パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
nukumuku(中村橋)
183軒目(東京の200軒を巡る冒険)

パン屋に見えないパン屋。
ポップの洪水。
店の表に「パン」とはどこにも書かれていない。
ピンクとブルーの壁、ストライプのひさし、まるっこいアルファベットのロゴ、アメリカの企業の看板をいくつも掲げた外観。
それは、どう見ても、アイスクリーム屋かハンバーガーショップである。
中に入れば、ネオンサインが輝き、ハンバーグラー、ドナルド・マクドナルド、その他、名前も知らない大勢のキャラクターたちに出迎えられる。

「ファーストフード中心に、アメリカの会社のノベルティグッズをコレクションしています。
好きな感じになっている形や見た目のものを集めていくと、自然とこうなっちゃいましたね。
ここは自分が寝泊まりしてもいいぐらいの空間です。
趣味はパン作り、じゃつまらない。
お店のことも常に考えるし、パンを追求するのも大事なんですけど、それプラスなにかやっていたい。
ずーっと店にいてもぜんぜん苦じゃない。
よくぼーっと眺めて、かみさんに怒られます(笑)」

だが…、と少し不思議に思った。
ことパンにかける手間やクオリティに関するなら、nukumukuのそれはマクドナルドのようななファストフード店とは遠くかけ離れる。
にも関わらず、なぜ与儀高志シェフはnukumukuを、あっけらかんとしたアメリカのポップカルチャーで彩ろうとするのか。

与儀さんは、一旦アパレル会社に勤めたあとパン職人になるという、ちょっと変わった経歴の持ち主である。
「食べるのが好きで、カフェまわったり、パン屋まわったりとかをやっていました。
そっちを一生の仕事にしたい。
パン業界は、専門学校を出た即戦力か、経験者しかなかなか入り込めない。
夜間の専門学校に行きながら、青山のドンクで見習いとして働きました。
運良く、基本がみっちりできるところに入れた。
そのあとはミクニの丸の内。
ケーキも料理もやっているところだったんで、いろんなことを学べる機会がありました。
でも、独立したいと思っていたから、個人店で働いてみたい気持ちがあった」

いまはなき名店、中目黒ナイーフの門を叩く。
「衝撃でした。
なんだこの店は、と。
種類、クオリティ、お店づくり。
やっと働きたい店が見つかった。
本格的に修行しました。
製法のこと、材料のことを、奥深いことまで教わった。
厳しいですよ。
谷上さん(谷上正幸シェフ)は、どんなに時間がなくても、『細かいことをしっかりやれ』と。
それをきっちりやるのはたいへんだったけど、『パン作りとは』という部分を教えてもらいました。
プロとしてのパン屋はこういうものだと、仕事の仕方を教わった。
最初は塗り玉(菓子パンの表面に溶き卵を塗ってつやを出すこと)ひとつでも直されました。
刷毛の使い方、生地の丸め方。
ひと通りできている自信はあったのに。
僕はそこで叩きのめされた。
素人に毛の生えたような人間から、プロとしての仕事ができる人間に、変えさせられた。
朝は早いし、夜は遅いし、厳しいですよ」

ドイツ修行を経て、練馬・氷川台のアンジェリーナへ。
作りたい店のイメージと商品構成が一致していたからだ。
「お店やるんだったら、パンだけじゃなく、お総菜、ケーキ、いろんなものを置いてあるお店にしたい。
入ってみて、びっくりしちゃう感じでした。
朝、お菓子を終わらせて、午後から明日のパンを作る」

nukumukuのようにパンだけではなく、まったく方向性のちがう商品を揃えるには、料理全般に関する知識とともに、厳しい時間管理を要求される。
「いろんな店のいいところを消化して、受け継ぐことができた。
恵まれていると思います。
でも、本当に悩みましたね、当時は。
仕事の仕方、段取り」

ナイーフで培ったものとは、1個のパンに心血を注いで芸術作品のようにクオリティを高めていくことだった。
アンジェリーナで求められたのは、多品種を作りきるための、スピードと要領のよさ。
どうやってそれを両立させるべきか、与儀さんは悩んだ。
自分自身の技術をレベルアップさせ、矛盾に折り合いをつけるポイントを見つけ。
その葛藤が、いまの商品構成を可能にする。
パンだけで120〜130アイテムという数は個人店として極めて多品種である。
その上、お菓子も、専門店として成り立つほどの品揃えを誇る。

「焼菓子、生菓子、ケーキ。
クリスマスはホールケーキも焼くし、季節ごとにメニューも変えています。
惣菜は手が足りないので、中村橋にある隠れ家的なレストラン「ヨシヤ」に作ってもらっています」

頭の中に思い描く理想の店を作るには、それだけではまだ足りなかった。
最後の鍵を、志賀勝栄シェフがかって率いていたペルティエに求めた。

「志賀さんのところにも行っています。
あそこのお店に行ってなければ、今の店はなかったし、大きいのかな。
アンジェリーナを辞めた頃には、すぐにでも独立したいという気持ちあったが、志賀さんのバゲットがアルトファゴス(ペルティエの前に志賀さんがシェフを務めていたベーカリーカフェ)の時代から好きだった。
あれを学びたかった。
ひと口食べたときのうまみ。
その当時そういうバゲットはまだぜんぜんなく、衝撃でした。
他のパンもおいしかったし。
自分も店やるときは、こういうの出したいな」

丸いフランスパン(230円)
フランスパンを「スパイシー」と表現しては不適切だろうか。
長時間発酵に特有の熟成香があって、噛むたび豊潤に甘さが滲みだす。
バゲット生地が「ブール」の形で作られていて、たっぷりと中身を食べることができる。
しっとりとして、食感はやや重く、その分ますます味わいに満ちて、ミネラル感も濃厚である。
皮は硬すぎず、しかし噛むごとに、じゅわじゅわと甘さが分厚く湧きあがって、それがすーっと消えていく。

「長時間発酵なんですけど、志賀さんの製法に習いつつ、自分なりの仕上がりにしています。
モンブラン、カナダ、カイザー、香りの濃いのをブレンドしています。
カレーを作るときにスパイスをブレンドするみたいなものです。
窯伸び、うまみ、吸水。
いちばん理想のバゲットに仕上げるために。
焼き上げるまでの工程で自分がいちばんしっくりくるような配合に。
ミキシングしたときに水を吸わないな、甘みが少ないな。
いままでの経験で、これだったら作れるだろうな、とか」
小さな違和感をブレンドで消して、完成度を高めていく。
理想のバゲット生地は、たくさんの思いを収斂させ、作り上げられる。

ヌクムクの名物はクリームパン。
かってホームページでこのパンがくるくる回っていた。
ドームのような型に粉糖をまぶし、中心にアーモンドを差して、まるでベレー帽。
「ひと目見て、『ヌクムクのパンだな』と思ってもらえるようなシンボル的なものが1個ほしい。
いうなれば、マクドナルドの『m』マーク。
見ただけでおいしそうだなと思うような。
クリームパンって子供から大人まで、みんな好きでしょ。
そういうのも含めて、考えました。
かわいらしくて、一目惚れ!的なのを」

クロワッサンシュークリーム(250円)
これはクリーム好きにとっての楽園である。
クロワッサン生地で作ったシュー(あるいはバンズと呼ぶべきか)に切り込みを入れ、カスタードとホイップクリームが、後入れでフレッシュなままたっぷりと注入されている。
つまり、クリームパンとクロワッサンという、nukumukuの2大人気商品がコラボレーションを果たしている。
秀逸なクロワッサンと秀逸なクリームとの出会いは、こんなにも食べ手をふにゃふにゃにさせる。
生地がクリームを吸い込んだ部分、ぱりぱりととろとろが口の中ではじめて混ざりあう部分、バターの香りとカスタードの香りが触れあってくすぐりあう部分。
まるで味覚中枢を掻き回されるかのように身悶えしてしまう。
しかも普通のクリームパン以上に食べ方=味わい方のバリエーションは豊富である。
かぶりつくのもいいし、ふたを外してたっぷりのクリームをすくいとるのもいい。
クリームだけ舐めてみたり、底のかりかりした部分とクリームにもまた別の相性を認めることもできる。
あるいは直接火の当たっていない生地の白い部分の生々しいバター感とのペアリング。
指や口のまわりについたクリームを舌でなめとったり、我知らず下品になりながら、一心不乱に食べ進んでしまう。

