パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
パリゼット(上尾)
193軒目(東京の200軒を巡る冒険)

大宮から高崎線でさらに北へ。
埼玉県上尾。
駅からさらにバスに乗る。
名店は東京から離れた思わぬ住宅街の中に存在する。

瀟洒な店。
対面式の売り場のガラスケースを覗き込んで、普通のパン屋となにかがちがう、と思う。
それがなんなのか、やがてわかった。
パンの形がすべて寸分ちがわないのである。
クロワッサンはぜんぶ同じ形のクロワッサン、あんぱんはぜんぶ同じ形のあんぱん。
当たり前と言うなかれ。
パンは、ふくらみかたも、焼き加減もひとつひとつちがう。
パリゼットにおいても、もちろん微妙にはちがうが、同じに見えるほど正確無比だ。
ここにはなにかがある、と思った。

店名が示唆するように、塩塚雅也さんはパリで修行した人だ。
「銀座木村家でスタートして、その後フランスに。
帰国後は大阪の麦の花、東京のマディにいて、それから独立しました。
パン職人になる前は、もともとフランス料理やってたんですよ。
そのレストランで自家製パンを焼いていた。
パンのことをまったく知らなかったんですが、パンがふくらむ過程が知りたくなって。
パン屋に就職して、勤めながら、専門学校にも顔を出してました。
そのときの同級生がフランスに行った。
ショック受けて、僕も行こうと。
強引に退職届を出しました。
働く場所も決まってないのに、チケットを手配した。
準備といえば、フランス語を習いに2回行っただけでしたね。
前の授業が終わって出てきた人に『パリのパン屋で働きたい』と話したら、『知り合いに聞いといてあげる』。
フランスに着いたとき、紹介してもらった番号に電話したら、その人も『知り合いのパン屋さん聞いてあげる』と。
それで、パン屋に勤めることができました。
そこのオーナーシェフが紹介してくれたので、またそこから紹介紹介で、いくつかの店に行きました」

フランスに行きたい。
ある種の人にとって、それは衝動であり、やむにやまれぬなにかだ。
そうして旅だって行った者は、人生を通じて決して消せない思いを魂に刻み付けることになる。
まるで運命のように、塩塚さんの目の前に立ちはだかっていた障害は消え、錚々たる名店で働くことができた。

「2000〜2002年、ほぼパリにずっといました。
メゾン・デュピュイ、ジャック・タピオ、モワザン。
地方は、レイモン・カルヴェルさんが教授を務めていたことでも知られる、国立製パン学校にも行きました。
向こうのクロワッサンをはじめて食べたとき、衝撃受けた。
こんなうまいもんがあるんだって。
向こうは形よりスピードを求められる。
スピードに負けるかって。
対等にやってけてたとは思います」

塩塚さんにとって、大事な師といえる人物がいる。
「そこで働いてたわけではないんですけど、ティエリー・ムニエさんのお店にはよく行きました。
すごくおいしくて、どうやったらこういう味が出るんだろうって」

ドンクの「バゲット・ムニエ」に名を残すジェラール・ムニエ氏ではなく、もうひとりのムニエ。
MOF(国家最優秀職人)受賞歴もある名職人。

「ルヴァンリキッド(メゾン・カイザーの製法として知られる)は、ティエリー・ムニエさん、エリック・カイザーさん、クリストフ・ズニックさんの3人で考えたものだそうです。
ムニエさんの店(オ・デュック・ドゥ・ラ・シャペル)に日本人が働いていたこともあって、お店に行くようになりました。
ルヴァンリキッドのパンを食べてみたくて、バゲット・ムニエを買った」

のちに、パリのバゲットコンクールを制することになるそのバゲットは、塩塚さんにとって忘れられないものとなった。
そのオマージュが、パリゼットの「バゲット・トラディショナル」である。
「2種類の小麦に、微量ですけど、とうもろこしの粉と胚芽。
ルヴァンリキッドとイーストを併用して、低温長時間発酵。
ルヴァンリキッドのいちばんいいところは風味がプラスされること。
食感もしっとりしますね」

バゲットにルヴァンリキッド、そして隠し味としてとうもろこしの粉を入れるのはティエリー・ムニエ氏のスペシャリテである。
埼玉にいながらにして、パリでもっとも優れていると認められたものと同じ感覚のバゲットが食べられる、その貴重さ、よろこび。

「パンの文化。
1日の3回の食事のうち1回でいいんで、必ず食卓に並べたい、と思うようなパンを。
日本のパン屋さんによくあるような甘い匂いじゃなく、粉の匂いがするお店でありたい。
仕込んだとき、フランスで嗅いだのと同じ匂いがするときがありますね。
粉をブレンドするときも、そういう思いでやってます。
修行してたところの匂い。
自分の中にずっと残ってるものを、パンで表現したいというのはありますね」

パリで魂に刻み付けた思いを羅針盤にして、日々塩塚さんはパンを焼く。

バゲット・パリゼット(写真はプチサイズ)
皮が引いたかと思うと、ずばっと一気に歯切れる。
そそり立つクープはがりがりとして快く弾ける。
甘さが存分にあり、ほのかに自家製酵母種が香る。
やがて鼻へと抜けていく香りの中に混ざる、香ばしさ、酵母種の香り、少しのミネラル感。
やがて味わいがあたたまるとともに甘さも変化し、複雑な魅力を表す。
そのバランスとオーケストレーションと。

