パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
マインベッカー(南行徳)
162軒目(東京の200軒を巡る冒険)

厨房に籠って黙々と仕事を続けるベテラン職人。
そうした印象を持っていたマインベッカーの宮崎章シェフと、再会したのは意外な場所だった。
ベッカライ・ブロートハイムで。
しかも、厨房ではなく売り場。
ドイツパン屋としてすでに名を馳せている宮崎さんがマインベッカーを休業し、51歳にして、販売担当として古巣で再修行を行っていたのだ。
1年間に及ぶ充電を経て、マインベッカーは新たに出発した。

「今回のことがいちばん勉強になった気がします。
前にブロートハイムでお世話になったときは、販売はやらなかったんで。
でも販売はいちばん重要です。
当然ですが、パン屋というのは売らなくちゃならないんで。
お客さんの立場で考えるというのは、販売をやらなきゃわからなかった。
作っているときもそのつもりでしたが、ぜんぜん見えてなかった。
場所が悪いから売れないんだとか、お客さんのせいにしてた。
自分がいちばん悪かった。
(店を一旦閉める前の)最後の週、すごくお客さんがきてくれた。
うちのお客さんってこんなにいたんだと思いましたね。
店先で泣いたりする人がいた。
またここでやろうって決めた。
『売れなかったところでもう1回やるってどういうこと?』って、みんなに言われた。
だけど、自分のお客さんにもう1度きてもらうほうを優先しました」

金林達郎氏(ボワドオル、元帝国ホテル)、シャラントの竹内豫一氏、クープ・デュ・モンドで世界一になった山崎隆二氏(帝国ホテル)ら。
きら星のごとき職人が揃った浅草橋ドーメルでキャリアをスタートし、食事パン・ドイツパンを極めるため、明石克彦シェフの名店ベッカライ・ブロートハイムにも勤めた。
久しぶりに足を踏み入れたブロートハイムで、宮崎さんはなにを思ったのか。

「16年前とまったく同じものはモーンプルンダーとベルリーナラントブロートしかありませんでした。
それぐらいまでお客さんに合わせて変えないと、飽きられてしまう。
基本は基本であるんですけど、ちょっとずつ微調整する。
お客さんの好みに合わせていく。
もちろん、明石さん(ブロートハイムのオーナーシェフ)が納得したものでないと駄目なんですけど。
ロッテのグリーンガムが、僕らから見たら何十年も同じもののように見えながら、実は市場調査して毎年味を変えているという話を思い出した」

開店以来、ぶれず、変わらず、同じ基本のパンを出しつづける。
それがベッカライ・ブロートハイムの偉大さだと私は思っていた。
事実、バゲットのレシピも開店以来変わっていない。
しかし、レシピに書き込めないほどの、作り手にしかわからない微調整を繰り返すことにより、トップを走るブロートハイムにして、さらなる進化を続けていたのだ。

腕も理論も確かな人である。
その宮崎さんが、充電前のマインベッカーについて反省を口にする。

「お客さんのほうぜんぜん見てなかったですよね。
ハード系のパンをそのまま並べて、『スライスは家でしてください』。
それがいいと思っていた。
ライ麦のパンの場合、9割方スライスしてくれと言われる。
確かに自分でパンを買っても、波刃でないと切れないようなパン食べないよなって。
以前は店でも包丁で切ってたので、つもりはなくても面倒だというのが顔に出てたかな。
いまは電気のスライサーなので、にこにこ切ってます。
パン屋は窯から出ると満足してしまう。
実際はそこから先が問題で、お客さんは並んでる売り場から買っていく。
問題はどれだけ食べやすいかということです」

「たとえば、袋に入れるタイミングで、ぜんぜん次の日のコンディションも変わる。
窯から出たら60分タイマーかけて、ちょっとあったかくてもビニール袋に入れちゃう。
そのほうが、翌日だんぜんおいしい。
『フランスパンは皮を食べるので入れないんだよ』『菓子パンはやわらかいのを食べるので入れちゃう』『食パンのような型に入れたパンは60分後」』と約束ごととしてスタッフに言ってあります」

