パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ヴィロン エグゼクティブシェフ 牛尾則明 【職人インタビュー 008】
うしお・のりあき
ル・スティル専務取締役。
1960年、兵庫県姫路市に生まれる。
高校卒業後、ニシカワ食品に入社。
ビゴの店での研修を経て、直営店の立ち上げや商品開発に携わる。
2003年6月、シェフとして渋谷にヴィロンをオープン。

誰も登ろうとしなかった高い山へ、あえて踏み込む。
一種の冒険であり、賭け。
パリでもっともおいしいバゲットを、その通りに作り、その通りに販売する。
そのためにまず取りかかったのは、希少なフランス産小麦を輸入すること。
数億を投じて、パリさながらの店舗を東京の一等地に作り、フランスの伝統を守りながら、日本人の繊細な技術でそれを超えるようなバゲットを作る。
牛尾則明は、パン職人冥利につきるようなプロジェクトをシェフとしてまかされ、予期せぬアクシデントに出遭いながら、期待値を上回るクオリティで実現した。
1000行の物語は、地方の一高校生が、パン工場に就職するところからはじまる。


「働いてる人は、みんなランニングに腹巻き、汗でべとべと。
帰りに『パン屋だけは絶対やめとこうな』と仲間で話し合った」

「もともと、僕、手作業でなにかをやるというのはものすごく好きでしたから。
でも、仕事にそれを選ぼうというところまでは思わなかったですね。
若い頃だから、給料のいいところ、大きな会社に就職、そういう一心で外資の会社を受けたんですけど、そこが落ちてしまった。
学校の先生といろいろ話をして、パン屋さんどうかなと。
農業高校の食品加工科に入ってたので、製菓製パンの工業機器の勉強はしてましたんで。
ニシカワ食品という兵庫県加古川市の会社に入るんですけども、そこは高校時代、授業で工場見学に行ってるんですよ。
労働環境はものすごく厳しくて、オーブンのところなんかものすごく暑い。
いまのように空調もなにもないですから、窓開けっ放し。
働いてる人は、みんなランニングで腹巻きして、汗でべとべとですよ。
帰りに『パン屋だけは絶対やめとこうな』と仲間で話し合った(笑)。
でも、卒業してみると、そう言いあった4人ともみんなパン屋に就職してた(笑)。
なんか縁があったんでしょうね。
親の手前、就職しないわけにもいかないので、『とりあえず1年はがんばる』と先生には言いました。
その1年のあいだに自分の本当にやりたいことを見つけると。
その年にニシカワ食品11人入ったんですけど、翌年には半分に減り、結局いま残ってるの2人ですね。
ひどいのは、1日で辞めたのもいました。
それぐらい厳しい職場でしたね」

「『教えてくれ』といっても、ばんばん弾かれる。
だったらもう盗むしかないなと」

「パン屋さんって覚えることはものすごくあるんですよ。
計量からはじまって、分割、成形、焼成、冷却、出荷。
ものすごく工程がいっぱいあって、こんなたくさんのものを覚えるのたいへんだなと思った。
僕は単純にこう思いました。
いちばんむずかしいものにトライして習得すると、あとはついてくるんじゃないかと。
いまとなってはものすごく安易な考えだったんですけど、そういう思いでその当時の上司に『なにがいちばんむずかしいんですか?』と訊ねたら、それは、おまえ、フランスパンだよ
フランスパン覚えりゃ、あとはついてくるんだって勝手な思いで、『じゃ、フランスパン教えてくださいって言ったら、
『ペーペーの素人のおまえにできるわけがない。教えられない』
教えてくれないんですよ。
僕は別の仕事をしていたんですが、フランスパン焼いてるところは通路のすぐ横でしたから、いつも見えるんですよね。
じーっと立ち止まって見てると怒るんですよね。
昔の職人さんでしたから、技を取られるという感覚で、『どけ『あっちいけと怒られるけども、やっぱり興味ある。
カット入れたらクープが割れますよね。
菓子パンとか食パンとかは、そういう変化ってないんですよね。
単にふくれるだけ。
弾けて割れるという変化ないんで、なかなか興味深いなと。
それで、『教えてくれ『教えてくれといっても、ばんばん弾かれて、だったらもう盗むしかないなと。
教えてくれないんだから。
通り際にちょっとずつ見て、盗む。
そこは常に通るとこなんで。
パンの本や教材は会社にたくさんありましたから。
自分で独学ですよね。
『正統フランスパン』というレイモン・カルヴェルさん(フランス国立製パン学校教授。日本に本物のフランスパンを伝えた人物)の本があって、それは端から端まで読みました。
学習だけでは駄目だから、みんなが帰ったあと、自分で仕込んだり。
最初はぜんぜんパンにならないんですけど。
そういう試行錯誤をしながら、ま、そんなにものすごくいいものではないんだけど、それなりにパンができるようになってきた」

「次、おまえ、切れ。
俺より早かったら、このポジションおまえにやる」

「ちょうどそのぐらいのタイミングで、フランスパンをやってる人が胃潰瘍になったんです。
で、来週から入院するという話を聞いて、上司に『僕にやらせてください』と言ったら、『いや、おまえにはできない』
『できないかどうか、判断してくださいよ』
『わかった』
生地35キロぐらいをどーんとあげて、『時間計れ』って上司が言って、自分でがーっと切りはじめたんですね。
350グラムにカットしていくんですよ。
めちゃめちゃ早いんですよ、それが。
すごいなあと思って。
ちょうど100個ぐらいできるんですけど、だいたい10分ぐらい。
『次、おまえ、切れ。俺より早かったら、このポジションおまえにやる』
そんなの勝てるわけないですよね。
『何グラムにカットするんですか?』って訊いたら、『知らない』って言うんですよ。
もう自分が切り終えたときに、はかりの重りを変えてるんですね。
『おまえはそれを見てなかったのか? おまえには最初から資格ないよ』
時間計れって言われたもんだから、僕は時計しか見てないですからね。
で、『何グラムですか?』『知らない』っていう押し問答を5分10分した頃に、『じゃあ350で切れ』って言われて。
1個切ったら、持っただけで『軽い』『重い』って返されるんです。
結局、40分ぐらいかかったのかな。
その生地はもうアウトですよね。
ふくれすぎてる。
過発酵。
それが頭にきてね。
僕、その当時14、5時間働いてたんですけど、仕事を終えたあと、食パンとかの古生地を利用して一生懸命練習した。
やっぱりコツがあるんですね。
その人がやるのじっと見ながら、『そうか、ああいうふうにやるのか』って思いながら、1ヶ月近くかかって、やっと10分ぐらいで切れるところまでいったんですよ。
ところが、10分だとその人に勝てないですよね。
『俺より早く切れたら』だから、最低でも9分で100個切れないといけない。
あと数十秒って、なかなかそっからが縮まらないんですよ。
そしたら、ある人が『スケッパー(パン生地を切る包丁)があまり切れてないんじゃないの?』と教えてくれた。
そういや、けっこう手応えが硬くて、さくさく切れないんですよね。
工務室に行ってグラインダーで研いだら、紙がさーっと切れるぐらい鋭くなった。
するとね、9分半ぐらいでいける。
でも、1歩まちがえると指が切れますからね。
練習中には手を刺しました。
ひと月半ぐらいしたとき、その上司に、『もう1回テストやってください』
『じゃ、やれ』
僕、9分22、3秒で切った。
そしたら『明日からおまえやれ』って、そのポジションを確保したんですよね」

