パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
cimai(幸手)
150軒目(東京の200軒を巡る冒険)

自家製酵母でパンを作る姉と、イーストで作る妹。
ルヴァンに憧れてパン職人になった姉と、最初は画家になろうとしていた妹。
姉の精神性、妹の美意識。
すぐそばにあって交わらなかった、2本の平行線。
それが交差したとき、まるで発酵でも起こったように、2人の中に新しい表現への欲求が膨らんだ。

「私たちの場合、最初はお互い関心がなかったのですが、あるとき趣味が似ているということから、歩みよるようになりました。
興味を持つところがいっしょだったり、いまはヨガをいっしょにやったりもしています。
15年前、1988 CAFE SHOZOにいっしょに行ったのが、仲良くなるきっかけでしたね」
と、妹の三浦有紀子さんがいえば、姉の大久保真紀子さんもいう。

「予定が急に空いて、たまたま2人で1988 CAFE SHOZOに行くことになった。
なんとなく行ったけど、迷わずたどりつけました。
空間と、凛とした空気にすごく衝撃を受けました。
帰り道、『自分たちもなにかやりたい、表現できる場所がほしいね』と言いあいました。
いまでも好きな場所で、ときどき行きます」

三浦さんの出発点は描くこと。
パンを通してうつくしい絵を描こうとしている。
「ものを作ることが好きで、気がついたらパン屋になっていました。
はじめは絵の学校に行ってました。
パンに興味を持ち、アルバイトをはじめたら、すごくおもしろくなって。
気がついたら、絵じゃない方向にいってましたね。
でも、絵もパンもいっしょだと思います。
パンの形や、おいしく見える見せ方、袋の入れ方とか、シールの貼り方とか、トータルをやりたかった。
お客様が、店の扉を開けて入るところからはじまって、こういう空間で、こういう接客で、こういうパンで。
パンを食べ終わるまでわくわくしてほしい。
それをやりたくなったのが、1988 CAFE SHOZOに行ったときから」

パンの形はもちろん、しつらえや包装に至るまで、すべてがcimaiという作品を形づくる大事な要素だと考えている。
制服もそのひとつ。
「濃紺のベストとグレーのエプロンはフランスのヴィンテージのレプリカを、縫子さんにお願いして作りました。
Tシャツは普通に買ってきた白いもの。
パンツは麻。
すぐ穴が空いちゃう。
毎日洗濯するので、分厚めの生地で使っています。
1日じゅうやっているとすぐ汚くなっちゃう。
いつもきれいなのを着ていたい。
パンを作る作業服なので気持ちがいい、気に入ったものを着ていたい」

姉の大久保さんの出発点は、自家製酵母の草分け、ルヴァンの甲田オーナーに出会ったことだった。
「『ブルータス』に甲田さんがものすごくいい顔で載ってて。
私、絶対この人の元で働きたい、と思った。
そのときルヴァンで募集はしていなかったのですが、別のパン屋で働きながらルヴァンのお手伝いをしました。
イベントの販売に甲田さんと出かける。
すごく楽しかった。
ルヴァンに入って最初に作ったのが、パイ。
シーター(生地をシート状に伸ばす機械)がないことに驚きました。
それまで勤めていたお店では、手でパイ生地を伸ばすなんて考えられなかったので。
ルヴァンでは麺棒1本でパイを作る。
ひどいものができたときでも、それがメインの棚に並んでいることが、すごく恥ずかしくて」

ルヴァンでは決して食べ物が捨てられることがない。
新人の作った失敗作でさえ。

「ものができるまで、いろんな人が携わっている。
小麦を作る人、それを運ぶ人…。
失敗したものも、工夫して、完成させ、安く売ったり。
普通のパン屋さんは捨てちゃう。
それだけは、いまでもできない。
余ったときは、知人のお店に頼んで売ってもらったり。
友人に電話をして、食べてもらいます。
それでも余ったら、ラスクとか。
廃棄って、それはちがうな。
デパートのパン屋さんでも、閉店時間までパンがいっぱいありますよね。
パンがないのは、来てくれたお客さんに申し訳ないことですが、捨てるほど作るのはどうなんだろう」

余った食べ物を捨てることへの抵抗感は、日本人ならごく自然に持っているものだ。
ところが、食べ物を扱うプロフェッショナルの厨房に入るやいなや、「ロス」という名の元に、もったいないという感情までいっしょにゴミ箱へ捨てられてはいないか。

