パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ル シュクレクール(岸辺)
第6軒目(関西の200軒を巡る冒険)

ル シュクレクールの売り場から厨房を見る。
そこで、岩永歩シェフの鋭い視線に出会った。
こういう目をどこかで見たような気がする。
一流の芸術家やスポーツ選手のような、精神的な葛藤を孤独につづけてきた人は、えてしてこうした目をしているものだ。
と、勝手な思いを抱いたのは、私が岩永シェフのブログの読者であるからだろうか。
彼のブログの過去記事には、修行時代の努力と苦悩が書き綴られている。
パンとは何か。
自分の作るべきパンとは何なのか。
心の中で湧きあがる疑問にどうしても答えを見つけられなかったという。

「僕は専門学校も行ってない。
高校出るまで、野球しかしてこなかった。
ステップ踏むべきところを、踏んでなかったというコンプレックスがありました。
でも、勉強してないからじゃないわ、と気づいた。
正しいことがわからないからなんだ」

「(フレンチレストランに勤務して)料理はやってましたから、そこにパンという受け皿がないことに気づいていました。
お皿がないと料理も映えないのとおなじで、きちんとしたパンがないと料理が映えない。
パン職人になって最初の数年間は、半年に1回ぐらい店を変わってました。
どこの店にいっても、『パンはこうだ』ってみんな言うけど、ばらばらのことにしかならない。
誰も軸を持ってなかったんですよね。
一体パンってなんなんだろう。
それがわからないままだった。
解決するためには、向こうに行かなきゃ」

独立前、巡ったさまざまな職場の中には、ブルディガラなど名店もあった。
それでもつかめなかった、「パンとは何か」。
誰もが脳裏に萌すその疑問に安易な解決を与えず、苦悩の中に踏みとどまることが、むしろ岩永さんの非凡さだったのだろう。
いまはなきブーランジュリー イブーに勤めたとき、そこで出会ったエリック・カイザーのパン作りに衝撃を受け、渡仏を決意した。

「何がパンなのか。
それを探しにいきました。
フランスの空気を体中の毛穴から吸い込むことと、地肌に擦り込むこと。
まず見ること。
技術だったり、ルセットだったり。
フランス人はバカだからいろんなことをできない。
同じことばっかりやる。
できないから、できちゃう。
反対に日本人はいろんなことできちゃうから、(本物のパンが)できないんだ。
日本人って器用なんで、(本質が)わからなくても6割程度ではできる。
6割しか作れてないところで得たものを、『こうなんだ』みたいに語りだす。
『フランスはこうだ』とか。
いまのパリのパンにも、そうなった経緯があり、流れがある。
表面だけ見て、パンを語るのは安直だと思う。
パン業界に、誰も本質に踏み込んだ人間がいなかった。
業界への憂い、不満が自分の中に渦巻いていた。
苦しくても、誰かが変えなきゃいけない。
かわいいお店だったり、雑貨屋みたいだったり、パン屋はスタイルばかりが先行している。
だけど、踏みにじったらいけない領域ってあると思う」

情熱ゆえに、日本のパン業界の現状について、ときに激しい言葉が飛ぶ。
あんぱんはパンなのか。
カレーパンはパンなのか。
フランスパンを日本人の味覚で拡大解釈し、副素材を入れ、レシピを変える。
日本のパン、イギリス・アメリカのパン、ドイツパンと、ミックスして売り場に置く。
パンの伝統に流行のスタイルを接ぎ木する。
にもかかわらず「ブーランジュリー」を名乗ることは、フランス文化の冒涜につながらないか。
岩永歩の思考はいつも根本に立ち返る。

「ブール(球体=地球=命の源)の語源をわからずに、ブーランジュリーという名をつけてる。
ブーランジュリーって時流の言葉じゃない。
文化をお借りしている責任を、安易に背負ったらいけない。
作り手がどうあるべきかという姿勢。
職業というのはひとつの人種だと思います。
ものを作るときの思考がそれぞれちがう。
ブーランジェ(パン職人)はどういう思考で仕事に臨むのか。
それをフランスまで覗きにいかなきゃいけないと思った。
日本人に合わせてパンを作るというのは言い訳に過ぎない」

「おまえは何者か?」
シャルル・ド・ゴール空港に着き、フランスの土を踏んだ岩永さんは、その問いをフランスに突きつけられたような気がしたのだという。

「フランスに行って最初に問いかけられたのが、人としての骨格がなかったということ。
それが、『おまえはなにをやってるんだ』と言われても、答えられるようになった。
フランスは個人主義の国なので、みんなが自分の仕事に過度な自覚を持っている。
掃除のおじさんも、現金輸送車で現金を運んでいる人も。
それを見て、問いかけられた。
その人たちの生活を見てたら、答えられるようになりました。
人としての問題。
仕事そのものがまったくちがっている。
ちいさなものをちまちま作る日本人と、大きなものを作るフランス人はぜんぜんちがう」

