パン家のどん助(東新宿)
2011.12.24 Saturday 00:00
129軒目(東京の200軒を巡る冒険)
新宿は平らではない。
丘もあれば谷もあるのだ。
丘のてっぺんである抜弁天から、細い谷道を下っていく。
住宅街に商店がまばらに並んだ、商店街のような、路地のような、久左衛門坂に沿って、この店はある。
およそ、派手な商売には似つかない、地元の人でなければほとんどたどりつけないだろう場所に、隠れるようにして。
あんぱんやクリームパン、カレーパンがならんだ品揃えは、地元密着の飾らないパン屋そのもの。
その中にあって、数少ないハード系のパン、バゲットやパン・オ・レザンの色や形やたたずまいが、このパン屋の非凡さを告げていた。
バゲット(231円)
皮に明るい甘さ、セレアル的な甘さが濃厚にある。
皮は薄く、そして強く、せんばいのようにばりばりと爽快に割れ、ざらつく舌触りも快く、特にクープ周辺のかりかり感がすばらしい。
細身であり、皮がこれだけ乾いているのに、中身はかなりしっとりしている。
だから、皮の味わいの濃厚さにもかかわらず、中身が溶けるとともに酵母の素朴な風味が持ち上がってくる。
時とともに皮の味わいは移ろって、中身の味と合流して、さらに馴染み深いものとなっていく。
主人である斉藤建太郎さんをひと目見たとき、この人こそ「どん助」であろうと私は思ったが、それは早合点だった。
「店名なんてなにも考えていませんでした。
ブーランジェリーなんて名前はちょっとな、と思ってた。
飼い猫の名前がどん助だったので、それを店名にしただけで。
どん助は17歳でいまも生きています。
ちっちゃい頃、父親がこの場所でパン屋をやってました。
製菓学校に行きながら、夜はパン屋さんでバイトをしてました。
パン作るのっておもしろいなと思いました。
浅野屋でバイトから社員になりましたが、すごい修行をしていたわけでもありません」
「開店のとき考えてたイメージなんてまったくないんですよ。
だんだんこうなってきた。
最初は硬いパンも焼いてましたが、売り方が悪いのかもしれないけど、ここでは売れなかった。
それでいろいろ変えていくうちに、いまのようになっただけで。
お昼にお客さんが調理パンがほしいとなったらそれを作ったり」
「考えない」という言葉を何度か使っていた。
それがきっと斉藤さんの持ち味なのだと思う。
お客さんに合わせて柔軟にメニューを変えていくことで、この土地の持つものと店主の個性を自然に混ぜ合わせている。
どん助ごまあんぱん(126円)
猫の手の形。
とろとろのあんこを薄皮が包むさまが、ウォーターベッドのように、手で持つとむにゅむにゅする。
はじめにパンがむちっときて、突き破るとあんこがどろっとする。
あんこの黒ごまの香り高さと、濃厚でコクのある甘さが、喉へと反響していくさまに意識を奪われてしまう。
けれどよく味わうと、パンの秀逸さに気づく。
素朴なやわらかさ、ふさふさした舌触り、小麦味と発酵のあたたかい香り。
甘さがほのかでほんのちょっと足りない感じに、ぎらついたごまあんの甘さが中和される。
「おいしいものを作るっていうのを心がけてます。
技術なんてまったくないですよ。
極力やれる範囲をやろうというだけで。
カレーやトマトソースも作りますし、コロッケも自分で作ってオーブンで焼いたり。
パンは基本のことをやってるだけです。
材料は極力いいものを使おうと思っています。
砂糖、塩、バターなどはパンに入れるものですから、特に心がけて。
砂糖は三温糖、塩は沖縄の塩、ハード系にはゲランド塩を使っています」
斉藤さんのいう「おいしい」とはなんなのか。
どん助のパンの味を思いだしながら私は考える。
それはきっと素材のよさなのだろうし、基本を大事に手間をかけて作ることなのだろう。
2つがベースとしてあり、抜群のバランス感覚でまとめあげる。
皮と中身。
焼き加減としっとり感。
パンの小麦味とフィリングの甘さ。
両者は強く引き合いながら、決着のつかない綱引きのように、均衡している。
ひとつが強すぎないために快く、しかもいくつもの味わいを同時に感じられる。
ラムレーズンサンド(176円)
ソフトフランスのようで、もっとむっちりして、引きがまったくない感じで、歯がちょっとめり込むようで、だが、さくっと歯切れる、生地の感じがすごくいい。
味わいはプレーンなようで、ほのかにミルクっぽいあたたかい甘さがある。
自家製のクリームが秀逸。
甘さがやわらかく、隠し味のシナモンの与えるコクがあって、ラムがじわじわと発揮して甘さをより舌に滲みいらせ、そこへレーズンの酸味が襲ってすべてをさわやかにする。
舌に残らない甘さのバランスがよく、それを生地もうまく受け止める。
斉藤さんはよく笑った。
インタビューをしているときもそうだし、パンを作るときはもっと笑っていた。
ひょっとしたら楽しく作るとパンはおいしくなるのではないか。
どん助の懐深い味わいを思いだすにつけ、そのように感じられた。(池田浩明)
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