パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
THE CITY BAKERY(品川・広尾)
195軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ベーカリーという言葉の意味が変わる。
THE CITY BAKERYで待っていたのはそんな体験だった。
この店にはニューヨークの風が吹いている。
THE CITY BAKERYとロゴの入ったサファイアブルーの紙コップ、木目のうつくしいテーブルとペンダントライト。
チョコクッキーは一人では食べられないほど大きく、マフィンはいかにも無造作に詰まれる。
それらが舞台装置になるせいなのか、ここでは人びとのざわめきは音楽に聞こえ、窓の外を行き交う人びとの動きもダンスに見える。

大人気のプレッツェルクロワッサン。
まず最初にオープンした大阪で火がつき、さまざまなメディアでも取り上げられた。
それを食べることは、1度目はどきどきさせる冒険であり、2度目には食べる自分が、ニューヨークという劇の登場人物になったような気分になれる。

表面をプレッツェルのように加工することで得られる、普通のクロワッサンではありえないような、皮のかりかりとその下の中身のしっとり感のコントラスト。
トッピングされたゴマと岩塩。
容赦ない塩気は舌を直撃し、ゴマの香ばしさはプレッツェル特有の香りへと導いていく。
発酵の香りは香らせながら、熟し具合でいうとどこか足りない感じがある。
それが、岩塩に触れるところから発光し、甘く輝きだす。
塩気と甘さのまだら、強く味わいを感じるところとどこか足りない感じのまだらが、逆ベクトルのエクスタシーとなる。

プレッツェルクロワッサンには、ホームメイドマシュマロを浮かべたホットチョコレートがニューヨークで定番の組み合わせなのだという。
苦くもあり、甘くもあり、ときにすっぱくも感じられるどろっとした液体はあまりに濃厚で、口全体を塞がれたようになる。
そこへ、ぷりんとしたマシュマロが、ねめっとして、しゅーんと溶けていき、チョコとは異なる2様の甘さとなりいっしょに溶けていくのだ。
プレッツェルクロワッサンをこの液体をで流しこむ。
甘さと塩気、塩気と甘さ。
溶け合わないはずの2つが溶け合ったとき、新しい味覚の体験が立ち上がり、ニューヨークへの憧れは掻き立てられる。

THE CITY BAKERYを日本で運営するのは、ベーカリー&レストラン サワムラほか川上庵などの飲食店を経営する株式会社フォンス。
ベーカリー&レストラン サワムラの統括シェフであり、THE CITY BAKERYの立ち上げにも関わった森田良太さんは、フォンスがTHE CITY BAKERYをはじめた経緯をこう語る。

「向こうのオーナー、モーリー・ルービンはTHE CITY BAKERYを日本に出したがっていました。
提携相手を探すため、東京にきて何社か見まして、いちばん気持ちが合うのがうちの会社だったらしくて。
2008年に1回日本にきて、話をしていった。
そのとき、モーリーはまだどこと組もうか迷ってる段階だったんですが、『実際にニューヨークにTHE CITY BAKERYを見に行こう』という話になった。
工房の中を見たり、オーナーと話をしたりしたのですが、最終的にはうちの会社を選んでくれました」

THE CITY BAKERYとフォンスの組み合わせは、ベストなものだったと思う。
フォンスは、高いレベルでパンを作る技術力をもち、コンセプトをソフィスティケイトされた形で表現できるだけの店づくりのセンスを持っている。
そして、若い会社であって、新しいことをはじめたいというエネルギーに満ちあふれているのだから。

「フォンスという会社のスタイルは、型にこだわらないこと。
THE CITY BAKERYも、同じようなところがありました。
モーリーが言ってたのは『アウト・オブ・センターをいつも狙ってる』。
THE CITY BAKERYの商品は、きっちりしすぎていない。
クッキ−でいえば、ホームメイド感がある。
以前、フェスティバルにクッキーを納めなければならなかったとき、大量に作る機械を導入したそうなんです。
クッキーがぜんぶ決まった形で出てくるので、ホームメイド感がなくなった。
それがわかったので、機械を使わずに手で丸めるようになった。
生地を量らずに感覚でカットする。
あとで足りなくなったら、生地を継ぎ足したり。
本当に形にこだわらない」

アウト・オブ・センター。
人がやっていることは、決して繰り返さないという強靭な意志。
それは、プレッツェルクロワッサンの型破りな製法からもうかがえる。

「モーリーはもともとテレビのプロデューサーでした。
アート関係の仕事をやめて、ヨーロッパに修行に行き、プレッツェルクロワッサンを考えて、ニューヨークに店を出した。
普通とはちがった感覚の持ち主。
プレッツェル・クロワッサンをはじめて見たときは衝撃でしたね。
見た目も食感も普通のクロワッサンとはまったくちがいますから。
自分らが教わってきたクロワッサンの考え方がまったく覆りました。
すごい発想力だなと。
ラウゲン液(劇薬である苛性ソーダを水で溶いたもの。プレッツェルの独特の食感を生む)をはけで生地に塗っているので、ばりばり感が増します。
かなり水分量の多い配合なので、びろーんと伸びちゃって、普通だとパンにならないんですが、成形のとききつめに巻くことで、プレッシャーによって生地をぎゅっと締める。
発酵もさせません。
成形したらすぐ冷凍庫に入れる。
成形してすぐだとやわらかくて、生地が暴れるんですね。
冷凍で生地を締めることで安定する。
ニューヨークのTHE CITY BAKERYにはパン屋なのにホイロ(発酵器)がありませんでした。
『発酵どれぐらいとってるの?』って訊いたんですが、意味が通じなかった。
『どのタイミングでオーブン入れるの?』って訊いてみたら、『フィーリングだよ』(笑)。
いま思うと、発酵という概念が向こうにはない。
スコーン、マフィン、ビスケットはそのまま焼くだけですし。
ベイカーズマフィンも冷凍庫から出して、やわらかくなったら、オーブンに入れる。
多少は発酵しているのかもしれないですけど、感覚で入れている。
パン職人じゃ作れない商品ですね」

テレビやアートという、手順や常識よりもアイデアを先行させる職業の出身。
パン職人というバックボーンを持たないので、教科書的なパンの知識を叩き込まれることもなかった。
もしぱりぱりのクロワッサンを作りたいのであれば、ラウゲン液を塗ってしまえばいい。
生地がゆるくて困るのであれば、凍らせてしまえばいい。
常識にとらわれない発想によって、プレッツェルクロワッサンは生まれた。
その味をニューヨークで食べるのとまったく同じにしたいと、森田さんは最大限の努力を払う。

「まったく同じレシピですが、日本ではアメリカと同じ材料がそろわない。
いちばん苦労したのが粉選びですね。
ある製粉会社からもらったサンプルを試作して改良を重ね、5種類ぐらいの粉をブレンドして粉をつくりました。
薄力、強力、全粒粉と3種類。
THE CITY BAKERYオリジナルの粉です。
1CW(北米産の小麦粉)に、その他のものを混ぜています。
アメリカでどういうものを使っているか、麦の品種は特定できたのですが、苦労したのが挽き方です。
アメリカから同じものを取り寄せても、粒子が粗かったり、細かかったり、ばらつきがあって特定できない。
日本とアメリカの製粉技術のちがいですね。
粗いと扱いにくかったり、つながりにくかったりするんですが、粉の風味が出る。
狙ってやってるわけではないが、風味が出る粉にたどりつきましたね」

アメリカ人らしいアバウトさ。
プレッツェルクロワッサンの製法でも見たように、日本人のように細かいところにこだわらないからこそ、大胆な味になる。
小麦粉もしかりで、粒の粗さゆえに、溶けたときに口の中で発せられる風味は濃厚である。
製法においても原料においてもなるべくアバウトさを消さず、日本人的な緻密さにはふらない。
アメリカへのリスペクトとして。

「どうしても日本人なので、きっちり作るところが抜けなくて。
モーリーも、グラムを量ってるの見て、『日本人だな』と言ってましたね(笑)。
チョコクッキーやマフィンも日本人にはサイズが大きい。
現地のをそのまま出すのは決めてたが、日本のサイズで出そうかなと迷ったこともありました。
でも、あの大きさこそアメリカン。
陳列の仕方でもニューヨークっぽい感じを出してます。
こんなにずらっと並べてるところも日本ではあまりないでしょうし。
自分は、向こうのものをそのまま伝えたい、という思いで、ニューヨークに修行に行った。
甘すぎる、大きすぎるんじゃないか、というところは、社長と議論がありました。
最終的には、アメリカと同じでやって、だめだったら変えようよ、ということになった。
いまはそれで受け入れられてるし、いいなと思います」

アメリカと同じサイズで本当によかったと思う。
正直に言えば、私もチョコチャンククッキーを食べきれず残した。
でも、それはおみやげになり、別の誰かをよろこばせたのである。
パンを食べることの本当の感動。
作り手の嗜好や才能を感じることもそのひとつであるけれど、もっと大きなものは、個人を超えて、歴史や風土や自然といったものを感じる瞬間にある。
異文化という、いままで知らなかった、ごつごつした感触のなにかに触れている驚き。
だからこそ、好奇心が動きだし、THE CITY BAKERYに人びとは列をなすのだろう。

「自分自身を出すのはサワムラで、いくらでもできる。
向こうの人の思いをこっちに伝えられれば、自分の仕事は成功だなと思っていました。
なるべく現地のスタッフと話して、ごはんを食べたりして、こういうこと考えて作ってるんだろうなと思い描いた。
それを日本の人たちに伝えたいな」

ブルーベリーコーンマフィン
表面は硬く乾いていながら、中身は実に湿っている。
ぼろぼろと崩れる。
そして口が渇くような感じはまったくなく、なめらかに溶けてくれる。
やさしい甘さとともに、粉の風味がぐっと押し込んでくる。
ふすまのような香りが鼻へ流れこんで、甘さと素材感が連結するのはいかにもアメリカ的。
ブルーベリーも酸味を際立たせ、ベリーの野生感を強調する。

「マフィンにはコーングリッツが混ざっています。
向こうは生地の粗いマフィンが多い。
コーングリッツを使うことで、ほろほろと崩れる食感になって、飲み込みづらいという食感にならないんですね」

メープルベーコンビスケット
このスコーンの中には男性と女性が共存する。
言い換えれば、肉への欲望と癒しという両面が。
プレッツェルクロワッサンと同じく、またも甘さと塩気が共存する。
パンケーキでも知られた、メープルとベーコンというアメリカンな組み合わせ。
マフィンと同じく、表面かりかりにして中はしっとりという黄金食感である。(池田浩明)

品川店
JR山手線・東海道線・京浜東北線・横須賀線/京浜急行線  品川駅
03-6717-0960
8:00〜22:00
不定休(アトレ品川に準じる)