自分は何者なのか。
フランスという異国に放り出されると、日本語も、習慣も、知人もすべて失って、アイデンティティの危機にさらされる。
1日最大2000本ものバゲットを作るメゾン・カイザー本店で、毎日無心で働きつづけ、身体で感じ、なにかを刻み付け、そして答えを得た。
「私はブーランジェである」。
ブーランジェという仕事そのものが人に強いる思考や論理。
それを突き詰め、そこから逃げず、それを誇りとして人生と向き合っていこうと決意した。

「僕が見つけたパンってなんなんだ。
自由で楽しいもんだって、はじめて気づきました。
もっとおおらかに、パンという生き物と対峙しないと。
自分がいて、表現がいて、その間に技術がある。
日本人は技術から表現をしている気がする。
日本ではパンに方程式があるかのような教え方をする。
パン職人であるためには表現者である必要があるのに、いまの考え方は、妨げを作っている」
日本のパン職人たちは、個人的な衝動やイメージからではなく、小手先のテクニックだけでパンを作っているのではないかと、岩永シェフは危惧する。

「パン作りは楽しいよ。
パンを作るのは生き物の世話だから、相手がある仕事。
自分の思い通りにはいかない。
それが嫌なら粘土でやればいい。
一方通行の意志ではうまくいかない。
手のひらの上は意志、下はパンの声を聞きなさい。
意志があると、パンの声を聞けない。
自分の意志を引いていかないといけない」

生地に触っているときのことを思い浮かべて話すとき、岩永さんの目はそれまでの厳しさと打って変わってやさしいものになる。
意志の人であり、同時にパンの声を聞き届けられるやさしさの人である。
1本のバゲットの中に、硬い皮と中身のやわらかさがあるように。

「形にはこだわらず、なるたけ触らないで作る。
たくさん経験して、パンのことがわからないと、触らずにできない。
10手かかるところを9手でやる。
なるたけ引いていく。
経験って、この仕事ではそのように使います。
パンとの信頼関係。
生地を管理しきれなくてもしょうがない。
気にかけることが大事。
友だちや恋人じゃない、家族みたいな関係。
その人のことを考えなくても、考えてる。
昨日の生地を触ろうともしない職人がいるけど、家族なら気になるはず。
ダメになる子たちっていない。
時間と状況の変化を、生地は伝えてくれる。
子育てといっしょ。
過剰に接してもダメだし、距離感が大事。
ほったらかしでごめんやけど、がんばってね。
面倒みたってんやから、もうちょっと待てよ」

バゲット(300円)
見かけの武骨さと裏腹に、皮は薄く、ざらつく手触りも好ましい。
1本のバゲットの中で、皮と中身にこれだけコントラストをつけたものをほとんど思いつかない。
ぱりぱりかりかり、なんと快い音を立てる皮だろう。
反対に中身は、さわさわとちぎれ、もちもちと跳ね、舌に触れると即座にしゅわしゅわと溶けていく。
香ばしさは高らかに歌うように強くありながら、味わいはさっぱりと引く。
甘さとリーンさという逆ベクトルの印象が同時にもたらされる。
だから本格的であっても、軽やかなのである。

「日本の粉は昔に比べたらだいぶよくなりました。
ルセットは常に変更していく。
現状でいいとは思っていません。
バゲットには、フランス産石臼挽き、国産小麦、カナダ産石臼挽きなど7種類。
多ければいいってもんじゃない。
漢方薬と同じです。
ベースの配合に、そこに熱があるなら熱に効くもの、寒気がするなら寒気に効くものを加えていく。
高い粉ばかりじゃなくて、そこにどのようにアクセントを加えていくのか。
今の日本の粉のポテンシャルで、1種類でいくのはむずかしい。
封を開けたときの香りがフランスとはまったくちがう。
それを再現するためには、過剰な香りの粉を、過剰と感じさせないように入れる。
バゲットというパンのための粉、1種類を作るイメージ」

バゲットに要求される美点はいくつかある。
だが、それらは、こっちを立てれば、あっちが立たずという関係になっているはずなのだ。
ル シュクレクールのバゲットが、そのほとんどありえないことを実現しているのは、鍛えに鍛えて、食感なり味わいなり香りなりを、ひとつひとつ望ましいものへと引っくり返していったからではないのか。
7種類もの粉をブレンドしていると聞いてなるほどと思い、そこへ辿り着くまでの悪戦苦闘を思った。

