パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ゴントラン・シェリエ東京(渋谷)
156軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ゴントラン・シェリエとは何者か?
フランスでは、まずレシピ本で成功を収めたあと、端正なマスクも手伝い、テレビの料理番組への出演で広く知られることとなった。
ハイセンスなブーランジュリーをモンマルトル近くに出店、たちまち有名店となり、パリ・バゲットコンクールでも4位入賞を果たしている。
若さ、美貌、実力。

そのゴントラン・シェリエが、8月28日渋谷駅前に登場する。
ヴィロン、そして目と鼻の先にジョエル・ロブション。
フランス発の名店が居並ぶこの街に、新世代のブーランジュリーが殴り込んできた。

ゴントラン・シェリエの華やかさ。
バゲットにカンパーニュ、クロワッサン…モノクロームなパン・トラディショネルで満ちるフランスのパン屋に、ゴントランは革新をもたらした。
彼のブーランジュリーは色彩に満ちている。
フルーツをのせたデニッシュはいうに及ばず、野菜をのせたタルト。
バゲットさえ彼の手にかかるとカレーパウダーやイカスミを混ぜ込まれ、イエローやブラックに変貌し、バンズに至っては6色ものカラーバリエーションがある。
その革新性はどこからやってくるのか。
東京店の商品を試作するために来日したゴントラン・シェリエ本人に話を聞いた。

「修業時代、ガストロノミーのレストラン(アルページュやルカ・カールトンなどの三ツ星レストラン)に入ったことで、パン屋で経験していた以外の食材と出会いました。
また、料理などパンを作ること以外にも積極的に興味を持ってきました。
だから、ベースとなるバゲット、フォカッチャ、タルトなどの生地に新しい食材を入れることは、自然の成り行きでした。
旅も好きだし、食べることも好き。
そこで発見した自分の好きなものを、いろんな人と共有したいと思って、パンに入れました。
トラディショナルなものに、新しいものをプラスすることで、クリエーションが生まれ、もっと『セクシー』な表現になります。
パン屋としてあえて個性を出したのではなく、自分の個性がそのままパン屋になった。
いまのフランスに同じようなムーブメントがあるとしたら、私もその一人かもしれませんが、自分ではそうなろうと意識してません。
世界中の食材やスパイスを使って、サンドイッチだけではなく、ヴィエノワズリー(甘くリッチなパン)まで作ったパン職人はあまり多くないと思います」

ゴントランはフランスでの修行を終えたあと、東欧やモロッコ、アジアなどをまわり、パンの技術指導を行っていた。
そのとき現地で出会ったさまざまなスパイスや食材をパンに入れていくことで、新しいパンをクリエイションしたのだ。
あるいは、前述のバンズならば、赤はパプリカ、ブラウンは糖蜜にコリアンダー、緑はほうれんそうにひまわりの種という具合。
たとえば、黒のバンズにはイカスミとニジェールの種が練り込まれているが、イカスミにある潮の香りがする黒のバンズならば中にサンドする具材は魚介類があう。
この6色のバンズは、色彩やそれぞれの風味からさまざまなサンドイッチを発想できる。

ゴントラン・シェリエは、東京進出に本気で取り組んでいる。
系列店は、2012年中にパリで3店舗、シンガポールで2店舗に増える予定で、彼は多忙を極めているはずだったが、何度も来日して、日本の素材と格闘していた。

「自分の物差し、信念は揺るがないものなので、自分の店で出すメニューを自分でできないのであれば、やる意味がありません。
新しいものをクリエーションすることだけが、意味のあることです。
日本のスタッフと何度も試作を行いました。
指示をして、味見をして、発見して、修正して、感化され…コミュニケーションでなにかを生み出していく楽しみを感じています」

日本側のスタッフとゴントラン・シェリエとのコラボレーションはこのように行われた。
来日したゴントランに、日本スタッフが次々と和素材をぶつけていく。
それをゴントランが新しいパンに仕立てていくのだ。

ゴントラン・シェリエの日本でのパートナーである、ベイクルーズのスタッフは言う。
「今回、パリの店で出しているのとほぼ同じ『パリのパン』に加えて、日本の素材を使った『東京のパン』をゴントランさんに作っていただきました。
白あん、わかめ、のり、さくらの葉、日向夏、デコポン、よもぎ…。
積極的にいろいろな素材を見せると、その途端にこれはなににしましょうとアイデアが出てくる」