広尾店
東京メトロ日比谷線 広尾駅
03-6450-4440
8:00〜22:00

200(JR山手線) comments(0) trackbacks(0)
ル・パン・コティディアン 芝公園店(浜松町)
166軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ル・パン・コティディアンに新しくオペラシティ店が開店するときのレセプションでのことだった。
料理人にして、ル・パン・コティディアンの創業者であるアラン・クーモンは、この店の象徴ともいうべき、タルティーヌについてこのように表現していた。
「これは、パンを使った寿司である」と。
ル・パン・コティディアンは、サンドイッチをデザインする。
それまで、フランス人にとって、サンドイッチはあまりに日常的でプリミティブであるがゆえに、それをデザインすることまで思い至らなかったのかもしれない。
彼らはバゲットにハムやチーズをそのままはさんだだけで満足してしまう。
同じフランス語圏にあって、アラン・クーモンは、サンドイッチのヴァージョン2.0が「寿司」であることを見て取っていたのだ。

寿司において、おかずと主食は完全に一心同体となっている。
素材の処理や、ときに味付けまでが完全になされ、口の中にどのように入り、どのように味わうかまで、板前(シェフ)のコントロール下にある。
そして、見目麗しい。
肴と飯をいっしょに食べることをデザインすると、寿司になる。
パンを食べ食事をとることをデザインすると、ル・パン・コティディアンのタルティーヌになる。

ハム&グリエールチーズ with サンドライトマト、3種のマスタード、ピクルス(1480円)
ほどけるように、カンパーニュの中身が溶けていく快さ。
湧きあがってくる落ち着いた香ばしさ、あるいは雑味、そして酸味。
そこにすがすがしさ、流麗さがある。
それら味わいにおける脇役たち(香ばしさ・雑味・酸味)は、具材といっしょになってさまざまなマリアージュを生み、奥行きを与える。
パンと、ハム、チーズは、繊細な厚さでスライスして重ねられている。
だから、やんわりと歯切れ、しかもエアリーであるために、ちょうどよく口に入り、素材のたしかさをより感じることができる。
このサンドイッチの後口に白ワインを注ぎ入れると、あるべきところにやっとすべてが収まって、食事が完成した気持ちになった。

日本でのマネージャーとして、パンを作り、店舗を統括する安類(あんるい)直宏さんは、直に接したアラン・クーモンという人物について、このように語る。
「アランが言うことがこの店のすべてです。
アーティスティックな人で、感性がものすごい。
立ち上げのときも、アランが『こうしたらいいよ』と言うように、変えていきました。
言われるままにやっています。
素材もアランがすべてチェックしました」

「たとえば、盛りつけ方であれば、もっと見た目がきれいに見えるよう、高く盛りつけるようにとか。
葉っぱ1枚にも、こう置くんだというこだわりがある。
イタリアンパセリの使い方なんかは、日本人は葉っぱだけを使うんですが、アランは「茎まで切れ」と。
茎にこそおいしさが入っている。
ル・パン・コティディアンは、雑味がおいしさなんだととらえる考え方ですね。
食べ物に含まれているものは、ぜんぶおいしいんだという」

「ベルギーでアランの店がオープンしたとき、当初はパリのポワラーヌまで買いに行ってたそうです。
だけどすごく遠いので他を探してみたところ、他人の店には納得するものが見つからなかった。
じゃ、自分でやってみようということで、パンを作った。
自分の料理に合うパンを、自分で作る。
あくまで両方とも主張しないで、料理に合うパン、パンに合う料理。
レストランありきのパン屋です」

「食べ物に含まれているものは、ぜんぶおいしい」。
その言葉は、日本において、ポワラーヌの影響のもとにルヴァンを立ち上げたピエール・ブッシュ、あるいは現オーナー甲田幹夫の哲学を思いださせるものだ。
アラン・クーモンは、そうしたエコロジーをデザインし、美学にまで高めることで、この店をあらゆる人に開かれたものにした。
例えば、ル・パン・コティディアンの世界中にある全店舗で、家具はベルギーから輸入した再生木材で作られたものを使用している。
また、テーブルはあらゆる人が同時に食べられるよう、コミュナール・テーブル(大テーブル)を基本としている。
伝統的な木という素材を使って、見知らぬ人とのコミュニケーションをも生む、シチュエーションを作り出す。
床までガラス張りですべてが見通せる厨房も含め、やはり符合するものがあった。
それは寿司屋のカウンターなのである。

ベルギー生まれのル・パン・コティディアンだが、本部はニューヨークにある。
スタッフはそこで研修を受け、全世界で同じメニューが供される。

「ニューヨークの本部には、研修で自分も行きました。
種起こしから、料理、コーヒーの落とし方まで。
それぞれのセクションのリーダーが1ヶ月行って、向こうで行われている方法を学び取りました。
さらに、この店の立ち上げの際には、本部のメンバーが3週間来日しました。
基本はまったく同じメニューを出せるように。
日本の食材に合わせて多少の変更も行いましたが、メニュー表にのっているものはほとんど世界中同じものです」

「ル・パン・コティディアンとは『日々の糧』という意味です。
この食事を日常の中に浸透させていきたいというのがコンセプト。
できるだけオーガニックの食材を使っているので、価格的に毎日食べるのはむずかしいかもしれませんが、レストランではなく、ベーカリーカフェ。
朝食やランチでお気軽にこれる店でありたいと思っています。
ニューヨークでは日常使いの店という感じですね。
マンハッタンには30店舗もあって、マクドナルドより多いほどです」

価格からいえば、少し特別な朝、あるいは大切なランチに訪れたい店ではある。
だが、コティディアン(=日常の)という名は決して矛盾ではない。
それはおそらくは未来を指している。
このパンが本当にル・パン・コティディアンになる日のために。
オーガニックの食材を使い、センスあふれる空間で時を過ごす食事のあり方が、当たり前の日常になってほしいという「希望」を、店名として掲げているのだ。

オーガニック小麦のバゲット(290円)
口径が大きく、また焼きこまないゆえの軽やかさ。
皮の中のバターに似た甘い香り、中身の味わいの透明さ。
このバゲットは、フランスで食べるバゲットに本当に似ている。
特に、濃厚に漂わせるミネラル感
それはミネラルあふれるフランスの水(=硬水)の香りに似る。
パン単独で食べると、ことによっては鼻につくかもしれない。
だが、オセロゲームの形勢が一気にひっくり返るときのように、独特なミネラル感が加わることでむしろおかずと無類の相性を獲得するのだ。
日本にはない、ヨーロッパの食事パンらしさがある。

「いま使っている小麦粉は、ヨーロッパ産のオーガニックです。
何種類の粉を試してみた中から、ベーカリーの責任者であるフィリップ・ガット(エグゼクティブ・プロダクション・ディレクター)が、『これがコティディアンらしい』と言って、選んだものです。
(カンパーニュなどに使う)ルヴァン種もその粉から作っています。
店の立ち上げ以来、ずっとつないできているので、深みが出てきていると思います。
もともとポワラーヌを目指してできたので、ヨーロッパ的なパンだと思います」

安類マネージャーは、ジェラール・ミュロや和光などでパティシエとして経験を積んだ。
自分の店を構えたときの「武器」として、パンも覚えたいと思っていたところ、ル・パン・コティディアンの日本進出の話を聞き、自ら応募したという。
ル・パン・コティディアンの一員になってから料理を担当し、その後、パンの製造もまかされるようになった。

「パンはシンプルなだけに深い部分がありますね。
ケーキ、料理もそれぞれおもしろいですが、パンは考える時間がおもしろいですね。
待つ時間が多いので。
パンには発酵の時間がある。
自家製酵母は毎日状態が違うので、そこがおもしろい。
同じようにやっているつもりでも、pHも上がりの温度もちがう」

「pHは毎日計ります。
3.7〜3.8になるように日々調整する。
捏ね上げのときは、4.2〜4.3。
パンチを入れながら、様子を見て、調整していく。
酸味のバランスを考えています。
毎日のパンなんで、酸味がそこまで主張しないように」

pHとは、無論、酸性かアルカリ性かを表す数値だ。
毎日数値を計測して、酸味をコントロールしているという例は、まだあまり聞かない。
職人の勘に頼っていた部分を数値に置き換え厳密に行うのは、全世界で同じクオリティを保つために決定的に有効だろう。

「こういうパン(ハード系のパン)がもっと広がってほしい。
噛みしめるパン。
噛み込んでいくことで、おいしさが出てくる。
硬いパンはシンプルです。
素材のシンプルさが、ル・パン・コティディアンの目指すところ。
味を強く出すことはしなくて、飽きないシンプルさがテーマ。
自家製酵母だけで、なにも入れていません。
モルトなど、省けるものは省いて省いて。
その分、作るほうはむずかしいですが」

「全体的に焼きすぎないようにしています。
日本はパンの色が黒いものが多いですね。
日本人は焼きこんだものが好きなのではないでしょうか。
フランスでパンの色はだんだん白くなっていますが、日本もそうなってくるかもしれません。
焼き色を濃くするとフィリップに怒られる(笑)。
ゴールデンブラウンが目指しているところ。
ダークブラウンじゃ駄目。
焼きすぎると水分が飛んでしまいますし。
素材の水分が十分残っているといちばん味が出せる。
焼くと香りは出るが、味は飛んじゃうと思いますね」

ゴールデンブラウンの例として、安類マネージャーは売り場に積まれたクロワッサンを示した。
日本のクロワッサンは表面を「ダークブラウン」になるまでこんがりと焼いてさくさく感を出し、一方で中身はしっとりとさせて、ぷるぷるとした食感やバター感を残す。
それはそれで日本人らしい高度で繊細な技術だ。
だが、バゲット同様に、このクロワッサンの何気なさもまた、フランスを思い起こさせる。
香りは濃く際立っているわけではないが、中まで火が通って全体に乾き、さくさくなのである。
私はクロワッサンを口にし、そしてル・パン・コティディアンのロゴ入りのカフェオレボウルが目の前にあった。
「両手をあたためながら飲むイメージです」と安類さんがいうそのボウルの中にはあたたかなカフェオレが注がれている。
普段はそんなことをしようとは思わないのに、私は自然とクロワッサンのひとちぎりをカフェオレボウルに浸していた。
クロワッサンの乾きへとコーヒーは吸い込まれていく。
バターの甘さとコーヒーの苦さが入り混じる味覚のまだら模様をかつてないほどおいしく感じた。
それはル・パン・コティディアンという、あまりにヨーロッパ的で、あまりに快適な空間にいるためにそう思ったのかもしれなかったが。

パンについての専門的な話をしていたときだ。
安類マネージャーは急に指差した。
「ほら、見てください」
指の先、ガラスの向こう側の厨房では、職人たちが笑い合いながらパンを成形していた。
「この楽しい感じがコティディアンです」
ル・パン・コティディアンでは、就業中笑いあうことが、咎められるどころか、むしろ奨励されているのだ。

「4つのコンセプトがあります。
シンプル、コミューナルテーブル、品質、そして楽しい空気感。
あまりまじめにやっててもおもしろくない。
ニューヨークでは、踊ってますからね。
女の子が踊ったら、みんなわーわー言い出す。
客席にも絶対聴こえていると思います。
日本だったら怒られてますね」

