてサポートもする、生地の務めを完璧に果たす。

「食パンやバゲット、バタールのような食事パンはパン自体を食べるパンで、あんぱんやクリームパンは甘いものと合わさった上でのパンです。
どちらにしても、パンの味はパン生地自体がおいしくなきゃならない。
原点はパン生地をきちっと作ること」

パン生地が原点とは、印象の強いパン生地を作ることとは異なる。
成城ベーカリーのあんぱんで、パン生地はあんこを引き立てるために影に隠れようとする。
それもパンの大事な仕事である。

以前、桜あんぱんを取材したとき、樋口さんは「基本が大事」というただひとつのことを繰り返した。
基本さえできていれば、おいしさはあとからついてくると。
工場と店舗は別だったものを、平成になって、店舗と一体の、ガラス張りの厨房を作った。
成城ベーカリーはそこでなにを見せようとしているのか。

「基本って大事なんですけど、一言でいえば、パンをよく見てあげるということ。
よく見ると、生地の肌で、パンの状態がわかるんですよ。
自分が今日は暑いなと思ったら、水を控えてあげたり、自分の肌で感じた感覚をパンに伝えていくと、パンも応えてくれるというか、いいものができあがってきます。
適当に時間がきたからといって次の工程に移ると、それなりのものしかできません。
冷え込んじゃってるときは『10分待とうか』、発酵すすんじゃってるときは『今日はもうやろうか』。
発酵や熟成に時間を合わせてあげる」

「暑くてきつい窯前を若い子がやったりしますけど、実はいちばん大切です。
発酵して、成形して、大事に育てられてきたものを受け継いでいるわけだから、いちばんいいタイミングで焼くって気持ちで焼いているのと、もういいかと思って焼くのではできあがりがちがいます。
ひとりで焼くのではないですから、チームワークがよくないと絶対にできません。
できあがってから、硬いんじゃないの、やわらかいんじゃないの、とみんなで話し合って、他の人に伝わらないと。
成形までうまくできてても、焼くときに適当になって、ベストより早く焼けば、風味も薄くなります。
発酵までよくても、成形で悪くなることもありますし。
基本に忠実に、という部分では、原点はそこなんじゃないですか」

おこりん棒(189円)。
ポピュラーなドーナツ生地のカレーパンではなく、プレーンな生地のカレーパンが食べたかった。
インパクトの強いカレーというフィリングにフランスパン生地が合わないはずがあるだろうか。
カレーの味がやさしい。
どっぷりとカレーの味ばかりで満たしてしまうのではなく、パンの同伴者という位置づけ。
輪切りにして家族で分け合えるこの形もいい。
しかし、特筆すべきは、この店のフランスパン生地のおいしさ。
昔ながらの作り方のパンだけに許された透明感。
味は淡いのに口の中に満ちる空気は充実している。
当たりはやわらかく食べやすいけれど、噛みちぎろうとしてなかなか噛みちぎれない、ハードパンならではの部分はきちんとある。

「フランスパンはストレート製法(基本の作り方)で作っています。
低温長時間発酵は流行っていますし、たくさん穴の空いたのもおいしいんですけど、うちは軽めで食べやすい。
大阪の奥本製粉の粉を使っています。。
ストレート法でリスドオル(フランスパン専用粉)やナポレオン(同)使うところが多いと思いますが、それだと同じ味があるということで、ブロートハイムのフランスパンにはかなわない。
あまり使われていないような小麦粉で、味を変えてやっています」

成城学園の食卓に低温長時間発酵のバゲットはなぜか不似合いな気がする。
クラシックなフランスパンがそこには合っている。
移ろうものより、しかるべきものがしかるべき場所に、いつもあることも大切だと思う。(池田浩明)


成城ベーカリー(成城パン)
小田急線 成城学園前駅
03-3482-0150
7:00〜19:00
日曜休み

#092

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#092
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アンゼリカ(下北沢)
91軒目(東京の200軒を巡る冒険)

カレーパン(スタンダード)(210円)。
再三テレビなどで紹介された下北沢の名物パンを食べて改めて思う。
パン屋はパンが命。
カレーパンというフィリングのインパクトが大きなウェイトを占めるパンであっても、客はしっかりとパン生地の味わいに気づき、それが人気の理由になっている。

