サミープーのテラス席で、「トリッパ、赤インゲン、白インゲン、レンズ豆の農家風煮込み」を食べた。
ほんの少しとろっとした、半透明の液体を口にすくい入れると、あたたかな滋味がしみじみと伝わってくる。
宮本秀二さんにとってこの料理は特別なものだ。
盟友である、ル・プチメックの西山逸成さんとの大事な思い出につながっている。
「西山さんに最初にビストロに連れて行ってもらったとき、西山さんがトリッパ食べてらっしゃった。
そこからですね、僕がトリッパを意識するようになったのは。
短時間で内蔵を下処理するのはむずかしいと思ってました。
僕はフランスに行っているあいだも、土着しているもの見ていなくて、表面だけ。
有名なシェフの仕事だけ見て、ガストロノミックこんなもんなんだって、わかったつもりでいた。
西山さんはフランスでちゃんと仕事をして、ちゃんとつかんできている。
僕がフランスに行ったのはバブルの頃。
星付きのレストランで、マガモをライフル銃で一発で仕留めましたとか、そういうものが珍重された時代。
僕はトリッパを食べて頭叩かれた気持ちになりました」
パンの盛り合わせとともに、白いパテのようなものも置かれていた。
ブランダードという干し鱈とじゃがいもを煮込んだピューレ。
私はブリオッシュのかけらに、ブランダードをのせ、口に運んだ。
鱈の脂がなんとさわやかに、ブリオッシュのバター感と溶け合うことだろう。
この至福のひとかけらも、宮本さんによるプチメックへのオマージュだった。
「ブランダードをパン屋でやったいちばん最初は西山さん。
プチメックにはじめて行ったとき、『え、パン屋さんがブランダード?』ってすごく驚かされました。
僕は頭が硬いので、そんなことをパン屋さんがやるなんて、思いつかなかったです。
西山さんからしたら、それって延長線でつながってるんじゃないの、っていうことなんだと思います。
ムース、鶏レバーのパテもそう。
西山さんが最初にやってたものを、僕はまねしてるだけだと思う」
「いちばん苦しいときをいっしょに乗り越えた戦友」。
西山逸成さんは、宮本さんのことをこう呼んでいた。
ル・プチメックの2号店(黒メック)を立ち上げるとき、ともに寝ないで働いた。
フレンチビストロさながらの惣菜やサンドイッチが売り物のこの店では、パン以外に料理まで作らねばならず、厨房はまわりきらないほど忙殺された。
なぜ宮本さんは、それほどまでにして西山さんについていったのだろう。
2人は同じ夢を追っている。
パン屋でおいしいフレンチを提供するという夢を。
値段を安く、敷居を下げて、フランスのすばらしさをみんなに知ってもらう。
2人を結びつけるフランスへの思い。
宮本さんは料理人を目指してフランスに渡り、のちパン職人に転じた。
経歴においても西山さんと重なるところがある。
「高校生のときに、ファミレス、中華屋、ステーキハウスでアルバイトしてまして、19歳でフランスに行きました。
なにもわかってなかったので。
料理も作れないですし、すべて中途半端なんですけども。
たぶん、30のとき行きました、40のとき行きました、という目線とはちがって見えたはずです。
えらいシェフだなんてわからないまま、すごい人の仕事を見せてもらったり。
その代わり、仕事内容はたいしたことなかったですよ」
約20年前。
フランス修行はいまほど一般的ではなかった。
パイオニア独特の苦労があったはずだ。
言葉も自由に話せない、フレンチの経験がそれほどあるわけでもない。
それでも、弱冠19歳で海を渡った宮本さんの勇気に、私は感嘆するほかない。
「いろんなツテやコネを使って。
うちの親戚が日本のフランス領事館で働いていたので。
パリに行かなかったの大正解。
最初はスイスで働きまして、ブザンソン、アルザス…バブルの残り火で遊んどったんですよ。
料理やってたんですが、才能なくて。
すごい人たちに、いろいろ教えていただきました。
エミール・ユングさんというシェフ(アルザスの3つ星を獲得したこともあるレストラン「ル・クロコディル」)、そんなにえらい人だと思ってなかった。