「ルヴァンでは精神面、心を教えてもらった。
人と人というか。
学校みたいなところ。
自分とは? を問われていた。
なにもなければそんなこと考えずに流していけるのに」

大久保さんが雑誌で見ただけで魅せられた甲田さんの笑顔はたしかに、出会った人すべてを平和な気持ちにしてしまう感じがある。
それから、捨てられそうになった古いものを活かし、できそこなったパンまで並べる店は、雑然とするのが普通なのに、ルヴァンではなぜか独特のうつくしさに昇華されている。
笑うこと、捨てないこと。
誰もができることで幸福を生み出し、小さな感情や疑問の前で足を止めることがルヴァンという思想であるなら、cimaiはそれを忠実に受け継ぐ1軒である。

黒糖とくるみ(350円 1/2)
パンでありまんじゅうである。
香ばしいくるみが弾け、黒糖がキャラメルのように歯にくっつく。
むちむちぷりぷりという中身の歯ごたえは独特のもの。
それは黒糖のせいでもあり、もうひとつの隠された食材、餅玄米のおかげでもある。
小麦よりうっすらとして、ぼんやりとやさしく、ゆっくりと甘くなっていく、そのあたたまり方は、たしかに餅。
そして巻き起こる黒糖の甘さの渦と、餅の甘さの不確かな連動は、温泉まんじゅうと同じマリアージュである。

「黒糖とくるみの入ったおもちを食べたとき、パンにしたらおいしいかもと思ったのがきっかけ。
ルヴァンの定休日に工房を貸していただいて試作し、できあがりました」

大久保さんが手作業でクロワッサン生地を伸ばすところを横でつぶさに見た。
目を離せなかったといったほうがいいかもしれない。
半透明のビニールでまとわれた立方体の塊を冷蔵庫から出す。
絹のおくるみでもあるかのように大事にビニールを開いて、現れた生地を麺棒で伸ばす。
ぴょんぴょん飛びあがっては、全体重を手のひらに、その下にある麺棒に預ける。
見ていて、痛いだろうな、と思う。
水分の少ない硬い生地が本当に伸びるのかなと思っていると、すこしずつ平たくなっていく。
折り込むバターも、ブロックのバターを叩いて伸ばしたもの。
それを折り畳んで、また伸ばして、はみ出すこともなくきっちりと正確な正方形ができあがる。
ルヴァンにはじめて入ったときはうまくできなかった仕事が、いまは誰よりも上手にできる。
手の痛みも、疲れも厭わずに、丁寧に作業を行うから。

「きれいに折り込みをすれば、それだけきれいに層もでるので、味もおいしくなるでしょうね。
最初は痛くて痛くて。
でも、いまは腕が太いのが悩みの種。
ブラウスがぱつぱつで女子としてどうなんだろう(笑)。
手で折るっていうのは好きな作業。
それがルヴァンで学べたことはありがたい。
機械も買わなくて済むし。
手で折ると、その人の感覚だから微妙にちがうのができる」

厨房でのひと手間は客から見えない。
それがどれだけ味に反映するのか、客に伝わるのかは誰にもわからない、
けれども、手のひらから伝わってくる感覚を信じて、いいと思ったことを行う。
それは、祈りとか愛とか呼ばれることによく似ていると、大久保さんが折り込みをする姿を見て思った。
酵母という見えない生き物を扱う姿勢にも同じことがいえる。

「毎日同じことをやっても、同じものできないっていうのはありますよね。
今日は『よし』と思っても、次の日は『あれ?』っていうのができたり。
同じ材料を使って、同じように作っても、人から言わせたら同じだけど、自分ではちがう。
男の人はpH計って、データを取ったりするんでしょうが、そういうのは苦手で。
生地をよく見ながら、感覚でやってます。
酵母は季節の変わり目に敏感に反応する。
まだ寒いなとか暑いなと感じる微妙な季節の変わり目など、急に発酵の仕方が変わったり。
自分が感じてるより、季節に敏感なんだな。
それに私自身がついていけない。
季節が変わると、最初は失敗する。
水の温度を変えたり、発酵させる場所や、発酵時間を変えたり。
こんぐらい、という曖昧な、自分の中の感覚でやっています」

酵母との共生。
自家製酵母で作る女性のパン職人に共通する感覚が大久保さんにもある。
パンを作らない私の目に映らないからといって、それをファンタジーだと退ける気には到底ならない。

「酵母を扱うときは挨拶します。
『おはよう、今日よろしくね』『今日はありがとう』
科学的にやってる人からは『は?』と思われるかもしれないけど。
自分が不安定なときは不安定、迷ってるパンになる。
私は感覚で生きてるので」

