パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ムッシュイワン(立川)
161軒目(東京の200軒を巡る冒険)

パンを食べつづけていくと、「逆転現象」に出会うことがある。
新しい店に既視感を覚える一方、古い店に食べたことのない新しさを感じる。
ムッシュイワンにあるのはそうした新しさである。
食パンのような、古めかしいパンこそいっそう新しい。
パンから漂う酵母の芳しさ、食感においてはやわらかさと反発がハイレベルに拮抗する。
新しいパン職人が目指しているものが、数百年にわたって守りつづけられる技術の中にあるとしたら。

福田元吉という人がいた。
「ホテル系」と呼ばれる流れの祖となったパン職人である。
いま多くのパン屋が加入するJPB友の会という団体は、もともと福田を囲む親睦会として設立されたものだ。
かって一時代を築いた、パン業界の顔。
年を経て、時代が変遷していく中で、福田の直系の弟子であり、かついまも現役のパン職人である人は、とても少なくなっている。
その代表とも呼ぶべきひとりは、シニフィアン・シニフィエの志賀勝栄シェフ。
もうひとりが、ムッシュイワンの小倉孝樹シェフである。

「福田元吉の師匠がイワン・サゴヤン。
僕がやってきた仕事のルーツはそこまでさかのぼります。
明治の頃、当時の帝国ホテルのオーナー大倉喜七郎が、満州に行ったとき、大和ホテルのメインダイニングで食べたパンがあまりにうまかったそうです。
そのときパンを焼いていたのがサゴヤン。
サゴヤンはロマノフ王朝の宮廷料理人だった。
王朝には芸術や食などすごいものが集まっていたが、日露戦争に負け、衰退していった。
サロヤン一族は世襲でパンを作っていたが、国外追放になり、満州まで逃げてきていた。
ウクライナの小麦とホップス種を使ったパンは抜群にうまかった。
大倉は2年越しで口説いて、彼を日本に呼んで、帝国ホテルにベーカリー部門を作った。
門外不出の技をなかなか教えようとはしなかったけど、日本人の勤勉さに心を開いて、技法や種の作り方を教えていくようになった」

「僕の師匠福田元吉は、昭和のはじめに帝国ホテルに入り、イワン・サゴヤンの元で修行した。
イワンさんは昭和23年になくなりますが、元吉は僕らの前でも『イワンの親父』と呼んで、製法を守り抜いていった。
戦後、福田元吉が帝国ホテルからホテルオークラに転じると、帝国は代替わりでイワンのパンじゃなくなり、オークラのパンが有名になった。
その後、品川のパシフィック東京のベーカー長になると、『パシフィックのパンがうまい』とまた有名になって、ホテルのベーカリーはこぞって福田の子分をチーフとして招請した。
それで、福田は『ホテルパンの父』と呼ばれるようになった」

もともと料理人志望だった小倉シェフはもう40年近く前、パシフィクホテルの厨房で、福田元吉に出会う。
そして、浅草ビューホテルなどのシェフ・ブーランジェを務めながら、福田から受け取った「ホテルパン」を守りつづけようとした。

「オイルショックや不況などの影響で、ホテルの各部門は独立採算制になり、利益を出すことにこだわるようになった。
食材や時間や人件費を削減した。
発酵時間を短縮し、製法を崩したパンを出さざるを得ない。
僕もがんばったんですが、『ホテルパン』がなくなっちゃった。
1次、2次、しっかり発酵熟成を守らなければいけない。
いま長時間発酵が主流になっていますよね。
志賀君の『酵母から考えるパン作り』(長時間発酵を世に広めた本)なんかを読んでも、福田元吉の『ホテルパン』のエッセンスが入っていると思う。
突き詰めていくと、流れてるものが同じなんじゃないでしょうか」

とはいえ、それほど偉大だった福田元吉の仕事を継ぐ者はいま少ないのだという。
福田は亡くなり、年を追うごとに福田の直弟子たちも現場を離れていった。
弟子の中でももっとも若手に属する小倉さんは、パン業界が福田元吉を忘れようとしている現状を嘆く。
「福田の親父を引き継いでいく人たちはだらしがなかった。
師匠が偉大すぎた」

小倉シェフは、福田の仕事を「無形文化財」と呼ぶ。
レシピとして書き残せる以上のなにか。
生地や発酵の見極めという「勘」、丸めなどの「技」は、形のないものだから、職人が現場から去れば消滅するしかない。
数百年にわたって培われた伝統が、ことによったら無に帰することになる。