『どうやったらおいしいもの作れるんですか?』って僕は訊いたことがあります。
『甘さ、酸っぱさ、辛さ、苦さ、しょっぱさ。五味さえちゃんと意識し、勉強すれば、おいしいものを作れます』と言われた」
「ブザンソンの、グランボワネットさんというパン屋で働きました。
すごく陽気で、楽しく仕事される方。
パリで、プラザ・アテネのシェフブーランジェをされていた。
どうやったら楽しめるか、すごく考えてた方ですね。
日本だったらいろんなものを混ぜたパンが多いけど、すごくシンプルに。
ブリオッシュをシロップに漬けて、ムラング(イタリアンメレンゲ=マカロンに使われる)で2次加工して出したり。
お客さんもそれを普通に買っていく。
日本なら残り物だと思われるようなものが、商品として認知されてたり、
パン屋さんも勉強してないといけないんだよ。
料理の範疇になるものでも、サヴァランやババ、ドイツに行けばクーヘンみたいな、酵母を使った食べ物いっぱいある。
パン屋さんもワインの勉強、チーズの勉強、タパスの勉強をしている。
日本では、ぜんぶ生地に具材をぶっこんじゃいますよね。
ピザのようなものを作っちゃう。
向こうはサンドイッチ止まりだと思います」
フランス人のパンに対する感覚、一流のシェフたちの姿勢や思考を、いっしょに仕事をする中で体感してきた。
「あるMOF[国家最優秀職人]のパン職人の方とも仕事させてもらいました。
紳士的で、すごく笑顔で、どんな人にも接する。
『みんな同じなんだよ。あなたに作れるものは私にも作れる。残念なことに、私に作れるものはあなたにも作れる』
自分の子供のように接してくれました」
「あとは食べました。
いろんなところで、いろんなものを食べました。
ディジョンの2つ星、ジャン・ピエール・ビュー。
ブザンソン、アルザス…。
運がよかったんです」
自家製酵母のパン作りを守り抜いた伝説的な人物、故リオネル・ポワラーヌに会ったことがある。
「ポワラーヌさんは生きておられて、パリのポワラーヌの厨房を見せてもらえた。
仕事のまねごとさせてもらえた。
お兄さんのマックス・ポワラーヌさんのお店に行ったとき、ちょうどブリオッシュを焼いてて、熱々のフランボワーズジャムとアイスのっけて、チョコレートをちょいちょいと絞って。
すごくおいしかったんですね」
聞いているだけで涎の出る話だ。
自由闊達に表現されるパンの醍醐味。
生まれながらにして、おいしくパンを食べることが体に染みついている人の仕事にほかならず、宮本さんがそこにあこがれる気持ちはよくわかった。
ポワラーヌがほぼカンパーニュしか置かないストイックな店であるのに対して、マックス・ポワラーヌはクオリティを誇りながら、バゲットも、クロワッサンのようなヴィエノワズリーも置く楽しい店である。
宮本さんはル・プチメックのほか、フレンチ・レストランを渡り歩いたり、シェ・ワダのシェフも務め、豊富な経験を積んだ。
そして、サミープーをオープンさせた。
「サミープーをはじめて4年。
最初は近くの別の場所でたった8坪、売り場は2坪でした。
オーナーは、前の店で働いてた頃のお客さんだった。
僕は、本当にパンは好きなんですよ。
でも、パン屋さんはもう辞めようと思って、下水道の中にもぐって、チェックしたり、掃除したり、作業やっとったんですよね。
たまたま下水から出て、マンホールにいたとき、信号待ちの車の窓がうぃーんってあいて、オーナーが『君、何してるの?』って。
いろいろ飲食を経営してる方で『今度お店しようと思ってんねん』と。
一日の売り上げがいくらあったらいいかとか教えてもらいながら、僕が出店計画書を書いて、サミープーをオープンしました。
こんな家賃が高いところでさせてもらえるのは、たまたま恵まれただけです」
パンから離れようとしていた宮本さんを再び呼び戻した運命だった。
その見えない力に、私は感謝する。
これだけフランスの食文化に造詣の深い人にパン屋をさせないのは、あまりにもったいない。
バターはおいしい。(229円)