「ここで働いている人はみんな同じ気持ち。
この店が好きな人が集まってますから」

ル・パン・コティディアンのロゴ入りのTシャツを着て、ベルギーのハイセンスな家具に囲まれた空間に身を置き、アラン・クーモンによって細部までデザインされた料理と、オーガニックのパンを供する。
そのことに誇りを覚え、それが楽しさとなり、従業員を自然と笑顔にさせる。
スターバックスコーヒーにも共通するアメリカのサービスの良質な部分だ。

ル・パン・コティディアンの日本1号店=旗艦店であるこの店は芝公園内に位置し、大きな窓からは緑が見えている。
このロケーションを選んだのは、ニューヨーク・セントラルパークに隣接する店舗をイメージしてのことだったという。
日本上陸から約2年。
現在は2店舗、これをあと4年で12店舗にまで広げる計画だ。
もっと多くの日本人がル・パン・コティディアンを体験するようになる。
そうなれば、タルティーヌに象徴されるように、パンとフードがデザインされ、分ちがたく結びつき合うことが、食卓をどれだけ豊かにするか認識するだろう。
そのとき、日本人にとってのパンは、本来の意味で「コティディアン」になるはずだ。

JR山手線 浜松町駅/都営三田線 御成門駅/都営浅草線・大江戸線大門駅
東京都港区芝公園3-3-1
7:30〜22:00 (L.O.21:00)

#166
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パン オ フゥ(五反田)
160軒目(東京の200軒を巡る冒険)

高層ビルの1Fにガラス張りの店舗を構える。
ボノミーというビストロが母体となっていて、レストランスペースが併設されている。
そこでは焼きたてのパンとフランス料理を楽しむことができる。
シェフを務める荻原浩さんは、つい2年前まで、フランスで修行していた。

「この店をはじめたとき、帰ってきたばかりだったので、100%フランスそのままをやろうと思って、この店をはじめました。
製法、材料、ラインナップもハード系中心、ヴィエノワズリーも向こうにあるものをほぼ揃えて。
お客さんの要望があって変えてきてはいますけど、基本はフランスのパン屋さんです。
フランスで学んできた製法は大事にしてやってます。
パン・トラディショナル(フランスパン)はまったく同じやり方です。
長時間発酵、酵母の起し方も同じ」

日本でパティシエとして経験を積み、最初の渡仏では菓子の勉強をした。
なのに荻原シェフは、なぜ途中からパン職人を目指したのか。

「最初にフランスに行ったとき食べたパンがおいしくて。
それまで私はパンを食べなかったんですが、パンに感動したんですよ。
バゲットですよね。
1本買って1ユーロぐらい。
お金がなかったのでそればかり食べてました。
バゲットを買って、切り込みを入れて、スーパーで買ったハムとチーズをはさんで、毎日食べてました。
それぐらい好きだった。
日本に帰ってきても、そのイメージが強くて。
具が主役っていうより、パンが主役であって、シンプルで、フランスでも長年愛されている。
普遍的なおいしさ。
日本の人の口に合わないことはない」

バゲットに、ハムやチーズをはさむ。
堅く、大きすぎて、食べにくいサンドイッチを、口の中を切りそうになりながら食べる。
凝ったドレッシングを作ったり、野菜を入れたりはあまりしない。
それは日本のおにぎりのありかたに極めて似ていると、以前、単行本『パンラボ』でも書いた。
小麦(あるいは米)と具材をただ対峙させる。
それは洋の東西を越えた、主食への信頼なのだろう。
人の味覚は、結局、原点へ戻っていく。
シンプルなものがおいしい。

2階のレストランスペースでランチ(1000円)をいただく。
バゲット、チーズのパン、ドライフルーツのパン、ベーコンのパン、ブリオッシュetc。
籠に盛られたさまざまなパンはおかわり自由。
それと生ハムかチーズかを選択する。

生ハムとパン、サラダとパン。
最低限調理されただけの素材と素材を、1対1で対峙させていく。
焼きたてのパンと生ハムの組み合わせがおいしくないわけがない。
私は息も切らせずむしゃぶりつく。
技を凝らしているのではないだけに、快楽はより本能的なのだ。
荻原シェフのいう「パンが主役」の食事がここにあった。

フランスそのままをコンセプトにするこの店で、バゲットや、ルヴァン(自家製酵母種)を使ったハードパンはもっとも重視しているものだ。

「最初に勤めていたショコラティエの紹介で、そこ出身で独立した人の小さなお店を紹介してもらった(パリ14区、アレジア)。
すんなりそこに入れた。
いろいろ食べ歩いた中で、働いた店がいちばんおいしかったんですね。
クロワッサンも、フランスパンも。
その店のイメージで、バゲットも作っています。
ライ麦から起こした自家製酵母を入れています。
バゲットに自家製酵母を入れていたわけではなかったんですけど、日本で試行錯誤して味の記憶に近づけているうちに、入れるようになりました。
小麦の香りを出すというより、味の奥行きを出すというイメージで。
フランスでは、小麦がいいんで、小麦の香りがストレートに出るパンが多いですね。
日本だと思ったようにできない、味が出ない。
12、3種類は小麦粉を使っていますが、フランスパンにはフランス産の小麦粉、パン・ド・ミのようなパンには日本の小麦粉を使っています」

フランスと日本の小麦粉の差。
輸入される原料の質、挽き方、コストの問題。
フランスと同じものを日常的に原料とするのはむずかしいが、その差は、味の記憶と、技術で埋める。

バゲット・トラディション(290円)
ビスケットのような香ばしいバター感、あるいはゴマの香ばしさが、このバゲットの皮にはある。
ざくざくと大きな音を立てて皮がクラッシュする。
皮の乾きとは対照的に、中身はしっとりむちっとして、迫力ある白い味わいは皮の強さに拮抗し、濃厚で、後味に塩気を感じさせる。
ゴマのように感じさせていたセレアル感が、咀嚼し、時間が経つにつれていっそうせりあがってくる。
このバゲットは実に豊かで、個性が強い。

チョコレートにはデニッシュかブリオッシュ、あんこには菓子パン生地。
そういう組み合わせが当たり前だと思いこんでいた。
しかし、どちらにも風味の強いルヴァン生地がとても合うことは、パン オ フゥで気づいた新しい発見だった。

ムスターシュ
引きの強いハード系生地は、あんぱん界最強の噛み応え。
噛んでも噛んでも味が滲みだし、酵母はおだやかに香りつづける。
小麦の甘さがじょじょに育っていき、やがて、あんこの甘さに追いつく。
やわらかめに煮上げた甘納豆、という加減の栗あんは実にまったり。
そののどかさにおいて、自家製酵母の生地と響き合っている。

荻原さんのパン作りに、フランスという体験はどのように生きているのか。

「(勤務していたパン屋さんの最寄りの)駅前にドミニク・サブロンができて、少しお客さんがそっちに流れましたね。
でも、常連さんは、ずっと気に入ったところでしか買わない。
同じものしか買わない。
新作が出ても手を出さない。
パンのできがよくないときには『今日はよくない』と言うし、翌日よければ『今日はいいね』と言ってくれる。
お客さんが育ててくれた。
その経験がすごく大きいです。
生まれたときから、赤ちゃんの歯がためでバゲットを食べてる、その人たちの意見は参考になりましたね。
お客さんがいいパンを知っている」

単にレシピや製法を知ったのではない。
バゲットを主食として育った人たちの感覚を日本人としての感覚に刷り込ませ、内在させていく経験だった。
また、もの作りの次元においても、フランス人のおおらかさは、日本人の几帳面さと対立関係にある。

「料理人が塩を計らずにぱっと入れるように、フランス人は感覚的。
粉の袋を開けてぱっと見たときに、そのとき頭にひらめいたイメージでなにをするか決めたり。
インスピレーションみたいなもの。
決められた製法や枠の中で作るんではなく、もっと広い視野でものを作る感覚がフランスにはある」

教科書にのっている製法に、日本人は忠実、悪く言えば従順すぎるのかもしれない。
だがそれは、フランスそのもののパンをより学ぼうとした結果なのだ。
もっとおおらかで、もっと感覚的であっていい。
パン オ フゥのバゲットにある突出した個性は、そう語っているようだった。

(池田浩明)

JR山手線 五反田駅
03-5420-5404
7:30〜19:30(日曜9:00〜18:00)