「パン業界は店作りを含めまだまだ発想が乏しいと思います。
僕は固定観念がないほうなんで。
ここにしかないパン、それを作るのがいちばん。
どのパンを見ても、うちの商品だなと思われるのが理想。
自分らしさ。
オリジナリティがあって、かつ、きれいな仕事をしたい。
ケーキ屋さんのケーキみたいな華やかさがあって、あとは誰にでも親しまれるものを。
よそにはないようなパン、印象に残るようなパンを作れたらいいな」

じゃがいもと薫塩ベーコン(310円)
フライドポテトがパンにくっついている。
つまり、炭水化物の上に炭水化物。
だが、考えてもみれば、ハンバーガー(パン)にフライドポテトは、ファストフードの定番である。
ベーコンも合わせ、このトライアングルは鉄壁である。
ポテトの塩気とスパイス感がベーコンへとふりかかり、味わいを増幅させる。
あるいは反対に、このベーコンは実に味が強くて、ポテトとパンに挟撃されてなお、旨味を波及させている。
薄いパンは引きのあるハード系生地で、それだけに噛みしめるたび味わい深い。

店に飾られたノベルティグッズで表現される楽しさと、きちんとした仕事で作られる商品のクオリティの高さ。
どちらが欠けても、与儀さんの思い描くnukumukuにはならない。
クロワッサンシュークリームしかり、じゃがいもと薫塩ベーコンしかり。
ストイシズムにポップさをプラスして、マニアだけでなく、誰もが愛するパンに仕上げる。
それが与儀さんの、パンへの思いではないだろうか。

「楽しく仕事がしたい。
だから、こういうお店にしている。
楽しみながらおいしいものを作りたい。
それがいちばん幸せじゃないですか。
昔は、おいしいもののためにはぴりぴりして仕事するのもしょうがないって思ってました。
いまはみんなで楽しんで、おいしいパンを作れればと。
みんなが楽しくなるためには、ひとりひとりがきっちりやらなければ。
It's fun and delicious.
僕の理想です。
でもそこがむずかしい。
スタッフに気を使って、楽しくやったほうがいいのか。
その辺は自分も成長する課題。
独立した当初は師匠と同じく厳しいの当たり前だと思ってた。
でも、それじゃいまの時代つづかないし、自分も楽しくない。
いまはスタッフと楽しみながらやってます」

nukumuku
西武池袋線 中村橋駅
練馬区貫井1-7-25
03-3825-5404
10:00〜19:00
月曜火曜休

#183

200(西武池袋線) comments(2) trackbacks(0)
ブーランジェリー ベー(大泉学園)
170軒目(東京の200軒を巡る冒険)

シェフはいつも窯前にいる。
対面販売のカウンターの向こう側、彼とスタッフの一挙手一投足はすべて客の目にさらされる。
にこりともせず仕事に没頭するシェフの気合いは、スタッフに波及し、このオープンキッチン全体を真剣さで満たす。

パンの仕事でもっとも大事なもの。
それは「焼き」だと國島武人シェフはいう。

「何日も何時間もかけていいものができてるのに、焼くときには2分、3分でダメにしちゃう。
窯は大事だと思う」

だから、國島さんが窯前の定位置を明け渡すことはない。
パンを作る工程の最終地点。
スタッフ全員がつないできた生地というバトンを、最終的にゴールさせるのはシェフの責任だと信じるからだ。

「料理の世界でもソシエ(ソース担当)、ストーブまわりが花形。
パンもそうじゃないかと思います。
各工程のしわ寄せがくるのが窯。
まず仕込み、分割、成形、発酵とって窯。
各ポジションでー2点、ー3点のミスがあって、最後窯に、100点でくることはない。
いちばんそのパンをわかってる人間が対応しないとできない。
生地と会話ができないと。
見たり、触ったり、嗅いだり、五感をフルに活用して、何度で、何時間であがってくるかという数字も大事だし。
その対処の仕方をどれだけ知ってるか。
温度設定や時間、窯の中の入れる場所を変えながら」

パンのオーラ。
山と積まれ、鈍く光るバゲットの表情が凛々しい。
出来が一定であるからなのか、たたずまいはどれも端正で、買われていく瞬間、食べられる瞬間を無言のうちにじっと待っているように見える。

ルージュ(300円)
ピーカンナッツ、ドライチェリー入りのパン。
皮を乾かせ、中身には十分に水分を残す。
瞬間的に皮が破砕し、その砕け散りぶりがナッツと実にシンクロする。
一方で中身は湿り気にもかかわらず軽やかで、あっさりと溶けていく。
また、しっとり感による、ちょっとひんやりした舌触りも、チェリーの果肉、あるいはすっぱさと響きあう。
と同時に、チェリーの甘さと、しっかり焼きこんだ皮に特有の甘さにも、バランスがある。
ベーのパンはこんなふうに緻密な計算と技術が一体となっている。

「実家は福島の田舎でパン屋をやってるんですが、東京の専門学校を卒業したあと、東京のパン屋で1年半働き、家業を継ぎました。
5年ぐらい親の元で働いていました。
その頃、たまに那須に遊びに行くことがあった。
いま考えたら大したパンじゃなかったんでしょうが、そこで食べたクルミのハード系のパンがおいしくて。
自分もハード系のパン焼いてみたいな、と思った。
自分でもやってみましたが、うまくいかなかった。
東京で働いていたときも、なにせそこまで突き詰めてやってなかったので。
東京でもう1度修行したいと、親を2年ぐらいかかって説得しました。
親父は19で店を出して苦労した頑固な職人。
反対されたが、諦めなかった」

「頑固な職人」と呼ぶ父の血は、國島シェフ自身がきっと濃厚に受け継いでいるのだろう。
彼の語り口や、仕事ぶり、なによりも作りだすパンから、そう思う。
実家を継ぐという定まった軌道から外れて再び上京したのは、大事な忘れ物を取り戻すためではなかったか。
國島さんは、そのために探していた師をすぐに見いだす。

「アンジェリーナを見たときは、当時カルチャーショックを受けました。
そのときは募集がなくて入ることができませんでしたが、紹介で入ったデイジイ(川口の有名店)で働きながら、休日にはアンジェリーナに足を運んでいました。
隅さんはパンの表情とかにものすごくセンスがある人。
アンジェリーナには、そこに惹かれたというのもありますね。
店の雰囲気作りもすごくよくて、フランスの田舎のパン屋さんみたいな感じ。
シャンソンを流していました」

アンジェリーナは健在だが、いまは移転し、國島さんの最初に見た店舗はすでにない。
だから、当時の店舗はいま見ることができないが、2000年代初頭に訪れた私にも、アンジェリーナは圧倒的な印象を与えた。
まだまだブーランジュリーの名にふさわしいパン屋は少なかった頃でもあり、これがフランスパンだ、と思ったものだ。

國島シェフはやはり諦めることなく、3年かけてアンジェリーナに入った。
「元々ベーカリーカフェをやりたかったこともあり、パンのほうが人が足りているのはわかっていたので、売場だけでもいいのでといって入れてもらいました。
キッチンで働きたいと。
隅さんはケーキや料理が好きな人なんで。
当時の僕は包丁が使えなかった。
にんじん1本切れなかった。
短冊切りもわかんなかったし、千切りもできない。
隅さんがそこから教えてくれた。
パンだけだったら、そんなに必要ないのかもしれないですけど、料理とお菓子とパンはつながっているところがある」

料理を学ぶことは、パンを深いレベルで理解することにつながるだろう。
隅シェフの影響はベーの店の中にも見つけることができる。
たとえば、ベーではパンのみならず、トータルで食を提供しようとしている。
この小さな店舗で、パン以外の食べ物がこんなに充実していることは珍しい。
コンテやブリーなど、ヨーロッパから輸入されたチーズ。
地元大泉学園の名店であるル・ジャンボンのハムやソーセージ。
そして、自家製の惣菜。
サンドイッチも本格的で、手間とオリジナリティを感じさせる。

