パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
希望のりんごツアー2015春
希望のりんごお花見ツアーが5月9日・10日行われ、私たちは陸前高田へ向かった。
地震の傷から完全に癒えたとはいえない被災地の子どもたちに、なにか残せることはないだろうか。
私たちは陸前高田市米崎町コミュニティ・センターでパン教室を行うことにした。

講師はZOPF伊原靖友店長。
『ポリ袋で作る天然酵母パン』が人気の梶晶子さんがアシスタントするという豪華な陣容。
米崎小学校学童クラブの生徒たちや、米崎小学校仮設住宅の子どもたちや20人以上が参加した。
ここにアップルガールズ(地元のお母さんたちが元気に復興に向かっていくために結成した、精神的な支えあいの会)、そしてツアーメンバー30人も加わり、みんなでパンを作る。

はじめて触る生地におっかなびっくりの子、どんどん作っていく子。
いろんな子どもたちがいるけど、みんな飽きずにパン作りに熱中する。
発酵は、生地温を上げるため、お腹の中でとる。
ビニール袋ごしに伝わってくる生地が成長する様子を、興奮ぎみに伝えあう。

作ったのはピタパン。
ポケットの中にお惣菜を入れて食べる。
オーブンなどの家財が揃ってないことを考慮し、ポリパン(ビニール袋の中で生地をこね、フライパンにふたをして焼く)という方法をとった。

伊原さんのデモンストレーション。
薄くのばした生地がフライパンの中で見事にぷーっとふくらむ。

その瞬間、見つめていた子どもたち全員から「わーっ」とどよめきが起こる。
僕もやってみたい! そんな顔で目を輝かせる。
子どもたちの心は正直におもしろいことへどんどん向かっていく。

麺棒で伸ばそうと思っても伸びない生地。
粉にまみれるのもかまわず夢中で触る。
フライパンの中の生地を見つめている子どもに伊原さんが声をかける。
「ふくらめふくらめと思わないとふくらまないからね」
「ふくらめー、ふくらめー」とみんなで声を合わせて呪文を唱えると、ピタパンは見事にふくらんだ。

(大阪のパン屋「グロワール」さんが母の日のプレゼントとして作ってくれた手の込んだお菓子がアップルガールズのひとりひとりに手渡された)

子どもたちのいる空間には自然とあたたかい雰囲気が籠る。
みんなで楽しくパンを作ることができた。

(伊原さんのレシピに沿ってアップルガールズが具材を作ってくれた)

アップルガールズのリーダー菊池清子さんが語る、被災地の現状。
自宅を再建し、仮設住宅から出ていく人が増えてきた。
それは望ましいことだけれど、一方で残される者はさびしい。
経済的事情で自宅を再建できない人であれば、なおさらだ。
地震のとき、避難所のひとつ屋根の下で助け合いつながりあった被災者同士に、再び溝ができつつある。
だから、心をひとつに楽しくパンを作ることには意味があるのだと。

大阪のたくさんの個人店さんに陸前高田のりんごやジュース、ジャムを売っていただく「大阪りんごの日」。
1月に行われたこのイベントで大阪の人たちが、りんごのおいしさや被災地への思いをつづったメッセージを書いてくれた。
それは週刊大阪日日新聞の濱田さんによって、パン教室の場を借りて、米崎町の人たちの前で読みあげられた。
遠く離れた場所でもいまだに被災地に思いを寄せる人が多くいることを知ってほしい。
思いは必ず伝わり、被災地の人たちに前に進む勇気を与えると思うから。

(みんなで作ったパンを米崎小学校仮設住宅の人たちにお配りした)

私たちはパン屋さん、お菓子屋さんとともに、支援をつづけてきた。
カレーパンを現場で揚げ、巻きパンを作り。
そんな姿を目にしたからかはわからないけれど、「パティシエ」になりたいという夢を抱く子どもが出てきた。
人口が減少しコミュニティが崩壊するかもしれないといわれている被災地。
その将来を支えていくのは子どもたちだ。
ぜひこの陸前高田で夢のある仕事に就いてほしい。
そのためにも、農業や職人仕事も含めた「もの作り」を応援したい。
パン作りの楽しさの記憶が心の中で種となり、そうした仕事に興味を持つようになってくれたらと願っている。

ツアー一行が宿泊したのは、箱根山テラス。
震災後、長谷川建設社長の長谷川順一さんが描いた夢。
森の中で子どもたちが自然と親しむ「森の学校」を作りたいという思いが、ホテルという形に結実した。

りんごの咲く丘から尾根つづきにある箱根山の中腹。
ウッドデッキから海を望めるロケーション。
陸前高田には気仙大工の伝統がある。
地元の木材を使い、天井の高い空間に、ペレット(製材したときの端材などで作られる再生可能な木質燃料)ストーブのあたたかさが満ちている。
車も通らず、静寂と木の香気に包まれたこの場所にいつまでもいたい、そんな気持ちにさせる。

夕食の後、長谷川さんの話を聞いた。
津波で社屋は全滅、社員の中にも犠牲者が出た。
長谷川さんの会社はフォークリフトなどを所有していたことから、遺体の片付けに従事した。
道の両脇にたくさん並んだ遺体の列を見て、まるで戦争の映画でも見ているような錯覚に陥り、現実感覚が麻痺してしまったという。
震災直後の目の回るような忙しさでテレビを見る暇さえなかったけれど、一瞬目にした、福島原発が爆発する画面が、長谷川さんを新しい事業に走らせた。
地元産ペレットを販売して地産地消の循環型エネルギーを陸前高田に根づかせること。

箱根山テラスもペレットによって給湯や暖房がまかなわれる予定(現在はセンター棟の暖房がペレットストーブ。宿泊棟はペレットボイラーを導入する予定)、長谷川さんが展開するペレット事業のモデルケースとなるだろう。
エネルギーという生活の根幹の部分を自前で賄うことは地域の自立につながる。
陸前高田に作られる新しい町が、ペレットを活用したエコロジカルなものになることが長谷川さんの夢。
津波によって更地に戻ってしまった陸前高田に未来志向で復興を企てようとしている。
それは希望のりんごとも深く共鳴するものだ。

箱根山テラスのロビーを地元の人たちの一息つける場所として活用してほしい。
そうした気持ちからコーヒーとともにパンが供されている。
梶晶子さんが1週間ここに滞在し、ポリパンを伝授した。
梶さんの熱が伝わり、箱根山テラスの従業員さんはパンが好きになった。

もしもっと本格的なパンがペレットを燃料と賄われ、りんごのパンが焼かれたらすばらしいことだ。
山の上の薪窯パン屋にたくさんの人が訪れるにちがいない。
もしそんな夢のようなことが現実になるとしたら、希望のりんごの活動に参加いただいているたくさんのパン関係者とともに、全力で応援したい。

翌朝、晴れ渡った青空の下、海を眺めながら、吉野知子さんの指導によるヨガですがすがしい一日がはじまった。

地元の野菜を使ったヘルシーな朝食をテラスに持って出て、外で食べる。
スタッフのみなさんに笑顔で見送られ、りんご畑に向かう。

1軒目はThree Peaks Winreyを営む及川武宏さんのりんご畑。
樹齢50年以上の木がここにはある。
いまほとんどのりんごの木は矮化(管理を省力化するために木を小さく作ること)されているが、ここにある木の幹は堂々とし、枝は軽やかに宙を這う。
及川さんによると、しっかり根を張った古木はたくさんの養分を土から吸い上げ、おいしくなるのだという。

この畑の持ち主は85になるおばあちゃんで、仕事が体力的にきつくなり、りんご園を畳もうとしていたところに、及川さんが借り受けた。
高齢化が進む米崎町において矮化されていない畑は手に負えないものと思われているけれど、数十年の歴史を経て育ったその木こそ、津波に見舞われた陸前高田に残る貴重な財産だ。
及川さんはそれを守るため、農業に従事したい若い人たちに、高齢などの理由で栽培から退かなくてはならない人のりんご園をゆだねようとしている。

Three Peaks Winreyのりんごジュースはおいしい。
今年からはシードルも作ろうとしている。
一戸あたりの栽培面積が小さい米崎町では、大量生産では展望は開けない。
手をかけておいしいりんごを作り、品質にふさわしい値段で買ってもらうことが望ましい。
そのためには、農家同士が連携していくことや、法人化も必要となる。
及川さんのそうした考えは、希望のりんごの目指すところと一致している。
後押ししていきたいと思っている。

金野秀一さんの和野下果樹園。
日本でも珍しい海の見えるりんご畑でお花見をするという企画。
今年は好天がつづいて、開花が1週間早まり、残念ながら花はほとんど散ってしまったあとだった。

それでも、さわやかな空気を吸い、快晴の下、りんご畑をそぞろ歩くだけでもとても愉快な気分になった。
みんなでりんごの摘花作業をお手伝いした。

金野さんのお宅で一休み。
妻・牧子さんの作ったがんづき(東北で伝統的に食べられる黒糖蒸しパン)、そしてりんごをいただく。
収穫されて長くたったものであっても、このゴールデンデリシャスは感動するほどおいしかった。

この日、私たちはりんごの木のオーナーになる。
金野さんが植えてくれた幼い木の中から、これはと思うものを選んで、自分の名札をかける。
「自分の子どもが陸前高田にできたみたいです」とある参加者は言った。
自分はこの土地を去って家に帰るけれど、気持ちはりんごの木といっしょにずっとここにあって海を見つめているのだ。

成木に育つまで4〜5年。
その間、収穫はわずかで、農家は管理費だけがかかり、収入にならない。
それを支援できるオーナー制度はりんごの木を増やすために大事な方法だと、私たちは考える。
この取り組みを米崎町全体に広げ、利用方法がまだ決まっていない津波で浸水した人の住めない土地をりんごの木でいっぱいにできたら、というのが私たちの夢だ。
間もなく、希望のりんごでは、木のオーナーの一般募集を開始する。

そのあとは海岸に降り、きらきらほたての漁師、金野廣悦さん、佐々木正悦さんを訪ねる。

「仕事ならいっぱいあるよ」ということで、ほたてが吊るされていたロープの清掃・整理をお手伝いする。

仕事のあとはほたてとほや。
海からあがったばかりの新鮮なものを食べる貴重な体験。
ほやを米崎町で食べると、みんな大好きになる。
新鮮なものは本当においしい。
金野さんはこれを食べたくて漁師になったというほど。

佐々木さんに殻を開けてもらい、まだ動いているほたてを食べる。
生で、炭で焼いて。
海の香りが口中に満ちて、体の中にパワーがみなぎっていくのを感じた。

漁師さんに分かれを告げ、一本松茶屋へ。
奇跡の一本松近くにある観光施設で、地元産のおみやげを買うのも、復興支援となる。
おすすめは八木澤商店一本松店のソフトクリーム。
醤油の旨味、香ばしさとあいまった口溶けのさわやかさが癖になる。
ソフトクリームを食べながら、かっての中心市街地・高田町を眺める。
津波のあと広大な荒野となっていた場所は、林立するベルトコンベアによって急ピッチでかさ上げ工事が進む。
今度ツアーが訪れる秋にはほぼ完成した姿を見られるはずだ。
復興はまだつづく。
私たちはそれが成し遂げられるまで、ずっと見つめつづけたいと思っている。