透明感と湧きあがるようなコクを両立させたカレーフィリングの辛さと、小麦の甘さがきちんとする生地の味わいが相補的に響きあって、味覚の正円を作る。
スパイスもぴりりと舌先を刺激し、麻痺させ、味全体を軽やかにする。
飲み込んだあと口の中に残るものは実にさっぱりしたすがすがしさである。
フィリングが秀逸なのももちろんだが、体の奥深くで感じるような本能的なおいしさは、この生地がなくてはありえないものだ。

店主の林大輔さんはいう。
「ドイツ人がやっている神戸のパン屋(フロインドリーブ)で修行しまして、ドイツパンのパン職人になりました。
そこはいちばん厳しい修行をするパン屋だと聞いて入ったのですが、びしばし体で教えてもらいました」

ドイツパンというとまずライ麦を思いだす。
林さんによればそれは一面であって、ドイツには白い小麦のおいしさをひきだす優れた方法もある。
「実はドイツには白いパンがいっぱいあるんですよ。
ドイツパンの製法を使えば小麦のもっている甘さを表現することができます。
強力粉は小麦の芯の部分を使った甘い、うまい粉ですが、持っている力(グルテン)がすごいのでコントロールするのがむずかしい。
どったんばったん捏ねると、硬くなり、ぎんぎんにグルテンがでちゃう。
そうではなく、粉の持ってる力だけで、そば粉と水を合わせるときのように(やわらかく)練っていく。
量が多いのでミキサーを使っていますが、電気が止まったって手で生地は練れます。
うちに入った従業員には手じゃないとパンは教えられない。
手の感覚で覚えていかないと」

カレーパンはどのように誕生したのか。
「ドイツパンというと、日本人はあまり得意じゃない。
あたしがパン屋をオープンしたとき、見た目もよくないし、硬い、酸味がいやだというお客様がいらっしゃる中で、どうやったらドイツパンの技術を活かせるかと。
そのとき、『俺。カレーパンがいちばん好きだから、カレーパン作ろう』と思いました。
パンメーカーの作ったカレーパンは生地とフィリングがフィットしてなくて、バランスがよくないものが多かった。
生地とフィリングの相性がよくなければ、欠点を引き立てるだけになってしまい、せっかくがんばって生地を作っても、パンがおいしいっていってもらえない。
だから、一念発起してカレーの勉強をはじめました。
パン生地に合うカレーを突き詰めようと」

スパイスの勉強からはじめるほどカレーの研究にのめりこんだ。
「カレーって食べてすぐ辛くなるのと、あとからくるタイプとがあるんですが、すぐくるのがうちの夏カレー、冬カレーはあとからくる。
そういうバランスを、四季を通じて出し入れしています。
マニュアルがあって、その通りにやんなさいじゃなく、天候やスタッフのコンディションによって、煎り方から変わってくる。
雨の日と晴れの日では焙煎の仕方から変わってくる。
うまくいった日は香ばしさが立ってくる」
まるで、コーヒーの奥義を彷彿とさせるような、いやパンそのものと同じく、カレーには極めても極め尽くせないような奥深さがある。

「カレーのスパイスには4つの要素があって、香りはガラムマサラ、色のターメリック、コクのコリアンダー(パクチーの根っこ)、辛さのチリ。
4つが相まってカレーの味を作り出します。
それを基本にして味をまとめるカレー粉も入れて、いいシンフォニーを生んでもらう。
そして副素材は、うちでよく使うヨーグルト、リンゴ、はちみつ」

アンゼリカのカレーパンはなぜはまるのか。
なぜもういちど食べたくなるのか。
カレーパンに潜ませたマジックの種を林さんは明かしてくれた。
「季節の果物も入れます。
モモとかナシとか季節によってちょっとずつちがう。
ちょっとずつちょっとずつ変える。
それをやることによって飽きなくなる。
ほとんど同じ味なんだけど幅がある。
ぎりぎりのところだよね。
同じ味じゃないというのをやるのたいへん。
わからないようにちょっとずつ変える。
それがいつまでもおいしいというポジションでいられる秘訣。
いまのお客様の舌は洗練されてるから、慣れると『前のほうがおいしかったね』となってしまう。
いつも新鮮な衝撃。
それを見せるんじゃなく、中に仕組んだもので提供する。
気を使うけどやってて張り合いがある。
そのためには毎日食べてチェックしないと」