たとえば、うぐいす豆リュスティックができあがった経緯をゴントランはこう振り返る。
「日本のスタッフから提案があったメニューです。
実際に作られたものを食べてみて、そこにミントを入れることを思いつきました。
ミントが入って、ゴントランのパンが完成しました」

うぐいす豆リュスティック(140円)
むっちりと歯ごたえを感じ、ねっとりと溶け、クリーム色の小麦の味わいが豊かにあふれる。
食感とも、味わいとも、うぐいす豆という和の食材のやさしさはよく合っている。
そこへミントの清涼感のサプライズ。
うぐいす豆のまったり感という予定調和に揺さぶりをかけ、ダイナミズムを与える。

「ゴントランのパン」と彼が呼ぶもの、それは前述した「セクシー」という言葉とセットのように思われる。
セクシーな驚きなくして、自分のパンとはいえないと、ゴントランは考えているのだろう。
彼の操るさまざまなスパイスはそのための武器なのだ。

けれども、ゴントランがパン・トラディショネル(伝統的なフランスパン)をないがしろにしているのかといえば、そうではない。
斬新なアイデアが可能になるのも、おいしいパンがあってこそだ。
パンを作る上でいちばん大事なのは、ボン・ファリーヌ(いい小麦粉)だと、ゴントランは強調する。

「いい小麦粉を、適切な時間で熟成させ、適切な時間で焼くこと。
イーストを抑え、ルヴァンリキッド(液体の自家製酵母)やポーリッシュ(前日に作る水分の多い種)を多めにすること。
イーストが多いと乾きやすく、風味も悪くなります」

パリの店で、BIOの小麦粉や近隣の農家から届いた野菜を使ってパンを作るように、彼は素材を重視する。
だが、フランスと日本では、素材の味にちがいがある。
日本の食材は彼の要求に応えるものだったのか。

「日本にいい食材がいっぱいあったのは幸いでした。
バターや、牛乳、タマゴ、イースト…。
なかにはパリよりもいいものもありました。
試作をはじめた日、まず小麦粉とバターを選んで、クロワッサンとパン・オ・ショコラを作りました。
ほんのちょっとの修正をするだけで、自分の味にたどりつくことができました。
それは私にとっても驚きでした。
日本の素材は悪くないと確信できた」

クロワッサン(180円)
皮の香ばしさが深く、心地よい。
バターの甘さがなんともいえない。
それをよく保存した中心の白い部分から、外皮の焦がしたバターの風味へのグラデーション。
甘さと香ばしさの溶け合いがめくるめくようで、果てしない気持ちにさせる。
皮1枚1枚の分厚さは、見た目の大胆なうつくしさにもつながっている。
分厚さゆえにそれをまとめて噛み破る瞬間の歯ごたえはたとえようがないほど快楽に満ちている。
繊細な薄皮のクロワッサンとはまったく異なる魅力を放つ。

フランス産の小麦粉でなければ本当のバゲットではないという主張がある。
ゴントラン・シェリエは、それに同意しない。
東京店で出すバゲットには、北海道産小麦も使用している。

「バゲットにも日本の素材を使い。パリと同じようなテクニック(長時間発酵)で作ったら、満足するできあがりになりました。
フランスのバゲット・トラディションとまったく同じものが東京で食べたいのだったら、フランスの小麦を持ってきて作ればいいだけのことで、必要性があるなら作ることに異議はありません。
でも、日本でせっかく出会ったもの、いいものは使わない手はない。
出会いが好きだし、試作するのも好きなので、日本のものを使ってみたいという欲求が生まれました。
日本では消費者のいろいろなニーズがあるために、小麦粉も、たんぱく量や、その他キャラクターのちがうヴァリエーションがいっぱいあるのは、大きな魅力でした。
しかも、レベルも悪くないので、選択の幅はとても大きいと思います。
自分の好きな質感になりそうなもののいくつかで試作し、その中でもっとも味や食感のいいものを選択しました」