#160



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ブーランジェリー ロブ(恵比寿)
159軒目(東京の200軒を巡る冒険)
シンプルな内装、シンプルなパン。
バゲットやカンパーニュ、チャバタといった食事パン、デニッシュやタルトといったベーシックなペストリーばかりが並ぶ店内はうつくしい。
渋谷川沿いの路地。
花房幸子さんがここに小さな店を構えて1ヶ月あまり。
ナイフを持ち、窯入れ直前のバゲット生地に相対し、一瞬深呼吸するように手を止めてから、思い切ったようにクープを入れはじめる。
10年以上のキャリアがあっても、それでもクープを入れるたびに、悩む。
「窯伸びすると形が変わるのでむずかしいですね。
バランスを考えて、前もって計算して、こうやったらきれいになるだろう、もっとこうすればよかった、毎日それの繰り返しです。
見た目も楽しんで、食べても楽しんでもらえればいいですね。
タルトも色とりどりに並べたり」
シンプルなパンなのに、ではない。
シンプルなパンだから、作り手のセンスは現れ出る。
見た目しかり、微妙な甘さの感覚にも。
ローブのパンはどれも甘さ控えめだが、物足りなくはない。
甘さを空気のようにまとわせている。
クロワッサン(180円)
バターと香ばしさがバランスよく入り混じるこの香りがクロワッサンの醍醐味だと再確認する。
噛むと、なめらかに沈んでいく。
そしてかさかさと音を立てすぐに崩れる。
ウェルメイドなクロワッサンの基準をすべて満たす。
個性は強くきかせた塩にある。
塩に導きかれ、淡い甘さが引き立てられる。
がゆえに、余韻の印象はいっそう強まり、甘さではなく、香ばしい空気が口の中に満ちている。
「クロワッサンの塩は、ぎりぎりの加減です。
オープン前に手伝いにきてくれた根本さん(ネモ ベーカリー&カフェ)が、塩を足してくれた。
ちょっと味がぼやけていたので。
これ以上多いと、人によっては味が濃いと思うだろうし、これ以上少ないと、食べ飽きちゃう」
確かに、パン好きの間では名高いネモ ベーカリーのクロワッサンに似てはいて、そこに女性らしい軽やかさという新しい個性がさりげなく付け加えられている。
「オーバカナルの頃から根本さんの下でずっとやってきました。
根本さんに会ってなかったら、パン職人はつづけてなかった。
何回やめようかと思ったかわかりません。
職人になりたかったわけではなく、バゲットとクロワッサンが作れるようになりたかっただけなので(笑)」
花房さんは、竹下通りの角にあった往事のオーバカナルに惹かれ、パン職人になった。
そして、根本シェフの独立とともに、ネモベーカリーに入った。
「根本さんは、すごく厳しかった。
その代わり、私が失敗してもできるまでフォローしてくれる。
いまでも覚えているのは、ぺーぺーのとき教わった、カスタードの炊きかた。
できなくて、残ってやっていました。
力がないから、火の加減とか、勝手にやりやすいようにやってた。
「おまえ、できないのに変えてんじゃねーよ」。
職人的な手順もちゃんとやってかないとできない。
ルセットを見ただけじゃわからない、細かいところが大事だと、根本さんには教わった」
10年以上の修行期間を経て、やっと表現できる個性がある。
レシピや材料が大きく変わっているのではなく、心地よい甘さが引き出されていたり、繊細な食感があったり。
それがロブの魅力である。
バゲット(260円)
漂う甘い酵母の香り。
それがパンを噛むと、かりっと快い音とともに、香ばしさに塗り変えられ、やがて塩気によって持ち上げられる甘さがやってくる。
塩気はさっぱりと乾き、うまみともしょっぱさとも感じられながら後を引き、すばらしい印象とともに口から鼻孔まで満たす。
パンが溶けたあとも、消え残った小麦の甘さ、香ばしさ、酵母の香りが少しずつ残って、渾然一体となる。
小麦、香ばしさ、発酵の香り、どれにも傾かないバランスが爽快である。
バゲットのやさしい甘さは国産小麦ならではのものだ。
それは花房シェフの作り出すパンの個性とも似合っている。
「春よ恋の全粒粉を使っています。
そのおかげじゃないでしょうかね。
香りがいいんです。
北海道に遊びに行って紹介してもらった農家さんに、おみやげにもらった。
それで作ったらすごくおいしくて。
絶対作りたいなって思いました。
自家製酵母をベースにして、一晩冷蔵発酵。
イーストはちょっとだけ」
菓子パンや総菜パンではなく、シンプルなパンを基本に据える。
パンのあるべき姿を追い求める志があるからだ。
「パンはお菓子だって思われている。
それを食事パンにもっていきたい。
ハードパンを食べやすくしたい。
晩ごはんに食べていただけるように」
生ハムとルッコラのサンドイッチ(400円)
ローズマリーが甘い。
このチャバタをそう感じさせるのは、生地の甘さとの巧みなバランスによってだ。
たくさんの水分を吸った中身のやわらかさと、鎧のような、かさかさした皮とのコントラストが意表を突く。
オイルによって引き出された甘さが、ローズマリーとオリーブの香りが加わって、上品でさわやかなものになっている。
塩気が痛快で、肉から肉味がとろけ、スモークの香りに色気がある生ハムが、このチャバタにのっかっただけでなにもいうことはない。
唾を飲み込むたびに、喉に肉汁が滴ってあっという。
チャバタの表面を走る線がストライプになっていて、いかにもイタリアの街角で売られているようなそっけなさだった。
「イタリア人だったらこれぐらい適当に作ってるんじゃないかな。
生地を縮めて伸ばしてばんとなって、こんな感じなのかな。
本で読んだり、見たり、想像で。
いまはyoutubeでもいろいろ見れますし」
製法を尋ねると、花房シェフは「適当に」という言葉を何度も使う。
「こんなので取材になりますかね?」と心配しながら、「適当に」と言う。
水加減、発酵時間、ミキシング。
繊細な「適当」がロブの味を作る。
「とくに発酵の加減は大事にしていますね。
完璧にできた日、1度もない。
お客さんにせかされても、発酵は取ります(笑)。
妥協しちゃうと、焼き上がって「あーあ」となっちゃうので、時間に余裕がある限りは生地がちゃんと発酵するまで待つようにしています」
「自分でやったら本当にむずかしいな」
悩みながら、自分の店を持ったよろこびを実感する日々だ。
「いまはお客さんとの距離が近いので、お客さに尋ねられても説明しやすい。
お客さんと話ができるのがいちばん楽しいですね。
子供が「おいしい」と言ってくれたり」
「大震災のあとで、私が作ったパンを友達が東北に持ってってくれたり。
自己満足なんですが、役に立てたな。
怒られて涙流したのがやっと報われたな。
私、泣き虫なんで」
(池田浩明)
JR山手線 恵比寿駅
03-6721-6822
8:30〜19:30
日曜休み
*ブーランジェリーロブ+パンラボ
200(JR山手線) comments(2) trackbacks(1)
ゴントラン・シェリエ東京(渋谷)
156軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ゴントラン・シェリエとは何者か?
フランスでは、まずレシピ本で成功を収めたあと、端正なマスクも手伝い、テレビの料理番組への出演で広く知られることとなった。
ハイセンスなブーランジュリーをモンマルトル近くに出店、たちまち有名店となり、パリ・バゲットコンクールでも4位入賞を果たしている。
若さ、美貌、実力。

そのゴントラン・シェリエが、8月28日渋谷駅前に登場する。
ヴィロン、そして目と鼻の先にジョエル・ロブション。
フランス発の名店が居並ぶこの街に、新世代のブーランジュリーが殴り込んできた。

ゴントラン・シェリエの華やかさ。
バゲットにカンパーニュ、クロワッサン…モノクロームなパン・トラディショネルで満ちるフランスのパン屋に、ゴントランは革新をもたらした。
彼のブーランジュリーは色彩に満ちている。
フルーツをのせたデニッシュはいうに及ばず、野菜をのせたタルト。
バゲットさえ彼の手にかかるとカレーパウダーやイカスミを混ぜ込まれ、イエローやブラックに変貌し、バンズに至っては6色ものカラーバリエーションがある。
その革新性はどこからやってくるのか。
東京店の商品を試作するために来日したゴントラン・シェリエ本人に話を聞いた。

「修業時代、ガストロノミーのレストラン(アルページュやルカ・カールトンなどの三ツ星レストラン)に入ったことで、パン屋で経験していた以外の食材と出会いました。
また、料理などパンを作ること以外にも積極的に興味を持ってきました。
だから、ベースとなるバゲット、フォカッチャ、タルトなどの生地に新しい食材を入れることは、自然の成り行きでした。
旅も好きだし、食べることも好き。
そこで発見した自分の好きなものを、いろんな人と共有したいと思って、パンに入れました。
トラディショナルなものに、新しいものをプラスすることで、クリエーションが生まれ、もっと『セクシー』な表現になります。
パン屋としてあえて個性を出したのではなく、自分の個性がそのままパン屋になった。
いまのフランスに同じようなムーブメントがあるとしたら、私もその一人かもしれませんが、自分ではそうなろうと意識してません。
世界中の食材やスパイスを使って、サンドイッチだけではなく、ヴィエノワズリー(甘くリッチなパン)まで作ったパン職人はあまり多くないと思います」

ゴントランはフランスでの修行を終えたあと、東欧やモロッコ、アジアなどをまわり、パンの技術指導を行っていた。
そのとき現地で出会ったさまざまなスパイスや食材をパンに入れていくことで、新しいパンをクリエイションしたのだ。
あるいは、前述のバンズならば、赤はパプリカ、ブラウンは糖蜜にコリアンダー、緑はほうれんそうにひまわりの種という具合。
たとえば、黒のバンズにはイカスミとニジェールの種が練り込まれているが、イカスミにある潮の香りがする黒のバンズならば中にサンドする具材は魚介類があう。
この6色のバンズは、色彩やそれぞれの風味からさまざまなサンドイッチを発想できる。

ゴントラン・シェリエは、東京進出に本気で取り組んでいる。
系列店は、2012年中にパリで3店舗、シンガポールで2店舗に増える予定で、彼は多忙を極めているはずだったが、何度も来日して、日本の素材と格闘していた。

「自分の物差し、信念は揺るがないものなので、自分の店で出すメニューを自分でできないのであれば、やる意味がありません。
新しいものをクリエーションすることだけが、意味のあることです。
日本のスタッフと何度も試作を行いました。
指示をして、味見をして、発見して、修正して、感化され…コミュニケーションでなにかを生み出していく楽しみを感じています」

日本側のスタッフとゴントラン・シェリエとのコラボレーションはこのように行われた。
来日したゴントランに、日本スタッフが次々と和素材をぶつけていく。
それをゴントランが新しいパンに仕立てていくのだ。

ゴントラン・シェリエの日本でのパートナーである、ベイクルーズのスタッフは言う。
「今回、パリの店で出しているのとほぼ同じ『パリのパン』に加えて、日本の素材を使った『東京のパン』をゴントランさんに作っていただきました。
白あん、わかめ、のり、さくらの葉、日向夏、デコポン、よもぎ…。
積極的にいろいろな素材を見せると、その途端にこれはなににしましょうとアイデアが出てくる」

たとえば、うぐいす豆リュスティックができあがった経緯をゴントランはこう振り返る。
「日本のスタッフから提案があったメニューです。
実際に作られたものを食べてみて、そこにミントを入れることを思いつきました。
ミントが入って、ゴントランのパンが完成しました」

うぐいす豆リュスティック(140円)
むっちりと歯ごたえを感じ、ねっとりと溶け、クリーム色の小麦の味わいが豊かにあふれる。
食感とも、味わいとも、うぐいす豆という和の食材のやさしさはよく合っている。
そこへミントの清涼感のサプライズ。
うぐいす豆のまったり感という予定調和に揺さぶりをかけ、ダイナミズムを与える。

「ゴントランのパン」と彼が呼ぶもの、それは前述した「セクシー」という言葉とセットのように思われる。
セクシーな驚きなくして、自分のパンとはいえないと、ゴントランは考えているのだろう。
彼の操るさまざまなスパイスはそのための武器なのだ。

けれども、ゴントランがパン・トラディショネル(伝統的なフランスパン)をないがしろにしているのかといえば、そうではない。
斬新なアイデアが可能になるのも、おいしいパンがあってこそだ。
パンを作る上でいちばん大事なのは、ボン・ファリーヌ(いい小麦粉)だと、ゴントランは強調する。

「いい小麦粉を、適切な時間で熟成させ、適切な時間で焼くこと。
イーストを抑え、ルヴァンリキッド(液体の自家製酵母)やポーリッシュ(前日に作る水分の多い種)を多めにすること。
イーストが多いと乾きやすく、風味も悪くなります」

パリの店で、BIOの小麦粉や近隣の農家から届いた野菜を使ってパンを作るように、彼は素材を重視する。
だが、フランスと日本では、素材の味にちがいがある。
日本の食材は彼の要求に応えるものだったのか。

「日本にいい食材がいっぱいあったのは幸いでした。
バターや、牛乳、タマゴ、イースト…。
なかにはパリよりもいいものもありました。
試作をはじめた日、まず小麦粉とバターを選んで、クロワッサンとパン・オ・ショコラを作りました。
ほんのちょっとの修正をするだけで、自分の味にたどりつくことができました。
それは私にとっても驚きでした。
日本の素材は悪くないと確信できた」

クロワッサン(180円)
皮の香ばしさが深く、心地よい。
バターの甘さがなんともいえない。
それをよく保存した中心の白い部分から、外皮の焦がしたバターの風味へのグラデーション。
甘さと香ばしさの溶け合いがめくるめくようで、果てしない気持ちにさせる。
皮1枚1枚の分厚さは、見た目の大胆なうつくしさにもつながっている。
分厚さゆえにそれをまとめて噛み破る瞬間の歯ごたえはたとえようがないほど快楽に満ちている。
繊細な薄皮のクロワッサンとはまったく異なる魅力を放つ。