ご協力いただいた方々、団体
片山悟
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
三和産業
週刊大阪日日新聞
Three Peaks Winery
Zopf(ツォップ)
箱根山テラス
ハッピーデリ
パン屋のグロワール
ブーランジェリー ボヌール
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
ラ・テール洋菓子店
リリエンベルグ
りんご学童クラブ
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。
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陸前高田「りんごのお花見ツアー」募集!
5月9日、10日、希望のりんご恒例「お花見ツアー」が開催されます。

りんごの木の開花に合わせて、ツアーを組みました。

りんごの花はさくらと同じバラ科の植物。

白い花のうつくしさはさくらに負けずとも劣らず。

ちょっと遅い東北のお花見をお楽しみください。

いまのところ生育は順調ですが、開花の時期がずれることもありますので、ご了承ください。
5月9日は、地元の子供たち、お母さんたちとパン教室を行います。

講師は、行列ができる店ZOPFの伊原靖友さんです。

『ポリ袋で作る天然酵母パン』で人気の梶晶子さんにもお手伝いいただきます。

パンを仲立ちにして、地元の方たちと交流を深めてください。
 
(箱根山山頂からの眺め)

宿泊は「箱根山テラス」。

高台にあって海が眺められる、長期滞在型のホテル。

木を活かしたモダンなデザインのロビーや客室は居心地がすばらしく、帰りたくなくなるほど。

代表の長谷川順一さんは、津波からの復興の先頭に立ってきた、若手経営者です。

夕食のあと、お話をうかがいたいと思っております。

翌日はいよいよりんご畑でお花見です。

2班に分かれて2軒の農家にお邪魔します。
1軒目はおなじみ、希望のりんご農家、金野秀一さん。

間もなく、発表予定の「りんごの木オーナー制度」でオーナーになられた方には、植樹したばかりのりんごの木に、ご自身のネームプレートをかけていただきます。

2軒目はThree Peaks Winery。

及川武宏さんは、スペインでワインの勉強をし、故郷に帰ってワインやシードルを作ろうとしています。

30年以上の古木で作るりんごは、近年の矮化(小さく木を作ること)したりんごの木より、おいしいとおっしゃっています。

これからの米崎りんごを引っ張っていく若手生産者です。
そのあとは脇ノ沢港に行き、浜のお仕事を手伝っていただきます。

海藻などのついたブイのお掃除です。

潮風を感じ、海を見ながらのボランティアはまた一興かと思います。

終了後は、きらきらほたて、とれたてほやホヤで「海の幸ランチ」です。

めったに味わうことができない、とれたての味をぜひご賞味ください。
 
募集要項
【日程】2015年5月9日(土)〜10日(日)
【参加費】21,000円
(一ノ関〜陸前高田の往復バス代、1日目お弁当代、宿泊代(朝、夕飯込み)、パン教室代、2日目昼食代含む)
【集合場所】一ノ関駅東口出口(5日 10:30集合)
【宿泊先】箱根山テラス(洋室、2名1室のご利用となります。)
【定員】25名

お申し込み・詳細は希望のりんごホームページで

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大阪りんごの日も盛り上がった!
1月17日、18日の両日、大阪でも「りんごの日」が行われた。
被災地・陸前高田で津波を生き残った「希望のりんご」を使っていただき、復興へつなげていこうというイベント。
大阪府下で各家庭にポスティングされている「大阪日日新聞」が希望のりんごの取り組みに賛同、情熱的なご協力により実現したものだ。

1月17日付の紙面で1ページ丸々を使って「りんごの日」が告知された。
旭区、鶴見区、城東区などを中心に40数店舗にご協力いただき、りんご、ジャム、ジュースを使った思い思いの料理、サービスを提供していただく。
業種もさまざま。
パン屋、洋菓子店のみならず、カフェ、居酒屋、英会話教室、絵画教室と多岐に渡った。

りんごを提供してくれたのは佐々木隆志さん。
陸前高田市米崎町のりんご農家さんで、産地直売所なども営み、地域の農家を束ねるキーとなる存在である。
またジュースやジャムの販売も行った。

金野秀一さんのりんごで作る、希望のりんごジュース「点 TOMORU」。
そして、陸前高田で活動するNPO法人SAVE TAKATAの「米崎りんごジャム」。
SAVE TAKATAはりんごを通じて、若者の就業支援を促進し、高齢化や過疎の解決を試みる。
希望のりんごと志を同じくする団体である。

大阪りんごの日の中心となったのは、大阪の下町「千林商店街」。
大阪で一、二を争うほど活気のある商店街で、ダイエーの1号店があったことでも知られる。

17日午前、千林くらしエール館前で、りんご、ジュース、ジャムの販売が行われた。
用意したりんごがあっというまに売り切れる人気ぶり。
試食に出したところ、みなさんおいしいと言い、中には買い足してくれる方もいらっしゃった。

商店街のイベントスペースでは、イタリアンレストラン「ボッテガブルー」が、米崎りんごジャムをはさんだホットサンドを提供。
ハンドドリップのコーヒーとともに、あたたかいホットサンドは、寒い冬の日に心も体もあたためてくれるものだった。

商店街からほど近い、TKDスポーツクラブ。
少年たちがテコンドーに柔道にと打ち込む姿があった。
ここで、無料体験会&試飲会。
教室に通う少年たちはもちろん、テコンドーをはじめてみたい人にもりんごジュースが振る舞われた。
「子供たちがジャンクフードや化学合成添加物の入ったものばかり食べる現実がある。
体作りがいちばん大事な時期。
体にいいものを摂ってほしいと思って、この企画を行いました」(舘和男師範)

千林大宮は、震災直後から希望のりんごの活動をともに行っている「グロワール」の地元。
この日、店頭のいちばん目立つところに、りんごのパンがたくさん並べられていた。

りんごのブリオッシュはりんごの形にテンションも上がる。
コンポート、カスタード、ホイップクリームをサンド。
チョコで作ったへたもかわいい。

「繋ぐ」は2本の生地を編んで作られている。
1本は、陸前高田八木澤商店のみそとアーモンドの生地。
そして、もう1本がりんご入りの生地。
2本を1本に繋ぐ。
しょっぱいものと甘いものが繋ぎ合わされ、不思議に舌に馴染むおいしさが作りあげられる。
店頭に輪っかが重ねられて置かれている様子は、まるでパンでできた鎖のようで、見えない延長線は陸前高田へと繋がっていくようだ。
いつも陸前高田に駆けつけてくれてくれる一楽千賀さんだからこその、思いのこもったパンだと思った。

りんごのパンを作ってくれたパン屋さん、お菓子屋さんを紹介したい。

エトワール(大阪市城東区今福東)
とてもきれいにできた網網がかわいい。
正統派アップルパイは生地がしっかりして、いかにもパン屋さんらしいもの。
りんごのコンポートがたっぷりごろごろ入っている。
店頭にあんぱんまんの歌が流れる商店街のパン屋だった。

パティスリー ラ・フェーヴ(大阪市鶴見区放出東)
いちごショートにおけるいちごというセンター位置に生のりんごが!
中からクリームがどろりととろけでて、りんごのコンポートも姿を現す。
生とコンポート、りんごの香りがダブルで香り立つ。

こいまり(大阪市城東区蒲生)
かりかりの薄いパイ生地に、たっぷりのダマンドクリーム。
りんごをたっぷり1/3個分のコンポート。
伝統的な組み合わせをストレートに、贅沢に。
やさしい甘さも定番のおいしさを引き立てる。
(写真のものは、形が崩れております。申し訳ありません)

ワッフルカフェ プルミエ(大阪市城東区古市)
さくさくのワッフルを噛めば、りんごの香りが滲みだしてくる。
オーブントースターであたためると、なお香ばしく、かりかりになった。

カフェ チャオッペ(大阪市旭区清水)にうかがった。
住宅街にある一軒家を利用したカフェ。
看板がバス停のようになっていたりと、手づくり感のある内外装が楽しく、ずっといたくなるような気持ちにさせてくれる店だった。

この店で出されていた、りんごのトーストセット。
パンが自家製。
トーストにバターを塗り、「米崎りんごジャム」を塗る。
バターの甘さとりんごの酸味はいつだって幸福を運んでくるようだ。
オーナーの諏訪一平さんはお客さんのリクエストに応えて、おいしいカプチーノにラテアートを描いてくれる。

1杯目には、希望のりんご。

2杯目には、りんごを食べるクマ。
飲むのがもったいないかわいさだった。

11日14時からは、千林大宮のmachi cafeでツキノスミカのアコースティックライブが行われた。
日常は飲食店などに勤めながら音楽活動をつづけ、復興コンサートなどに出演するなど、被災地へも共感を寄せる。

夜は向かい側にある、旬鮮粋処かくれでも、ツキノスミカのLIVE。

ソースにりんごジャムを使ったステーキとともに。

小さな舞台であったけれど、それだけに音楽を介して、その場にいる全員が盛り上がり、気持ちをつなげあい、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。
私も挨拶させていただき、平凡ではあるけれど、被災地で知った、人と人が気持ちでつながることの大切さについて述べた。

今回まわってみて感じたのは、どのお店にもあたたかいものが流れていることだった。
それは大阪・下町の人情であり、被災地・陸前高田に寄せられたたくさんの気持ちだったのだろう。
商店街の小さなお店が、それぞれ思い思いに自分の得意技を使って、りんごの商品を作ってくれた。
その商品を買ってくれるお客さんの心の中には、東北を応援したい気持ちが宿っていたにちがいない。
少しずつ集まったあたたかい気持ちを被災地に届けられれば、きっと東北は復興できるはずだ。(池田浩明)


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「りんごの日2015」ご報告&お礼

陸前高田の津波を生き抜いた「希望のりんご」を錚々たるパン屋さんに使っていただくイベント「りんごの日」。

3回目となる今回は、191011日に、東京近郊の各店で行われた。

陸前高田市米崎町・金野秀一さんが栽培する、同じ園地で作られたりんごが、各シェフの手によってどのようなパンになるのか。

どのパンも個性的で、そのシェフの人柄や嗜好を表わすものとなった。


ZOPF(北小金)

キャラメルりんごのデニッシュ

ラム酒の香りがまろやかで尖りなく、ひたすら鼻腔をやさしく撫で、彗星の尾のようなうつくしい余韻をたなびかせる。

使用しているのは「ロン サカパ センテナリオ 23年」。

その芳香はデニッシュの中のバター、ダマンドそして、りんごの三位一体をさらに魅力的なものに変容させる。

りんごはさくさくと鳴り、キャラメリゼすることでなお香りが活かされている。


CALVA(大船)

りんごのタルティーヌ

さくさくさくさく。

噛んでも噛んでも高い音で鳴るりんご。

バゲットの上にごろごろと置かれたたくさんのバターソテーに気分は上昇。

りんご、レーズンからほとばしる甘酸っぱい液体がバゲットを濡らす。

バゲットはこぼれでたジュースを受け止め、さらに投げ返して、りんごの香りを口の中で増幅させる。


ローゼンボア(東白楽)

