パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
天然酵母とのうまい付き合い方 帝国ホテル金林達郎 講習会
金林達郎。
現在、帝国ホテル・ベーカリー課の課長を務め、第2回クープ・デュ・モンド(パンのワールドカップ)では、キャプテンである帝国ホテルのベーカリーシェフ山崎隆二氏をサポートし、日本チームを史上唯一の優勝に導いた。
また、かつてはラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションのシェフとして辣腕をふるい、現在のメニューを作り上げた人物でもある。

その金林さんが、『天然酵母パンとのうまい付き合い方』と題する講習会を行った。
主催の「NPO法人 食育研究会 Mogu Mogu」は、さいたま市に本拠を置き、親子で参加できる食育のイベントなどを行っている団体。
金林さんは、イーストとホップから起こした自家製酵母による食パン、カイザーゼンメルなどを作りながら、天然酵母やパンについて、6時間ものあいだひとりで語りつづけた。

「天然酵母大好きさんがいちばん嫌い」
と、冒頭から言い放って笑いを誘う。
自家製酵母に早くから注目し、製法を手のうちに入れた金林さんの目に、天然酵母はさまざまな誤解と幻想に取り巻かれているように映る。

(ホップから起こした酵母)

「天然酵母ってどこにあるの?
ここにあります。
空中を飛んでいる。
春と秋でも発酵状態はちがうし、ここと、向かいの公園でも、飛んでる酵母の種類はちがうでしょう。
なにしろ、ここらへんに飛んでるものが天然酵母なんだから。
果物がなる季節はいい酵母がとれます。
だから、秋口はいいパン種ができる。
桃とか柿とかいろいろなものから取れるけど、どれから取ってもいっしょです。
水に漬けてしばらく置いておくと、ぶくぶくしてきて、まわりの酵母もいっしょに増える。
そのとき、酵母だけでなく腐敗菌もいっしょに増えます」

果物の表面などに付着していた酵母菌が水の中に漬けられて、活動に適した環境を得ると、糖を食べて、アルコールと炭酸ガスを吐き出す働きをはじめる。
このとき空気中に浮遊している酵母やその他の菌も集まってきて、コロニーを形成する。

酵母を含んだこの液体に、約24時間おきに小麦や水などを何度か加えていき、パン種を作る。
なぜこれを行うのか、いい種とはどういうものなのか。

「小麦と水を加えることによって、腐敗菌が減っていく。
これを種継ぎといって、やるたびにphが下がって、酸の働きで腐敗菌が減る。
腐敗する要素を排除して、酵母を増やしていくのが、種を作ることです」

種継ぎを行うと乳酸菌が増える。
乳酸菌が増えるとphが低くなり、酵母菌のライバルである腐敗菌が死滅する。
乳酸菌の活動が、酵母に向いた環境を整えてくれて、その結果、酵母が増殖するのだ。
種継ぎは、単に酵母の量を増やすだけではない。
自分の作りたいパンに向いた酵母を選別するという意味で、質にも関わっている。

「小麦粉という貧しい環境で生きていける酵母菌を選んで、増やしていく過程が種継ぎ。
段階的に悪い環境(酵母のエサになる糖分の少ない環境)を作ってあげる。
種継ぎするたびにだんだん発酵力がついて、イーストに近づいてくる。
でも、6回以上やっても、それ以上、発酵力はつきません」

種継ぎで加える原材料は、酵母を増やすための培地の役割を負う。
最初は糖分を与えて、酵母の働きを活性化させる。
そのあとは、段階的に、自分が最終的に作りたいパンの生地の環境に近づけていく。
フランスパンなら小麦粉と水と塩だけ、菓子パンなら糖分の入った生地。
まさにそういう環境で活動がマックスになるような酵母だけを選び込んでいくのだ。

「あんぱんに使う酒種酵母は、砂糖がいっぱいの環境で働ける酵母です。
ホップス種は砂糖の少ない環境で働く。
だから、食パン生地に合っている。
パネトーネは甘いパンに使いますけど、そういう環境で生きられる酵母菌だから。
スターターはなんでもいっしょです。
小麦粉と水だけで継いでいけばフランスパン。
多少砂糖が入ると、食パンやイギリスパンに向くものが生き残る。
あんぱん(酒種酵母)やパネトーネは、そういう菓子パン生地に似た環境で培養された酵母菌ということです」

金林さんはこういう言葉を使った。
「酵母を選択的に使う」

パンの種類によって適した酵母があり、培養の仕方がある。
その主導権を作り手が握るということ。
それは、天然酵母という神話にいたずらに振り回されないことでもあるだろう。
そのひとつの例として、イーストの原産国によっても、向くパンと向かないパンがあることを挙げた。

