パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
セルオブレ(武蔵小山)
112軒目(東京の200軒を巡る冒険)

sel=セルは塩。
eau=オは水。
blé=ブレは小麦。
セルオブレとは、パンを作るための最低限の材料を意味するフランス語である。

店名の由来とは、という質問に、
「かっこよくいっちゃえば、心構えですけど」
と吉川シェフは答えた。
いつも原点を忘れない、という姿勢。
いちばん大事なものを踏み外さない、というあり方。

「基本が大事というのはあります。
毎日、同じものをだすということはむずかしいけど、それをやっていこう。
お客さんが今日食べたものと、明日食べるものがちがう、というのはよくない。
空調管理しっかりして、生地を手で触って、感覚で状態を見極める。
それが大事」

生地を大事にするということは、地元の人たちの日常を大事にするということだ。
住宅地の商店街にある、地元に根づいたパン屋。
武蔵小山の長い長い、活気あるアーケード街からおよそ50メートルの場所に店はある。

「お客さんがパルム商店街から曲がって、ここまで買いにきてくれる。
その数分の行為をどう考えるか。
パルム商店街は屋根があるけど、雨の日はわざわざ傘をささななきゃいけない。
そのためには目的がないと駄目なんで、おいしいという印象を持っていただきたい。
幸い、『ここの食パンが好き』といってくれる人が多いです」

パンドミ(280円)
ミルクの風味が心地よく香って、スライスの一片は震えるほどやわらかい。
やわらかさの中にコシがあり、表面を噛み切った瞬間、ゴムのようにひきちぎれる感覚がある。
リッチではあるけれど、素材はどれも大事にされている。
しっかりと甘い。
砂糖でごまかした味わいではなく、ミルク自体の甘さであり、小麦自体の甘さ。
噛みつづけてそれがさらに濃厚に膨らむ。
バターやジャムは必要がない。
パンの味わい自体がスプレッドになる。

いいパン屋につきものの感覚だが、小さい店が宇宙になっている。
必要最小限のアイテム。
凝ったオリジナルメニューや、装飾過剰のパンはない。
食事パンはそれぞれ2種類。
リッチなパンドミーと、シンプルでトーストがおいしい食パンとの選択。
バゲットなら、オーソドックスなタイプと、低温長時間熟成で味が濃いタイプとの選択。
おいしくて、コンセプトがしっかりしているから、この2種類だけで、パンを選ぶ楽しみは毎日尽きることがないだろう。

クリームパン、メロンパンと、しかるべきパンが、何の変哲もない外見で置かれている。
安心して手を伸ばすと、口にしたあとで、シェフのたくらみに気づくことになる。

メロンパン(160円)
甘さではなく、バターが真っ先に香りだすのが快い不意打ち。
ビスケット生地は普通のメロンパンではありえないほどかりかり。
弾けたかと思うと、スコーンのような白っぽい甘さとして溶けていく。
パン生地はメロンパンらしい軽さがあるのに、乾いておらず、しっとりとやさしく、ミルクの風味をほんのり甘く漂わせる。
表面にふりかけられた砂糖と、ビスケット、パンと、甘さは実に複雑に絡み合う。
一見、普通なのに、なんとツボの多いメロンパンだろうか。

「パンを作るときには、『自分がどう好きか』ということを考えます。
メロンパンだったら食感と風味。
硬いビスコットのばりばりという感じ。
生地には牛乳と発酵バターを入れて。
クリームパンだったら、口溶けが大事だから、ブリオッシュの生地にして、なおかつクリームは邪魔しないように」

ヴィエノワチョコレート(140円)
表面は香ばしく、タマゴのぷりぷりした感じがある中身。
ほんのしした甘さは、小麦の味が滲みだすのを感じられる境界線上の強さに設定されている。
中からねっとりとしたチョコレートが現れる。
実にビター。
苦みと濃厚な香りが容赦なく襲い、どうしようもなくヴィエノワ生地の甘さがほしくなる。
ゆえに、両者は絡みあい、滲みこみ、戯れあい、溶けあう。
うつろいを確かめるように、何口も何口も、あらゆる角度からちぎって食べた。

「ヴィエノワには余計なものは入れません。
発酵バター、牛乳。
修業してたとこ(ロブション)と、そのまんまのレシピです」

商店街の一見変わったところのない小さなブーランジェリーでこの味が食べられる。
こんな町に私は住みたい。(池田浩明)


sel eau ble (セルオブレ)  
東急目黒戦 武蔵小山駅
03-3783-1194
10:00〜20:00
火曜・第3水曜休み

#112


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#112
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ネモ ベーカリー&カフェ(武蔵小山)
109軒目(東京の200軒を巡る冒険)

黒を基調とした内装に、間接照明がきらめいている。
でも、入口近くに並べられたパンの力なのか、入りづらいという感じはない。
この店のカウンターなら、ひとりで座ってビールを1杯、と躊躇なくできる。