「パンのラインナップも食事を意識したものを出したい。
よその店ではいいと思うんですけど、うちでは、『このパン、いつ食べるパンなんだろう?』というようなものは出したくない。
このパンはこういう食事のときに食べてほしいな、と思いながら作っています。
オーソドックスなフランスパン(パン・ド・べー)はオールマイティ。
バゲット・ミュールは魚介系の食事、フュメ・ド・ポワッソン(魚のダシ)につけていただくと相性がいい。
お肉系だったらバゲット・コンプレは動物性の脂肪と相性がいい」

パン・ド・ベー(200円)(写真上の中の上のバゲット、写真下の中の右のバゲット。隣りはバゲット・ミュール)
ブーランジェリー ベーのラインナップの中で、パン・ド・ベーはスタンダードで日々の食事にも買いやすい価格のバゲット。
反り返るようにクープが立ち、かりかりと小気味よく弾ける。
皮の硬さとまったく対称的な中身のやわらかさ、湿りに驚く。
気泡の中へ唾液が入り込んでいく感覚があって、それゆえにしゅわしゅわと溶けていく。
そのとき、塩のミネラル感を感じさせながらおだやかな甘さが揺れながら滲む。
溶けた皮もなお香ばしさを発し、鼻腔へ甘い香りが立ち上っていく。

「オープン当時から5年目ぐらいまで、けっこうとんがった仕事をしてた。
だんだんいまの自分に合った、そういうパンになってきたのかな。
ダメなものはダメという考え方でやってきましたけど、そういう考え方はしなくなりましたね。
そんな背伸びはしなくていいのかな。
以前は自分に自信がなかった、プライドが高かったというか。
お客さんにおいしいねといわれても、正直うれしくなかったんですよね。
納得できるパンが焼けてうれしいなとは思っても。
最近ようやっとお客さんが想像できるようになった。
おいしいねといって食べてる姿を。
お客さんが自分のパンを食べてる姿が見たいなって」

作るパンがその人の人間性を写す。
年齢とともに嗜好も移り変わる。
また、子供ができるという人生の大きな節目も、人の感性に影響を与えずにいないだろう。

「去年、子供ができて、保育園のお誕生日会でシュークリームを焼いたんです。
子供たちがシュークリームを食べてる姿が見たいなと思って。
いままでは自分のプライド賭けてやってきましたが、そんなのたかがしれてる。
地域密着って言いながらも、職人が食べておいしいパンを目指してた。
ものすごくとんがってた気がしますね。
このパン食べてわからないんだったらいい、みたいな気持ちで作ってた気がしますね。
コンセプトとかいろいろありましいたけど、コアな部分にはそれがありました。
恥ずかしいですけどね。
スタートが遅かったせいで、デイジイに入ったのも26。
新卒の人と仕事する劣等感が強かったんでしょうね。
それをバネに仕事をしてるうちにそうなってしまった。
デイジイにいた頃、19、20の人に使われる。
しょうがないなと思う半分、悔しい気持ちもものすごく強くて、でも、そう思っても仕事ができないので、気持ちのままに進んでしまったのは、よかったのか悪かったのかわからないですけど、最近は変わってきたのかな」

職人のこだわり、とはよく言われる言葉だ。
それは、客が気付くかどうかわからないほどの、繊細なレベルに及んでいることだろう。
ときには、マニアックでない客にとって必ずしも望ましいといえないこだわり(例えば、硬い皮)にさえ、寝る時間を削って心血を注ぐ。
それは、単に客を置き去りにしていることなのだろうか。
國島さんの衝動、理想とするパンを焼くために払われる、人生を賭けた努力。
それを理解はしていなくても、職人の厳しい仕事がもたらすなにかに触れたくて、私たちはパン屋に足を運ぶ。
そうしたストイシズムの空気が、ブーランジェリー ベーにはある。
パンとは、あるいは別の言い方をすれば、「作品」とはそういうものなのだ。
他人からは理解できないほどの高みに達しているものは、作者のやむにやまれぬ衝動や、コンプレックスに発している。
だから、國島武人さんのいう「劣等感」を聞いて、私は大いに納得し、ますますベーのパンをおもしろいと思った。

もうひとつ、國島さんのパンに変化をもたらした、直接のきっかけがある。
「やり方も以前とは変わったりしましたね。
セーグルも、パン・ド・ベーも変わった。
パン・ド・ベーはいままで細かいマイナーチェンジしかしてませんでしたが、半年ぐらい前がらっと変えましたね。
ある人のパンを食べてショックを受けた。
もっちりしているのに口溶けがいい。
皮もがっつりしているのに、すっと溶けていくというフランスパンを食べてショックを受けた。
それがルセットを変えるとっかかりでしたね。
自分の気持ちも、好みも変わった。
(飛騨高山トランブルーの)成瀬(正)さんのパン、講習会で食べたら、『ん? 』と思った。
『今まで食ったことないな』と。
うまかったんですよね。
成瀬さんの本、西川(功晃、サマーシュのシェフ)さんの本、読んでたんですけど、なんでそこまでミキシングかけるのかわからなかった。
なるほどな、そういうことなのか、とやっとわかった。
窯伸びなんですよね。
窯で生地を伸ばすことによって、フランスパンの皮が薄く、口溶けのいいパンが焼けるんだなと。
いままでの自分の作り方では、高温短時間ということだけ先行していた。
ところが、成瀬さんのやり方は、窯伸びさせるためにミキシングも強めにし、その段階である程度しっかり生地を作ってしまう。
その前の僕のやり方は、あまりミキシングしないで、寝かせたり、パンチでつないでいく。
使う粉とのバランスもあるんですけど。
しっかりつないで、窯伸びさせることで、皮も薄くて、口溶けのいいフランスパン焼けるのかなとわかった。
もっちりしてるのと、口溶けいいのとは、相反するものです。
自分自身、内麦(国産小麦)にこだわってるんですが、そんなときに成瀬さんのパンに出会って『なんだこれは』と。
パン・ド・ベーも内麦をメインに使っていたんですが、いまはフランス産7割、レジャンデール(日清製粉の強力粉)3割に変えました。
ある程度灰分があってタンパクが低い粉を探していましたが、やっぱりフランス産なのかなと。
自分に合う粉が見つかった」

成瀬シェフのパンを食べて衝撃を受けたのは、もっちりした食感と、口溶けよさという反対概念が、1本のバゲットの中でともに実現されていたからだ。
そこに自分の焼くべきバゲットの可能性を見た。
味わい深く、食べごたえもあって、しかも口溶けいいバゲットへ。
パン・ド・ベーをワンステージ上へと引き上げるきっかけとなった。

このエピソードからもわかるように、國島シェフのパン理論というのは、あらゆるファクターを、相反する概念の関係として捉えることである。
たしかに、パンとは相反する2つからできていることが多い。
皮と中身、パンとフィリング、軽さと重さ…。
その両者のあいだにどのようにバランスを取るかが、自分の追い求めるパンを作る上で決定的に大事だと、國島さんは考える。

「バランスを考えながらいつも作っています。
配合を考えるのも、実際に焼くのも、バランスを考えてます。
どれぐらい皮を厚く、薄くするのか。
保湿性はどれぐらいもたせればいいのか。
たとえば、クリームパンなら、このぐらいの皮で、このぐらいのクリームの量、皮の香ばしさ、厚さに負けないクリームの量。
それぐらいインパクトあったほうがいいんじゃないか。
ブリオッシュも、どれぐらい発酵とれば、どんだけ口溶けがよくなるのか。
口溶けとボリュームが出すぎれば、味は薄くなるし。
どれぐらい発酵を抑えて濃くするか。
店のラインナップもそうです。
ハード系ばっかりじゃなく、甘いものばかりでもなく。
バランスの落としどころをどこにするのか考えながら焼いてますよね」

クリームパン(180円)
断面写真を見てわかる通り、隙間なくクリームが詰め込まれている。
手に持つとずっしりとした重さを感じる。
特に中心部は薄皮のワッフルのようにクリームの味を猛烈に感じ、そのリッチさが幸せな気分にさせてくれる。
それは、パンが薄くてクリームが多いということもさることながら、こんがりと焼かれて軽やかな、菓子パン生地の一気の口溶けも大いに貢献している。
跡形もなくパンが溶けても、バターの甘さだけ後味に残る。
それがクリームのおいしさをさらに加速させるのだ。
クリームもしっかりと甘く、4噛みぐらいしたところで、甘さの輝きがさらに跳ね上がる。

