パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
大地堂(滋賀県日野町)
第1軒目(関西の200軒を巡る冒険)

この記事は、京都・恵文社で行われたトークショー『公開取材!! 関西200軒の冒険、第1軒目』で、大地堂の廣瀬敬一郎さん、中田志穂さんから聞いた話を元にし、一部、滋賀県日野町の大地堂で取材した内容を追加した。

ディンケル。
冒険はこの言葉からはじまった。
それがなにを意味するのか正確に知っていたわけではなかったが、魅かれ、追い求め、可能性に賭けた。
まだ出会っていないけれど、ずっと探していたなにか。
中田志穂さんにとって、その謎めいた響きの言葉は、新しい世界を切り開くマジックワードとなった。

大地堂を開く前の中田さんは、自分がどんなパンを焼くべきか知らなかった。
中田「おいしいパンがなにかわからへん。
理想のパンが自分の中にないことで思い悩んでいて。
日本、ドイツ、イタリア、フランス、いろんなパン屋さんに行きましたが、わからなかった。
そのとき、日本石窯研究所でパンを焼かれている竹下晃朗先生のことを知りまして。
先生がおっしゃるには、日本のパンがまずいのは窯のせいだと。
自分でパンを作って研究してったら、窯じゃなくて小麦があかんと。
市販の小麦粉より、さらにおいしい小麦があることを教えていただきました。
そのとき、竹下先生に「ディンケル知ってますか?」といわれたんですが、「ディンケル」という言葉をドイツのパン屋さんで見たことを覚えていました」

ディンケル、あるいは英語でいうならスペルト。
小麦が現代のように品種改良される前、人類がはじめて小麦に出会った頃のDNAを受け継ぐ原生種がいまもヨーロッパでは栽培されている。
味わいの濃厚さは普通の小麦と比べて別次元。
当時も、輸入小麦として日本に入ってきてはいたが一般的ではまったくなかったこの小麦の名を、竹下晃朗(*1)さんから聞いていなかったら、大地堂のいまはない。
まるでディンケルという呪文が偶然を引き寄せるかのように。
中田志穂さんと廣瀬敬一郎さんが出会って大地堂を設立した経緯もそうだ。

(大地堂は古い商家で営まれる)

中田「姉から、嫁ぎ先の日野町で農業をやっている義理の兄(廣瀬敬一郎さん)を紹介されまして。
『ディンケルいう小麦あるんやで』とひけらかしたら『それ栽培したら、おもしろいんちゃう?』となった」
中田さんがいうと、廣瀬さんがとっさに訂正した。
廣瀬「そうじゃないんですよ。
ディンケルを使ったパンを焼きたい、という思いが根本的に彼女にあったんです」

「ひけらかす」という偽悪的な表現が、廣瀬さんには引っかかったのだろう。
思いはもっと純粋だったはずだと。
ディンケルへの情熱は、知り合ったばかりの義兄にすぐさま伝染した。
海のものとも山のものとも知れぬ原生小麦を、廣瀬さんは追いかけはじめたのだ。

廣瀬「種子もないし、情報もない。
あらゆるチャンネルを使って調べたら、魅力があることはわかった。
問題は、日本で実際に育つのかどうなのか。
京都大学で麦を数万種を育てて研究している研究者の人を紹介してもらって、2,3時間話したら、
『できるよ』と。
実際、そこの農場でディンケル育ってるわけです。
ただ、できるというだけであって。
実際に農家が栽培して、商品になるかはまた別のこと」

廣瀬さんと話していると、よく「走る」という表現を使うのに気づく。
情熱家である彼に似つかわしい言葉だと思う。
日本ではまだどの農家も成功したことがなかったディンケルの栽培に、廣瀬さんはまさに「走り出した」のだった。
成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。
誰も辿り着けない未踏の大地を走り、誰も越えられなかったハードルを高く飛ぶことが、自分の没頭できる仕事だと直感したのだろう。
そもそも廣瀬さんは、コンピューター関係の事業を成功させていたが、自分の仕事に疑問を感じ、日野町に帰郷して農業に転じたのだった。