フランス産の小麦粉でなければ本当のバゲットではないという主張がある。
ゴントラン・シェリエは、それに同意しない。
東京店で出すバゲットには、北海道産小麦も使用している。

「バゲットにも日本の素材を使い。パリと同じようなテクニック(長時間発酵)で作ったら、満足するできあがりになりました。
フランスのバゲット・トラディションとまったく同じものが東京で食べたいのだったら、フランスの小麦を持ってきて作ればいいだけのことで、必要性があるなら作ることに異議はありません。
でも、日本でせっかく出会ったもの、いいものは使わない手はない。
出会いが好きだし、試作するのも好きなので、日本のものを使ってみたいという欲求が生まれました。
日本では消費者のいろいろなニーズがあるために、小麦粉も、たんぱく量や、その他キャラクターのちがうヴァリエーションがいっぱいあるのは、大きな魅力でした。
しかも、レベルも悪くないので、選択の幅はとても大きいと思います。
自分の好きな質感になりそうなもののいくつかで試作し、その中でもっとも味や食感のいいものを選択しました」

現地で使われているフランス産小麦に、日本の小麦は劣っているという先入観が日本にはあると私は思っていただけに、彼のこの見解には勇気づけられた。
フランスパン、ドイツパン、アメリカ、日本風…日本の消費者ほどめまぐるしくさまざまなパンを食べる人種はいない。
それに応えるだけの商品ラインナップが、日本人特有の繊細な手つきによって供給されているという点では、むしろフランスに優っている。
豊富な素材、さまざまなパンを食べ、舌の肥えた消費者。
ゴントランはそれをリスペクトしながら、東京という新たな土俵で、パリとはちがう方法で勝負しようとしている。

ピサラディエール(300円)
オリーブ・ニソワーズ(ニース風)を使った、南仏プロヴァンスのご当地パン。
オリーブとアンチョビの濃厚な香りがフランスの港町を彷佛とさせる。
バゲット生地を薄く伸ばしたピッツアには油が滲みこんで、やわらかい。
そこに塗られたアンチョビソースは、まろやかさとコクを与え、炒めたタマネギがその上に敷き詰められ、生地とともにすばらしい甘さで口溶ける。
特に、オリーブの粒と、サーディン・フュメ(いわしの薫製)をいっしょに口にしたとき、塩と甘さ、香気があきれるほど口の中に満ちる。
塩気と甘さを拮抗させ、際立たせるバランスは、日本のパン屋ではあまり出会わない、まぎれもないフランス人のセンスだ。

ゴントラン・シェリエと渋谷を歩いた。
5分ほどの道のりだったが、フレンドリーな人柄は十分に伝わってきた。
公園通りの裏にある事務所を出ると、停まっていたハーレーのような改造大型バイクを目にし、i-phoneで写真を撮った。
渋谷の街は彼にとって刺激に満ちているようで、道の両側をくまなく占拠するファッション関係のブティックに興味を魅かれていると言った。
東京のパン屋もかなり回っていて、レベルの高さを感じている様子だ。
シニフィアン・シニフィエに驚き、 いちばん気に入ったのはL'atelier COCCOという女性店主の営む小さな店だという。

彼の到着を待ち受けていた東京店の厨房には緊張感がみなぎっていた。
これから試作がはじまるのだ。
すぐ使えるよう切りそろえられた食材や調味料が作業台を埋め尽くすように並べられ、スタッフがまわりを取り囲んでいる。
ゴントランの目つきが変わる。
コックコートに着替えるのもそこそこにトライアルをはじめた彼の一挙手一投足を、たくさんの人たちが静かに見つめている。

まず、緑色のバンズにタプナードを盛ったサンドイッチを取り上げた。
ゴントランにはそれがぴんとこない様子で、いろいろ考えた末、タプナードをすべて取り除いた。
アボカドを持ってくるよう指示し、自分でそれを潰してワカモレ(メキシコのアボカドソース)を作りはじめた。
ほうれんそうを混ぜこんだ緑色のバンズには、同じ緑のアボカドがふさわしいと考えたようだ。
そして、タッパーに入っていたキュウリの細切りを取り上げ、一口味見をした。
もう一種類別のタッパーには輪切りも入っていたが、それも気に入らず、ナイフを持ってこさせて自分で切りはじめた。
ごく薄く、1mmぐらいの厚さで、丁寧に刻む。
ゴントランはそれをワカモレの上へ1枚1枚敷き詰めるように並べていった。
うつくしい仕事だった。

サンドイッチである以上、それは食べる人の目に決して触れない。
だが、キュウリのぱりっと弾けるような食感は、その仕事を知らない誰にとっても快感であるはずだ。
アボカドのさわやかさ、バンズに練り込まれた黒胡椒とそれは響きあうだろう。
サンドイッチが「セクシー」となる瞬間だった。(池田浩明

JR山手線/京王井の頭線/東京メトロ銀座線・半蔵門線/東急東横線・田園都市線 渋谷駅
03-6418-9581
7:30〜21:00(1F)
11:00〜23:00(2F)



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#156
200(JR山手線) comments(2) trackbacks(0)
ル パン ドゥ ジョエル・ロブション(渋谷)、ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション(恵比寿)
148軒目(東京の200軒を巡る冒険)

「圧倒的に輝いていました。
なんでこんなにおいしいんだろう。
僕にはわからなかった。
バゲット、カンパーニュ、クロワッサン…。
まったく他の店とは別物で、輝いていた」

15年前、26歳の若いパン職人は眩さに目を細め、タイユヴァン・ロブション(当時)を見た。
(決して誇張ではなく、私の目にもそのように映っていた。)
山口哲也シェフは50倍の難関をくぐり抜け、ロブションの厨房に入った。
そして、それまで自分が働いてきた店との製法のちがいに愕然とした。

「作り方自体がすごかった。
人間ではなく、生地の都合に合わせて、すべての作業が組み立てられていました。
丸め(生地を丸める基本的な作業)ひとつとってもちがっていた。
それまで勤めていた店では、多少雑にやってもどうにか形になるパン(副材料の多い生地)しか作っていなかった。
本格的なハードパンははじめてでした。
ひとつひとつ丁寧にしないと、仕上がりが変わってくる。
ロブションに入って、食パンの丸めがこんなにむずかしかったことに気づいて、びっくりした。
食パンって、ミキシングのときしっかり回して生地を作ってから、そのあとの作業をしやすくするものだと思っていました。
ここでは、ミキシングを短めにして、そのあとの各段階で、じょじょに生地を持ち上げていく。
だから、技術がないと切れちゃって、そうなると生地を長い時間休ませないと回復しない。
それで食パンの甘みが左右される」

ミキシングすれば小麦が本来持っている味わいは失われてしまう。
よくミキシングしなければパンをふくらませることはむずかしい。
矛盾する2つの命題の両方に解答を与えられるのは、卓越した技術によってでしかない。

「フランスパンも同じことで、混ぜすぎると酸化しちゃって、粉の甘みが飛んじゃう。
バゲットの生地も吸水量が多くて、まったく成形できませんでした。
締まらないというか、張りを持たせることができなくて。
他の人がやったものはきちんとしてるのに、僕のやったものはぺたんとしてしまう」

初代シェフである金林達郎氏(前帝国ホテル・ベーカリー課長)から渡されたバトンを、後にスターシェフとなるパン職人たちが引き継いできた。
それがロブションの伝統である。

「仕事を習ったのが、須藤秀男さん(ブーランジェリー スドウ)、竹内哲也さん(アンシャンテ)。
竹内さんは厳しい方だった。
生地を見て仕事をしなさいと教わった。
生地のことを考える方なので、折り込み(デニッシュ生地を作るときの折る作業)も成形もとにかく丁寧です。
手で触っただけで生地の状態がわかるぐらい、感覚で覚えちゃってる」

「なんでこんなにおいしいんだろう」。
山口シェフが追い求めたロブションの秘密とは、実にシンプルなことだった。

「ひとつひとつをいかに丁寧に、いかに正しく作るかに尽きる。
その積み重ね。
材料がどうとかいうことより、ひとつひとつを正確にできているかどうかによって、差ができてしまうんだと思います。
その影響はいちばん大きい。
当たり前のことを当たり前にやってって、特別になっていく。
普通のことを普通にやっていけば、特別に変わっていく。
特別な製法とか、特別な材料とか、粉にこだわりを持つこともときには必要ですが、ベーシックな部分を考えると、正確さの積み重ねが大事。
特別な粉を使ったとしても、ひとつの工程ができていなかったら、仕上がりが平凡になってしまう。
普通のことを積み重ねるしかない」

山口さんは、ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブションの店頭に並べるパンを作る一方、シャトーレストラン ジョエル・ロブションで料理とともに供されるパンも担当する。
つまり、ミシュラン三ツ星評価をブーランジェの立場から支えている。
ジョエル・ロブションのように、感動の中心にパンを置こうとしているレストランはあまりない。
たとえば、ガストロノミー ジョエル・ロブションでは、食事のはじめに、パンを満載した圧巻のワゴンが登場する。
パンオレ、クロワッサン、カンパーニュ…ありとあらゆるパンから好きなものを選び、好きなだけ食べられるという夢のような瞬間が訪れる。

「レストランのパンに関していうと、レストランのシェフと相談して決めるのが大前提。
三ツ星だという意識は、プレッシャーでも、やりがいでも、楽しみでもありますが、そこに気を取られたくない。
こういう料理には、こういうパンが合うな。
こういうパンを作ってみたいんですけど、こう合わせられたらいいね。
提案して、それがサンドイッチになったり。
得られる情報は僕にとってかけがえのないものです」

最高の素材を使い、最高の料理人と渡り合う経験は、他のパン職人が熱望しても決して得られないものだ。
ジョエル・ロブション本人とも、刺激を与えあい、コラボレーションを行う。

「ロブションさんが日本にきたとき、ガラディナー(夕食パーティ)を必ず行うんですが、そのとき出せる最高の料理を出す。
アミューズでなにか出してほしいと、ロブションさんにお題を出される。
クグロフを小さいサイズで作って、バジルオリーブ、トマト、コンテチーズ、タマネギ、いろいろなものを組み合わせたサレ(塩味の発酵菓子)。
トリュフを使ったパン。
そこから派生して、セップ茸を使ったブリオッシュ。
カンパーニュみたいな生地のパンドミ。
サフランを入れてマーブル状に仕上げたパンを作ったり。
ルヴァン(自家製酵母生地)で作ったクルトンを魚にまぶして、パン粉替わりにしてポワレ(フライパンで焼くこと)して。
海藻を入れたフォカッチャ生地でバンズを作ってハンバーガーとか。
レストランの中にちゃんとしたパン部門があるからできること。
僕らの使命でもありますから。
買ってきたパンを出したりすることとはちがいます」

パンから発想して、新しい料理が生まれる。
反対に、食材のインスピレーションから、新たなパンが生まれる。
ひとつの皿の中に、パン職人と料理人が息を合わせた、最高の仕事が共存する。
そんな離れ業を演じることができるのは、フランス本国にもないパン屋ブティックがある東京のロブションだからだ。

