パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ベーカリージャパンカップとモバックショウ(続)
パン職人の日本一を決めるベーカリージャパンカップは、モバックショウ(国際製パン製菓関連産業展、インテック大阪で3月6日から9日)の会場内で開催された。

初日の惣菜パン部門で日本一になったのは、滋賀県彦根市クラブハリエ ジョブリルタンの今井悠輔さん。
宅配便で送った食材が紛失するアクシデントがありながら、会場内にあった材料を急遽集めての勝利。
7日、菓子パン部門の勝者はVIRONの土田岬さんだった。
3月8日の最終日は、国産小麦を使った食事パンの戦い。
静岡県熱海市「久遠」の武山陽司さん、ル・スティル VIRON渋谷店の松田武司さん、北九州市クラウン製パンの大塚信也さん、高知県香美市ベークショップ ヒジリの岡林栄治さんによって争われる。

VIRONのシェフ松田さんは、カンパーニュのように大きめに丸めた生地を円形に伸ばした生地で包み込んでいた。
何をしているのか最初わからなかったが、「12雑穀入り田舎風レーズンパン」を作っているのだった。
生地の外側に飛び出たレーズンが焦げないように、またレーズンに邪魔されずうつくしくクープを描けるように。
国産ライ麦と全粒粉の香りは重厚で、しかし食感は食べやすく、少しもちもちさせることで国産小麦の特徴もうまく出されていた。

そして国産小麦ゆめちからを100%使った「極餅」。
前日から熟成させた液体の自家製酵母と、古生地(パートフェルメント)、そして湯捏ねによってでんぷんをα化もさせるという、技術と手間を結集した食パン。
それによって実現するのは、食べたことのないようなぷりぷり感。
そして、無色の味わいと、そこはかとない甘さ。
一方で、耳はざくざくで、こちらはより甘く、ビスケットのようでさえある。

準優勝したのはベークショップ ヒジリの岡林さん。
北海道産キタノカオリを使った食パン「北の恵み」、九州産ミナミノカオリを使った「赤玉ワインコッペ」。
北と南をテーマにした2つのパンを作った。
「北の恵み」には舌に吸いつくようななめらかさと、しっとり感、そしてここにも国産小麦らしい、ぷりんとした食感があって、かつキタノカオリの持つ独特の甘さも活かされていた。

岡林さんは国産小麦に挑戦した感想をこのように述べた。
「キタノカオリはほんのり黄色い内相になるので、お客さんの目にも届く。
作ってみたら、もちもち感があったし、なんともいえない甘さもありました。
自分にとってもすごく新しい発見。
お客さんに伝えていける特徴だなと」

久遠は観光地・熱海のパン屋。
武山陽司さんは、熱海の名物を使い、おみやげとして買って帰ってもらえるようなパンをと、知恵を絞った。

「麦こがしと黒糖の食パン」は、天狗が麦こがしをまく「こがしまつり」にちなんでいる。
なつかしくも甘い香ばしさがこの食パンにはある。
皮を嗅いでもそうだし、口にしても鼻へと抜けていく香りが、小麦の味わいと、とても自然に混ざりあう。
食パンとしても秀逸で、舌触りはさわさわ、国産小麦のもちもち感がちょっとあって、噛んで甘く、喉でいっそう甘い。

もうひとつも熱海名物を使った「レーズンと熱海橙の田舎パン」。
はちみつ漬けの橙(だいだい)とレーズン。
酸味と甘さ、甘さと酸味が、レーズンと橙の間でたすき掛けになり、絶妙のバランス。
シロップを練り込んだソフトフランスは喉通りがとてもよくて、上記のマリアージュを含んで、ごくごくと飲めるかのようだった。

武山さんが得た、念願の日本一。
ジャパンカップの勲章があれば店をもっと繁盛させられるはずだ。
オーナーシェフとしての野望をかなえた。

「お店をもっともっとがんばらないと。
日本一のパンってどんなのだろうって、みんな見にくる。
これからが勝負。
技術も情熱も僕はまだまだ。
トップの人とは差があるけど、追いついていくしかないです」

VIRONの松田さんは3位に終わった。
窯の中で食パンが破裂するアクシデントがあり、規定の本数を作りきれなかったことが、大きな減点となったのだ。
ハイレベルなパンを作っていただけに、痛いミス。
ル・スティル(VIRON)社長の西川隆博さんは潔かった。
「結果がすべてです。
プロなんだから」

一発勝負、すべてが公開された中で行われる戦い。
日本一への道のりの厳しさを改めて教えられる出来事だった。

モバックショウで繰り広げられるもうひとつの戦い。
材料メーカー、機械メーカーなどの求めに応じ、日本中から凄腕のパン職人が集まってデモンストレーションを行っているのだ。

クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワの実演に登場した、サ・マーシュの西川功晃シェフ。
フロマージュブラン(フレッシュなチーズ)を入れたブリオッシュを手捏ねで作り上げていく。
フロマージュブランはかなり水気が多いものなので、生地はしゃばしゃばしたものになって、少しもまとまらない。
作業台の上に、まるで焼く前のお好みやきのように広がった生地を、カードでかき集める。
テーブルに叩きつけ、手と手の間でキャッチボールのように弾ませる。
西川さんが捏ねるとまるで生地は宙を飛ぶようであった。
傍らで、ビゴの店オーナー藤森二郎さんが感心した様子で眺めていた。

ホシノ酵母のブースではパン工房風見鶏の福王寺明さんが「塩パン」を実演。
イタリアのスキャッチャータにちなむという。
「潰す」という意味を持つこのパンを、生地を痛めないよう「伸ばして」作る。
オリーブオイルを塗り、岩塩をふりかけ、上火325度、下火270度という、超高温で焼き上げていた。

日仏商事のブースで腕を振るっていた、福井のレ・プレジュール織田充シェフのバゲットもすごくおいしかった。
同じ生地を、チョコとオレンジピールのパンや、ローズマリーのフォカッチャなど、次々と別のパンにアレンジしていくのだった。

同じく、バゲットにうならされたのは、ベーカーズプロダクションでデモンストレーションしていたパリゴの安倍竜三シェフ。
安倍さんは、今年行われるモンディアル・デュ・パンの日本代表でもある。
バゲットの皮は、ひと噛みで粉状にまでなるほど、よく弾ける。
一転して、中身はやわらかく、しゅっと溶け、ごはんに似たやわらかい甘さを発するのだった。

コトブキベーキングマシンのブースではデイジイの倉田博和シェフがマイクを握り、窯から出たばかりのパンを観衆に勧める。
薄焼きのパンは熱々、餅のようにやわらかく、口溶けもすばらしい。
「多加水だから口の中で溶けるでしょ」

有名シェフの焼きたてのパンが食べられる、作っているところが見られる、話が聞ける。
パン好きにはたまらないイベントも、今日9日(土)までで終わる。
足を運んでいただきたい。(池田浩明)



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第1回ベーカリージャパンカップとモバックショウ

インテック大阪で3月6日から9日まで行われているモバックショウ(国際製パン製菓関連産業展)。
その一角で、全国のパン職人の頂点を決めるベーカリージャパンカップが開催されている。
パン業界にはすでにさまざまなコンテストや、クープデュモンドのような世界大会もあるが、このベーカリージャパンカップは特に小さなパン屋で日々パンを作る職人にも開かれていて、食パンやあんぱんといった日本の親しみやすいパンをテーマに争われる。

7日は菓子パン部門(アンパン、クリームパン、メロンパン)の決勝が行われた。
東日本からVIRON渋谷店の土田岬さん、群馬県伊勢崎市のグンイチパン羽鳥真理子さん、西日本からは岐阜県恵那市ブーランジュリー・ボネロの中谷幸司さん、リョーユーパン佐賀工場の野口義信が決勝に残った。

「すくって食べるくりーむぱん」を作る、羽鳥さん。
クレームブリュレのように表面をバーナーであぶってキャラメリゼする。
また、「『いも』『くり』『かぼちゃ』」あんぱん」は、ご当地パン祭りでも好成績を収めた、グンイチパンのスペシャリテ「まゆっこ」をベースにしていて、群馬名産のシルクパウダーによる独特のもちもち感が特徴である。

