パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
スピカ 麦の穂(旗の台)
113軒目(東京の200軒を巡る冒険)

いまはどこにでもある当たり前のものも、努力と試行錯誤を繰り返したパイオニアがいなれれば、存在することはない。
自家製酵母のパンもそうだ。
30年近く前、降矢泰次さんが、自家製酵母・国産小麦のパンを作ろうと思ったとき、それは海のものとも山のものとも知れなかった。

「醍醐味という吉祥寺にあったパン屋が国産小麦とイーストでパンを作っていました。
すごく画期的な作り方でした。
国産小麦のグルテンの少なさを補う作り方。
コシのあるパンが作れて、短い時間で熟成できる。
麦と酵母をうまく混ぜ合わせるやり方でした」

パンは外麦とイーストで作るのが当たり前の時代。
国産小麦で作るパン屋を発見したことは、大きなできごとだった。
「国産小麦で作れるんだ、と思いました。
歩けば手が届くところにある畑でとれた麦。
製法を探して探してやっと出会った。
いまの着飾ったパン屋じゃなく、のんびりして、手間ひまもそうですし、数を作れない。

次に出会ったのが自家製酵母の草分け、ルヴァン。
働かせてもらい、作り方を覚えた。
それまで勤めていたポンパドールで、時間に追われながら大量のパンを作っていた。
ルヴァンのと出会いは、降矢さんのパンと向き合う態度をも変えるものだった。
「自家製粉で自家製酵母という店。
あの頃、ルヴァンさんしかなかった。
なんでこんなにゆっくりしてるんだろう。
なんで砂糖を使わないでできるんだろう。
ポンパドールでは予備発酵のときにモルトを入れていました。
膨らませるために必要だと思っていた。
モルトは酵母の餌になるんですが、麦芽糖ですからかなり甘い。
フランスパンはそういうもんだと思っていた。
モルトを入れると発酵力がぜんぜんちがいます。
あえて入れない。
粉だけの味でやりたい。
驚きました。
これでいいのかな。
それで興味を持った。
これからのパンになる。
自分たちで菌を作っていける」

当時、自家製酵母でパンを作ることは、私たちが想像もできないほど、困難だった。
レシピもなければ、見本となるものもない。
ふっくらしたパンが本当に作れるのかどうか、それもわからない。
目標となるイメージも、確信もつかめないままの手探りするほかなかった。
「パンの見栄えもよくなかった。
ぼそっとして、酸味もあって。
いまは日本の麦を使った、タンパク量の多い粉も増えてきましたが、昔はうどん用の麦でやってました。
材料も変わっていったし、技術も上がった。
できあがってるところが、どこにもなかった。
あの頃はまだ本当に試行錯誤の連続。
なんの資料もないところからはじめなければいけませんでした。
バゲットを作ったら、すり鉢ぐらい硬くなって、『これは武器になるね』って(笑)」

「ルヴァンのご出身ですか?」と訊ねると、
「ルヴァン経由、という感じですね」と。
スピカのパンはルヴァンの方法にさらに改良を重ねた独自の製法で作られる。
「ポンパドールにいたからパンの作り方はわかっていました。
いちばんの基本はポンパドール。
そこに醍醐味とルヴァン。
3つを合わせてスピカ」

スピカは農家から取り寄せた小麦の粒を自家製粉してパンを作る。
製粉会社から取り寄せた粉と、自分で挽いた粉はどこがちがうのか?
そう訊ねると、降矢さんは冷蔵庫から取り出した、僕の好きなパンをスライスして私にすすめた。
「粉の新鮮さがわかっていただけると思う。
まず香りがいい、普通の白いパンにはでてこない。
絶対にちがう。
ちがうでしょ?
まずいわけないですよ。
挽きたてを使っていますから」

普通のパンとはちがって、小麦の香りのエッジが立っていた。
口全体へ、それから鼻へ、アロマの粒が強く刺さってくるように感じられる。
実は2週間前のパンだった(しかも焼き戻したわけでもない)。

それは、「僕の好きなパン」という名前だった。
生地をあまり感じないほどに口溶けがいい。
隙間なく、惜しみなくまぶされた内国産のオーガニックのくるみは、しっかりと渋く、それが噛みしめるごとに甘さへと反転していくのだった。
これだけレーズンやカシューナッツなどドライフルーツが入っているのに、なお小麦の甘さははっきりと感じられる。

小麦を粒から挽いて作るパン屋はまだまだ少ない。
自家製粉には風味の強さなど、いくつかのメリットがあるが、問題は工程がひとつ増えて、作業性が低下することだ。
「ほんのひと手間なんですけど、商売で考えていくと、数を作らないといけないから、他のパン屋さんはそのひと手間がむずかしいと思うんじゃないでしょうか。
ふるいでふすまを取り除く。
種を作るときにこれが入ると、癖があって、ぬか臭くなる。
取り除いて、生地の段階であとから入れます。
食べ物だから麦には捨てるところがない」