いわれてみれば…という世界だが、たしかにアンゼリカのカレーパンには味わい尽くせないようなところがある。
要素は同じだから同じ味として感じられるけれど、強調されている部分がちがっているゆえに、毎回新しい側面に出会い、それを奥深さとして感じる。
なぜかはわからないが南口商店街を通るたびここを素通りできないような気がしていたが、その裏側には、こうした深謀遠慮が潜んでいた。

「いまでも巡り会っていないスパイスがあります。
それを使いこなせるようになれば、まだまだおいしくなる可能性が十二分にある。
おいしくせていく自信もあります」

ジャーマンエクセラン(小) (294円)。
神戸フロインドリーブ直伝、ドイツにも食パンはある。
きのこ型、型からはみでた部分の大きなふくらみが豊かさを思わせる。
ふわふわにして、むっちり、そしてねっちり。
皮にしっかりと味わいがのって、それが中身と混ざりあうときスプレッドの役目さえ果たす。
やがて塩に促されて中身の逆襲がはじまる。
塩気のあるうまみとおもわれたものが、喉のあたりでは甘さに変わっている。
しょっぱさと甘さのあいだで揺れるほどに、どの味わいと決めきらないリーンさが、食事パンとして秀逸である。


レモンショートブレッド(252円)
さくさくな中にあって、歯にねっちりした感触が残る。
レモンの酸味は危うい快さで舌をぴりぴりさせ、一方でレモンの香りは軽やかに鼻へと抜けていく。
そして、アーモンドのような、チーズケーキのような、不思議な甘さ。
後味には甘さとレモンの残り香がさわやかに口の中にふわりと満ちる。

カレーパンだけではない。
見知らぬ舶来パンとの思わぬ出会いが待っている。
ドイツパン、小さな焼き菓子のさりげない充実もこの店に魅力を加えている。

アンゼリカ
小田急線 下北沢駅
03-3414-5391
10:00〜19:00(売切れ終了)
火曜 第2・3水曜休み

#091



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#091
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KAISO(下北沢)
90軒目(東京の200軒を巡る冒険)

開け放たれた戸口を通じて下北沢の雑踏とパワーが流れこんでくる。
世田谷らしからぬこの街には、カレーパンが似合うのだと思っていた。
そこに直球のフランスパン。
逆が反転して正となり、新しさになっている。

スカが流れている。
冷蔵ケースにはビールが冷えている。
「レコードプレーヤーで、友だちが買ってきたレコードをみんなで聞いたり。
パン屋なんですけど、人がいろいろ集まってきて、そういうのがすごくやりたくて」

楽な雰囲気がいいですね、というと、鈴木琢磨さんの表情が少し変わった。
「楽に見せてる分、パンは集中してやりたい。
楽なだけで、本気の部分がなにもない店というのが、嫌いなので」

「集中」「一生懸命」というニュアンスの言葉を繰り返した。
自分のイメージする味わいを追いつめていく求道者の姿勢が垣間見えた。

「自分の得意なフランスパンと食パンがおいしければそれでいいと思ってます。
いろんな種類とかたくさんの量を作ってないので、限られた中でしっかり作りたい。
丁寧に。
いろんなことに分散させないで、ここにあるものぐらいを一生懸命作っていきたい」

バゲット(300円)。
あたたかでしっくりくる酵母の香りがある。
飛び跳ねたり、鼻につんとくるのではない、じわりとした匂いが。
バゲットとしては中身が詰まっている。
がゆえに、小麦の生(き)の味わいが、バゲットなのに濃厚にある。
いっぽう、皮からは焼きすぎない香ばしさ、甘さがやってきて、中身の味わいと合流し、渦を巻きながら、混ざりあっていく。

「自分なりのパンを作ることを突き詰めていきたい。
バゲットもリュスティックも、薄皮一枚の中に、いかに水分、香り、食感を残すかが重要だと思うんで。
皮を焼きすぎても、中身の味がわからなくなりますし。
プレーンなパンはそれが重要」

kaisoのパンには本質的なものに出会ったときのよろこびがある。
パンを食べることは、作り手の実現するイメージに、食べ手がチューニングを合わせていくコミュニケーションである。
もし、そのイメージがぎりぎりの努力の中で実現した純度の高いものであれば、コミュニケーションが成立したときのよろこびは、代え難いほど大きい。