りんごのデニッシュ

デニッシュの中にりんごのコンポートがたっぷり入っているのがうれしい。

さくさく鳴るデニッシュのあたたかさの中に、ひんやりと冷たいりんごが包まれている。

りんごの甘酸っぱさとバターの甘さのマリアージュは永遠の定番だと改めて思う。


ケポベーグルズ(上北沢)

焼きりんごベーグル

歯と歯のあいだでぴちぴちと気泡が弾けて音が鳴るような、元気のいいベーグルの弾力。

ときどきりんご、ときどき生地。

生地にぐるぐると巻き込まれたりんごが舌に触れると、甘酸っぱさが口の中に不意打ちのように広がる。

一方、生地だけのところを噛むあいだにもぱふぱふとふいごのように、りんごとシナモンの香気は巻き起こる。


nukumuku(中村橋)

希望のりんごとチョコチップ

バンズのような形をして、実はライ麦の甘いパン。            

甘く、あまりにも濃厚なチョコチップとりんごの酸味との息が止まるほどの衝撃的な出会い。

カカオの後味とライ麦の後味もぴたり調和しあうのも素敵である。


希望のりんごと口溶けチョコレート

nukumukuもうひとつのりんごのパン。

少しジューシーさを残してりんごをドライし、そしてミルクとバターを乳化させて作ったガナッシュがパンの上に置かれる。

そしてトッピングされているのは、バニラシュガーをまぶしたりんごの皮をかりかりに焼いたもの。

とろけるチョコレートとりんごの皮、なんと香りあふれるパンだろう。


「皮を捨てちゃうのはもったいない。

食べてほしい。

だったらかりかりに焼いちゃえと思いました」と与儀さん。

(希望のりんごとチョコチップは現在も販売中。希望のりんごと口溶けチョコレートは不定期販売中)


ボネダンヌ(三軒茶屋)

りんごのタルト

かりかりしたパイの上にりんごのコンポートがバラの花びらのように重なる。

酸味がひやりと駆け抜けたかと思えば、すぐさまその下のマドレーヌ生地の甘さがやってきてバランスする。

パイとマドレーヌ、なんとすばらしいアイデア。

マドレーヌにりんごの果汁が滲みこんで、それが一拍置いてりんごの風味を投げ返し、リフレインするのだ。


シニフィアンシニフィエ(三軒茶屋)

パンの中に焼きりんごを入れる構想力。

表面のマカロナージュはかりかり。

湿った生地がほろほろと崩れ、歯にねっちりとくっつき、なおかつちゅるちゅる溶けていく、というウルトラDは志賀勝栄シェフならではの技術とこだわりだと思った。

想定外なことに、りんごの香りはいつしかきんかんの香りに変化を遂げる。

かりかり焦げたアーモンドスライスとりんごとの相性まで緻密に計算されているのだ。


星パン屋(根岸)

りんごミルキーウェイ

「煮詰めたりんごをたくさん入れた銀河系のシナモンロール」とメッセージが添えられていた。

星パン屋は昨年横浜にオープンしたばかり、宇宙をテーマにした異色のパン屋。

シナモンロールは、店主の白井純子さんが得意とするもので、渦を巻いたその姿からミルキーウェイと名づけている。

シナモンの銀河系に相性抜群のりんごが飛び込んだ。


エペ(吉祥寺)

りんごのベラベッカ

りんごをわざわざドライフルーツにし、りんごのお酒カルヴァドスで香りづけしたものを使用。

たくさんのドライフルーツやナッツをりんごの香りとともに食べる、贅沢なパン。


11日夜には、六本木のピッツァ ヌーバで、「りんごの日パーティ」が行われた。

上記のパンを一堂に集め、みんなで食べるという催し。

おかげさまで30席がすぐにいっぱいとなる盛況。

みなさんの被災地への変わらぬあたたかい気持ちをたしかに感じることができた。


ピッツァヌーバで出た料理。

パンに合うものをというリクエストでご用意いただいた前菜は、ヌーバの名物である石窯料理。

石窯で焼いただけのシンプルな野菜が、素材の味がしてとてもおいしかった。


同じく石窯で焼いた陸前高田広田湾産のきらきらほたて。


そしてりんごを使ったデザートピッツァもご用意いただいた。

粉糖をふって、熱いりんごの上に冷たいアイスをとろけさせていっしょにいただくのは、言うまでもなくおいしかった。


そして、各お店から集められたパンを分けて召し上がっていただいた。


ゲストにお呼びしたのは、いつも陸前高田へご同行いただいている、Zopfの伊原靖友店長。


4種類の食事パンをご用意いただくとともに、前記したりんごのパン。


そして、Zカンパーニュを持ってきていただいた。

Zopfの庭に生るぶどうからとったZ酵母を、希望のりんごジュース「点 TOMORU」で培養した特別バージョン。

発酵の香りが普段よりいっそうさわやかであるように思われた。


りんごジュース「点 TOMORU」や「KEEP CALM AND EAT BREADTシャツを店頭で販売していただいているnukumukuの与儀高志さんも駆けつけてくれた。


ピッツァヌーバのオーナーである澁谷満廣さん。

ピッツァ窯付きのキッチンカー「ぬーば号」を製作。

月2回程度のペースで、陸前高田を中心に、三陸各地を訪れ、保育園・幼稚園などでピッツァの提供やワークショップを行っている。

「ぬーば号」の基地とする狙いもあって、ピッツァヌーバをオープンしたほど、熱く東北支援に尽力しているのだ。


「被災地の人たちに『笑顔』を運びたい。

そんな思いで、ぬーば号を作りました。

被災地であっても、おいしい物を食べること、おいしい味を知ってもらうことが大事かなと考えています」


おいしいものを食べるとき、笑顔になる。

笑顔こそ、人を前向きにさせ、苦難から立ち上がろうとさせる原動力になる。

渋谷さんのぬーばの活動も、私たち希望のりんごの活動も、それを信じるということでは変わらない。


さて、すべてのお店のパンをイベントで食べることはできなかったけれど、ご協力いただいたその他のお店のことも記しておこう。


ロワンモンターニュ(王子)

生りんごのシナモンドーナツ。

シナモンとりんごの相性言わずもがな。

油滲みしてない清らかな生地だけにりんごの香りがすごく活きているのは、さすがベテランの遠山シェフである。

油で揚がってシナモンシュガーをまぶされ、とさまざまな衣装をほどこされてなお、りんごの香りがより澄んで聴こえてくるのだ。


マールツァイト(茗荷谷)

焼きりんご

お店を訪ねるとドアの外まですばらしい香りが漂っていた!

ちょうど翌日出す焼きりんごをオーブンで焼いていたのだ。

芯の部分にバターとシナモンを入れることが多いと思うが、白井幸子さんの作る焼きりんごは少し砂糖をふる程度で、そのまま。


オーブンから出たとき、鉄板にはたくさんの煮汁が溢れ出している。

それさえもったいないと、白井さんは鍋で煮詰めてゼリー状のソースを作り、11個にかけていく。

そのひと手間で愛情もかけるかのように。


焼き上がったあとホイップクリームをのせてできあがり。

陸前高田りんごのおいしさにほとんど手を加えていない。

天が与えたままの酸味と甘さと、すばらしい香りに感動した。


残念ながらいくつかのお店は食べにうかがうことができなかったがここでご紹介だけはさせていただきたい。


レ・サンクサンス(三軒茶屋)

タルトレットオポム

事前にコンポートなど調理するのではなく、希望のりんごを生のままパイ生地で包み、オーブンで焼きこんだのち上からきび糖をかけて仕上げる。

これはきっとりんごのジュースがたっぷりと生地に垂れ、ジューシーであるにちがいない。 


粉花(浅草)

アップルパイ

藤岡真由美さんの作るアップルパイは本当においしい。

さくさくと割れるパイからすばらしい香りのコンポートが出てきたとき、ひどく幸せを感じる。

普段は別の産地の農家さんから取り寄せたものを使用しているのを、りんごの日は特別に「希望のりんご」で作っていただいた。


パラオア(新鎌ケ谷)

りんごのソーダブレッド

クリームチーズ&りんごのコンポート入りりんごのマフィン

自家製りんごのコンポートのアップルパイ

キャラメリゼしたりんごを巻き込んだりんご食パン

ブログではこれらのパンの写真とともにりんごのパンが早々と売り切れた旨が書かれている。

私が食べたかったのはりんごの食パン。

あのおいしい食パンにりんごの香りが合わさったらどんな化学変化を起こすか、わくわくしてしまう。


うれしいことに、売り切れたというご報告を各お店からいただいた。

このブログや希望のりんごFacebookでの告知を見て、わざわざお店に足を運んでいただいた方、店頭で知ってお買い上げいただいた方、本当にありがたいことだと身に滲みて思う。

もちろん、りんごのパンを作り、販売していただいた、各お店の関係者のみなさんにも感謝を。

みなさんの熱い気持ちを陸前高田の復興へつなげていく責任を痛いほど感じながら。(池田浩明)


希望のりんごHP

希望のりんごFacebook

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希望のりんご 真夏の陸前高田ツアー
7月26、27日、仮設住宅でのバーベキューを行うため、私たちは陸前高田を訪れた。
5月以来、2ヶ月ぶりの訪問だったが、大きな変化が生まれていた。
津波で壊滅した陸前高田の中心市街地・高田町。
地震によって地盤沈下したこの場所を10mかさあげするための、総延長3キロのベルトコンベアが全貌を現していた。
高台移転のため切り崩される近くの山で発生する土砂を、トラックより効率的に運ぶことができる。

なにもない更地を縦横に行き交う銀色のコンベアの列。
震災前の土地の記憶も、津波の悲しみも、大量の土砂の下に埋もれてしまうとセンチメンタルな気持ちにもなった。
けれど、陸前高田市がこのコンベアへの投資を決断したことで、復興はハイスピードで前に進むことになった。

震災の風化が叫ばれる中にあって、私たちと行動をともにしてくれる人たちはますます多くなっている。
建築家の薩田英男と東京理科大学の学生たちが行う、陸前高田に自生する北限の竹を使って子供たちと遊ぶプロジェクト。

流しそうめんの樋を作るために、学生たちが、希望のりんご農家・金野秀一さんが切ってきた竹の節を抜く。
私たちもこれに協力し、竹を切り、かき氷や流しそうめんを食べるための器を作った。

西荻窪でパン教室「ハッピーデリ」を主宰し、『ポリ袋で作る天然酵母パン』の著書でも知られる梶晶子さん。
ポリ袋とフライパンがあれば、オーブンも発酵器もいらず、簡単にパンができる。
上記の本の着想が生まれた日が、2011年3月11日だったという縁。
それもあり、梶さんは三陸各地で「ポリパン教室」を行ってきた。
道具のいらないポリパンなら、被災地の人たちに、パンを作る楽しみを与えられる。
ひいてはそれが心の平安や希望を与えることになると。

パンで復興を成し遂げたい。
私たちと思いを同じくする梶さんとのコラボが実現。
米崎町を元気にするお母さんたちの会「アップルガールズ」にポリパンを伝授した。
米崎町のりんごジュースを発酵させ、酵母にする。
具材もブルーベリーなど地元の産物を使う。