「フランスの片田舎にあるようなお店をイメージしています。
フランスやイタリアにもバールがあって、朝ですとクロワッサン、パンオショコラ、ブリオッシュなんかが並べてあって、カウンターで食べることができたり。
最初は華やかな町、恵比寿、代官山のようなこじゃれた町でやろうと思っていました。
でも、そういうところだと、店にくるのはそこに住んでいる人ではなくなってしまう。
それはパン屋のあるべき姿じゃない。
地域密着。
商店街にこの店があれば、もっと人が通ったでしょうけど、それだと全体が見えなくなってしまう。
大人のパン屋が作りたかった。
地域の人によろこんでもらいたい。
お客さんが若い子ばっかりだと、それなりの年齢の方は入ってこないし。
若い子からご年配の方まで好きに使ってほしい。
2人じゃないと座れない、じゃなく、ひとりでいらっしゃる方でも入りやすく。
気取ってるとこはどこにもありません」

池田さんは、パリまで調査に出かけて、カウンターや家具までそっくりそのままのパン屋+カフェを作った。
オーバカナルが参考にしたのはシャンゼリゼにあるような有名カフェだっただろう。
根本さんも、ネモを開店するとき、同じようにヨーロッパへ出かけたが、目指したのはスノッブなカフェではなく、誰でも入れるような下町の店だ。

「オーバカナルはフランスそのままのパン屋さんでしたが、うちの場合はメロンパン、あんぱんのような日本のパンがあったり、ヨーロッパのパン、アメリカのパンも。
あえてブーランジェリーではなくベーカリーとしたのは、自分でも新しいものに挑戦したいと思ったからです。
お客さんが知ってる商品を出しつつ、知らない商品を紹介する。
最初からこてこてにいってしまうと、わからないものがある。
あんドーナツ、カレーパンがありながら、ハード系をしっかり作る」

夏野菜のピザ(320円)
ぱっと見には、どこのパン屋にもあるピザパンに見える。
これは、根本さんがイタリアのバールで見たフォカッチャを再現したものだ。
季節の野菜や具材などなんでも好きなものを生地の上に置いて、鉄板1枚分に焼いたフォカッチャをオーブンから取り出してから、お客の好きな分量だけ切り分け、カウンターで食べる。
取り分けてみんなで食べるという文化、イタリアらしさを提案している。

野菜の旨味を含んだ液体が大量にほとばしる。
分厚い生地を噛み切るときのふかっとした食感。
オリーブオイルが野菜をおいしくしている。
それは生地の中にも浸透して、小麦の味わいを実に甘く押し出してくる。
甘さは時間ごとにますます強くなって、野菜の味わいを忘れさせる。
まるで菓子パンのように思えるほど甘く、けれど実にさわやかに舌の上に残る。

数年前、根本孝幸シェフを最初に取材したとき、バゲットの製法があまりに複雑すぎ、メモする手が間に合わなかった。
緻密な理論を持ち、完成度の高いパンを作る。
叩き上げの人である。
中学校をでてすぐパンの世界に身を投じた。
中学校の先生に紹介されたマザーグースに就職し、そこで池田裕之さんに出会う。

「厳しかったですよ。
逃げてしまうと、終わり。
仕事がきついから辞めるとか、怖いから行きたくないとか。
みんなやめちゃって、気づいたら池田さんと2人だけになってたことがある。
オーブンのところに手紙が貼ってあって、『探さないでください』って書かれていたり(笑)」

厳しい下積みに時代に得たものとは。
「下積みの頃、厳しかった先輩の目、上司の目が、いまでも必ず見てる。
どっかから見てる。
まわりを気にしながらやってた頃にいわれた言葉が、どこからか聞こえてくる。
たたきこまれた部分はいまでも残っていますね。
いいものをもらったと思います。
決して器用なほうではないですから、何度も怒られましたよ。
下っ端は八つ当たりされたり。
『なんで俺ばっかり』って、矛盾しかないように思える
でも、あきらめずにいってくれた先輩ってありがたいと思う」

こだわりクロワッサン(220円)
発酵バターが豊かに香る。
生地の味わいが濃い。
塩味も、焼きも、勇気をもってぎりぎりまで攻めている。
表面の香ばしさもさることながら、噛むたびに、白い中身から押し寄せるバターと甘さに圧倒される。
脳天にまで響くさくさくという音が、皮の繊細さを証明する。

「生地の状態、焼くタイミング。
結局どのタイミングもぜんぶが重要ですね。
タイマーをあてにするんではなく、感覚を働かせる。
焼く温度が5℃、10℃ちがうだけで、硬さが変わる。
時間が長過ぎても、短すぎても、そうだし」

「フィリングはぜんぶ自家製なんですけど、オリーブとか果物のような、瓶詰、缶詰を使うものは自分で作れない。
毎日味を見ていないと、ちょっとちがうんですよね。
10個開けて、10個同じ硬さではない。
自分のところで作っているものは、寒いときはちょっと塩分を強めにしたり」

インタビューの間、ときおり厨房から若い職人が根本さんを呼びにきては、数分中座してまた戻ってくるということが数度。
生地の状態の確認はシェフ自ら行う。
「1日のルーティンの工程はあるわけですが、生地の状態を見て、もうちょっと発酵とりたいというときはある。
毎日同じようにやっててもちがう。
小さい差に気づいて修正できたとき、いいものができる」

カスタードのデニッシュ(220円)
オーバカナルのカスタードデニッシュを思わせる。
普通はこの上にフルーツをのせるのかもしれないが、あえてそうしない。
フランス流に、カスタードとデニッシュのシンプルな組み合わせを研ぎすませて勝負する。
背の低いデニッシュのざくざくとした噛みごたえ。
カスタードの香り高さ、濃厚さ。
秀逸な生地と秀逸なクリームがハイレベルでバランスを取る。
カスタードのひんやりした甘さが高音部、バターとともにやってくるデニッシュの甘さが低音部となり、絶妙のコーラスを響かせる。
それにしても、おいしいカスタードを食べて思うことだが、「これが俺のカスタードだ!」という誇りまで味といっしょにのっかってきている気がする。

