パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ブラフベーカリー
134軒目(東京の200軒を巡る冒険)

横浜元町はパンのふるさとである。
幕末に開国されたとき、外人居留地ができたこの一帯には、いち早く英米人向けのパン屋が開店した。
日本で最初に食パンを焼いたのは、いま元町にあるウチキベーカリーである。
おなじみのベーカリーチェーン、ポンパドールの発祥もこの町だ。
元町商店街から坂を上がっていく。
それはこの町が、アメリカ文化が日本の岸辺を洗う波打ち際にあったことを表すかのようだ。
ペンキのはげかけた、英語の看板を掲げたクリーニング店。
横板張りの木造の壁を白いペンキで塗って洋館風に仕上げた花屋。
異人館が立ち並ぶ丘へ上がりきるその手前に、横浜の青い海の色のようなコバルトブルーのパン屋がある。

「横浜は大好きな場所です。
地元は石川町のほうで、トンネルの向こうに自分の通ってた小学校があります。
店をやるなら、この坂でやりたいなと思っていました。
だから、この物件が空くのを待って独立しました。
おじいちゃんの代からのパン屋で、3代目です。
2代目だったらちがう職業を選んだかもしれないけど、3代目だとパン屋以外考えられない。
子供の頃から親父のパンを食べてきましたから」

ブーランジェリー ラ・テールのシェフとして名を上げた栄徳剛さんが独立し、業界関係者の注目を浴びながら開店した新店は、いままでにない新しいコンセプトを掲げた。

「ニューヨーク、アメリカのスタイルです。
実際、アメリカは他民族国家で、もともとアメリカにあったパンというのはありませんよね。
アメリカのパンというのは、移住してきた人が作る、フレンチスタイル、イギリス、イタリアのパンで、もしかしたら日本のパンも出してる人がいるのかもしれない。
だから、自分というフィルターを通して、自由な考えで店を作っています。
アメリカというイメージ…それはパンの大きさだったり、商品構成だったり。
いちばんわかりやすくいうと、ディーン&デルーカのセレクトですね。
日本ではなく、ニューヨークのデルーカ。
たとえば、ベーグル屋は専門店になっていて、ベーグルしか売っていませんが、そういういろんな専門店の商品を集めてきたような店というか。
ニューヨークのパン屋っていうと、真っ先にエミーズが浮かんでくるんですが、エミーズのようなスパイスをきかせたパンも取り入れてますし。
エミーズだけになっちゃうとつまらない」

ブラフベーカリーは楽しい。
はるばる横浜まで出かけても決して損をしない。
ここには私の食べたかったパンがあった。
棚に並んだシナモンロールのアメリカンな大きさに目を見張る。
チョコレートのパンにはハーシェイズを使用。
ホットドッグは、アメリカのスタジアムで食べるような甘くないパンに、極上のソーセージをはさむ。
挽いたままのピーナッツバターとジャムをはさんだ食パンのサンドイッチ。
ハリウッド映画で見るような、キャロットケーキにバナナケーキ。
そんじょそこらではないおいしいマラサダに、カレーを入れたり。

シナモンロール(290円)。
チーズを使ったアイシングのすばらしさ。
フルーティで、甘さがふわっとしていて、滲み入るようで。
パンのおいしさ。
素朴だが、ねちっとして、ふわふわでもあって、重くはなく、でも味わいは深く、そして中心には純粋な小麦味の白さもあって。
ゆっくりと溶けていく中身と、それを取り巻くシナモンシュガーとの相性のよさに浸りきろうとしていると、またチーズに魅き込まれる。
そこには酸味もあり、練乳のような華やかさもある。
その甘さによって、またパンのほうを食べたくなって。
ずっとそれを繰り返さないといけなくなる、味覚の永久機関。

はじめて食べるようなアメリカンなシナモンロールに、なぜかあるなつかしさ。
それは素材選びの段階から狙って作り出されたものだ。
「クリームチーズをいろいろ試してみて、フィラデルフィアが作りたいイメージに合っていました。
キリ(フランス産のクリームチーズ)じゃなかった。
アメリカのシナモンロール、シナボンなんかのイメージですね」

流行を敏感に取り入れるパン屋。
それはブラフベーカリーのほんの一面にすぎない。
スタイルに加え、技術、哲学、そして、それらのバックボーンをなす、シェフ自身の人生が、パンの味から感じ取られるのだ。

たとえば、ホワイトブレッド(250円)という名の角食。
「特注の型を使っています。
普通の型は縦長が多いんですが、これはちょうど四角。
アメリカの食パンって四角いんです。
この型の特徴で、皮が薄くぱりっとできます。
角食というのはスタンダードなものなので、うちの親父もそうだったんですけど、内麦じゃなく、カメリアやヨットのような、昔からある定番の外麦を使っています」