グンイチパンの小此木さんは、心配しながら、まるで母親のように彼女のことを見ていた。
「アドバイスしたいんだけど、言ったら失格になっちゃうもんね(笑)。
でも、今日はいままででいちばんいい色に焼けました。
プレゼンの飾りつけもお店の人たちみんなで考えました。
布団カバーや帯などあるものを使って。
賞を取ることもそうだけど、みんなでひとつにまとまって、いいもの作ろうねってがんばった、それがよかったです。
材料を大会の会場に送り出すとき、ちゃんと着くように、宅急便屋さんにみんなで祈ってた」

ブーランジュリー・ボネロの中谷さんは自分の店のことを、「自然の中にたった一軒建っている店」と表現した。
大きな組織にバックアップされての参加ではないオーナーシェフが、有名店への野望を実現できる大きなチャンス。
2009ドイツIBAカップの日本代表にもなった腕は見事で、うつくしいパンが、機械のように精密で素早く作り上げられていく。
写真は、ナッツを巻き込んで、クグロフ型で焼いた森のメロンパン。
ドゥーブルクリームパンには2種類のクリームが入れられる。
店近くの牧場で作られた自然のまま「ノンホモ」の牛乳のタイプと、より濃厚なクリームチーズのタイプが溶け合う。

VIRONの土田さんは「みんなのおやつパン」をテーマにした。
それを子供からお年寄りまでと普通は考える意味以上に深めている。
「店にくるお母さんが、アレルギーの子供がいて、なにを食べさせようか悩んでいた。
菜食主義の友達も、バターや牛乳など動物性油脂の入った甘いパンを食べられない。
そういう人たちの選択肢を広げたいと考えました」

あんぱん、クリームパン、メロンパンを植物性の材料だけで作った。
それでも卵を使っているようなおいしそうな色に見えるよう、かぼちゃを生地に練りこんでいる。
油脂のない分、ふわふわではなくもさっとしている。
その食感を食べにくさではなく、製法の工夫や味のバランスによって個性的な魅力、はまる感じに変えている。
クリームパンのチョコクリームも豆乳を使用しながら、ピーナッツペーストで濃厚に仕上げているし、あんぱんにもシークワーサージャムを入れ、味にインパクトや酸味を与えて。
健康のために食べるのではなく、この味を食べたい、という域まで高めた。

朝8時から夕方の3時まで各ブースで公開の上作られたパンは、審査委員長である日本パン技術研究所の井上好文所長以下、愛パン家の渡邉政子さん、ブレッドジャーナリストの清水美穂子さんら12人の審査員によって「コンセプト」「こだわり」「外観」「市場性・独創性」という4つの観点から審査された。

(前列左から
、羽鳥、土田、ひとりおいて、中谷、野口の各選手)

優勝したのはVIRONの土田さん。
パンの教科書に載らないような新しい生地をおいしく食べられるよう着地させるのは困難な作業だったにちがいない。
「いろいろ試作をやりました。
最初はストレート法でやっていたのですが、中種を(長時間)冷蔵発酵させるやり方がきいたと思います。
店のみんなや家族や友人に支えてもらって、あらためてありがたいと思いました」
2位は羽鳥さん、3位は中谷さん、4位野口さんの順だった。

ル・スティル(VIRON)の西川隆博社長は裏話を教えてくれた。
「この大会に賭ける彼女の思いがとても強かった。
絶対決勝に出るって、夢にまでその場面が出てきたそうです」

8日は「国内産小麦パン部門」の決勝。
選りすぐりの職人たちが国産小麦を使った食パンで争う。
その模様は誰でも見学することができるので、お近くの方は足を運んでほしい。

モバックショウでは、クープ・デュ・モンド(ベーカリー・ワールドカップ)国内最終選考会も行われている。
第1次、第2次予選の狭き門をくぐった16名の選手が、3月6日から9日までの4日間、各日4名ずつ競技を行い、パン部門、ヴィエノワズリー部門、飾りパン部門各1名のみが2016年フランスで行われる世界大会の代表選手に選ばれる。

一発勝負の緊張感がみなぎっている。
選手たちはここで作るパンに人生を賭けているといってもいい。
焼き色のうつくしさ、クープの反り、うつくしい模様が描かれたパンはどれも見事。
それを、前回大会で日本を優勝に導いた監督であるトランブルーの成瀬正さんや、かっての代表選手らが厳正に審査する。
日本のパンの名誉がかかった大会。
選手と審査員による、パンをめぐる戦いの真剣さは一見に値する。

競技を戦ったあと、帝国ホテルの二宮茂彰さんはこう話していた。
「パン・オ・ルヴァンの(自家製酵母)種がちょっと弱くて。
普段はもっと勢いがあるんですけど、今日はボリュームが出なかった。
それで、あきらめかけたんですけど、最後までがんばりました」

私の眼にはきちんとクープも立って、うつくしいとしか見えないパンだった。
世界のレベルの高さ、選手の緊張感がうかがえる言葉だ。

(各選手の作ったパンは毎日このブースに追加されていく)

会場では1000円でエコバッグにパンがついたセットが販売されている。
1日数度売られ、早い時間は過去の代表選手が作ったパン、競技終了の時間には競技で作られたパンを買うことができる。
私も並んで買った。
見かけがいいだけではなく、味も世界大会にふさわしいレベルのパンだった。

ドンク合田知弘さんのバタールは、ドンクらしいいつもの味わいがあり、そして中身の風味の豊かさ、さわさわと湧き上がるような感じがとてもすばらしいのだった。

二宮さんのセーグルもゲットした。
濃厚にライ麦が漂い、苦みさえ鼻へと抜けていくのに、どんどん喉を通る。
しっかりした皮には甘い香りが、やわらかい中身もしっかりと芳しくて、最後には軽やかな酸味がすっと駆け抜けた。

明日もジャパンカップ、そしてモバックショウについてお伝えする予定である。(池田浩明)

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レフェクトワール開店準備中
11月22日、ル・プチメックが新店をオープンさせる。

原宿と渋谷の間に新しくできるタケオキクチの旗艦店の目玉として3階に入居。
パン屋でも、カフェでもなく、レフェクトワール(食堂)。
プチメックのオーナー西山逸成が世に問う新しい業態である。
セルフサービス、大テーブル、トレイに置かれた皿。
フランスのリセや寄宿舎の学食をそのまま持ち込んだような雰囲気。
大きく窓を取った開放的な空間で、客は思い思いにこの店を「使う」ことができる。
レフェクトワールは文字通り、2階にはタケオキクチ自身のアトリエまで備えたこの建物における「食堂」として機能する。
また、人通りこそ多いが、意外にも安くて気軽でおいしい店が少なかったこのエリアにおいて、オフィスで働く人が使える地域の「食堂」でもある。

西山逸成は折に触れ、「サンドイッチ屋」がやりたいと語ってきた。
おいしい食事といっしょにパンを食べる。
パン屋が考えるベストな状態で、あたたかいパンを供する。
そのときもっともパンはそのポテンシャルを発揮するはずだ。
しかも、価格はサンドイッチだけに、ビストロに行くよりも、ずっと安く。
西山がずっとあたためてきた「あれやりたい、これやりたい」の結実が、レフェクトワールなのだ。

西山逸成は新店のオープンを控えて意気軒昂だった。
まず話しはじめたのは、デザートメニューのことである。
「タルトもやるし、タルトフィン(薄いタルト)もやりたくて。
ナパージュ(表面の照り)も塗らないで焼きっぱなしのあったかいタルトタタン(りんごのタルト)の上に、アイスクリームをのせて。
アイスクリームは機械も入れて、ちゃんとここで作ったものを出したい。
同じように、クレーム・ブリュレも考えています。
パン屋みたいに単品をテイクアウトするのではなく、ビストロで出てくるような、アシェット・デッセール(皿盛りのデザート)」

(メニューの構想が書かれたメモ書き)

メニューの構成はこのようなものだ。
「スープが2種類。
サラダが3種類。
メインのサンドイッチが5種類。
ゆくゆくはこれを10種類にしたい。
デザートは季節ごとに3種類。
夏はパッションフルーツやマンゴーのソルベもやりたいですね」

この中から客が自分で好きなものを選んで料理を組み立てる。
ビストロやレストランのように、必ず前菜とメインをとらなくてはならないということはない。
サンドイッチだけでも、デザートだけでもいい。
食べること、自分の時間を楽しむことの完全な自由が保証されているのだ。