廣瀬「自分でなにかをしようと思ってた。
2000年に農業をはじめて、4,5年で基礎はできていた。
ちょうどその頃は次のステップを模索している段階でした。
ディンケルをやってみるのは、次のステップとしてよかった」

ディンケルの栽培をするためには、まず種子を手に入れなければならない。
だが、種子の輸出入は政府による管理下にあり、入手は困難を極めた。
廣瀬「最初、イタリアから輸入しようとしたんですが、州政府がゴーサイン出しても、国に止められた。
日本に入ってきてるものもあるが、許可を得ないと法律違反になる。
いま大納言が中国で無許可で栽培されて問題になっているように。
正規のルートはむずかしい」

「種を獲ってこい」
大地堂の開店にあたって、まずパン作りをブラッシュアップするため、ドイツへ修行に出かけることになった中田さんが、廣瀬さんに言われた言葉。
ディンケルの種子を、伝手もない外国からなんとかして入手してこなければならない。

廣瀬「中田がドイツに行くことが決まったとき、まず農家行って種子を獲得しろと。
現地のマイスターさんにも仲介をお願いしたり。
なにより、日本でもそうですが、農家さんに協力してもらわないと、輸入許可が下りない。
FAXのやり取りや電話を何度もして。
たった1枚の書類が足りないだけで、許可が下りない」

種子の輸入許可を得ることにこぎつけ、スタートラインに立ったが、初年度は失敗。
収穫はおろか、発芽すらしなかった。
「そうそうはなびかへんで」
と小麦が言っているように、廣瀬さんは思ったという。

自然はやすやすとは人間のもくろみ通り御されようとしない。
冷涼で乾燥したドイツと、温暖で湿気の多い滋賀。
気候も土もまったく異なる場所に品種改良もしていない原生種を実らせようというのだから簡単ではない。
事実、ドイツとほぼ同じ緯度にある北海道の江別製粉でも栽培を試み、失敗に終わったという。
2年目以降は収穫に成功し、ビジネスを軌道に乗せたかに見えたが、ディンケルのしっぺ返しはまだつづく。

「一昨年、去年と失敗してる。
ディンケルの原産地ドイツは梅雨がない。
ほっといても穂の状態で乾燥できる。
日本では梅雨時期と収穫期が重なる。
去年も10日間雨がつづいて、実った状態のまま発芽してしまった。
種は水分と温度があれば発芽する。
発芽するとでんぷんを糖に変える酵素(アミラーゼ)が出て、発酵を阻害するので、100%ではパンを焼けなくなる」

廣瀬さんの畑を見にいった。
廣瀬「ディンケルは地面を這う。
色によって、肥料成分、いまなにをほしがってるかがわかる」

私の目にはただ青々とした一面の草としか見えないが、プロの目からはそれが他の麦にはない特徴を持ったまぎれもないディンケルに見え、ひと株ひと株の個性まで捕まえることができる。
生育は順調とのこと。
今年は収穫できそうですね、と私が尋ねると、廣瀬さんは自分に気合いを入れるように力を込めて言った。
「今年は絶対に収穫します」
成否がわかるのは、7月だ。

かくも栽培がむずかしく、収量も普通の小麦の半分。
であるからこそ、ディンケルは類い稀な味わいを持ち、ミネラルやビタミンなどの滋養に富む。
他の農家や製粉会社にはない、大地堂の象徴であり、武器。
ディンケルという看板は、土に立脚した大地堂のパン作り、哲学をわかりやすくアピールする。

「ディンケルがうちのメイン。
通常の農法を確立していないいまは、有機でやる必要はまだないと思っています。
有機が結果としていちばんいいのはわかっていますが、いまはまず小麦の持つ力を引き出すことに力を入れている。
力とは、風味であり、人への影響力。
こんなへんぴな場所でやってるのに、テレビ出させてもらったり、いろんな人に知ってもらえるのは、ディンケルの力」

