122軒目(東京の200軒を巡る冒険)
店長は妻、シェフは夫。
この店には、2つの中心がある。
ひとりですべてできる2人の職人が、それぞれに、あるいは協力して作ったパンを、ひとつの店に並べる。
1+1が、2人のシナジー(相乗効果)によって、3になり、4になる。
おいしさのツボが1つではないために、幻惑される。
食べれども食べれども汲み尽くせず、またいきたいと思わせる。
薫々堂を特徴づける、ブリオッシュの多種多様。
小さな店に一体何種類のブリオッシュが置かれていることか。
あれもブリオッシュ、これもブリオッシュ。
一見、ブリオッシュには見えないようなものでも、訊ねるとブリオッシュだということも。
卵やバターや砂糖をたくさん配合して、プレーンなパンよりもごまかしがきくといわれるブリオッシュ生地が、実は作り手次第で、こんなに味わい深く、舌触りも口溶けも官能的なレベルに高められる。
そのことにはなんとなく気づいていたが、薫々堂にきて確信に変わった。
ブリオッシュ・ドフィノア(210円)
ブリオッシュ・ア・テットのあいだにキャラメルで練ったクルミ。
ブリオッシュとはなんと複雑な風味の色調を持つ食べ物だったのか。
くるみの香ばしさに対しては生地の表面の香ばしさで応え、キャラメルのほろ苦さに対しては同じく表面の、じゅうぶんにキャラメル化された甘さ、苦みで応える。
キャラメルの甘さには卵のあたたかい甘さで、クリーム感に対しては牛乳の味わいで応える。
キャラメルの口溶けに対しては、実になめらかな口溶けで。
細かな気泡がきちんと組織だってできあがっていることは、舌と歯で感じるぷっくりした生地の膨らみから伝わってくる。
そして、てっぺんのふたはブリオッシュのラスク。
瓦せんべいのような香ばしさとざくざく感を残して崩れ去る。
亀山修二シェフはなぜブリオッシュをメインテーマに掲げるのか。
「意地で作ってます。
ブリオッシュは、パン屋のあいだでは、売れないパンで通ってるんですが。
原価も高いですし。
でも、作るのが好きだった。
普通のパン生地を作って、そのあとバターを入れるんですが、作り手によってできあがりに差がでる。
丁寧にやればやるほど、いいのがあがる。
自分がやっただけのことが、パンにでるのがおもしろくて。
すごく材料がいいとか、ものすごいテクニックを持ってるわけではないんですが、なるべく丁寧に、なるべく普通に作ると、ああいうものができるんです。
職人の仕事とは手で行うものだ。
しかしその技術を司るのは非凡な想像力に他ならない。
「パンを1個作る。
できあがったものを食べてみる。
そのときに『あっ』と気づくことがあるかどうか。
そこからが職人の仕事。
もっとこうしたいと思うし、人のパンを食べても自分ならこうしたいと思う。
それがおもしろい。
ブリオッシュにも自分なりのチェックポイントがありますよね。
材料をきちんと冷やしておくこと、バターを入れはじめる前の段階で生地をきちんと作っておくこと」
ブリオッシュは食べ手にとっても「あっ」と思いにくいパンである。
だから注目されない。
誰が作っても十分に甘く、十分にリッチで、十分にふわふわしている。
おいしくて当たり前のパン。
それでも、もっと先のおいしさは必ずある。
そのイメージを抱けるかどうか、そこにたどりく意志を持てるかどうか、それが優秀な職人か、そうでないかを分ける。
ブリオッシュにここまでこだわりはじめたきっかけとは。
「修業先のブリオッシュがとてもおいしかったんですよ。
もともとアンジェリーナが好きで入れてもらったんですが、隅シェフが作るブリオッシュ・ナンテール(大型のパン)を、いくたびに買ってはひとりでぜんぶ食べてた(笑)。
その次に修行した、ブノワトンの高橋さんが作るブリオッシュもすごくおいしかった。
高橋さんのは独創的な感じがしましたよね。
ブリオッシュにもそれだけの幅がある。
隅さんは、お菓子にも、料理にも使った。
魅力のあるパンだと思います」
ブリオッシュに驚くほどの幅と深みがある。
もちろん、薫々堂に並べられた様々なヴァリエーションの、見た目のことだけではない。
それらは別々の形をしているのみならず、別々の魅力を放って、食べてみてもまったく別物である。
合わせられるフィリングや副材料によって、強調される味わいもマリアージュも異なる。
形によっても、それぞれ焼き分けられることによっても、まったく別の食感と口溶けを獲得する。
同じ生地を窯の温度や時間だけで別のパンとして表現することさえできるのだ。
「窯は悩みどころですね。
どういうパンを作りたいか、イメージが大事になってくるでしょうね。
高温でさっと焼くのか、お菓子のように低温でじっくり焼くという場合もある。
もともとの生地は1種類ですが、混ぜ物をしてヴァリエーションを作っていく」
キャレ(252円)
このパンを手にしていることの幸福。
ケーキのようなリッチさ、重さ。
心地よく舌に滲みこみ、時とともに揺らぎさらに心地よさを増していくカスタード。
カスタードの満ちない、あるかなきかの空隙は、ブリオッシュによって満たされ、完全さへと至る。
カスタードとブリッシュ、卵とミルクでできた似た者同士の両者のシナジーによって、甘さは爆発的に膨張して、とどまるところを知らない。
ブリオッシュは、表面ががりがり、中身はふわふわを残す。