國島シェフがもっとも大切だという、バランス。
皮か中身か、水気か乾きか、硬さかやわらかさか。
生地のベストなバランスを最終的に決定するポジションこそ、「焼き」に他ならない。
それが國島さんが、窯前を決して譲らない理由であろう。
そして、ファクターの対立とは、本当は二者択一や一次元的な「あれかこれか」ではないのだと思う。
繊細微妙な、ここでしかないという決定的な瞬間において、決して両立しえないものが両立し、パンに奇跡さえ呼び込む。
その瞬間を求めて、パン職人は窯前であくなき努力を続けるのだ。

ブーランジェリー ベー(Boulangerie bee)
西武池袋線 大泉学園駅
03-5387-3522
10:00〜19:00
日曜月曜休み

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#170
200(西武池袋線) comments(2) trackbacks(1)
藤乃木製パン店(富士見台)
167軒目(東京の200軒を巡る冒険)

消え去ろうとするものには独特のうつくしさがある。
花柄のトレイ、古い棚、のれん。
コッペパンやあんぱんは、塗り玉によっててかてかに輝いている。
私は恐れる。
ある日訪れると、すべては新しい内装や、雑誌に載っているような繁盛店の方法に置き変わっているのではないかと。
古いままであってほしい。
身勝手な思いとともに藤乃木にやってきては、なにも変わってはいないことに安堵の吐息をつく。

「ピーナッツコッペは...」
高校生ぐらいの女の子がレジで言いよどんだ。
藤乃木でピーナッツコッペだけは特別にレジ横のかごに置かれている。
だが、かごの中は空っぽだった。
最後の1個を私が買ったあとだったのである。
「いま作りますよ」
藤乃木の奥さんがそう言うと、女の子の顔は途端に輝いた。
私には彼女の胸の高鳴りがわかった。
私も同じ気持ちだったからだ。

この古い店は商店街にすっかり溶け込んでいるために、何度も前を通るか、よほどのパン好きでなければ発見しにくい。
だから、「自分の店」という愛着が生まれる。
藤乃木の客たちはそうした気持ちによって密かに連帯しあっているのではないか。

コッペパン(ピーナッツクリーム)(180円)
私が藤乃木を「発見」したのは、このコッペパンの香りを嗅いだときだ。
てかりのある濃褐色から放たれる、深く、甘い、香ばしさ。
中身はふにゃにゃ。
ただのふわふわではない。
ふわふわな中にもどこかコシがある。
そして薄いながら噛み切れない強い皮。
中身は溶けて快く、皮は溶けず香ばしさを持続させる。
そして甘さを控えた生地からはきれいな味わいが溶けてくる。
創業90年になるモロズミジャムのピーナッツクリームを使用。
レトロなパンにレトロな癖のあるクリームが似合う。

藤乃木の不思議。
ごく目立たない、商店街の古いパン屋が、なぜこんなに人を夢中にさせるのか。
創業して50年以上。
店主の加藤良一さんは2代目である。

「特に変わったことはしていません」と加藤さんが言えば、
「特に変わったことしてません」と奥さんも声をそろえる。
「他のお店が変わったんじゃないでしょうか」と。

昔ながらのパン、昔ながらの味。
なつかしいからおいしい、という言葉で藤乃木のことを片付けたくはない。
私にはこんなピーナッツコッペを食べて育った過去はないのだから。
そうではなく、おいしいから、なつかしいものになった。
記憶にはないけれど、遠い夢のような過去からやってきた手紙ではないかと考えてみる。

「基本的には父の時代と同じ作り方です。
ただ、材料は時代とともに変わってっちゃう。
パンを簡単に作る材料も出てきますし。
そういうのに抵抗しているといいますか。
いま添加物とかいろいろありますが、使わないでやっている。
そういうの使うと、風味でもなんでも自然なものがなくなっちゃうって感じますね。
人の口に入るものですから、少しでも自然なものを」

残念ながら、古い構えのパン屋は、添加物の味がしたり、パン酵母が必要以上に臭うことがとても多い。
そのために、古い店より新しいパン屋がおいしいというイメージが定着したのではないか。
食べもの屋が競って添加物を入れるようになった高度成長期。
それよりもっと以前にさかのぼれば、パンは本来、おいしいものだったはずである。
この藤乃木のように。

食パン
ケーブイン(腰折れ)さえ、藤乃木の食パンにあってはうつくしく見える。
それは並ではないやわらかさの証明でもある。
へにゃへにゃといっていいほど、この中身はやわらかい。
6枚切りの端を持つと見事におじぎをする。
一方、耳はぷりっぷりっという食感があって、香ばしさ、甘さは超濃厚。
中身の甘さは透明である。
噛んでいるうちに、溶けやすい中身と溶け残る耳の、口溶けの時間差によって、白い甘さとブラウンの甘さが、さまざまなミックスを見せる。

「昔から同じやり方なので、時間がかかっちゃう。
中種法といって、前日に少しこねといて、翌日にまた材料を加えるやり方です。
手間暇かけないと、うちみたいなパンはできません。
いまどきのパンとはちがうでしょう」

「偉そうなことは言えませんけど、大事なのはいい状態を見極めるということですか。
(発酵の進み具合は)工場の温度に左右されるので、いかにいいコンディションを作るか。
日本には四季があるから、そこにもってくのはむずかしいですよね。
毎日同じものはできないですので」

クリームパン(130円)
クリームパンがおいしいかどうかの基準。
私にとって、それは幸福な気持ちになるかどうか。
藤乃木のクリームパンはその基準を満たす。
バニラビーンズを使っているわけでもない。
「だからこそ」なのか、「にもかかわらず」なのか。
このカスタードは、舌に滲み、心にも滲みる。
ふわふわなパン、とろりとしたクリームの舌触り、溶けてくる甘さ。
そのひとつひとつが、このクリームパンにおいては理想型を描きだす。

加藤さんが覚えている父の言葉とは、このようなものだ。
「パン屋っていうのは、なんでもできないとダメだ。
たとえば大工仕事だったり、機械もできないといけない、電気にも通じてないといけない。
どんな状況にも対応できないとダメだって」

なぜパン屋が電気のことをわかっていなければいけないのか。
最初はぴんとこなかったが、そのあと奥の工場を見せてもらったとき氷解した。

こんなに古いオーブンを私は見たことがない。
昭和43年製。
煤けた、黒い金属の塊は、蒸気機関車を思わせた。
いまの電気オーブンのように、数字で温度調節するわけではない。
4つのハンドルをまわして、通電量を調整し、勘で自分の望む温度に導く。
機械の仕組みに通じていなければ、うまく操ることはできないだろうし、いざ不具合があれば仕事はお手上げだろう。

「慣れが必要なんですよね。
若い人にはとてもじゃないけど、教えられないでしょうね。
昔のものは自然なんですね。
火の入り方もそうですし。
全体に火が行き渡るので、ムラも少ないですし」

藤乃木のパンにある独特の香ばしさ、素軽さは、決して他の店で味わうことがないものだ。
おそらくこの時代物のオーブンなくしてありえないものだからなのだろう。

「川口の機械屋さんにずっとお世話になっています。
少々無理言ってもいつでも直してくれる。
その人いなくなったらどうしようかって」

滅びゆくもののうつくしさ。
パンも、それを生み出す機械も、同じように。

「人手が限られているので最低限しかできないですけど。
2人いれば3人前できるが、1人は1人のことしかできない。
ジレンマはありました。
ところが、女房が意外とパン作りの素質があって。
朝は手伝ってくれますし、母親も店番してくれる。
超零細企業です(笑)。
息子もいるんですけど、継がせるのもどうかと。
パン屋の仕事を考えるとたいへんですし。
ひとりでできるとこまでやろうと」

加藤さんは店の最後を予期している。
まだ老け込む年齢ではないが、時代遅れのうつくしい仕事に殉じようとしているのだろう。

「高円寺でいっしょに働いていた、父の兄弟弟子にはこう言われました。
パン屋は一度に3つの仕事できないとダメだ。
私なんかのんびり屋なもんで、正直パン屋には向いてない」

