パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
パンデュース(本町)
第5軒目(関西の200軒を巡る冒険)

衝撃とは、予想をはるかに超えるレベルでなにかに出会うとき、訪れるものだ。
パンデュースのそれは、多種多様なパンであふれかえる、その様にある。
どれもこれもオリジナル、しかも一度は食べてみたいものばかり。
いくつかのパンを買って店を出たあとで、なぜあれを買わなかったのか、これを買わなかったのか、と後悔した。
すぐ近くに住んでいたとしても、この店のパンを食べ尽くすことは決してできないのではないか。

パンデュースの印象とは、いわば、おもちゃ屋に一歩足を踏み入れたときの感覚に近い。
天井まで商品を積んだ小さなおもちゃ屋のそれに。
楽しさの雪崩が頭上に崩れ落ちてくるようなにぎやかさなのだ。

米山雅彦シェフが語る、開店の経緯はこのようなものだ。
「このビルのオーナーとうちのオーナーとが以前から親しくて。
『フロアが空いてるから、パン屋にしたらおもしろいんちゃう?
実際にやらんでもいいから、厨房だけ作ってくれへんか』と。
流れで、自分がやることになった。
すっごい安易なスタート(笑)。
自分でシチュエーションを作って、商品を作るタイプ。
『子供が自転車乗りながら食べる、長いパン』とか。
パンデュースという名前は、コムシノワの西川シェフがつけた。
パンとプロデュースをくっつけて。
パンのいままでにない可能性を広げられる店。
自由なシチュエーションで食べられたら、と」

のせる、混ぜ込む、包む、塗る、しぼる…。
パンと食材の出会い方は自由自在。
新しいパンの無限増殖。

「おもしろがってやったのがよかった。
おっぱいパンとか、タコ、イカ。
バゲット、パン・オ・ルヴァンをちゃんと作ってあれば、タコ・イカあってもええやろ。
その幅がパンデュース。
遊んでるな、と思ってもらえるような、その余裕があればいいなと」

「パンデュースという名前に、ブーランジェリーとかつけてない。
どっかの国のスタイルを真似しようとも、表現しようとも思ってない。
ぜんぶ国内産の小麦粉・全粒粉・ライ麦粉で作ってます。
フランスのバゲットはこうあるべきとかいうよりも、日本人が生活に取り入れやすいスタイルがあると思う。
日本人はもっちりして甘みがあるパンが好き。
ごはん文化の流れがあるんだろうな」

「僕とスーシェフ1人、表で接客してる子(村瀬さん)4人でスタートした店。
コムシノワで働いていた、村瀬の感覚をすごく信用してて。
試作したものを食べさせて、その子がいいと言ったらよろこんで出す(笑)。
基本は、表の子たちがいいって言っているものの中から選ぶ。
みんなパンデュースが好きな子たち。
パンデュースの客層にどんぴしゃの子ら。
彼女たちの反応を見て。
みんなに、これいくらか言わせる。
職人さんはノーって言いにくい。
反対意見は言いにくい。
表の子はなんでも言う。
平気でダメ出ししてくる(笑)。
オフィス街なのでいろんな人がいます。
20代後半〜30代。
食パンは出ないです」

みんなで作る店。
引っ張っているのは米山シェフだが、お客さんに受けるか受けないかで、増殖の方向性は柔軟に軌道修正する。
にぎやかで、しなやか。
それは厨房を見せてもらったとき、確かな印象となった。
棚の上にたくさんのパンがひしめくように、厨房の中にも若い職人たちがぎゅうぎゅう詰めになって、パンを作っている。
米山さんを中心にしばしば笑いが起き、とても楽しそうだ。