地方の一パンメーカーであるニシカワ食品が、なぜヴィロンを生み出すことができたのか。
資本力、経営力があったことはもちろんだが、それに加えて、もの作りの伝統、切磋琢磨しあう職人の文化が存在したことが大きな理由である。
牛尾則明というパン職人は、厳しい上下関係を揺りかごにして生まれてきた。

「『これ作ったの誰だ?』
『私です』スタッフのひとりが言うと、叩かれる」

「そのうち、営業の人に、『フランスパン最近、評判いいよ。おまえのパン、割れ方きれいなんだよ。見た目が前とちがうよ』って言われて。
(クープ[フランスパンの切れ込み]を入れるための)かみそりも、自分で割り箸に挟んで、マイかみそりを作ったりして、いちばんきれいに割れるかみそりの角度をいろいろ検討もして、それでまあすごくきれいなものができるようになっていました。
当時の社長(ニシカワ食品の創業者・西川隆二。ヴィロンを経営する株式会社ル・スティルの西川隆博社長の祖父)は、毎日工場に入ってこられて、僕のフランスパンを見てるんですよ。
やっぱりその社長も、『おまえの腕はなかなかいいな』と思ってくださって。
『おまえは、もうちょっと本格的に勉強するか。フランスパンといえば、ビゴさんだろ。ビゴさんに話するから、修行に行け。その間の給与はうちが出すから』。
そう言われて、僕はうれしかったですよね。
『そんなこと、会社のお金でさせてもらえるんですか』
3ヶ月半ぐらい、三宮プランタンの地下の、ドゥースフランスっていうビゴさんのお店で働くことになった。
ニシカワ食品では、週休1日で、14、5時間働いてましたから、よその店にいっても楽勝だと思っていました。
そしたら、ドゥースフランスの仕事開始は朝2時半。
みんな三宮近くのマンションに缶詰で寝泊まりしている。
2時に起きて2時半からスタートなんですね。
初日からみんな話もしないんですよ。
黙々と仕事をするんですね。
僕にとっては、見たことない光景なんですよ。
ニシカワ食品では、パートのおばちゃん連中とがやがや話しながらやっていた。
ちがうんですよ。
ぜんぜん話をしない。(*1)
朝食もない。
その当時、松岡徹(現パンテコのオーナーシェフ)さんって店長がいらっしゃって、すごく怖い人で。
前日には、松岡さんが『牛尾君、今日は歓迎会してやるよ』って、三宮でみんないっしょに食事してわいわいやって、『明日からよろしくお願いします』『あー、がんばってね』って言われていた。
次の日、松岡店長が店にくるのが、だいたいオープン30分前の9時半頃。
『おはようございまーす。昨日はどうもありがとうございました』って昨日の光景を思い浮かべながら普通言いますよね。
無視なんですよ。
『あれ、なんで?』と思ったので、いっしょにやってる連中に、『松岡さん、機嫌悪いの?』
『いつもあんなだよ』(*2)
松岡さん、ばーっと店見て、何個かパン持ってくるんです。
『これ作ったの誰だ?』
『私です』スタッフのひとりが言うんですよ。
麺棒持ってきてかこーんって頭叩くんですよ。
『何がいけないかわかるか?』
『焼き色が甘かった』
かこーん『ちがう』
『発酵が足りない』
かこーん『ちがう』
『折り込みがずれてる』
『そうだ』(*3)
みんな松岡さんがくる9時半が近くなってくると、そわそわしてるのがわかるんですよ。
それぐらい怖かったですね。
ビゴの店に行ったんだけど、僕が実質教わったのは松岡さん。
その当時のビゴさんは、ラジオだ、テレビだで引っぱりだこだったんで、現場でいっしょに仕事するというのは、本当に何日かだけでした。
松岡さんにほとんど教わってたんですよね」

「午前2時半から働いて、夜の8時半まで。
帰ってから、またみんな『正統フランスパン』とか本読んでる。
『これはえらいとこにきたわー』」

「朝の2時半から仕事に入って、お昼ごはんが昼の3時半なんですよ。
そのとき使ってたオーブンがダブルで4段。
片方に4段、片方に4段、合計8段にパンを入れて、8階の食堂に上がるんですよ。
で、いちばん最初に窯に入れたのが焼けるまでに降りてこないといけないんですよ。
交代要員っていないですから。
マックスで14分しかないんですよ。
だから、がーっとクープを入れて、がーっと窯に入れて、それでがーっと8階まで上がって降りてくる。
でも、エレベーターだけで5、6分かかっちゃうんですよ。
だから、実質、食べてる時間っていうのは7、8分なんですよね。
そうすると、どんぶりもんしか食べられないんですよ。
かき込むものしか。
14分で行って帰ってきて。
休憩なんてないですからね(*4)。
それで夜の8時半まで働いて、そこで仕事終わりです。
2時半から働いて、夜の8時半ですよ。
お昼ごはんが3時半ですからね。
帰りに大衆食堂みたいなところで食事して、帰って風呂に入ると、またみんな『正統フランスパン』とか本読んでるんですよ(*5)。
『これはえらいとこにきたわー』と思って(笑)。
だいたい10時半ぐらいに寝ますよね。
で、また2時に起きますよね。
みんな睡眠時間は3時間ぐらい
で、休みが月1回。
それで僕その子たちの給料見せてもらったことあるんだけど、僕のもらってる給料の半分ぐらいでしたからね。
『えーっ』って。
『おまえらなにが楽しくて、そんな劣悪なところで。そんな給料でやってんの』って。
その頃、ビゴで修行を1年した、2年したっていうと、次に就職するときに、すごく給料の値段が上がるんですよね。
ビゴで1年いたならいくらあげるよっていうのもあるし、本場のフランス人の元で教えてもらったほうがいい(*6)。
でも実際は、教えるのは松岡さんなんですよ。
松岡さんはものすごく厳しくて、僕、いまだに怖いですからね。
東京にきて、もう9年近くになるんですけど、いちばんはじめに、当時恵比寿でやってらっしゃったパンテコに行って、松岡さんに挨拶しましたから」

「パン生地にまだ触ってないうちから、ばーんと叩かれる。
『おまえはパンの気持ちがわかんないのか?』」

「とにかく、松岡さんがくるまでは、自分のやりたい速度で仕事は進んでいくんですけど。
松岡さんがくる前になると、みんなぴりぴりしちゃって。
松岡さんの教え方というのは、たとえばバターロールなら、松岡さんが麺棒で伸ばしたのを、3人ぐらい並んで、みんながそれぞれ向こうから巻いていく。
そうやってやるんですけど、僕、まだ松岡さんの伸ばしてくれたパン生地に触ってないうちから、叩かれるんですよ。
『なにがいけないんですか』っていったら、
『自分で考えろ』
人の作ったの見てもわかんないんですよね。
で、また触ろうとすると、かーん。
『ちがう。そうじゃねえんだよ』
なにがちがうんだろうなと思ったら、生地に触ろうとするときに持っていく、手の角度のことを言ってるんですよ。
角度が急だと生地にとってダメージが大きいから、できるだけフラットに、平行に手を降ろしていかなくちゃいけない。
これは後でわかったんですけども。
それを言わないんですよね。
『おまえはパンの気持ちがわかんないのか?』とか抽象的なことはおっしゃるんだけども。
『おまえな、もうちょっと手を台に向かって低くから入っていけ』とか、言ってくれればわかるんだけども、言わないんですよね。
ばんばんばんばん、正解が出るまで叩かれますからね。
頭が真っ白になるし、パニックですよ。
でも、僕はよそ者ですよね。
ビゴの従業員と同じように扱ってくれてるな、というのは感じましたね。
それはうれしかったですね。
おまえはよそからきてるからいいよ、じゃなくて。
手は叩かないんですよ、職人だから。
いまだに、松岡さん、まー怖いですよ」