「バゲット・パリゼットにはコクがあります。
たんぱくの強い配合です。
フランスパン専用粉などに、石臼挽き小麦、石臼ライ麦細挽き」
きちんとふくらませた上で、石臼挽きの小麦やライ麦で香りを強化する。
フランスの素材の強靭さに、日本の素材を近づけようとする工夫である。

マカダミア・ミルク(180円)
マカダミア入りのバゲット生地。
このバゲット生地ははじめ軽いと思わせて、跡からじわっと味わいがしてくる。
かりっと理想的な割れ方、香ばしさ、塩気。
中をのぞくとゆでたマカダミアナッツと練乳のクリームをはさんでいる。
すばらしい組み合わせを考えたものだ。
練乳のしみじみした甘さが、バゲットのしみじみさとこよなく合い、マカダミアナッツの香ばしさがさりげなく香りだす。

クロワッサン(180円)
バターの甘さと発酵の香りがからみあう。
強めの塩気はバターとせめぎあいつつ、ゆっくりと甘さのほうへと転んでいき、どんどん滲みわたり、広がっていく。
そこに、上皮のやや苦い香ばしさも混ざりあう。
歯に感じる、ざくっとした感触とともに、皮はぼろぼろとこぼれ落ちる。
ねちっと中身はしぼみ、しゅわっと溶けていく。
バターの滲む感じがオイリー。

「フランスのクロワッサンって、うまく表現できないんですけど、外国の味なんですね。
フランスに行くまで食べたことがなかったような。
口溶けは、ちょっとだけ歯ごたえを残した感じにはしてます。
重視するのは、甘みと食べたときの鼻に抜ける香りですね。
いまは石臼挽き小麦ですが、一時はフランス産小麦も使っていました。
小麦の甘みを最大限に引き出すために考えながら」

職人気質。
かってパリゼットは横浜に店があった。
もう数年前になる、オーブンから焼き上がったバゲットを取りだしながら、バゲットはパン職人としての基本だと塩塚さんは語っていた。
あのひたむきな姿を思いだす。

「四季を通すと小麦の状態ばらばら。
1年通して同じにならない。
発酵時間、水の量も変えなきゃならないし、塩も変えなきゃならないし、考えられるすべて駆使して、考えながらやってます。
自分の中でこのパンはこういう味、食感だな。
いいときのものが頭にあって。
甘さがなければ、もっと水を足してみようか、発酵とってみようか。
バゲットもクロワッサンも、ようやく横浜のときと同じくらいの、自分が売りたいものができている感じはありますね」

意外なことだが、この店ではハード系から売れていく。
バゲットは午前中に消えることもしばしば。
日本のパン屋、とくに都心以外では、ハード系は売れにくいパンであるにもかかわらず。
おいしいバゲットやクロワッサンを作れば、立地条件は超えられるという、なによりの証左である。

「日本じゃバゲットは売れないというのもあるんですけど、伝えて、食べていただいたらわかる。
食べ方もいっしょに伝えると、お客さんはやってみようかな、と思う。
『この前買ったのおいしかったよ』と言われると、『今度はこういうのもありますよ』と別のをおすすめする。
その繰り返しでした。
(販売を担当する)妻はパティシエだったこともあり、食べ方も知ってますしね。
夫婦共通の趣味は食べること。
エンゲル係数ものすごく高い。
いろんなものを買ったり食べたり。
食べ物はいいもの食べよう。
それぐらいしか趣味がない。
自分の作ったパンを夕食によく食べるんですね。
そこで気づいたりする。
風味が弱くなってるな、甘みもないな、とか。
うちのパンって一癖あるんだけど、なんでも合うんですよね。
肉も魚もいいし、バターだけでもおいしい。
パンだけでもワインが飲めます」

塩塚さんは厨房にたったひとりいた。
いつも無言でパンと対峙する。
ここに、あの正確無比なパンができあがる理由がある。

「自分の性格なんですけど、人にいじらせたくない、というのが本音。
自分で仕込んで、自分で成形して、自分で焼いて。
人を使って何人かでやると、いろんな形のものが出る。
それでよしとする人もいるし、いやだという人もいる。
できないなら、自分でやる、ってなるんですよね。
ひとりだと、他人に対するストレスがないのが自分に合ってる。
体力的にはきついけど、精神的には楽。
言ってみたら、僕には人が使えないということなんですけど。
オープン半年は人がいた。
だけど、教えてもできないし、最後には、
『触るな』
じゃ、スタッフがいてもしょうがないと。
信じてあげないといけないんだけど、信じられない。
人にやらせればいいのに、いつも気にして、手を出しちゃうんじゃないかという気持ちでいるなら、人を使ってる意味がないじゃんって」

誰にも触らせず。
研ぎ澄まされた感覚でパンは作られる。
それを知ってか知らずか、付近の人たちはこぞってバゲットを買い求める。
パンのおいしさはきっと伝わらずにいない。

パリゼット
JR高崎線 上尾駅
埼玉県上尾市大字小泉8-22
048-637-0219
10:00〜18:00
火曜水曜休み

サッカロマイセスセレビシエ』(東京の200軒を巡る冒険の単行本』

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