ひとつ残念なのは…。
カツサンド、バゲット…とネモには名物が多く、すべてを紹介しきることができないことだ。(池田浩明)


東急目黒線 武蔵小山駅
03-3786-2617
9:00〜23:00(L.O.22:30)
水曜休み

#109


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#
109
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ショーマッカー(大岡山)
108軒目(東京の200軒を巡る冒険)

外見や先入観とは異なって、ライ麦パンのインナーワールドは華やいで、豊かである。
ドイツの巨大な石造りのバロック教会が、中に入ると、きらめくばかりのバロック様式の装飾で飾られているように。
ライ麦パンの時間と、小麦の時間は異なっている。
ふわふわとして胃にも軽い小麦のパンの時間感覚の中に生きている私たちは、すぐ隣り合ったライ麦のややゆっくりとした時間感覚に気づかない。
ライ麦のパンの豊かな世界と出会うためには、すぐれたパン職人の手を借りるほかない。

ロゲンブロート(450円)
指で弾くとぱちんといい音がする薄くて硬い皮と、対照的にようかんのようなやわらかい中身。
粒が散るように口の中にライ麦の中身が散乱し、たくさんの粒のひとつひとつが同時に溶けていく。
ゆっくりと花びらが開くように、口の中に味わいが広がっていき、ライ麦の味わいが華やかに、明確になっていく。
味わいは少しずつ変化して、軌跡は移ろいゆく。
ライムのようにぴりりとした酸味とほのかな甘さが同居している。
この酸味は決して邪魔になるものではない。
ライムを調味料としておかずにふりかけるように、このパンをいっしょに食べることで、さまざまな食べ物をさらにおいしくしていくだろう。

誰もが実力を認める一流店に勤めていた清水信孝さんが、店を辞めドイツに渡ったのはなぜか。
「ドイツパンをドイツ人が買おうとしていませんでした。
見た感じは同じだが、製造方法がちがっていました。
サワー種の扱い方がちがう。
その扱い方で味が左右される。
ドイツ人は日本のドイツパンを1回食べたら、買わなくなります。
レシピも製造方法もちがうんです」

行ってみなければ、まったくわからなかった。
目から鱗、のちがいがあった。
「粉の中に水が混ざる量、生地っぽくまとまる量=吸水量が、ドイツの製法と日本の製法では異なります。
日本では水かぬるま湯を生地に混ぜます。
ドイツでは粉の一部に熱湯を混ぜる。
熱湯だとライ麦はもっともっと吸うので、より多くの水分を加えることができます。
70%以上、80との間ぐらい。
しっとりしてるほうが、香りもいいし、いいライ麦パン独特のしっとり感がでる。
生地を押したとき返ってくる。
硬いパンだからドイツ人に売れなかったんです」

サワー種の製法も、異なっていた。
「日本では種継ぎは1日1回するのが普通なんですが、ドイツでは朝昼晩と3回に分けます。
それぞれ水温を変え、分量を変えます」
サワー種は乳酸菌や酢酸菌などいくつかの菌からできあがっていて、それぞれ繁殖に適した温度がちがっている。
それを1度ですべて増殖させようとすると、十分にうまみをだそうとすれば、その間に酸味をだす菌まで増えてしまう。
だから、時間を変えて菌ごとに繁殖に適切な環境を整えることによって、それぞれの菌を必要量だけ増殖させられるので、いたずらに酸味や臭みがでない。
ドイツ人らしい合理性と、主食に対して数百年というスパンで長く向き合った民族だけに可能な深い洞察がその製法には含まれている。

ショーマッカーにはドイツ人が訪れる姿が絶えない。
清水さんはドイツ語を流暢に操って対応する。
海外での修行経験があっても、言葉まで完全に習得して帰国するパン職人は少ない。
「ドイツでは、日本人となるべく付き合わないようにして、遊ぶときも、ドイツ人といっしょに行くようにしていました。
本当の食生活も見れますし。
ドイツのパン屋は、朝6時、7時に開いて、みんなその時間に朝食のパンを買いにくる。
日本人は米にみそ汁ですが、ドイツにも同じような定番のメニューがあります。
朝は、パンに生ハム、チーズ、コーヒー。
昼は、サンドイッチを自分で作って会社に持っていったり。
夜は、じゃがいもやパスタを食べたりもしますが、だいたいパンが主食です」

ドイツでは欠かせないもので、日本にはないスプレッドがある。
「ドイツ人はてん菜糖をべったりパンに塗って食べます。
ドイツのスーパーでは、ジャムとかといっしょに、当たり前のようにあるもので、ぜひ日本に輸入したかった」

ベルリナーラントブロートにてん菜糖(50円)をたっぷり塗って食べた。
プリンの上のカラメルのようなコク。
むっとする香りと、舌の上でぬたっとする感触は、プルーンにそっくりだった。
コクのあるライ麦のパンに、見事に同調する。