(カウンター席からの眺め)

西山は、フランスでも修行をした、料理人である。
彼が半端なフレンチを出すはずがない。
「スープはオニオングラタンスープと、キノコかサツマイモのスープ。
『マギーブイヨン入れて、はい終わり』、というような、品数を増やすためだけのものではなくて。
うちは、鶏ガラからダシとって、フォン・ド・ヴォライユで作ってます」

「カジュアルさと食べたときのおいしさとのギャップがあればあるほどいいと思ってるんです。
店の雰囲気は、セルフサービスで、学校の食堂みたいな感じで。
それが、まさかここでフレンチが食べられる、そのギャップがおもしろい」

(フランスの小学校で使われていたアンティークの椅子を使用)

レフェクトワールは、サンドイッチというテーマをとことん掘り下げ、とことん楽しむ店だ。
それにしても、このアイデアを聞いたときは、まさに「サンドイッチのテーマパーク」だと思った。

「フランス料理のデギュスタシオン(テイスティング)ってあるでしょ。
一口ずつ味見できるような。
あれをひと皿でサンドイッチでやろうと思ってるんですよ。
いまプチメックで出してるようなプチサンドで。
前菜からはじまって、魚、肉、最後はデザートとしてブリオッシュに手を加えたもの。
魚にはチャバタを使ったり。
手前にはそれぞれのソースがある。
赤や緑や黄色で見た目にもきれい。
お客さんにはインパクトあるし、あったかいものを出す」

前菜のサンドイッチ、メイン魚料理のサンドイッチ、メイン肉料理のサンドイッチ、デザートのサンドイッチ。
ひとつの皿の上に4つのそれぞれ異なるサンドイッチが並ぶというのだ。

価格は極めて安価。
1000円札とあと100円玉数枚で、前菜+メイン(サンドイッチ)+デザートの充実した食事を食べられる。
ドリンクも市価よりかなり安価に抑えられ、気軽に使える食堂となる。
アルコールも少しも気取っていない。

(セルフサービス用の水を入れるタンクはアメリカで買い付けたもの)

「スクリューキャップのちっちゃいワインだけ置こうと思っています。
バカラのグラスはないですけど、デュラレックスでよければどうぞ。
持ち込みもOK。
ワインのことはわからないから好きにしてください(笑)」

フレンチにして、セルフサービスという大胆な発想。
それは店が客を自由に放っといてくれるということでもある。
この建物は全館に無線LANが入っているから、ノマドのためのオフィスとしても使うことができる。
あるいは、友人を家に呼ぶように、ワインを持ち込んでちょっとしたパーティを催すことも。

「アメリカの店を作りたいわけでも、フランスの店を作りたいわけでもなくて、自分の見てきたものを集めました」

内装はランドスケーププロダクツ(プレイマウンテン)の中原慎一郎が手がけた。
たとえば、西山は中原とともに、アメリカまで買い付けと視察の旅に出かけた。
中原のセンスだけでも、西山のプランだけでもなく、やり取りを重ねて、細部まで作り込んでいったのだ。
プチメックといえばフランスだったが、このレフェクトワールでは、西海岸(=中原)とフレンチ(=西山)の感覚が融合している。

「ガラスのエレベーターでくると天井が見える。
2階は天井打ちっぱなしで、床はフローリング。
レフェクトワールは反対に、天井が木で、床がモルタル。
これだけきれいに天井に木を貼るのには技術がいります。
すごくお金がかかったんですが、中原さんのこだわりで実現しました」

「3F − Cafe / REFECTOIRE」
表通りには、わずかこれだけがビルの外壁に書かれている。
それは、レフェクトワール=食堂というコンセプトを端的に示している。
 
「あとは三角に開いて立てる小さな看板だけでいいと思ってます。
ワールド(タケオキクチの母体で、このビルのオーナー)さんは大きな看板をつけてくれるとおっしゃっていただいたんですが、派手な看板は出さないでくださいとお願いしました。
最初はお客さんこなくて苦労するかもしれないけど、1回きてくれたお客さんは、必ずもう1度きてくれる」

西山は、新しい店を、カフェではなくてレフェクトワールだと言うが、完全に理解する人は少ないという。
「ずっと夢だったファミレスに一歩近づきましたね。
説明ができない店。
自分がオリジナルを作ったとかいう気持ちはまったくないが、自分が行きたい店を作りました。
結果として、こういう店がなかったというだけで。
だから、説明しても、誰にもわからない。
『食堂』と言ってるぐらいなんで、活気があってほしいし、ワイン1杯いくらとか高いお金を取りたくない。
でも、店の子には『うちは安売りじゃないよ』と言ってます。
お客さんの期待値を超えたら、高くても『いいね』と言われる。
そういう意味で『安いよね』と言われたい。
きちんとしたスープを出したい。
余裕があったら、フレンチレストランみたいにスープにも泡をのせて出したい。
カフェのスープってがっかりすることが多いでしょ。
だから、カフェっていう言葉を使いたくないんです。
この値段でレストランクオリティだったら、お客さんは納得する。
ビストロよりうちにきたほうがいいと思ってもらったら、勝ちじゃないですか。
京都・新宿でやりたくて、できなかったことができる。
だけど、プチメックの延長線上にあります」

西山はプチメックをはじめる以前から、おいしいフレンチを安く提供する方法を模索しつづけてきた。
そのためのパン屋であり、レフェクトワールである。
サンドイッチは目的ではなく、方法論にすぎない。

「サンドイッチ専門店とは言ってますが、無理矢理はさむぐらいなら、はさまない。
タルティーヌもやりますし、パンを添えるだけでもいい。
密閉ガラス瓶の小さいので出すレストランがありますけど、あれはうちもやりたい。
レバーパテのおいしいのを作って、そこに入れる。
パンをスライスしたのを何種類か添えたら、お酒のアテにもなるし。
わかりやすくサンドイッチ屋といってますけど、どうやったらパンをおいしく食べてもらえるかであって。
ペーストがあって、それを自分で塗って食べるのもそのひとつです」

「フランスにいた頃から、自分が店を出したら絶対やろうと思ってたことがあるんです。
ブリオッシュの頭を取って、中をくりぬいて、エスカルゴを入れる。
きれいな緑のエスカルゴソースもかけて。
普通はエスカルゴってお約束の壷みたいなのに入ってるでしょ。
その代わり、お皿の上にブリオッシュを3つぐらい置く。
これも僕の中ではサンドイッチの範疇。
ハンバーガーもサンドイッチの範疇。
でも、普通のハンバーガーじゃおもしろくないと思うんです。
エゾジカがないか、お肉屋さんに話をしています。
エゾジカのハンバーガーはよそでは食べられない。
それがうちの仕事じゃないかなって」

いまでこそ朝食が注目されるようになったが、まだまだ朝早い時間においしい朝食を食べられる店は少ない。
レフェクトワールはそのニーズを先取りし、満たそうとしている。

「朝食にはクロックムッシュとクロックマダム。
それから、エッグベネディクト(マフィンにポーチドエッグとベーコンをのせオランデーズソースをかけたもの)を今回はやろうと思ってます。
ホテルとか高級なカフェいかないと食べられないじゃないですか。
イングリッシュマフィンにエッグベネディクトをはさむ。
あとは、厚めに切ったトーストも考えてます。
鹿児島であまりにもおいしいベーコンを見つけました。
卵料理にこのベーコン、パンを添えてお出しします
オーベルジュ(フランスの民宿)みたいに、小さいクロワッサンも作ったり。
それをかごに入れて置いとこうと思います。
時間もないし、お金も使いたくないという人は、あとはコーヒーでちゃちゃっと済ませることもできますし」

クロワッサンをかごに入れてカウンターの上に置き、それを客がおのおの取って食べるというのは、昔のフランスのカフェのスタイルである。
西山はそれをヌーヴェルバーグの映画『死刑台のエレベーター』から学びとっている。

オープンまであと1週間。
メニューは依然として試作中。
西山は店の一角にMacを持ち込み、オランジーナを何本も飲みながら、てんてこ舞いしていた。
食事は常に新メニューのための試食、新しく届いた機材に興奮し、はじめて焼き上がったクロックムッシュ用の食パンの香りに反応して、「食パン、いい香り!」と叫びながら、厨房へと走っていく。