あるいは、味わいにおいては、焼きしめられて甘さが完熟した部分と、焼き切らず小麦の生々しさや、発酵の香りを残した部分を含み、それが複雑さを生む。
一方、亀山裕子店長はフランス国立製パン学校を卒業し、パン職人の資格を取り、それからフランス北部の田舎町の薪窯パン屋で働いた経験を持っている。
「手成形を行っている店で働きたかったんですが、フランスでそういう店はなかなかないんです。
フルートガナを作っている店のリストがあり、片っ端から手紙を書いて、働く先を探しました。
返事がきたので行ってみたら、薪窯パン屋でした。
分量がすごくて、1日に何千本もバゲットを焼く。
そのうちの1000本を薪窯で焼いていて、すべての工程をひとりでやっていました。
ひとりで成形して、ひとりで焼いて、自分で考えたことを実験させてもらってた感じですかね」
すべての工程をひとりが責任を持つからおいしい。
すべて自分の目で見ているから、どういう生地状態からどういうパンが焼き上がるか、データが蓄積していく。
それがフランスでもっとも勉強になったことであるといい、それはそのまま薫々堂がおいしい理由でもある。
「少人数で作る利点ってあると思うんですよ。
ポジションに分かれていたら、どう捏ねたか結果しかわからない。
ひとりでやってたら、ちょっと変なことやっちゃったかなと思っても、あとの工程で自分で直せる。
生地の状態がちょっとちがうなとわかるので、研究になるし、経験になる」
パンドミ(273円)。
これを表現するために、奇跡という言葉を使いたくなる誘惑に駆られる。
強く焼きこまれ、きっぱりと香る耳。
中身は対照的に、混じりけなくピュアな心地いい発酵の香り。
弁当箱の中に真綿。
それがこのパンドミのイメージである。
意志を持って焼かれた耳は硬く、そのためにさくっとクラッカーに近い感覚で歯切れ、強い味わいがある。
一方で、中身はか弱く、あまりに口溶けよく、ふわふわやわらかく、味わいもあっさりとしているので、存在感が薄いように思われる。
しかし、消え入ったあとから、中身の時間がはじまるように思われる。
ふわふわした甘さが、味覚をかすかに揺さぶるだけなのに、味わいは実に深い。
中身がしわしわな感じの風合いがあって、見た目に嵩が少ない感じがするのは、シニフィアン・シニフィエのパンドミと共通していて、極限に熟成されていることを示すのかもしれない。
パンドミを考案したのは、裕子さんがフランスから帰国後に、ある研究室に勤めていたときに得た経験によるもの。
いわゆる湯ごね製法と呼ばれるもので、仕込むとき高温の水を加える。
「小麦粉をα化(でんぷんの化学組成を変えること)させている、それだけなんですよね。
本当にシンプル。
砂糖も酵母の栄養分ぐらい。
生地が伸びづらいのでちょっとだけバター。
種の状態はごはんを練ってのりにした感じ。
分量を減らして、α化を最大限にして。
誰も気づかない配合ではないですが、仕込みがむずかしいですね。
べたべたになるので、丸めのときにくっつく」
修二さんもその扱いづらさに驚いたという。
「最初はびびりながらやりました。
ありえないような生地の状態で。
なんじゃこりゃー、と(笑)。
乾燥するとがちがちになったり、温度が高いと途端に失敗する。
次の仕込みのときそれが活かせるのは、2人だけで作ってるからです」
裕子さんはパンドミの繊細な甘さをこう表現する。
「食べてみてもちもちしてるのが魅力。
砂糖の甘さでなく、ごはんを噛んだときの甘さ。
ごくんと飲み込んだときに消えていくような。
それを追求しようと思って、もっとシンプルになっていきました。
砂糖を入れると、砂糖の甘さに負けてしまうし、バターが多いと消えてしまう。
毎日飽きない。
子供のときから親しんでるごはんの甘さ。
もちもちしてるんだけど口溶けがよくて」
口溶けのよさとは、プロの仕事ができているかどうかを計る上で、なににも増して重要だと亀山店長はいう。
「口溶けがいいかどうかがチェックポイントですね。
生地がよくできてないと、口溶けがよくならない。
だんごになるのは、捏ね足りない。
もっちりしたパンはみんなが好きで、たしかにもっちりしているパンは多いんだけど、ちがうんですよ。
発酵がうまくいってないときのもちもちが、もてはやされているような気がします。
いちばん大事なのは、ちゃんと熟成して、ちゃんと焼くという製パンの当たり前。
ブノワトンで学んだいちばん大事なことは、そこかもしれません。
石臼で国産小麦を挽いたりというところばかり注目されていますが。
3時間ぐらいきっちり発酵とって、焼き切る。
それを高橋さんとみんなでやってました。
上手に生地を作り、ちゃんと発酵させる。
きちんと火を通す。
それだけやればおいしくできる」
裕子さんは夫を立て、「窯はすべてシェフがやっています」と、薫々堂の肝となる工程をすべてまかせきる信頼を口にする。
小麦粉をα化させたり、細かい配慮で絶妙の発酵へと持っていく技術はもちろん、最後は「焼き切る」ことによって、あの強い皮と、反対にあの繊細な中身ができあがるのだろう。
食パンが皮と中身からできているように、亀山店長の女性らしいやさしさと、亀山シェフの男性らしい強さ、両者のシナジーからこのパンドミはできあがる。(池田浩明)