ブロッコリーのフォカッチャ(150円)
村瀬さんがすすめてくれたパン。
私はブロッコリーが実は苦手なのだが、これはブロッコリーの中のおだやかな甘さだけ、うまく引き出されている。
味わいはごく透明。
そして塩がすばらしい。
ブロッコリーから滲みだす塩味が生地の中へまだらに浸透することで、あっさりした部分と、強く輝く部分ができあがる。
そして、類い稀な食感。
歯を当てるとさわさわと勝手に歯切れていく。
しかも、しっとりしていて、ねちっと伸びるようでもある。
むちむちでぷるぷるとした歯応えは、パンを噛み破ることが無数の気泡を噛み潰していく複雑な体験であることを語る。

「僕は大事なのは食感だと思ってるんです。
さくさくもあれば、ふわっとも、もちっともある。
歯がどう入っていくか」

パンデュースの自由、楽しさ。
それはかって在籍したコムシノワを引き継ぎ、発展させたものだ。

「コムシノワには6年ぐらいいました。
いちばんいい時期で、ちっちゃい店から大きい店に移転する立ち上げも経験させてもらいました。
西川功晃シェフ(現サ・マーシュ)は『師弟じゃないよね』って、パートナーみたいな言い方してくれた。
ありがたい。
気を使わない関係性。
そういう人。
いたらなんぼでも勉強になる。
オーナーである、フレンチの荘司索さんも大尊敬してる方。
2人とも感性がすばらしい。
コムシノワにいたら2人を絶対超えられない。
育ててもらったのに申し訳ないんですけど」

「西川シェフに拾ってもらった。
感性、自由なんですよね。
この世界に入るときは技術がすべてだと思ってたけど、西川シェフは製パン理論ばかりを重視してるわけでもない。
感覚的に自由に作っておいしいパン。
なにが作りたいかイメージを持って、それを自由に作れる。
イメージから逆算して作れるだけの技術があればいい。
技術がおいしいものを作るんじゃない。
イメージや自由な発想がおいしいものを生み出す。
作り方は自由。
技術より必要なものがある。
それが若い頃はわかってなかった。
西川シェフは技術もあるが、それで自由に作れるのは天才。
僕は技術がしがらみになってたので、コムシノワに入ったのはよかった。
めちゃめちゃ厳しかったですけど、職人としてすごく尊敬してるから苦じゃなかった。
なにかがはまったんでしょうね。
体はしんどかったけど、合ったんでしょうね。
寝れなかったし、体がふらふら。
でも、楽しかったんやと思います。
西川シェフは日本一のパン職人だと僕は本当に思ってる。
関西のパン屋さんにすごい影響を与えた。
あの人がいなかったら関西のパン業界、何年も遅れてた」

コムシノワを一躍有名にしたのは、色とりどりのフルーツをのせたデニッシュ。
それはまたたくまに全国のパン屋に広まり、いまでは定番のパンとなった。
米山さんはそれを超えるものを作りだそうとした。

「フルーツたくさんのデニッシュはもうやめましょうよ、と。
缶詰を使う店は多いですけど、コムシノワではフレッシュなものをシロップでコンポートしてます。
だけど、いっしょのこといつまでもやってもしょうがない。
野菜でいこか。
野菜の方向行ったのはそこ。
コムシノワの反動ですよね。
有機・無農薬でやっている、山本ファミリー農園さんに連絡して。
最初に送られてきたのはゴボウ。
それだけで作った。
レンコンのパン、ゴボウのパン。
単一の野菜で。
冬は色なんてないが、それでいい。
根菜の季節。
ゆがいた野菜をのせたり、ネギをだーって刻んでのせてネギ焼みたいにしたり。
素材そのまま。
僕は料理ができないから。
結果的にはよかった。
料理ができてたら、僕もかっこつけて、もっと別の表現してたでしょうね。
できるようになっときたかったな(笑)」