ショーマッカーには食事パンしかない。
自分の屋号を冠せず、ドイツでの修行先「ショーマッカー」の東京支店としている。
日本人に合うサイズや、日本で入手可能な原料のみで作るという限定こそあれ、基本的には、ドイツのショーマッカーと同じパンをだす。
日本人に合わせることはなく、本物のドイツパンをストイックに追い求める。

「レシピは変えないし、それを変えれば媚びるようなものだと思っています。
コンセプトはずらさない。
そこさえ崩さなければ大丈夫。
万人受けするパンだとは思っていませんが、1度食べると癖になって、ずっと食べつづけてもらえます。
糖尿病の人で買ってくれている方が何人もいらっしゃいます。
小麦だと血糖値が上がるが、ライ麦だと安定するそうです」
また、サワー種の主成分である乳酸菌は、たくさんのアミノ酸を作り出す。
現代人に欠けた栄養素を補ってくれるものとして期待もされている。

製法の効率も日本のパンにない特徴である。
「この小さな店で、横浜の店と合わせて、ひとりで2店舗分を焼いています。
日本では1次発酵と2次発酵がありますが、ドイツには1次しかない。
夕方、バケツに材料を入れて仕込んでおくと、夜中ひとりでにがんばって、翌朝わーっと発酵している。
うまく工程を組めば常にオーブンを稼働させ、24時間なにかが動いている状態にできます。
日本のパンの作り方も知っているので比較できるのですが、たとえばデニッシュなら、折り込んだり、仕上げをしたり、3人ぐらいの手がかかって、1個120円とか150円で売りますよね。
ドイツ人は理にかなったことしかしない。
もちろん効率がいいといっても、手を抜くのではなく、品質ありきの話です」

ドイツパンには、デニッシュとは別の美がある。
人手をかけないシンプルな形、生硬な質感ゆえにこそ、表面のひび割れさえうつくしく見える。

パーティクランツ(380円)
色彩のない花。
ひまわり、かぼちゃの種、亜麻の実、白ごま、黒ごま。
ライ麦を食べる北ドイツには長く厳しい冬がある。
かつては、フレッシュな野菜を口にする機会は少なく、貯蔵した穀物やナッツを食べて、冬を越えていくのだろう。
その食生活に豊かさはないのだろうか。
そうではないという答えをこのパンが教えてくれている。
食感のおもしろさ、それぞれのコク、それぞれの苦み。
噛みしめれば噛みしめるほど、モノクロームと思えたものが、華やかになっていく。
生地には思わぬ軽さがあり、むっちりした食感の中に、淡い酸味がある。
生地の中のふすまの粒は、溶けるたびに、ひときわ明るい甘さを舌の上へ滲みださせていく。
その甘さと、それぞれのトッピングとの間に独特のマリアージュを作りだす。

健康にいいこと、製造コストが低いこと。
ドイツパンのあり方は現代に必要とされるパンの姿について、多くのヒントを与えてくれている。
これからはじまるルネッサンスの入口、「ドイツパン零年」に私たちはいるのかもしれない。(池田浩明)

東急目黒線/大井町線 大岡山駅
03-3727-5201
9:00〜18:00
月曜休み

#108


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#108
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ベッカライ ヒンメル(大岡山)
106軒目(東京の200軒を巡る冒険)

宇宙から落ちてきた隕石。
それがクラプフェン(シナモンシュガー 110円)の見た目である。
こんなごつごつしたものがパンであっていいのか…。
食べてみると、硬いどころかぷるんとしている。
ゆらゆらーと溶けてくる甘さは、はっきりしない、白っぽい、淡いものだ。
トッピングされた砂糖の粒が、頼りない中身の上で溶け、輝くばかりに甘さを目覚めさせていく。
素朴な外見の中に秘めた、なんという官能。
食べると必ず2度3度食べたくなる危険な隕石。

ベッカライ・ヒンメルの金長暢之シェフが、ドイツでの修業時代に見かけたものを日本に持ち帰った(ブーランジェリー ラ・テールにあるのは、金長シェフがラ・テール在籍時に作り上げたもの)。

「修行先の、デュッセルドルフのヒンケルというパン屋さんでクラプフェンを作ってました。
これだけでも勉強していきたいなと。
レシピは教えてもらえないかと思ったら、すぐ教えてくれました(笑)。
同じ配合でも、ドイツと粉がちがったり、水分量ちがったりすると、生地がだれる。
ずっと作っているうちに味が微妙に変わってくるので、いまでもドイツに行って味を確認し、日本に帰ってきてから、また修正したりします」

ドイツパンは楽しい。
金長シェフがクラプフェンにこだわるのは、それを伝えたいがためではないだろうか。
ドイツパンはまじめ、というイメージがあったが、この店に並ぶラインナップを見て一変した。
ライ麦のパンはもとより、多種多様な白いパン。
はじめてのパンは、新しい味との出会いを予感させ、どきどきさせる。

「ドイツ人もけっこう、あんぱんやってるところあったり、他の国にも目を向けてる。
デニッシュ、フランスパンもだしてるし。
ドイツのパン屋さんはバラエティに富んでいる。
そういうの見てきたんで、自分の店もそうしたいと思いました」

