ブーランジェリー セイジアサクラ(高輪台)
2013.04.04 Thursday 00:02
179軒目(東京の200軒を巡る冒険)
どのパンも過剰なほどに「セイジアサクラ」である。
特別な材料を使うことによってではない。
酵母の香り、熟成のうま味。
彼のパンを齧ると、自己主張が溢れ出してくる。
扉を開けると、ロングヘアのセイジアサクラはすぐ見える。
彼が前に陣取る、ウェルカーの窯はもっとも目につくようレジ横に置かれている。
パンを焼くひたむきな姿こそこの店の見所だからだ。
そうかと思えば、シェフは関西弁でにこやかに客と談笑し、冗談めかしてカメラ目線でポーズをとる。
漂うセイジアサクラらしさ。
それは彼の作るパンとよく似ていた。
「成り上がり」という言葉を賞賛の意味で使いたい。
肩書きも経歴も借りず、裸の実力で、世間に自分を認めさせてきたのだから。
朝倉誠二さんがベーカリー・カフェ「マザーズ」を立ち上げた場所を私もよく知っているからだ。
徳島県鳴門市。
田舎町の、やや町外れ。
人通りもそれほどない場所。
そんなところに、若干21歳で自家製酵母パンの店を立ち上げ、行列のできるパン屋に押し上げた。
次なる目標として、世界を夢見た。
「パンの世界に垣根はないんですよ。
負い目に負けたくない。
世界の中心で自分の実力が知りたい。
『俺がどこまで通用するの?』
それに世界のパンのことぜんぜん知らないし。
本や雑誌でパリのパンを見て、『こんな肌がいいんだよね』と思った。
でも、どこがちがうんだろう。
どんな材料で、どんなやり方でスチームかけるのか。
日本にいたってわからない」
朝倉さんは、徳島を飛び出し、伝手も情報もなく、フランスに渡った。
「渡邉政子さんの『パリのパン屋さん』、あの本がなければいまの僕はなかった。
本を片手に、パン屋に飛び込みで働かせてもらった。
97年のことです。
いろんなところまわって、観光ビザで飛び込みました。
飛び込む中で、フランスでやっていけるなと思えてきました。
厨房に入れてくれるし、働けるんだから。
それなら、パリに住んで働いてみよう。
コネクションもないのに、若気の至りで。
1冊の本がきっかけをくれました。
ネットもなかったし、情報がなかった時代。
あるのは、『カフェ・スイーツ』、それから『ベーキング』という雑誌ぐらいだった」
『パリのパン屋さん』に紹介されていた名店を片っ端から訪ね歩き、『働かせてください』と頼んでまわった。
断られても、怯まず次の店へ飛び込んだ。
「日本人のパン職人に会うのなんてはじめてだから、まともに相手してくれない。
それでいいかっこうしてないと信用してもらえないなと思ったから、スーツ着て革靴履いて『働きたい』って言ったら、『いいよ』って言ってもらえるようになった。
そしたらいきなり、コックコートに着替えて、革靴のまま仕事をした。
日本とこういうところがちがうんだ、とわかりましたね」
履歴書もなく、言葉で説明することもできず。
ただ、仕事だけで、自分が使える人間だということを証明していった。
横紙破りな方法が認められたのも、そこが徹底した実力社会だったからだろう。
フランスの職人たちは、伝統的に、旅をしながら自分の技を磨いていった。
フランスを代表するパン職人のひとり、ベルナール・ガナショーの店で働いた。
彼のバゲット「フルート・ガナ」はことに有名で、フランス中のパン屋がライセンス契約をして、店に出している。
「昔の作り方であるポーリッシュ(前日に水分の多い種を作る製法)を復活させてバゲットをやった最初のパン屋。
それを見たくて。
ポーリッシュのやり方を極めてみたかった。
石窯が3台あって、フルート・ガナを1日何百本と焼いてました。
ガナショーさんはもうおじいさんなんで、オーナーは別の人に変わっていましたが、店にきたとき硬く握手をしました」
朝倉さんに影響を与えたもうひとりのパン職人は、エリック・カイザー。
「ガナショーでやってたんだったらできるだろうと言って、『メゾン・カイザー』から『エリック・カイザー』への、ブランド変更第1号店の立ち上げをやらせてもらいました。
アホみたいに働いてましたからね。