「料理が僕の頭の中にしかないから、突然変わったり。
店の子たちは大変です(笑)」

(真新しい機械。合理化のためにファミレスなみの設備を備える)

おいしいものを安く提供する。
それは消費者のためにもなるし、客を呼び、ひいては従業員の利益にもなる。
旧態依然のパン業界、飲食業をイノベーションしようというのが、西山の長年の夢である。
この店がリーズナブルなのは、クオリティを落とさずにどこまで合理化できるか、徹底的に検討されているからだ。
こんなアイデアまで考えている。

「ルンバを2台走らせれば掃除できるんじゃないかって。
家から持ってきてやってみたんですけど、けっこう掃除できてます。
その間にテーブル拭いたりすれば、人件費の削減になるから」

「制服はプチメックでみんなが着てる、フランスのブラガー(コックコートのブランド)のと同じデザインです。
カフェやレストランでフランスのおばちゃんが着てるものです。
みんなに見せたら、タケ先生(菊池武夫のことを西山は親愛をこめてこう呼ぶ)も、中原さんも『いいね』と言ってくださって。
ただ、大きいボタンに変えてくださいとお願いして、素材もオーガニックのコットンに変えていただきました。
袖の裏地にチェックを入れようというのは、タケ先生の奥さまのアイデアです」

「洗い場のタブリエ(胸まであるエプロン)も、カスケットも、ネイビー(レフェクトワールのイメージカラー)。
キャップをかぶったら、アメリカになってしまう。
だから、カスケットがいいですって言ったら、先生がその場でスケッチを書きはじめました。
裏地には袖口と同じチェックを使って、タケオキクチのタグも入っています」

開店準備中の店内は高揚感に包まれていた。
おいしいパンとおいしいフレンチを安く。
西山逸成の夢の実現は、私たちの夢の実現でもある。

レフェクトワール ル・プチメック
RÉFECTOIRE(Le Petitmec) 
03-3797-3722        
9:00〜21:00
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ドンクまつり
いま全国の店舗で開催中のドンク107周年フェアが、マニアックな視点で見るとたいへん趣き深い。

この期間中のみ売られるバゲット テロワールは、フランス産小麦テロワールを使ったバゲットである。
ドンクのバゲットといえば、普段は日清製粉リスドオル命。
それは、ドンクが日本にはじめて本格的なパン・トラディショネルをもたらし、その製法を守りつづけてきた歴史と関係がある。
このとき、大きな役割を果たしたのが、ムッシュ・ビゴと、フランスパンの神様ことレイモン・カルヴェル先生であった。
日本ではじめてのフランスパン専用粉リスドオルは、この2人が開発に携わった。
ドンクにとってリスドオルは、動かすことのできない原点なのである。

ところが、リスドオルはフランス産小麦ではない。
北米産小麦などからフランスパンを作りやすいよう調整して作られるものだ。
では、ドンクがフランス産小麦を使って、バゲットを作ったらどうなるか。
それはパン・トラディショネルのもっと原点へ遡行することではないか。

皮は薄くぱりっとして、中身は快い乾きとやわらかさ、あっさりしたうまみ。
それがリスドオルを使ったいつものバゲットだとしたら、バゲット・テロワールはまったく異なっていた。
皮は分厚く、容赦なく頑丈である。
強く焼きこまれ、尖ってもいる。
中身の目は詰まり、なかなかちぎれず、ふわっとしていない。
味わいの濃厚さ、甘さの強度。
普段のストレート法ではなく、長時間発酵。
たしかに、ヴィロンのレトロドールに近い感じがある。
フランス基準の硬さが楽しい食べづらさで、味は決してマニアックではなく、味覚のマトリックスの真ん中を突いている。
タイプは異なれど、それはいつものバゲットと共通する、ドンクらしさだと思う。
とにかく、家の近所でフランス産小麦のバゲットを味わえるというのは、私にとって手放しでうれしい事態なのである。

もうひとつ、これはフェアに限らない商品だが、ドンクの冷やしメロンパン。
夏の間私がずっと夢見つづけているパンだ。

8月12日まで。

(池田浩明)
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ヴィロン、もうひとつの物語。 西川隆博社長インタビュー
パン作りと経営は、コインの裏と表である。
ヴィロンの成功は、シェフ牛尾則明の技術力に、ル・スティル社長・西川隆博のブランディング力が合わさって、はじめて成し遂げられた。
地方のパンメーカーの3代目として生まれた西川は、なぜヴィロンという夢を見て、それを追いかけたのか。


「大学の頃、親父が首の骨を折って、僕はそのまま会社に入ることになりました。
当時、バブルがはじけて、会社の売り上げも年々下がっていた。
なんとか立て直さないと。
価格競争にさらされていましたが、それでは大手に太刀打ちできない。
品質で勝負したい。
ニシカワ食品は、職人の世界がしっかりある会社。
創業者が職人じゃなかった分、逆にいい職人が集まってくれていました。
設備もいちばんいいものを導入して、いいパンを作る企業文化があった。
価格ではなく、品質で勝負しよう。
職人の技術を活用したい。
そのためには、商品の特徴を出す舞台を作らないと」

商品の特徴を出す舞台とは「ブランド」のことだ。
高い品質のパンも、消費者に理解されてはじめて価値に変わる。
ブランドというイメージは、言葉を費やさなくても、一瞬にしてそれを可能にする。

「高品質のパンを高く売る業態をはじめるには、地元の加古川では物価が安すぎる。
そこで、神戸の北野で『サンミッシェル』という店をやって成功を収めました。
エシレバターやフランス小麦を使って、ヴィエノワズリーやバゲットを作ろう。
デニッシュを焼くなら、上にのせるグレープフルーツも手でむいて自前で作ろう。
そうやってクオリティの高いパンを作った。
とんがった店をやらないといけないんだと思いました。
専門店化したほうが、これからは評価されやすい。
じゃ、なんだろう?
パン好きの方は、だいたいフランスにあこがれがあるし、いいバゲットが焼けたら一人前といわれるように、業界的にもわかりやすいのではないか。
フランスをやろう。
あんぱんとか、カレーパンとかはやめよう。
ブーランジュリー・パティスリーをやろうと決めた。
いちばんわかりやすいのはバゲットです。
でも、バゲットは売れないパンの代表。
これ売るためには、ちゃんとした店舗業態を構築しないと」

フランスそのままのバゲットを売り物にブランドを立ち上げられないか。
芽生えたアイデアを実現させるための第1歩は、現地に本物のフランスパンを見にいくことだった。

「レトロドールのことはそれまでも聞いていました。
神戸の『イスズベーカリー』さんら、兵庫県パン組合の青年部でフランスに行き、グルニエ・ア・パンや、その他何軒か見せてもらったのが、2000年のことです。
でも、パリのバゲットは総じて、あまり美味しくなく、レトロドールも硬くてがりがり、中はねちょねちょでした。
その中ではグルニエ・ア・パンはいいほうでしたが、特徴がない。
こんなもんなのかと思って帰った。
でも、だんだん思いが固まってきて、2001年の11月、15区のコンバンションにアパルトマンを借りて、1ヶ月バゲットを食べ歩いた。
『いちばんおいしかったのなに?』というと、アパルトマンの近くにあったグルニエ・ア・パンだった。
レトロドールを使ったバゲットを売っていて、朝一のはおいしいけど、夜買うとまあまあ、という感じでした。
あとは、フルートガナがおいしい。
おいしいバゲットは、レトロドールかフルートガナだと思いました。
フルートガナはすでに神戸屋さんと提携していたので、うちがやるならレトロドールのVIRONだなと」

グルニエ・ア・パンで朝一番で出されるバゲットは、一夜かけて生地を冷蔵発酵させるために小麦の甘さが存分に引き出されている。
その話は牛尾のインタビューにもあった通りだ。
西川は自分の目指すパンのモデルを発見したのだった。
しかし、西川は単にそれを盗んで日本でコピーするという簡単な道は選ばなかった。
巨費を支払っても、製粉会社であるVIRONとの提携を目論んだ。

「日本のバゲットは、いわばリーンなコッペパン。
フランスパン専用粉といっても、原料はアメリカ・カナダの小麦です。
フランスのような、穴がぼこぼこ空いたバゲットを作ろうとしても、たんぱく量の多い、質の違う粉では目が詰まりやすい。
皮の食感、気泡がぼこぼこした中身、小麦の味がするちゃんとしたバゲットができれば、日本の消費者に絶対わかってもらえるという確信がありました」