「パンって表現だと思ってるんで。
パンが表現媒体。
それがブーランジェ。
画家のように、空を見ながら絵を書くわけではない。
パンを作るのは、うつくしい空を見た翌日。
空を思いだしながら、すがすがしい気持ちでパンを作る。
こういうバゲットを食べさせたいな、そう思ってから作る。
食べる人の脳裏に、フランスの小麦畑をぽんと浮かべたい。
食パン、菓子パンしか食べてない人は、小麦の味がすることがわからない。
クロワッサンもバター云々の前に、はらりと落ちるはかない感じを表現したい。
セーヌの並木の落ち葉が落ちるように。
落ち葉を踏むようなぱりぱりとした音。
心象風景を思い浮かべるような。
カンパーニュを作るとしても、ルセットではなくて、どんなカンパーニュを作りたいか、それが先にある。
たくさんのお店を見ても、そこにメッセージがあるわけでもない。
なのに、なんでお店してるんだろうと思います」

大阪市内から電車とバスを乗り継いで小1時間ほどの、住宅地。
岩永さんは、あえて都心ではなく故郷に店を出した。

「生活圏にあってこそブーランジュリー。
ここに店を開いたのは、生活圏でやりたかったから。
地元の人たち、子供たちが集まって、パン買って。
特別なものはなにもない。
でも、ちゃんとしたものを提供していきたい。
ちゃんとしたブーランジュリーを示していけたらいいなと思ったのがこのお店です。
いまわかんなくてもいい。
新婚旅行で海外行ったとき、『これ子供の頃食べた味や』そう思ってもらう責任がある。
『あれ?』と思わせたら、ぶちこわしなんですよね。
ちゃんとしたものって意外と少ない。
おいしいまずいは人それぞれです。
うちのパンがおいしいとは言わない。
ちゃんとして作ったもんを、ちゃんと選んで買う。
身近であればあるほど真剣でないといけない。
色がついてないバゲット並んでたら、お客さんはこれがフランスだと思ってしまう。
責任をもってブーランジュリーと掲げたい」

シュクレクールの開店前、このあたりにフランスパンを好んで買い求めようという人はあまりいなかったという。

「伝えるのは大変でした。
毎日毎日ドアをノックしつづけても開かないような感じ。
伝えるってそういう行為だと思ってるんで。
わかってくれそうな人がいたら、追っかけていって、『とりあえず食べてくれ』とバゲット渡した」

売れ残っても、売れ残っても、毎日バゲットを焼きつづけた。
いわば不毛の地に1本1本、木を植えていくように、客の嗜好を自分のパンの味に染めあげていった。
そのためには、まず知ってもらわなくてはならない。
いま、私にしているように、フランスパンのことを客に説きつづけたのだという。

「お客さん捕まえて、ずっと話してた。
1日ひとりでも1年間で365人。
そうしなきゃブーランジュリーをつづけていくのは無理。
ただ必死でしたよね。
迷ってきたのが大きかった。
迷ってる人(パン職人)いっぱいいると思います。
でも、郊外で成り立つんだということを証明したかった。
覚悟しかない。
僕と他の人がちがうのは覚悟だけ。
覚悟が決まってないからぶれる。
ブーランジュリーやろうとしたのに、後から菓子パン、惣菜パンをはじめたり、迷いはじめる。
そこに苦しむぐらいなら、ブーランジュリーやるということだけは決めて、あとは方法論で悩むほうが健康だと思う。
フランスに行く前にも、生き方と姿勢に惚れる人はいました。
僕もそんな生き方してみたいなと。
プチメックの西山さんとか、あの人もしんどい思いをして、店をつづけていった。
最初は売れなくて、むじん君でお金を借りてまでして給料払ったり。
ダメだからやめようじゃなくて。
僕もそうやって店を育てたい」

フランスパンは、小麦と水と塩と酵母だけで作られる。
シンプルなパンを料理といっしょに食べる文化が、日本中に行き渡っているとはまだまだいえない。
だから、ブーランジュリーを成功させるためには、まず自分がおいしいと思うものを、教えることからはじめなくてはならない。
それは時間のかかることだ。
困難なときにも信じたパンを作りつづけ、自らその状況を突破する必要がある。
フランスパンが売れないという声を私はよく聞く。
作りたいパンと売れるパンの狭間で悩んでいるパン職人にも出会う。
岩永シェフの言葉は、そうした人たちを勇気づけ、覚悟を迫る。