リュスティック(180円)。
乾いた皮としっとりした中身のコントラストの鮮やかさ。
こんがりすぎない皮には香ばしさのニュアンスと、素焼きの陶器の肌触りがある。
塩気が実に気持ちよく、小麦の味へ導いてくれる。
その生々しい白さを感じながらさらに噛み込んでいくと、明るい甘さが混じりはじめて、両者の混淆状態が愛おしい。
ただのもちもちではなく、気泡1個1個がぷりぷりっとはじけるようないきいきとした食感。
小麦のフレッシュな味わいを閉じ込め、しかも皮で邪魔をしない。
リュスティックの本質が完全に実現されている。

「シンプルなものほど個性をだすのがパン屋の仕事。
いろいろな副材料を入れて個性をだすのなら当たり前じゃないですか。
ハード系でおいしいというのが腕のみせどころだと思うんで」

フランスパンは、粉、水、塩、酵母というシンプルな材料のみで作られる。
それだけに、微妙な感触のちがい、風味の出方や、皮と中身のバランスが、大きく味わいを分ける。
発酵が少し進みすぎても、焼き上がりがちょっとちがっても、水分の含ませ方がやや異なっても別のものになる。
息づかいや小さな所作が表現となりうるほどの、繊細でミニマムな芸術。
作り手の突き詰められた境地は、なぜか食べ手にも伝わる。
その不思議さを、kaisoのパンを食べて再確認した。

「2日寝かしたり、3日寝かしたり。
塩も水も感覚ですけどね。
気候に合わせるというより、ベストを目指すということなんじゃないかと思いますけど。
感覚の世界。
ひとりでやってるからそれでいいと思うんですよね」

じゃがいも。
インカのめざめ使用。
小麦の味わいの白さの、あの足りない感じに、じゃがいもの甘さが加って、味覚の正円ができあがっている。
あるいは、リュスティックのもちもち感をじゃがいもの弾力が補強して、日本人にとってもっとも心地いい、餅とほぼ同じ食感が実現している。
なめらかさの中のつぶつぶ感、歯にくっつく感じ、やわらかな甘さが口を満たす感じも餅に似ていて、そのひとつひとつに幸福を感じる。
[現在はインカのめざめのパンは休止中。それに代わるものとして、じゃがいもの入っていない、丸パン(80円)がある]

私にはこれが、じゃがいものパンとして作られたように思えなかった。
そうではなく、ハードパンの理想型にもっと近づくために、ナチュラルな添加物としてじゃがいもを混ぜ込んだのではないかと。
「自分がおいしいと思うものをイメージすると、じゃがいもを練り込む必要がありました。
イメージに合わせるために使う必要があるだけで」

作り手と食べ手のあいだでパンを介してイメージが受け渡される無言のコミュニケーション。
パンを食べるということの意味さえ、KAISOのハードパンは開示する。

(池田浩明)


KAISO
03-6805-3131
11:00~19:00
月曜休み

#090


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#090
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mixture(下北沢)
54軒目

カフェにコッペパンがある。
コンクリートむきだしの床に黒いソファ、その傍らに、焼きそばパン、コロッケパン、あんぱん。
いかにも不思議な、しかしいかにも下北沢な光景だと思う。
新しさと古さのミクスチャーは、とんがった空間にやさしさを与え、若い客層の店に大人を呼び込んでいる。

いまmixtureのある場所には、大英堂という40年つづいたパン屋があった。
中井慈オーナーが「おじさん」と呼ぶ人物が、コッペパンや食パンをひとりで焼いていた。
中井さんはパン屋になりたかったわけではない。
会社員をしながらカフェを開く夢をあたためていたとき、偶然大英堂を知った。
その古いパン屋には心惹くものがあった。
夢への第一歩として、パンの作り方を覚えるため、会社が休みの日にそこで働くことにした。

「『手伝いにきていいですか?』といったら、『1回見にくれば』といわれ、そのまま働かせてもらえることになりました。
おじさんのように受け入れてくれる人ってなかなかいない。
4年間毎週いってました。
お金はもらってなかった。
毎週ごはんをおごってくれたり、飲みに連れてってくれたり。
会社が忙しくて眠れなくて、スーツのままいったら、『泊まっていきなよ』といわれて、寝させてもらったり。
家族みたいに付き合ってくれました」