空気を入れてふくらませたポリ袋に、小麦粉やその他の材料を入れる。
あとは生地になるまでひたすら振るその行為が、ダンスみたいに楽しい。
「私みたく荒っぽいほうが上手に生地になるよ。○ちゃんは上品すぎるんでないの?(笑)」
と、お母さんたちは冗談を言いながら盛り上がる。
梶さんの情熱とアップルガールズの明るさまでミキシングされて、調理場からエネルギーがほとばしっていた。

大ベテランのベーカリーコンサルタント加藤晃さんがかって仮設住宅で披露した大福は、あまりのやわらかさで語りぐさになっている。
今回はアップルガールズからのリクエストで大福の作り方を教えることになった。
和菓子の経験もある加藤さんが作るあんこは、和菓子屋さん、あんこ屋さんレベルのクオリティである。

並行して行われたバーベキューの開催場所は2カ所。
米崎小学校仮設住宅では、恒例となり、住民の方々が楽しみにしている巻きパンを、Zopfの高梨真さん、斎藤弘臣さんが作ってくれた。

お年寄りも子供たちも楽しそうに棒をまわしてパンをこんがりと焼く姿はいつも通り。
今回は米崎小学校の学年行事がちょうど終わったところだった4年生たちが参加し、にぎやかなものとなった。

熱中症でたくさんの人が倒れるとのニュースが流れたこの日。
かき氷はなによりのものだった。
仮設住宅の子供たちがお手伝いし、かき氷機をまわしてくれる。
あまおう、とちおとめ、ゆずなど、国産フルーツを使ったシロップは、ジャムメーカーであるタカ食品工業にご提供をいただいたもの。
あまおうと練乳をかけたイチゴミルクは子供たちに大人気だった。

八戸工業大学第二高等学校の生徒さんと出会う。
米崎小学校仮設住宅にイラストをたずさえてやってきた。

ただの展覧会ではなく、気に入ったものがあれば、持って帰ることができる。
自分のできることをしようという高校生の気持ち。
炎天下の中、がんばっている彼らに、かき氷やパンを食べてもらった。

米崎町の前に広がる広田湾は海の幸の宝庫である。
とれたばかりの、ぷりぷりで甘いホタテがバーベキューの火で焼かれる。

オレンジ色にてらてら光るホヤがその場で切り分けられ、振る舞われる。
見た目がややグロテスクなせいで食べず嫌いの人も多いこの海産物のイメージは、米崎町で食べると一変するだろう。
新鮮なホヤはなんの臭みもなく、「海のパイナップル」といわれる通り、甘さはフルーティ。
みんなにこの味を食べさせてあげたい。

訪れるたびバーベキューの参加者はじょじょに減っている。
自分の家を建て、仮設住宅を出る人が増えているからで、それ自体はよろこぶべきことだ。
米崎小学校仮設住宅の自治会長・佐藤一男さんは、被災地の現状をこのように教えてくれた。
住宅建設の需要に、作る人の数が追いついていない。
たとえ、三陸地域以外の業者に施行を頼んだところで、事情は変わらない。
上下水道は市の指定業者だけが工事をできる。
そのために、柱を立てたはいいが、水道工事が進まずに、床を作ることができず、何ヶ月も雨ざらしになってしまう人もいるのだと。
建設費用もかさむ。
復興の動きが広がれば広がるほど、復興はむしろ遅れるというジレンマに、被災地は陥っている。

りんごがなる丘の上に立つ和野会館では、大阪のパン屋グロワールの一楽千賀さんがフルーツポンチを作ってくれた。
アップルガールズたちとすいかをくりぬき、皮を容器にして、いろんなフルーツを入れ、最後に米崎町の特産品、神田葡萄園のアップルサイダーを注ぐ。
30℃近くにまで気温が上がった暑い日にぴったりの涼やかなおいしさだった。

ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフと、リリエンベルグの横溝春雄シェフ。
洋菓子界の巨匠である2人のコラボ。
摘果(間引く作業)で出た青りんごをバーベキューの火にかけ、焼きりんごを作る。
廃棄されるしかない未熟のりんごをおいしく食べる工夫。
折しも、アップルガールズのリーダーで、私たちの活動を変わらずサポートしてくれている菊池清子さんの誕生日。
中村さんは、立派なバースデーケーキを作った。
わざわざ東京で焼いたスポンジを陸前高田へ持ち込み、ホイップクリームも現場で泡立てる。
だからフレッシュなクリームが口の中で溶けていく感じがすばらしくピュアなのだった。
菊池さんは突然のサプライズに目を潤ませた。

ケーキの中に入れたりんごのコンポート、また先述の摘果りんごは、陸前高田で復興活動を行う団体SAVE TAKATAにご用意いただいたもの。
りんごをシンボルとして陸前高田を盛り上げたいという同じ志を持つSAVE TAKATAと私たち「希望のりんご」は、協力しあって目標を成し遂げたいと思っている。

陸前高田が新しく町を作り直していくにあたっての大きな方向性として、戸羽太市長は「ノーマライゼーションという言葉のいらない共生社会」を掲げている。
人口減社会を迎え、過疎がますます深刻になりつつある陸前高田を個性で光らせるためのアイデア。
なにか私たちも協力できないだろうか。

陸前高田市役所の山田壮史さん、佐々木敦美さんを招いて、震災直後より陸前高田での活動にご同行いただいているNGBC(障害者の施設でのパン作りを支援する団体)のみなさんと話し合いを行った。
パラリンピックで15個の金メダルを獲得した成田真由美さんからは、「ゼロからの挑戦ではない、マイナスから挑戦するからもっと大きな力が発揮できる」と、自身の体験に即しての発言があった。
ただ福祉としてパンを作るだけでなく、売れるようにもっていくことで、障害者の経済的な自立に貢献してきたNGBC。
そのノウハウを陸前高田で役立てることのお手伝いもしていきたいと思っている。

翌日、米崎町ホタテ養殖組合さんのご好意で、漁船に乗せていただくことになった。
第八十八丸又丸の船長は金野広悦さん。
いっしょに乗り込んだのは、佐々木正悦さん。
家も船も津波によって流された金野さんが、3年余りを経て、やっと復興させた船だ。

昨年11月、私たちが紐を付ける作業(耳釣り)を手伝ったホタテのところへ連れていってくれた。
海中から紐を引き上げ、1年でこれぐらい大きくなるんだよと教えてくれる。
7、8センチぐらいだったと記憶しているが、いまや11、2センチとぐんと大きくなって、成長を感じることができた。

船上で、とったばかりのホタテの口を開く。
海水で洗っただけの、まだ動いているホタテを食べさせてくれる。
肉厚な貝柱の甘みが海水の塩味で引き立って、参加者からは『人生でいちばんおいしかった』という言葉も出た。

丸又丸の名は、父である又三さんから取った。
そこには金野広悦さんのこんな思いが込められている。

「震災の日は、午後から漁に行く予定でした。
ところが、2ヶ月前に生まれたばかりの孫の子守りを娘に頼まれて、自宅に残りました。
その日に限って、海に行こうという気になれなかったんです。
1時間後、地震がありました。
親父の口癖は、『震動の大きさは関係なく、揺れが長いと津波がくるよ』。
とてつもなく大きな揺れが、長くつづいたので、絶対に津波がくるって直感して、海抜35mのうちの畑に避難した。
家はなくなりましたが、おやじのおかげ、孫のおかげで命をもらえました。
88まで現役で漁師をしていた親父にあやかって、私たちに恵みを与えてくれる、この海を守りたい」

金野さんがどうしても知ってもらいたいことがあるという。
それは新しい防潮堤のことだ。

「大勢の方が地震で亡くなったし、この死を無駄にしないよう、町づくりにも意見を言っています。
いま作ろうとしている防潮堤の高さは12.5mですが、大震災での津波の高さは17mでした。
もし同じ程度の津波がきたら、なんにもならない。
それに、10mを超えるような防波堤で海を隠されたところに、都会の方々が本当にきたくなるでしょうか。
そこに暮らす住民が幸せを感じるでしょうか。
震災のとき、当初の津波の予想は3m。
(当時)6mの防潮堤があったために、みんな安心してしまい、逃げるのが遅れた。
その後、予想は10mに変更されましたが、それから逃げても遅かった。
立派な堤防があることで、逆に逃げない人がいっぱい出てくる。
生活する場所は高台に作り、地震がくれば逃げる。
そういう形が必要だと思います。
人の命を守るのはハードではなくソフト。
大事なのは、逃げるしかないと伝えていくことなんです」

陸前高田で、命からがら逃げた人たちから何度も聞いたことがある。
海が見えたから逃げられたと。
ずっと海と共生してきたこの町に、海と人間とを区切るものが必要なのかどうか。
海の見える風景は、観光資源としてもこの町の宝物なのだから。

金野秀一さんのりんご畑へ向かった。
5月にりんごの花を見てから2ヶ月余り。
りんごの実はすでに姫りんごほどの大きさに成長していた。
夏を通じて少しずつ大きく、色づいていき、ジョナゴールドの場合、10月20日ごろ収穫を迎える。
次はその頃に陸前高田をお邪魔し、自分の手で実を摘み取ってみたい。

りんごのない季節。
なにかを食べられるとは思っていなかったところに、金野さんが桃を出してくれた。
たっぷりの水分がみずみずしく口の中を潤し、あふれる香りもうつくしい。
それはホタテと同じく、私たちの本能をよろこばせるようなものだった。
それを生み出すのは陸前高田の自然である。
そこに寄り添って生き、守り、次代に伝えようとする人たちを、私たちは「希望のりんご」の活動を通じて、サポートしていきたいと思う。(池田浩明)

希望のりんご

ご協力いただいた方々・団体

大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
薩田建築スタジオ
一般社団法人SAVE TAKATA
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
タカ食品工業株式会社
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ハッピーデリ
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
リリエンベルグ
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。

写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)
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陸前高田・希望のお花見ツアー
被災地・陸前高田をパンで応援する活動「希望のりんご」。
5月10日、11日、私たちは久しぶりに陸前高田の土を踏んだ。
地元の人たちと炭火を囲んでバーベキューをする。
向かった先は、3・11の際には避難所となった和野会館。
アップルロードから急勾配を登ったところにあるこの公民館からは、広田湾を眩しく望むことができる。

到着すると、ピンクのバンダナを巻いたアップルガールズ(陸前高田を元気にするためのお母さんたちのグループ)がきびきびと立ち働いていた。
ベーカリーコンサルタントである加藤晃さんの指導のもと、みんなで赤飯と桜餅を作る。
和菓子も洋菓子もパンも一流の加藤先生が惜しげもなく披露する技術。

たとえば、赤飯にかけるゴマは、塩水で浸けてから炒っておく。
すると、ゴマの香気と塩気が口の中で広がってすごくおいしい。
この技には、Zopfの伊原シェフが鋭く反応、「うちでもあんぱんでやろう」と大よろこび。
加藤さんの情熱。
食べ物を作ること、教えることが大好きで、それはアップルガールズにも乗り移る。
そこかしこで笑いが起きる。

ホットプレートひとつでプロ顔負けの桜餅ができた。
桜の葉は加藤さんの古巣である亀屋万年堂から、あんこは内藤製あんからご支援をいただいたもの。
ご理解とあたたかい支援でこの活動は続けられている。