レトロドール以外の選択肢はなかったのか。
たとえばパリには、ポワラーヌという、昔ながらの作り方を守る名店もある。
だが、本場フランスのパンと日本のフランスパンの最大のちがいが、小麦にあることに着目していた西川にとって、自家製酵母という選択肢はありえなかった。

「少量の酵母を長時間発酵させるやり方が、小麦の香りを味わうのにいちばんの方法だと思います。
自家製酵母のように、風味をマスキングしてしまうことがないからです。
また、ディレクト(ストレート法)だと甘みが薄い」

フィリップ・ビゴらによって日本に持ち込まれ、それまで日本でもっとも一般的だったフランスパンは、ストレート法で作られるものだ。
一方、自家製酵母を使うと、乳酸菌等の癖が出やすく、風味は強いが小麦の味わいが消されてしまう。
ニュートラルな風味に近い市販の酵母(イースト)を少量のみ使い、長時間の発酵によって味わいを増す。
それが、フランス小麦を味わうもっとも理想的な方法だと、西川は考えた。

当時(2001年のはじめ頃)、レトロドールはじょじょに日本でも知られる存在になりつつあった。
西川はVIRONとの契約を急いだ。

「人の目につく前に交渉にいかないとまずい、と。
僕ほど思いのある人はいないのだから。
そのためには、顔を見て握手しとかないとやばい。
なんとか時間を作ってパリに行きました。
シャンゼリゼのホテルで、VIRONの社長アレクサンドル・ヴィロン(当時専務)と握手して、説得した」

西川は切り出した。
「VIRONのレトロドールはとてもおいしい。
神戸でレトロドールを中心に据えたパン屋をやりたいと考えている。
そのためにVIRON社と独占契約したい。
日本ではレトロドールの名前でいろんなパンが乱立すると、レトロドールと言うブランドがすぐにダメになってしまう。
クオリティを維持して、安定的に供給しないと、イメージがぶれてしまいます。
そこまで日本の消費者はブランドに対して厳しい。
クオリティコントロールするためには、我々だけが使える状況にしてほしい。
クオリティの高い店を作るので、我々とやろう」

西川は情熱を伝えたが、相手から返ってきたのは、ビジネスライクな返答だった。
「フランスの人口は6500万人、日本の人口はその倍だろう。
それだけの市場規模があるのに、1社とだけ契約はできない」

「『日本にはごはんも、麺もある。
バゲットはパンの消費量のうち、1、2%しか売れてない』と僕は言いました。
ところが、アレクサンドルは、
『商社ならこれだけたくさんの量を買ってくれる』
とかそんな話ばかりするので、僕は泣きそうになった(笑)」

日をおかず、またフランスまで説得にいった。
「『要はいくらで買ってくれるんだ』という話になった。
2年で2000万円分、関税や運賃を乗っけると6000万円。
NOと言っちゃうと話が進まないので、小麦の代金は払うけど、ものは送ってくれるなということにして、店舗を開くための空き物件を探した」

リスクを承知で、契約を成立させた。
当初計画した神戸では空き物件が見つからず、渋谷・東急本店前という一等地に80坪の店舗を見つけた。
小麦粉の代金2年分、賃貸の権利金まで含め、4億という巨資が投じられた。

「2002年6月18日に開店という日取りも決まったのですが、3日前までバゲットができなかった。
それまでも、加古川の本社にスタッフを集めて、ミーティングをやっていた。
2階建ての店舗のうち、1階をブーランジュリー、パティスリーにしようというのは決まりました。
それから、客単価を上げるためにはどうしようと考えるうち、2階は、朝から晩まで食事をしていただけるブラッスリーと決めました。
スタッフで話し合って、問題があれば、それならどうしようと決めていった。
その中でコンセプトが見えてきました。
フランスにあるものしかやらない。
菓子はクラシックなものだけ。
フランス人が日常食べているような、しっかりした料理。
その中心にはバゲットがある。
みんなで決めて、実際の商品に落とし込んでいきました」

ブレインストーミングによって、コンセプトに沿った、商品と店舗のイメージをしっかりと固めた。
そのことにヴィロンの成功の鍵はあったのではないか。
このとき決まったことは、9年たったいまもまったくぶれていないのだから。

牛尾の話を聞いていただけではわからなかったことがある。
なぜ西川は、自分の頭の中にあった事業の内容をまったく告げずに、牛尾をフランスへ送り出したのか。

「実は、最初の視察でフランスに連れてった職人は、牛尾ではない社員でした。
本当は牛尾を使いたかった。
牛尾は、ビゴさんに修行に出したり、フランスパンの世界を習得させた、うちの切り札。
でも、最初はVIRONの事業に関わらせない方針だった。
それは、彼の今後も考えてのこと。
その当時、牛尾のセンスや商品開発力を買って、本社工場に戻して技術を発揮させたり、Pascoさんとのビジネスを担当させていました。
その仕事も軌道に乗ってきたところだったので、そのまま続けさせねばと。
もちろん、この事業(ヴィロン)を真剣にやるなら牛尾の力を借りざるをえない。
最初は神戸でやる計画だったので、本社の仕事をやりながら手伝ってもらえるかなとも思っていました。
ところが、東京でやることになり、地元の関西とちがって、助け舟はない。
そうやって考えていく中で、うちのベストでいくしかないとなった。
牛尾しかいない。
ちょうど、牛尾は地元に家も建てたところだった。
巻き込んで悪いなという気持ちもありましたが。
でも、4億投資して、絶対に失敗はできない」

つまり、西川にとっては、牛尾がはじめから意中の人物であったにもかかわらず、それを本人に隠さなければならない事情があったのだ。
そうと知らない牛尾は、社長が無言でフランスへ送り出したことを、自分の舌で最高のバゲットを見極めろというメッセージとして受け取っていた。
2人の思いはちがっていたが、期せずして最終的な結論は完全に一致した。
フランス産小麦、低温長時間発酵のバゲットがいちばんだということ。
そして、ヴィロンのシェフ・ブーランジェは牛尾則明以外の人物ではあり得ないということ。

「東京に行ってくれないか。
手伝ってくれ」
西川は4億を投じたプロジェクトの帰趨を、牛尾の腕に賭けた。

赤字を出しつづけた最初の数ヶ月。それでも、
「いまに絶対わかってもらえる」
と、西川は、牛尾とスタッフを励ましつづけた、その真意はどこにあったのか。

「未来のことがわかるわけではないから、大丈夫だと言いつづけていたのは、カラ元気。
なんの根拠もない。
でも、売り上げもじょじょに上がってきてたし、きてもらったお客さんの間では評判になっていたので、うっすら手応えはあった。
うちには本体のニシカワ食品もあるから、1億赤字でも資金繰りはできる。
それより、『もっともっとクオリティ上げろ、余計なこと考えるな』と、言ってました。
60年つづいてる会社の、次の柱になる事業。
きちんと考え抜いたことをやりきろうと。
余計なこと考えず、お客さまに、伝えたいことだけをシンプルに伝えよう」

マーケティングや宣伝といった技術論以前に、商売の原点とは、まず品質のいいものをしっかりと作って、人びとによろこんでもらうことではないだろうか。
クオリティさえあれば、おのずと商品は売れていくはずだ。
その原点を揺るがず持ちつづけることこそ、西川が「ブランド」と呼ぶものだ。

「僕にはパンは作れない。
職人は、いいパンを作ってお客さまによろこんでもらいたいと思う。
彼らが、誇り持って楽しく働いてくれる環境を作るのが僕の仕事。
そのためにはブランドが必要です。
僕は、味覚だけは自信があります。
立ち上げるときに味は決めますし、ぶれたときには出しちゃダメだという。
お客さんの期待を裏切っちゃいけない。
ブランドとは信頼です。
我々が求められているのはクオリティ。
それだけを考えてればいい」

ヴィロン、エシレ・メゾン デュ ブール、みんなのぱんや…。
幾多のブランドを世に問い、成功に導いてきた西川が、本当に目指しているのはなにか。
西川の父・西川隆雄は、全日本パン協同組合連合会(全パン連)の会長を務める。
障害を持つ父を補佐する立場にある西川の目線は、ただニシカワ食品1社の利益だけではなく、全国のパン屋の経営者、そこで働くすべての人たちへと向いている。