1人で何人分も働いたから、労働許可証をあげても得だと思ったんじゃないですか。
レストラン・カフェを併設した店で、エリック・カイザーが寿司文化にインスピレーション受けて、ネタケースにお菓子を入れたらおもしろいんじゃないかということではじめた」
「カイザーは、時代が生んだ、飛び抜けた人。
この世界で天才は誰かと言ったらエリック・カイザーだと思う。
世界展開を視野に入れて、製法を確立した。
あの人と働けたのは、僕の誇りです。
オーラがありましたね。
計算され尽くしている。
製法もそうですが、味。
やりつづけてると、あとでつながってくることがある。
あー、そういうことなんやと。
商品構成、ルヴァンリキッド、配合もそうですし。
仕事の順番、生産性がずば抜けて無駄がない。
ポーリッシュを甦らせ、ルヴァン・フェルメント(ルヴァン・リキッド[液体状の自家製酵母を自動管理する機械]も広げていった。
そのスキームを作ったのは彼。
誰でも作りやすい方法を確立したから、ブレない。
知ってるんだと思います。
ここまでいったら酸味が出てだめなんだよ、とか
パンを革新し、前に進めた。
僕なんかが語っちゃ駄目です。
それぐらいの人」
自家製酵母という環境や気候に左右される材料をメインに据えながら、多店舗展開をして味がほとんどブレることがない。
ルヴァン・フェルメントをはじめとする技術革新、成形後の冷蔵熟成など効率的な生産方法を進めた。
なにより、誰もを虜にするすばらしい甘さと香り。
パンの秘密を手のうちに入れた「天才」と仕事をしたことは、彼にとって無形の財産になった。
「カイザーには『ひとりでやれ』と言われた。
店には職人が4人いたんですが、ネイティブじゃないと、自己主張をするのは無理。
だから、教えるより、自分でやったほうが速い。
カイザーは僕に、『セイジ、早くやれ、ひとりでやれ』とよく言ってました。
いつも言うのは生産性上げるためのことですね」
ぶどうの天然酵母バゲット(268円)
若干のミネラル感、塩気と、圧倒的なうまみ。
じわっと、エロティックな酵母の風味があらゆるものを浸していき、このバゲットをネクストレベルのインパクトへと高めていく。
甘いけど、軽い。
しかし、深い。
という意味で印象的で、そしてやめられない。
このパンチ力。
酵母の香りと小麦の甘さの融合がそれを可能にしているのだ。
ガナショー時代のことだ。
悟りとも呼ぶべき瞬間がやってきた。
「何百本ひたすら考えながらバゲットを作っていました。
フランス語も喋れないですし。
後ろに石窯があって、『10分前だからそろそろ薪入れようか』って。
窯の中に薪入れると、炎が燃え上がる。
炎ってオレンジや赤というイメージありますが、実際の窯の中の色って青や黄色。
もうまともに見れないぐらい熱い。
バゲットの本質ってなんだろうとずっと考えていたんですが、それが炎の中に見えた。
そのとき見たのは、自分自身。
いくら迷ってバゲット作ったところで、バゲットは自分の手が生み出したものなんだから、絶対に自分を超えない。
パン作りは材料や文化、伝統すべて背負ってやるもの。
パン作りの本質は自分自身。
なんでパンを作るか?
表現の欲求だと思う。
誰だって、認められたいし、愛されたいから。
バゲットっていちばんシンプルで、飾り気のないもの。
すべて自分の手でやる。
カミソリで入れたクープという数センチの自然現象でさえ、自分で調整した表現。
フランスでいま自分が日本文化を背負ってバゲットを焼きつづける意味ってなんだろう。
製法や粉なんていくらでもある。
だけど、パンの伝統はそれを超えている。
たくさんの先人がいて、自分はパンの長い歴史のほんの一部分。
先人の知恵を僕が身につけて、学んで、後世に伝えるにすぎない。
葛藤をすべて超えて。
何百年も継がれたものを、昔からのやり方である薪窯で焼いて。
それをやった瞬間、劣等感とか悩みとかすべて落ちた」
極度の集中状態と熱気。
まるで修行僧が滝に打たれるように。
尋常ならざる環境が、悩みつづけてきたことに解答を与えた。
朝倉さんの悩みとは、フランスパンを作る日本人すべてが直面することだ。
なぜ、日本人なのにバゲットを作る?
本当のバゲットにフランス人ではない者がたどりつけるのか?
