パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
アンジェリーナ(氷川台)
169軒目(東京の200軒を巡る冒険)

マリアージュの王。
隅シェフのことを私は心の中でそう呼んでいる。
アンジェリーナの真価は、特にサンドイッチや、デニッシュなどのスイート系で発揮される。
独創的な食材と食材の組み合わせ。
マリアージュはあらゆる角度からやってくる。
クリーム、コンポートの方法、生地に練り込んだり、フレンチの技法を使ったり。
アンジェリーナのパン1個はレストランのひと皿に匹敵する。
皿が運ばれ、香りを嗅ぎ、スプーンですくい、噛み、味わい、付け合わせの野菜と合わせ、ソースと合わせ、飲み込み…。
すぐれたひと皿に、時間軸に沿ったストーリーやドラマがあるように、アンジェリーナのパンは劇的である。

なすとタプナードのサンドイッチ(350円)
タプナードとマリネしたナス。
オイリー+オイリー。
油分で掻き立てるだけ掻き立てた濃厚な風味が舌の上にしたたる。
野菜というにはあまりにも強い甘さを、どこかさわやかに発揮する。
そして、ときどき、これもマリネされたドライトマトが、滲みわたる酸味とまた別角度の濃い甘さを発揮する。
パンにもタマネギが混ぜ込まれ、さらに甘さを重ねる。
野菜のあらゆる甘さに包囲され、味覚の針は振り切れる。

以前、隅シェフに聞いた一言が強烈に耳の奥に残っている。
「みんな、パンおたくすぎないかな?」
パン屋がパン生地ばかりに目を向け、一方でサンドイッチやスイーツ系・惣菜パンのフィリングやスプレッドの組み合わせが旧態依然なことを指している。
長いあいだ、隅シェフは独走状態にあった。
料理、菓子、パン、ワイン…。
食のあらゆるジャンルにこんなにも通暁したパン職人(知識だけでなく作ることができる)を私はあまり知らない。

なぜ隅シェフはオールジャンルの鉄人になりえたのか。
彼のアイデンティティはおそらく、パン屋であるよりも、料理人である。
パン屋を開いたという意識があまりないようなのだ。
料理人としてパンも作り、それがたまたま現在のような形になっただけであると。

「自分がレストランをやろうと思ったとき、パンやケーキを外から買ってくると原価が高くなると考えた。
だったらパンやケーキも自分で作れるようになればいいわけじゃん」

アンジェリーナは、かってカフェを併設した江古田店も擁していた。
それを閉じて以来、ここ数年は、氷川台の本店でパンだけに集中していた。
ところが2012年の3月オープンさせた新店舗に再びカフェをオープン。
数年来の念願がかなって、再び料理の腕もふるうことになった。

「うれしいのは、ディナーもランチもやってること。
サンドイッチも、パニーニ、クロックムッシュとかいろんなメニューがあるし、プラ・ド・ジュール(本日の定食)では肉を焼いたり、煮込みをやったり。
5種類のパンも出してる。
そんなの、自分のところでパンを焼いてるからできること。
普通のレストランではなかなかできない。
だから、お客さんにもすごくよろこんでもらえる。
パン屋だからいろんなパンが食べれるし、デザートだってなにをやったっていいんだよ。
パンを作るときにネタが余ったのを使えばすごくいいのが安くできるんだから。
いまはすごく充実してる。
毎日勉強。
本を読んだり、作ったり、いろんな後輩、料理人を呼んで聞いたり。
フォワグラ、テリーヌ、牛ホホの赤ワイン煮、仔羊のトマト煮…。
オーブンがあるから、パンを焼いたあとの余熱でなんでもできる。
オーブンにぶちこんどけばいいわけだよ」

隅シェフが自分のやりたいこと、いまやっていることをとどめなく語りつづける姿は心底楽しそうだ。
ジャンル横断的にパン・菓子・料理を作ることの効果は計り知れない。

「お客さんが楽しいじゃん。
例えばクリスマスの時期なら、シュトーレン、オードブル、ケーキ、バゲットみたいな食事系のパンを買っていけば、あとはワインを買えばそれで大満足」

「パン屋さんはなんで料理とお菓子に目を向けないんだろう。
料理人はなんでパンやお菓子に目を向けないんだろう
お菓子屋さんはなんでパンと料理に目を向けないんだろう
不思議でしょうがない。
なんでお菓子屋さんはパンをやらないんだろう
イースト以外ぜんぶ材料あるのに。
そう言ったら、発酵をすると冷蔵庫が汚くなるからだって言う(笑)。
フランスに行くと、どこでもヴィエノワズリーやってるのに」

「僕が思うに、パンがまずかったら、料理が木っ端みじんになる。
パンは線でしょ。
オードブルからメインまでずっといっしょにある。
だから、料理人はパンを勉強しないとダメ。
逆に、料理が普通でも、パンがおいしかったらすごく満足するでしょ。
いくらいい料理人でも、それがわかっている人がどれだけいるだろう。
自己満足の自家製酵母のパンを作って、それがすごくまずかったりする。
ぜんぶを台無しにしちゃう」

「お菓子屋さんの後輩には『パンをやれば?』と言っている。
ケーキは1週間に1回しか食べないもの。
お菓子屋さんにはコンベクションオーブンしかないから、それでできるもの、フランスパン、ヴィエノワ、イギリスパンだけやればいい。
パンをやれば、3日に1回お客さんがくるようになる。
そのとき焼菓子もいっしょに買ってくれるんだよ」