「『日本一高いパン屋を作る』というのが、ヴィロンを立ち上げるときの僕の目標でした。
パンの値段を高くできれば、いまとても劣悪な環境に置かれているパン職人の給料・待遇も、一部上場企業とまではいかないが、もっとまともにできる。
パン職人を、がんばったら報われる仕事にしたい。
業界の方には、『あんな高い家賃払ってパン売ってバカか』と言われました。
パンってこんな世界だという思い込みを崩したかった。
いまパンの値段が安すぎるので、給料もそこそこに休みも取らず朝から晩まで働いて、自分の身を削って仕事をしないとお客さんに買ってもらえない。
価格の競争になったら、街のパン屋は大手メーカーに負けて、食べていけなくなる」

牛尾則明のインタビューでも語られたように、職人のストーリーに長時間労働はつきものである。
それは果たして必ずしも美談といえるのだろうか。
牛尾のような陽の当たるスターシェフの陰に、金銭的に報われない何人のパン職人がいることだろう。
寝る間を惜しんで、いいパンを、安く作るために、働きつづける。
その献身が報われればいいが、働きすぎがたたって病気になっても、なんの保証もない。
多くのパン屋が置かれる劣悪な経営環境に、人びとの目は向いていない。

「諸悪の根源は価格。
いまパン1個の値段の平均は100円でしかない。
これをもっと高くしないとパン屋は幸せになれない。
パン業界はすごく厳しい。
特に地方でパン屋が成立しない。
人を雇って、労働時間を守って、社会保険かけて、というまっとうな待遇を保証するのがとてもむずかしい。
クオリティの高いパンを作れば報われるような、夢のある仕事にしたい。
一生懸命パンを作って、お客さまにその努力を知ってもらって、パン屋が報われるように。
そのためには、価格設定がポイントになる。
僕はその問題に踏み込むつもりで、ヴィロンを作った」

消費者は1円でも安いパンを求める。
当然のことだ。
だが、商品=価格のバランスが崩れたなら、不当な競争が起こって、国全体で価格が下がっていく。
これが、日本経済の置かれたデフレの正体である。
貨幣を通してすべては連関している。
誰かの仕事に対し、正当な対価を支払わなければ、まわりまわって消費者自身の首を絞めることになる。
西川はこの深刻な問題に、ブランドの力で切り込もうとしている。

「うちは幸い、利益が出ている。
当然社会保険も加入しているし、従業員に休みも取りなさいと言っている。
それでやっていけないということはない。
パン業界の給料をなんとか上げたい。
そのために、日本一高いパン屋のマーケットはあるよと見せたかった。
お客さんの信頼を得て、メディアに露出するようになれば、スポットライトが当たる。
ブランドの中身や精神が構築できれば、一人歩きできます。
一生懸命にパンを作って、ブランドも構築できれば、すごいことになるよ。
それを伝えて、全国のパン屋を、ひいてはお客さまを幸せにしたいというのが、僕のやりたいことです」




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ヒカリエ、あるいはパンの再開発、はたまた渋谷パン戦争
渋谷駅前に急になんかでかいビルができてるのにみなさまお気づきかと思いますが、26日にヒカリエが堂々オープン!

一足先にマスコミ関係者のための内覧会が行われたので、いかにも業界人みたいな顔で、パン的においしいことがないか潜入取材を敢行。

B1フロアがやばいことになっている。
天下のピエール・エルメ、世界のサダハルアオキ、泣く子も黙る辻口シェフのショコラ ドゥ アッシュがそろい踏み。
新宿伊勢丹へのめらめらと燃え上がる対抗心を感じました。

サダハルアオキが売り出した大判焼き!
中身はなんとチョコ味のマカロン、外側は抹茶味の皮。

マリアージュフレール(紅茶専門店)があり、ジャコビアというチーズ屋があり、パンのおとももここ1軒でいろいろそろって、とっても便利。
そして、ワインショップ・エノテカまでも。
おつまみとして、ビオのドライフルーツがこんなにたくさん。
オイルコーティングもなく、ナチュラルということで、たしかにそんじょそこらのとは味わいがちがっていました。

入れ替わり立ち替わり、テレビ取材を受けているこの人は…ロブションの山口哲也シェフではないかいな!
ロブションがはじめて、パン単独店、ル パン ドゥ ジョエル・ロブションとして、ヒカリエに出店。

渋谷だけのメニューも。

恵比寿、六本木は、シックなイメージがあったが、ここではデパ地下のようにバラエティあふれ、楽しい。
渋谷といえば、VIRONの縄張り。
血で血を洗うVIRON vs. ロブションの大抗争が勃発するかどうかは知りません。

100%国産小麦を使った濱田屋の新ライン「Richu 濱田屋」や、国分寺まで行かなきゃ買えなかったラ ブランジェリ キィニョンも出店。
渋谷のパン界にすわ大地殻変動か!

夕方の情報番組、news every.(日テレ系列)が、山口哲也シェフに密着。
放送は30日予定とのこと(まだ流動的だそうです)。
夕方ニュースおなじみのグルメ特集枠が、ロブションをどう「料理」するか、楽しみ。

パンラボでも、山口哲也シェフのインタビューを、そのうち掲載予定。



パンラボ単行本発売中すぎて困る
(↑ ゆるふわく殺到してて困る)
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ペカとクラプフェン
舟田詠子さんを知っているだろうか?
『誰も知らないクリスマス』『パンの文化史』などの著書を持つ、ウィーン在住のパンの歴史家である。

先日、彼女は日本に帰国し、ドゥブロヴニクについての講演会を開いた。
ドゥブロヴニクとは「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアの都市で、小島を城塞が取り囲みその中には中世以来の建物が立ち並んで、世界遺産にも登録されている。
ドゥブロヴニクとの縁は、舟田さんが雑誌の中で鍋の写真を見つけたことによる。
ペカという名の、いまはオーブンに取って代わられて失われつつある、古いタイプのもの。
つまり、それは鍋というよりも、かぶせものであって、食材を置き、鍋をそれを覆うようにかぶせ、その上から炭を置いて、熱を上から加え、内部に対流を起こして調理をする仕組みのものだった。

舟田さんは、年来の希望がかなってドゥブロヴニクを訪ね、ペカを使用するレストランを訪ねる。
標高の高い場所で育った特別な仔牛をペカでじっくりと煮たその料理は、遠赤外線の効果もあって、それまで食べたことのないようなすばらしい味わいだったと。

話は、5500年前、人類が食べた最初期のパンの話へ飛ぶ。
遺跡で発見されたその化石を顕微鏡で観察すると、微細な気泡が中身にあって、それが発酵を経て膨らんだものだとわかるという。
オーブンのように、上下から火をあてなければ、パンは膨らむことはない。
土器が作られる以前の時代に、どうやってオーブンのような装置を、石器人が作ることができたのか?
おそらくはペカのようなものだったろうと、舟田さんはいう。
石を加工して、内部が丸天井になるような、ドーム型の小さな鍋を作り、それを生地の上にかぶせて、焼いたはずだと。

クロアチアで綿々と受け継がれ、いまは途絶えそうになっている珍しい鍋が、実は人類がパンを焼きはじめた原点を、教えてくれている。
「5500年前の人が現代にきて、私たちの食事を見たら、なんと貧しいものを食べているかと思うかもしれません」
といって会場を笑わせたとき、舟田さんは、ドゥブロヴニクのペカのおいしさを思いだしていたのだろう。

講演会の最後に登場したお楽しみ。
舟田さんのレシピを元に、Zopfがこの日のために特別に作った「ウィーン風ファンシングのクラプフェン」。
ファンシングとは謝肉祭のことで、カトリックの四旬節と呼ばれる40日の絶食期間を前に最後の大騒ぎをする。
そのときにウィーンでは、このクラプフェンが食べられる。
お祭りの雰囲気の中、飛ぶように売れていくので粗製濫造される本場のものより、Zopfのクラプフェンはきっとおいしいはずだった。