そんなことは決してない、と思う。
もし加藤さんが「のんびり屋」でなかったら。
人を雇い、新しい機械を入れ、店を改装し。
父親から譲られたこの店をあっというまに現代風にしてしまっただろう。
そうなれば、このパンは残っていまい。
加藤さんほど、私の好きな藤乃木の店主に向いている人は2人とない。(池田浩明)

藤乃木製パン店
03-3998-4084
10:00〜20:00
火曜休み



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#167
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パーラー江古田(江古田)
157軒目(東京の200軒を巡る冒険)

出すぎた杭。
それがパーラー江古田のパンのイメージである。
皮が硬く、食べづらい。
だから、私はこのパンを支持する。
これが自分は好きなんだ、という店主の強烈なメッセージがある。
皮が硬いと子供やお年寄りは食べられないので、もっと食べやすく作ろうという気遣いを、他のパン屋ならするかもしれない。
いや、だからこそ、子供やお年寄りに食べてもらいたいと思う。
こんなに硬く、それゆえに濃厚に味のある唯一無二を、一度ぐらい体験してほしい。
つまり、「キャラ」になっているのだ。
この皮に、この中身に、意志が籠っている。
出る杭は打たれ、出すぎた杭は打たれない。
なんとなく出てしまったのではなく、誰もが注目せざるを得ないほど、パーラー江古田という杭はパンの世界からはみ出しているのだ。

チャバタ(300円)。
濃褐色の皮。
中身に薄く巻きついた皮ではなく、ばりばりに割れ、味は強く主張し、ときに苦く、香ばしさも甘さもマックスまで呼び出されている。
高加水の生地に特有のぷりんぷりんで餅状態の中身。
甘さは透明ではなく、濃厚にコクを放つ。
白いごはんのほの甘さもあり、黒蜜をかけたような明確な甘さも含まれる。
ちぎりちぎり、ワインやビールとともに味わうシチュエーションが、このパンをもっとも楽しめるだろう。

店主・原田浩次さんは、独特の方法ででこのパンに辿り着いた。
「長時間焼かないけど、温度をけっこう高めにして、しっかりと焼きこむ。
自分が、皮の薄いパンよりも、皮のごっつい、厚いパンが好きで。
水の多いパンを高温で焼くと、薄い皮になる。
どうやったらそれでも厚い皮になるかは、すごくいろいろ試しています」

「僕の場合、素人だったので、イメージのほうが先にありました。
これを作りたい、と。
最初は志賀さん(シニフィアン・シニフィエ)の本に書いてあることを真似することからはじめて、この工程はこういうためにあるんだなってことを理解していった。
こうなんだろうなとか、こうかもああかもと、ずっと考えました。
だけど、志賀さんのおいしいと、僕のおいしいはちがう。
最初に食べたときから、インパクトが忘れられないパンというのが、頭の中にあって。
それを自分のパンに影響させてる。
いちばん最初はルヴァンのレーズンパン。
Zopfのルヴァンカンパーニュ。
志賀さんのバゲット、ハードトースト、ポワブルロゼ。
細かい味とか覚えてなくて、印象だけを残すんですよ。
そのイメージを自分のパンを作るときに活かそうと思う。
しかも、ルヴァンのレーズンパンに至っては、もう15年も前の記憶ですからね。
レーズンパンだったら、1週間経っても皮がおいしかったし、あのハードっぷりはすごかった。
うちがグリーンレーズン使ってるのは、その影響。
粉はシラネを使っているんですけど、それは甲田さんの書いた『ルヴァンの天然酵母パン』に『シラネ60%』って書いてあったから。
でもそのうち、最初に食べたときのあの感じが薄くなってきたな、と思っていたんですけど、ルヴァンに行ったとき厨房の中を覗いたら粉が積んであって、その中に白根が入ってないじゃないかと思った。
だから、最初に食べたとき印象に残ったのは白根のせいなんだって、それが正解かどうかはわからないんだけど、ずっと頭の中にあったんですよ。
あのレーズンパンのおいしさを自分のパンに取り入れたいと思った。
ツオップのルヴァンカンパーニュや、志賀さんのパンのおせんべい感も。
そういうのを押さえて、自分のパンに取り入れる。
イタリアに食べに行ったときも、自分がおいしいと思ってるところの印象をいいとこ取りする。
だから、みんなおもしろいと思ってくれるんじゃないかな」

レーズン酵母食パン(380円)
この店の原点といえるパン。
はじめサンドイッチを作るためにこのパンを焼いたところ評判になり、持ち帰る人が続出して、現在のようにアイテム数が増えていったのだという。
強く香る酵母が、この並外れた風味を引き出しているのだろう。
小麦の味わいの白さが分厚い。
中身のもちもち感も、輝く気泡も、たくさんの水を含んでいることを、伝えている。
水の働きで、強い野趣がまろやかに感じられる。
サンドイッチにすると、パンの強さがキャラの強い具材とぶつかり合って、拮抗する。

パーラー江古田は、カフェとしてスタートした。
原田さん自らがカウンターに立ち、サンドイッチを作り、お客さんとあれこれ話す。
そのスタイルは有名店になったいまも不変である。

「もともと飲食店やりたかったのは、僕のおいしいを伝えたかったからです。
それをいかに伝えるか。
おいしいでしょ? おいしいよね?
共感を得たいから。
わかる人だけでいいみたいな、ちょっと昔の頑固なラーメン屋みたいなノリがいいとは思ってなくて。
できるだけたくさんの人としゃっべって、これおいしいでしょって言いたい。
そういうすごく個人的な目的のためにやってるだけで(笑)。
ただ、パンってヨーロッパの文化ですよね。
どういう感覚で彼らがパンとお酒と料理を食べてるか、そのおいしいの共感を伝えていきたい。
このお店って東京で郷土料理屋やってるようなもんですから。
味だけではなく、文化を伝えることだったり。
こんなに人の話聞かないカフェの店主って少ないと思います(笑)」

入りやすい店なのに、常連が多い。
カウンターに座れば誰でも友だちができる。
東京ではめずらしく、この店では人と人の垣根がひどく低いのだ。

「店が狭いこともあって、おひとり様が多い。
おひとり様同士が仲良くなったり。
音大が近いので仕事の帰りに寄る人がいたり。
ここでお客さん同士が20年ぶりの再会を果たしたり。
近くの常連さんにもきてほしいし、遠くの人にも観光にきてほしいし。
そのためにはオープンじゃなきゃいけなくて。
入り浸ってるお客さんにも、はじめての人にオープンに接してもらってます。
平等に扱うというのとまたちょっとちがって、中に入れてあげる感覚。
ひとりのお客さんとだけ話すんじゃなくて、みんなと話す。
お客さんに質問されたら、答えにくいときや、内容によっては、他のお客さんに振ったりとか」

カフェをやろうと思ったきっかけを振り返ると、そこにはやはりサンドイッチがある。

「大学在学中に、ワーキングホリデーでオーストラリアに行ったとき、カフェやりたいと思いました。
バックパッカーやってるとき、背中のリュックに、2ドルで買った3斤棒の食パンを入れて、行く町行く町でお惣菜とか野菜とか市場で買って、はさんでサンドイッチにして食べる。
それが僕にとって、その土地を知るためのいちばん早い方法でした。
こだわりはペッパーミルつきの胡椒を持って歩いてたこと。
かりかり引いて、パンにはさんで食べるのがおいしくて。
この町の食べ物、こういうのかなって、知ることができる。
お惣菜屋さんに勧められたもの食べて、『まずー』と思ったり(笑)。
B級映画見てつまんなかったって言って、それを楽しむ感覚に似てますね。
パンをおいしいとかまずいとか評価せずにいた。
帰ってきて就職したんだけど、会社が無くなって。
恵比寿を歩いていたとき、たまたま会った友だちと話してたら、『パン屋でもやってみようかな』って思ってもみなかった言葉が出た。
『ガテン』買って、そこで募集してた千葉のパン屋に入りました。
それまでクロワッサンという名前も知らなかったのに。
もの作りが好きという理由でなめて入ったんですが、朝4時からはじまって夜中の12時、1時まで。
みんな、体も、精神的にもまいっていって。
そこで人生相談員をやってました(笑)。
そうしているうちにパン作るのが楽しくなってきて、それでいまもパンをやってますね」