「たとえば、アンチョビのプティ クロワッサンにしても、アンチョビペーストとグリュイエルチーズという組み合わせを考えていました。
『バジルも合わせたら』といったのはロブションさんでした。
さわやかさが加わり、締まりも出ました。
そういうのはさすがだなと思います」

プティ クロワッサン(アンチョビ)(105円)
海の塩の力がすべての味わいをぐらぐらと揺らし、強め、とろけさせる。
小麦の白い味わいにはじまって、アンチョビ、チーズ、バジルが溶けだして、どんどん強まる。
クロワッサンのバターがそれらすべてをまとめあげる。
癖の強いアンチョビを存分に味わいながらも、後味がさわやかなのは、バジルが舌に残っているからだ。
チーズ・アンチョビというコクに対して、バジルが刺激の反対色としてバランスを取る。

「アンチョビのプティクロワッサンは、砂糖を少なくして、パイっぽく、白く焼き上げています。
このクロワッサンは特にそうですが、全体にクロワッサンは白っぽく焼くようにいわれています。
フランス人の感覚からいうと、日本のクロワッサンは焼きすぎに思える。
あまり焼かないせいで、バターの風味が飛ばずに残る」
ロブションのクロワッサンは他の店と比べて際立って「香ばしい」と思っていたのだが、秘密の一端がこの言葉で解けた。

ジョエル・ロブション本人は、パンについて、特に日本のパンの状況をどのように考えているのか。

「フランスのブーランジェリーとは異なる、日本のパンに興味を持っている。
世界各地に出店して、各地をまわられて、柔軟な考えを持つようになった。
フランスのブーランジェリーにないパンはだめ、という考えはなくて、『カレーパンやってみれば』といわれて、えっ、やっていいの? と思った(笑)。
レストランのシェフがカレーフィリングを考えてくれました。
濱田家の豆パンを食べておもしろがったり。
アメリカでもラスベガスを視察したときに、ブリオッシュ生地にジャムをマーブル状に混ぜたパンを見て、『こういうのやってみればいいじゃん』と」

「『小豆をやりなさい』
といわれて、試作しました。
最初は黒豆ときなこにカシューナッツを合わせてたら、
『バターピーナッツに変えてみたら?』
格段においしくなった。
そういう素材のコンビネーションというか、感覚的なものはおもしろいと思います。
フランス人はパン生地になにかを練り込むことを想像できない。
食事パンがメインの国なので。
この店には、レストランのシェフも、サービスにもフランス人がいる。
そういう人の考えを吸い取って、僕たちのほうから提案していくことが求められています。
僕が新しいパンを作って持っていくと、提案が返ってきて、掛け合いをして、できていく」

ロブションの厨房では、伝統と革新がせめぎ合い、フランス人のセンスと、日本人の繊細さが切磋琢磨する。
世界に類を見ないほどあらゆるパンを受け入れる日本という土地で、フランスパンの桎梏は解き放たれる。
ロブション本人もそれを楽しみ、パンの実験室だと考えているのだろう。

柔軟な発想を持つ一方で、守るべき一線もある。
「フランスパン、特にカンパーニュ、バゲットにはこだわりをお持ちで、絶対譲らない。
きたときは毎日チェックする」

バゲット ロブション プチ(105円)
「味わいの強さと、広がりが同時にある。
一瞬、他のバゲットが置いていかれるほどに」
と、並みいる名店のバゲットと食べ比べたときのメモに私は書いている。
そのインパクトは、もう15年も前、レストラン ジョエル・ロブションで料理の横に置かれたこのパンを食べたときと変わることがない。
二重の衝撃である。
つまり、バターを塗ったかのようにきらめき、ぬめる味わい、ナッツのように硬い皮といった、パン自体に対する衝撃。
これだけ個性の強いパンを食事に合わせ、また合ってしまうということ。
この皮にワインは滲みこむことなく、休まずあふれだす濃厚な風味は、ボルドーのような重い赤とも拮抗する。

「コンセプトや形はロブションさんのオリジナルですが、作り方は金林さん(初代シェフ)のルセット(レシピ)を基本にアレンジしてきました。
最初に食べたときは僕も衝撃を受けましたね。
ロブションさんにプチバゲットの位置づけを聞いたところ、箸休めだと言っていました」

フランスの有名店の名前を冠したパン屋が次々とやってくる。
ときには、度をすぎた商業主義が私を失望させることもある。
ロブションでそうした思いを味わったことは一度もない。
どんな新商品も期待の地平を必ず超えてきた。

「商売として成り立たないといけないけど、そのために変にぶれたくない。
いちばん大事なのは質なのかな。
そこでぶれなければうちのブランドは守られる。
フランスを必要以上に意識しなくてもいいんだと思います。
ロブションさん自身、『これはやっちゃだめ』というのはなく、おもしろいことをやりたがっています」

そしてこの4月、ロブションはヒカリエに進出し大きな話題をさらった。

ヒカリエ(小630円 大1575円)
個性的な酵母の香りと洋酒の香りが危険にからみあい豊潤に立ち上る。
パンの形によく固まったものだと思えるぎりぎりの加水で、切り分けただけで崩壊寸前となる。
歯にからみ、舌に吸い付くようなねっとり感と、マカロナージュ(マカロンのコーティング)した表面のかりかりの対称。
卵色の夜空に浮かぶクランベリー、オレンジピール、ピスタチオが「ヒカリ」を放ち、ありとあらゆる果実とマリアージュを繰り広げる自家製酵母ブリオッシュの奥深さを祝福する。
甘いパンでさえ、作り手の手腕によって、酵母のインパクトが具材をおいしくするのだ。

加熱した報道が、たくさんの人びとに行列を作らせ、売り場からパンが払底した。
それでも、ロブションはロブションでありつづけた。
信じられない数のパンを作りながら、「圧倒的な輝き」は変わらなかったのだ。
山口シェフは、買い物客に迷惑をかけたことは詫びながら、自身の予想をはるかに上回るパニックを乗り切りったスタッフを讃えた。

「みんなよくがんばった。
チームワークで思っていた以上の力を出してくれました」

ハイクオリティをあらゆる人へ届ける。
大行列という目立つ現象の裏で気づきにくいことだが、そこにも山口シェフとロブションの挑戦があった。

(池田浩明)

JR山手線/東急東横線・田園都市線/東京メトロ銀座線・半蔵門線 渋谷駅
03-6434-1901
10:00〜21:00
不定休(ヒカリエに準じる)

JR山手線/東京メトロ日比谷線 渋谷駅
03-5424-1345
9:30〜20:00

#148





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#148
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プルクル(代々木)
140軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ある日、藤沢市にあるプルクワに、ミュージシャン小林武史氏が訪ねてきた。
彼が構想した空間、代々木ビレッジに出店しないかというオファーを携えて。
プルクワと、小林武史氏のプロジェクトkurkkuはコラボし、プルクルというパン屋ができあがった。
シェフは藤田麻衣さん。
オーナーシェフの神田淳さんのもとプルクワで3年にわたってパンを焼いてきた。

「プルクワは、できるだけ体にやさしい材料で、製法にもこだわりをもって作っています。
天然酵母と少量のイーストを使って低温長時間発酵させて味をしっかり出しています。
プルクルでも新しいものを取り入れていますが、プルクワの元の部分はぶれないように心がけています」

プルクワのオリジナルに、藤田さんが得意とする焼き菓子や、ほんのり甘い豆乳はちみつパンなどを加えて、プルクルはできあがった。

シナモンロール(190円)
フィンランドの元祖シナモンロール、プッラに似ている。
口にすれば、シナモンの香り、卵の香りがふんわり広がる。
やわらかくふにっとしたお菓子っぽい噛みごたえがあって、やさしい甘さがじわっと溶けて、やがて出会うアーモンドクリームと交錯してコクを加え、ひりひりと強まりながら舌に滲み入ってくる快さで、心は虚ろになる。
アーモンドクリームが生地からはみだしたところは、かりかりしゅわっと溶ける。

「プルクワの神田シェフは新しいものを取り入れていく方です。
おいしいものならなんでも取り入れる柔軟さがあり、商品はバラエティー豊か」

プルクワ=プルクルの新しさ、石窯オーブン。
フランスパンやデニッシュなどきっちり仕上げたいパンには普通の電気オーブン、フォカッチャやパニーニなどイタリア系のパンや、もちっとさせたいベーグルには石窯オーブン、と使い分ける。
石窯に入れたパンは、点々とついた焦げ目で、すぐそれとわかる。
プルクルの焦げは苦くない。
さわやかに香ばしい。

「石窯オーブンだと、普通のオーブンとはできあがりはまったくちがいます。
石窯だと高温なので、焦げた部分も焼きすぎじゃなくて、香ばしさだけが残って苦くない。
一瞬で焼き上がるので、水分が閉じこめられる。
まわりをぱりっとさせて、中をもちもちにします」

石窯ホットドッグ(330円)
豊かに肉汁あふれるソーセージが、ロースト感によってさらに味わいを深くしている。
焦げた部分が生地に滲みこんだオリーブオイルの風味と直結して、甘さとして感じられる。
この感覚は石窯で焼くピッツァ=フォカッチャ系パンならではの至福だと思った。
ザワークラウトの酸味、ソーセージ、パンの三位一体。
具材の味わいが、小麦味のふくよかさと出会ってやわらかくなり、また具材の味わいゆえにより小麦味を甘く感じるという、幸福な関係が結ばれている。

自家製酵母を使用している店だが間口は広い。
酵母ならではの味わいのふくらみがあって、しかも食感に硬さや尖りがなく、口溶けもスムーズ。
あらゆるパンにやさしさがある。

「天然酵母だけだと酸味が強くなるので、イーストもちょっとだけ入れて、両方のいいところを引き出しています。
天然酵母は硬くなりがちなので、そこを食べやすくするのがイーストだと。
ハード系だと、手が出にくいものもありますよね。
日本人にはむずかしい。
毎日の食事に合うもの。
地元の方によろこんでいただけるような、毎日食べられるものを心がけています」

パニーニ(350円)
手に取るとあたたかかった。
それはなんと幸福なことだろう。
それはパンの表面をさくさくにし、チーズをとろかし、生地をやわらかに、風味をより軽やかに広がらせ、小麦味をふくらませる。
炎の香りは石窯ならではのもの。
トマトの甘酸っぱさ、生ハム、バジルの香りは、生地をふにゃふにゃにしてしまうほど豊潤な果汁と肉汁を通じてパンに移りこんでいる。
これでなくてはならない、という厳密なマリアージュではなく、ゆるやかだけれど、すべては共振している。
素朴ゆえの幸福感。

プルクルで買ったパンのほとんどがほのあたたかかった。
驚異的な焼きたて率は、たゆまぬ心配りによるものだ。

「奥さん(神田晴美さん)が、接客に関してもすごく勉強になりました。
地元の方との交流がすごくあって、接し方がすごくよくて。
その姿を見て、プルクワに入りました。
明るくて、心配りをすごくしている。
たとえば、なるべく焼きたてをお出しすること。
前の回の分を下げて、新しいものを出したり。
すぐ食べるお客さまには、『あたため直しますか?』とお尋ねしたり。
焼きたてにこだわっています。
あるいは、どなたかへのおみやげにする方には、『お包みしましょうか?』と声をかけたり。
お客さまひとりひとりに対して尽くす。
忙しいからといって手を抜かずに、ひとりひとりに対してじっくり接客する」