ふわふわとねっちりさが同時に表現されたドーナツ生地。
粉糖の甘さ、卵とバターの甘さ、中から香りだすラムの香りが沸き出し、混淆して、喉を刺す。
味の決め手は中からとろけだす、あんずジャム。
あんずのないいまの季節だが、既製品には頼らず、冷凍のものを煮て手作り。
尖った酸味が、甘さにコントラストとさわやかさを与えるのは、そのひと手間のためなのだろう。



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ル・プチメックの4daysサンドイッチ
芝浦で行われたモリカゲシャツのイベント。
たった4日間だけのために、プチメックの西山逸成さんは本気でサンドイッチを作る。

サバサンド。
秤にものをのせたとき、小刻みに針が揺れ動き、そのあと停止するように。
着地点は完全にバランスの取れたある一点。
口にしてからそこに至るまでのごく短い時間に、着地点を目指してあらゆる味わいが浮かんでは消え、交錯し、まるで味覚の針が細かく震えているようになる。
サバの脂、サワークリームの酸味、じゃがいものスライスの甘さ、レモンのさわやかさ、ディルの香り。
小さな+と−を積み重ねて完全な0へと至る。
その計算が常軌を超えて緻密なので、完全に意表を突かれる。

「ノルウェー産のサバは脂がのってすごくおいしいので、前から使ってみたいと思っていました。
サバサンドはトルコが有名みたいなんですけど、調べてみたら、たまねぎのスライスにレモンをぶっかけただけの代物で、それだと芸がない。
それで、サワークリームと合わせようと思いました。
魚にはディルが合うので、それも混ぜようと。
そしたら、渡邉政子さんから『サバはじゃがいもが合うよ』と言われました。
最初はピュレを塗ろうと思ったんですが、それだとくどくなる。
スライスしたポテトを揚げて、塩をしました」

サバの脂という+に対して、レモンやヴィネガーのような強い酸味でマリネすれば、たったひとつの式で、±0になるだろう。
にもかかわらず、近道を取らず、迂回する。
風味というより、気配と呼ぶほうがぴったりくるような、小数点以下の数字を組み合わせて、複雑な連立方程式を解く。

フォアグラのブリオッシュサンドも、然り。
「フォアグラにブリオッシュというのは定番です。
ある三ツ星レストランで食事をしたとき、前菜でフォアグラにキャロットラペ(にんじんのサラダ)が付け合わせでのってきた。
これなら、フォアグラでもあっさり食べられると思いました。
僕の作るものは、かつて食べたもののの記憶を再現することが多いんですけど、これもそのひとつです。
柑橘系のドレッシングにしたら相性がいいと思い、はちみつとオレンジを使いました」

天秤の片方にフォアグラという濃厚さを乗せて、もう片方にキャロットラペという軽やかさをのせる。
それだけではまだつりあわないシーソーに、どのような手管を使ってバランスを与えるのか。
ブリオッシュ、はちみつ、オレンジ。
いくつもの甘さを空気のようにまとわせて、そうとは悟らせないほどの密やかさでバランスをとっていく。
さまざまな甘さが細かく振れ、ゆらめく。
ひとつの甘さが浮上するたび、フォワグラとの間でそれぞれのマリアージュが生まれる。

「何回も食べてみて、バランスを確認するんですよ。
バンズを何グラムにしたらいいかとか、いろんなパターンを作って。
きれいに作りたかったんで、バンズの直径を計って、それにぴったりあったフォワグラのテリーヌを円盤状に作ろうと思いました。
樋型って呼ばれる半円形の型があって、それを使おうと思ったんですが、京都のお店に売ってなかった。
ホームセンターに行ったら、雨樋が売られてて、それがちょうどサイズぴったり。
1m680円のを買うてきて、両端をダンボールをアルミ箔で包んだもので止めて、それを型に使いました。
半円形のを2つつなげたら、丸になるでしょ」

ル・プチメックのサンドイッチには追いつくことができない。
具材の組み合わせが意表を突いているから、というだけではない。
あまりにも厳密なバランス感覚によって。
完全なバランスとはここまで快楽を与えるものなのだということを、西山逸成ほどにはまだ誰も気づけていないのかもしれない。

「フォワグラの厚さも、1cmにするか、5mmにするか、考えました。
厚いほうがフォワグラはおいしいけど、それだとくどくなるかもしれないと思って。
それで、厚さ1センチで半円形だけのも試作したんですが、やっぱりのってないところを食べてるときがあんまりおいしくない。
薄いのが全体にはさまっているとまんべんなく味がしていいというところに落ち着きました。
あのバランスで、フォワグラも、キャロットラペも、ブリオッシュも、ドレッシングの味もする。
これは、パンを作るときのいつもの工程。
僕はバランス探しをずっとしてるんですよね」

イベントの観客に配られたおみやげ。
クイニーアマン、ブリオッシュ・ショコラブラン・アブリコ、栗とショコラのパン。




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パンのアドリブ
「10年後」という意味を持つダンディゾンが、自家製酵母のパンを開始したのは2年前。
区切りの年を控えた8年目のこと。
美術館にでも飾られていそうな静謐なうつくしさを持つダンディゾンのパンは、イー
ストならではだと思っていたので、うれしい不意打ちだった。
忙しいルーティンの合間を縫って試作をつづける木村シェフの取り組みは、あれから
どのような進化を遂げたのだろう。

月曜日火曜日限定のバゲット・ダンディゾン(300円)。
このバゲットを買うと、木村シェフのイラストをデザインした包装紙で包まれる。
細身、うつくしい濃褐色、波打つクープ。
ほんのひと口ですばらしく満足するバゲットだった。
風味が燃え上がるように豊かであるゆえに、ひとかけらがあまりにも充実しているか
らだ。
それは長い間熟成を経た自家製酵母ゆえの味わいだったが、完全にコントロールされ
ていて、静謐さの印象はイーストのパンと同様なのだった。
甘さと落ち着きの中間にある皮の香ばしさ、中身には肌色の酵母の香り。
皮の力強さにかき消されがちではあるが、中身のひんやりした甘さがじょじょにあた
たまっていく過程に耳を澄ませてずっと追いかけていったとき、幸福を感じた。

木村シェフが「本日のパン」と呼ぶ商品がある。
「パン屋にできる、元気になれる、楽しくなれることを」
震災以来、その思いがより強くなり、試作した中で、おいしくできたものだけを、その日限定で店頭に並べるのだという。
アドリブゆえに、いつ、なにが並ぶのか、まったく予告されない。
出会えるかどうかは、運次第。
「義務になると作りにくくなるので、事前のお問い合わせにはお答えできないのです
が、こつこつ作り続けていつのまにか、レギュラー商品のほかに90種類を超えまし
た」
2月14日の「本日のパン」は、クランベリーショコラ(250円)。
キルシュに漬けたクランベリーを、カカオ生地に入れたハード系のパン。

「以前からたまに作っていたのですが、このパンは苦み、酸味、甘みのバランスが
テーマです」
たしかに、このパンにおいては、カカオの苦みによってクランベリーの甘さが極めて
純度を増して、新しい次元を獲得している。
声高ではないが、溶けきるまで味わいはずっと歌いつづける。
それは、控え目ではあるけど確実に香り立つ自家製酵母の香りが、チョコとクランベ
リーとうまくマリアージュしているからなのだった。

もうひとつのバレンタイン用のパンはカカオアメール(450円)。
ブリオッシュの組織がうつくしく作られているゆえなのか、層を噛み破っていく感覚
を歯先で感じ、噛み破った瞬間にそれが溶けていくのを舌で感じる。
砂糖に頼らない素材そのものの甘さの響き。
そのハーモニーをあえて破綻させる苦みの不意打ち。
チョコのパンだからココアだと思いきや、実はコーヒー。酸味より苦みのあるキリマ
ンジャロを挽いて使っている。
微妙な破調が、味覚をここでも新しい次元へと導いている。


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モンディアル・デュ・パン イベントレポート
2月21日、東京ビッグサイトで行われているHOTERES JAPAN(国際ホテルレストランショー)のイベントステージでパンのエキシビジョンが開催された。
間近に迫ったモンディアル・デュ・パン(パンのワールドカップ)の壮行会も兼ね、歴代代表選手がデモンストレーションを行ったのだ。

第1回代表 割田健一(銀座レカン)
第2回代表 西川功晃(サ・マーシュ)
第3回代表 安倍竜三(ブーランジュリー パリゴ)