「『30っていったら30で量れ。31、29グラムって言ってない。俺は30グラムって言ってるんだ』
松岡さんは秤を使わずにそれを見極められる」

「バターロールって30グラムなんですよ。
『牛尾、切れ』って言われて、僕が切ったのを、松岡さんが丸めていく。
で、切ると、まあね、3分の2ぐらい返されるんですよ。
松岡さんは目をつぶって丸めるんですよ。
『軽い』『重い』『軽い』『軽い』
どんどんどんどん返ってくるんですよ。
僕は秤を使ってるんですよ。
30グラムの生地なら、普通は1グラムぐらいの誤差はOKですよね。
それぐらいの精度でいかないと、時間がかかって大変なんですけど、ダメなんですよ。
松岡さんは1グラムのことを言っている。
『30っていったら30で量れ。31、29グラムって言ってない。俺は30グラムって言ってるんだ』(*7)。
松岡さんは秤を使わずにそれを見極められますからね。
量るとたしかにちがう。
『できるだけ切りくずを出すな』とか、『スケッパーで切る回数は2回にしろ』とか。
きついっすよ、そりゃ。
大変でしたね。
左手で持っただけで30グラムを見極めないといけない。
『秤にのっける段階でこれは何グラム多いのか判断できるだろ』っていうんですよ。
切って秤にのっける瞬間ですね。
『これは1グラム多いのか、1グラム足りないのか、また、2グラム多いのか判断しろ』
カンカン秤っていう、天秤式の秤があるんですが、皿があって、竿があって、下に重りがついてる。
枠がついてて、ちょうど真ん中に矢印があるんですけど、竿がその真ん中で止まればプラスマイナス0なんですよ。
だけど、枠の上に当たれば重い。
下に下がれば軽いんですよ。
松岡さんが分割するのを見てると、上がるか下がるか、竿が上がりかけたときの速度で、これは何グラム軽い重いって、判断されてるんですよ。
秤がぶらぶらしているのが静まって、ちょうど真ん中に到達するところまで待ってると、とてもじゃないけど、ぜんぶ終わるまで1時間以上かかりますよね。
置いた瞬間に秤が上がる速さを見る。
ものが載ってないと下に降りてますから。
上がる速度で、何グラムか瞬時に判断して、1回で切り終えちゃう。
生地を足すことがほとんどない。
足りないのに生地をくっつけて足すほうが時間かかる。
多い分には、余分を切ってその次のにくっつけてしまえば、くずとしては最小限に収まる。
そういうことをいっぱい教わったと思いますね(*8)。
『生地の気持ちになりなさい』という教えですよね。
フランスパンに限らず、菓子パンでも、食パンでも、バターロールの生地でも。
パンの生地に対してはすべて同じ対応でいけるんですよね。
『生地の思いを知れ』というのは、いま生地がどうしてほしいか考えなさいということ。
いま切ってほしいのか、まだ早いのか、もうちょっと待ってくれって言ってるのか。
それは自分で見極めなさいと。
時間通りにやれば、すべてが解決するわけじゃないんですよ。
23℃にあげた生地と25℃にあげた生地とは同じ1時間発酵させてもまったくちがうんですよね。
何度であげたから何分置こうって、ある程度の判断はもちろんしますが、最終的な判断っていうのは、手で引っ張って、押して、伸ばしてってことをしながら、これはいま切ってよいのかってことを考える。
そういう『深さ』を教わったので、ニシカワ食品に帰ってからは、よくいえば生地と対話するようになりましたね。
それまではすべて時間で配分してましたから。
『待ってくれ、もうちょっと置いてくれ』って生地が言ってる、って感覚になったのは、大元は松岡さんの教えですね。
ビゴさんも、とにかく生地に触ってからでないと分割しないですからね。
『もう5分置け』とか判断をされてました。
僕はそこでいろんなことを培ったなと思っています。
ニシカワ食品にそのままいたら、そんなに深いところまで、パンに対して探求心を持たなかったかもしれないですね。
ぜんぶ手でやるなんて、こんな旧式な古典的なことをやってるところがまだあるんだと思って。
その頃どんどん機械化のほうへいってましたよね。
省力化ということで、機械導入して人を減らしていく。
お店ではともかく、工場ではそういう流れでしたね」

パンテコシェフ松岡徹さんの話
麺棒で叩くって言っても、野球部の監督がケツバットやるように、お尻を叩く程度だよ(笑)。
いまは時代に合わないから、もうそんなことはやってないしね。
当時は、怖かったと思う。
鬼って言われてました。
新しく入ってきたばかりの人というのは、パンに対する愛情がない、丁寧さがない。
まずそこを教えないと、いいものってできないんですよ。
ものを作るって意識が、まだ生まれてないじゃないですか。
会社に勤めて、始業時間から終業時間までやればお金をもらえるという感覚。
それが、口で言ってるだけじゃ直らないんですよ」

松岡徹はフィリップ・ビゴの直弟子である。
ビゴは松岡に「ウイ」か「ノン」しか教えなかったという。
いいパンができれば「ウイ」、商品として店に出せないパンは「ノン」。
どうやれば「ウイ」のパンができるかを具体的に教えることはなかった。
職人の世界で、「技術とは教わるものではなく、盗むもの」とはよくいわれる言葉だ。
単に知識を得るのでは不十分。
上出来と不出来のどこがポイントになっているのか、研ぎすまされた感覚で把握し、問題意識を持つこと。
意識や感覚とは、自らつかみとらなければ決して自分のものにならない。
松岡が、自分がビゴに教わった通りのことを牛尾に伝授するためには、決して「教え」てはならなかったのだ。