お野菜のオープンサンド(300円)
「野菜のたたき」と表現していいかもしれない。
火が入っているようで、生々しさも残されている。
野菜の甘さが引き出されているとともに、かすかにえぐみや苦みも残り、野趣にあふれる。
それを、カボチャを練り込んだぷりぷりの生地の甘さ、トマトソースの甘さ、チーズの甘さで三方からバランスする。
野菜から果汁が滴り落ちる。
ピーマン、パブリカ、ズッキーニ、カボチャ、タマネギ、ブロッコリーにジャガイモ。
それは彩りであり、一口ごとに飛び出してくるさまざまな味覚の回転木馬でもある。

「すごい量の野菜を注文する。
その季節に採れるものをいろいろ送ってきてくれる。
それがうちの店の旬になる。
野菜がなくなったら終わり。
商品は受け身で作っています。
だいたいのパターンはありますけど、アドリブだからしっくりきてないときもある。
お客さんも待ってくれてる。
レンコンにファンがついて、レンコン待ちの人がいてる(笑)。
完成していて毎年同じ表現をするパンもあるし、去年とは違う表現をする時もあります」

一方で、パンデュースのオリジナル商品は、流行に流されていない。
素材からの発想。
作りたいという衝動。
よろこんでもらえるはずだというホスピタリティ。
だから、自由が安易さにも、わがままにもならない。

「おいしいから作るとか、売れそうだから作るとかは関係ない。
そこにストーリーがなかったら意味がない。
店も必要やし、1個1個の商品も必要。
必然性があってこの農家さんが育てたもので、うちが必要性があってやる。
幼稚園の子が食べやすいようなスティック状のパン。
お父さんが疲れ取るためのビールのアテ。
切り口、素材にもストーリーがある」

パンデュースの自由さについてこれまで伝えてきたが、奇を衒うことだけで成功した店ではないと私は思っている。
バゲット、クロワッサンという基本中の基本がおいしい。
こうでなくては、というベースがしっかりしていて、しかも舌に馴染む。
それがなぜなのか、米山さんの話を聞いて納得できた。

「バゲット・バタールとかフランスの名前で出すパンは、ビゴさんのやり方、ルセットを守らないと。
本当のやり方がわからないと、働いている子もかわいそう。
ルセット(レシピ)はビゴさん、カルヴェル先生の伝えた、伝統的な製法。
90分パンチ90分(一次発酵の時間)を守る。
遊ぶところは遊ぶけど、伝統は変えるべきじゃない。
粉は日本のを使う。
そういう表現があってもいいと思っています。
理由は、単純においしい、というのがひとつ。
それから、国内自給率上げるべきということもあります」

バゲット トラディショナル(210円)
伝統的な製法で作られたバゲット。
甘く、軽い香ばしさ。
抵抗しつつ、抵抗しないような心地よい歯応えで、しわしわと押し潰れていく。
皮からセレアルな風味が広がり、やがて発酵の香りの逆襲に遭う。
それは、甘く、おだやかで、フェロモンのようだ。
かりかりの皮と対称的に、中身はふわふわで、舌触りはなめらか。
酵母の香りが主張するゆえに、まとまりきらず、癖になる。

フランス産小麦があこがれの味、背伸びした味だとしたら、国産小麦はやさしさが体に滲みこんでくるような味。
だが、大手製粉会社の小麦粉のように品質が一定ではないために技術が必要とされ、コストも高い。

「はるゆたか、春よ恋。
春小麦が好きで、メインで使ってきた。
国産小麦は、(時期によって)取れなかったり、高かったり。
はるゆたかを作っている、北海道の農家さんに会って、話を聞いた。
きちっと考えられてる人だった。
『僕も一生懸命作ります』と言って、腹決めて帰ってきた。
ところが、はるゆたか、春よ恋の生産が減って、今後は、ゆめちからが(北海道のパン用小麦の生産量の6割になると。
ゆめちからがおいしいと思ってない。
国産のうまさがぜんぜん飛んでる。
はるゆたか、春よ恋のほうがぜんぜんうまいのに。
いったいどこいくねん。
はるゆたかが好きでいままで作ってた農家さんへの方向性を示さんと」