「フランスのイーストは、貧しい環境で育つ。
だから、糖分の多い生地に入れると、むきになって食べ過ぎて、元気がなくなっちゃう。
日本のイーストは必要な分しか糖分を食べない。
そういうイーストにとっては、フランスパンの生地だと栄養がなさすぎて、向かない」

金林さんの経験の豊富さ。
フランスをはじめ本場のパン作りの現場にも知悉し、イーストの工場で実際に酵母を生産する場面も見ている。

「酵母菌って植物なんです。
イーストを作る工場では、草花を育てるときの肥料と同じような、窒素・リン酸・カリそういうのが入っているものを与えて増やしていく。
できあがったイーストは、検査機関で検査をしているので、そういうものは残留していないってわかる」

「スイスの田舎にいくと、パン屋は遠くまでいかないとないので、自分の家で焼いてる。
こね桶を掃除しないので前回こねた生地がくっついてる。
こびりついた生地を引っ張るとぺりぺりぺりってはげる。
日本とちがって、ヨーロッパはすごく乾燥しているからです。
掃除しないで平気でほっといたこね桶に、水をかけて粉を入れて、
『神様、おねがい』
って言って、30分ぐらい置いといて、それでこねると、1週間に1度しかパン作らなくても、おいしい。
こね桶に酵母菌がくっついているから」

酵母を増やすためのもっとも近代的な方法であるイースト工場と、もっとも素朴な例であるヨーロッパの田舎を例として持ち出したあとで、このように言う。

「イーストの工場も、自分で種をつくるのも、どうやってパンになる酵母菌を増やすか、ただその方法のちがいだけです」

両方とも酵母菌であることに変わりはなく、それ自体が健康であったり、健康に悪いなどということはあり得ないと。

金林シェフの焼いたパンと、シェフの持参したレシピで作ったミネストローネ、Mogu Moguのみなさんにご用意いただいたおいしいチーズやハムとワインの昼食。
その間も、金林さんだけは食べず、ひとりでしゃべり、会場を沸かせつづけた。

オーブンから出たばかりのパンを「焼きたて」といって尊ぶ風潮について。
「パンは冷たいもんです。
ごはんだって電気釜で炊けたすぐの米、あれまずいんですよ。
おひつに移して、余分な水分を飛ばしたあとのほうがずっとうまい。
パンもそう。
テレビのグルメ番組で、あつあつのパンをレポーターのおねえちゃんが『おいしい!』って言うの、それは許さない。
ついにテレビがこなくなった(笑)」

パンは少し時間が経ち粗熱がとれていくにつれ、発酵の臭みが抜け、旨味が内部まで浸透していく。
だが、最近では素人のみならず、プロフェッショナルまであたたかいパンを求めだしたと嘆く。

「結婚式で最初にあたたかいパンを出したのは、フォーシーズンホテル(椿山荘)。
なぜか?
フォーシーズンだけは、(自分で作らないで)関口フランスパンから買ってるから。
『パンはあったかいほうがいい』『あったかいほうがいい』って、私もしょっちゅう言われて、その度に断ってたんだけど、『1回だけでいいからやってくんない?』っていわれて、ついにやったのが、コックの集まり。
パンの味をコックが知らないんです(笑)。
ふかし直しの飯を客に出すか? っていうのと同じことです。
2時間前に焼いたパンを食べごろで出す。
帝国ホテルは料理はうまいけどパンはまずい、っていわれるなら私も納得するけど、パンが冷たいっていわれる。
パンがいちばんおいしくなる焼成後2時間後に出すために、帝国ホテルでは1日6回焼きます。
それを『あたためろ』って、そんなバカな(笑)。
パン屋の地位って低くて、宴会のメニューにお菓子の種類は書いてあるが、パンは『パンとバター』しか書いてない。
料理は食べるときあたたかいのを持ってきますが、パンと花は最初からテーブルに置いてある。
パンは本来ちょうどよく冷めてるもの。
室温ぐらいが食べごろだからです」

金林シェフがクープ・デュ・モンド世界大会の審査委員も務めたときのエピソード。
「フランスでフランスのパンを焼かないといけないのに、選手はみんな自分の国のパンを持っている。
イタリア人はイタリアのパンを焼く。
手が覚えちゃってる、体が覚えちゃってる。
同じ粉を使っても、つい自分が触り慣れてる生地にしちゃう。
そういう人に、『フランスのパン作ろうよ』とはいえない。
腕はいいんですよ、イタリア代表なんだから。
ウルグアイのパン屋もそうですよ。
大きさも不揃いだし、切り口も汚い。
でも、食ったらうまいんだ、これが(笑)」