第1回代表の割田健一さん(銀座レカン)が作ったのはフランス産BIOの粉タイプ65・タイプ80を使ったバゲット。
そこには、フランス小麦への完全な理解があった。
国産小麦やフランスパン専用粉で作るバゲットとはちがう味わいの世界。
甘すぎないし、軽やかすぎない。

生々しく、色でいうならややクリームがかった白い味わいが抑え気味にどんどん伸びて、意識を奪っていく。

「ゲランドの塩を使っていることで、うまさをはっきり出している。
ちゃんとおいしいものを、ちゃんとした材料を使って作る。
スーパーテクを使っているわけでもなんでもなくて。
粉をふるって空気を入れたりはしていますが。
粉の味がするように。
とはいっても出しすぎてもいけない。
ほんのりの酸味。
レストランでパンを作っていることもあって。
パンで完結するのではなく、料理もある。
スープをぬぐって食べて、それでおいしくなるように」

ゲランドの塩のミネラル感のもたらす舌の上での味わいの変化と、味をぎりぎりに出しすぎない余裕が、料理を、パンのもう一口を食べたくさせる。

第2回代表・西川功晃さん(サ・マーシュ)は、フロマージュブランを混ぜ込んだブリオッシュを作った。
フロマージュブランとは、ヨーグルトのようでありながら、ヨーグルトほどに酸味が強くなくさっぱりした味わいの液体状のチーズ。
日本で珍しい食材をさらりと使う、引き出しの豊富さは西川シェフならでは。
甘さのやわらかさ、独特さは、目を見張るもの。
食感はさっくりして、やわらかくて、しっとりして、でも軽くて。
まったく引きがなく、ほどける感じ。
アプリコットの酸味と、トッピングのパールシュガーの甘さとの、愉楽に満ちた絡み合いは、抜群のバランスによってもたらされる。

西川さんの次のような言葉は印象的だった。
「生地と会話をしていたい。
必ず生地を触って『どう?』って。
指先の感触。
あるとき、急に指に感覚が出てきて、感じるようになりました」

また、西川シェフはハートブレッドプロジェクトと呼ぶ新しい被災地支援を行っている。
残った半端な生地でハート形のプチパンを作って、代金を義援金にあてる。
「1日数百円に過ぎないですが、日本にあるたくさんのパン屋さんが加わってくれれば、大きな力になる」

午後からは関東・関西を代表するオールスターチームによる、東西対決が行われた。

(東日本チーム。右から、山崎、井上、伊原の各シェフ)

東日本
伊原靖友(ツオップ)

井上克哉(オーヴェルニュ)

山泳(アンバサドール)

(西日本チーム。右から、谷口、大下、米山、坂田、大熊の各シェフ)

西日本
坂田隆俊(フルニエ)

大熊秀信(フラワー)

米山雅彦(パンデュース)

大下尚志(モンシュシュ)

谷口佳典(フリアンド)

山崎豊シェフの作った米粉のバゲット。
衝撃を受けた。
米粉パンを、こんなにおいしく作れるとは。
外見は、伝統的なバゲット。
齧ると、甘さが小麦粉ではありえない輝かしさ。
せんべいにも似た超かりかりの皮と、中身のくにゅくにゅしたやわらかさにも、劇的な差がある。
小麦粉を我慢して、米粉を使うのではない。
小麦粉だけでは決して見ることができない新しい味の世界を見させてくれる。

「米粉が30%、小麦粉が70%。
米粉と小麦粉のおいしいところが合わさって。
いまの米粉100%のパンというのは、グルテンを添加しています。
グルテンをできるだけ添加したくない。
グルテンは小麦粉を潰して作られます。
それはもったいない。
日本中、エコ、エコといっている時代に、それはおかしい。
米粉100%が広まったら、小麦が犠牲になる。
グルテンはそれ自体、食べてもおいしいものじゃないですし。
この、米粉のバゲットのようなレシピが流行れば、小麦を潰さなくてもよくなる。
このパンは、普通のパンのようにも食べられるし、和惣菜とも合う」

卓越した職人の技術やアイデアは、環境を救い、未来さえ変える。

大下尚志さん(モンシュシュ)のパン・オ・レ。
パン・オ・レは日本では一般的ではないが、フランスでは長い伝統を持つポピュラーなもの。
このパンをシンプルに作ってストレートに勝負する。

薄い皮のさくさくと香ばしさ。
ゆるゆるぷりぷりと揺れる、中身の肉感的なやわらかさ。
甘さはなく、押し出してくるのは、ミルクの味わい。
プレーンなものもいいし、あられ糖のトッピングや、チョコレートを混ぜ込んだものも至福。
それらの甘さが降りかかったところだけ、味わいが燃え上がる。

「リッチな生地ですが、パン自体が甘くない。
神戸北野ホテルのイグレックプリュスにいるとき、料理に合わせて考えたものなんで、パンは逆にシンプルに。
食べてほっとする感じ。
何回も試作して、この配合にいきつきました。
配合によっては、食感が締まりすぎたり、ふわふわしすぎたりする。
しっかり食べた感じと、食べやすさが両方あるような。
料理を邪魔しない。
印象はきっちりとあって脇役じゃない、でも主役でもないような。
6月に独立して神戸の御影で店をはじめます。
そのときはパンオレを看板商品にしようと思っています」

ステージ上でつづけられる、一流シェフたちの仕事。
ツオップの伊原靖友店長は、プロがどこを見ているのか、着眼点を教えてくれた。
「たとえば、丸め方ひとつにしても、右回りか左回りかがある。
回転方向によって、できあがりがちがってくる。
その日の生地の状態によってどっちに回すかを決める」

伊原さんは今回のエキシビションに従業員を連れて参加、名物のカレーパンを朝から夕方まで1000個も作って、観客に振る舞った。
「いまはフライヤーを使っていますが、普段はガス台に天ぷら鍋を置いてやっています。
小さい鍋を使うことで、一度にたくさん揚げさせない。
そうしないと、丁寧じゃなくなってくるから。
10個を40回、50回と分けて」

1日数百個を売り上げる大人気商品を作る人の心づかい。
がりがりとした食感、強い味わいのパンをかむとちゅるっと出てくる、やけどをするほどに熱く、濃厚きわまりないカレーフィリング。
この感動は、この心意気がなければ、決して生まれないものなのだ。

今念の代表である児玉圭介さん(ボンヴィボン)。
イーストのフランスパン、自家製酵母のカンパーニュ、食パン、デニッシュ…あらゆるパンが極めて高いレベルにあるのが、ボンヴィボンという店だ。
児玉さんは、日の丸を背負うにふさわしい人だと思う。
それでも、世界大会は、また別のむずかしさがあると、彼は言う。

「お店のパンとはちがう。
こういう大会では、プレゼンテーションが問われる。
たとえば、『まぐろ』というより、『大間のとれたてのまぐろです」といったほうが、おいしく聞こえるでしょ。
ここで、いろんな人のやり方を見ててもすごく発見があります。
自分のパンがいちばんとは、なかなか思えない。
緊張してくる。
もっと上に行くために、この大会に参加しました」

「もっと上に行く」。
それは、世界のトップレベルを見たい、学びたい、という向上心なのか、世界で勝つことで自分の名を上げたいという野心なのか。
パンという世界にも、職人の腕一本で登っていける、栄光に満ちた高い頂がある。
それが日々パンを作りつづけることのモチベーションになっていることを、児玉さんの言葉は教えてくれた。

司会を行った木村周一郎(ブーランジェリーエリックカイザージャポン)さん。
「国際大会の審査基準にはきれいさの項目もある。
だから作業台の上がすごくきれいですよね」

ひとつのパンが作り終わると、若い職人がひたむきに台を拭く。
眩しいステージの脇で、下積み仕事を続けながら、彼はなにを思うのか。

「お店の若い子にとっては、普段は知ることのできない別の店のやり方、一流のシェフたちの技術を学ぶための、本当にすばらしい機会」
と、モンディアル・デュ・パンを草創期から取材してきたライター・本行恵子さんは言う。
各店から補助のためにやってきた若い職人たちは、一流の技術を盗もうと、手先に熱い視線を送り、写真を取っていた。
彼らの中から、将来、このステージに立つ者、世界のトップと戦う職人が出てくるのだろう。


(池田浩明)




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