パーラーという不思議な店名には、単なる思いつきではない、明確なコンセプトが込められている。

「沖縄のパーラーとイタリアのバールがパーラー江古田のお手本になっていて。
パーラーは沖縄にはどこにでもあって、那覇にもあるし、離島にもある。
国道沿いでホットドッグ売っていて、そこにトラック停めて、みんな買ってたり。
沖縄の人がパーラー行くのと、イタリアの人がバールに行くのが同じ感覚。
両方ともいろんなスタイルがあって、どこにでもある。
イタリアのすごい田舎に行くと、駅前にバールが一軒しかなかったり。
そうかと思うと、大きな町の大聖堂の前にも必ず立派なバールがある。
教会行った帰りに寄ったり。
パーラーもバールもなきゃいけないもの。
町の人、島の人が常に寄る。
沖縄の小さな島の港の前にパーラーがあって、船が着くまでそこで待つ。
大人が話をしてる間、子供たちがぜんざい(かき氷)を食ってる。
バールでも、制服着てない普通のかっこうのおじさんが出てきて、コーヒー入れてくれる。
名前の付け方もよく似てて、格式高いところだと、ピアッツァ・サンマルコの前にあるからバール・サンマルコとか、マルコーニ通りの名前を取ってバール・マルコーニとか。
小さい店は店をやってるおっさんの名前を取ってバール・ジョバンニ(笑)。
パーラーなら、島にひとつしかなければ、パーラー座間味。
そのあとにできる店はパーラーさっちゃんとか(笑)。
沖縄の人がパーラー行くみたいに。
イタリアの人がバール行くみたいに」

原田さんのいう、パーラー=バールとはこうした飲食店の形式である。
それはコミュニティや、日常の生活に深く根ざしている。
お茶も出せば、アルコールも出し、軽食も出す。
気軽に入れて、さまざまな使い方ができる。
もっとも大事なのは、そこに客と従業員、あるいは客同士のコミュニケーションがあるということではないだろうか。
それは東京という町のありようにおいて、もっとも欠けているがゆえに、もっとも求められているものだ。

「6、7年前にバールのブームがきて、東京にもいろいろできたけど、バールの感じがしない。
箱だけ持ってきてもダメだと思いました。
バールってもっともっと日常的なもの。
でも日常ってセリフはむずかしい。
『日常使い』って僕も言うけど、言葉にするとなんかちがう。
他にいい言い回しを思いつかない。
1日の生活してるリズムの中に入りたい。
僕は、駄菓子屋とかタバコ屋のおばちゃんと同じ。
銭湯とか、井戸端会議の井戸になりたい。
おしゃべりのときの水を出してあげたい。
パンを買いにくるって口実で、ちがうものを目指してきてもらいたい。
井戸じゃなきゃ、遊びにきてるって思われる。
だからいい水を出してあげたい」

しいたけチーズの雑穀パン(230円)
パーラー江古田のサンドイッチを惣菜パンにするとこうなるだろう。
惣菜パンの新しい方向性を予感させる。
しいたけの香りがふんぷんと巻き起こり、旨味の液体は垂れ、パンを山の風味とグアニル酸で染める。
それを受け止めるパンの強さ。
引きがあり、歯ごたえがあり、しいたけのぷりぷりと、パンのむちむちが、上下で共振する。

行列の絶えない名店として知られるZopfの出身である。
だが、Zopfのようなパンを期待してパーラー江古田にきたら、肩すかしを食うはずだ。
けれども、そこで得る満足感の質には深いレベルで似たものがあると思う。

「Zopfでは働いてたんですけど、パン作るって仕事には携わってない。
そこがむずかしいところで。
2階のカフェにいたんで、パン作りには触れていなかった。
だから、Zopf出身って雑誌とかに出ると、あいつにはパン教えてねえって伊原店長に言われそうで。
独学ですっていうと、それもまたちがうし。
パンを作る作業だけが、パンの勉強ではない。
パンを切ったり、パンに合う料理を作ったり、それがどれだけ勉強になったか。
目の前で実際にお客さんに食べてもらった。
どうやってZopfらしくあるかっていうのが、従業員にとっていちばんの課題なので。
店長だったらどうするのか、りえさん(伊原夫人)だったらどうするのかということを、大元としてすごく考えなくちゃいけなくて。
勉強したのは、パン作りじゃなくて、店作りなんですね。
店にあるいろんなアイテムのひとつがパンであって。
伊原店長だったら、Zopfのやり方でこういうものを作るだろうなというのが、伊原店長から僕に変わるだけで、やり方は同じ」

Zopfとパーラー江古田のパンに共通しているのは、店主のイメージする力からすべてのパンが生まれてくることである。
イメージを実現するためには決して妥協しない。
その根本を踏み外さないという意味では頑固であり、他方、そこに至る手法は洗練されて、クレバーである。

「いまでも店長にいわれたことがすごく耳に残ってて。
パンはじめて作ってたときに、かけてもらった言葉が、
『おまえ、センス悪いな』だった。
そのとき、フルーツ置いたり、ナパージュ(ツヤだし)塗ったりして、デニッシュの仕上げをやってた。
なんで、『センス悪いな』って言葉になるかなんですよ。
間違ってるとか不器用ということじゃなく、そういう言葉が選ばれてる。
センスって、生まれ持った、どうしようもないことのように思えるけど、いまでも考えます。
センスってなんなのか。
お客さんからときどき『センスいい』といわれることもあるんだけど、いまとそのときとなにがちがうんだろうって考えたりとか」

伊原店長にはじめてかけられた「センス」という言葉を、何度も何度も反芻して、原田さんがそこに与えた解釈とはどういうものなのか。

「『センス=気遣い』だと思っていて。
デニッシュの仕上げするのに、道具を整理してないとか、デニッシュをきれいに並べてないとか。
なんできれいに並べないといけないのか。
できればそれでいいんじゃないかって思うんですけど、デニッシュがぜんぶ揃って並んでいれば異物混入とか、ミスとか、ちがいに気づきやすい。
雑多だと気づきにくい。
そういうことに気づきやすい環境を作ることがセンスじゃないのかとか。
あるいは、他のスタッフが今度こっちにくるから、通路を開けといてやろうとか、ついでに取ってあげようとか、先回りした一手が打てる。
ミスしないことがセンスじゃない。
針の穴の真ん中に糸を通すような、ものすごく正確な仕事をすることがセンスじゃない。
ミスしてもフォローできる。
針の穴に糸を通しやすい環境を作ってあげるとか。
アクシデントが起こったとしても結果のミスに終わらない」

「人が見てもきれいな所作に見えたり、プロっぽく見えたり。
センスのいい動きって、機能性に満ちた動きのことなんだろうな。
なにを目指すかって、頂点目指すようなことじゃなくて、誰かが落っこちたときに手を差し伸べられるようなことなんだろうな。
僕たち凡人にとっては。
トップを目指せるのは一握りの人であって。
自分はミスもするし、アクシデントも起こすし。
それをフォローしてあげられるのが、センスいい仕事なんだろうな」

私はパーラー江古田のカウンターで原田さんがサンドイッチを作る姿を見るのが好きだ。
そつなく、すばやく、華麗に仕事をするというのとは、ちがう。
むしろ不器用なのかもしれない。
ナイフで肉を刻み、パンではさんで、家庭用のオーブントースターに入れる。
客と話をしながら、オーブントースターのほうは向いていないけれど、顔の右半分ぐらいで焼き上がりを気にしている。
そうした姿に、自分のおいしいに向かって着々と仕事をしているな、という印象を受ける。
だから、待つ間に、きっとおいしいだろうという期待が盛り上がってくる。
それもパーラー江古田のカウンターに座ることの魅力の一部である。

センスといえば、パーラー江古田にあるものは、確実にツボを突く感じがある。
沖縄からはぜんざいがピックアップされている。
イタリアからはトリッパ。
その選択ひとつにも「好き」の気持ちが色濃く滲んでいるから、客にとっても食べたいという気持ちが起きるのだろう。

「そういう僕の好きなものっていっぱいあって。
影響されやすいタイプ。
で、なかなか飽きない。
そういうのぜんぶ入れたい。
その方法はZopfで教わったって言っていいのかな。
辞めるとき、店長にも、りえさんにも、まだ早いって言われた。
卒業っていえる年数じゃない。
やっと使えるようになったところで出ていきやがってって思われても仕方ないのに。
その点に関しては、謝らないといけないと思ってるんですけど」

