パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ブーランジェリー・ジャンゴ(江古田)
154軒目(東京の200軒を巡る冒険)

冷蔵ケースの中の恐るべきサンドイッチたち。
ハムとカマンベールといった王道から、魚を使った新作まで。
サンドイッチ用に小さく焼いたフランスパンやコッペパンの端正なたたずまいだけで、口に入ったときのバランスを計算していることや、薄めにカットされたさまざまな食材を歯で食いちぎる食感を想像させる。
あれ食べたいこれ食べたいと妄想ばかりでいっこうに決まらず、いつまでも足止めさせられる。
鴨肉や生ハムといったフランス食材のサンドまで並んでいるが、ここは六本木でも代官山でもなく、練馬区江古田である。

サバと香草のサンド(380円)
オイルでマリネしてオイルサーディンのようにしたサバと、マヨネーズであえて尖りを取ったタマネギの千切りのさわやかなバランスとしゃきしゃき感。
そこへルッコラではなく香草を、みずみずしくもスパイシーに香らせる。
すべてがネクストレベルで活きているのはパンのクオリティゆえ。
ほの甘いのに味わいの白さと類い稀な透明感があり、食感はくねくねとしなやかで、歯切れが軽やかで、口溶けがすばらしい。
パンオレのようにも思われたがもっと具材を引き立てる、白さ清らかさはなんなのだろうと思ったら、豆乳のパンだった。
サバの脂のぎとついた旨味を、パンの繊細さで引き受けるのだ。

住宅街としては異常な突出ぶりと思える品揃えへと、店主の川本宗一郎さんを駆り立てるものはなにか。

「他でやってることやりたくない。
自分しかできないパンをやりたい。
だけど、ベースはきちんとして、配合とか製法を変える。
基本は変えたくない。
変えると楽なんですよ。
いっしょにしたら他の店との競争にさらされる。
『これがうちのです』っていう個性は変なもののほうが出やすい。
プロなのでそれは恥ずかしい。
たとえばクリームパンでも、丸くして、かわいい飾りを上につけたのとかありますけど、そういうのは作りたくない。
クリームパンがグローブ型なのは、カットを入れることに意味があるからだと思う。
クリームから蒸気が出きたとき、穴がないと生地がふくらんで空洞ができる。
だからうちはグローブ型ではないけど、カットを入れています。
付加価値をつければ値段は取りやすくなるけど、パンというのは実は完成されたものが多い」

「流行っているから」「目新しいから」というやたらな安易さとは無縁である。
一本筋が通っているために「そうきたか」「わかっている」と思わせ、フレンチレストランや有名スイーツ店にありそうでなさそうな新趣向が思わず手を取らせる。
そして食べてみて、具材の新しい取り合わせを支えているのは、実はパンのおいしさなのだとわかる。

「ゴボウのカンパーニュは、ごぼうの素揚げとひじきを入れて食物繊維を取れるようにしてます。
そば屋でゴボウの天ぷら食べて、ゴボウは香りの野菜なんだって気づいた。
和菓子でみそ餡とゴボウを合わせたのがありますが(菱はなびら餅)、和菓子の世界はすごいなと思いますね。
それから、冬瓜のデニッシュをやったり、イチゴのデニッシュにはバルサミコソースを合わせたり。
料理人からしたら普通だけど、パン屋はやらない。
他の業種から学ぶことはすごく多いですよね。
『料理通信』読んでこれは使えるな、とか。
ジャスミンティーで仕込んだドライマンゴーのパンは裏のテーマが台湾。
スモークサーモンのサンドイッチはクリームチーズというのが定番だけど、うちはサワークリームだったり。
ちがう答えってないの? といつも思う。
ひーひー言って新作を考えてます。
僕はひねくれてる。
食べることが好きな人にうちを使ってもらえれば。
1週間に1度あそこ行くとおもしろいことあるよね、と」

合鴨とカブのサンド バルサミコソース(420円)
この小さめのバゲットが、カスクルートにこの上もなくもってこいなのである。
ほのかな、ごくほのかな甘さと、ぱりぱりしていて、けれど皮が薄くて歯切れよく、クープもないために、至って食べやすい。
鴨のぷるぷる感。
上品な脂の甘さが静かにのびていく。
カブの味わいの主張がないところ、みずみずしい感じ、しゃきしゃき感は鴨との組み合わせとして新しく、あらかじめはさみ込まれた箸休めとでもいうべきか。
バルサミコのほんのり加減、やわらかな酸味と甘さが、サンドイッチ全体に雰囲気を与えている。

サイクルキャップをかぶって仕事をする。
店は自転車趣味で統一され、サイクリストの立ち寄りスポットになっている。
「うちの店は自転車好きに認知されてまして。
自転車レースにちなんだパンを出しています。
5月はイタリアで大きなレース(ジロ・デ・イタリア)があるのでイタリアのパン。
7月(ツール・ド・フランス)はフランスのパン。
9月(ブエルタ・ア・エスパーニャ)はスペインのパン。
春はクラシックレースといって、町の中の石畳を走るレースがあるので、いろんなパヴェ(=石畳の形にちなんだ四角いパン)を作って並べています」