クープ・デュ・モンドは、フランスパンという物差しで1位を決める大会である。
だが、おいしさの物差しは、本来たったひとつではない。
それは国や地域の数だけ、食べる人の数だけある。
それがパンという文化を、より豊かで、深いものにしている。

(右・イースト、左ホップス酵母)

昼食のあと、ついにイギリス食パンができあがった。
イーストで作ったものと、ホップスから起こした自家製酵母で作ったものと。
そのおいしさたるや。
おしゃべりをつづけながら、しかもはじめての厨房で作ったとは思えない完成度だった。

イーストのもの。
リーンで、ふわふわで、口溶けよく。
無色のおいしさ、みずみずしさ。
どんな食事をも邪魔しないだろう。

ホップス種のイギリスパン。
重さや、硬さ、酸味といった、いわゆる天然酵母らしさはどこにもない。
イーストのものと食べ比べてやっと、やや重いとわかる程度。
そして、より豊かな味わいが、舌の上で複雑に、あたたかく滲む感じが、自家製酵母ならではのものだった。

再び、天然酵母の話題へ。
「よくパン屋のホームページなんかみると、よさそうなことが書いてある。
『酒種でフランスパン』、矛盾している。
『果実種の香りがするパン』、おかしい。
字で書かれるとおいしい気がするけど、実はまだパンになっていない」

「パンというのは、最後までぜんぶいわないといけない。
たとえば、木村家のあんぱんは、もそもそするし、異臭(酒種の香り)はする。
でもぜんぶひとくくりにすると、おいしい食べ物。
私はよく食べます。
フルでいわないと失礼になる。
ちょうどいいバランスで作ると、木村家のあんぱんのようにおいしくなる」

金林さんはこうした表現をしばしば使った。
「パンになる」「パンになっていない」
最適の発酵を取り、食感においても、味わいにおいても、小麦の可能性が最大限に引き出されたならば、「パンになる」。
その頂点から、少しずれていたとしても、おいしいパンはある。
それが、素朴さや、伝統や、個性と呼ばれるものだ。
作り手と食べる人のあいだに通じ合うものがあれば、成立する。
だが、「天然酵母」というエクスキューズに寄りかかるばかりで、「パンになっていない」ものに対しては、プロとして厳しい目を向ける。

「こういう表現があります。
『もちっとしておいしい』
もちっとしているというのは、十分に発酵していないということ。
天然酵母大好きさんには怒られるかもしれないけど。
私も天然酵母は大好きなんですよ。
天然酵母を好きっていう人が、実は天然酵母を好きじゃないんじゃないか。
なにかまちがった信仰心がある。
イーストは健康に悪いとか」

「イーストはキリスト教やイスラム教みたいな一神教。
天然酵母は仏教。
場所場所でいろんな神がいる。
私だって、天然酵母が好きじゃなきゃ、種継ぎみたいな、こんな面倒くさいことしませんから(笑)」

イーストも天然酵母も酵母である。
発酵力というたったひとつの基準によって選び出された、たった1株の酵母を増殖させるのか。
目に見えないありとあらゆる微生物を八百万の神として尊び、自分の作りたいパンに奉仕してくれるよう導きながら、自分の意図を超えた働きも、味わいとして許容するのか。
どちらがいいというのではなく、それは私たちに与えられた2つの選択肢である。

最後に作ったのはプレッツェル。
ドイツではパン屋のマークになっているほど、伝統的で、食生活に溶け込んでいるこのパンは、苛性ソーダという劇薬指定された薬品の水溶液に、成形した生地をくぐらせる。
だが、焼成後に検査しても、苛性ソーダが検出されることはないし、食べて危険なものではまったくない。
聴衆も参加し、紐のように延ばした生地をおなじみの形に結び、目の前で苛性ソーダの水溶液に浸けた。
オーブンから出てきた生地は、褐色のおいしそうな焼き色に変貌していた。

(褐色は苛性ソーダの水溶液に浸けたもの。白っぽいのはただの水に浸けたもの)

プレッツェルによって金林さんが伝えたかったことはなにか。
根拠のないイメージによって、イーストを毛嫌いする必要はない。
むしろ、パンは科学と手を携え、科学とともに発展してきた。
おいしいパンを焼くためには、科学的な思考を持つことだと。(池田浩明)




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