ゆめちからとは、北米産小麦のようにタンパク量が多い品種である。
従来、国産小麦では不可能とされていた、ふわっとしたパンが作れるために、業界を挙げて、普及させようとしている。
たしかに誰にでも作りやすい小麦だが、国産らしい味わいはその分なくなっていると、米山シェフは判断している。
ゆめちからへの転換は、従来の国産小麦に惚れ込み、こだわってきた、生産者、パン屋に少なからぬ影響を与える。

「いまは、パン屋さんが作りやすいものがいいとされる時代。
工業生産化が発達しすぎて、作りやすい方向に人や物が動いている。
国産小麦がおいしいと思うかどうかは人それぞれだけど、生産性ではなくて、おいしさを基準に考えるべき。
うちは吸水の多い、やわらかい生地。
よそからきた子、手こずる。
生地を締めずに口溶けをよくしてという考え方。
そこに作りやすさは考えない。
作業性は考えるが、おいしさを基準に考えないと」

手間がかかり、技術が要求される。
ハードルは高いけれど、クオリティも体への安全も高まるのなら、どんな苦労も厭わないのが職人魂である。
パンデュースというポップな装いの内で、米山シェフはそれを濃厚に持ち合わせている。

「外国の小麦はポストハーベスト(輸送時に船中で散布される農薬)の問題があり、全粒粉の場合、残留農薬が皮についたままになる。
焼けば飛ぶのかもしれないし、反対に安全安心を謳う気持ちもないが、普通にすっと食べることができない。
身内に食べさすなら、農薬かかってたらいややな、と思ってしまう。
国産が広まるべきやと思う。
人として、作り手の顔が見えるほうがいい。
熊本県に東さんという有機無農薬で小麦を作っている農家さんがいて、自宅横にある古い木の製粉機で挽いている。
そこのミナミノカオリの全粒粉を使わせてもらっていますが、高価なのですべてのパンに使えるわけではなく、全粒粉100%で作った『ミナミちゃん』というパンと、ルヴァン種にだけ使っています。
どこで取れたかわからんのよりいい。
おいしいと思って作ってますけど、ストーリーがある」

パン職人とは、もの作りとビジネスの狭間で揺れる存在なのだ。
懸命に作れば作るほど、得てして労働は長時間に及び、金銭的にも報われない。
その矛盾を解決するためのチャレンジが、10月31日に予定されている、JR大阪駅への新店のオープン(桜橋口改札横[エキマルシェ大阪]「de tout Painduce」[デ トゥット パンデュース])のオープンである。
人通りの多いところへ出店し、同じクオリティのものをより多く売ることで、従業員に利益を還元したいと考えている。
だが、その結論に達するまでに、米山さんは悩みに悩んだ。

「人として、職人さんが幸せに生きていくには、規模が要る。
ビジネスをやりたくてパンデュースはじめたわけではない。
職人としての感覚を証明したくてやった。
でも、それだけでは、生き残っていけない。
新店を出そうと思ったら、従業員がいまの倍、必要。
だけど、それを短期間で育てるのも無理やし。
西山さん(ル・プチメック)とずっと電話してて泣きそうになった。
どうしようどうしようって言うてたら、最後、西山さんが『やりーな』。
(翌日が結論をJR側に伝える日で、)JRの人待たせて話してた。
NOという話を西山さんとしてたのに、次の日『やります』言うた。
大きいお金が動かんと、労働環境もよくならない。
8時間労働とは言わないが、職人としてのよろこびを感じられる仕事、人として生きていける保証。
それを実現するいいチャンス。
お金を儲けるなら、セントラル工場で冷凍生地を作って、運ぶスタイル。
駅の中の店に厨房作るなんて、ビジネスとしては、いちばんやったら駄目なこと。
それでも、パン屋さんがちゃんとそこで焼いた、あったかいパンを出したい。
ターミナルで粉まみれになって、職人さんが必死に焼いてる姿が見れる。
それが駅ナカに、しかも大阪駅にあったら、個人のパン屋さんの可能性が広がる。
大手さんの方向を目指してもしょうがない。
体動かして、大手にないクオリティを目指していく。
パン屋になろうという夢を持つ子が増える。
それが僕らの世代のやること」