現地で使われているフランス産小麦に、日本の小麦は劣っているという先入観が日本にはあると私は思っていただけに、彼のこの見解には勇気づけられた。
フランスパン、ドイツパン、アメリカ、日本風…日本の消費者ほどめまぐるしくさまざまなパンを食べる人種はいない。
それに応えるだけの商品ラインナップが、日本人特有の繊細な手つきによって供給されているという点では、むしろフランスに優っている。
豊富な素材、さまざまなパンを食べ、舌の肥えた消費者。
ゴントランはそれをリスペクトしながら、東京という新たな土俵で、パリとはちがう方法で勝負しようとしている。

ピサラディエール(300円)
オリーブ・ニソワーズ(ニース風)を使った、南仏プロヴァンスのご当地パン。
オリーブとアンチョビの濃厚な香りがフランスの港町を彷佛とさせる。
バゲット生地を薄く伸ばしたピッツアには油が滲みこんで、やわらかい。
そこに塗られたアンチョビソースは、まろやかさとコクを与え、炒めたタマネギがその上に敷き詰められ、生地とともにすばらしい甘さで口溶ける。
特に、オリーブの粒と、サーディン・フュメ(いわしの薫製)をいっしょに口にしたとき、塩と甘さ、香気があきれるほど口の中に満ちる。
塩気と甘さを拮抗させ、際立たせるバランスは、日本のパン屋ではあまり出会わない、まぎれもないフランス人のセンスだ。

ゴントラン・シェリエと渋谷を歩いた。
5分ほどの道のりだったが、フレンドリーな人柄は十分に伝わってきた。
公園通りの裏にある事務所を出ると、停まっていたハーレーのような改造大型バイクを目にし、i-phoneで写真を撮った。
渋谷の街は彼にとって刺激に満ちているようで、道の両側をくまなく占拠するファッション関係のブティックに興味を魅かれていると言った。
東京のパン屋もかなり回っていて、レベルの高さを感じている様子だ。
シニフィアン・シニフィエに驚き、 いちばん気に入ったのはL'atelier COCCOという女性店主の営む小さな店だという。

彼の到着を待ち受けていた東京店の厨房には緊張感がみなぎっていた。
これから試作がはじまるのだ。
すぐ使えるよう切りそろえられた食材や調味料が作業台を埋め尽くすように並べられ、スタッフがまわりを取り囲んでいる。
ゴントランの目つきが変わる。
コックコートに着替えるのもそこそこにトライアルをはじめた彼の一挙手一投足を、たくさんの人たちが静かに見つめている。

まず、緑色のバンズにタプナードを盛ったサンドイッチを取り上げた。
ゴントランにはそれがぴんとこない様子で、いろいろ考えた末、タプナードをすべて取り除いた。
アボカドを持ってくるよう指示し、自分でそれを潰してワカモレ(メキシコのアボカドソース)を作りはじめた。
ほうれんそうを混ぜこんだ緑色のバンズには、同じ緑のアボカドがふさわしいと考えたようだ。
そして、タッパーに入っていたキュウリの細切りを取り上げ、一口味見をした。
もう一種類別のタッパーには輪切りも入っていたが、それも気に入らず、ナイフを持ってこさせて自分で切りはじめた。
ごく薄く、1mmぐらいの厚さで、丁寧に刻む。
ゴントランはそれをワカモレの上へ1枚1枚敷き詰めるように並べていった。
うつくしい仕事だった。

サンドイッチである以上、それは食べる人の目に決して触れない。
だが、キュウリのぱりっと弾けるような食感は、その仕事を知らない誰にとっても快感であるはずだ。
アボカドのさわやかさ、バンズに練り込まれた黒胡椒とそれは響きあうだろう。
サンドイッチが「セクシー」となる瞬間だった。(池田浩明

JR山手線/京王井の頭線/東京メトロ銀座線・半蔵門線/東急東横線・田園都市線 渋谷駅
03-6418-9581
7:30〜21:00(1F)
11:00〜23:00(2F)



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Comment








(渋谷が特に?)パン屋さんの密集率、すごいですねっ!
いろんなパンたちに出逢えるのは、魅力でもあるし迷いすぎてクラクラしそうです(笑)
from. ことぱん | 2012/08/29 16:52 |
ことぱん様
明治通りを「渋谷パンストリート」と呼ぼう、という機運が生まれているとか、いないとか。
from. 池田浩明 | 2012/08/29 19:27 |
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