カンパーニュ(1g/1円)
にんじんのようなおだやかな甘さと、しょうがのような舌にぴりりと刺さる酸味。
しっとりした中身はぷるぷる震え、上の歯と下の歯の間でぴちぴちと鳴る中身は、いま陸に上がった魚のようである。
すがすがしい苦みと、酵母の風味。
酸味はさわやかに舌の奥のほうを刺激して、よく焼けた皮の甘さ、苦さ、そしてとろけだす小麦の若々しさが、めまぐるしく巡る。

実は、姉が作る自家製酵母パンのメニュー、妹が作るイーストのパンのメニューを、2人が擦り合せることはない。
にもかかわらず、両者はまったく同じ感覚を2つの方法で表現したもののように、cimaiらしい統一感をもって、部外者には見える。
だが、2人にはそれぞれ相手のパンがまったく別物だと見えている。

「いまも有紀子さんのパンは私は作れないし、私のパンは有紀子さんは作れない。
有紀子さんのパンはやわらかいといいながら、やわらかくないね」
と姉が訊くと、妹が答える。

「ふわふわが作れない。
自分自身が噛みごたえのあるパンが好きで。
皮がしっかりしていて、サンドイッチに不向き(笑)。
1枚で満足いく食パンをトーストしてバターで食べるのが好きなんです。
cimaiにはサンドイッチ用のふあふあ食パンはありません」

食パン(400円)
三浦さんが作るイーストの食パン。
エッジのうつくしさに目を見張った。
やわらかくないのではない。
よりナチュラルなのである。
砂糖の甘さがない、その足りなさから麦の味わいがあふれだしてくる。
中身がふわっとした食感とともに舌に当たったとき、繊細な流れ目まで感じられる。
麦を連想させる香ばしさと、しっかり焼いた耳の香ばしさの重なり。
そこにミルクの味わいが相まって、パン粥のやさしさを思い起こさせる。

パンにも、店の内外観にもいえること。
手作りの感じが、粗さではなく、風合いややさしさとして感じられる。
パン屋に勤めながら2人それぞれがイベントなどに出店して、一般への認知度を高め、協力者の人脈を広げ、内装も手作りすることによって少ない資金で開店にこぎつけた経緯は、パン屋を目指す人、特に女性にとって参考になる。

「壁は、フランスの壁のような風合いが好きなので、漆喰で塗りました。
床は自分たちでバーナーで焼きました。
『自休自足』という雑誌で、壁塗りをするページに載せてもらったことで、cimaiのことを知ってもらえた。
ルヴァンの調布店がちょうど閉店することになって、道具を譲ってもらえたり。
本当にお金ゼロで、それで本当にパン屋やる気なの? という感じだったのに、お金を借りれた。
パン屋をやると決めた瞬間、本当にいろんなタイミングがきてまわりはじめました」

たくさんの人に助けられてできたパン屋。
3月11日という「試練」は、その原点を改めて確認させてくれるものになった。

「こんなときになにやってんだろうって、不安に駆られて。
それでも、この仕事をやってかなきゃいけないのかなって思い直した。
スーパーの棚からパンがなくなっているという話を聞いて、がんばって作ったんですが、世の中にはガソリンがなく、計画停電で電話もつながらない。
だから、不定休のお店にはお客さんがこなくて、パンがたくさん余ってどうしようって思っていた。
そしたら、『僕、買います』って友人が言ってくれたり。
後ろ向きになってた気持ちを、前を向かせてくれることを言ってくれる。
助けてくれる人がいっぱい出てきて、つづけていく気持ちにさせてくれる。
ちょうど地震の前ごろ、2階でおもしろいことをやりはじめようって、改装したところでした。
チェルノブイリのドキュメンタリー映画を上映する企画を立ててたときで。
原発事故があったのでやるべきかどうか悩みましたが、大切なこと、意味がある映画だと思い、上映しました。
いまはヨガ教室や、梅や味噌作り教室、お茶会など、心と体がよろこぶ企画、衣食住をベースにすこしずつやっています。
パン屋にくればみんながいろんなものを得られる、そういう場所でありたい。
私がもらったものを人につなげていきたい」

cimaiという感性に惹き付けられるように店を訪れた人たちと、対面販売を通じて、売る人と買う人という垣根を超えてつながりあっていく。
開放すること、シェアすることで、閉じているときよりももっと大きな流れを引き込み、作り出す。
それはルヴァンから引き継いだ思想であり、新しいパン屋の方向性も指し示す。