いま「まるごと陸前高田協議会」が立ち上がっている。
これは一般市民が手づくりのおもてなしをして観光客を受け入れ、陸前高田の魅力を発信しようという試みである。
そこでアップルガールズもお弁当を作る役割を担っているのだが、私たちの活動において、加藤さんや、ラ・テール洋菓子店の中村逸平シェフが教えたお菓子もメニューの一品に加えてくださっている。
この絶品の赤飯もそんなふうにお役立ちできたらと思う。

陸前高田はおいしいと改めて思う。
海の幸、山の幸。

(菊池貞夫さん)

りんご農家の菊池貞夫さんは鹿撃ちの名人。
自ら撃った野生の鹿肉を焼いてくれた。
臭みもなく、野趣に富み、豊かな肉の風味の中には、木の実のような香りさえあった。

アップルガールズ菊池清子さんの実家「こんの直売センター」で購入したホタテ。
こんなにやわらかく、やさしく、純粋な磯の風味がするホタテを東京で食べられるとは決して思わない。

ホヤの苦みと甘みのすばらしい共存。
これも、時間が経つとすぐに臭みを発するものだけに、陸前高田でしか食べられない味である。
思わず自然の恵と漁師さんのお仕事に感謝の気持ちが芽生える。
実はホヤが食べられるようになったのは、この5月からのことだ。
初物のホヤを食べ、希望のりんご農家・金野秀一さんは感動で涙が出た、と言った。
ホヤがこの大きさに育つまで3年かかる。
津波によって海が荒れ果ててからはや3年過ぎたことをそれは意味する。

近隣の仮設住宅の住民の方にお越しいただいた。
かってこの避難所で、物資のない中生き延びるため、ひとつのおにぎりを分け合って食べ、ろうそくの光に実を寄せあった。
食べるものさえない中からの復興。
この思い出の場所で食べるものはそのせいかとてもおいしく、愛おしいのだ。

バーベキューはまた、地元で復興のために活動する人たちと私たちとの交流の場になった。
陸前高田市役所の山田壮史さん、復興支援のNPOであるSAVE TAKATAの松元玄太さんと岡本啓子さん。
米崎町のりんごを販売したり、ジャムを作ったりという活動をされている。
志を共有する者として今後協力していこうと約束をする。
「希望のりんご」の活動はこんなふうにいろんな人と出会うたびに、少しずつ歩みの速度を早め、未来への輪郭が見えはじめているのだ。

建築家の薩田英男さん。
ユニセフの支援によって被災地に保育園を建てる活動を担った。
ここ米崎町で昨年、子供たちのために「竹のワークショップ」を開いた。
陸前高田は竹が自生する北限の土地である。
この竹を使って、土壁や竹の舞台を作ったり、流しそうめんをして、子供たちといっしょに遊んだ。

夏には竹で基地や竹とんぼを子供たちと作るワークショップを企画している。
私たちもなにかできないか。
竹の中に生地を入れてパンを作ったらどうだろう。
そんなアイデアに伊原シェフは好奇心をくすぐられ、どんな火を入れ、どんな生地にしようかと夢中で話す。
職人が新しいことに取り組むときこんなに楽しそうにするのだと感銘を受けた。

金野さんと、近くの竹林まで、実験のための竹を切りに行く。
のこぎりを使っていとも簡単に竹を加工していくけれど、素人にはむずかしいのだろうなと思う。
薩田さんと伊原さんはその竹を抱えて帰った。
どんなことになるのか、夏が楽しみだ。

空き地に車を置き、3.11以降不通となっている、荒れはれた大船渡線の線路を越える。
すると、海沿いの地に咲き誇る花園があった。

伊藤さんの自宅がかってあった場所で、700本ものチューリップが満開だった。
この花にはひとつの願いが込められている
「こんなふうに花を植えて、きれいにしてれば、兄さん、帰ってこれるかな」
お兄さんはいまだに行方不明のままだ。
折しも月命日。
このうつくしいチューリップは最高の手向けになっているにちがいない。
私たちも手を合わせた。

昨秋、私たちが植樹をお手伝いした、農業試験のための新品種のりんご。
どうなっているか見に行ってみると、もう花をつけているので驚いた。
次の秋にはりんごも実るということだ。

米崎町の丘を覆う、りんごの白い花。
同じバラ科の桜に似ているけれど、ちょっと厚ぼったく、堂々としている。季節が巡りくれば花が咲くのは当然だとは思っても、実際目にするとその当然のことにわくわくし感動するのはなぜなのだろう。
私たちはみんなはしゃいでいた。
金野さんの日常は、私たちの非日常であり、すごく楽しいものなのだ。
桜の花を高精度のルーペで観察する。

中央のめしべとそれを囲うおしべ。
1年のうちの2,3日という受粉の時期を迎え、めしべは水で濡れたようになり、花粉をキャッチしやすくなるのだ。

ひとつの枝にりんごの花は5つつく。
最初に咲くのは中心の花で、りんごの生育ももっともいい。
この花に成長力を集中させるため、もったいないけれど他の花は摘んでしまう。
この作業が花摘みで、多大な労力を必要とする。
私たちはこのお手伝いをしたけれど、完了したものはほんのわずかで、改めてりんご1個が実るまではたいへんだと実感する。
やりはじめるとけっこう楽しいものでもある。
思わず時を忘れて、作業に熱中した。

りんご園のところどころに置かれた巣箱。
農家の受粉作業を助けるために、養蜂家が置いた蜜蜂の巣箱である。
反対に、養蜂家にとっては、これだけ集中して花が咲く場所で蜜を集められるのは、ありがたいことだ。
共存共栄。
人類が長く続けてきた食べ物の採集方法には、自然を痛めつけず、その循環に沿った方法であることが多い。

それを後押しすることが、そのまま復興にもつながるとしたら、希望のある未来を描ける。
「希望のりんご」でもこのりんごのはちみつを販売したり、はちみつを使ったりんごのコンフィチュールを販売したいと思っている。

私たちはりんご園からさらに斜面を上がった。
米崎町の海とりんごの木を一望できる場所。
栗の木が立つ未利用地があり、ここに作業所や集会所兼カフェを作れないかと思案している。
地震のときには、津波の様子を心配しながら見つめたというこの場所を、観光資源としてのランドマークにすることはできないだろうか。
りんごを使ったパンやお菓子を名物にしたい。
地元の人たちの要望を丁寧に汲み取り、協力を得る。
そして、私たちと活動をともにする一流シェフたちのノウハウや知名度を注ぎ込めばそれも可能なのではないか。
希望に満ちた仕事を陸前高田に生み出すことで、若者の流出を止めることにもつながる。
いまはまだ、ただの「希望」にすぎない。
だが、イメージを描き、みんなで共有すれば、いつか実現できると信じている。
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希望のりんご、春の旅
陸前高田を支援する「希望のりんご」の活動を、雑誌「ecocolo」(5月29日発売)さんで取り上げていただくことになりました。
取材旅行の報告です。

養蜂家と出会う
陸前高田に養蜂家がいます。
後藤文博さんという方で、純度100%のはちみつを作っています。
気仙川のほとりに自宅はあり、津波が堤防からあふれましたが、2つ目の堤防でなんとか難を逃れたそうです。

「希望のりんご」とも実はつながりがあります。
毎年5月、陸前高田米崎町のりんご畑に蜂を放し、はちみつを取っています。
りんごと蜜蜂は切っても切れない関係にあります。
花が咲いても受粉をしなければりんごは成りません。
そのため、りんご農家は養蜂家を呼んで蜂を放ってもらい、そのとき蜂たちが巣に持って帰った蜜はおいしいはちみつとなるというわけです。
共存共栄、なんという自然の循環でしょうか。

養蜂家とは手間を惜しまなければ勤まらない仕事だと後藤さんはいいます。
毎日見回り、ひとつひとつ巣箱を開け、不具合がないか点検を行う。
熊に襲われたり、寒さによって蜂が死んでしまえば、大きな損害となります。
ここ10数年は農薬の被害がこれに加わることとなりました。
新たな農薬の出現によって、蜂が大量死するようになったというのです。
「蜂が死んでしまうのだもの、人間に害がないわけがない」
蜂という小さな生き物と向き合う、養蜂家という職業は、こうした人間の目に見えない危険をいち早く知り、伝えるために存在しているのではないか、とも私は思いました。

りんごのはちみつをパンにつけていただきました。
蜜りんごのさわやかな甘さ。
それだけではありません。
鼻腔をすーすーと刺激する花粉の香りが普通のはちみつ以上に濃厚にあって、まるでお花畑にいるようなのです。
バターとの組み合わせでさらにおいしく変身しました。

まっとうに、おいしいものを作る人を応援したい。
「希望のりんご」でも後藤さんの作る「りんごのはちみつ」を販売する計画を進めています。

りんごの木を育てる
「希望のりんご」を作る人、金野秀一さんにお会いしました。
東京ではもう散ってしまった桜を、金野さんの畑で見ることができました(4月16日)。
りんごの木の下には野花がたくさん。
除草剤をなるべく使わないから、この風景を見ることができるのです。

金野さんがつぼみを開いて見せてくれました。
その中には小さな花びらが隠れていました。
冬の間にも春は着々と準備されているのです。
りんごの花が咲くのは5月10日頃だと言います。
白い花が一斉に山を彩る景色を見に、また陸前高田に行こうと思っています。

うれしいニュース。
「希望のりんご」で「オーナー制度」を計画しています。
パン屋さん・お菓子屋さんに、りんごの木のオーナーになっていただき、芽の段階から成長を見守っていただき、5年後の収穫からは、お店で自らのりんごを使ったパンやお菓子を売っていただこうという計画です。
各店の方には、陸前高田にきて、植樹や収穫にぜひご参加いただき、帰ってからはその思いを売り場でお客さんと共有していただきたいと思っています。
被災地のことを忘れず、長いスパンでおつきあいしていきたいという思いもそこには込められています。

金野さんは私たちの思いに応え、いま苗木を育ててくれています。
まず地面に差し木をして根を生やして土台を作り、さらに育てたい苗をそこに継ぎます。
いま作っている苗は紅玉。
お菓子やパンなど加工に向いたりんごです。
従来、希望のりんごには紅玉がありませんでした。
いままでご協力いただいた、有名なパティシエの声を活かし、この品種を選びました。
収穫まで長い時間がかかりますが、ここでも折に触れ成長ぶりをご報告する予定です。
見守ってください。

アップルガールズ
アップルガールズとは、菊池清子さんを中心に、米崎町のお母さんたちによって結成された、町を元気にするためのグループです。
「希望のりんご」の活動をいつもバックアップしていただいています。

『ecocolo』編集部さんの希望で、アップルガールズがりんごを使った料理を披露することに。
案内された場所は、津波が襲ってから未利用になっている空き地でした。
道なき道を海のほうへ降りていくと、小屋があり、そこにアップルガールズのみなさんが持ち寄った、心尽くしの料理が並んでいました。

