ラルカンシェル(尾山台)
2013.10.28 Monday 16:47
190軒目(東京の200軒を巡る冒険)
ミシュランひとつ星のイタリアン、リストランテ・ホンダが、世田谷・尾山台にパンとケーキの店を出している。
小さいながら、裏通りでひときわ輝く、うつくしい店。
最初に目に飛び込んでくるのはきらびやかなケーキの数々。
それと拮抗するように、端正な姿をしたパンが並ぶ。
パンとケーキ、それぞれのシェフが、ハイレベルで相争っているように見える。
宇野幸二さんは、前任者に次ぐ2代目のシェフである。
「開店して約2年になります。
コンセプトは、レストランに出てるパンやケーキを身近で食べてもらいたいということ。
レストランにはないパンも、ホンダ流にアレンジしています」
料理人である本多哲也オーナーとの共同作業で生まれる。
「試作したものはオーナーがぜんぶ食べています。
オーナーの個性も出したいので、調整が入ることもあります。
本多がデザインも考えたり。
特に惣菜系は味を見てもらって、工夫していることが多いですね」
ハード系の食事パンは、レストランと同じものが並んでいる。
「レストランで使っているバゲットはトラディションという長時間発酵のものです。
オーナーの本多は、癖のあるものがほしいと言っています。
パン・ケーキは、普通じゃおもしろくない。
パンに個性があっても、『それに負けない料理を作ればいい』と」
料理人の多くはパンに目立たない役割を求める。
スタンダードで、料理を殺さない、主張のないものをと。
まったく逆の本多さんの考えをおもしろいと思った。
食卓に自由が召還される。
料理とパンはお互いをライバルとみなすことで、熱をはらみ、響宴と化すだろう。
宇野さんは、大阪の「パン工房 麦」で修行をしたのち上京し、ブーランジェリー ラ・テールの厨房に入った。
「パン工房 麦は、原材料はシンプルにして、発酵のタイミングを重視していました。
発酵具合とか細かい部分に気を使うと、職人的な感覚になってくる。
そこが自分の原点にもなっています。
東京にきたのは、いまどういうパンが作られているのか、もっと知ってみたいと思ったから。
こっちのほうが関西よりも理論的ですね。
ラ・テールでは素材を重視することなど、勉強になりました。
特に国産小麦のパンについては(ラ・テール前シェフの)栄徳さんのすごさを感じましたね」
北海道、東北、九州。
ラ・テールは各地で作られた地粉を集め、生産者の思いを受け、それぞれの個性を表現する。
現在はブラフベーカリーで北海道産小麦のパンを展開する栄徳剛シェフは理論派の、内麦の使い手。
ラ・テールで学んだそうした方法論を、宇野シェフはラルカンシェルに持ち込もうとしている。
国産小麦の食パン(金・土・日限定)
タンパク量の多い超強力小麦であるゆめちからをメインにした食パン。
8枚切りにしてくださいと頼んだら、できませんと言われた。
スライサーでも切れないほどの、驚異的なしなやかさ。
しっとりして、ねまらかで、独特にくねくねする。
国産小麦らしい、もちっとさ。
それは一瞬であり、さっと気持ちいい歯切れとなり、しゅわっと溶ける。
さっぱりした甘さがすばやく広がって、軽やかな発酵の香りも同時に鼻へ抜ける。
砂糖はわずかしか入れてないとのことで、これは小麦自体の甘さである。
しかもすばらしいのは、微妙で失われやすい、麦の中の穀物的な味わいが甘さにまぎれずに、きちんと残っていることだ。
もちもち感、歯に粘る感覚は、それと通じあって、もちのおいしさの記憶を呼び起こす。
日本人のための、新たな国産小麦の食パンの到達点。
「ゆめちからを食パンで使っています。
外国産の小麦ならおいしいの食パンはできますが、国産ではなかなか見当たらなかった。
ここ2、3年でゆめちからが出回ってきた。
味が薄いのできたほなみとのブレンドを使っています」