クロワッサン生地のバター感。
表面にキャラメリゼされた砂糖の甘さ。
そこに重なるアーモンドパウダーの快感。
さくさくの生地にキャラメルのぱりぱり。
塩気と甘さとバターの融合はこのクイニーアマン的なパンの真骨頂。
一層一層が重なりあいうねる曲線が作りだすこの表情がいかにもおいしそうで、フランス的なのに目が奪われる。
なぜクイニーアマンと呼ばず、「バターはおいしい。」という名前なのか。
フランスのパンへのはてしないリスペクトが宮本さんにそうさせている。
自分がブルターニュで食べたものを日本で再現できない限りは、クイニーアマンという名前はつけられないというのだ。
「僕が食べたクイニーアマンには、りんごのコンポートが入っていました。
それから、海塩バターが使われていて、牛が食べる牧草のせいなのか、海風の塩分がある。
いま僕の店では海塩バターを手に入れることができません。
無塩バターを使っているんですが、あとから海塩を足す『もどき』はいやですし」
大西洋に面し、乳製品が豊富にあって、バターを日常でよく食べるブルターニュ。
その独特の風土が生んだヴィエノワズリー。
だから、海の香りがなければクイニーアマンとはいえないと、宮本さんは考える。
並べられたアイテムのひとつひとつに本物を求める。
「自分が努力して勉強してきました、ってものじゃないんです。
そういえばこうだったよね、だからこうだったんだ…あとから気づいた。
アルザスだったけど、僕はクグロフを作ってない。
でも、すごくおいしかったです。
口に入れたら溶けるし、詰まってないし、ふわっとしてるし。
それを僕はまだ作れてないんで、お出しすることができない」
香りひとつ、塩の量ひとつ。
誰も気づかないほどの細部まで意識は行き渡っている。
厨房へ走ってりんご酢とバルサミコを持ってくると、「おいしいでしょう」と私になめさせ、味わいの広がりと香りのちがいを説明する。
「トリッパのときに添えてあったサラダには、りんご酢だけかけてお出しします。
スープに塩がついているので、それで十分。
バルサミコはオールマイティに。
サンドイッチにちょっとからませたり」
食への造詣と情熱。
素材を吟味し、レシピを吟味し、自分がフランスで知ったおいしいものに近づく努力を徹底する。
それはなぜなのか。
「たとえばシュトーレンは、ドイツのより日本のほうが甘くて、洗練されてる。
でも、それは、大元のドイツから入ってきたものだし、アルザス、パリを通って、日本に入ってきた。
いろんな職人さん、食べた人の思いが重なって、末端の日本に入ってきた。
本物、伝統ってむずかしい。
デニッシュも、最初はバターを入れまちがえて、あわてて織りこんだのがはじまりだと、『ワーズワースの冒険』という番組でやってました。
後付けの伝説かもしれませんが。
そういうクラシックで地味なものが、日本で華やかなものに変わった。
人の思いが重なって、今の形になっているんですよね」
偉大なるフランスの食文化へのリスペクト。
サミープーは感動するほどに「フランス」である。
店に並ぶひとつひとつのパンが、その表情でフランス的であることを全力で訴えかけてくる。
思いはインテリアにもあふれる。
テラスをビニールのカーテンで覆って、ストーブを焚いてあたたかな空間と、開放感を共存させる。
壁にくっついた黒い背もたれが異常に背の高いものだったり。
「フランスからそのまま持ってくると高いですけど、扉も枠だけ買って持ってきたり。
置いてある小物も昔買ってたものだったり。
持って帰ってきたものがすごくたくさんある。
タイルも自分で貼ったんですよ。
当時働いていた、レストランのタイルがこんな感じの質感、黄色い色だった」
19歳の目で見て、以来あこがれつづけるフランス。
自分がフランスから受け取ったものをこんなに大事にしている人を、私は他に思いつかないほどだが、宮本さんは何度もこう繰り返すばかりだった。
「僕はそんなにたいした職人じゃない」
(池田浩明)
サミープー
06-6282-0058
11:00〜21:00
不定休