プルクルを出たあと気づいた。
東京というぎすぎすした都市にあって、この店の中だけが、ゆるく、ふわふわしていたことに。
パンがやさしい。
女性スタッフばかりのせいもあって、人がやさしい。
代々木に出現したこの新しい空間に与えられたビレッジという名に、プルクルはふさわしいのだった。


JR山手線 代々木駅
03-6300-5390
8:00〜20:00

#140

パンラボ単行本発売しました。


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#140
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バインミー☆サンドイッチ(高田馬場)
131軒目(東京の200軒を巡る冒険)

早稲田通りから一本入った裏路地。
赤と黄のにぎにぎしい外観が、高田馬場の猥雑さによく似合っている。
それはアジアの情熱とパワーの色だ。
バゲット丸々の中に豪快にはさんだ肉と野菜を噛み破る。
甘酸っぱさと、南国の調味料の香り。
突風のようなバインミーの衝撃は、南洋からやってきた台風のようだ。

木坂幸子さんは日本初のバインミーサンドイッチ専門店を約2年前に開店した。
「出会ったのは、6年前、カナダに留学してたときです。
カナダはベトナムからの移民がとても多い国。
各都市の中華街に、ベトナム・サンドイッチの専門店がある。
私のいたカルガリーにも3、4店舗。
バンクーバー、モントリオールにもありました。
おいしくて、週3回ぐらい食べてましたね(笑)。
3ドル(当時のレートで約250円)ぐらい。
安いんですよ。
日本に帰ってきて、食べたいと思っても売ってない。
それなら私が作りたいって思いました」

西を目指して歩きつづけていたつもりが、たどりついたのは東南。
バインミーとの出会いは運命的だった。
「18歳からパン職人を目指していて。
カナダに留学したのは、ベーグル屋さんをやりたかったからなんです。
ニューヨークで修行してベーグル屋さんを開くのが夢で、それで英語を習うために留学したんですが、日本に帰ってきたら、ベーグル屋さんがやけに増えてた(笑)。
いまさらやってもなーって。
バインミーの専門店ないから、私がやらなきゃ」

すかすかさが気持ちいいバゲット。
中身はひと噛みで小さくなって、すぐ溶けて。
リーンゆえに、自らは主張せず、肉汁やソースを吸って、じわっと発散させる。
それにしても、皮が極薄でかりかりぱりぱりなこと。
微細な破片に分裂していくような、くしゃくしゃ感で中身をくるんでいる。
閉店したベーグル店で譲り受けたという、アメリカ製のベルトコンベア式のトースターで注文を受けてから焼き直すことも、このぱりぱり感の秘訣。
「これが壊れたらどうしようかと思います」

ベトナムハム&レバーペースト(500円)
レバー特有のコクが、ペースト状になっていることで、より舌に滲みこんでもわーんと口中に広がる。
その過剰なインパクトを、なます(酢漬けの千切り野菜)がすぐさま酸味で中和する。
バゲットとこの具材の組み合わせは、パテのサンドイッチを食べているようで、フランスぽくもあり、けれどアジアンで、どこでもない不思議な感覚に誘われる。

海老&アボカド(ハーフサイズ300円)
ぷりぷりの海老をアボカドがとろとろとさわやかな油で包み、溶かす。
あっさりして、甘めの自家製アジアンマヨネーズが、海老に淡くコクを滲みこませて、中華で定番のマリアージュを作り出す。

それにしても、なますとはなんとあらゆる肉や魚と合うことだろう。
肉のストレートな味わいに酸味を加え、さわやかに、マイルドにしていく。
甘めのソースとは逆ベクトルに走って、味覚を混乱させて、快楽へと運ぶ。

塩豆黒豆あん大福(170円)
もっちりパンシリーズ。
噛み潰すと、歯間からぷにゅっと飛び出すごときもちもちぷにぷに感覚。
焼きは浅く、白パンに似て、ベーグル以上に和を感じさせ、パンと大福の間の子の趣きがある。
微妙に甘く、微妙に足りないところに、甘いフィリングを呼び込む。
塩豆のしょっぱさが甘さを心地よく増幅させ、こしあんの滲みこむ口溶けが、このパンのなめらかなもちもち感と響きあう。

バインミ−ともちもちパンの2種類の生地。
数百円で満腹になるメインとデザートとして、シンプルにして、必要充分。
「イーストリートベーグルズで働いてた時期もあって。
製法を身につけていたんで、それも活かせたらなと。
バインミーが知られてなかったんで、ベーグルって付けちゃうと、バインミーが負けて、ベーグルが買っちゃうから、それで『もっちりパン』にしました。
両方あるのがよかったのかもしれませんね。
OLさんとか、バインミーのミニサイズと、もっちりパンを両方買って、楽しんでいたり」

サンドイッチは具材ではなくパンが命。
それはパン好きとしては絶対譲れないところだ。
バインミーのバゲットからはその魂を、愛を、じんじんと感じる。

「アメリカではパンがもっと軽かったりします。
だから、見た目はすごく大きいのに、ぱくぱくぜんぶ食べちゃって。
このパンができるまではかなり試行錯誤しましたね。
最初はぜんぜんうまくいかなくて。
開店当初はもっと皮が厚くてもっちりしてましたね。
ニューヨークで食べ歩いてきたら、自分のよりもっとおいしかった。
隣にニューヨークのバインミーができたら、うち潰れちゃいますね(笑)。
でも、帰ってきて、微妙に配合変えたら、薄皮がぱりっとしたのができました」

木坂さんのバインミーは、異国の味付けの中に、日本人のツボが垣間見える。
たとえば、牛焼肉のしょう油ベースの味付けは、昔から食べてきた焼肉のタレをほうふつとさせる。
それがいい。
エスニックを食べているのに、日本人のDNAをくすぐられ、だから昼休みのたびに、飽きず買いにいきたくなるのだろう。

「アメリカやカナダではベトナムの移民の人がやってるので、本当のベトナム風です。
ベトナム料理も勉強したんですが、私がやるとどうしても、やっぱり日本風になっちゃう。
ベトナムには調味料もたくさんあるんですが、私が使いこなせるのはそのうちのいくつかで。
本場の味にはまだまだですが、それでもみなさんがおいしいといってくれるので」

国境を越え、海を渡って、オリジンがその土地その土地の文化や産物とマリアージュを遂げ、パンはできあがる。
ベトナムの移民たちは、祖国から遠く離れた国で、自分たちの舌に馴染んだ味付けを忘れられず、ベトナム料理をパンにはさんだ。
高田馬場のバインミーがほのかに和風なのは、バインミーの精神にむしろかなっている。
バインミーはエスニック料理もラーメンでも安くておいしいものならなんでも受け入れる雑食系のこの町によく似合っている。

高田馬場は木坂さんをずっと誘引してきた。
「昔からお店やりたいなと思ってたから、10年以上前、お金もないのに物件探したことがありました(笑)。
そのとき、馬場の駅を降りたら、なにをやってるかわからないけど、人がたくさんいた。
必要以上に人がいるなーって(笑)。
商売やったら当たりそうだな(笑)。
バインミーをやろうと思ってまた探したら徒歩1分という物件があって、すごく狭いけど、なんとか収まりました。
パン屋なのに食券を買わなくちゃいけないの? ってお客さんにびっくりされちゃって(笑)。
でも、高田馬場はアジア料理も多いし、ラーメン屋も多いから券売機もみんな慣れてました(笑)」

18歳でパン職人を志して、自分のパン屋を持つまでに10数年。
それでも、夢を持ちつづけられたのはなぜだったのか。

「いろいろな仕事をやってきました。
カレー屋さん、ジェラートが好きだったからジェラート屋さんも。
でも、やっぱり私はパンだな。
パンを作ってる自分がいちばん楽しい。
それで、パン屋をやってます。
パンに愛情を注いでますね。
サイズをきっちり守ることは心がけています。
気がゆるんで、発酵が足りずに、ちっちゃいまま焼いちゃうこともあるんで、そうならないように」

ひょっとしたら、18歳の木坂さんが、ベトナムのサンドイッチを作る10数年後の自分を知ったら驚くかもしれない。
だが、人生とは得てしてそういうものだし、本当に好きなことはそうして見つかるものだ。(池田浩明)

JR山手線 高田馬場駅
03-5937-4547
平日11:00〜19:30 
土曜10:00〜18:00
日祝10:00〜17:00
月曜休み、第3〜5日曜休み

#131






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#131
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喜福堂(巣鴨)
127軒目(東京の200軒を巡る冒険)

喜福堂のイギリスレーズン(570円)ほど、ラムが濃厚に香るレーズン食パンを知らない。
中身にうつくしく巻き込まれたレーズンの渦巻が魅惑する。
甘い香りの中に入り混じるラムの香りがせつなく立ち上る。
中身はふさふさとした触感で歯をやわらかく包み、唾液をすってはくねっとしなやかにたわむ。
すべてがまったりとしている中でラムだけが突風のように激しい。
アルコールが、舌へ鼻腔へひりひりと突き刺さり、ほんのちょっとだけど意識が遠ざかって小さなめまいさえ起こさせる。
やがて、口溶けの中で小麦粉の甘さとラムの風味がひたひたと混ざりあい、フェイドアウトしていき、最後はやさしい感じに包み込まれる。

喜福堂に生まれた金子摩有子さんは、このパンを子供の頃から朝食として食べつづけてきたという。
いま4代目店主として、自らイギリスレーズンを焼く。
ラムで時間をかけて干しぶどうを戻して風味をしっかり滲みこませることも、生地にそれを混ぜ込んでしまうのではなく、成形するときに巻き込んで渦巻きの模様を作るのも、父のレシピと同じ。
なんと幸福な人生、とパンが好きな私は思った。

「みんなからうらやましいと思われるとしたら、焼きたてのパンの匂いに囲まれてたことでしょうかね。
焼きたてほかほかの食パンをバターもつけずに食べていました。
私はここで生まれて、なにげなくそうしてきただけで。
同級生にはこの商店街で生まれた人も何人かいます。
金太郎飴屋さん、タバコ屋さん…。
このあたりでは、お店屋さんに生まれるのはごくごく当たり前のことで。
家の奥で生まれたので、家族が働いている姿をぜんぶ見ています」

巣鴨地蔵通り商店街、とげ抜き地蔵の門前。
この場所にこんなパン屋があったらいいと、イメージした通りのレトロな雰囲気、クラシックな味わい。
大正5年創業、金子さんのひいおじさんにあたる喜三郎さんと、ひいおばあさんの福さん、2人の名前をとって、喜福堂と名づけられた。
縁起のいい名前を持つパン屋のあんぱんは、巣鴨参詣のおみやげとして名高い。