「フランス行って、もう愕然としましたね。
バゲットって、こんなまずいもんだったのか」

「かえって、ニシカワ食品に戻ってからのほうが、極める作業に入るという意味で、よりたいへんだったかもしれないですね。
ビゴの店で、決まった設備、決まったオーブンの中でなら、どこまでのレベルかは自分でわからないけど、みんなとほぼ同じことはできた。
ニシカワ食品に帰ってからは、現状のフランスパンをブラッシュアップしました。
もうちょっと、こういうやり方でやれば、もっときれいになるとか、あるいはおいしさの追求ももちろんしないといけない。
そうするうちに、新しくイトーヨーカドーが加古川にくるということになって、そこにパン・ド・ミというお店を出店することになった。
せっかく修行してきたんだし、フランスパンをメインで売れるお店を作ろうか、と。
先代はもう会長になられたあとで、2代目の社長さん(現在のニシカワ食品社長・西川隆雄)の時代ですね。
イトーヨーカドーでは、1日100本ぐらい売ってましたからね。
オープンキッチンで、目の前で焼くというシステムで。
それも成功してですね、そしたら2代目の社長は、『もっと極めろ』と。
『フランス人のお店で働いたというだけじゃなくて、フランス行け』ということで、フランスに10日ほど行かせてもらった。
いまから22年前、僕ちょうど30のときです。
フランス行って、もう愕然としましたね。
フランスのパン、こんなにまずいのか。
バゲットって、こんなまずいもんだったのか。
フランス人のいい加減さを目の当たりにして愕然としましてね。
だから、ビゴさんという人は、フランス人なんだけど、すごく几帳面なところをお持ちなんですよね。
実際に町場で働いてるパン屋さん、ブーランジェ、職人さんというのは、ものすごく大雑把で、ものすごくいい加減だから。
バゲット並べてカット(クープを入れる)しますよね。
普通だと、観光にきた外国人に、『ちょっと1回切らして』って言われても、僕らだったら、断りますよね。
フランス人なら、『ああ、いいよ。切って、切って。それぜんぶ、ぜんぶ切って。ああ、そんなの適当でいいんだよ』(笑)
その観光客、よそを見ながら、切ってますからね。
クープというのは、筋を入れてればいいんだよ、という感覚なんですよ、たぶん。
そういう態度には腹立ちましたね。
僕が求めてたものってなんだったんだろう。
僕らは生地を余らせると怒られるけど、むこうは機械でびゃーっとのばして、がーっと適当な感じですよ。
流れ作業ですから。
1日1000本もバゲット焼かないといけないんだったら、丁寧にしてられないですよね。
それはわからなくもないんですけど、あまりにもそのギャップが、カルチャーショックでした。
だけど、やっぱり原料はちがうな、というのはわかりましたね。
僕らがビゴさんとこで教わってた当時、フランス産小麦って輸入できない時代でしたから、アメリカ・カナダの小麦を使って、フランス産小麦に近い小麦粉を作ろうとしていた。
なおかつ、日本の職人さんってフランスパン扱ったことのない人がほとんどだったから、小麦粉に作りやすさも求めたんですよね。
それで、ビゴさん、レイモン・カルヴェルさんの協力で、リスドオルという粉(日本初、現在でももっともポピュラーなフランスパン専用粉)を日清製粉が開発した。
でも、それは、フランスパン用の粉ではあっても、フランス産小麦ではないんですよ。
だから、あとからフランス行って思ったんですけど、僕らはアメリカ・カナダの小麦を使って、一生懸命フランスのフランスパンを作ろうとしてたんですよ。
それは無理なんですよね。
原料がちがうものですから」

「粉を輸入したら、日本でパリ以上のバゲットが焼けるか?」
「僕はいけそうな気がする」

「僕は、初代の社長に『ビゴさんとこ行け』といわれて、2代目の社長に『実際のフランス見てこい、極めろ』といわれた。
そして、3代目(西川隆博)とは、2人で、パン・ド・ミを関西で8店舗まで展開したんですよ。
8店舗まできたとき、お互いに、これ以上無理かなと。
いまのままで、さらに店舗展開できなくはないけど、なんかちがうな。
これ以上やっていく意義があるのかなって、お互い思いはじめてて。
で、うちの社長も3代目として、なにかを成し遂げないといけない立場ですよね。
社長はフランスに行ったんですよ。
そのときにこのレトロドールのバゲットを食べてるんですね。
僕がフランス行った時代にもあったんだろうけど、そんなおいしいのを食べた記憶がない。
うちの社長がフランスでレトロドールを食べて、『これは日本で売るとおもしろいことになるかもしれない』ということで。
突然、『長期だけどフランスに行ってほしい』と社長に言われて。
『若い子に行かせてあげればいいんじゃないの?』
『それはダメなんだ』僕に行ってほしいと。
なんの意味かわからず、1ヶ月半ほど向こうに滞在しました。
なんのために行ってくれとは言われなかった。
僕の反応を知りたかったんでしょうね。
『この店と、この店と、この店のバゲットを食べ比べて、コメントをくれ』と。
常にいっしょに行動するんじゃなくて、僕は僕で、社長は社長でパリで店回りをしてた。
僕も社長も100軒以上のパンを食べてるんですよ。
その中でも、このレトロドールはなんかちがうなと思ったんです。
グルニエ・ア・パンという店で、レトロドールを、バゲット・トラディションとして売ってるんですけど、それがめちゃめちゃうまいんですよ。
そこのはうまいんだけど、ちがうところのレトロドールはおいしくないとかね。
場所によってずいぶんちがうなと。
でも、うまく作ればおいしいなと思った。
で、グルニエ・ア・パンで、1週間いっしょに働かせてもらった。
そしたら、朝一のはおいしいんですけど、2発目、3発目はおいしくないんですよ。
なんでだろうな。
中へ入ってみると、朝一というのは、前日のいちばん最後の生地を冷蔵して置いとくんですよ。
冷蔵庫に入れたものを、翌朝分割してパンにする。
朝きてから一発目を仕込んでも、開店時間に間に合わない。
だから、前日の最後の生地をストックしておいたものを、切って、のせて、焼くんですね。
だから朝一は熟成の度合いがぜんぜんちがうんですよ。
冷蔵発酵でオーバーナイトさせてるので、16時間以上経ってるんですね。
ところが、朝一にきてから仕込んでいくと、醗酵時間としてはだいたい2時間半から3時間ぐらい。
だから、甘みがぜんぜんちがうんです。
で、それを僕ははじめて知って、『じゃ、おまえらなんでぜんぶ冷蔵でやらないんだ』と質問した。そしたら、
『冷蔵庫にそんなにたくさん入れるスペースない。いくら売れるかわからないのに、冷蔵庫買ったりできるか』
ま、そういわれりゃそうだなと。
それで日本に帰ったら、社長がこの事業(ヴィロン)の話を、はじめてしてくれたんです。
僕も、その実際に食べたレトロドールに興味津々だったんで、
『じゃその粉を仕入れるところから社長やるの?』って訊いたら
『そうしたい』と。
レトロドールがうまいのは、粉のちがいだと社長も思ってた。
だけど、社長が考えたのは、それに近い粉を日本で探すんじゃなくて、まったくそのまんま、そのもの自体を輸入できないか、ということ。
『粉の輸入は俺がやる。だけど、それを輸入したら、日本でパリ以上のバゲットが焼けるか?』と社長に言われたんです。
僕、ああやってこうやってこうやってやればいけるんじゃないかな、と頭の中で思って、
『僕はいけそうな気がする』
『じゃ、契約交渉に行ってくる』って社長、契約にいった」

「おまえの国に、うちのレトロドール作れる職人なんているのか? 
誰でも彼でもに提供できる粉じゃないんだよ」

「VIRON社は、パリから東に80キロ、電車で1時間弱ぐらい行ったところの、シャルトルっていう町にある。
うちの社長がそこ行ったら、VIRONの社長アレキサンドルは日本のこと知ってるんだけど、開発のスタッフは『日本? アジアのでっかい国だろ』って中国とまちがえてるくらいで(笑)、日本のことはほとんど知らないですよ。
『ニシカワ、おまえ契約っていうけどな、おまえの国にうちのレトロドール作れる職人なんているのか? それを見てみないと、誰でも彼でもに提供できる粉じゃないんだよ。まして、おまえのとこ外国だろ?』と言われて。
それで、社長が帰ってきて僕に『行ってくれ』と。
ということで、今度は僕がフランスに行って、VIRON社の研修センターで1週間ぐらい缶詰になった。
通訳はいるんだけど、やっぱり専門用語が入ってくると通訳もわからなくて、VIRON社の開発スタッフとのコミュニケーションがむずかしい。
そうすると、だんだん開発スタッフがしゃべらなくなってきて、こんなことを言ってきた。
『とにかく、おまえ見てろ。これから2日かけて俺がやるから、それを見てろ。3日目、4日目、おまえはひとりでやれ』
それだけを言って、淡々と仕事していくんですよ。
僕は同じように作らないといけないんで、仕込みの時間、窯の温度をチェックしたり、『生地の状態を見せろ』といって触らせてもらったり、という感じでやって。
一連の工程を、オーバーナイトなので2日がかりで彼らやるんですね。
で、3日目、4日目で、彼らと同じことを、僕が2日間でやり遂げた。
5日目には、『おまえのスペシャリテ、おまえのいちばん自信あるのをやれ』と言われた。
僕はバゲットをやったんですけどもね。
そしたら、まあ、簡単にできるんですよ。
彼らやっぱりすごく雑だから、『もっとこうやったほうが、すごくきれいにできるんだよ』ってことを教えてあげたぐらいで。
『なるほどそうだよね』って、彼らも言うぐらいに打ち解けて。
それで、先代の社長、フィリップ・ヴィロンさんも握手してくれて、
『これならいい。じゃあ、ニシカワと契約してやるよ』と言ってくれた。
それで契約に至ったんですよ」