パンデュースのスタイルとは、多品種のパンを、素材にこだわり、すべてハンドメイドで作ることだ。
そのスタイルを、大阪駅という特別なステージで維持できるのか。
あきれるほど客が訪れ、その中には単に無雑作にパンを求めるだけで、パンデュースの価値を特別に認めているわけでもない人がたくさん含まれるはずなのだ。
それでもパンデュースらしい、まっとうで楽しいパンを提供できるのか。
手間と情熱と技術とアイデア、つまり職人魂がいままで以上に要求されるだろう。
応援したい。
チャレンジが成功すれば、シーンを動かすことができる。(池田浩明)

大阪市営地下鉄 御堂筋線・中央線・四つ橋線 本町駅
06-6205-7720
8:00〜19:00(土祝は〜18:00)
日曜休




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フール・ドゥ・アッシュ(本町)
第4軒目(関西の200軒を巡る冒険)

関西では、町を行き交う人びとも、色とりどりの服を着て個性的だと、旅行者の目に映る。
パンも然り。
あらゆるパンが強く個性を発する。
たとえバゲットのようなシンプルなパンであってさえ。
だから、フール・ドゥ・アッシュにくると、大阪にきた、という思いを強くする。

それは、オーナーシェフの天野尚道さんが、パティシエからパンを作る道に入ってきた人だということも関係があるのかもしれない。

「基本的に自分がパン職人だと思っていません。
パンだけではなく、焼菓子、生菓子まで出したいが、手が回らなくて、パンだけをやっています。
個性というのは、たとえば菓子職人がパンを作るなら、フルーツのせたりすることだと誤解されます。
そうではなく、菓子屋の組み立てでパンを作ること。
バランスを取るために引き算するのではなく、生地に対してなにかを入れてバランスを取る」

「黒豆とフランボワーズがその例。
奇をてらったわけでもなんでもなく、自分のイメージで、菓子屋の組み立てをしていった結果です。
なぜ黒豆なのかというと、口の中で残る最後の香りがフランボワーズと似てたから。
生地にフランボワーズの果汁を練り込んで、黒豆とドライのフランボワーズも入れて、切れ目にフランボワーズジャムを入れて補強する。
それは菓子屋の手法。
パン屋としては、あくが強いとか、個性的ということになるけど、お菓子では普通のことです。
ひとつの食材をいろいろなパートで補強することによって複雑にする方法です」

黒豆とフランボワーズ(190円)
パン生地から滲みだすフランボワーズと、表面に塗られたジャムから輝き出すフランボワーズとはまったくちがうものだ。
生地に練り込まれたほうはパンと一体になってあたたかくおだやか。
ジャムは尖った酸味が予定調和に裂け目を作り出す。
フランボワーズの眩さでコーティングされた黒豆の慎み深い甘さ。
しかし、噛みしめていくと、ワインレッドの甘さという1点で両者は重なり合う。

まったく同じ味を、別の処理、別の角度から同時に投じられると舌が攪乱され、快感に幻惑される。
シンプルなものの強さと、複雑なものの奥深さを同居させることができる。

「たとえばオレンジエピなら、生地の中にオレンジのペーストを練り込み、オレンジのスライスのコンフィを中に入れて、それをエピにして焼く。
自分のイメージでは、夏のオレンジ。
オレンジの匂いのするグラン・マニエ(オレンジのリキュール)を塗ってあります。
パンは生地が強くて、他の素材が負けちゃう。
いろんな部分で補強をします」

