パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
旅ベーグル(千駄木)
175軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ランプをこすると、中から魔神が現れ、夢をかなえてくれるように。
ひと口齧れば、遠い外国へ連れて行ってくれる。
そんなベーグルがあったとしたら。

旅ベーグルのデュカ(200円)はそれにもっとも近い。
漂いだすクミンの香りを嗅ぐと、熱く、熟んだ中東の空気へ連想がつながっていく。
市場に満ちるミントの香り、水パイプの香り、ラム肉の焼けた匂いが入り混じったような。
つれて、迷路のような町を行き交う、カラフルな民族衣装を着た大勢の人びとや、たくさんの果物や野菜が売られたバザールのことが想像されてくる。

「このベーグルを作ったのは、デュカ(中東のスパイスミックス)をおみやげにいただいたのがきっかけです。
現地の人は、オリーブオイルにデュカを入れて、パンをつけて食べるらしいんですよ。
それを単純にベーグルの中に混ぜただけ。
そしたら僕の好みの味だったので、これはいいやと。
いろんな国のベーグルを妄想で作ってます。
たとえば、北欧の漁師がポケットに入れてそうなベーグルとか。
北欧のクッキーってシナモンとかキャラウェイシードとかオレンジピールとか入ってるし、ライ麦もとれるよな、と作ったのが「北欧」というベーグル。
北欧なんて行ったことないのに想像して」

旅ベーグルの松村純也さんの、印象に残った旅の思い出。
「旅は好きですね。
カリフォルニアではいつもアクメブレッドの向かいのモーテルに泊まります。
朝、アクメブレッドでパンを買って、ホテルでコーヒーを入れて、食べる。
アクメのパンは本当にうまいですよ。
旅行者として行っても、わりと受け入れてくれるところがあって。
日本からわざわざきたのがうれしいみたいで、覚えててくれて、『よくきてくれたね』。
地元の人と並んで食べる。
そこでまるで暮らしてるような気分になる。
それが楽しくて。
実際、そういうのがやりたいなと思って、ベーグル屋をはじめたんで」

朝。
新鮮な空気に心が引き締まるような感じや、風景をうつくしいものに変える混じりけのない光線は、ふとした弾みに旅人だったときの感触を思い起こさせないでもない。
松村さんにとって朝は大事なものだ。
それは世界中のあらゆる朝とつながっていて、また地元の人びとに深く寄り添える時間帯でもある。

「朝のお客さんはほとんど地元の人です。
だいたいみんなつっかけでくる。
遠くから夜行バスできて、そのままうちにきてくれる人もいるし。
中には、いつもお昼過ぎにきてくれる人なんかだと、朝きたときはノーメークなんでわからない(笑)。
お昼ごはん用に、会社に行く途中で買ってってくれたり。
朝、店を開ける時間だけは守っています。
味ではうちよりおいしい店いっぱいあるかもしれませんが、そういうところ(日常)で必要とされるほうがいいかな。
自分も、朝買ったパンをその日の昼食べてまたがんばろうと思うことがありますし」

プレイン(150円)
ぽわんとした弾力がやさしい。
にゅるにゅると溶けていく。
クリーミーに、濃厚に。
かわいらしい甘さ、クリーム色を感じさせるなつかしいような小麦の味わい。
発酵の香り、ほんの少しの足りない感じや、全粒粉による野性も混ぜ合わされている。

市販の天然酵母(白神こだま酵母)を使いながら、そこに合わせたのが国産小麦だけではなく、北アメリカの強力粉なのは、ニューヨークで発展したこのパンにふさわしいことだと思う。
スペルト小麦(小麦の原生種)も加えられているせいか、味わいの豊かさ、底力も感じられる。

散歩の町として知られる、「谷・根・千」。
根津と千駄木のあいだ、古くは川だったという曲がりくねった道、「蛇道」に旅ベーグルはある。
木造の建物がつづく路地にある小さな白い店舗。
松村さんがこの場所を見た瞬間からアイデアが広がり出した。

「会社勤めをしていて、もういいんじゃないかって。
自分でなにかをやりたいな。
もともとここらへんに住んでいたんですが、散歩中にこの物件が空いているのを見つけた。
なにかをやるとしたら、朝ごはんを出せるのがいいね、と思った。
でも、パン屋になるには、いろいろなパンを焼けなきゃいけない。
修行することとか設備とか考えたら、現実的にむずかしい。
旅先でベーグルは食べていたんですが、当時ベーグル屋はまだ日本でそこまで広まってなかった。
マルイチベーグルさんがおいしいのは知っていたんですが、離れているからちょうどよかったです(笑)。
ああいうのとはちがって、もうちょっとやわらかいのにしよう。
かといってなにもできるわけじゃないし」

(店内の壁でイラストレーター落合恵さんの展覧会が開かれていた)

