パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
喜福堂(巣鴨)
127軒目(東京の200軒を巡る冒険)

喜福堂のイギリスレーズン(570円)ほど、ラムが濃厚に香るレーズン食パンを知らない。
中身にうつくしく巻き込まれたレーズンの渦巻が魅惑する。
甘い香りの中に入り混じるラムの香りがせつなく立ち上る。
中身はふさふさとした触感で歯をやわらかく包み、唾液をすってはくねっとしなやかにたわむ。
すべてがまったりとしている中でラムだけが突風のように激しい。
アルコールが、舌へ鼻腔へひりひりと突き刺さり、ほんのちょっとだけど意識が遠ざかって小さなめまいさえ起こさせる。
やがて、口溶けの中で小麦粉の甘さとラムの風味がひたひたと混ざりあい、フェイドアウトしていき、最後はやさしい感じに包み込まれる。

喜福堂に生まれた金子摩有子さんは、このパンを子供の頃から朝食として食べつづけてきたという。
いま4代目店主として、自らイギリスレーズンを焼く。
ラムで時間をかけて干しぶどうを戻して風味をしっかり滲みこませることも、生地にそれを混ぜ込んでしまうのではなく、成形するときに巻き込んで渦巻きの模様を作るのも、父のレシピと同じ。
なんと幸福な人生、とパンが好きな私は思った。

「みんなからうらやましいと思われるとしたら、焼きたてのパンの匂いに囲まれてたことでしょうかね。
焼きたてほかほかの食パンをバターもつけずに食べていました。
私はここで生まれて、なにげなくそうしてきただけで。
同級生にはこの商店街で生まれた人も何人かいます。
金太郎飴屋さん、タバコ屋さん…。
このあたりでは、お店屋さんに生まれるのはごくごく当たり前のことで。
家の奥で生まれたので、家族が働いている姿をぜんぶ見ています」

巣鴨地蔵通り商店街、とげ抜き地蔵の門前。
この場所にこんなパン屋があったらいいと、イメージした通りのレトロな雰囲気、クラシックな味わい。
大正5年創業、金子さんのひいおじさんにあたる喜三郎さんと、ひいおばあさんの福さん、2人の名前をとって、喜福堂と名づけられた。
縁起のいい名前を持つパン屋のあんぱんは、巣鴨参詣のおみやげとして名高い。

「当たり前すぎちゃったんだな。
大きくなってそう思いました。
残してくれたものって、こういう味してたんだ。
いまになって重みがわかります。
そういうの感じたときは、祖父もいなくなってしまって。
教えてもらいたいこと、話したいことも、まだまだあった」

3代目の父は、金子さんが10歳のとき早逝した。
大学卒業後すぐ店の厨房に入って、若くして4代目を継ぎ、老舗の看板を背負ってきた。
金子さんを一人前の職人に育ててくれた2代目の祖父もいまはいない。

「あんこは祖父が教えてくれました。
あんまり話さない人でした。
職人なので。
母や父にはあんこのことはほとんど教えなかった。
私が『練るよ』と言ったときは、本当にうれしそうに教えてくれました。
職人気質で、姿を見て覚えろと、父には教えなかった。
私は孫なので、怒られた記憶も、厳しかった記憶もほとんどないし。
祖父は椅子に座って、私があんこを練るのを見ててくれたり、言ってくれたり。
父の代わりに、私を支えてくれた」

おじいさんが教えてくれたことで、いちばん印象に残っている言葉は?
私はそう尋ねたが、金子さんはしばらく考えたままだった。
祖父から言葉でなにかを教わった記憶はないという。

「生き様みたいなものを見てきたかな。
膝から下が真っ青でした。
ずっと立ち仕事をしてきたせいで、鬱血して、ぱんぱんに青ずんでいる。
歩くときは、がに股ぎみに。
足が上がらないので、すり足になって歩く。
80までずっと厨房にいました。
立ちつづけて、私が店を継いだときも、若い子といっしょにあんぱんを包んでくれた。
そういう姿って、言葉じゃなくて、真摯に仕事に向き合う、姿勢で教えてくれました」

祖父の教え通り、金子さんは立ちつづける。
午後3時頃、仕込みを終えると、今度は店頭に立ち、自らあんぱんを売った。
微笑を浮かべて楽しそうに。
パンを指導している聾学校の生徒たちが通ると手を振った。