優秀なブーランジェにパティシエ出身者は多い。
調理の技法についてより多くを学ぶにとどまらない。
天野さんは名店イル・プルー・シュル・ラ・セーヌにおける修業で、味覚に対する感性そのものを磨いた。

「人間の舌を研ぎすませていくと、砂糖の1グラム、2グラムまでわかるようになる。
いろいろなものを食べると、舌が麻痺してしまう。
自分の作ってるお菓子以外を食べない生活をしていました。
水以外は口にしない。
ものすごくはっきりと味がわかる。
一生のうち一回やると勉強になる。
研ぎすまされて、砂糖のひと粒ふた粒がわかる。
それでわかっても、他のものを食べるとまたぼやけてくる。
だけど、パンはもう少しおおらかな気持ちで作ったほうが、いいものができる。
素材の力にまかせてみようか、というような。
以前は、素材をねじ伏せようと思っていました。
そうじゃないほうがいいのかな。
パンとお菓子は同じ気持ちでは作れない」

パティシエがオーナーシェフを務めるフール・ドゥ・アッシュはいわゆるブーランジュリーではないのだろう。
あふれるほどにパンを置くパティスリーといったほうが、天野さんが抱くイメージを言い表しているのではないだろうか。

「フランスのパティスリーには、ヴィエノワズリー、バゲットが置いてある。
自分の店をはじめるときは、それをやってみたかった。
お菓子屋のパンはたいしたことがないと言われる。
パンもお菓子もしっかりしたものをやりたい。
パンもしっかり勉強しなければと思ってやり直した。
最初はお菓子も出す予定でしたが、オープン前にショックフリーザー(急速冷却器)が故障して、パンと焼菓子だけのスタートになりました。
それがよかったのか悪かったのかわかりません」

エリックカイザージャポンが設立される以前、カイザーと業務提携していた西宮のブーランジュリー・イブーに勤め、パン作りに触れた。
「菓子職人なんで、パンの作り方は自分のやり方以外ほとんど知りません。
メゾンカイザーしか知らない。
それが基礎です。
メゾンカイザーでやってたとき、パンがおいしかった。
こういうのが自分で作れるなら、という思いでカイザーでパン作りを学びました」

パリ左岸、1日2000本ものバゲットが売れる、メゾン・カイザーの本店で修行を積んだ。

「モンジュ通りのカイザーに行った。
フランス人って、こんなにがむしゃらに働くんだ、と。
僕らは時間が決まってないので20時間とか働きますけど、彼らは8、9時間で終わらせないといけない。
だから、ものすごくがむしゃらにやる。
それが意外でした。
雑に見えるし、いい加減に見える。
いまから考えたら、おおらかにやってたんだな、素材の力にまかせてたんだなと思います。
フランスには、粉だけでなく、いいものばかり揃ってる。
それがうらやましかった」

フランスという衝撃。
そこから目を逸らすことなく、フランスで感じたエッセンスを胸に刻んでパンを作る人だと思う。

「いま使ってるのも、フランス産の粉ですが、当時使っていたものとちがう。
バゲットは100%でなくてもいいから、フランスの粉を使うのが必然だと思います。
理念の問題。
中力の小麦しか育たない土地でパンを作ってるうちに、バゲットができた。
だから、カナダ産のバゲットの粉(いわゆるフランスパン専用粉)にはすごく抵抗がある。
アルカンのフランス産のTYPE110を使って、国産の粉をまぜて。
ルヴァンリキッド(液体の自家製酵母)を使って、あとは塩とイースト。
吸水は多い。
70%ぐらいが普通かと思いますが、うちは90%にしている。
口溶けというか、中身の食感がいいなと思ってそうしています。
オーバーナイトすると、皮が分厚くなる。
厚くて硬いが、水分の多い作り方に独特の身があるといい。
フランス産の粉もいろいろ試しましたが、アルカンさんの輸入している粉がいちばんよかった。
単体だと雑味が多すぎる気がして、国産の粉を混ぜてやわらげています。
それはたまたまで、国産にこだわっているわけではありませんが、アメリカ産、カナダ産に比べて、混ぜたときに、薄くする=水っぽくするっていう意味じゃなく、コクのある薄さになる。
濃すぎると、エグくなる。
2つの小麦粉は相性がよかったんだと思います」

