149軒目(東京の200軒を巡る冒険)
酵母の香りがフェロモンで、小麦の味わいが野生である。
惹きつけられるもの、心に食い込んでくるものとは、単に口当たりのいいものばかりではない。
おいしいを無上のものにする、+αの余剰。
癖、エグみ、個性。
ル・ルソールのバゲット(240円)にはそれがある。
甘さに加えて、野生。
香ばしさに加えて、そそるなにか。
カビを使ったチーズの匂い、ワインの樽の匂いやミネラルの苦み、あるいは果物や野菜における酸味や苦さ。
甘さや香ばしさといったいわゆる「おいしい」は、それとは背中合わせの感覚とセットで現れるとき、さらなる高みへと上昇していく。
少しでもぶれれば不快さへと転落するような「野生」へ踏み込んでいく勇気。
そこから並外れたものだけを持ち帰ってくるセンスが、このバゲットの作り手にはある。
細身で強い皮、次々と波状的に現れ出る、長時間発酵に特有の陽性の甘さ。
そこに複雑さを与え、裏打ちするのは、中身にある微妙に舌をしびれさせる酸味であり、小麦の野性味であり、酵母の生々しさである。
それをおいしさとして認めさせてしまう強気と実力こそ、ル・ルソールを非凡な1軒にしているものだ。
ル・ルソールは、フランスが濃厚に意識されたブーランジュリーだが、使用するのはフランス産小麦ではなく、選び抜いた国産小麦。
無難な甘さを求めてではない。
唯一無二の個性を求めてである。
「国産は癖がない。
裏返せば、おいしくないということ。
国産のいい材料は本当のおいしさを持ってる。
そこを履き違えてる。
なんでもかんでも国産だからいい、というのはレベルが低いと思います」
清水宣光シェフの口ぶりは自信に満ちている。
「バランスの悪いものはおいしくないです。
おいしいものは食べてきてるし、いいお店でしか働いてこなかったので、それはわかってるつもりです。
種の香りが強いのが好きなんで。
種の管理はすごく重要。
ちがうな、というお店はそういうことができてない。
見て、舐めて、触って、嗅いで。
五感で感じるしかない。
ずっとやってればわかるようになってくる」
自家製酵母・長時間発酵という、小麦の味わいを最大限に引き出す製法を採用する。
「自家製酵母を作っても、おいしくないとまったく意味がない。
手間をかける意味がない。
むしろ自己満足のためだけでいえば、大手から出てる酵母液を使えばおいしくなる。
どうやったらおいしくなるのか、わかんないからやるんですけど、まったく見えてない人がやっても、おいしいのはできない」
製法についての考えのベースとなっているのは、メゾン・カイザーのやり方だ。
清水シェフは、20代そこそこでメゾン・カイザーの立ち上げを体験した。
「メゾン・カイザーのいちばんはじめの社員でした。
1号店開店の1週間前まで、木村さん(木村周一郎メゾン・カイザー社長)と2人だけだった。
パンを作る以外のことが見れました。
出社して1日目が、いっしょに物件を探したり。
僕がひとりで試作してデパートに持ってったり。
クロワッサンのルセット(レシピ)はもらってましたが、バゲットはわからない。
1週間前になってやっとカイザーさんがきて、ばたばたと開店した」
はじめてカイザーのパンを食べたとき、どのような印象を受けたか。
「単純においしいと思いました。
すごく革新的。
衝撃を受けたのは、生地を作る工程がいままで習ったのとぜんぜんちがうこと。
日本にいる間は理解できなかった。
わかってるつもりだったんですけど、わかっていなかった。
フランスに行って、フランスの粉で作って、なんでこの製法になるのか、自分の中で理解が変わっていった。
フランスに行って、その製法が生まれた環境が見えてくる。
すべてなるほどなと思いました。
リスドオル(日清製粉のフランスパン専用粉)から作るパンのやり方とはちがう。
日本のやり方は日本の材料に合わせたやり方」
低温長時間発酵の方法は、それまで清水さんが教わってきたストレート法とはまったく異なっていた。
低温下に置くことによって生地の発酵を止め、熟成により旨味成分を増やす。
それは、小麦の野生をそのまま活かすことを重視する、フランス人が生み出した考えだった。