「やっても、やっても、ぜんぜんバゲットができない。
ほとんど固まらない生地を無理矢理すくって、その時点でダメなのに、翌日に冷蔵庫を開けると、もっとダレている」

「最初の年、輸入した粉からはバゲットがぜんぜんできなかった。
その年の麦も出来がよくなくて、薄力粉ぐらいのタンパク量しかなかったんでね。
レトロドールは、年によるばらつきがものすごくある。
送られてきた粉を、奥本製粉さんに頼んで調べてもらったら、タンパク量が8.5っていうんですよ。
タンパク8.5って、それ薄力粉と変わんねえぞと。
薄力粉でバゲットなんてできないよね。
で、ヴィロンのアレキサンドルに訊いたら『10.5だよ』っていうんですよ。
『おまえな、どう計っても8.5なんだよ』
『そんなことない。10.5だ。じゃ、そのデータ送るから』
送られてきたデータ見たら、10.5なんですよ。
奥本製粉さんといろいろ話してると、日本は計測方式がアメリカ式で、フランスはドイツ式なんだとわかった。
だから、彼らの言う10.5というのは、アメリカ式のほうが低く出るから正解なんですよ。
ドイツ式の10.5は、日本の計測方式だと8.5なんですよね。
これ、どうやってもどろどろなんですよ、生地が。
塊にならないから、かなり悩みましたね。
フランスではぜんぜん普通にいいのができてた。
日本にフランスパンができる職人さんがいるんだって彼らがびっくりしましたけど、僕はその当時で、もう20年以上も、いろんなものを作ってきた経験があるわけですから。
どんなパンでも普通にできるはずなんだけど。
でも、できないんですよ。
粉は、向こうで製粉したものを袋に入れて送ってきてもらってるわけだから、VIRON社で僕が作ったときと同じものですよね。
機械も、ミキサー、オーブン、分割機、ぜんぶフランス製を使ってますから、同じものですよね。
環境はちがいますから、これはまあしょうがないですけどね。
日本のほうが湿度は高い。
それ以外に条件を思いつかない。
なんでできないんだろうって、ずーっと思ってて、2週間ぐらい寝れなかったですね。
なんでかっていうと、オーバーナイトなんで、今日ダメだと明日しかないんですよ。
今日仕込んで明日焼いてダメ、そうすると、また次の日にしか結果が出ないんですよ。
1日に5回やれれば5回結果が見れるわけですよね。
オーバーナイトだから1日1回しか結果が見られない。
明日ダメだとあさってしかないんですよね。
やっても、やっても、イーストの量変えたり、水の量も少しいじったり、醗酵時間を変えたり、塩の量も少しいじったり。
冷蔵の保存の温度帯もいじったり、いろいろやってもぜんぜんできないんですよ。
手粉まみれになってやっと成形しても、焼いたらせんべいみたいですよ。
もう仕込んだ段階で無理だと思うんですよ。
ほとんど固まらなくて、ペーストに近いような生地。
それを無理矢理すくって、その時点でダメなのに、翌日に冷蔵庫を開けると、もっとダレてますよね。
水しゃぱしゃぱっぽいんですよ。
これじゃ話にならない。
それで、かなり悩んで。
オープンの日はもう6月18日と決まっていた。
僕が試行錯誤してたのが、5月中頃。
社長に『どれぐらいテストメイクしたらいいの?』と訊かれて、
『3日もあればいいんじゃないの?』っていってたんですよ。
で、たまたま粉も早くきたんで、『前倒しでやろうや』ってやったからよかったけど」

『渋谷のいまの水道水、硬度いくつですか?』『いま67前後ですね』
社長とマツキヨに駆け込んで、そこでヴィッテルを買った」

「そのとき、川崎のエスプランという店の塩田さんという社長と打ち合わせをしたんだけど、僕はもうバゲットのことばっかり考えていて、社長の話も聞いてないんですよ。
塩田社長は職人さんなんですよ。
『牛尾さんもたいへんだよね。パン作りは本当むずかしいよね』って。
『別にそんなこと、この場で話されても困るわ』って思いながら、僕は上の空で聞いていた。
『牛尾さん、軽井沢って行ったことある?』
『すいません、ないです』僕はぜんぜんちがうこと考えてて。
『軽井沢ね、あそこパン作りすごくむずかしいんだよ』
塩田社長は、軽井沢の浅野屋でも修行されてるんで。
『すごくパンが作りづらいんだよ。あそこね、水の硬度が高いんだよ。すごい硬水だから、ぷりっぷりになっちゃうんだよ』
それ聞いて、『おっ、ちょっと待てよ』と思った。
『そんなに硬度高いんですか?』
『日本の中ではけっこう高いところなんだよ』っていわれて。
『そうなんですか? ぷりぷりになるんですか』
『もう、ぷりっぷりでさ、とにかくのびないんだよ。だから、普通より7、8%水入れないとダメなんだよ』
『えっ、そんなにちがうんですか! すいません、僕、帰っていいですか。ちょっと用事思いだしたんで』
そっから、電車の駅まで5分ぐらいなんだけど、渋谷の水道局に電話して、
『渋谷のいまの水道水硬度いくつですか?』
『いま67前後ですね』
『もしかしたら、これかもしんねえわ』と。
で、渋谷駅降りて、社長とマツキヨに駆け込んで。
ヴィッテルって水ありますよね。
エビアンでもよかったんだけど、ヴィッテルはだいたい硬度が308ぐらいなんですよ。
フランスの硬度ってだいたい300から350。
帰りにそこでヴィッテル買って、その日、夕方からがーって仕込んで。
小麦粉を水で練った瞬間に、『あ、これだ』って思ったんですよ。
なぜかというと、生地になる。
固まるんです。
『生地になってるわ』と思って。
そうすると、これは翌日、どのくらいの、どんなものが焼けるかって僕わかったから、
『社長、もうできたよ。これ、きっと大丈夫』
『じゃ、明日、楽しみにしてくるわ』
次の日、めちゃめちゃいいの焼けたんですよ。
ぱーんと上がるし、中の内相もぼこぼこぼこって蜂の巣状態になってる。
『これだよー!』」