子供の頃の喜福堂の面影を金子さんは振り返る。
「山奥にあるパン屋さんみたいな感じでした。
パンやお菓子、カップラーメンまで売ってるような。
味は確かだったと思います。
きんつばが売れたという話は聞いたことあります。
とげ抜き地蔵の縁日のときは、3日かけて小豆をふかして、あんこにする。
生まれたての私をおぶって母がきんつばを箱に詰めていく。
あんまりお客さんがきたので、警察官の人が交通整理をしてくれたそうです」

そんな伝説めいた話が語り継がれるほど、あんこは喜福堂にとってもっとも大切なものだ。
たくさんのお客を呼び込み、この店を1世紀に渡って支えてきた。
金子さんが店主になってからは、あんぱんを買い求める客で行列ができた時期もあった。

「ピークのときはすごく作りました。
おもしろいぐらいに、焼きたてできたらどんどん売れていく。
朝起きて、無心にただひたすら作る。
1時までにあんぱんをだすのを目標に、みんなでがんばる」

あんぱん こしあん(200円)
おすすめを訊かれた販売の人は「つぶあんです」と答えていたが、私はこしあんが好きだ。
老舗の和菓子屋にも負けないあんこがこのパンの主役の位置にどっかと収まっている。
甘めのこしあんは、焦げた感じも、嫌みもまるでなく、素直に、まろやかに溶ける。
そして、品のいい甘さが、喉の奥でかすかにじんじんと反響している。
しっとりくねくね、なめらかなパン生地が、あんこの陰でやわらかく寄り添う。

数軒先にはライバル店がオープンする。
あと4年で創業100年を迎える。
それまでには改装し、老舗らしいスタイルを確立したい。
一世紀の伝統を背負う女性店主の悩みは尽きない。

「温故知新がお店のコンセプトです。
古いものを守りながら、変わることも大切だし。
うちにとってあんぱんは昔からの商品じゃないですか。
パンってヨーロッパからきているので、フランスパン、デニッシュ…多種多様。
あんぱんメインにあるパン屋のあり方、どういう形がいいんだろう、すごく悩みます。
どういう売り方をしたら、お客さんに楽しいと思っていただけるのか、そんなことを考えています」

喜福堂の温故知新。
たとえば、流行を追ったデニッシュではなく、あんぱんのおいしい店のデニッシュ、というなつかしくも新しい立ち位置。
デニッシュとはぱりぱりの皮を味わうものだと思っていたが、喜福堂のデニッシュはちがう。
中身の白い部分のやさしさ、輝かしい甘さがひときわ心に迫る。
皮の香ばしさもありながら、焦眉は白い中身とフィリングのマリアージュ。
まるであんぱんのように。

ソレイユ(280円)。
太陽のように黄金色に輝く。
ねっとりとやわらかい中身。
特にカスタードが注入された中心部。
生地とクリームが渾然一体となって、甘さも食感も、さくさくではなく、とろとろと表現しなくてはならない、デニッシュとしてはまったく新しい事態。
卵味の練乳という趣きのやさしく、なつかしいカスタード。
甘い一方ではなく、丸ごとのオレンジがむせかえるほどの芳香と苦みで、変化とコントラストとフレッシュさを与える。

老舗のなつかしさと、女性店主のやさしさ。
2つの感覚は親和性が高く、かつ山手線内唯一無二。
100年をずっとずっと越えて、昔ながらの日本のパンを伝えていってほしい。


JR山手線 巣鴨駅
03-3917-4938
10:00〜20:00
月曜火曜休み(4が付く祝日は営業)

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Comment








いつも楽しく拝見しています。
こちらのお店のお話を読んで、なんだかとても感動しました。
巣鴨に行った際は是非買いに行きたいと思いました。

今後も楽しみにしています。
from. パン子 | 2011/11/23 11:10 |
パン子様
ご覧いただいてありがとうございます。
ぜひお店に足をお運びください。
一生懸命仕事をするパン職人さんの生き方は感動的だと、私もいつも思います。
from. 池田浩明 | 2011/11/23 23:43 |
かしわで


おすすめを訊かれた販売の人は「つぶあんです」と答えていたが、私はこしあんが好きだ。


とあったけど自分はつぶあんが好き。っていうか自分もつぶあんが好き。
だからそそられる。

「私はこしあんが好きだ」にたいそう引かれる。つぶあんが好きだからこそ惹かれる。

from. かしわで | 2011/11/24 13:04 |
かしわで様
こしあんとつぶあん両方食べたんですけど、僕的にはこしあんが好きでした。
お店の方がおすすめするぐらいなので、つぶあんだって全然おいしいです。
世の中にはこしあん好きとつぶあん好きが存在しますが、なんでそうなのか、という話をパンラボの単行本の原稿でさっき書いてたところでした。
from. 池田浩明 | 2011/11/24 14:19 |
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