食パンの理想通り、バターの香りがほのかに漂ってくる。
焼き色が濃く、いかにも味がありそうで、でも皮が薄いために一部がぺらっとはがれている。
皮に比べて、中身のかさがない、くしゅくしゅな感じ。
それも、上出来の食パンに共通するものだ。
中身は実にやわらかく、口の動きとともに、意のままに動く。
口に入れたあとの数瞬は、ただ心地よい透明な味わいだと思ったら、そこから怒濤のような、ミルキーな甘さの逆襲に遭った。
スムースな口溶け、甘さのふわっとした感じ。
無敵の幸福感。

真四角の外見はアメリカ。
素材を活かしきる技術。
それだけではなく、食べる人の記憶の部分にまで、この食パンは訴えかける。

「フランス人のところで3年間修行して、なんでもパンを作れる気でいたとき、久しぶりに帰ってきて食べた、親父の作った食パンがおいしかったことを、いちばん覚えてますね。
なつかしさだったり、食べ慣れた味は、大事にしています」

食パンに父親と同じ小麦粉を使用する。
それは、スタイルや技術のような目に見えるものだけではなく、「おいしさ」が、人の心や時間という見えないものに左右されることを知っているからだ。
食パンの生まれた町で、パン屋の3代目に生まれた栄徳シェフが作るもっとも新しい食パンには、幕末以来の伝統が流れ込んでいるはずだ。

パンのイメージに合わせて、自在に粉を変え、ブレンドを操る。
バックヤードに置かれた小麦粉の袋が実に多種多様な銘柄であることに驚いた。

「使ってるのが、けっこうふくらまない重い粉が多くて。
準強力粉のリスドオル(フランスパン用の定番)+薄力の全粒粉の細かいのを入れたり。
重くて味がある。
軽いの求めてる人は『ちがうんじゃない?』って思うかもしれませんが(笑)。
フランスパン用の粉のような灰分(ミネラル値)の高いもの、小麦のおいしいところを使ってます。
それと、僕の中でいま薄力の全粒粉っていうのが流行ってて。
全粒粉だけでも、薄力、強力、国産、グラハムっていう使い分けをしています。
ラ・テールでやってなかったらこれだけの粉は使えなかったかな」

レジの後ろには、「お店をやるとき飾ろうと思って買っておいた」草間弥生のかぼちゃの版画。
ブラフベーカリーのコバルトブルーは、イブ・クラインのキャンバスにある、インクから直接絞り出したままの、生々しい衝撃的な青をイメージしている。
それを具現化したのは、大阪のデザイン集団、グラフ。
トング、トレー、プライスカードも特注品。
極めつけは、売り場と厨房の仕切り壁に設けられた窓。
動く絵をイメージしているという。

「いつもちがった絵がある。
働く人間が絵なのかなって。
あそこでお客さんと会話もできますし」

たしかに私も絵のようにその窓を見ていたのだが、突然栄徳シェフが飛び出してきて、窓越しに焼き上がったばかりのパンを並べはじめたのには驚いた。
それから、突然訪れた知人と窓をはさんで話をはじめた。
北海道から、小麦の生産者である前田さんが、家族を伴って訪ねてきたのだ。
前田さんのよろこびは、そばにいた私にも伝わってくるようだった。
自分の作った小麦が、輝くばかりにかっこいいパンになって売り場に並んでいる。

「こっちから生産者をトレースできる(作り手が誰かわかる)ということは、生産者からもされてしまう。
そういう人がきて、パンを食べてよろこんでくれないと、おもしろくない。
申し訳ない。
ラ・テールのように、トレース100%で作ることって、他のお店ではないこと。
前田さんとのつながりがあるなら、前田さんの小麦を使ってなおかつ、おいしいものを作らないといけない」

前田さんのキタノカオリを使った食パンは「ブラフの看板商品」となって、この日も早々と売り切れていた。
小麦とパンのもっとも幸福な関係をそこに見た。
小麦はパンにしてみないと、誰もそのすばらしさを体験することができない。
それを司るのはパン職人のみに許される特権である。
外麦、特にアメリカ・カナダ産に比べて、日本の小麦はたんぱく量が低い。
えてして、ふわふわさを欠いた、食べにくいパンになる。
作り方によっては味わいの豊かさが野暮ったさともなる、日本の麦を人気商品に仕立てているのは、栄徳シェフの腕があってこそだ。