単にレシピを知っているのではなく、パリのメゾン・カイザー本店で揉まれながら、製法が生み出されてくるファンダメンタルな部分、深層を理解した。
それゆえにか、ル・ルソールのパンは、いま多くの店が低温長時間発酵を採用する中で、個性が抜きん出ている。
「フランスにもいいものも悪いものもたくさんある。
ずっと見てると、判断できるようになってくる。
日本で見て、フランスで見て、削ぎ落とされてくる。
フランス人が全員いいわけではない。
だめなフランス人見て、いいフランス人見ると、すごくはっきりする。
本店のシェフは僕より1個上だったが、10人のメンバーのうち、いちばんよく働く。
時間関係なく働いて、常に率先して仕事を見せてくれる。
すごいなと。
日本では信じられない数をこなした。
バゲットを1日2000本、クリスマスは3000本売ってました。
1回に60キロ(約400本)のバゲットを仕込む」
モンジュ通りにあるメゾン・カイザー本店は伝説になるほど多くのバゲットを売る。
「スポーツ感覚ですね。
400本を20分かかんないぐらいで成形できるようになる。
日本で必要な技術ではないけど、そのスピードを求めるのがフランス。
バゲットモルダー(成形する機械)でできた生地がどんどん流れてくる。
ベルトコンベアにのって流れてきて、ぽとんと落ちる。
その流れを止めないで、機械に負けないように。
正直、それができても日本で役に立たない。
日本では丁寧な仕事が求められる。
それがあるから日本に帰ってきました。
ポジションも上がっていくわけですよ。
成形、仕込み、そしてシェフになっていく。
深いところを知ることができたのかもしれないですけど、バゲットがめちゃめちゃ早くできても日本でその技術はいらない」
ベーカーズ・ハイ。
スポーツに没入する人が、何も考えずとも、勝手に体が動いて、いつのまにか時間が過ぎているように、極限を突破した労働は、普通の状態からは想像のつかない快感をもたらすのだろう。
労働の快楽と、フランスの一流店で仕事が務まっているという事実だけで満足できた時期がすぎると、清水さんは帰国を考えるようになった。
日本で自分の店を出す。
そのとき使うべき小麦はフランス産ではなく、国産小麦だった。
「フランスでは、土地のものを使うのが当たり前です。
アルザスでパン屋をやっている友人にどんな小麦を使っているかと訊いたら、『アルゼピ』だっていう。
アルザス産のバゲットの粉をアルゼピというらしい。
それだったら、日本では、日本の粉でバゲットを作ればいい。
ドミニク・サブロンは北海道の粉でバゲットを作っている。
そういうフランス人の考え方を誰かに教えてもらったわけではないけど、向こうの店で働きながらずっと考えていると、感じられる。
地産地消。
ものづくりはそういうふうに成り立っている。
だから、僕は国産小麦を使おう。
フランスでは、僕と同世代の、24,5歳が有名店のシェフだった。
メゾンカイザー本店のシェフも、グルニエ・ア・パンのシェフも、同じ年。
はじめてる年齢が早いから。
フランスの粉を使っても彼らには勝てない。
いいものはフランスで消費される。
材料で負けてもしょうがない。
日本で手に入る材料で、自分なりに感じとったやり方で、表現してやらないと、意味がない。
フランスが好きで、フランス産の材料も嫌いではないが、いいものも悪いものもある。
そういう過程があったので、国産、国産というのは好きではない」
清水シェフにとってのフランスとは、見上げるべき憧れではなく、対峙するライバルだった。
だから、物まねではなく、国産小麦を使った自分だけのパンを作ろうとする。
「北海道産と九州産をブレンドする。
北海道産は甘さが強く出る品種が多く、ボリューム出る品種もある。
国産はボリュームが出ないとか、水が入らないという意見がありますが、昔の考えだと思う。
水を入れれば伸びる(ふくらむ)。
焼き方や、発酵の仕方が悪いと、伸びない。
粉の特徴に合わせた製法をやれば、おいしいものはできる。
製粉会社が出している外国産小麦はパンが作りやすいようにブレンドされている。
だから、パンがうまくできないのを、国産小麦のせいにするのはちがう。