「パン1個でいろんな人とつながれる。
いろんなジャンルの人がやってくる。
その人たちのおこぼれをもらって、うちはなんとなくまわってる。
たとえば、HANG cafeのアンティーク家具をcimaiで使わせてもらいながら、委託販売しています。
HANG cafeに最初に行ったとき、たまたまうちのお客さんだとわかって、意気投合しました。
空間も、お店の人もすごくよかった。
HANG cafeは土日しかやっていなくて、もっと販売できる場所がないか探していました。
cimaiで使いながら販売すれば、お互いのためになれる。
cimaiにとっては、常に家具が変わるからお客さんも楽しいし、HANG cafeも家具を見てもらえる場所が他にできるし、土日はcimaiのパンを使ってランチを出してもらったり。
お互い得意なことをシェアする。
私たちのまわりの人に助けられてやってること」

cimaiの2人は、実写版『ぐりとぐら』ではないかと、いつの頃からか思うようになった。
お揃いのベストを着ているからだろうか。
ねずみたちはカステラ、cimaiはパンと、焼いているものはちがうけれど、おいしいもののまわりに、シカとかライオンとかリスとかいろんな動物たちが集まってくるところも似ている。
『ぐりとぐら』がいつの時代にも子供たちに読み継がれていくのは、森の中の大きなカステラというあの絵柄が、普遍的な幸福を表しているからではないか。
大久保さんはこのようにもいっていた。

「いつも探してる。
自分にできることはなにか。
念じてる、願ってる。
おいしいものを食べてるときは、みんな幸せ。
そのおいしいもののひとつにcimaiのパンが入ったらいいな」

外観のストイックさと裏腹に、cimaiの2人は冗談をたくさんいい、大きな笑顔で笑う。

妹「1日1回ケンカしないことないよね?」
姉「だって、君が私の行きたいところにいつもいるんだもん(笑)。邪魔だからぶつかるだけで、怒りとかじゃないよ」
妹「怒りだよ(笑)」

「夕方にはこんなふうにナチュラルハイになります。
いまも、気がついたら12時間、1度も座ってないし(笑)。
パン屋さんは重労働ですね。
もっと楽な方法もあるのかもしれないけど、cimaiはやり方が下手なんだと思う。
でも、楽しいからいいよね」

(池田浩明)

cimai(シマイ)
東武日光線 幸手駅
0480-44-2576
幸手市幸手2058-1-2
12:00〜18:00くらい
不定休(HPで要確認)



#150
200(東武伊勢崎線) comments(0) trackbacks(0)
ヌエット アン アン(東向島)
78軒目(東京の200軒を巡る冒険)

本当にこんなところにパン屋があるのか。
不安になりそうなほど店もない住宅街の細い路地をたどっていくと、猫の看板に出会う。
雨に濡れた黄色いバラが咲き誇っていた。
なぜ下町では道と敷地とのあるかないかの小さなスペースに、ときには歩道にまではみだして植物を植えるのか。

武藤博俊店主にそれを尋ねると、
「下町では家の中に植える場所ないですから(笑)。
なにもしないのによく咲くバラでね。
その代わり、バラは1年に2回咲くところが、1回しか咲かないですけど(笑)。
家の中で育ててるより、道で育てたほうがよく咲くみたいで。
ここ通る人みんなに『きれいだ』っていわれるせいですかね。
花って声かけられたほうがよく咲くっていうじゃないですか」

下町のバラは声をかけられてよく咲く。
顔見知り程度の関係性であっても、挨拶を交わし、世間話をする。
食パンを買いにきたおばあさんに、
「あたし、いいましたっけ?
この前、自転車で転んで指けがしてひどいめに遭ったって(笑)」
自分のことを「あたし」といいながら、お客のひとりひとりと下町言葉で話をする様子は落語家のようだった。

「スーパーじゃなく個人店にいく人って、コミュニケーションを必要としているということじゃないですか。
下町のパン屋のよさって世間話ができるところだって、子供の頃から思ってました。
しゃべるのは、あたしも好きなほうだし。
機械的に買って帰るだけなら、かわいい女の子の店にいったほうがいい(笑)。
世間話して時間つぶしにくる人も多いですよ。
中には30分以上しゃべって帰ってく人もいる(笑)。
しゃべるのが嫌いな人はわかるので、あえてお話しはしません。
いろんな方がいらっしゃいます」