ベーグル屋になるために、まずはじめたこと。
ベーグル屋で修行することでも、パン教室に通うことでもなかった。
いきなり宣言した。

「とにかく『僕はベーグル屋になる』と言いました。
自分でブログを作って、自作したベーグルの写真を毎日アップしてた。
ベーグルを作ったことなかったので、最初はとにかくまずかったですね(笑)。
それでパンを作ってる人のブログを見て、おいしそうだと思ったらコメント欄に『おいしそうですね。教えてほしいんですけど』と書いた。
そしたら、やっぱりほめてもらうとうれしいじゃないですか。
訊いたことなんでも説明してくれる。
50人ぐらい、会ったことのない知り合いができて。
ベーグル屋を開くって、みんな冗談だと思っていたんでしょうね。
『物件、借ります』ってブログで書いたら、びっくりしながらもよろこんでくれて、すごく興味を示してくれた。
みんな自分のブログで、『私が教えた子が』と紹介してくれて、その日はすごいアクセス数だった。
開店した日もものすごくお客さんがきてくれた。
ラッキーなはじまりでした。
ブログで知り合いになった人もきてくれて、『ニャン平太です』とか『いちごちゃんです』って感じで店に入ってくる(笑)。
はかりをもらったり、みなさんにいろんなことをしていただきました」

見えないつながりを見つけだし、束ねる。
作る技術がなかったことを逆手に取る。
ウィキペディアのように善意を寄せ集め、プロジェクトに仕立てた。
それがより活きるのは、根津・千駄木という、コミュニティがいまだ色濃く残る地域に、寄り添っているからだ。

「ここらへんはお年寄りの方が半分ぐらい。
最初は普通に作ってたら、『硬いよ』と言われた。
『すいません。うちのは硬いんですよ』
それで通すこともできたんですけど、やわらかくしていきました。
『古いの出してるでしょ。そんな商売しちゃ駄目』
と言われたこともある。
すごくショックで。
やわらかくなる方法を模索していきました。
焼き時間、茹で時間を調整して、できるようになりました。
『もっとごはんみたいなの焼いて』
と言う人がいて、大根の葉っぱを入れたのを作った。
大根が好きな人がいて、『葉っぱが余るのよね』ともってきてくれる(笑)。
こっそりクミンを入れたら、『ちょっと刺激的なの入ってたわよ』とよろこんでくれました」

私は、ベーグルは、おしゃれで、いま流行な食べ物だと思っていた。
それは、旅ベーグルにも、ベーグルそのものにとっても失礼なことだった。
この食事パンはおそらく数百年以上の歴史を持つ。
食卓や、あるいは持ち運びやすい携帯食として、日常生活に根ざしてきたはずなのである。
観光客や散歩者のためではなく、地域の朝ごはんとして位置づけたのは、むしろベーグルという食べ物本来の姿だった。

「僕自身、修行もしてないし、経験がないもんですから、それを逆にいいように考えて。
ポリシーはあるけど、我は出さないようにしよう。
お客さんのおいしいと思うものにしようと。
我を通す人が職人。
僕はおいしいと言ってもらえるように、自分をどんどん変えていこう。
もっと融通がきくお店でいたい。
親密なお客さんが多いですね。
同じ町内だし、そういう人に『運動会に20個持ってきてよ』とか言われたら、行くしかないですよね」

修行をしていない、職人ではないと、謙遜しながら、ベーグル一本にかける心意気は半端ではない。
「集中して、気持ちをこめて。
愛をこめて。
僕は酵母を抱きしめて寝てるんで(笑)」

大根の葉&白ごま&クミン
なつかしさと新しさが微妙にまとわりあう。
酵母の香り、大根の香り、クミンの香り、ゴマの香ばしさがバランスよく。
すっとしていながら、あたたかく、馴染み深い。
土着でありながら、エキゾチック。
大根の葉っぱという、もっともよそ行きでない食べ物が、異国の装いのもとに登場する不思議。
だからこそ、旅なのだと思う。
世界の果てまで行っても、そこにも本質的には私たちとそうは変わらない人生がやはりあることを確認することが、旅の目的かもしれないのだから。
松村さんが、バークレーではアクメブレッドでいつも朝食を食べるように。

「ベーグルはつかみどころのない食べ物。
茹でて焼いたらベーグルだと僕は思っています。
いろんな形があっていい」

中東で生まれたベーグルはニューヨークへ旅をした。
ここ千駄木にたどりついて下町のおばあさんの口に合うようにアレンジされても、ベーグルであることは少しも変わらない。
ある意味、おしゃれなベーグル以上に、ベーグルらしくなっていることに驚く。
大事なことは誰かに食べられて、おいしいと言ってもらうことなのだから。

東京メトロ千代田線 千駄木駅/根津駅
03-5814-3772
7:00〜売切れ次第、12:30〜売切れ次第閉店
月曜火曜金曜休み(祝日営業)



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