廣瀬さんの収穫した小麦は中田さんに引き継がれる。
兄から妹へ。
中田さん自身が農作業に駆り出されることもある。
どんな思いで兄が小麦を育てたか、つぶさに見ている。
その思いをパンにする。
中田さんが考えるのは、小麦の特徴をあますところなく活かしてパンを作ることだ。

中田「他のパン屋さんは、こういうパンが作りたいってイメージして、メーカーさんからもらったカタログからチョイスして、パンを作る。
それが普通だと思う。
私は兄の作った小麦を見て、それに適したパンを考える。
パンのレシピ、逆のアプローチをしている。
粒の状態の小麦を、焼く前日に挽いて、使う。
そうすると、焼きたての風味がぜんぜんちがいます。
挽きたての粉だと生地がだれてしまう。
だから、製粉会社の小麦粉は、品質を安定させるために、3ヶ月寝かせる。
そうすることによって小麦粉の品質が安定して、軽いパン、ふわっとしたパンが焼ける。
でも、粉の風味が奪われてしまう」

そばは挽きたての粉で作るのがいちばんうまいとされる。
ごはんも精米したばかりの米で炊くのがおいしい。
実は小麦も、こと香りに関してなら、例外ではない。
小麦もまた製粉した瞬間から劣化がはじまる。
にもかかわらず、3ヶ月もの間、小麦粉を寝かせるのは、酵素の働きを抑え、ロッドごとの差異をなくして、品質を均一に保つためだ。
つまり、作り手の都合に合わせ、生き物としての麦は殺され、単なるものへと還元される。
大地堂は麦を殺さない。
自然を自然として、それがもっとも猛々しく、もっとも純粋な瞬間に、パンの中に閉じこめる。

中田「小麦に合わせてパンを捏ねるむずかしさ。
毎日、苦戦してます。
畑によって、小麦も変わってくる。
しょっちゅう小麦の質も変わる。
近所でもこの畑とこの畑でちがう。
土の湿気具合がちがえば、生育も変わってくる。
年のはじめての小麦はどうなんやろうとどきどきします。
どれぐらい捏ねたらいいのか時間もわからない。
毎日ちがう発見があって。
失敗があるからもっといいのがわかる。
毎日実験です」

大地堂がドイツパンを焼くのは、小麦のことを考えた末の結論である。
「私より技術ある方はいっぱいいます。
こうするしかなかった。
目の前にあるものを、手をかけずに、お金をかけずに。
その中には考えもありました。
フランスまわって、ドイツまわって、なぜドイツに進んだか。
ドイツのパンは全粒粉が多いんですが、しっとりしてて、食べやすい。
せっかく収穫した小麦を、なるべく挽いたままぜんぶ使って焼きたい。
そのためにはドイツの技術が役に立つ。
水をいっぱい入れて、型に入れて焼く。
中はしっとり、もちっとして、おかゆに近い。
食べると口溶けがいい」

焼きたてのパンを持った中田さんが私の目の前を通過したとき、ブラウンの霞が目に見えるほど濃厚な香りが部屋の中に満ちた。
そのパンはすぐ急速冷凍庫にしまわれたので、普通に考えてそれ以上香りなど出ようはずもなかった。
なのに、まるでパンが目の前にあるかのように、私の鼻先でずっと存在感を放ちつづけていた。
他のパン屋さんの香りとぜんぜんちがいますね、と水を向けると、中田さんはいった。
「小麦の香りだと思います」
パンの香りのことを、それがまぎれもなく小麦のたまものであると、ここまで自信を持っていえるパン屋が、他にあるだろうか。

発芽ディンケルクッペ(650円[上の写真は店売りのもので通販のサイズは異なります])
発芽ディンケル50%、農林61号50%、塩、水、ドライイースト。
小麦の香ばしさがアーモンドかくるみのようである。
舌の上でぬめるように溶けるためか、バターを含んでいるかに感じられる。
あるいは、酵母の香りと相まって、味噌のようにさえ。
この交錯する味わいがすべて小麦から発せられているとは。
暴風のように激しく、噛むごとにエネルギーをほとばしらせる。