ホットケーキのようなものは、小麦餅。
小麦粉とタマゴをベーキングパウダーで膨らませ、中にりんごを入れたものです。
金野さんの奥さん眞喜子さんが作ってくれました。
「子供の頃、畑で働いている親に持ってった。
『タバコだよー』って」
10時と3時に一服することを「タバコ」と呼び習わすそうです。
中には玉砂糖を入れるのがポイント。
ときどき塊が口に入ると「やったー」とよろこぶのだと。
それから、りんごのコンポートはレンジでチンするだけで簡単においしくできあがります。

佐々木順子さんには、とれたてのホヤも持ってきていただきました。
しょうゆもご用意いただきましたが、海で洗っただけのものがいちばんおいしいといいます。
その通り、磯の香りとじわっとやってくるコク、さわやかな苦み。
米崎町の人はなんておいしいものを食べているのでしょう。

この敷地にはかって伊藤由美子さんのお宅がありました。
ボランティアできた宮大工の人がこの小屋を建て、また別のボランティアの人がひまわりを植え、野菜の種を蒔き。
伊藤さんがそれを育て、またボランティアの人たちがくれば、とれたてを振る舞っていたそうです。
その後こなくなったので、伊藤さんが引き継いで、面倒を見ているとのこと。
700本ものチューリップを植え、ちょっとした庭園という趣きです。
「草ぼーぼーになるのはいやだ。
花が好きだから、こういうの夢だった」

見渡す海岸は荒れ果て、なにもないまま。
防波堤の工事が淡々と進んでいます。
ここで8人もの方がお亡くなりになったとのこと。
伊藤さんのお兄さんもいまだ帰らず、遺体も見つかっていません。
「こんなふうに花を植えて、きれいにしてれば、兄さん、帰ってこれるかな。
目印に鯉のぼりもあげてるし」

こんなに悲しいことがあったのに、アップルガールズはとても明るいのです。
プロのカメラマンにまるでアイドルみたいに写真を撮られて、楽しそうにはしゃいでいました。
「こんなババア撮ったら、カメラ壊れてしまう(笑)」
「どこにガールズがいるんだって、雑誌を読んだ人が探してしまうよ(笑)」
明るく前向きにいることで、お互いに励ましあい、元気を与えあう。
そうすることで、3.11という共通の苦難を乗り越える。
アップルガールズとはそういう活動なのです。
私はまた陸前高田で大事なことを教わりました。(池田浩明)


希望のりんごFacebook→https://www.facebook.com/kibounoringo
希望のりんご公式HP→http://www.kibounoringo.com/

希望のりんごジュース「点 TOMORU」、KEEP CALM AND EAT BREAD Tシャツを代官山蔦屋書店のパンフェア、パンコレ(東急ハンズ池袋店5月19日〜25日)で発売しております。すべての売り上げは希望のりんごによる復興支援活動に使われます。
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「りんご食堂 おいしい陸前高田」報告

1月25日、原宿のRéfectoire(レフェクトワール)で「希望のりんご」主催のイベント「りんご食堂 おいしい陸前高田」が開かれた。
陸前高田の海の幸、山の幸を、ノルマンディ・ブルターニュといった北フランス風に料理する。
陸前高田から、ゲストもお呼びした。
「希望のりんご」を作る農家・金野秀一さんご夫妻、陸前高田米崎町を元気にするお母さんたちのグループ「アップルガールズ」の菊池清子さん。

菊池清子さんは、山の中の小さな避難所「自然休養村」の代表。
金野さんご夫妻も「自然休養村」に食糧・資材を集める世話をしていた。
金野秀一さんはマイクを握り、津波の日のことをこのように物語った。

高台にある、りんご畑に囲まれた自宅から海を眺め、「黒い津波」がやってくるのを見て、足が震えて立てなくなった。
逃げてくる人たちを自然休養村に避難するよう呼びかけた。
電気も水もガスもない。
救援物資が届かない一方、数日で食糧はなくなる。
ガソリンが尽きていく中で、恐怖に駆られた人たちがてんでに物資を探しに出ていこうとした。
「ひとりで生きないで、死ぬときはみんないっしょに死のう」
ひとつのおにぎり、1本のバナナを分け合ることで、なんとか全員の命をつなぐことができた。

自らの死に直面し、近しい人を亡くす。
最悪の危機に際して、団結することで乗り越えてきた体験を間近で聞く。
そのリアリティは、テレビで見ていることとはまったくちがっていた。
涙が出そうになるほど心を揺さぶられながら、なぜか体の中をあたたかいものが流れて、勇気が出てくる。
被災地で見聞きし、私を動かしてきたそうした力を、東京の人たちと共有することができたのは、このイベントの大きな成果だった。

お話のあと、いよいよレフェクトワールの西山逸成さんとスタッフの人たちによる料理をみんなでいただいた。

前菜:米崎町ホタテ養殖組合さんの帆立貝と菊池清子さんの海藻の「軽いグラタン・サバイヨンソース」
朝、海で獲って生きたまま東京へと送られたホタテ。
貝をお皿にグラタンへと仕立てられた。
ホタテの下には昆布のバターソテーが敷き詰められている。
陸前高田のお母さんたちによる町を元気にする団体アップルガールズのおひとりが、獲った昆布。
新聞紙にくるまれたその束をどさっと手渡されたとき、私には和食のイメージ以外まったく浮かばなかった。
それさえ余さず、フレンチに仕立ててくれた、西山さんのアイデアと情熱に脱帽する。

サラダ:金野秀一さんのりんごを使った「サラダ・ノルマンディ風」。
ダイス状に切ったりんごとアルデンテにゆでたお米。
乳製品を多く使うノルマンディらしく、レモン汁に加え、生クリームで和える。
西山さんによると、ノルマンディで伝統的に食べられているものだという。
けれど、さわやかな甘さとつぶつぶの食感はとても新しいものに感じられた。
りんごを野菜として日常的に食べるのは、りんごの木がたくさんあるノルマンディならでは。

メイン:民宿志田の菅野さんが獲られた魚介類のスープ「コトリヤード」。
たくさんの魚をひとつの鍋で煮る南仏のブイヤベースに対して、北フランスのコトリヤードにはそこに生クリームが入ることもあり、それを今回は再現。
コトリヤードの語源とは薪束であると西山さんは説明する。
薪束を次々とくべ、強火でぐつぐつと沸騰させたスープに魚介を投入し、短時間で煮る。
だからこそえぐみのないスープとなる。
民宿志田の菅野さんはポリープの手術で入院していた病院を出るとすぐさまその日に網を入れ、蟹、つぶ貝、タラといった魚介を獲り、送ってくれた。
ムール貝、はまぐりなどの食材も追加され、たくさんのコクが重なって、果てしない深みを奏でる。
コンブでダシをとり、さらに蟹や魚のアラなど、ひとつ仕込みを終えるたび、それぞれにダシをとる手間をかけ、西山さんはこの味を作りあげていった。
トマトペーストを加えたニンニク入りのマヨネーズとグリュイエルチーズを塗ったパンをスープに浸したり、添えられたフレンチドレッシングをかければ、味の変化を楽しめる。

パン:菊池清子さんの海藻を使ったフォカッチャとチャバタ
   海藻バターとレフェクトワールのパン
イベントの1週間前、菊池清子さんの実家「こんの直売センター」に海藻が売られていることを思いだした。
これもパンにならないだろうか。
西山さんに作ってくださいと無理を承知でお願いしたところ、「やります」と即答いただいた。
オリーブオイルの香りが滲むフォカッチャやチャバタに刻んだ海藻を練りこみ、フォカッチャにはさらに海藻のパウダーがまぶされる。
ふわふわのパンに閉じこめられた、三陸の海の香り。
スープとの相性は抜群。
そして、手作りの海藻バターから発せられる磯の香りも、パンを止まらなくする。

デザート:金野秀一さんのりんごを使った「焼きりんご・シナモンのアイスクリーム添え」。
陸前高田のりんごそのものの味を味わってほしいと供された、焼きりんご。
くりぬいた芯に差されたシナモンが、木の枝のように見える。
痛烈なシナモンの香りとりんごのやわらかな甘さのコントラスト。
熱いりんごは冷たいアイスクリームと出会い、口の中でとろけてまろやかになる。
「りんごは煮たり焼いたりいろいろやってきたけど、こんなものを食べたのははじめてです」
りんご農家に生まれ、もう60年近くも生産に携わってきた金野さんは満面の笑みでこう言った。

(食事のあいだ演奏を披露したbackground of the musicのふたり)

イベント後、西山さんがtwitterやレフェクトワールのFacebookにアップしたメッセージから抜粋して紹介したい。
http://instagram.com/p/joJN4nPW0F/
https://www.facebook.com/refectoire.lepetitmec

「ぼくから一つだけ主催者の方にお願いをしていた。
 それは、りんご農家さんや漁師さんたち生産者さんたちをイベントへご招待して欲しい、というお願いだった。
自分たちが愛情を持って育てたものや獲ったものが、遠い東京で東京の人たちに、こんな風に喜ばれ、食べられるているということを目の当たりにして欲しかったということや、東京にもこれだけ応援している人たちがおられるということも、みなさんに直接お会いして知って欲しかった。
生産者さんたちの旅費や宿泊費は、ちゃんとした説明をして、みなさんの会費から少しずつ出していただければ可能だと考えた(そのために今回は人数を集める意味もあった)。
普段ぼくたちがやっているイベントよりは少し会費は高くなるけれど、その分はうちが頑張って、参加されたお客様にも絶対に損や後悔はさせない」

「厨房は朝から本当に大変だった。 
当日の午前まで食材が届かないという不測の事態に加え、当日は昼過ぎまでの営業にはしていたけれど、その通常営業時間も普段以上にお客様が多く、営業をしながら普段とはまったく違う仕込み(大きな真鱈丸ごと、帆立貝もツブ貝も毛蟹も生きたままのものを捌くところから)をする必要があったりで、イベント時間に間に合うのか、ヒヤヒヤものだった。
 イベントは、とても穏やかで楽しい時間となり、お招きした生産者さんたちにもとても喜んでいただき、何度もお礼を言っていただいた。 
大成功だったと思う。
 そして今日、昨夜のイベントスタッフのお一人(陸前高田市にご親戚がおられる方)から、お招きした生産者さんたちからの伝言をお聞きした。 
『心のかばんにもいっぱいの優しさと感動をありがとうございました』 
こちらが感動しました。 
本当にやって良かった、と思う瞬間だった」

食事を終えたとき、私たちはなんとも表現しがたいあたたかさの中に包まれていた。
金野秀一さんの奥様、真希子さんはこんなふうに表現した。
「会場に入ってるときのお客さんは恐る恐るという顔をしていたけれど、出るときの表情はみんな輝いてました。
東京は冷たい人ばっかりだって思ってたけれど、こんなにやさしい人ばっかりだったんですね!」

食材を作った生産者の思いをすべて受け止めて料理する。
それを食べながら、語り合い、伝えあい、思いがひとつになったとき、食事は至上の体験となる。
そのことを、このイベントにご協力いただいたすべての人たちから教えていただいた。
本当にありがとうございました。(池田浩明)


写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)

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第2回陸前高田「以心伝心」バスツアー
今回で9回目を数える「パンを届ける」の活動。
11月16日、私たちは陸前高田市を訪れた。
まずは、3.11の語り部、「陸前高田市ガイド部会」の会長である新沼岳志さんの案内で被害の遭った場所を巡った。