ベルリン(180円)
ベルリン名物のおやつパン。
ふわっとした生地がはかなく溶け、甘さと油が素敵に滲みだしてくる。
フィリングであるホイップクリームに甘さがない。
そのために、どうしようもなく生地の甘さを求めるのだ。
求め合う両者は舌の上で運命的な出会いを遂げる。
生地の甘さと油、それからホイップクリームが混ざり合い、溶けあう無上の時。
クリームと生地、ふわふわなものばかりで口がいっぱいになるこの幸福。

甘いパンばかりではない。
ライ麦パンが食べにくいという先入観はヒンメルのドイツパンで完全に吹き飛ぶ。

フォルコーン(1/4 300円)
アロマの華やかさ。
ライ麦の香りと発酵の香りが二重写しになって、まるで香水のように芳しい。
薄い皮はぱりぱりと噛みごたえよく、中身はしっとりと口当たりがよい。
軽い酸味とともにおだやかな甘さがゆっくりと押し寄せ、心地よく口中を満たす。
その間、口といわず鼻といわず、上述の香りがあたりを席捲している。
このパンが、1本のソーセージすら極上のディナーに変えるはずだ。

「食べやすい工夫をしています。
サワー種を作るとき、酸味がでないように、早めに発酵を止める。
微妙なところで味が変化する、その前のタイミングで。
勘といえば勘ですね。
pH計りますが、そればっかりではない」
ドイツで2年間の修行。
その経緯はホームページにつづられていて興味深い。
なぜドイツパンを学んだのか。
フランスパンほど派手ではなく、小麦粉のパンほど日本で認知されていないライ麦のパンを。

「噛めば噛むほど癖になる味かな。
生活に根づいたパン。
日本でいえばごはん。
ベースメント。
噛めば噛むほどというところを追求しました」

香水のようなサワー種はドイツから持ち帰ったレシピそのままではなく、ドイツパンを日本人の口に合わせようという研鑽のたまものだ。

「ドイツでは仕事、仕事で、手を動かすことに専念していました。
日本に帰ってきて、あのときの仕事の意味は、あーだった、こーだった、と考えて。
レシピは日本で考えました。
日本人のほうが酸っぱいと食べづらいと感じやすいので」

金長シェフが学び取った「ドイツパン」とはどういうものだったのか。
それはレシピの中にではなく、厨房の中に、食卓の上に、日常そのものとしてあったものだ。
「ドイツの食文化や仕事のやり方ですね。
ドイツは1個売りが大きい。
パンをいっぱい食べるからというのもあるし。
ライ麦のパンなんかは、1個買うと、3、4日かけて食べる。
日本人は買ったその日に食べるという意識が根強い。
ドイツ人は味の変化をわかっている。
2、3日経ったほうが熟成されて、味が華やかになります。
ドイツ人のパンの食べ方は、バターとかジャムを、つけるというより、『のせる』という感覚ですね。
あとはソーセージくるっと巻いたり」

もっとも大事にしていることは、という問いにシェフはぽつりと答えた。
「会話」と。

「生地との会話。
状態をいつも見てないと。
気温の変化、湿度の変化。
聞き耳立てて、状態を聞く。
パンはしゃべらないから、毎日それをするのむずかしい。
今日うまくできたら、次の日もそれができるよう努力する。
環境の変化とうまく付き合っていく」

「会話」という言葉がでたとき、私は人間と話すことだと思った。
そう告げると、シェフは「そっちも大事ですよ」といって、つづけた。
「どうしてもこう(視野が狭いという身振りで)なっちゃうんですよ。
お客さんの様子も見ないといけないし、いっしょに働いているスタッフの様子も見て、チームワークで仕事をしないといけない。
窓の外を見て、雨が降ってきたら、お客さんがわずらわしくないよう、傘を持ってあげようとか。
どういう表情をしてるかとか、荷物が重そうなら『ここに置いてください』とか。
パン作りながら、視野を広く見よう。
ちっちゃなパン屋ってパンだけ作ってるわけにいかない。
お客さんあってのパン屋ですから」

(池田浩明)

東急目黒線 大岡山駅
03-6431-0970
7:30〜19:30
火曜休み

#106

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#106
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イトキト(大岡山)
103軒目(東京の200軒を巡る冒険)

駅前から商店街を抜けて、角を曲がる。
何の変哲もない住宅街の中に白い外壁のパン屋は現れる。
なんとも小さな店。
その中に、どれだけの楽しさ、フランスらしさが詰めこまれていることか。
これだけの引き出しの豊富さを持ちながら、こんな小さな店が、表通りではなく裏通りにあることに驚く。

勝野真一シェフはいう。
「30歳のとき、突然パン屋をやろうと思いました。
驚きのある店、わいわいがやがや人が集まる店をやりたくて。
ナイーフを見たとき、衝撃を受けて、こんなかわいい店をやりたいと。
わくわくするようなビジュアルと、食べたときの驚き。
住宅街を入っていったとき、突然店が現れて驚いたんですよね。
あの感動をいまでも忘れないでいます」

衝撃を与えてくれた店、いまはなき中目黒のブーランジェリーナイーフで修行をはじめた。
それまでの職業だったデザイナーは辞めた。
「最初は建築をやっていて、それから広告のデザインをやりました。
この店も自分で図面を引いて作りました。
デザインとパン屋との共通点はけっこうありますね。
見せ方とか、人に訴える方法、温度、メッセージを伝えなきゃならないところだとか。
驚き、サプライズがないと認知されない。
きて驚いて、食べてもう一度驚く」