「最初は『パン屋やめたほうがいいよ、すごくつらいから』とおじさんはいっていた。
3年ぐらい経ったとき、『店、開けばいいじゃない』といってくれた。
『そのうちやめると思ってた。飽きてそのうちこなくなるんじゃないかと思ってた』って。
4年つづいたってことが、いま糧になっている。
カフェを開くって、お金もかかるし冒険だと思う。
でも、会社で働きながら毎週通えたってことが自信になったおかげで、飛び込めた」

会社を辞め、料理の専門学校に通いながらカフェで修行していたとき、大英堂主人の訃報に触れた。
おじさんの思い出のあるこの場所を引き継ぎ、カフェを開いた。
大英堂と同じパンを置いた。

「おじさんのときより、僕の知ってるもっと新しい材料を活かしたいと思って、小麦粉や塩は見直しましたが、配合とかパンの方向性は変わりません。
開店のときは、パンはいまの1/3ぐらいで、カウンターに置いていただけだったのが、どんどん増えました。
実際にはカフェよりパンを買いにくるお客さんが多かったので。
昔のパンが食べたいといって。
店を開いてすぐ、近所の方がたくさんきてくれた。
おじさんのところに通っていたことをみんな知っているから、受け入れられやすかったんでしょうね。
商店街の人の何割かは、僕がおじさんの息子か孫だと思っている」

パン屋とは、たくさんの人たちと見えない糸でつながった結節点のようなものかもしれない。
もはや、大英堂の古い店構えはないし、大英堂という看板を掲げているわけでもない。
けれど、商店街の人たち、昔のパンの味を覚えている人たちとの関係性は、この場所にいまでも残っている。
おじさんがくれた遺産として。
「おじさんのおかげで店が成り立っている。
おじさんに頼らないでやらなくちゃいけない。
自分の力でやっていこうと強く思っています」

「いつもお客さんの顔を見てパンを作りたい。
カフェを開きたかった理由は、お客さんの笑顔、よろこんでいる顔が見たかったからなんです。
おじさんに教わったのは、技術より、接客。
常に笑顔で接すること」
きっと建前ではない。
中井さんは本当に楽しそうにお客さんと遊んでいた。

フレンチサラダ(150円)。
大英堂時代とそのままのメニュー。
このコッペがあるから野菜がおいしく感じられるのだと思う。
皮はなめらかだけれど、少しでこぼこした質感があたたかく、香ばしい。
中身は完全にふわふわではなく、素朴に食べごたえを残す。
生地のほのかな甘さが実に惣菜のしょっぱさと合う。
千切り野菜をマヨネーズで和えたごくシンプルな具材の、さっぱり感、しゃきしゃき感を、パンが活かしきっている。

一番街やきそばパン(150円)。
コッペの感じいい甘さは、ソースとも絶妙の相性を見せる。
甘さという凸としょっぱさという凹。
甘さゆえにしょっぱさが中和され、しょっぱさゆえにパンの甘さが愛おしい。
さっぱりした辛めのソースに出汁や具材の味まで滲みこんでいる。
ぐにゃりとしたなつかしい食感は、mixtureと同じ一番街商店街にある島田麺店の手作りそば。

一番街コロッケパン(150円)。
このバンズにある、透き通った生(き)の小麦の味わいはリュスティックを思わせる。
砂糖の淡い甘さも小麦味にとても合っている。
ソースの滲みこんだやわらかいコロッケをしなやかなパン生地が包み込む。
コロッケは味つけが濃すぎず、じゃがいもの甘さや食感が活きている。
一番街にある肉の三吉とコラボ。
ラードの甘さも肉屋のコロッケならでは。
商店街とのつながりを大事にするmixtureらしいパン。(池田浩明)

小田急線 下北沢駅
03-5453-7677
7:30〜22:00(L.O)
不定休

#054


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ルヴァン(代々木八幡)
53軒目

以前、ルヴァンの信州上田店を取材に訪れたとき。
甲田幹夫オーナーに、「パンの特徴は?」と尋ねると、
「原点のパン」。
その一言で取材が終わってしまった。
原点とは領域ではなく、つまり一点しかないものなので、それ以上、なにも聞く必要はないように思った。
甲田さんも、それ以上なにかをいうつもりもないようで、どこかへ消えた。