残念ながら今年は時期を逃してしまったが、私もパヴェの石畳を走り抜けてみたいと思う。
本当にパンを知っていて、世界を知っている人だから、遊びがツボを突く。
冷蔵ケースだけでただならぬものを感じていたが、実は川本さんは生後数ヶ月のときから世界を股にかけて食べ歩いている人だった。

「生まれたばかりでブラジルに引っ越しました。
いまでもポンデケージョ食べるとなんかもやもやする。
たぶん食べた記憶が無意識のうちにあるんでしょうね。
9歳〜12歳はパリにいた。
それがパンの道に入ったことに影響してると思います。
当時は80年代だったので、冷蔵長時間のバゲットが流行る前。
だから、軽いんですね。
さんざん食べたので、そういうのをいまでもおいしいと思ってるし。
バゲットを、こんなちっちゃい紙で手で持つとこだけ巻いてお客さんに渡すんですよね。
エレベーターに乗るときドアにぶつかって、それをいいことに家に着く前に齧ったり。
日本に帰ってギャップがあった。
池袋のフォション、ルノートルだいぶちがうぞ。
食い意地が張ってて、旅行の記憶がぜんぶ食べ物。
子供の頃オランダに旅行したことあるんですが、アンネの家は覚えてないけど、その近所にあったクレープ屋でクリームとシロップたっぷりのクレープ食べたのは覚えてる(笑)」

全盛期のルノートルが物足りなかった恐るべき子供は、長じてパン屋になり、練馬の片隅で黙々とパンを作りながらも、世界のパンのことを考えている。

「日本のパン屋さんはみんなきれいに作っていますよね。
Facebookで外国のパン屋さんを見ると、びっくりしちゃって。
躍動感がある。
小麦畑にぼーんとパンが置いてある写真見て、ショックだった。
技術的なものはヨーロッパにほぼ追いついた。
でも、パンは日本にもともとなかったものなんで、魂的なものはまだまだ追いついていない。
畳敷きでちゃぶ台でごはんを食べる風景って子供の頃はまだあったと思います。
そこからここまできたんだから、日本人はすごいけど。
味覚って育ちが影響しますからね。
いまなんて3歳の子がうちで買ったタルトフランベ食べてる(笑)。
そんな子がパン屋になる時代きたらすごいんだけど。
いま中国がパリを完全コピーした町を作ったの見てみんな笑ってますが、パン屋の現状はそれに近い。
ヨーロッパとなんでもいっしょがいいというのは、20世紀な感じがする。
パン屋さんって、意外とパンについて深く考えてない。
いまみたいに物まねしてるだけだったら、一生同じことをつづけて終わっちゃう。
パン屋って毎日たんたんと同じことやってる。
だけど、日本のどこでパン屋やっても可能性は広がってるんですよ。
可能性を考えるの楽しい。
みんながパン買って食べるのが楽しみになることはなんだろう。
食事をみんなでするのが楽しいと思えるようになったら満たされる感が出てくる」

川本さんの考えは、商売目線ではなく、どこまでも食いしん坊目線である。
おいしいものを食べたとき、あらゆることを忘れさせ、頭の中が幸福感で満たされるあの感じは、とてつもなく貪欲で節操もなく国境を飛び越える。
おいしければどこの国の料理でもいいし、おいしいものさえ作ればどこの国の人にも理解されるはずだ。
たしかに、食べ物を作る仕事は、ここにこなければ食べられないという意味でごくごく局所的でローカルだが、作り手から食べ手へ受け渡されるものは、他の芸術と同じように普遍的なのである。
それゆえに、川本さんはもやもやしている。

「いまぜんぶチェーン店に飲まれて、個人店がなくなっていく。
うちでも総菜屋さんのチャーシューかってチャーシュー入りのパン出して、総菜屋さんのほうでもシチューのパンを出していたことがありました。
地域のものを使って、つながっていきたい。
地域ぜんぶが素敵になったらいい。
パンは脇役なんで、おいしいものもあったらいい。
おいしい魚屋さん、おいしい肉屋さん。
個人でがんばってる店1ダース集めたら町の価値上がる」

特別ではないここにいても世界レベルのおいしいものはいくらでも食べられる。
その潜在的な可能性をジャンゴは発掘しようとしている。
練馬に住んでいた私にも驚きだったのだが、実は練馬では小麦も生産されている。
その小麦を100%で使ったパンを試作したり。
あるいは江古田ミツバチ・プロジェクトと称し、武蔵大学の屋上に巣箱を置いてはちみつを作る試みに参加し、「江古田はちみつ」を使ったパンを作っている。

アマンド(150円)
ふわふわの食感でやさしい甘さが表現される。
コッペ型に作られたパンは実は帽子パンで、アーモンドパウダー入りのケーキ生地をパンの上に流してコーティングされている。
パンではないようなしっとりむにゅむにゅの食感と、子供が大よろこびするような甘さ。
そこにエッジを持ち込む小さな野生。
「江古田はちみつ」には本物ならではのつんとくるような花粉感覚があって、そのよろこびをマスカルポーネの酸味が強調して、甘さといっしょに喉をひりひりさせる。