「オープン前、工事中のとき、写真でイメージを出しちゃったり。
シャッターに、自分の作りたいパンの写真とか、フランスの写真とかをコラージュして貼りました。
オープン初日、けっこう人がきてくれたのは、その期待感があったからじゃないでしょうか」

期待を抱かされあと、一瞬の凪ぎ、あるいは溜めが訪れ、そしてどーんとサプライズ。
それがイトキトの流儀ではないだろうか。
まずパンのデザインに驚く。
フルーツをのせたデニッシュがふくろうに見えたり、野菜をのせたフォカッチャがガーデニングに見えたり。
デザインのためのデザインではなく、おいしさのためのデザイン。
こんなに大粒のオリーブを噛んだらどんな味がするだろうとか、こんなにふわふわしたクリームを舐めたらどんなにおいしいだろう、という期待感へつながっていくような。
そして実際に食べると、店頭で抱いた期待を超えたさらなるサプライズが待っている。

ルバーブのデニッシュ(265円)。
フルーツをナパージュしてツヤをだしたのかと思いきや、てらてらしたものは実はアプリコットのゼリーだった。
舌先で一瞬甘く、そのあと、ルバーブと聞いて想像していた以上の、アプリコットとあいまったつんざくような酸味が口の奥にまで届く。
そのまた一瞬あとで、実にやわらかく、軽やかなカスタードの味わいが訪れ、酸味と甘さが綱引きを演じる。
周囲にまで音が聞こえるほどさくさくのデニッシュは、空手の瓦割りのようにあっけなく崩れ落ちる。
珍しいルバーブは小淵沢にある奥さんの実家の農園から届いたもの。

売り場に立つ奥さんは、パン屋を開く前、画家をしていた。
ご主人の、突然のパン屋宣言は衝撃だったのでは、と水を向けると、
「もともと料理が好きな人だったので、デザインの仕事をしてるときにも、『パン屋とかいいんじゃない?』って。
私がけしかけたのかもしれません(笑)」

イトキトが提供するサプライズにサンドイッチの充実がある。
どこのパン屋にでもあるようなフィリングはひとつもなく、本格的なフレンチのエッセンスがちりばめられている。

パテドカンパーニュのサンド(380円)。
濃い豚肉と、バターと、ビネガーと。
香りを嗅いだだけで至福の予感が走り抜けた。
硬いフランスパンに大口を開けて食らいつく。
カスクルートに特有の、この行儀の悪さが野生を呼び起こし、吹きすさぶ肉の味を受け入れる準備運動になっているのかもしれなかった。
苦労して皮を噛み破ったあと、なめらかなパテの厚みへと歯を滑り込ませる。
あふれる快楽。
舌にまとわり、鼻へ抜け、口のなかをいっぱいにする豚肉の香り、味わい。
随伴するライ麦のフランスパンは、軽やかで、細やか。
このウェルメイドさが、パテのすばらしさを加速させる。

「パン屋やってるうちに、サンドイッチ好きだな、と。
そういえば、ツナコーンパンが子供のとき大好きだった。
それを発展させたらおもしろいな、サンドイッチをちゃんとやったらおもしろいなと思いました。
他のお店との差別化もはかれるし」

勝野さんはナイーフを経て、フレンチのビストロでさらなる研鑽を積んだ。
納得のいくサンドイッチを作り出すために。
「中目黒のビストロミカミに入りました。
料理の作り方を習った、ということもあるんですけど、味に対する姿勢とか執着とか、そういうの学びましたね。
フレンチだけではなく、中華や和食…いろんなもの食べて、おいしいものを探していく。
ジャンルを超えて、おいしいものを見つめていく。
パン屋やってるときは、そういう余裕なかった。
せいぜい休みの日にパン屋1軒いくぐらいで。
だから勉強になりましたね。
まかないを作るんですけど、それは自分の作りたいものを作る。
緊張感ありましたね。
いちばん味に厳しい人相手に作るわけですから。
忙しい中で、新しいものを作りました」

パン職人にして、フレンチの料理人であることが、どれほどイトキトの幅を広げているだろう。
サンドイッチに、甘いパンに、のみならず食事パンにさえ、本当の意味でのクリエイティビティを与えている。
味わいの豊かさばかりにではなく、軽やかさにも目配りをするのは、フランスの洗礼を受けた人に特有だと思われるからだ。
イトキトの驚きとは、単にびっくり箱を開けたときのようなものではない。
本物への驚きである。(池田浩明)


東急大井町線/目黒線 大岡山駅
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日曜・月曜休み

#103


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ロンシェール(洗足)
102軒目(東京の200軒を巡る冒険)

洗足駅前にはパンの塔がそびえ立っている。
店から入って、レジの横を抜け、裏にある階段をぐるぐると上っていく。
階上には窯の並んだ調理場があり、さらにその上には、老舗の歴史が詰まった社長室があった。
階段を上ると、時代までさかのぼっていた、というように。

ロンシェールは、昭和7年に「洗足パン」として創業した。
「営業御案内」と書かれた小冊子が残っている。

「御食事用パンの部」には「フランスパン(淡白味)」という文字が見える。
洋菓子店も併設したこのハイカラなパン屋には当時珍しかったフランスパンがあったのだ。

上原晃道社長はいう。
「いまはファンデュという名前で売っているのですが、当時はフランスパンとかげんこつパンとか呼ばれていました。
黒柳徹子さんのお父さんの愛用のパンでした。
バイオリニストをやられていたハイカラな方で、この近くにお住まいだったのですが、いつもお届けしていました」