コンセプトというのはシンプルなほどいいと思う。
プロジェクトの参加者それぞれが自分で考えることができる。
私も、甲田さんにそういわれてから、宿題をもらったつもりで、「パンの原点」について折に触れ考える。

なぜルヴァンはこれほどの吸引力を持っているのか。
天然酵母のパン屋の草分けといわれるこの店は、創業以来約25年間、原点のパンを焼きつづけている。
ルヴァン種のパンは、いまではそう珍しいことでもなくなった。
無添加や国産小麦、オーガニックというコンセプトも目新しくはない。
けれど、後からきたものは、もはやただの「原点のパン」を作ることは決してできない。
ルヴァンでないパンを焼こうと思ったら、「原点のパン」+アルファを目指さなくてはならない。
その時点で、シンプルさにおいて後れをとっている。

原点のパンとはなにか?
最初にその言葉を聞いたときから1年後、私は改めて尋ねた。
「原点というのは、昔のヨーロッパの、いわゆるイーストができる前の、酵母で作っていたパンのこと。
塩と水と粉だけでできてる。
それが原点に近い。
大昔、パンが生まれた当時に近い」

これは説明ではあるが、答えではない。
甲田さんもひょっとしたら、「原点のパン」の意味を本当に知っているわけでもないのかもしれない。
ルヴァンは原点を目指しつづける。
食べ物においてもっとも大事なことはなんなのか。
それを見つめつづける意志がルヴァンなのではないだろうか。

カンパーニュ317(1円/1g)。
「原点のパン」を焼くルヴァンの原点。
つまり、日本の天然酵母パンの原点といってもいいかもしれない。
中身が触れた途端、舌がじんじんする。
酸味は酸味であるが、一色ではない。
レイヤーとして重なったいくつもの酸味がそれぞれに、+アルファとしてのうまみを孕む。
(酸味+α)+(酸味+α)+(酸味+α)…。
気品さえ帯びた分解不能の複雑さは、酵母をつなぎつづけた27年の歳月のたまものでもあるのだろう。
中身は独特のさくさく感、味わいはおっとりして洗練されすぎない。
トップランナーにして、この素朴さ。

メランジェ(2円/g)。
酸味はパンにとっての敵だろうか。
決してそうではないとメランジェが語る。
これは酸味と友達になるパンだ。
天然酵母パンにつきものの酸味から逃げず、さらに強調する。
カレンズの酸味と酵母の酸味が重なる。
カンパーニュ以上に鋭く、舌を、上あごを、喉の奥を酸味が襲う。
とたんに、口の中が、気分が爽快になり、すべてがリセットされる。
すっぱさを通り越したのち、現れる感じのいい甘さによりいっそうの幸福を感じる。

ル・シァレの春サンド(493円)。
中央・コンプレ25、左・イングリッシュマフィン(あんばた)、右・フィグノア。

四季折々の食材を使ったサンドイッチ。
コンプレ25には春らしく、菜の花とにんじん。
なんと辛く、なんと苦く、なんと甘いのだろう。
自然とは、おいしさの先入観をいつも逃れつづける、なんと鮮烈な体験なのだろう。
ルヴァンの必殺技ゴマペーストが、西洋の食べ物であるパンと、日本的自然の味わいを不思議につなぐ。
自然を体内に取り入れる感覚。
そういえば、ルヴァンのパンを食べるといつもこの感じがあるな、と思った。


小田急線 代々木八幡駅
03-3468-9669
8:00〜19:30(日祝は18時まで)
水曜・第2木曜休み

#053


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カンガルー(新百合ケ丘駅)
46軒目


そのパンは、宝物のように、目立たない、少し低まった場所に置かれている。
商売をしているのに、なるべく人目につかないようとっておくというのは不思議なことであるけれど、慎み深い場所が、開店以来焼きつづけられているソフトカンパーニュ(180円)の定位置なのだ。

十字形につながった、ゴルフボールぐらいの小さな丸パン5つ。
もっとも火に近い、頂上あたりでさえせいぜいが山吹色で、それからベージュ、アイボリー、クリーム色とだんだん薄くなっていく。
ほんのちょっぴりおしろいをつけて。