原田さんは、自分がZopfを辞めたことで迷惑をかけたのではないかと、ひどく気にしていた。
Zopfを「卒業」したとは言えないのではないかと。
それを伊原さんにぶつけると、そんなことは微塵も思っていないという感じで「わはは」と笑い、こう言った。

「カフェに関していうと、最初の方向性はこっちで決めて、具体的なことをあいつが詰めてったんですね。
コンセプトは『食の提案』だったから。
来ていただいたお客さんが家庭でも再現できるような。
これからずっと出せる定番にしたいというのもあったし。
フレンチの複雑なソースを手間かけて作るようなものは、ちがう。
まあ、浩次は料理をやってたわけじゃないから、そもそもそんな料理は無理なんだけど(笑)、それが逆によかったんじゃないかな。
あいつは、いろんな経験してるから、引き出しは多かった。
おなじみの食材でもちょっとちがう食べ方を知ってたり。
りえや、もうひとりいた子と、キャッチボールをしながら、メニューができました。
それに、浩次だけじゃなく、パーラーだって嫁さんがいたからこそ。
ナオ(原田夫人、元Zopf)の存在は大きかったと思います
彼女はZopfで育った『パン屋』ですから」

カフェのオープニングスタッフとして、Zopfに入った当時のことを、原田さんは述懐する。

「店長は、すごくまかせてくれたんだな、って思います。
『浩次、やっといて』って、いつも言われてたような気がする。
2年半ではかりしれないことを教えてくれた。
あんときああいわれたなって思いだしたりするし。
店長の教え方、まかせ方、すごく上手。
たとえば、カフェに新しいスタッフが入ってきて、そいつとの接し方がうまくいかなくて、店長に呼び出された。
『一から十までぜんぶ教えりゃいいってもんじゃないんだよ』
失敗させなきゃいけない部分もあるし、失敗したら商品にならない。
そこはいまでも悩むところですね。
Zopfでは一生懸命やってた気がするけど、いまお店やって思うけど、自分はすごく甘かった。
よく店長、なにも言わずに見てたな。
いまごろ気づいてますけどね」

「最初に、カフェのメニューを考えてくれっていきなり言われた。
『朝からオムレツやるからな』以上ですよ。
『週替わりのおすすめ、やるからね』って言われただけ。
1週間に1回、『来週の「おすすめ」用です』って言って、試作したものを食べてもらって、店長に『ああしてこうして』って言われた部分を修正して、それを出す。
毎週繰り返す。
料理をやるのははじめてでした。
本は買ってくれるし、店長には、他のスタッフよりいっぱいいろんなところで食べさせてもらった。
店長にわがまま言って、エスプレッソマシーンも買ってもらいましたね。
無免許運転みたいなもの。
よく放任していてくれたな」

Zopfの教えを元に開店し、軌道に乗せた原田さんが空想するのは、パーラー=バール的な幸福を、たくさんのパン職人が実感できる未来だ。

「自分がおいしいと思うパンを作る職人がいっぱいいて、そういうパン屋が町に1軒あるようになればいいなと思います。
自分のパンをできる範囲で作って、その人が幸せだと思えるだけのお金とか社会的地位がある。
僕が目指してるのは、そういうちっちゃい意味でのローカルな循環型社会。
おいしいパンを作って地元の人に消費してもらって、成り立つならそれがいい。
みんなが自分たちの町のパン屋を自慢してくれて、ときどきはよその町のパン屋にも行ってみようかって思えるような」

パーラー江古田に行く商店街で子供を連れた若い奥さん2人にすれ違った。
さっきパーラーで買った紙袋を抱えながらパーラーのことをすごくうれしそうに話し合っていた。
その光景は、パーラーが江古田の「井戸」になっていることを物語っていた。(池田浩明)


西武池袋線 江古田駅
03-6324-7127
8:30〜18:00
火曜休



#157
200(西武池袋線) comments(5) trackbacks(1)
ブーランジェリー・ジャンゴ(江古田)
154軒目(東京の200軒を巡る冒険)

冷蔵ケースの中の恐るべきサンドイッチたち。
ハムとカマンベールといった王道から、魚を使った新作まで。
サンドイッチ用に小さく焼いたフランスパンやコッペパンの端正なたたずまいだけで、口に入ったときのバランスを計算していることや、薄めにカットされたさまざまな食材を歯で食いちぎる食感を想像させる。
あれ食べたいこれ食べたいと妄想ばかりでいっこうに決まらず、いつまでも足止めさせられる。
鴨肉や生ハムといったフランス食材のサンドまで並んでいるが、ここは六本木でも代官山でもなく、練馬区江古田である。

サバと香草のサンド(380円)
オイルでマリネしてオイルサーディンのようにしたサバと、マヨネーズであえて尖りを取ったタマネギの千切りのさわやかなバランスとしゃきしゃき感。
そこへルッコラではなく香草を、みずみずしくもスパイシーに香らせる。
すべてがネクストレベルで活きているのはパンのクオリティゆえ。
ほの甘いのに味わいの白さと類い稀な透明感があり、食感はくねくねとしなやかで、歯切れが軽やかで、口溶けがすばらしい。
パンオレのようにも思われたがもっと具材を引き立てる、白さ清らかさはなんなのだろうと思ったら、豆乳のパンだった。
サバの脂のぎとついた旨味を、パンの繊細さで引き受けるのだ。

住宅街としては異常な突出ぶりと思える品揃えへと、店主の川本宗一郎さんを駆り立てるものはなにか。

「他でやってることやりたくない。
自分しかできないパンをやりたい。
だけど、ベースはきちんとして、配合とか製法を変える。
基本は変えたくない。
変えると楽なんですよ。
いっしょにしたら他の店との競争にさらされる。
『これがうちのです』っていう個性は変なもののほうが出やすい。
プロなのでそれは恥ずかしい。
たとえばクリームパンでも、丸くして、かわいい飾りを上につけたのとかありますけど、そういうのは作りたくない。
クリームパンがグローブ型なのは、カットを入れることに意味があるからだと思う。
クリームから蒸気が出きたとき、穴がないと生地がふくらんで空洞ができる。
だからうちはグローブ型ではないけど、カットを入れています。
付加価値をつければ値段は取りやすくなるけど、パンというのは実は完成されたものが多い」

「流行っているから」「目新しいから」というやたらな安易さとは無縁である。
一本筋が通っているために「そうきたか」「わかっている」と思わせ、フレンチレストランや有名スイーツ店にありそうでなさそうな新趣向が思わず手を取らせる。
そして食べてみて、具材の新しい取り合わせを支えているのは、実はパンのおいしさなのだとわかる。

「ゴボウのカンパーニュは、ごぼうの素揚げとひじきを入れて食物繊維を取れるようにしてます。
そば屋でゴボウの天ぷら食べて、ゴボウは香りの野菜なんだって気づいた。
和菓子でみそ餡とゴボウを合わせたのがありますが(菱はなびら餅)、和菓子の世界はすごいなと思いますね。
それから、冬瓜のデニッシュをやったり、イチゴのデニッシュにはバルサミコソースを合わせたり。
料理人からしたら普通だけど、パン屋はやらない。
他の業種から学ぶことはすごく多いですよね。
『料理通信』読んでこれは使えるな、とか。
ジャスミンティーで仕込んだドライマンゴーのパンは裏のテーマが台湾。
スモークサーモンのサンドイッチはクリームチーズというのが定番だけど、うちはサワークリームだったり。
ちがう答えってないの? といつも思う。
ひーひー言って新作を考えてます。
僕はひねくれてる。
食べることが好きな人にうちを使ってもらえれば。
1週間に1度あそこ行くとおもしろいことあるよね、と」

合鴨とカブのサンド バルサミコソース(420円)
この小さめのバゲットが、カスクルートにこの上もなくもってこいなのである。
ほのかな、ごくほのかな甘さと、ぱりぱりしていて、けれど皮が薄くて歯切れよく、クープもないために、至って食べやすい。
鴨のぷるぷる感。
上品な脂の甘さが静かにのびていく。
カブの味わいの主張がないところ、みずみずしい感じ、しゃきしゃき感は鴨との組み合わせとして新しく、あらかじめはさみ込まれた箸休めとでもいうべきか。
バルサミコのほんのり加減、やわらかな酸味と甘さが、サンドイッチ全体に雰囲気を与えている。