ファンデュ(130円)。
元祖フランスパンは、いまのハード系とコッペパンの中間のような硬さだった。
皮はぱりっとしていながら柔軟で、しっとりとした中身は白パンのような焼き切らない感じで、淡い小麦の味がまろやかに押し寄せる。
それは決して悪いものではなく、むしろ新しく、やさしい。
フランスパンが一般的でなかった時代の記憶をあまりもたない私にとってさえ、発せられる香りにクラシカルな感じを嗅ぐのはなぜなのだろう。

いまなお昭和初期と同じレシピで作られる、パンの天然記念物。
上原社長は東京都パン商工協同組合の副理事長として、「ご当地パンまつり」の主催者側の立場にある。
地元で愛され、人びとの食生活を形作り、長い年月を越えてきたこのようなパンこそ、ご当地パンまつりの会場で出会いたいと思った。

父の急逝によって早大商学部を卒業後、すぐに跡を継いだ。
大学で学んだ経営学を活かして会社は急成長を遂げ、アメリカ・サンディエゴにも出店した。
「冒険心おう盛で、若さで無茶をしてました。
お店は繁盛していました。
日本の会社がたくさんある町で、日本人や日系人がたくさんいました。
あんぱんなんかはアメリカではとてもめずらしいので、なつかしいといって、日本人の方にはよろこんでいただきました。
5年間で、撤退しました。
職人を往復させたり、視察にいく費用が馬鹿にならなかった」

最盛期は渋谷に出店するなど、10店舗を数えた。
「工場で作って1日2回、3回と配送しましたが、やっぱり焼きたてを提供するのがいちばん。
大手と同じだとうまくいかない。
支店をたたんで、この店1カ所になってからは、おかげさまで順調にご支持をいただいています。
なるべく焼きたてのものを食べていただけるように、1日何回も焼くようにしております」

拡大戦略の失敗ははからずも、焼きたてに勝るものはないというパン屋の原点を教えてくれたのだった。
窯のぬくもりが感じられる活気ある場所に人は集まるということも。

洗足パンからロンシェールへと名前は変わったが、根本的な部分は変えずにいる。
「昔からのクリームパン、あんぱんなどは特に大事にしています。
時代に合わせて甘さは抑えていますが、基本的には昔のまま。
長い間やってますんで。
父が昔の資料を作ってましたので、それを活用しながら作っています」

クリームパン(130円)。
トングでつかもうとすると表面に傷がつくほどにやわらかい。
ふにゃふにゃと自由自在に動き、みずみずしい菓子パン生地。
皮の香ばしさとクリームの甘さが響きあう。
バニラビーンズが入らない昔気質のカスタード。
むずかしくない単純明快な甘さが気持ちよく広がる。
戦前からの超ロングセラー。

「クリームパンには昔からずっと力を入れています。
特に自家製のカスタードにはこだわってきました。
ポテトサラダや卵など、中身のフィリングも自家製の割合を減らさないよう努力しています」

コッペパン(ダブル)(160円)。
トングで取りあげた瞬間、軽やかさに裏切られる。
注文してから好きなスプレッドを塗ってくれるスタイル。
ダブル、つまり2種類のスプレッド、あんことバターを塗って160円は安い。
このコッペパンはふわふわすぎないで、もくもくとしている。
生地は甘くなく、クラシックな小麦の味わいが感じられる。
きらびやかすぎず、しつこさのないあんこ味、バターの味が、なつかしめのコッペパンとともに安心感を与える。(池田浩明)


東急目黒線 洗足駅
03-3781-5292

7:30〜19:00
第3日曜休み

#102


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#102
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ワルン・ロティ(洗足)
98軒目(東京の200軒を巡る冒険)

原点を持つ人の強さ。
情熱の流れてくる源を迷いなく見つめているからだと思う。
パンは小麦から作られる。
しかし、畑に実る黄金色の小麦を原点にするパン職人は、実はあまり多くない。

ワルンロティの店主、大和田聡子さんの父は、小麦の研究者として、岩手県の農業試験場に勤務していた。
父が開発者として名を連ねる小麦にこゆきという品種がある。
南部小麦のふるさとである岩手県に、パン用の小麦を実らせようという情熱から生まれた。

「手に入ったとき、それを自分で焼くようになるとは思っていませんでした」
と、大和田さんはいう。
父の作ったこゆきは一体どんな味がするのか。
小麦粉はあっても、それをパンにする人がいなかった。
「16年前、国産小麦を焼いてる人はいませんでした。
ルヴァン、スピカ、ノヴァぐらい。
国産小麦と天然酵母ではやわらかいパンを焼けないとみんな思っていました。
それで自分で天然酵母で焼いてみたら、評判がよくて」
当時、ワインの勉強をしていた縁から、ワインの勉強会や、ワインバーなどから引き合いがあって、パン屋を開業するきっかけになった。

国内産小麦の持つ味わいをどれだけ伝えられるかを、明確にテーマとして掲げる。
「外麦だとつまらないかなと思います。
さらっとして味気なく感じてしまう。
内麦のほうが味があります。
外麦の好きな人からいえば、野暮ったく感じてしまうのかもしれませんが。
小麦の味わいのちがいを、ぜひ知ってほしい。
パンは奥深い。
作り手によっても、小麦の品種によっても、味はちがう」