紅潮したほっぺたみたいな、うつくしい焼き色からわかること。
強さは慎重に避けられている。
焼き込めば、強い甘さをパンの表面に作り出すだろう。
それは瞬間的に人を惹きつけるだろうけれど、皮を硬くしてしまうし、表面の甘さは中身の淡い味わいを邪魔してしまうかもしれない。

このパンで作ったベッドがあったら横になってみたい。
食感はもちもちとして、にもかかわらず強く噛まなければ噛み切れないということはない。
発酵の香りもつんとせず、人を誘うようにほのかに甘さを漂わせ、口溶けもごくじわじわとしている。
中身の味わいはやわらかいのに、浅すぎる、白すぎるということもなく、充実している。
つまり、一言でいえば、夢のようにやさしいパンということになる。

カンガルーに置かれているのはすべてがすべてこのようなパンで、人肌のような焼き色をして、食べる人の腕を強くつかんで惹きつけよう、というところがまるでない。

オーナーの中坪雅樹さんはいう。
「日本にある材料はみんなそんなに変わらない。
じゃあ、どこで人とちがいがでるかといえば、心構えでしょう。
パンに真剣に取り組むか、いい加減に取り組むか。
体調が悪いと、力が入らない。
寝不足だったり、お酒の飲みすぎだったりすると、つい流してしまう。
計量、仕込み、発酵の温度・湿度、成形、二次発酵、焼成。
いろんな工程をきちっきちっとやっていかなければ、おいしいパンはできないよね。
きちっとしたパンができない。
自分でぜんぶやってるんですから。
計量から仕込みから人にまかせない。
朝2時に起きて、3時から作る。
作れる量は限られている。
でも、無理して多く作ると、パンが荒れるんです」

どうしたらやさしいパンが焼けるのか、聞きたかった。
「パンは、人が出るんだよね。
作り方は、本を読めばわかる。
でも、パンは発酵食品ですから。
酵母菌がいろんな動きをする。
それは経験でしかわからない。
性格とか癖とかものの考え方が自然に出ちゃう。
自分が変わるとパンも変わる」

東京の200軒を巡る冒険をつづけながら感じはじめていたこと。
パンは人。
それは確信に変わりつつある。

ハースロム(360円)。
食パン生地のパン。
クッキーのように甘くかりかりの皮と、中身はまるで相反して、食感はあまりにやわらかく、味わいはそこはかとない。
中身だけを食べてみたくなる。
かよわい食感と、淡く淡く、そよそよとした食感に、なにも考えず身をゆだねてしまう時間が好きだ。

クランベリートリップ(200円)。
かつて出会ったことがないほど中身のムチムチ感とミルク味が強調されたデニッシュ生地。
ぱりぱりさくさくの皮は、むしろおまけ。
主人公はここでも、やわらかい部分なのだ。
むっちりと詰まりぎみの生地は、甘さも、感触も、口溶けも、素敵にやさしい。
まろやかな甘さとクランベリーの甘酸っぱさに抜群の相性がある。
強いものと強いものが作りだすのではない。
やさしいものとやさしいものが、マリアージュの春霞を作りだす。(池田浩明)

カフェ併設。

カンガルー
小田急線 新百合ケ丘駅
044-955-1591
川崎市麻生区上麻生3-21-11
7:00〜18:30
月・火曜休

#046


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ブーランジェリーメゾンユキ(新百合ケ丘)
45軒目。

すべての人が動いている。
店の中にはお客が10人以上、店の人も10人以上。
お客はあのパンこのパンと目移りさせながら、自分の食べたいパンにたどりつこうと真剣なまなざしで物色をし、歩き回る。
厨房の人たちもとにかく忙しそうに一生懸命パンを作ったり、並べたり。
販売の人は「いらっしゃいませー」とか「焼きあがりましたー」とか、いつも声がでている。
この店に入るとまるで誰でも頭の中にアドレナリンがでて、テンションが高まり、体は熱を帯び、目は血走るといった様子なのだ。

中心には踊りながらパンを作る人がいる。
とても手早く、確実に仕事が片付いていく。
人間のできる限り、と思われる速度でパンは切り分けられ、ビニール袋の中へ次々収まっていく。
手だけでなく、体全体がハイテンポのリズムを刻みながら細かく動いている。
この人が、背中で店内にいるすべての人たちに向けてタクトを振るっているので、だからみんなが高速で動くようになるのではないかと思われた。