窓際に置かれたパンの向こう側に下町の景色が見えている。
木造モルタルの古い建物とパンは不思議なほどよく似合っていた。
鎧戸をがっちり閉めた仕舞た屋を指差して、武藤さんは
「みんな店、閉まっちゃってるけど、ここは商店街なんですよ。
なんていう名前の通りか、近所のおばあさんで教えてくれた人がいてね。
『モトスリ通り』っていうんだって。
ここに店をだした人はみんな元をすってでていくから(笑)」
誰もが店を潰してでていくなど景気のいい話ではないが、下町言葉で聞くとギャグになる。

ヌエット アン アンを開店するまでの10数年間、武藤さんの実家だというこの店舗も閉ざしたままになっていた。
元は、昔よく見かけたヤマザキなどのパンを委託販売するパン屋兼お菓子屋だったと。
だから、この一軒ただの住宅街に見えるこの場所にパン屋があることはむしろ自然なのだと、次々やってきては食パンや米粉のパンを「いつもの」という感じで買っていく、お年寄りを見ながら納得した。

武藤さんは紀伊国屋、モンタボーなど、ベーシックでクラシックなパンをきちんと提供している店で長く勤めた。
そこでつちかった技術は下町のニーズによく合っている。
どのパンもやわらかく、甘めのミルク味の滲みだしがあって、高齢の方や子供にも食べやすい。

食パン(240円)。
なめらかな舌触り、ぷるんぷるんのやわらかさ、歯切れるときのぷりっとする感じ、口溶けのとろとろ感。
人が食パンに望むものの多くをこれ1枚で満たしてくれる。
はじめはおとなしくすっきりした味わいが、溶けるとともに、意外な甘さを発揮してくる。
ミルクと小麦味が渾然一体となった、練乳にもやや近いような味わいは、甘めの食パンが好きな人におすすめ。

「おごった気持ちでやってたら、すべての工程がすこしずついい加減になり、最後につじつまがあわなくなってしまう。
計量でもすりきりできっちりやるのかそうでないのかで分量が合わなくなって、ふくらみ具合がちがくなってくる。
つじつまをあわせようとすると、分割するときにごまかしたり、他のことが犠牲になる。
おごった気持ちだったら、その結果を否定してしまうし、信用もなくなる。
胸を張ってだせる商品じゃなくなる。
レストランで、シェフがテーブルをまわって『いかがでしたか』って聞いてまわりますけど、それだけの仕事をしたという自信があるからできる。
店は小さくても、誇りがないといけないと思います」

奥さんとパートさんの3人だけ。
表通りで店を開き毎日たくさんのお客を相手にする方法を選ばず、身の丈にあった小さな店でマイペースにパンを焼く。
それはいい加減にパンを焼くことではなく、むしろパン1個1個、客1人1人に向き合う姿勢を意味している。
この界隈の人でなければ、大きな店、有名な店で事足りるかもしれないが、路地裏にまで秘境を訪ねることが、パン屋巡りの楽しさだと思う。

アーモンドチョコ(160円)。
「こってりしたものが食べたい気分のときに」とすすめてもらったパン。
カスタードとチョコレート、それからキャラメリゼしたアーモンドが、ひりひりとした甘さを奏でる。
すべて甘さは控えめであるべしという現代の風潮に真っ向から対峙。
その甘さはなつかしくもあり、あるいはヨーロッパの菓子を現地で食べているときのようでもある。
デニッシュ生地もまたクラシカルで、さくさくの部分は底面ぐらいで、むしろ全身が中身といったとろとろのやわらかさが、チョコとカスタードの食感とシンクロし、あるいはフィリングの過剰な甘さをやさしく包み込む。

レーザンクーヘン(140円)。
薄さもあって歯通りがとても快い。
目の詰まった生地は口に入れた途端にしゅっと溶ける
ふわふわさ、洋酒の香り、クルミのつぶつぶ感、甘さの軽やかさと、レーズンの酸味がそれを変化させていくさま。
おつかいものの箱詰めの焼き菓子(1切れごとにビニールに包まれているタイプ)のようなクラシックな味わい。
でも甘さにしつこさがなくナチュラルなのは、デパートに売っているそれらとは趣きを異にし、あっというまにぺろり食べられる。

焼きそばパンが雑誌にのるほどの名物とのことだったが、訪れたとき惣菜パンが売り切れていたのは残念。
楽しみをあとに残したと考えよう。(池田浩明)

#078
ヌエット アン アン
東武線 東向島駅
03-3612-1590
8:11〜18:30
日祝休み

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#078
200(東武伊勢崎線) comments(0) trackbacks(0)
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