中田「ドイツのパン屋さんと日本のパン屋さんは目指してるものちがう。
軽くて、ふくらみよくて、クープがきれいに入っているというのが、日本のパン屋さん。
ドイツはもっとざっくりとしている。
大きい窯にがんとライ麦パン突っ込んで、ムラがあっても気にしない。
しっかり焼いたの好きなお客さんもいれば、焼きが甘いのすきなお客さんもいる。
原料にこだわる。
色より、ふくらみより、中身。
基本に忠実というか、うつくしさではなく、中身に忠実。
ドイツのパン屋さんにいくと、同じようなパンが並んでるのに値札だけちがう。
それが衝撃だった。
酵母がちがう、ライ麦・小麦の割合がちがう、ひまわりの種が入っているとか、それだけのちがいで、お客さんが選んでいく。
見たこともないパン。
好奇心に負けました」

大豆とゴマのブロート(650円[上の写真は店売りのもので通販のサイズは異なります])
亜麻仁とゴマというドイツパンの素材に加えて、自家栽培の大豆を使用。
このパンを噛み下すことは、穀物の味わいに耳を澄ませることだ。
ドイツパンが日本に根を下ろしたとしたら、大豆は極めて自然な素材だとわかる。
ゴマのオイリーな香ばしさが香り、ライ麦の生地がほどけると、とうふに似た白っぽい甘さがふくらんできて、押し寄せるライ麦のコクと同調していく。
日本的な素材をかすがいにして、土の味わいの世界へ足を踏み入れていく。

ドイツ人がひまわりやかぼちゃの種など穀物を好んでパンに使用するのは、冷涼な気候のせいなのだとう。
厳しい冬を穀物から取る栄養でしのぐ。
白米など食べず、麦や粟やヒエを食べていた、私たちの先祖とよく似ている。
それは貧しいことだろうか。
チューニングが合い、穀物たちとの通路が開かれれば、むしろ豊かな世界がそこに広がっていることに気づく。

もともとパティシエから出発した中田さんはドイツ菓子も作る。
フランス菓子のように、きらびやかではない。
ドイツパン同様に目立たず、土臭く、奇妙な美を持った焼き菓子も、中田さんの好奇心を刺激する。

中田「冬はシュトーレン、レープクーヘン。
日持ちのする高カロリーの食べ物。
これ食べて冬越すんや、って。
日本人は新鮮なもの好き。
ドイツ人は寝かすのが好き。
クッキーも缶にいれて1週間わざと置いたり。
パンもチーズもハムも保存食ですからね」

しょうがのシュトーレン
手のひらで握って小麦を押し固めたような素朴な形から、思いもかけなかったあらゆる風味が飛び出してくる。
秘密の扉を開いて、シナモンやカルダモンなど不思議なスパイスの芳香と出会う。
アーモンドの甘さ、ジンジャーの甘さ、小麦の甘さ。
最初はひとつだと感じられていた甘さが次々と現われ、正体を開示する。
甘さに喉のあたりまであたためられながら、一方で舌はしょうがのぴりぴりした食感で刺激されつづける。
しょうがの土っぽい素朴さが、ドイツ菓子のありかたによく合っている。

大地堂に行き、パンを食べて思う。
私たちの食事には根っこがなかったのではないか。
土を耕す人に出会い、土の香りのするものを食べる、代え難い充足感。
刺激的なものや、高カロリーの食事に、現代人がつい流されてしまうのは、それが欠けているからなのかもしれない。

廣瀬「百貨店の催事のとき店番してても、お客さんがぱっと帰らない。
2時間いた人がいる。
きてくれたお客さんがいうのは、『ここパン屋じゃないね』。
パンの向こうに生産者が見えるんですね。
お米食べてたら、どんな人がいるか、感じられると思う。
パンに関してはほぼゼロ。
パン職人さんでも、麦の粒、麦の穂すら見たことがない。
作り手がいることを感じてもらいたい」