風光明媚な海水浴場として、多くの人たちが訪れる観光地だった、高田松原。
江戸時代から340年つづいた貴重な松は、3度の大きな津波に耐えたにもかかわらず、3.11では「奇跡の一本松」だけを残して壊滅した。
「道の駅 高田松原」の廃墟。
コンクリートがぼろぼろになった無惨な情景を目にすると、津波の圧倒的なパワー、それに飲み込まれた人の悲鳴や嘆きが聞こえてくるようだ。

(高田松原の松の木の根っこが無惨な姿をさらす)

新沼さんが海岸を指し示し、ここに作られようとしている巨大な防潮堤の計画を説明する。
高さ12.5メートル、底面の幅はなんと50メートル。
総延長5キロを建造するための工費は230億円に及ぶという。
けれども、陸前高田を襲った津波の高さは最大13.2メートルだった。
3.11の津波さえ防ぐことのできない堤防に230億円の巨費を注ぐ。
根本的な疑問は、本当にこれが津波から人を守るのかということだ。
巨大な堤防を作れば作るほど、安心を人に与えるために、逃げる意識を失わせはしないだろうか。
また海への視界を遮るために、沖からやってくる津波を見ることができない。
3.11で生と死と境目になったのは、海が見える場所にいて、津波がやってくるのをいちはやく目にすることができたかどうかだったと、私は逃げ延びた人たちから聞いたことがある。
新沼さんによると、この防潮堤の計画は、市民の間でも賛否が分かれているそうだ。

(かつての陸前高田駅前。手に持っている写真は震災前の同じ場所を同じ角度から見たもの)

いま無人の荒れ地となっているここはかって陸前高田の駅前商店街だった。
海沿いのこの場所に陸前高田の駅舎があり、ロータリーから一直線に商店街がつづいていた。
新沼さんによると、この商店街に住んでいた商店主の8割が亡くなったという。
高田町にあった緊急避難所11カ所のうち10カ所を津波が襲ったからだ。
小高い丘の上にあったわずかに1カ所のみが難を逃れたと。
「地震がきてから最初の津波がくるまでの約40分間。
通帳や赤ん坊の着替えを取りに家に戻った人が津波に遭ったんだ。
チリ地震のときは、この線路までしか津波がこなかったことで、みんな安心していた」
自然は常に人間の想定を超える。
それを肝に銘じ、万一の準備を怠ってはならないことを、この風景は教えてくれる。

今回、私たちは活動の範囲を広げた。
2カ所の仮設住宅でバーベキュー、同時並行して、米崎コミュニティセンターでパン教室を行った。
陸前高田には依然としてパン屋はない。
普段、スーパーのパンしか食べられないお母さんたちが、自分でパンを作りたいと希望したもの。
講師はベーカリーアドバイザーの加藤晃さん。
オーブンをお持ちでない方でもパンを作れるように、フライパンを使ったレシピを用意。
地元でとれたりんごとさつまいもをフィリングに利用したパンはパン屋で売っているパンさながらにおいしかった。
また、買ってきた食パンに惣菜をはさんで手軽に作れる、カレー揚げパンやポテトサラダ揚げパンも披露した。

私たちが米崎小学校に着くと、お母さんたちがベンチに座って待ってくれていた。
たくさんのなじみの顔。
男性は炭の火を起こし、コンロを設営する。
お母さんたちの中で動ける人は食器を洗い、野菜を焼き、足の悪い人に取ってあげたりと助け合う。

今回はZopfから吉澤さんがやってきていつもの巻パンを作ってくれた。
ブーランジェリー ボヌールの若手、斉藤君もサポートにまわる。

パン作りが大好きなお母さんがいて、つきっきりで手伝ってくれる。
文字通りの「昔とった杵柄」、モチをこねる要領でパンをこねるのでとてもうまい。

巻きパンはすっかりおなじみ。
慣れた手つきで棒をまわし、子供たちが手伝う。
2歳になる女の子が恐る恐るパンを齧り、おいしいと笑顔になる。
この子は地震のとき、まだ母親のお腹の中だった。
月日は確実に流れている。

巻きパンを食べ終わったあとの棒を持って踊りだすお母さんがいた。
この地に伝わる、和傘を使った踊りなのだという。
手つき、腰つきの流暢さ、鮮やかさにみんなが手を叩いて、盛り上がる。

牡蠣漁師である大和田晴男さんが蒸し牡蠣を作ってくれた。
ガスボンベとコンロを持参、「大和田家の牡蠣」と青空に幟(のぼり)が立つ。

コンロから湯気が上がり、おいしそうなスープがたっぷりと漏れ出る。
奥さんが殻にナイフを入れ、むいてくれた蒸したての牡蠣を食べる。
豊かな磯の香りとともに濃厚な甘さがジューシーにまったりと広がった。
現地にこなければ食べられないおいしさ、豪快さ。

忙しい合間を塗ってバーベキューに駆けつけた理由を大和田さんはこう話す。
「震災のときはたくさんのボランティアの人たちがきて、筏の再建を手伝ってくれた。
いまその人たちに直接恩返しすることはできないので、きてくれる人には安く牡蠣を振る舞っています」

みんなが思い思いのものを持ち寄る。
米崎女性会のみなさんは、三陸ならではの味、さんまのつみれ汁を振る舞ってくれた。
現地のスーパー「マイヤ」に売られる、新鮮なさんまのすり身。
陸前高田のしょう油屋ヤマニのしょうゆにみそ、白だし。
そして地元でとれた根ショウガをきかせ、実にいいスープが出ていて、身も心もあたたまった。

米崎町の金野直売センターにご協力いただいた活きホタテ。
網の上にのせようとすると、
「指をはさまれないように気をつけろよ」
と漁師の佐々木さんから声がかかる。
無雑作につかみあげると、ホタテは本当に活きていて、貝を閉じて指をはさまれそうになった。
火にかけるとほどなく、ふたを開いて、おいしそうな汁を滲ませる。
身のふくよかさ、こりこり感、臭みもなく、ひたすらに甘い。
「ほら、藻がついたりして、貝が汚くなってるのがあるだろ。
こういうのがおいしいんだ。
海面の近くにいて、養分のたっぷり入った水を吸っているからさ。
牡蠣もいっしょだけど、ホタテを選ぶときはきれいなのを選んじゃいけないよ」

米崎町の目の前に広がる広田湾は、気仙川の淡水が流れこむ。
外洋で育てるのとちがって、川が運びこむ陸の養分によって、身が甘く、貝柱の大きい貝が育まれる。
牡蠣が築地では高値で取引されるように、広田湾は名漁場として全国的に知られている。

サンマに牡蠣にホタテ、野菜。
コンロの上に地元の産物がたくさん置かれた光景は感慨深いものがある。
震災直後、ここを訪れたとき、新鮮な食べ物などまったくなかったのだから。
筏を作ってもう一度海に浮かべ、稚貝をつり下げ、1年以上の時間をかけて育ち、作業所も再建して、そうしてやっと出荷できるところまで漕ぎ着けた。
人びとの努力によって復興はだんだんと確かなものになってきている。

たくさん食べて一服しているところに、ポータブルCDが持ち込まれ、米崎音頭が流れる。
すると、お母さんたちが列を作って踊りはじめた。
私たちもその列に参加し、みんなで米崎音頭を踊った。
はじめてのことだったけれどなんだか楽しく、仲間になれた気がした。

りんご畑のある丘陵地帯には、西風道(ならいみち)仮設住宅など、世帯数10軒前後の仮設住宅が7、8カ所も点在している。
規模が小さいゆえに、いままであまり支援の手が及んでいなかった場所。
そうした住民の方にきていただきたくて、和野会館でもバーベキューを行った。
この小さな公民館は、かって避難所として、被災者の方々が身を寄せあうようにして生活をともにしていた。
坂道をわざわざ上がってここにやってきたお年寄りたちが、野外に並べられたテーブルを囲む。
みんな楽しそうな笑顔。
同じ集落だった人が離ればなれになっていて、久方ぶりの再会の機会になった。

「グロワール」の一楽千賀さんが大阪からわざわざ駆けつけ、米粉のパンケーキを作ってくれた。
ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフもそれを手伝う。
希望のりんごを使ったジャムをこの日のために仕込み、いちご、桃、パインなどもパンケーキの上にトッピングしてかわいいパンケーキができあがり。
子供たちが大よろこびで競い合うように食べていた。

りんご農家の菊池貞夫さんは、前日に鹿を撃ち、私たちに振る舞ってくれた。
厚切りにしたジビエを炭火で焼く、堪えられないおいしさ。
米崎町の海も山も様々な生き物を育み、実に豊かなのである。

(加藤晃さんと米崎町女性会の人たちが作ったパンをみんなで食べる)

ボランティア団体「ラブ・ギャザリング」の辻めぐみさんは言う。
「子供に話かけたとき『僕、ここに泊まったことあるんだよ』と話てくれて、なんて答えてよいのか言葉に詰まってしまいました。
3.11のとき避難所となった場所は子供達にとって、とても怖い思い出があるところだと思います。
今回こうして同じ場所に集まり、みんなの笑顔を見て、この場所が子供達にとっても大切な記憶となると思うと、とても感慨深く、もっとたくさん楽しい思い出を作ってあげたいと思いました」

同じ米崎町という場所に、被害に遭われた方とそうでない方がいる。
そして、被害の程度も、元の職業に復帰できたかどうかも、それぞれ異なる。
そうした人たちが笑いあい、絆を深めあう機会に、このバーベキューがなったとしたら幸いである。

10月16日、台風26号によってりんごが落下、未曾有の被害が出た。
いまりんご畑はどうなっているのか。
一刻も早く見たくもあり、見るのが怖くもあった。
だが、私は安堵した。
りんごは以前見たときよりはまばらな印象だったが、それでもあちらこちらに、赤く、黄色くなっていた。
宝の山。
それらは丘を明るく照らすたくさんの灯火に見えた。
主力品種であるジョナゴールドは9割が落下したものの、なるべく長期に渡って出荷できるよういくつもの品種を育てていたこともあって、ふじをはじめ難を逃れたものも多い。

収穫を体験する。
「持ち上げるようにしながらまわすと取れますよ」
金野秀一さんに教えられたようにやってみると、ちぎらなくてもすんなりと取れる。
もぎたてのりんごを口にしてみる。
いつも思うことだが、この風景、この風の中で食べるりんごがなぜかいちばんおいしい。
酸味はすがすがしく、甘さはやさしく、自然の味がする。
都会で忘れがちな、自然の中で生かされているという実感を取り戻させてくれる。

金野さんのお宅でさまざまな品種の食べ比べをさせてもらう。
りんごはすべて同じようなものだと思っていたが、そうではなかった。
1ケース(5キロ)がなんと2万円で取引されるという紅いわて。
やわらかな食感もまったりした甘さも洋梨に似ている。
他にも酸味がきりりとしたもの、甘さが丸いものなど、それぞれの品種がそれぞれの魅力を放って、どれもおいしかった。

深夜11時。
田舎ならではの真っ暗な闇の中、1軒だけ明かりの灯った建物。
「夜11時にくれば仕事が見られるよ」
バーベキューのとき、ホタテの世話を焼いてくれていた漁師の佐々木さんにそう言われ、作業場を訪ねた。