「このパンを食べてみてください」
と食パンの一片を私にすすめた。

こゆき食パン(450円)。
こゆき100%、塩、水、自家製酵母だけで作られる。
「甘いでしょ」
砂糖や乳製品が入っていないのが不思議なぐらい甘かった。
その甘さすべてが小麦の持つ力だった。
ひとつひとつの気泡は噛むとぷりぷりと反応し、溶けるほどに豆乳に似た甘さを発揮しはじめる。
おとなしく、おだやかだった甘さは、だんだん強まり、いつのまにか驚くほどの広がりを持つ。
耳の香ばしさは静かで、さわやか。
中身の甘さを邪魔することなく、両者が入り混じることで、さらに味わい深くなっていく。
この食パンに小麦と塩以外になにも加えないこと、焼きこまず白っぽい焼き色にとどめていること。
それらの配慮は小麦の純粋な甘さに捧げられている。

こゆき小麦の甘さの魅力。
ワインアドバイザー資格を持つ大和田さんは、それをパンで語ることができるし、言葉でも語ることができる。
「バターのフレーバー、乳酸発酵の香ばしさ。
乳製品が入っていないのに出てくる、小麦自体の味。
噛んでるうちにじゅわじゅわとでてくる。
そうなるように心がけています。
うまくいくときと、いかないときがあります。
大きいお店にあるような、ホイロとかドゥーコンディショナーとか使わず、常温でやってるから。
温度と戦うしかない。
ミキサーもないので、数字ではかれない。
その日その日で生地の状態が変わってくるので、(生地に使う水の)水温を下げたり、発酵時間を長くしたり。
でも、私はそれをおもしろがっていて。
パンを作っているという感じがある」

数年前、唯一取り扱いのあった製粉会社でも、商品のラインナップからこゆきが消えた。
岩手県で作られる他の品種、南部小麦のようにポピュラーではなかったし、「外麦に近い」というユキチカラ(これも大和田さんの父のいた研究室から生まれてきた)ほどタンパク量が多くなく、パンにしにくい。
独特の甘さを持つこゆきを途絶えさせたくなかった大和田さんは自ら行動した。
こゆきを作ってくれる農家を探し、その農家のために農水省や県に掛け合って補助金がおりるよう計らい、小ロッドでも製粉してくれる製粉所を探し、小麦を輸送し、製粉した小麦粉を低温倉庫で管理している。

復活したこゆきは土地に根づきはじめている。
岩手県平泉にある姉妹店、きんいろぱん屋は、平泉町が施設を作り、農家が共同経営し、大和田さんがレシピをアドバイスし、大和田さんの友人がパンを作っている。
こゆきを使った「きんいろあんぱん」は、世界遺産登録という追い風もあって、町の名物になりつつある。

外麦のおいしさがあり、内麦のおいしさがある。
あるいは、小麦の質など特に問わなくてもパンは食べることができる。
だが、私たちがなにをおいしいと思うか、その選択は地域の未来を変えることすらある。
ある場所に生まれ育った作物の味を知り、それを支持することで、お金の流れと気持ちの流れが流れこみ、地域は活性化する。
すべては小麦に憑かれた大和田さんの情熱によってはじまり、こゆきの独特の甘みは失われることなく残され、岩手の大地にこゆきは実りつづける。

しぇりー・れーずん(300円)。
ラムではなくシェリー酒に漬けられた2種類のレーズン。
レーズン、シェリー、レーズンから起こした自家製酵母…すべてブドウの産物。
「ブドウ同士なので合うと思いました」
とワインアドバイザーらしい発想から生まれたパン。
シェリーのきりりとしたさわやかな甘さによって、レーズンがよりいっそうパン生地の持つ発酵の香りと馴染みあい、自然な調和を見せている。
一口噛むごとに、たっぷりのレーズンが潰れ、アルコール分とブドウの果汁がほとばしっては、生地に滲み、こゆきの味わいを甘く、深く、強く押し広げていく。
食パンとは一転して、強い皮の深い香ばしさも、シェリーの香りと通じあっている。

岩手のずんだあん(250円)。
ブリオッシュ生地のしっとり感、ぷりっとした噛みごたえが秀逸で、しかも皮の香ばしさによって気品をも加えている。
岩手県の一関から取り寄せられたずんだあんは、豆の野性味が躍りまわって、制御不能なほど。
ブリオッシュの卵とバターの濃厚さと争いあう。
やがて、両者はより純粋な甘さへと昇華して、喉のあたりでひとつに合流するとき、愉悦が訪れる。

大和田聡子さんがコユキを使ってパンを焼いてきた歩みは、『ソロモン流』(テレビ東京系)で紹介され、大和田さん自身が2冊の本でも著している。
『麦畑からお届けするパン屋です』(自然食通信社)
『ないないづくしの起業術』 (中公新書ラクレ) 
また、パンのテイスティングの方法を確立しようとして意欲的な著書もある。
『ワイン&チーズとテイスティング術 おいしいパンのみつけかた』(技術評論社)

(池田浩明)

東急目黒線 洗足駅
03-5704-2105
10:00〜18:00(売切れ閉店)
月〜木休み

#098


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