そして、伝統と「私」という矛盾。
伝統に忠実であろうとすれば自己実現は遠ざかり、自分を出そうとすればひとりよがりに落ちる。
まったく反対にあると思われたものが、その瞬間ひとつに接続された。
自分の持てるベストを行うことが真に伝統を継ぐことである。
「高輪もパリも同じこと。
フランスをそのまま持ってくるとか、僕はまったくやろうと思わない。
フランスで表現の方法を学んで、日本で、日本のお客様に向かって表現するだけ。
メロンパン、あんぱんは日本の文化。
日本人としての誇り、大事な部分。
僕はそれを先人から受け継いで、時代に渡すものとして、いかにおいしいメロンパン、あんぱん作るか。
フランスも日本も関係ない」
人生を賭けて、真剣に。
客をよろこばせるために、あらゆる手段と経験を総動員する。
それが「高輪もパリも同じこと」の意味である。
パリではフランスのパンを作り、高輪では高輪の人たちがおいしいと思うものを作る。
「ただ、うまいもん作りたい。
それだけ。
それが自己表現であり、糧であり、存在価値。
うまいもん作れないんだったら、やりたくないもん。
しんどいし、儲からないし。
だったら、思い切りやったほうが、絶対いいって。
おいしいもん作って売る場所。
それが店。
情報発信できないと、価値が高まらない。
挑戦したいし、いろんなことを知りたい気持ちがある。
突き動かされる気持ちが大きい。
せずにいられない。
それがパンを一生懸命焼くこと。
先人が知恵を重ねて作り上げた、バトンを受けて、自分がまたそこに知恵を重ねて、後世に伝える。
おいしいものを食べてもらいたい。
世界を見た限りは、閉ざしちゃだめだ。
パンを作る者として、店の名前を自分の名前にしたのも、たかがパンに人生かけて、いろんな酵母起こして、世界見て、その上でいちばんおいしいと思うもの、これなんだよ」
朝倉誠二シェフが自分の店に「セイジアサクラ」と名づけた理由。
逃げも隠れもできない、このパンこそ朝倉誠二なのだという宣言ではないだろうか。
私たち食べる者も、その情熱と、パンを通じて渡り合う。
なんという刺激的な体験だろうか。
朝倉シェフが3種類のルヴァンリキッドを出してきた。
これを見てくれと言わんばかりに、大きな容器を。
レーズン、ホップ、ゆず。
これを風味や発酵特性に合わせて、パンの種類によって使い分けていく。
種継ぎはせず、使い切り。
だから、3種類の原料の風味まで、ほのかに反映される。
「ホップは食パンがばっちり合う。
食パンというのは、シンプルで、副材料あまり入らない生地。
普通は副材料のうまさが、食パンのうまさ。
ところが、発酵のうまみを含んだ水で食パンを作ると、うまみがオンされる。
シンプルなもので、自己主張する。
そのひとつがホップ。
天然酵母の特別なパンじゃなくて、普通の顔してるんだけど、めちゃめちゃおいしい。
日常の価格帯でめちゃめちゃおいしいというのがいちばんいい。
生活に根差したものでありたい。
それがパン屋の存在として理想的ですよね。
王道でトップを取りたい。
(価格という)制限がある中でぶち抜きたい」
アロマホップ食パン(338円)
香りのインパクトがすごい。
このすっぱい匂いを、ずっと嗅いでいたいと思う。
甘くもあり、フローラルでもある。
口溶けの豊かさ。
甘さが並大抵ではない。
それはミルクでもあり、小麦の味わいでもあるが、その背後で濃厚な香りを酵母が与えてニュアンスと複雑さを出している。
ぷちっと歯切れ、もっちり、ふわふわ、ぷりっぷりと跳ね返る。
そして香ばしい耳。
「微量のイーストと併用しています。
イーストがなくてもぜんぜんふくらむんですが、クラムがどうしても厚くなる。
2日目になると硬くなる。
強力粉入れたり、酵母量増やしたり、温度帯変えたり…一生懸命やっても、イースト入れないと解決できない。
日本は翌日パンを食べるという文化。
翌日おいしくないと自己満足でしかない。
%で言うと、0.00いくつだけ入れています。
どうしようもない。
僕の結論です。
自家製酵母では、ふくらませる力の強い酵母の株の絶対数が少ない」
酵母についての造詣は、情熱がもたらすものだ。
不二製油でコンサルタントを務め、いまなお土浦にあるキリン協和フーズの研究所に通って、研究も行っている。
酵母は従業員にまかせず、シェフ自身が管理しているという。
「発酵の微妙なところを楽しんでくれたり、共有できる子とやりたい。
酵母の本質ってわかりづらいものだから。
酵母は生き物だから、生き様というところに行き着く。
自分がどう生きるか。
どこまで腹くくってるか。
パンに身を投じれるか、人生を捧げれるか。
そこまでやらないと、おもしろさがわかんない。
命を起こして、命を継いで。
お客さんがそれを食べて、命を継ぐ。
それが、身を捧げると見えてくる。
僕にはパン以外なにもできない」
セイジアサクラのあらゆるパンに自家製酵母は使われて、朝倉さんのパンの個性を決定している。
いちどつかまれたら離れられない。
癖であり、インパクトであり、うまみであり、うつくしい香りであり。
うまいもうまくないも、酵母次第。
朝倉さんは、発酵の帰趨に、パン人生のすべてをゆだねているのだ。
チーズカレー(318円)
スパイスなのか、酵母なのか。
芳しい香りが漂ってくる。この薄いパンのどこにこれだけのインパクトが潜んでいるのか。
しかも焼きカレーパンである。
もちもちさ、香ばしさ、酵母の香りが絡み合う。
そこへ、焼けたチーズのいっそう強い香ばしさも襲う。
カレーフィリングにおいては、スパイシーさ、ひとつひとつの具材の大きさ、コク、中にもチーズがあってトロっと溶けている。
一気に食べれば喉までひりひりと熱い。
朝倉シェフの言う「料理の引き立て役を超えた、うまいもんの総集め」とはこれのことだ。
自分の心を奮い立たせるように、朝倉さんは大きすぎる目標を掲げる。
「フランスから日本に帰るとき、ものすごく葛藤がありました。
さびしい、逃げたい、という気持ちがなきにしもあらずだった。
自分の中で負け犬のレッテルがある。
実は勝利して帰りたかった。
どうせやるなら日本一を取りたい。
世界に打って出るなら、まずは東京で一番を取りたい。
その次はパリに店を出したい」
ブーランジェリー セイジアサクラ
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