なぜ11時なのか。
中からかんかんかんとたくさんの貝殻同士が打ち合う音が聞こえてくる。
漁師たち、お母さん、おばあちゃん。
こんな夜更けにたくさんの人たちが働いている。
北海道から運び込まれた幼いホタテにロープを通す作業。
水揚げされたホタテを6時間かけて船で運び、それが到着するのが夜の11時なのだ。
がちゃんがちゃんと繰り返す音。
佐々木さんが機械で穴を開けている。
それをロープに通すのは、主に女性の役目。
作業が終わるとホタテはまたトラックに積まれ、海に持っていってすぐさまイカダに吊される。
家族総出でこれを朝方までずっとつづける。

この作業所は近隣の漁業者4人が共同で営む。
かってはそれぞれが独立したホタテの養殖をしていた。
ところが、津波で作業小屋を失い、船を流された。
1艘の船、1軒の作業小屋をみんなで分け合うことを余儀なくされている。
船が少ないので、作業性は低い。
生育していた稚貝も失った。
船を買い、家を再建するために、多額の借金を背負った。

「天国と地獄」
と佐々木さんは言った。
かってホタテの養殖は稼げる商売だったが、いまだ生産は回復せず、年収は70万円に留まっている。
船や作業場や養殖筏を含め、被害の総額は1億5000万〜2億円に及ぶという。
だが、悲観することはないと思った。
これだけおいしいホタテを世間が放っておくはずはない。
一度口にすれば、普通のホタテはもはや食べることができない。
りんご同様に応援することを約束し、活気に満ちた深夜の作業場を辞した。


翌日、一行はりんごの植樹を手伝った。
米崎町の一角に作られる岩手県農業技術センターによるりんごの新品種の展示場。
ジョナゴールドやふじの色も形もよくなった改良バージョン。
米崎りんごをさらに「希望」に満ちたものにするための実証実験である。

持ち慣れないスコップを握って穴を掘る。
苗木を運んで穴に入れる。
覆っていた不織布や茎を束ねるビニタイを取り除く。
土をかけ、肥料を与える。
大勢で手伝ったので、2時間ほどの作業で120本の植樹を完了することができた。

(別れを惜しむ、ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフと、りんご生産者の金野秀一さん)

いろんな人に会い、復興のたしかな足取りを目にした。
目を見て、話をして、短い間であるけれど希望や悲しみを共有する。
ささやかな応援のお礼に、心のかばんには思い出をいっぱいもらって、私たちは陸前高田米崎町を後にした。(池田浩明)

ご協力いただいた方々・団体

大和田晴男・三代子
大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
和野下果樹園
その外、ツアー参加者の方々

写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)
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「以心伝心バスツアー パン屋さんと行く陸前高田」レポート
(米崎町のりんご園。手前のピンクは桃の花。陸前高田は遅い春のまっただ中で梨や山桜まで咲いていた。向こう側は広田湾)

地震のことを忘れたくない。
傍観者でいるのは心が痛む。
『以心伝心バスツアー パン屋さんと行く陸前高田』に参加いただいた方はそうした気持ちを共有していたはずだ。
経済的な意味での「復興」に役立つかはわからない。
けれども、被災地と、被災を逃れた地域に住む人たちとのつながりの数を、3.11の前よりも、もっと多く、もっと太くしていくことは少なくとも可能だ。
人と人の出会いはきっとなにかを生みださずにいないはずだから。

この催しにご協力いただいた団体(事業主)

株式会社 愛工舎製作所
お茶の水女子大学 熊谷圭知研究室
大和田晴男・三代子
大屋果樹園
沖縄ハム総合食品株式会社
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
ケンコーマヨネーズ
三和産業
Zopf(ツォップ)
日本セルプセンター
日本製粉株式会社
復興支援団体SET
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
みんなのプロジェクト(伊藤忠食品)
米崎中学校仮設住宅
米崎町女性会
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
和野下果樹園

また、いつものように、特定非営利活動法人 NGBC(障がいのある人のパン・菓子作りを支援する団体)加盟のパン屋さん、お菓子屋さんにご協力いただいた。

5月11日午前、参加者はまず陸前高田市内を見学した。
地震直後の廃墟を見ていない人にとって、ただの原っぱに見えたかもしれない。
震災後2年を経て、それほどに瓦礫の撤去は進んだともいえるし、復興は依然として進んでいないともいえる。
それでも、陸前高田はずっと町らしくなった。
仮設の店舗がそこかしこにでき、市街地が姿を現している。
今回は津波の被害を伝える「語り部」の方に案内していただいたことで、津波の悲惨さがよりリアルに浮かび上がった。

午後は米崎町へ。
果樹園に接近していくと木々に白い点々が付いているのが見えてくる。
待ちきれず走り寄ると、それは本当にりんごの花だった。
わずかにピンクを帯びて、花びらは堂々とグラマラスな線を描いて、それでいてかわいらしく。
毎日何気なく口にするりんごが、こんなに可憐な花から生まれてくるのだと、身をもって知ることはひどく感動的だった。

これはジョナゴールドの花。
先端の大きく開いた花をいくつかのつぼみが取り囲んでいる。
放っておくとたくさんのちいさなりんごができるので、中心の花だけを残してあとは取り去る作業「花摘み」を行う。

写真に写っている30センチが花房と呼ばれる部分。
花摘みで残すのは3つだが、最終的にはたった1個に絞る。
また、玉回しという、まんべんなく日に当ててきれいな赤い色をつけるための作業もある。
わずか100円ほどのひとつのりんごになんと手間がかかっていることだろう。
この日は朝から雨が降って、水滴が花を痛めてしまうため、花摘みのお手伝いをできなかったことが残念だ。

りんご畑をツアー参加者のために開放してくれた、和野下果樹園の金野秀一さんと大屋果樹園の菊池貞夫さん。
愛情をかけたりんご畑に大勢が踏み込み、迷惑でもあったにちがいないけれど、金野さんの奥さんはこう言ってくれた。
「若い人がたくさんきてくれて、(金野秀一さんは)本当によろこんでいます。
もうりんご作りはやめようかと一時は言っていたのに、今度はりんごの木を増やそうと言っています(笑)」

(立派な字で書いていただいた看板)


近くの米崎町コミュニティ・センターに移って、がんずき教室が行われる。
「がんずき」とは、岩手県でよく食べられる蒸しパンのことだ。
指導と準備をしていただいたのは米崎町女性会「アップルガールズ」のみなさん。
女性会の中でも、がんずき名人に集結していただいた。

(お茶の水女子大・熊谷圭知先生と学生のみなさん。米崎小学校仮設住宅で被災者の聞き取り調査を行っている)

「水加減がむずかしい」と参加者から声が上がったように、おいしく作るにはこつがいる。

「茶」と「白」があり、「茶」は玉砂糖という黒砂糖を使っている。
「茶」は重曹、「白」はベーキングパウダーと、レシピにもこだわり。
地元産のくるみを殻から割って使用した。
中には殻つきのくるみを見るのがはじめての人もいた。

(前で教えてくれているのが、米崎町女性会の菊池清子さん。「パンを届ける」という一連の活動でずっとお世話になってきた)
蒸しあがる間に、アンパンマンの作者やなせたかしさんが作詞・作曲した「陸前高田の松の木」を踊る。
恥ずかしがらずみんなでできたことで、参加者のあいだに一体感が生まれた。

昼食には陸前高田市広田町の農家のお母さんたちが自ら栽培した野菜で作ったカレーをいただいた。
添えられた蒸し牡蠣は広田湾で大和田晴男・三代子さんご夫妻が育てたもの。
この旅で私たちはりんごはじめ地元産のたくさんの農産物・海産物を食べ、この土地の豊かさを実感することになった。

ホテルで夕食をとったあと、米崎小学校仮設住宅のリーダー佐藤一男さんのお話会が行われた。
被災した本人が語る津波の悲惨さ、災害への備え、復興が進まない理由など。
報道では伝わりにくい被災地の真実を参加者は静かに聞き入った。

翌朝は米崎小学校仮設住宅でバーベキュー。
地元の人たちもみんな楽しみにしていてくれた巻パンを、Zopfの伊原靖友店長が作る。
道具が揃わない中でも、みんなができることをし、協力しあって、パンを作り上げていく。
小麦粉や砂糖、卵の計量をアップルガールズのお母さんたちが手伝う。
森和也さん(元パン・コティディアン・ベーカリーシェフ)が自分の指を温度計代わりに水温を測り、外気を肌で感じて適切な水温を作り出し、小型ミキサーをまわして生地へと仕上げていく。

生地ができあがったら伊原さんが棒に巻きつけ、それをお年寄りもお母さんもツアー参加者も炭火にかざしてくるくるまわしながら焼きあげていく。
子供たちは、はじめて触る生地の感触に興奮し、お手伝いをしたり、いたずらをしたり。
それを見た大人たちがかわいさに目を細め、また盛り上がる。
炭に次から次に火が延焼していくように、ベーベキューの時間はどんどん楽しくなっていく。

お菓子の材料として使うクーヴェルチュールショコラが余っているのを見た、ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフが、即席でホットココアとチョコレートソースを作ってくれた。
5月とはいえやや肌寒さを感じる曇り空の下で飲むココアは体をあたためてくれたし、巻きパンにもたっぷりとチョコレートをつけ、子供たちはおおよろこびだった。
なにげないものをアイデアひとつでみんなが楽しめるおやつに変えてしまう、プロの仕事とは改めてすごいと思った。


(とれたてのめかぶを炭火で焼く)
(網で焼かれるつぶ貝と沖縄ハムのフランクフルト、地元産の野菜)

地元で採れたたくさんの海産物もバーベキューの火の上に置かれる。
採れたてのめかぶに、つぶ貝。
貝のこりこりとした食感、磯の香り。
はじめて食べる焼きめかぶの香ばしさ、とろっとした口溶け、濃厚な味わい。
どれも、新鮮な海産物だけの持つものだ。
つぶ貝は、自ら釣った魚介で宿泊客をもてなす民宿志田の菅野さんにご提供いただいた。
めかぶは、前日の野菜カレーと同じく、広田町に移り住んで支援を行う「復興支援団体SET」の三井俊介さんの仲介で、地元生産者の方から購入したもの。


(仮設住宅のお母さんたちと話をする櫛澤電機製作所の澤畠和秀さん)

(プレミアムモルツも配られさらに盛り上がる)

以心伝心バスツアーの参加者、米崎町女性会アップルガールズの人たちが全員で、野菜を切り、肉を焼き、後片付けをする。
調理用具を融通し合ったり、食べ物をすすめたり、「おいしい」と言い合ったり。
バーベキューというイベントを協力して作り上げていく中で、自然と会話が生まれる。
最後に、みんなで集合写真を撮り終わると、拍手が沸いた。
バスに乗り込む前まで、参加者それぞれが、地元の人たちと別れを惜しみ、再会を約束する言葉が聞こえていた。
食事をともにし、よろこびを共有することで、参加者はみんな仲間になっていたのだ。
3.11という深く大きな傷口。
今回の催しが、それを塞ぐための小さな積み重ねのひとつになったとしたら、とてもうれしい。

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