「スタッフにもよくいいます。
『僕の仕事をまねするのは、コピーじゃないんだ。
福田の親父の仕事の継承なんだよ。
そばにいて見ていないとできないものなんだよ』
たとえば、独学でやる人は、手のさばきが未熟だと思います。
スキーでも、基礎ができている人間はきれいに滑れる。
僕が気にかけているパン屋さん、徳多朗のマダムが僕の講習会にきてくださった。
マダムはこう言ってくれました。
『(小倉さんの)手さばきを見たとき、愛おしそうにパンを触っている。
私はパンになりたいです』」

イギリスパン(315円)
小倉シェフが福田元吉から教わったそのままのホテルパン。
香りの中で酵母とミルクが完全に融合している。
噛んだ瞬間にバターの風味が広がり、塩気がそのあとを追いかけてくる。
抜きつ抜かれつの追いかけ合いがいつまでも止まない。
溶ければ溶けるほど、より甘さを増し、より広がりを増して、変化をつづけて飽きさせない。
食感はふくよかで、ぷよんとした感じもあれば、やわらかくたわんで、快い歯ごたえもある。
シンプルながら豊潤。
それは素材がポテンシャルを十分に発揮しているからにちがいない。
生でも1枚があっという間。
トーストすれば、翌日でも翌々日でもおいしい。

小倉シェフの語る、ホテルパンの特徴はこのようなものだ。
「こねすぎないこと。
アンダーミキシングにして、発酵で育てていく。
ミキサーでこねると発酵が早くなり、失敗も少ない代わり、小麦本来の持ち味を出し切れていません。
酵母は最低限の量。
それに見合う発酵時間をとってあげて、パン酵母が働きやすい時間・空間を作って、めいっぱい働かせる。
1次発酵をうまくできれば、そのあとも管理がしやすい」

「ほとんどの人がオーバーデベロップではないでしょうか。
強めにまわして、ミキシングの段階で生地を作ってしまう。
まわしすぎると発酵が早くなり、若い生地は味もぼける。
菓子パンでもくちゃっとした腰のないものになる。
ミキサーの音って、まわしていると確実に変わっていく。
音を聞いていたら、いま生地がどんな状態なのかわかる。
『こんなに早くバター入れるの?』っていうようなタイミングでも、水と油に分離しない。
そのあと数分しかこねず、あとは休ませるだけなのに、不思議なことにそれで生地ができてしまう」

じゅうぶんな発酵によって酵母自身がおのずからパンを作りあげる。
ミキシングを少なめにして小麦の味を活かすことや、酵母を少なくした長時間発酵は最近の流行であるかのように思われている。
それは現代において「発見された」わけではなかった。
福田元吉において、すでにそうだったのだから。

「丸めも大事なんですよ。
丸めにも法則があって、それを体で覚えてるから。
我流でやると、分割丸めの段階でいい加減になる。
福田元吉のイギリスパンは一般的に見たら塩が多い配合なんですが、それが絶妙の塩加減になる。
塩がなければ、えぐみがでる。
この量でも、塩がききすぎるなんて、きちんと作ればありえない。
昭和50年代は精製塩が主流で、いまよりもっと強い塩でしたが、ホテルの朝食で出していて、しょっぱいといわれたことはありませんでした。
当然なんですね。
一次発酵の丸め、成形の丸め。
その工程をきちんとしてないから、塩が強く出てしまう。
塩がうまく生地の中へ分散しない。
発酵が足りないと、うまく糖分を食べてくれずに残ってしまう。
ちゃんと発酵させて、きちんと丸めて、タイミングをまちがえなければ、味がうまくぱーんと出る。
そこがおもしろい。
プロセスの中で砂糖も塩も分解されていく。
きちんと発酵させ、きちんと生地を作らなくては、配合の妙がわからない。
レシピを見てもわからない部分です」

私はシニフィアン・シニフィエの厨房で志賀勝栄シェフの丸めを見たことがある。
それは小倉シェフと同じく、福田元吉直伝の丸めである。
若き日の志賀さんは、師の元へ通い詰め、それを会得した。
彼はその丸め方を「揉む」と表現していた。
シニフィアン・シニフィエのパン・ド・ミは副材料を入れずリーンであるにもかかわらず、きちんとふくらんでやわらかい。
福田直伝の丸めができなければ、シニフィアン・シニフィエのパン・ド・ミは作ることができないのだと。
いま最先端だと目されるパンの核心部分を支えているのが、実は数百年の時を経て伝承された職人技なのだ。