大地堂のパンは、廣瀬さんと中田さんの話し合いによって、すべて作られる。
中田さんが試作したパンを、廣瀬さんとのディスカッションによってブラッシュアップする。
廣瀬「僕がレシピに付け加えることってないです。
僕がするのは、要素を削ること」
素材を少なくし、よりシンプルにしていくことで、素材の「素」が見えてくる。
腰を据えて素材に向き合うあり方は、例えばめまぐるしく新製品を並べることに忙しいコンビニのパン売り場と、完全に逆ベクトルの関係にある。

廣瀬「幅を持たせたかった。
日本人はすべてが一過性で、全員がひとつの方向に走ってしまう。
それは楽しくない。
僕は選択したい。
いまは選択させられてる状態。
幅を広げたい。
どんなパン屋さんがあってもいいんです。
コンビニだっていいし。
そのパン屋の先には、必ず作り手、生産者がいることを、わかってほしい」

「国産小麦でおいしいパンはできない」
そんな評価を口にするパン職人がいるほど、パン業界では、外国産小麦への信奉が圧倒的である。
廣瀬さんがそうした流れへの反発を熱く口にしたことがあった。

廣瀬「フランスでパン学んできた人は多いですけど、外国まで行ってなに見てきてん。
ヨーロッパってもっと原料にどん欲ですよ。
フランスなんか農業国だから、自国のものにものすごく誇り持っている。
その気持ちがないんかい。
日本人は自分の自由にできる、色のついてない材料を求める。
そろそろ白いキャンバスやめないな。
色のついたキャンバスに自分の色塗って、融合させないな」

人間の体は食べものによって形作られる。
食は人間の根幹そのものだ。
その大事な問題から私たちは目をそらしつづける。
たとえば、食糧自給率の問題。
ひとたび戦争や飢餓が起こったとき、日本人はなにを食べるのだろう。
にもかかわらず現実は、逆回転しつづける。
農業人口は年々高齢化して放棄地が増え、耕作される土地は減りつづける。
のみならず放射能の問題まで起こった。
田や畑が減れば、洪水の原因ともなり、自然環境が荒廃する。

廣瀬「みんななんとかしないといけないとわかっている。
わかってるけど、だめなんですよね。
いま農業人口の平均年齢が65歳。
10年経てば、ほぼいまの世代はいなくなる。
10年後、どういう時代がくるのか。
お米や麦を作る人がいなくなる。
TPPの問題もあるし、どうなるかわからない」

畑を見たあと、廣瀬さんが呟いた。
「古いやり方が1回ぜんぶチャラにならなくちゃ、新しいことがはじまらない」。
農業人口が減りつづけ、カタストロフに誰もが気づかざるを得なくなったとき、やっと希望が見えてくるのかもしれない。
冬、田畑から緑が消えたように見えるが、実は地中では春に芽吹く新しい生命が準備されている。
新しい世代に農業は引き継がれていく。

廣瀬「僕のやってることはひとつの例にすぎない。
農業界に見せたい。
いまのやり方ともっとちがう考えがあるということ。
会社組織が参入してもいいし。
いろんな形態がある。
自然界にも多様性があるように、人にも多様性がある。
これからもっともっとそれが必要になる。
右にならえではよくない」

パンとは経済そのものだ。
どんな味を選ぶかは、なににお金を使うか、どんな作り手にお金をまわしていくかという選択でもある。
今日食べるパンの選択は未来につながっている。
外国から大量に運ばれてきた安価な小麦を使ったパンばかりではなく、ときには大地堂のような土の味がするパンもいいものだ。


*1 今年90歳になる竹下晃朗さんは、京都・恵文社のすぐ近くに済んでいて、偶然このトークイベントのことを知り、会場に足を運んでくださっていた。


JR琵琶湖線 近江八幡駅/近江鉄道 日野駅
(JR近江八幡駅南口、近江鉄道日野駅より
近江鉄道バス「北畑口行き」で約50分 西の宮バス停下車目の前)
0748-26-6090
10:00〜18:00
火曜水曜木曜休み
現在、休業中。再開は半年〜1年後の予定
 




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