「パン屋さんはお菓子と料理をやったほうがいい。
サンドイッチの幅が広がるし、セック(クッキーのような小さい焼菓子)を買いにくるとき、パンも拾ってくれるわけじゃん」

「みんな人手がいないって言い訳をする。
うちの子は、パンもお菓子も料理もサービスもやる。
俺といっしょに肉をおろしたり。
短い時間しか働かないでなにを覚えられる?
仕事が終わったあとの時間なにに使う?
よく言うのは、『おまえら、腕に貯金しろよ』。
仕事が早く終わったって遊びに金を使っちゃうから、貯金ができない。
最初に勤める店がいちばん大事。
そこで楽すると、あとあと体が持たなくなる。
うちの子はみんな独立して店をやるつもりできてる。
オーナーシェフなら10何時間やんなきゃダメ。
オーナーがたるんじゃうと店はダメよ。
そういうのお客さんにわかっちゃう」

隅シェフは名伯楽である。
ブーランジェリー・ベー、ブーランジェリー・プーヴー、薫々堂、Nukumuku…。
アンジェリーナ出身者によるパン屋は、どれも名店ぞろいだ。
どの店もパン自体がおいしいことはもちろん、サンドイッチ、デニッシュ、ブリオッシュ、惣菜パン、そしてクリームパンのカスタードもおいしい。

「ぜんぶあいつらには教えた。
みんなそれだけ仕事をやってた。
だからいま店ができるんだよ。
いつがんばるかだよね。
そのあと、2、3年フランス行ってもいいし、料理関係に行ってもいい。
それが貯金になるんだから。
パンだけを1日中やるより、お菓子仕込んだり、料理やったりしたら、飽きない。
接客もやる。
途中から着替えて、シャンパンやワインをサービスしたり」

「20代でも30代でも年は関係ない。
勉強すればいいんだよ。
自分でパン屋開いて、近くに強力なのできたらどうするの?
うちも近くにスーパーがあって、インストアベーカリーがあるから、食料品といっしょに買物できるなら、そこ行っちゃうでしょ。
みんなパンおたくじゃないから、そんなにパンの味にこだわりがないし。
スーパー行けば食パン1斤98円だけど、うちは280円。
そしたらどこで差別化するの?
いまからもっともっと、これから10年もっと個性を出さなきゃダメ。
レストランががんがん潰れてる世の中だよ」

キャラメルポワール(230円)
洋梨の果汁まで閉じこめたコンポートのみずみずしさ。
さわやかな酸味とクリームの濃厚な甘さとのマリアージュ…という食前の予期を華麗に裏切る。
カスタードはカスタードでも、苦みの強調されたキャラメル味。
それが洋梨の甘さを後押しするとともに、ほろ苦いキャラメルの芳香によって、デニッシュの風味と合体し、香ばしさの透明なドームでフィリング全体を包み込んでしまうかのようだ。
なんと大胆なデニッシュだろう。

「たとえば普通のパン屋さんって、業者さんがもってくるプリンパン、プリンまるごと注文する。
その材料、なんだかんだいって高いし、そういうパンは俺は好きじゃない。
なんで粉とバター持ってるのに、ホワイトソースを自分で作らないんだろう。
うちは季節のスープだってなんだって毎日作ってるし。
なんでも作らなきゃやってられないもん。
牛は作ることできないけどね(笑)」

仕事に対する厳しさは孤高を思わせるが、いつも売り場を覗き、積極的に客に話しかけている。
それを楽しみに立ち寄る人も多いはずだ。
もちろん、客のニーズを汲み取るという積極的なメリットもある。

「すごく大事なこと。
いまの店は厨房から売り場が見れないから余計に。
うちは常連さんがついてくれてるし」

まだ本格的なブーランジュリーが日本に多くなかった1990年代から、アンジェリーナは名店の名をほしいままにしてきた。
それは、オールジャンルにわたる仕事だけが評価されたわけではなく、パンも高いレベルにあるからだ。
パンの極意について隅シェフはこのようにいう。

「パン屋では1種類を仕込むんではなく、生地を何種類も仕込んで焼く。
その順番と、オーブンまでいく工程と、自分の仕事をきちんと組み立てられるかが大事。
たとえば、食パンの分割に、5キロでどれぐらいの時間がかかるか。
自分は何分で終われるか。
クリームパンを何分で包めるか?
6分空いてるから、詰めよう。
そうすれば、仕事がきちっとまわる。
それがいちばん大事」

タイミングよく仕事を終わらせることができれば、効率よくたくさんの仕事をこなせることはいうまでもない。
それは生産量だけではなく味にも関係する。
手早い仕事によって、ベストの発酵状態で次の工程へ進むことができる。

隅シェフは専門学校でも教鞭をとっている。
若い生徒たちによくいうことがある。
「パン屋という大きな幹がある。
パン屋ができなかったら、まず枝からはじめればいい。
お菓子や紅茶、コーヒー、チーズ、ワインという枝もある。
パン屋やるにしても絶対それが役に立つ。
パン屋さんの面接にいったって、パンの専門学校だけじゃなく、ワインの勉強もしましたとなったら、雇いやすい。
いろんなことを勉強していれば、複合的な店を作れる」

幹だけでなく枝も葉もあって木はにぎやかである。
料理やお菓子や酒やお茶とともにあって、パンはおいしそうに見えるし、楽しくなる。
アンジェリーナのように。(池田浩明)

アンジェリーナ
東京メトロ有楽町線・副都心線 氷川台駅
03-3557-1577
9:00〜20:00(土曜・日曜・祝日は8:00〜19:00)
月曜休み(祝日の場合は翌日)




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