「1回目の丸めは分割して箱に入れるとき(1次発酵の前)ですが、ちゃんとガスがたまる丸めをしないと、伸びしろにかかわる。
いちばん芳醇な香りのする炭酸ガス、有機物をちゃんと溜まるように丸める。
しっかり丸めてガスが逃げないようにする。
丸めが悪いと、成形のときに元気がない。
伸びしろがない。
気泡膜が広がってはじめて、塩と砂糖が生きてくる。
ちっちゃい気泡だときめが詰まってしまう。
ヴィロンのレトロドールという粉(フランス産小麦)がなぜうまいか?
雑味の味わいですよね。
雑味も塩と同じで、使い方では大失敗になる。
詰まった生地だと、えぐみ、むれが出る。
だから、フランスパンは気泡を大きくする。
他のパンも同じこと。
食パンだって、発酵がきちんととれたものは、窯伸びして、おいしくなる」

Vバタール(260円)
フランスVIRON社の粉を30%、ライ麦を3%ミックス。
硬めの皮の快い崩壊感と、中身のしなやかさのコントラスト。
なにより味わいのトーンが明るく、複雑で、しかし透明感があって。
じわじわと雑味が発してくる。
それは荒々しさであり、豊穣さであるが、静かに発してくるので、奥行きをも感じさせる。
だから、中身の白い味わいの繊細さも同時に聴こえてくるのだ。

多くのパン屋と同様、ムッシュイワンの経営も常に順風満帆ではなかった。
「7年目で思い知らされました。
インストアベーカリーのあるスーパーが近くにできて、客足が落ちた。
それでコンセプトを曲げかけたところがあった。
(ムッシュイワンがテナントとなっている)若葉ケヤキモールの担当者が女性に変わって、こう言われました。
『なにをやってるの!
スーパーを相手にしても仕方がない。
ここにくるお客さまはそんなの関係ない。
10円、20円安いからってパンを買うお客さまじゃないんですよ』
勇気をもらった。
もう1度、僕らしいパンを作ればいい。
ドーナツとかぜんぶやめちゃった。
うちにしかないものを作りつづけよう。
そうなると客が戻ってきた」

ムッシュイワンは立川駅からさらにバスで10分ほどいった郊外のショッピングセンターにある。
都心に比べて、高級なフランスパンを売る立地として好ましいとはいえない。
だからこそ、だと思う。
まわりののどかさから一転、店に入るとパンのいい香りが鼻腔を突き、うつくしいパンが並ぶ光景には、うれしい驚きがあり、ここでしか買えないというありがたさがある。

「コンセプトは守らなくちゃいけない。
『最初の志を曲げて、あんぱん・菓子パン作ったら繁盛店になりました』って、うちはそれできないんですよ。
まわりと同じものを作る必要ない。
ホテルブレッドなんかよその店にはないんですから。
流れてる血筋がちがうし、それをもっと磨かなきゃいけない」

「僕がこの店をはじめたとき、なんでこの名前をつけたか。
イワン、この火だけは消し去りたくない。
『もう福田の時代じゃない』っていう人もいます。
でも、僕は守り通したい。
こんな奴が1人か2人いたっていいじゃないか。
イギリスパンを作りつづけたい。
福田の親父に教わった通り、愛おしんで作れば、必ずおいしいパンができる」

ペイザンサンド(320円)
使用されるのは、極小のイースト量で作るバゲットの老麺(前日の生地)を種にして作り上げるパン・ペイザン。
ぎりぎりまで熟し、凝縮された生地に特有のしなやかな舌触りと繊維感。
その凝縮ぶりは香ばしさを通りこし、渋い旨味にまで到達している。
皮はかりかり、中身はよく火抜けして軽やか。
滲みだしてくる味わいの濃さがものすごいのに、酸味も、えぐみもない。
それは噛むごとにさらに変化し、むしろさわやかになっていく。
おかずとの相性が圧倒的。
ハムのスモーク感、チーズのとろけ、トマトの熟れた感じと次から次に受け止めていく。

伝統を守りつづける店。
しかし、この店のパンにあるのは、古さではなくむしろ新しさではないか。
私がそう告げると、小倉シェフはこう言った。
「保守です。
保守であることが革新」

JR中央線 立川駅
(JR立川駅北口より、若葉町団地行きのバスに乗り、砂川九番で下車)
042-538-7233
10:00〜20:00(土曜日曜祝日 9:00〜20:00)
 


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#161
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