とんでもなくおいしいもの、夢中になれるほどおいしいものの潜在的可能性はまだまだ私たちのすぐ目の前にあって、まだ気づかれていない。
それをみんなで共有できたとき、地域の中でのパン屋の役割はいまより大きなものになっているだろう。
朝食やおやつで食べるパンばかりではなく、夕食のときや特別な食卓にパンが上るようになればおもしろいことになる。

「お客さんみんながサンドイッチ作ればいいと思うんですよ。
スーパーでミックス野菜買って、マヨネーズ塗って。
うちでは3種類のハムを2枚ずつパックにしたのを売ってます。
3種類もハム集めるのたいへんでしょ。
これ買えばご自宅でいろんなサンドイッチ作れますから。
あとは、鶏でも豚でもなんでもいいから挽肉を買って、ハンバーグにしてはさんだら誰でもおいしのできます。
パンの上に野菜をのせて、いちばん上にハンバーグのせたら、どこのご家庭でもドレッシングってあると思うんで、それをかける。
汁気が出るのでおいしくなる。
手が汚れるけど、それがおいしい。
汁気があるサンドイッチは(パンがふやけるので)パン屋ではできないですから。
鶏を焼いたりなんでもいいと思うんですよ。
商店街行って、そのあとでうちに寄ってほしい。
おかずとパンを食卓に出しといて、手巻き寿司みたいな感覚で、みんなはさんで食べれば、奥さんも楽だと思うんですよ。
あと、みんなピクニックやったらいいのになーと思う。
遠くのきれいな公園まで行かなくても、光が丘公園でいいんですよ。
いまはコンビニどこでもあるから、なんでも買える。
酒屋でワインの小びん買って、そのときおいしいパンがあれば、ピクニックのレベルがぐんと上がる」

川本さんはパンの食べ方を語りはじめ、とどまることを知らなかった。
脳の中では、おいしいものを食べたときと同じ、ドーパミンかなにかの脳内物質がきっと出っぱなしになっていたはずだ。
おそらくこんな勢いで、どのサンドイッチも、どの新作パンも夢想しているのだろう。(池田浩明)

西武池袋線 江古田駅 / 西武有楽町線 新桜台駅
03-3994-7800
9:00〜19:00
月曜、第1・3・5火曜休み




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#154
200(西武池袋線) comments(7) trackbacks(1)
Comment








練馬区なめんなよ!‼
…とは言え、わたくし初めて知りました。
さっそく行ってみたいと思います。
from. 練馬区民 | 2012/07/13 15:37 |
初めまして。
パンラボを購入して、なめるように読んでいますが、近所の大好きなDjangoが載っていなくて「しゅん…」となっていました。パンラボにメールしようかと思っていましたが、池田さんのTwitterフォローリストを見ていたら(ストーカー!!笑)Djangoがあったので、いつかこのブログに載るんじゃないかとドキドキしていました!!本当に嬉しいです!!嬉しすぎて閉店まぎわ、駆け込んできました^^パーラーさんGJ!
from. さいとう | 2012/07/13 18:33 |
江古田

と目にするだけで気持ちオーバーに反応してしまうよ。


この店は千川と平行して走る裏通りにあるのですね。
いつも自転車でこの道を通って大学に通ってました。

江古田、桜台、新桜台のトライアングルの真ん中だ。どこからでも行けるけど、どこからでも少し歩くね。

用事を見つけて、ついでに立ち寄りたいなぁ。

うむ、用事は見つけたい。
from. かしわで | 2012/07/14 00:30 |
練馬区民様、さいとう様、かしわで様
お待たせいたしました。
私も元練馬区民ですが、ジャンゴを知ったのは、ごく最近のことです。
パーラー江古田さんに教えていただきました。
ジャンゴ自体まだ新しい店ですし。
練馬に住んでいるときにこの店があればよかったと思います。
パーラーとセットで行きたいですね。
from. 池田浩明 | 2012/07/14 15:04 |
かしわで


さっき、野暮用が練馬駅近くであったので足を伸ばしました。

大納言がおいしかった。

蹄鉄のごとき形のソーセージのごとき形のバター感いっぱいのパンの中に大納言が埋め込まれていて、それも面白かった。

from. かしわで | 2012/07/14 16:52 |
かしわで様
大納言入りの蹄鉄型のパンといえば、志賀シェフのスペシャリテです。
ジャンゴの場合、ただ真似することはしないと。
バターをたくさん入れて、別仕様にしたそうです。
おいしそうですね。
from. 池田浩明 | 2012/07/20 20:47 |
かしわで

シニフィアンのスペシャリテとな!!

でも、ジャンゴの大納言もバター感が溢れていて、たいそうおいしかった。
from. かしわで | 2012/07/21 02:10 |
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