「当たり前すぎちゃったんだな。
大きくなってそう思いました。
残してくれたものって、こういう味してたんだ。
いまになって重みがわかります。
そういうの感じたときは、祖父もいなくなってしまって。
教えてもらいたいこと、話したいことも、まだまだあった」

3代目の父は、金子さんが10歳のとき早逝した。
大学卒業後すぐ店の厨房に入って、若くして4代目を継ぎ、老舗の看板を背負ってきた。
金子さんを一人前の職人に育ててくれた2代目の祖父もいまはいない。

「あんこは祖父が教えてくれました。
あんまり話さない人でした。
職人なので。
母や父にはあんこのことはほとんど教えなかった。
私が『練るよ』と言ったときは、本当にうれしそうに教えてくれました。
職人気質で、姿を見て覚えろと、父には教えなかった。
私は孫なので、怒られた記憶も、厳しかった記憶もほとんどないし。
祖父は椅子に座って、私があんこを練るのを見ててくれたり、言ってくれたり。
父の代わりに、私を支えてくれた」

おじいさんが教えてくれたことで、いちばん印象に残っている言葉は?
私はそう尋ねたが、金子さんはしばらく考えたままだった。
祖父から言葉でなにかを教わった記憶はないという。

「生き様みたいなものを見てきたかな。
膝から下が真っ青でした。
ずっと立ち仕事をしてきたせいで、鬱血して、ぱんぱんに青ずんでいる。
歩くときは、がに股ぎみに。
足が上がらないので、すり足になって歩く。
80までずっと厨房にいました。
立ちつづけて、私が店を継いだときも、若い子といっしょにあんぱんを包んでくれた。
そういう姿って、言葉じゃなくて、真摯に仕事に向き合う、姿勢で教えてくれました」

祖父の教え通り、金子さんは立ちつづける。
午後3時頃、仕込みを終えると、今度は店頭に立ち、自らあんぱんを売った。
微笑を浮かべて楽しそうに。
パンを指導している聾学校の生徒たちが通ると手を振った。

子供の頃の喜福堂の面影を金子さんは振り返る。
「山奥にあるパン屋さんみたいな感じでした。
パンやお菓子、カップラーメンまで売ってるような。
味は確かだったと思います。
きんつばが売れたという話は聞いたことあります。
とげ抜き地蔵の縁日のときは、3日かけて小豆をふかして、あんこにする。
生まれたての私をおぶって母がきんつばを箱に詰めていく。
あんまりお客さんがきたので、警察官の人が交通整理をしてくれたそうです」

そんな伝説めいた話が語り継がれるほど、あんこは喜福堂にとってもっとも大切なものだ。
たくさんのお客を呼び込み、この店を1世紀に渡って支えてきた。
金子さんが店主になってからは、あんぱんを買い求める客で行列ができた時期もあった。

「ピークのときはすごく作りました。
おもしろいぐらいに、焼きたてできたらどんどん売れていく。
朝起きて、無心にただひたすら作る。
1時までにあんぱんをだすのを目標に、みんなでがんばる」

あんぱん こしあん(200円)
おすすめを訊かれた販売の人は「つぶあんです」と答えていたが、私はこしあんが好きだ。
老舗の和菓子屋にも負けないあんこがこのパンの主役の位置にどっかと収まっている。
甘めのこしあんは、焦げた感じも、嫌みもまるでなく、素直に、まろやかに溶ける。
そして、品のいい甘さが、喉の奥でかすかにじんじんと反響している。
しっとりくねくね、なめらかなパン生地が、あんこの陰でやわらかく寄り添う。

数軒先にはライバル店がオープンする。
あと4年で創業100年を迎える。
それまでには改装し、老舗らしいスタイルを確立したい。
一世紀の伝統を背負う女性店主の悩みは尽きない。

「温故知新がお店のコンセプトです。
古いものを守りながら、変わることも大切だし。
うちにとってあんぱんは昔からの商品じゃないですか。
パンってヨーロッパからきているので、フランスパン、デニッシュ…多種多様。
あんぱんメインにあるパン屋のあり方、どういう形がいいんだろう、すごく悩みます。
どういう売り方をしたら、お客さんに楽しいと思っていただけるのか、そんなことを考えています」

喜福堂の温故知新。
たとえば、流行を追ったデニッシュではなく、あんぱんのおいしい店のデニッシュ、というなつかしくも新しい立ち位置。
デニッシュとはぱりぱりの皮を味わうものだと思っていたが、喜福堂のデニッシュはちがう。
中身の白い部分のやさしさ、輝かしい甘さがひときわ心に迫る。
皮の香ばしさもありながら、焦眉は白い中身とフィリングのマリアージュ。
まるであんぱんのように。

ソレイユ(280円)。
太陽のように黄金色に輝く。
ねっとりとやわらかい中身。
特にカスタードが注入された中心部。
生地とクリームが渾然一体となって、甘さも食感も、さくさくではなく、とろとろと表現しなくてはならない、デニッシュとしてはまったく新しい事態。
卵味の練乳という趣きのやさしく、なつかしいカスタード。
甘い一方ではなく、丸ごとのオレンジがむせかえるほどの芳香と苦みで、変化とコントラストとフレッシュさを与える。

老舗のなつかしさと、女性店主のやさしさ。
2つの感覚は親和性が高く、かつ山手線内唯一無二。
100年をずっとずっと越えて、昔ながらの日本のパンを伝えていってほしい。


JR山手線 巣鴨駅
03-3917-4938
10:00〜20:00
月曜火曜休み(4が付く祝日は営業)

#127





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#127
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ピクニクス(大崎)
65軒目(東京の200軒を巡る冒険)


店の入口と胃袋が直結している。
食欲に忠実である。
パンありき、ではなく、自分がなにを食べたいのかという問いからメニューは作られる。
すると、サンドイッチが多くなる。
食べたいものをなんでもはさむ。

ご主人の高木さんは、
「ぶっちゃけていうと、口に入っておいしければいいよね、と。
自分たちのおいしいパンがなかった。
だったら、作っちゃえ、とこの店を開きました。
サンドイッチのアイデアが突然降りてくる。
いい素材を見つけたら、これパンにはさんだらおいしそうだよね、と。
スーパー見たり、市場見たりするときが、いちばんインスピレーションが湧きます」

野菜3種のソテー(300円)。
なにも考えず瞬間的においしいと思える、この感じがイタリアンの醍醐味。
パプリカ、エリンギ、ズッキーニ。
3種類のマリネをフォカッチャにはさんでいる。
りりしい苦み、ほのかな甘さ、ざっくりした噛みごたえ。
それを包み込むフォカッチャの小麦味は意外なほどまったりしている。
どの野菜がどういう味だとかおかまいなく、夢中でかぶりついていく。
ポケットに詰め込まれた有無をいわせぬおいしさ。

土日には13種類、平日でも8種類ものサンドイッチをそろえる。
フォカッチャ、フランスパン、ドッグサンドとパンも多彩。

「よそのお店にはあまりないそうですが、うちはサンドイッチに魚を入れたり。
パン自体がしっかりしていれば、中は自分がおいしいと思うものを入れればいい。
素材はこだわればこだわるほど高くなっちゃうけど、そこを安くするのが、作ってて楽しいところ。
魚がパンに合うんですよ。
ソテーして、塩、こしょう、ハーブをふりかける。
旬のものをきちんと選べば、近所のスーパーでもいいものが手に入ります。
いろいろ考えて、できるものを作ってサンドイッチに入れれば、なんとかなるだろうと。
主婦の方と同じです。
加工品を買うと高くつく。
あんこと、ハム、ソーセージは買いますが、それ以外、パテ、チキンレバー、ジャムはうちで作ります」

イワシのハーブソテー カスクルート(330円)。
魚の風味がでたオイルがパンに滲みこんでいる。
自家製のオイルサーディンは臭みもなく濃厚な海の香りがする。
ハーブとワインビネガーのすがすがしい芳香もまとわせて。
とろとろのチーズやトマトのフレッシュさと出会って新たな局面も見せながら。
小さく細く作られ、焼きしめられた、サンドイッチ用のバゲットが秀逸。
全身皮となり、渋めのいい香りがする。
魚とパンとオリーブオイルは鉄板の組み合わせにちがいないが、海に面した都市である東京のパン屋で、あまり見かけることがないのは残念だと思う。

イタリア系のパン、サンドイッチが多い。
イタリアに10年住んでいた友人とパーティをする間柄で、彼女からたくさんのおいしいものを習ってメニューに取り入れる。
イタリアにはいったことがないというけれど、大きな声でおおらかにしゃべる奥さんの佳子さんを見て、精神のイタリア人なのだ、と思った。

佳子さんはいう。
「うちにはしばりがまったくない。
逆にいうと正統派ができない(笑)。
まがいもの、かなりあやしい、なんちゃって。
でも、イタリアに行ってた彼女もいってた『向こうのよりおいしい』って。
向こうのお母さんが普通に自宅で料理作るでしょ。
その感覚だと思っていただければいい。
買ったら高いけど自宅で作れば安くできる」

スライスしたパンに好みの食材をのせて食べるイタリアのサンドイッチ、ブルスケッタ。
取材の途中で佳子さんが手早く作ってくれた。
あじのマリネ、フムス、トマト、レバーパテ。
たちどころに並んだ皿の上のごちそうに驚いた。

「これがあれば、本物のブルスケッタがすぐできますよ」
イタリア・トスカーナ地方の塩を使ってないパン、パーネ・トスカーノ(1/2 450円)。
「作れるようになるまではたいへんでした。
とくにこねるときが、なかなかまとまらなくて。
おかずといっしょに食べてはじめておいしい。
素材の味をじゃましないので、いくらでもパンが食べられるんですよ。
なんにでも合うし、水分を吸ってもぐちゃぐちゃにならないので、サラダやスープにクルトンのように入れてもいい」

カンパーニュのようだが、ふわっとして歯通りがいい。
ためしにパンだけで食べてみたら、塩がないというだけで、どんよりと重い味がする。
塩の効果というのはすごいものがある。
おかずといっしょに食べてみると、今度は普通のパンより軽やかになる。
ほとんど無言でたたずみ、おかずのなすがままになって、ふわふわさでサポートする。
ときどきおかずの塩気が余ったときだけ、ほんのり甘さを主張する。

ブルスケッタという聞き慣れない言葉に、自分でもできるのかと、躊躇していたら、
「簡単ですよ。
パンをスライスして、生のにんにくをぐりぐりぐり。
ハムでも野菜でも、好みのおかずをのっけて、塩、こしょう、オリーブオイル。
ミニトマトを焼いてぐちゅぐちゅにしたのなんて、もう何枚でも食べられる。
わからなかったら、店のホームページ見てくれれば作り方のってますから」

食べることが楽しい。
この店では毎日が気のおけない人とのパーティのようだ。
「店にテーブルをつけたのは、買って持ち帰るだけだと、お話ができないから。
10分でも20分でも。
つい長話になっちゃうんですよ。
夜遅くきた人なんかは、いっしょにごはん食べちゃった(笑)」

ピクニックの準備はいつでもできている。(池田浩明)

山手線 大崎駅
03-5740-8410
11:00〜18:30
月曜・第1第3第5火曜休み

#065


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