バゲット・アンシェンヌ(300円)
濃厚さの嵐。
小麦の甘さとルヴァンの風味が相まって醤油に似ているとすら感じられる。
香りが残る石臼挽き、かつ小麦の粒の外側までミネラルの濃い小麦であることが、この濃厚さにつながっている。
豊かな甘さの中で、セレアル感や香ばしさがじょじょにはっきりとしてきて、最後はまろやかさの増した濃厚さがまた回帰してくる。
皮は頑丈で苦みも雑味も含みこれも豊潤。
中身の食感はキレのあるもちもち。

「ごく単純ですが、すべてのものに対して、フランス的であること、それがいちばん大事。
僕ら日本人なんで、経験して叩き込んできたフランスが、だんだんぼやける。
呪文のように『これはフランス的なのか?』いつも唱えています。
フランス人も日本人も何千年のDNA受け継いできた。
ついつい日本人なので、甘いといえば砂糖を減らすのが日本人。
他のどれを足してバランス取るのかを考えるのが、フランス人。
つい減らして、はしないように。
味覚の領域がずれてる。
フランス菓子は、甘い、くどいというイメージがある。
いちばん上の領域、複雑で多重的な領域が理解できない。
立体感、多重性が見えてくる。
フランス人には、わびさびというのは、水っぽくて味がしない。
通じている真ん中では理解しているが、上と下では理解できない。
自分も上の部分をと思ってやってます。
きついのはきついですけど、僕らこれを生業に選んだわけですから、好きでやっていることですから、いやいややってない。
お客さん見ると、つい笑顔になる」

フランス的であれ。
天野シェフは理性で自らの日本的感性に命令しつづける。
突き抜けること、一歩も引かないこと。
言い換えれば、新しい味に出会うための勇気なのかもしれない。


ブリオッシュフィユテ(ピスタチオクリーム)(230円)
ブリオッシュ生地にバターを折り込んでフィユタージュ(層を作ること)する離れ業。
ブリオッシュであってデニッシュ。
なんとすばらしいパンだろう。
バターがしゅわっと溶けて、しかもブリオッシュのあたたかい香ばしさもある。
食感でいえば、さくさくにしてぷりぷり。
ピスタチオクリームの思いもかけぬ酸味がさわやかで、クリームが洋酒の香りを華々しくふりまきながらすっと溶けるや、なんとも快い液体に変貌していく。
普段ならひとつの甘さだけで満足してしまうところが、このパンは地平線を突破して、その先にさらなる甘美さを発見させてくれる。

オレンジで統一された店内。
少し見えるどころではなく、パンが並べられたカウンターの、その向こう側にある調理場はフルオープンだ。
そこで見る天野シェフは、大柄で髭を生やしていることも手伝って、仁王立ちという印象を受ける。
どんな時間に行っても天野シェフはいる。
ひたむきに仕事をする姿は、情熱という言葉がぴったりくる。

「オープンキッチンにしたのは、誠実でありたいという思いからです。
自分はなにも隠すことはないし、見られても恥ずかしくない。
直接お客さんに『おいしかった』って言われると、気持ちが奮い立つ。
もっとがんばらないと」

(池田浩明)

フール・ドゥ・アッシュ
大阪市営地下鉄 御堂筋線・中央線・四つ橋線 本町駅/堺筋線 堺筋本町駅
06-6243-1330
10:00〜19:00(土・祝は〜18:00)
10:00〜18:00
月曜・日曜休み




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