「国産粉は素材の特徴からアイデアが出てくることが多い。
キタノカオリはもっちりして、乳製品との相性がすごくよかった。
キタノカオリを使って食パンを作ってみたんですが、皮がどうしてもさくっとしない。
そこをずっと、いいのできないかと考えて生クリームを入れてみました。
さくみ(さっくり感)が出ない粉だけど、ほろっとした、さくみのようなものが出た。
反対にハルユタカの場合は、砂糖も油脂も入れない。
シンプルに食べてもらおう。
キタノカオリってなにかを混ぜると、よさが半減する。
他の小麦を混ぜることも考えなかった」

「大地のパン」というコンセプトを掲げていたラ・テールでは、国内産の小麦、とりわけ農家から直接小麦を取り寄せるという「顔の見える関係」にもこだわった。
麦を作る人の思いを知ること、それはパンの作り手の態度も変える。
ただ、おいしいだけでは足りない。
パンの中に小麦の個性が活きていなければ、その小麦で作る意味がないと。

「甲斐小麦(山梨県でパン用の小麦を無農薬で作るプロジェクト)を見にいったことがきっかけでした。
農家さん、すごく大変なんだな。
こんな思いして、作ってるんだ。
それを活かさないといけない。
内麦のレベルも上がってきました。
たくさん種類もでてきたし、味もいいものが多い。
外麦の代わりに使うんじゃなくて。
ハルユタカもキタノカオリもすごく個性がある。
日本が誇る、世界に羽ばたける粉。
外麦と同じもの作っても、価格勝負で負けてしまう」

ハルユタカやキタノカオリという銘柄を冠したパンが多くの人びとから評価を受けるということ。
それは、とりもなおさず、日本の小麦の評価を上げることだ。
いま日本の農業、とりわけ米や麦など穀物の生産は危機に瀕しているといっていい。
高齢化による耕作放棄、減反など政策の貧困が呼ぶ自給率の低下、そこに放射能の問題も加わった。
栄徳シェフら、才能あるパン職人の手で日本の小麦を世界的ブランドに押し上げられれば、困難な状況が一変するかもしれない。

かつて、内麦でパンはできないといわれていた。
その固定観念を打ち破って、国産小麦を使ったパン作りの先駆者となった、ブノワトンの故高橋幸夫シェフ。
農家をまわり、頭を下げて買ってきた小麦をトラックで輸送して自家製粉し、ついには自前の製粉工場まで建てた。
無理がたたってか、病で夭逝した高橋シェフと、死の直前、会う機会があったという。

「ブノワトンの高橋さんと、シニフィアン・シニフィエの志賀勝栄さん、それから僕が志賀さんの助手について、3人で講習会をやったことがありました。
そのときはもう、高橋さん、手術していた。
『おにぎり1個で十分だよね』なんて、元気がなくて。
『あとはよろしく頼む』って。
『なに言ってんだよ、おまえがやらなきゃダメなんだよ』って志賀さんは言ったけど。
バトンを渡されたからには、がんばらなきゃいけない。
遺志は継いでいかなきゃいけないし、高橋さんの目指したものを大きくしていかなきゃいけない」

一流デザイナーを起用したスタイリッシュな店舗作り、あるいは昼休みの時間を作ることでスタッフのやる気を高め、ただパンを売るだけでなくコンシェルジュとなってほしいという運営方針。
栄徳シェフは、自分がパン業界を牽引していくのだという、自負と使命感を感じているようだった。
彼が、最後に向かおうとしている場所はどこなのか。

「いまはそれはできないけど、最終的に表現したいことはあります。
日本人としての自分を表現したい。
日本の美というのはシンプル。
シンプルな中で表現しようと思う。
そのためにはもっと素材を勉強しないといけない。
ブラフベーカリーをずっと続けていく気はありません。
次へのステップというか、最終的なことのためのプロセスになるのかな。
日本というのは、イメージでいえば伊勢神宮だったり。
きらびやかではないんですよ。
素材自体の中によさがあるんじゃないかな。
副材料を使わない。
そのためには天然酵母も知らなきゃ。
いろいろテストはしてます。
将来の自分のために」


045-651-4490
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#134
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かしわで




面積の小さい真四角で長い食パン。
袋に50枚くらい入ってるような。


ああいう食パンを見ると無条件に反応してしまうんです。
自分の抱くアメリカの家庭の食卓イメージがそれ。


腹を空かせた男のちびっ子や男の大人が、
袋から雑に取り出して、雑にピーナッツバターを塗る光景。

これが自分のBIG AMERICA。

ここにシナモンロールやドーナツを加えればほぼ完成。
つまりスタバのパンコーナー。


ニューヨーク・スタイルかぁ〜〜


ときめくなぁ〜

ざわめくなぁ〜


from. かしわで | 2012/02/07 15:24 |
かしわで様
本格派であり、ネタものの宝庫という、希有な存在です。
from. 池田浩明 | 2012/02/08 10:00 |
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