サイクルキャップをかぶって仕事をする。
店は自転車趣味で統一され、サイクリストの立ち寄りスポットになっている。
「うちの店は自転車好きに認知されてまして。
自転車レースにちなんだパンを出しています。
5月はイタリアで大きなレース(ジロ・デ・イタリア)があるのでイタリアのパン。
7月(ツール・ド・フランス)はフランスのパン。
9月(ブエルタ・ア・エスパーニャ)はスペインのパン。
春はクラシックレースといって、町の中の石畳を走るレースがあるので、いろんなパヴェ(=石畳の形にちなんだ四角いパン)を作って並べています」

残念ながら今年は時期を逃してしまったが、私もパヴェの石畳を走り抜けてみたいと思う。
本当にパンを知っていて、世界を知っている人だから、遊びがツボを突く。
冷蔵ケースだけでただならぬものを感じていたが、実は川本さんは生後数ヶ月のときから世界を股にかけて食べ歩いている人だった。

「生まれたばかりでブラジルに引っ越しました。
いまでもポンデケージョ食べるとなんかもやもやする。
たぶん食べた記憶が無意識のうちにあるんでしょうね。
9歳〜12歳はパリにいた。
それがパンの道に入ったことに影響してると思います。
当時は80年代だったので、冷蔵長時間のバゲットが流行る前。
だから、軽いんですね。
さんざん食べたので、そういうのをいまでもおいしいと思ってるし。
バゲットを、こんなちっちゃい紙で手で持つとこだけ巻いてお客さんに渡すんですよね。
エレベーターに乗るときドアにぶつかって、それをいいことに家に着く前に齧ったり。
日本に帰ってギャップがあった。
池袋のフォション、ルノートルだいぶちがうぞ。
食い意地が張ってて、旅行の記憶がぜんぶ食べ物。
子供の頃オランダに旅行したことあるんですが、アンネの家は覚えてないけど、その近所にあったクレープ屋でクリームとシロップたっぷりのクレープ食べたのは覚えてる(笑)」

全盛期のルノートルが物足りなかった恐るべき子供は、長じてパン屋になり、練馬の片隅で黙々とパンを作りながらも、世界のパンのことを考えている。

「日本のパン屋さんはみんなきれいに作っていますよね。
Facebookで外国のパン屋さんを見ると、びっくりしちゃって。
躍動感がある。
小麦畑にぼーんとパンが置いてある写真見て、ショックだった。
技術的なものはヨーロッパにほぼ追いついた。
でも、パンは日本にもともとなかったものなんで、魂的なものはまだまだ追いついていない。
畳敷きでちゃぶ台でごはんを食べる風景って子供の頃はまだあったと思います。
そこからここまできたんだから、日本人はすごいけど。
味覚って育ちが影響しますからね。
いまなんて3歳の子がうちで買ったタルトフランベ食べてる(笑)。
そんな子がパン屋になる時代きたらすごいんだけど。
いま中国がパリを完全コピーした町を作ったの見てみんな笑ってますが、パン屋の現状はそれに近い。
ヨーロッパとなんでもいっしょがいいというのは、20世紀な感じがする。
パン屋さんって、意外とパンについて深く考えてない。
いまみたいに物まねしてるだけだったら、一生同じことをつづけて終わっちゃう。
パン屋って毎日たんたんと同じことやってる。
だけど、日本のどこでパン屋やっても可能性は広がってるんですよ。
可能性を考えるの楽しい。
みんながパン買って食べるのが楽しみになることはなんだろう。
食事をみんなでするのが楽しいと思えるようになったら満たされる感が出てくる」

川本さんの考えは、商売目線ではなく、どこまでも食いしん坊目線である。
おいしいものを食べたとき、あらゆることを忘れさせ、頭の中が幸福感で満たされるあの感じは、とてつもなく貪欲で節操もなく国境を飛び越える。
おいしければどこの国の料理でもいいし、おいしいものさえ作ればどこの国の人にも理解されるはずだ。
たしかに、食べ物を作る仕事は、ここにこなければ食べられないという意味でごくごく局所的でローカルだが、作り手から食べ手へ受け渡されるものは、他の芸術と同じように普遍的なのである。
それゆえに、川本さんはもやもやしている。

「いまぜんぶチェーン店に飲まれて、個人店がなくなっていく。
うちでも総菜屋さんのチャーシューかってチャーシュー入りのパン出して、総菜屋さんのほうでもシチューのパンを出していたことがありました。
地域のものを使って、つながっていきたい。
地域ぜんぶが素敵になったらいい。
パンは脇役なんで、おいしいものもあったらいい。
おいしい魚屋さん、おいしい肉屋さん。
個人でがんばってる店1ダース集めたら町の価値上がる」

特別ではないここにいても世界レベルのおいしいものはいくらでも食べられる。
その潜在的な可能性をジャンゴは発掘しようとしている。
練馬に住んでいた私にも驚きだったのだが、実は練馬では小麦も生産されている。
その小麦を100%で使ったパンを試作したり。
あるいは江古田ミツバチ・プロジェクトと称し、武蔵大学の屋上に巣箱を置いてはちみつを作る試みに参加し、「江古田はちみつ」を使ったパンを作っている。

アマンド(150円)
ふわふわの食感でやさしい甘さが表現される。
コッペ型に作られたパンは実は帽子パンで、アーモンドパウダー入りのケーキ生地をパンの上に流してコーティングされている。
パンではないようなしっとりむにゅむにゅの食感と、子供が大よろこびするような甘さ。
そこにエッジを持ち込む小さな野生。
「江古田はちみつ」には本物ならではのつんとくるような花粉感覚があって、そのよろこびをマスカルポーネの酸味が強調して、甘さといっしょに喉をひりひりさせる。

とんでもなくおいしいもの、夢中になれるほどおいしいものの潜在的可能性はまだまだ私たちのすぐ目の前にあって、まだ気づかれていない。
それをみんなで共有できたとき、地域の中でのパン屋の役割はいまより大きなものになっているだろう。
朝食やおやつで食べるパンばかりではなく、夕食のときや特別な食卓にパンが上るようになればおもしろいことになる。

「お客さんみんながサンドイッチ作ればいいと思うんですよ。
スーパーでミックス野菜買って、マヨネーズ塗って。
うちでは3種類のハムを2枚ずつパックにしたのを売ってます。
3種類もハム集めるのたいへんでしょ。
これ買えばご自宅でいろんなサンドイッチ作れますから。
あとは、鶏でも豚でもなんでもいいから挽肉を買って、ハンバーグにしてはさんだら誰でもおいしのできます。
パンの上に野菜をのせて、いちばん上にハンバーグのせたら、どこのご家庭でもドレッシングってあると思うんで、それをかける。
汁気が出るのでおいしくなる。
手が汚れるけど、それがおいしい。
汁気があるサンドイッチは(パンがふやけるので)パン屋ではできないですから。
鶏を焼いたりなんでもいいと思うんですよ。
商店街行って、そのあとでうちに寄ってほしい。
おかずとパンを食卓に出しといて、手巻き寿司みたいな感覚で、みんなはさんで食べれば、奥さんも楽だと思うんですよ。
あと、みんなピクニックやったらいいのになーと思う。
遠くのきれいな公園まで行かなくても、光が丘公園でいいんですよ。
いまはコンビニどこでもあるから、なんでも買える。
酒屋でワインの小びん買って、そのときおいしいパンがあれば、ピクニックのレベルがぐんと上がる」

川本さんはパンの食べ方を語りはじめ、とどまることを知らなかった。
脳の中では、おいしいものを食べたときと同じ、ドーパミンかなにかの脳内物質がきっと出っぱなしになっていたはずだ。
おそらくこんな勢いで、どのサンドイッチも、どの新作パンも夢想しているのだろう。(池田浩明)

西武池袋線 江古田駅 / 西武有楽町線 新桜台駅
03-3994-7800
9:00〜19:00
月曜、第1・3・5火曜休み




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