「僕にはあんぱんは作れない。
あんぱんを食べて泣いたことがないから。
バゲットを食べて泣いたことはあります。
クロワッサンを食べて、衝撃を受けて、膝から崩れ落ちそうになったこともある。
自分が経験ないことは伝えられない。
あんぱんがおいしかったと言われても、受け止められない。
それは嘘だろと自分に対して思うから。
そういう意味では、店をはじめた当初はしんどかったですけど、表現者として正しい選択をしたと思います」

クロワッサン(200円)
ぱりぱりしているが、がさがさとは割れない。
沈み込んだあと、しゅれしゅれと割れる。
表面の香ばしい甘さはやや強く、一方、中身にはしっとりした食感と抑え気味の繊細な白い甘さがあり、端のよく焼けた部分は最高のお楽しみである。
甘さのほどよさ、焼きこむことで生まれるぎりぎりの香ばしさ。
じゅわっときて、バターのすばらしい甘さが溢れ出る。
甘さと香ばしさが一体となって、通り抜けていく舌や喉、すべての場所が甘く塗られて、飲み込んだあとまで甘さがじょじょに減衰していく。
その尾を引いていく様があまりにうつくしくて、しばらくなにも考えられなかった。

「料理人の方と付き合いがありますが、彼らはランチにカレーやオムライスを出さない。
自分が背負ったフランス1本で勝負している。
それなのに、パン屋が日本のパン並べて、そういう人たちと同列だと認知されるのか?
絶対にされない。
キュイジニエ(料理人)と若いときに仕事をして、まったく敵わないと思った。
意識レベルのちがいがあった。
パン屋みたいにこんなひとつの食材に手間かけているのでは、彼らの仕事の幅広さに太刀打ちできない。
いつかまたいっしょに仕事をするようになったときに、また完敗するのは絶対いやだった。
もっと考えなきゃ、もっともっと。
あいつらもっと考えて仕事してる」

コンプレックスをバネに生きる人だ。
パン職人の地位は、料理人より低いといわれる。
岩永シェフはそれを悔しがり、決して甘んじようとしない。
「ブール」を焼くパン職人が哲学と信念において、他の職人に負けるはずがないと。

「根っこの人ありきで、技術なんてどうにでもなる。
根本の人間ができあがらないと、なにもできない。
それがなければ、パン屋をやっても従業員や家族を路頭に迷わせてしまう。
そこさえあれば食べていける。
職業って、自分を研磨できる唯一のかんな。
僕はブーランジェをチョイスしたし、他の職業の人も、それぞれの思いで自分を磨いている。
パン屋がデニッシュを作るとき、パンのポテンシャルだけで料理人を黙らせられる仕事をしたい。
隣りにパティスリー(ケ モンテベロ)も出していますが、ブーランジェとしてクオリティの高いお店やりたいと思っているだけで、パティシエになりたいわけでもありません。
僕は僕として、ブーランジェとして物事を見ている。
いちいち『○○のような』というけど、パン職人という仕事がかわいそうだなと思います。
『パティシエのような』といえば、クオリティが高いのか?
たかがパン屋なんて、という思いがずっとあって、そう思われないようにというのが僕の中に過剰にある」

「私はブーランジェである」。
そう力強く言い切ることによって、岩永さんは葛藤から抜け出した。
どこまで追いつめられても、ブーランジェという職業を突き詰めるほかないから、だからこの人はこんなにも強く生きられるのではないか。

岩永さんはessenceというNPOを立ち上げた。
障害者が気軽に飲食店へ来店できるように、あるいは障害者と一般の人がもっと接点をもつ場として飲食店が機能するように。
それを目指して、障害者向けのお菓子講習会や食事会などの活動を行っている。

「飲食業会全体の支援をする意識や、社会の一員という意識を、パン屋のどれぐらいが持っているんだろう。
若い頃から厨房の中にずっといて、自分のためだけに生きてるのすごくかっこ悪い。
次の世代に向けてなにかしないといけないし、世間に店を存続させてもらってるだけで、なにもしてないの居心地悪い。
障害者の方に店にきていいんだと思ってもらえたり、健常者と障害者がいっしょにいる景色を作れるし、接触する機会を作れる。
わざわざ施設を作る必要ない。
食を通じてコミュニケーションが取れて、飲食業という形で発信できたら。
パン屋主導でこういうことやってもいいんじゃないのかな。
職種に優劣はない。
自分の仕事に誇りを持っていたい。
『たかがパン屋』だからって、自分たちが愛してやらないんだったら、『されどパン屋』にはならないと思います」

(池田浩明)

JR京都線 岸辺駅
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