そうではなく、作りたいパンと合っていないだけ。
ふかふかするパンを作りたいのに、ふかふかしないけど味はいい、という国産小麦を使って作ろうとしている。
そういうときは、ふかふかする粉も混ぜて、味は国産小麦から引き出せばいい。
それがブレンド。
国産がパンに向かないというのは、それはちがう」
冒頭に述べた、+αの余剰。
それは北海道産と九州産小麦をブレンドすることからも生まれている。
ふわりとふくらみ、甘さのある北海道産小麦と、「地粉」のイメージがある九州産小麦のハイブリッド。
暴れる野生は紙一重によって「まずい」に転落する。
それを切り捨てるのか、エネルギーへと転化すべく、さらなる試行錯誤を続けるのか。
「はじめはなにも国産小麦のことがわからなかった。
1年目、2年目、手に入るものは使い倒して、3年目までひどかったと思う。
わかんないのに使ってた。
小麦の中でも、いいもの悪いものはあったけど、一概にはいえない。
いい悪いというより、向いてる向いてないだと思う。
自分の経験の中で、この粉はこういうふうに使えたらいいな、というのがあって、その中でのいいもの悪いものであって。
まだ、たどりついてない。
自分の作るパンをおいしいと思わない。
いまある商品、違和感しかない。
決してこれと思う商品はない。
おすすめはありません。
作りたいパンのイメージはあるが製法や材料が追いつかない。
なんとなく頭にあるものができてない」
頭の中のイメージに現実のパンが追いつけない。
私には不思議だった。
食べたことがないほどおいしいパンとは、どのようにイメージするのか。
「ところどころの断片を集めてる。
このパンのこの味はいいなとか、このパンのこの食感はいいなとか。
この味は出したいけど、この食感はいらないとか。
食感ができてても、味はできてなかったり。
同じ工程でもいつもちがうやり方でやる。
同じバゲットでも、今日はどうやって仕込もうか。
ほんの少しの水を、きょうはもうちょっと増やそうか減らそうか、毎日どうしようか、すべてのものに対して考えてやってます。
ルセットはよく変わる。
酵母の状態によっても、粉も変え、水も変えるし、まったく満足しない。
自分が求めてるものだって、毎日変わっていくし。
たとえば、年を取って、やわらかいものが好きになったら、バゲットはもういいとなる。
それはそれでいいと思います」
「お客さんの『おいしかったよ』にも影響されます。
いいお客さんがいれば、自然とお店はおいしくなっていく。
自分がいいものを作れていて、いいお客さんがいれば、自然といい方向にいく。
同じものを作っても、お客さんの声を聞けなくて、いい循環が壊れてしまう店ってあると思います。
お店は変わり続けないといけない。
停滞は許されない。
自己満足を突き詰めてもいいけど、お客さんも自分も満足できたほうが、うれしい」
つまり、ル・ルソールは幸福を目指す。
そんな甘い言葉を、清水シェフが決して使うはずもないけれど。
幸福を望まない人間はいないが、イノベーションを起こすような革新的な職人にとって、それは漠然とした祈りや善意によって到達するものではない。
想像力と、論理と、自分の腕でたぐり寄せるものだ。
生ハム/ルッコラ
軽やかに持ち上げられ、空気を含んだチャバタ。
一転して、味わいは濃厚。
強烈な酵母が日本のやさしい小麦の甘さと出会っている。
塩が、甘さが、オリーブオイルの流れにのって溶けだし、舌に滲みいる。
濃厚なパンは具材を邪魔するのだろうか。
そうではなかった。
ルッコラ、生ハム、パルメザン、バジルオイル。
定番の組み合わせを1回きりの非凡なものに変えているのは、酵母の風味である。
過剰さというミスマッチをマッチさせ、悶えるようなマリアージュの快楽に変えている。
それは、具材とパンに並外れたバランスがあるからだ。(池田浩明)
ル・ルソール
京王井の頭線 駒場東大前駅
03-3467-1172
8:00〜19:00
月曜火曜休み
(応援ありがとうございます)
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