「コレットに行ってなかったら、コントレックスに行き着かなかった。
いろんな経験の中で、無駄なものってひとつもないと思う」

「そしたら社長が『専務、悪いんだけどさ、それいくらで売るの?』って言うんですよ。
フランス小麦は普通の小麦の3倍ぐらいするんで、全量ヴィッテルで仕込むと、たぶんバゲット1本500円以上の売価設定じゃないと売れない。
その当時、300円以上のバゲットってなかったんですよ。
こりゃダメだ、と思って。
でも、待てよ、それなら、硬水を作ればいいのかと。
で、いろいろ調べると、理論上できなくはないんですよ。
要は、マグネシウム、カルシウムを添加すればいいわけなんで。
その添加量というのは、10リッターに対して1ccとか。
もう100万分の1g(ppm)を超えて、ppb(10億分の1g)レベルでの添加をしないといけないんですね。
そんなの現実的には不可能なんですよ。
100リッターで10ccぐらいならできなくはないんですけど、それも安定してないんですね。
作れたとしても。
それより簡単な方法ないのかなと思って。
で、また悩みまして。
硬水から、カルシウム・マグネシウムを取り除くのは簡単なんですよ。
フィルターを噛ませればいいので。
だけど、添加するというのは、基本的にどこの国でもやったことがないんですね。
で、ヴィッテル全量じゃだめ。
原価を安く抑えられて、なおかつ300以上の硬度をキープできる方法を考えた。
そのとき、思いだしたのが、パリで1ヶ月半パン屋巡りしてるときのことなんです。
通訳をしてくれた、パリ在住の日本人の女の子が、
『牛尾さん、お酒飲めないんですよね。じゃあ、お水のバーってあるんだけど』
『なんだよそれ』
『いろんな国のお水がものすごくたくさん種類あるから、行く?』
それがちょうど、フォーブル・サントノーレにある、コレットっていうセレクトショップ(パリの流行が作られるともいわれる有名店)の地下なんですよ。
そこではじめてコントレックスっていう水を飲んだ。
『これ、超硬水なんだよ』ってその子が教えてくれて。
そこではピエール・エルメのお菓子が食べられるんですよ。
僕、いまでも好きなんだけど、そこではじめてイスパハンを食べた。
ラデュレ時代にエルメの作った、ライチの実が入ってるお菓子なんですね。
それを食べて、コントレックスを飲んだ。
ものすごい硬い水だなと思って。
硬度が1500ぐらいあったと思う。
もう硬水どころか超硬水なんですよ。
それを思いだした。
マツキヨにたしかコントレックスって売ってたよなって。
じゃ、ブレンドしたらどうなんだろう。
計算式にあてはめると、8対2、コントレクッス2割、渋谷の67の硬度の水道水8割でブレンドすると、ちょうど350になる。
「これだ!」と。
コントレックスって、1.5リッター220円ぐらいだった。
2割だけでいいわけですから、知れてるやん。
値段も抑えて硬度もキープできるという方法を、やっとそこで見いだすことができた。
だから、僕、たぶんその子がコレットに連れてってくれなかったら、コントレックスというところに行き着かなかったと思うんですよ。
だから、いろんな経験をしていく中で、無駄なものってひとつもないんじゃないかなって思う。
たとえば、寄り道、脇道、なんかわからないけどこの店入ってみようかなって。
日本でもそうだけど、フランス行くと特にそうですよね。
自分になんの興味もないようなものが置いてあっても、なんかおもしろそうだと思ってふっと入るって、ものすごく大事なんだなと。
いつかなんかのときに、どんなふうに役立ってくれるかわからないから。
旅に行ったり、どこかに出かけたときには、時間を惜しみなく使って、いろんなところに立ち入ろうというのは思いましたね。
いまから9年前といえば、ちょうどダイエットブームの時代。
デトックス、排泄物を出すということで、コントレックスも重宝されだした、そのはしりの頃でしたからね。
それがちょうど合致して、最終的にそれに行き着く、到達することができて、いまがある。
その経験は大きかったですね。
でないと、僕、バゲットできなかったら夜逃げしかないと思ってましたからね。
そのために僕、東京にきたわけだから」

「古きよき時代のバゲットがここにはある。
もうパリには残念ながらないよ。おまえが継承してくれ」

「フランスにいま、うちのレトロドールみたいな焼き色のバゲットってもうないんですよ。
フランスの子供たちも、マクドナルドさんとかの影響で、やわらかいものを食べるようになって、咀嚼時間も短く、咀嚼力もだんだんなくなって、顎が突き出てきてるんですね。
そうすると、焼き色の濃いバゲットって『硬いからいやだ』っていう子供たちがだんだん増えてきた。
フランスって、店に並んでるバゲットの焼き色が、ぜんぶばらばらですからね。
いろんな色がある。
お客さんが『右から何番目のそれ』って選んでいく売り方をする。
そうすると、色の白いほうから売れていくので、店主は白いのをどんどん焼こうとしますよね。
白いのを焼くほうが焼き時間も短縮できるから、1日に焼ける本数も増えるし、労働時間の短縮もできるから、どんどん白いほうに進んでいく。
色の濃いバゲットってもうないですよ。
だから、アレキサンドルもうちにくると、
『古きよき時代のバゲットがここにはあるんだね。もうパリには残念ながらないよ。おまえのとこが継承してくれ』と言います。
僕は日本人なんで、窯で焼くときには、途中で手前と奥を入れ替えたり、差し替えたりしながら、ぜんぶ同じ色になるようにしますよね。
フランス人は奥、手前関係ないですからね。
当然、奥のほうが焼き色はよくついて、手前のほうは若干白くなっても、いっぺんにそれをぜんぶ出しちゃうんで。
手前は白い、奥はやや色がついてる。
それがだんだん、奥はやや白い、手前はかなり白いで出すようになっちゃうんですね。
そういう、時代の変化がパリでもいまかなりある。
でも、レトロドールって『黄金の古(いにしえ)』っていう意味なんで、そういう意味でも、うちがなんとか継承していければなと思いますけど。
この界隈に住んでるフランス人の方にも、
『こんなバゲット、昔はあったけど、いまはないよねー』『懐かしいよねー、これは変えないでね』って必ず言われます。
うちに来店したフランス人の方は感動しますもんね。
『こんなバゲットがここにあるんだ』って。
フランスでは残念ながら、労働時間が週35時間って決められてますから、彼らそれ以上働けないし、働かないですから」

「『フランスっぽい』とか、『フランス風だね』とか、それやめようよ。
パリの15区とか、6区あたりにあるのが、ぽんと抜け出して、この町にどんときた、そのままでやろうよ」