ふるいは、スピカを象徴する道具である。
粒から挽いた粉は、ふすまを取り除くために、必ずふるわなくてはならない。
また、製粉会社から粉の状態で届いたものも、一度ふるいにかける。
「ふるいをすべてかけます。
空気が入ってふわっとなる。
酵母が活性化されるし、異物の混入も防げる。
まったくちがうと思いません?」
手で触らせてもらうと、ふるいをかけたあと、明らかに粉がなめらかになっていた。
握りしめると、写真のように、ほどけずにぎゅっと固まった」

ふるいを使うところを見せてくれた。
熟練した職人ならではの、リズミカルで俊敏な動き。
何千回、何万回と繰り返した動作。
もうなにも考えなくても、もっとも合理的な軌跡を描いて手が動いていくのだろう。

(左が小麦、右がライ麦)

小麦は農家から直接仕入れている。
生産者と思いを共有することも、スピカにとって大事な仕事である。
「最初の頃はいろんな農家を歩きました。
歩いたから自信が持てた。
作るものがはっきり見えてきた。
自分たちは加工業。
いただいたものをお客さまに売る。
「おいしかったよ」というお客さまの声を農家に返していく。
自分たちもお客さんから一言あると、うれしいし、気持ちが入る。
農家は1年に1回しかとれない。
『おいしい』という声を聞く機会なかなかない。
お客さんの声を返してあげるととてもよろこんでくれます。
『スピカさんのパンがおいしい』といっていただけることがありますが、
『うちは材料を作ってる農家がすごくいいんですよ』って答えます」

パンを作ることは、農家から受け取った生命をリレーすることではないか。
小麦の粒を見つめているとそういう感慨が浮かんできた。
一方で、スーパーで加工された商品を買うとき、作り手の顔は見えない。
作り手がどういう思いを抱きながら、どういう過程を経て商品を作ったか、まったく無関心でいられる。
粒からパンを作ることは、農家の苦労にいつも関心を寄せ、向き合おうとする精神的な意味もこめられているのではないか。

「パンは粉の味わいだと思う。
それを出すことにいちばん力を入れています。
粉の味、日本の麦の持ってる味」
職人の味ではなく、小麦そのものの味がいかんなく発揮されたとき、パンはもっともおいしくなると、降矢さんは考えている。

かつて自家製酵母のパンは、いまよりももっと、自然食という生活スタイル、一種の思想運動と密接な関係があった。
スピカはその拠点のひとつである。
「自家製酵母は、自然食のパンというイメージだったが、いまはひとつのアイテムになった。
食べ物の大事なところからはじまったパン。
今日食べたものが明日の体になる。
ぜんぶの食材が、薬のかかっていないもの。
顔が見える農家さんから取り寄せたもの。
食べ物だからちゃんとしたものを提供したい。
薬や添加物のないものを」

「油は、鹿北製油の、自然農法の原料から作られたものを使っています。
塩は自然海塩。
あんな高い値段のものをよくうちが使えたなと思います。
オーガニックのごまは10倍、くるみは3倍。
塩化ナトリウムの食塩なら20キロ2100円、自然海塩は21000円。
なぜそれでも使うか。
現場を見にいって、たとえば海水を汲み上げて塩を作ってるのを見ると、『使いたい』と思ってしまう。
でも、材料がどういうものかは一切書きません。
できるだけ味で見てほしい。
情報ばかりが先行するのが嫌だった。
むかしお客さまにいわれた一言、
『おたくのパンは頭で食べるのか』
その言葉がずっと頭に残ってます」

「硬そうでやわらかいのがスピカのパン」と降矢さん。
硬く見えてやわらかく、軽さの中から、焼きこんだハード系のパンでなくてはありえない濃い甘さが滲みだしてくる。
軽さと濃さがこんなふうに接続しているパンははじめてだった。
身は詰まっているのにふわりとして、溶けるとともに内蔵されていた小麦の香ばしさが次々と息を吹き返し、もっともっと甘さが濃くなっていく。
ちりばめられたレーズンの甘さがアクセントとなり、やがて小麦の甘さと合流し、もっと大きな甘さとなっていく。

「おいしいかどうかは、お客さんが選ぶしかないもの。
ここまでは努力しましたが。
パン作りがどういうものなのか、いまだにわからない。
むずかしくて。
ほとんど感覚。
これでいいだろうな、という。
季節によって発酵状態は変わりますが、プロだから、いつも一定のパンをだせるのが我々。
そこにたどりつくおもしろさ。
味を作りだすおもしろさ。
そういう意味での『職人』に、少しなれたと思う」

スピカ 麦の穂
東急池上線 長原駅 / 東急池上線/大井町線 旗の台駅 
03-3788-5536
11:00〜19:00
火曜水曜休み

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