その人が柳町幸孝シェフだった。
「バイトの子に『歌いながらやってるんですか?』といわれたこともあるんですが、自分では普通に動いているつもりで、意識はしていないんです」

強い部活のチームのような、全員が前のめりの活気と盛りあがりについては、
「スタッフみんなが店に愛着を持ってくれていて、お客さんをきちんとお迎えしようと思っているので自然とそうなっているだけで、自分からは特になにもしていません」
とシェフは自らの手柄にしない。

郊外の、誰でも入りやすいお店。
「ブーランジェリー」と名乗りながら、ハード系ばかりのマニアックな店というわけではなく、日本人好みの惣菜パンや菓子パンがたくさん並ぶ。
「むずかしいパンを作るより、誰でも楽しんでいただけるパン作りをしています」

安易に添加物を使うことはしない。
イーストと併用して自家製酵母の種も入れて、味わいを深くしている。
「発酵はイーストですが、ライ麦から起こして継いでいった種を入れて熟成させています。
天然酵母を入れたパンは保湿性があって長持ちするし、天然酵母の深い香りもでます。
自然の添加物という感覚です。
家族とか、自分が大事にしている人に料理を作るときと同じように、変な薬が入っているものはお客さんにも食べさせたくない。
体に安全安心だと自信を持ったものを食べてもらいたい」

「どうしても忙しいと、仕事に追われちゃう感じになって。
それでも、1個1個丁寧に作りたいと思っています。
パンを通じていろんな人に出会う。
いろんな人がこの店にパンを買いにきて、持って帰り、その人の家庭にパンが入っていく。
ぜんぜん知らない人なんだけど、その人の家の食卓にパンが置かれて、笑顔が生まれて。
そういうイメージを持ちながら、パンを作っています」

思いは伝わる。
食べ手がはっきりと意識に上らせることのできないかすかな感じ、のようなものであってさえ、なにかが確実にパンを通じて、作り手から受け渡されている。
それが私たちの血肉になっていく。
メゾンユキのパンは、日常向きで、食べやすい。
なにも考えずに食べ流してしまうことすら許してくれる。
でも、気持ちの入った食べものしか与えてくれない、心の満腹感とでもいうようなものを、食後に感じることができる。

気まぐれトースト(160円)。
焼きたての惣菜パンやピザパンが次々と運ばれてくる。
なにを食べようかあれこれ考えすぎるより、あたたかなそのパンを手に取って、店の前のテラス席で無料のコーヒーとともに食べてしまうのが、メゾンユキのいちばんの楽しみ方だと思われた。
この日はバジルペーストを塗ったチーズとトマトのタルティーヌ。
トマトの汁とオリーブオイルがバゲットに滲み、とろとろになりながら、それでも中身がきちんと輪郭を保ち、皮もぱりぱりしている。
やっぱりパンはおかずといっしょに食べるのに限る。
というごく当たり前のことを、手軽にとても安く体感させてくれる。

自家製カスタードのクリームパン(130円)。
ふわっと、さくっと、すっと溶ける。
菓子パンの王道だけれど、「ふわっ」も、「さくっ」も、「すっ」も、並のそれよりも、もうワンテンポずつも早い。
だから食べやすい。
そして心地よい。
「人気ナンバー2」とポップにあったので、インパクトの強いパンなのかとなんとなく思ったが、まったくそうではなかった。
甘さは強くなく、ふわっとして、あとからじーんと甘くなる。
ぱくぱく食べられて胃が重たくならないから、この店にくるたびついついトレイにのせてしまう。
そういう人気ではないかと想像した。

リュスティック(150円)。
食べる前に香ってきたのが生(き)の小麦味だった。
焦げた香りも、発酵の香りもしない、正統派のリュスティック。
持った感じも味わいも軽い。
薄い膜が折り重なって空気をはらんだふわふわが塩味で溶け、液体に変わった小麦味が舌でたゆたう。
食べやすく、気安い。
高級ではないけれど、技術は本物。
それがメゾンユキなのだろう。(池田浩明)

小田急線 新百合ケ丘駅
042-350-0055
7:00〜19:00
日曜・第一月曜休

#045

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