「僕も社長もね、この店作るときにね、
『「フランスっぽい」とか、「フランス風だね」とか、それやめようよ。そんなのどこにでもあるから。パリのお店、15区とか、6区あたりにあるのが、ぽんと抜け出して、この町にどんときた、そのままでやろうよ』と。
原料も基本フランス、仕入れるものはほぼフランスの食材を入れて、設備も空気以外はぜんぶフランスでいこうと。
インテリアもデザインも日本人だけど、フランス在住の日本人が手がけたので、やっぱりちがうんですよね。
そこで生活をしてる人の感覚・感性というのはやっぱり日本人とはちがう。
ちょっとしたところなんですが、この階段のところも縮み塗装という、特殊な塗装なんですよ。
値段が高い。
フランスでは一般的に使っているんですけど、日本ではほとんど見ないですね。
でも、テクスチャがやっぱりちがうんですよね。
それを知ってる人も少ないんだけど、そこはこだわりとしてやろうということになりました。
そういうところを、いちばん重視しましたね。
普通、日本人がデザインすると、天井が赤なんて考えられないですね。
でも、別にそんな居心地悪くないし、パリならいくらでも、こんな店、普通にあるんで。
図面で見たときは『えー』って思いましたけど。
できてしまえば、ぜんぜん受け入れられているというか、『天井、なんでこんな赤いの?』なんていう人いないですよね。
だけど、やっぱり『本物』とか『らしさ』っていうのは、そういう細部の積み重ねじゃないかと思うんですよね。
クロワッサンもフランスのまんまですからね。
『そんなでっかいクロワッサン』っていわれるけど、パリではあの大きさが主流っていうか、普通。
逆に日本のサイズのクロワッサンがフランスにはないんですよ。
ルセット(レシピ)も基本フランスのままだし、大きさももちろん、目方もフランスそのまんまで。
販売台の高さもフランスのパン屋さん30軒ぐらい計らせてもらった。
みんないっしょの高さなんですよ。
それでこの高さにしたんだけど、日本人の女性にとってはやっぱりちょっと高い。
でも、日本ナイズはいっさいやめようということで、そのままやりましたけどね。
背の小柄なご婦人の方はちょっと背伸びしてる方もいらっしゃいますけど。
1個を日本ナイズしちゃったら、ぜんぶがそっちに移行しちゃうのでやめようと。
ただひとつだけ日本ナイズできなかったことがあるんですよ。
なにかわかりますか?
お水なんですよ。
フランスって、店に入っても、お水出てこないですよね。
おしぼりなんて、うちはランチ・ディナーで出しますけど、フランスでは出てこないですね。
最初、オープンしたときにはうちでもお水を出さなかったんですよ。
お客さまに『水ほしいんだけど』っていわれたら、メニュー持っていって『エビアンいかがですか』っていうスタイルだったんですよ。
かなりお叱り受けまして。
『ふざけんな』『水も出てこないカフェなんて聞いたことない』と。
オープンしたのが夏だったこともあり、さすがにそこだけは仕方がないなという。
ここは日本だし、お客様あっての商売だから、ここは我々が折れないと仕方がないと。
だけど、商品に関しては一切妥協しないように。
新製品も出さない。
フランスって新製品が出ないんですよ。
パリだけだと商品が足りないから、いろんな地方の、ブルターニュとか、ブルゴーニュとか、地方のパンも寄せ集めて、サンドイッチ含めて60アイテムぐらいにはしてます。
パリのパン屋さんでも20アイテムないぐらいですからね。
だから、そこだけは一切日本ナイズせずに」

オープン当時、店の中はお客さんでいっぱいだけど、売り上げは悲惨でしたね。
バゲットを毎日300個廃棄してました。

オープン当時はさんざんでしたね。
店の中、お客さんがいっぱいなんですよ。
センター街の若い子ばっかりくる。
『なんだ、この店』ってことでね。
1回きたら『高っけ。クロワッサン245円、高っか、ばかじゃないの?』
『カレーパンないの? あんぱんは?』
『すいません、ございません』
それでみんな帰っちゃう。
ずーっとこれの繰り返し。
店の中はお客さんでいっぱいなんだけど、売り上げは悲惨でしたね。
バゲットを毎日300個廃棄してました。
日本はフランスより湿度が高いので、すぐに持たなくなるんですね。
この空間だけ湿度をフランス並みに30%ぐらいにできないか、っていうのも考えました。
理論上、できなくはない。
だけど、一歩外に出ると60%、夏だと80%ぐらいあるわけですね。
その環境でバゲットはもたない。
そうすると、焼き上げ回数を増やすしかないんですね。
いつもほぼあったかいものを提供するしか解決方法はなかったので。
オープン当初から1日12回焼きをしてます。
だいたい50分に1回のペースで、30本出す。
50分後、また30本出す。
売れないもんだから、それがそのまま30本あるんですよ。
50分前に焼けたものが。
引きますよね、焼きたて出しますよね。
次の50分後また30本ほぼあるんですよ。
1日40本も売れない。
30本ぐらいだったかな。
1回30本を12回、1日360本ぐらい焼いたのを、300本捨てるわけですよ。
そうすると、産業廃棄物だから、捨てるのにお金がいる。
オーバーナイトして2日がかりでパンを焼いて、原価の高い材料を使って焼いたものを、またお金を使って捨てるわけですよね。
4ヶ月ぐらいそんな状態でしたからね。
オープン当時、1ヶ月の赤字が1千万超えてました。
社長に『どこまでこれつづけるの』って訊いたら、『やれるまでやろうよ』っていうから、『わかった。とにかくいいものしか出さないようにはするからね』。
宣伝広告なんか一切やらなかったから。
『絶対わかってくれる、絶対わかってくれる』しか、社長は言わないし。
『あー、これは軌道に乗るまで時間かかるだろうな』とは思ってたんだけど、結局、センター街の若い子がこなくなったのが、開店2ヶ月後ぐらい。
4ヶ月過ぎたあたり、5ヶ月目に入った頃に、だんだん東急本店さんのお客様が、もしくは神山町の外国人の方がいらっしゃって、買ってくださるようになっていった。
この場所にオープンするときは、賛否両論、本当にいろいろあったんだけど。
パン屋としてはだめだよっていう人がほとんどだったかな。
そんなコアな商売をする場所じゃないって言われつづけて。
大手パンメーカーの方もここの市場調査をしてくださったり。
通行人がどれぐらいいるかとか、立地的にどうだとか。
『やめたほうがいいよ』といわれたんだけど(笑)。
東急本店の真向かいで、シースルーのエレベーターから見えるわけですから。
これは可能性あるから、ここでやろう。
1階2階で88坪あるんですよ。
そんな場所って東京にもうない。
田舎者が出てきて不動産屋に『80坪以上がほしいんだけど』っていったら『ばかじゃないの』っていわれるぐらい。
自由が丘にあったんだけど、ぜんぶアパレルに取られちゃう。
飲食は嫌われるんです。
唯一この場所は、オーナーさんが『パンも好きだしいいよ』って言ってくださった。
僕らが想定してたお客様がやっぱり多かった。
センター街のお客様を集客したかったわけではないし。
それこそ、文化レベルの高い、文化村で観劇した帰りの方とかを、この場所でお迎えしたいと想定していました。
業界の方がたはみなさん大反対、『やめたほうがいい、絶対失敗する』って言われた。
オープン当初はそんな状態だったので、『それ見たか』と思われた方も多いんじゃないかな。
最初の3、4ヶ月って業界のいろんな方がくるでしょ。
がらがらなわけですよ。
商品は山ほどあるしね。
見ればわかりますよね、売れてないって。
半年過ぎてからは、早かったですね。
だいたい1年ぐらいで黒字になり、2年目以降は利益もどんどん出てきましたしね」

