モンシェール(東陽町)
2011.10.12 Wednesday 00:00
115軒目(東京の200軒を巡る冒険)
深夜0時、人気ない真っ暗な街路に、そこだけ眩い明かりが落ちていた。
深夜さえ店を閉じない、24時間営業のパン屋があると聞いてやってきたのだが、噂は本当だった。
どこにでもあるような住宅街。
闇に覆われているというだけで、すべてがなんとなく奇妙に、なんとなく怖いように見えてくるのはどうしてなのだろう。
当たり前だが、私以外に客はいない。
店舗はなく、パン工場の入口から中を覗き、忙しく立ち働く職人のひとりに声をかける。
このパン屋で唯一売られているのは、デニッシュ食パン。
買うか買わないか、買うならば何個か、ということでしかなく、金を払って、ずっしり重い1本(2斤)のデニッシュ食パンを受け取る。
職人はすぐさま仕事に戻る。
私は放り出されたような気分になって、暗い路上に立ちつくす。
深夜0時のデニッシュ食パン。
私は何のためにこれを買いにきたのだったか。
闇は人から存在理由すら奪い去る。
デニッシュ食パン(900円/2斤)
バターの香りが濃厚に漂い、食感はぷにゅっとして、舌の上に甘さがじゅっと滲みだす。
身も皮もぷりっとやわらかさ。
皮の香ばしさと中身の生々しさのコントラスト。
手で裂くとさわさわと層がちぎれていく心地よさ。
つまり、デニッシュ食パンである。
けれども、私はもうそれだけで手放しになってしまう。
デニッシュとは、クロワッサンしかり、その他のものであっても、基本食べきりサイズなので、名残惜しみながら食べ終えていくという悲しさがつきまとう。
デニッシュ食パンの場合、いまデニッシュをいくら食べても食べきれないほど手中にしている、つまり悲しみをともなわないデニッシュであるというだけで、私はすっかり満足である。
問題は、なぜこのパン屋が24時間営業していて、誰がデニッシュ食パンを真夜中に買いにくるのかということだ。
オーナーは語る。
「京都ではデニッシュ食パンというのはポピュラーで。
もともと京都で作っていたのですが、東京に進出しました。
地方発送などで、ピーク時には1日1000本ぐらい売れます。
24時間作りつづけないと、間に合わなくなった。
夜中に買いにくるのは、タクシーの運転手さんとかですね」
真夜中にふと目を覚まし、
「デニッシュ食パンが食べたい」と思う。
一度思いつくといてもたってもいられなくなり、ベッドから這い出してハンドルを握り、深夜の国道を東陽町へとひた走る。
…そんなパン中毒者がいたとしても、笑う気にはなれない。
いつか私にも、デニッシュの夢を見て飛び起きる夜が訪れるかもしれないのだから。(池田浩明)
#115
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