バゲット・トロン(231円)
香ばしさのようで甘さ、甘さのようで酸味、酸味のようで塩気。
このめくるめく感覚は塩気がキーとなっているように思われた。
わずかに配合されたライ麦と全粒粉が味わいにもうひと押しのインパクトを加えている。
自家製酵母らしい濃密さ、自家製酵母らしからぬ軽やかさ。
その印象は食感からやってくる。
ゴーフルのようなぱりぱりした皮。
その下の中身はもっちりとしてしっとりと濡れ、ふたつが相まって食感の快楽を生み出す。
甘さと酸味がめまぐるしく移り変わるような独特の味わいは、以下のような手法で作られている。
「3種類の酵母を使っています。
ルヴァン種、ビール種、ルヴァンマシーンで作ってるルヴァンリキッド。
メインとなるのが液体(リキッド)。
わざとあまり発酵させず、酸味を抑えて粉の味が出るようにしています。
ビール種は癖のある味、ルヴァン種は酸味があるので、酸味をきかせる効果を狙っています」
つまり、発酵用のルヴァンリキッドに、味付け用としてビール種、ルヴァン種を加えている。
パン・オ・ショコラ(190円)
よく乾き硬さもあるウェルメイドな皮は細かく割れて、しゃりしゃりという食感になる。
しっかりと焼かれて火が入っているせいで、奥のほうまで茶色く皮化している。
それが空手の瓦割りみたいに、少し噛むと連鎖的にぱりぱりと何枚も割れて、派手な破裂音を響かせる。
発酵バターのいい香り、それにつづいて、ヴァローナのチョコレートの愉悦が加わり、マリアージュになっていく。
軽やかかつ深みのあるカカオの風味、バターが引き起こすオイリーな変化は、ごく自然に身をまかせられる。
パン・オ・ショコラの見事なクロワッサン生地はどのように作られるのか。
「皮がめくれる感じにヴォリュームが出て、ふわっとしてばりばりしてる感じが出したい。
そのために粉はリスドオルとレジャンデール(ともに日清製粉)をブレンドしています。
レジャンデールで皮の表面の粉の味をしっかり出して、ボリュームはリスドオルで補う。
バターの味を出すのが苦労しますね。
たくさんバターが入っているという配合ではなく、きれいに折ること、発酵の温度帯、タイミングに気を使うことで、いい香りのクロワッサン生地ができあがります」
どのパンを食べても食感がいい。
「いい」というのはただうまくできているだけではない。
キャラ立ちしたオンリーワンの食感がきちんと表現されていることでもある。
「食感を大事にしているのは、本多オーナーの意向があります。
こだわってるところですね」
惣菜パン、菓子パン系もすばらしく充実している。
フィリングに本多オーナーの技術とセンスが活かされているからだろう。
カレーパン
焼きカレーパンかと思うほど、油滲みがなく、さっぱりとして、コクのある甘さは表面に集中している。
かりかりであり、かつカレー味を中和する小麦の白さもある。
フィリングの衝撃的な甘み、うまみ。
かと思えば、星がまたたくように、ぴりぴりの数が口の中で漸増していき、やがて口から喉にかけて占領してしまう。
ビーフのダシが溶けこんでコクがあり、フルーティでも、野菜の甘さでもあって、そこへさらに生地の甘さが積み重なって、どんどん豊かに育って、狂おしいほど広がり、どこまでも押し寄せてくる。
料理人のセンスとハイレベルなパン。
両者が競争し、せめぎあうという、レストランのテーブルで起こっていることを、たった1個のパンでお試しできる。
それが、ラルカンシェルを魅力的にしているものだ。
「お客さんに食べてもらうことをいつも考えていますね。
お客さんがなにを求めているか。
お客さんになにを自分が伝えたいか。
時代のなにが流行りかはいつも考えています。
料理関係の情報をオーナーが話してくれる。
それをパンに取り入れることができるのも、この店の強みだと思います」