「食パンだけのお店を今年やりたい。
カウンターが1個あるだけ、その後ろはファクトリーになってて、食パンが並んでる」

「『みんなのぱんや』をさらに特化した、食パンだけのお店を今年やりたいなと。
アメリカ・カナダの、特等粉といわれる粉をいま探してるんですよ。
それで1種類食パンを作って、あとは内麦(国内産小麦)で1種類。
食パンが2種類しかないお店。
それぐらい特化したお店をやりたいなと。
商品はだいたい8割方完成してるんですけど、いま場所探しをはじめて、夏までにはなんとかできれば。
老舗でいうとペリカンさんとか、業態としてはあんな感じです。
カウンターが1個あるだけの店。
その後ろはファクトリーになってて、食パンが並んでる。
1本(2斤)買いしてもらう。
それぐらいのサイズで売ろうかと。
2アイテムしかないわけだから、その代わり、とびきりなものを作らないとだめですけどね。
そこはもう職人技が問われるところなんで、がんばります。
内麦のほうは、いま『ゆめちから』というのが出てきてるんでそれメインで、あとはなにをブレンドするかですね。
そっちはそっちでやってます。
昔はアメリカ・カナダ産の1CWがいちばんよいとされていたんですけど、いま1CWでも産地によっていろいろランクがあるんで、1CWイコールおいしいにはなかなかならない。
じゃあ、食パンにしておいしい粉はなんなんだということで、製粉会社を通じて探しています。
製法は確立したものになってるんですが。
湯種(お湯で小麦粉を混ぜることでα化させる)と液種(水分の多いしゃばしゃばの状態の中種を作って熟成させる)をミックスした感じですね。
それをオーバーナイトすると、甘みがより増すんですね。
湯種と液種とレトロドールの製法を合体したような食パンを作れれば、というところです。
食パンを冷蔵発酵させるのはけっこうむずかしい。
食パンっていうと、生地の使用量がものすごいので、冷蔵庫にかなりのキャパシティがいる。
まして、食パン2アイテムの専門店となると、5坪ぐらいの冷蔵庫がいるんじゃないでしょうか。
それと同じだけの広さのホイロ(生地を温めて保存する機械)もいりますよね。
なかなかそれはむずかしいですよ。
リスクは大きいですよね。
1000本売るつもりの設備投資して、50本しか売れなかったらもてあそぶし、どうしようというのはあるんですけど。
まあ、挑戦ですかね」

「パリでお店を出したい。
パリ市主催のバゲットコンクールに出て、ガチンコで勝負したいですね」

「あとはパリで1軒お店を出したいですね。
VIRON社に働きかけて、『いっしょにやろうよ』ってことで。
いろいろ場所探ししてるんですけど、いまパリも景気がよくないのもあって、いい場所ってなかなか売らない。
VIRONという名前にはしないですけどね。
VIRONというと、『日清製粉』っていうお店があるのと同じことになりますから。
名前はもちろん変えますけど、このスタイル、この商品群で勝負したいなと。
どこまで受け入れてもらえるのか。
日本人の繊細さがわかってもらえればいいんですけどね。
(日本人の繊細さと、フランスの原料、伝統が合わさったときに、ヴィロンというスペシャルなものができた?)
そうだと思いますね。
融合してはじめてそうなったんですね。
パリ市主催のバゲットコンクールが毎年あるんですけど、それに出たいんですよ。
でも、レトロドール使ってるからって、日本から出場っていうのはだめなんですね。
別に外国人でもいいんだけど、出場の権利は、パリにお店を構えてるっていうのが条件。
ガチンコで勝負したいですね。
コンクールはもう10何年やってますけど、7割方レトロドールを使ったところが優勝してるんですね。
もちろん作り手にもよりますけど、やっぱり粉がちがいますからね。
出したいなとは思います。
最終的には、それが夢です」

パンテコ松岡徹の読み方
*1…「スタッフが仕事に集中してて話ができない。本気でパンを作ってたら話なんてできないもんなんです」
*2…「店に出ている商品の問題点やスタッフに対する質問を真剣に考えているから無視しているように見える。当然、スタッフはそのことをわかっている」
*3…「『今日は悪かった』で終わらせるんじゃなくて、なにが悪いかまで追求しないと、うまくならない。質問するのは、相手の考え、理解度を問うている。やれといわれたことをやるんじゃなく、知識があって仕事をしていれば答えられる」
*4…自分のパンは最後まで自分で作るのがうちのルールだった。パンに責任を持たせるために、他のスタッフに手をださせない。ただ厳しいということではなく、自分のパンに責任を持つということを、牛尾君はいいたいのだと思う」
*5…「仕事中に必ず質問されるので、予習復習をしているのです」
*6…「この部分は牛尾君の思い違いだと思います。本当は、ビゴで2年修行すると、他の店で5,6年修行した人のレベルになるという意味で、彼らはあまり給料のことは深く考えていなかった。当時のスタッフのうち3名が、3年でオーナーシェフや新規オープン店のシェフになっています。他の店に行ったら、機械も材料もすべてちがう。マニュアルでやってるんだったら通用しない。教わるか、自分で考えるかのちがい」
*7…「ニシカワ食品で35キロの生地を10分で切るというシーンが出てきますが、それとの対比が興味深いですね。早く切るのがえらいと牛尾君はいってない。妥協しないということを彼はいってる。妥協したら負け。『1グラムが、そのうち2グラム、3グラムになるぞ』と僕はいっていた。牛尾君はそのことに気づいた。妥協しないという気持ちが大事なんです。いいパンを作るのは、技術ではない。技術以前の気持ち。それがもの作りの楽しさ。そこまで追求しないと楽しくない。もっといいもの作るには、もっと妥協しないにはどうしたらいいかを考える。牛尾君はドゥースフランスで別の人種を見たんだと思う」
*8…「生地を大切に扱うということ。生地になるべくストレスを与えないように。*7と同じく、分割が速いだけではダメで、生地に対してやさしく、かつ速くということが大事なのだと、彼はいいたいのでしょう」



ル・スティル社長 西川隆博インタビューにつづく


パンラボ単行本増刷完了しました。


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職人インタビュー comments(7) trackbacks(0)
Comment








長文ながら、興味深く読ませていただきました!
このシリーズ良いですねっ。
from. 通りすがり | 2012/05/09 12:54 |
最後までお読みいただきありがとうございます。
たいへん長い原稿で、表示しづらかったり、読みづらかったりした方にはご迷惑をおかけしました。
今後もいろんな職人の方にお話をうかがっていきたいと思っております。
from. 池田浩明 | 2012/05/09 19:21 |
いえいえ、とても面白く、情熱が伝ってくる文章です。
これを読んでいると、その背景を知り、改めてその美味しいパンが食べたくなってきますね。
あと、硬いパンで咀嚼を繰り返す度に、パンにかける、この情熱と物語を思い出してしまいそうです。
from. 通りすがり | 2012/05/09 20:05 |
上記の方の通り、とても興味深いインタビューでした。
次回もまた楽しみですー
待ってます!
from. ミヤモト | 2012/05/10 01:50 |
何も知らなくてもいいなぁと思う絵はあるし、
感動する音楽もある。でもその背景を知ると
もっと深く感じることができる、と思う。
VIRON のバゲットは大好きなバゲットの1つ
だけれど、今度いただくときは、また違った
味が加わると思う。
from. ジェーニャ | 2012/05/10 21:27 |
通りすがり様、ミヤモト様、ジェーニャ様
みなさんのおっしゃる通りです。
絵でいえばすべては画面の中にあり、パンでいうならすべては味わいの中に含まれています。
含まれてはいるのですが、まさかこの味わいを出すために、ここまで努力し、ここまで感性を鋭くしているということを、私たち素人は想像できないのです。
ですから、背景を知ることで食べることがおもしろくなり、食べることで、その背景に深くうなずくことになるかと思います。
from. 池田浩明 | 2012/05/10 22:17 |
昨日VIRONの朝食いただいてきました。
拝読してからの来訪でしたので、レトロドールをいただくときの思いはひとしおでした。他のパン屋さんもそうだと思いますが、職人さんの思いやご努力も一緒においしくいただきたいと思います。
from. JUN | 2012/05/29 10:36 |
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