イギリスパン(300円)
静かに押し寄せる酵母の香りと、うっすらとミルクの香り。
香ばしい皮が薄く巻き付いて、それゆえにぱりっとした食感を主張する。
中身の食感はしゃきしゃき。
味わいは豊かだが清澄で穏やかで、どこも押しつけてくるところがない。
だから、喉の通りがすばらしくて、知らず知らずのうちにたくさん食べている。

食パンのみならず、マインベッカーのパンはとにかく食べやすい。
供し方のみならず、存在そのものが。
マインベッカーという「個性」すら残さないほどに、すばらしく溶ける。
おそらくは完璧な発酵からしか、その完成度は得られないものだろう。

ドイツパンには職人の心をとらえてはなさないような魅力がある。
宮崎さんが、魅力に取り憑かれたのは、このようなきっかけだった。

「昔からドイツが好きだったんですよ。
中学でサッカーをやっているとき74年のワールドカップドイツ大会を見て、ドイツのサッカーが好きになった。
ドイツはシステム的なサッカー。
センタリング上げて、真ん中で勝負。
ブラジルが個人技で勝負してくるのに対して、ドイツはひとりひとりの役割が決まっている。
ドイツパンもそれに似ている。
フランスパンは成形、クープの入れ方、蒸気のかけ方、テクニックが必要。
ドイツパンはフランスパンほど個人技は必要じゃない。
頭で考えて作れちゃうパン」

すべてが理詰め。
勘や惰性を排して、作業性とおいしさを追求する。
まるでベンツやBMWのような機能美がドイツパンにはある。

「ぜんぶ公式みたいなもので分量の割合が決まっていて、それにあてはめちゃえば作れちゃう。
ライ麦100%のロッゲンブロートならサワー種は35%。
ライ麦70%のベルリナーラントブロートなら、ちょっと少な目で25%。
水と粉の割合も、たとえば粉100に対して水80%ならTA180という硬さになり、18時間置いたときちょうどいい発酵状態になると。
急な注文が入って、たとえば12時間でやっちゃおうということになれば、種を増やして、水を増やせば、発酵を早めることができるので、普段のパンに近いところまでもっていける。
種、水、粉ぜんぶのバランスがちゃんとした公式で定まっているので、それにあてはめれば変なパンにならない」

「ドイツパンの発酵には2つの菌が作用しています。
高い温度で乳酸菌が増えて、酢酸菌は低い温度で増える。
酢酸菌が出るとお酢の酸味が出て、乳酸菌が出るとヨーグルトの甘酸っぱさ。
そのバランスをどう取るかで、その人の味が決まる」

ドイツパンは、種との格闘である。
種は旨味であり、それは酸味と表裏一体でもある。
酸味を抑えなければおいしくはないし、酸味がなければドイツパンとはいえない。
理論を理解すること、地味な作業を完全にこなすこと。
職人の感性と腕と覚悟が問われる。

「東京農大でマインベッカーのサワー種を調べてもらったことがある。
そのとき10店舗ぐらいのサワー種(の成分の構成)がグラフで出てきたんですが、同じのは1店舗もなかった。
ブロートハイムと配合はまったく同じですが、味も種もちがう。
明石さんは言ってた。
『種は混ぜ方でちがうから、混ぜた人の味になる。そこがサワー種はおもしろいね』」

シュニッテンブロート(210円)
ライ麦パンが3種類入ったお得なセット。
前日のパンだが、ドイツパンは1日経ったぐらいがちょうど食べごろだという。
この日は、ボーネンブロート(大納言入り)、ベルリナーラントブロート(ライ麦70%)、フロッケンセサム(ライ麦70%、ゴマ、クルミ、レーズン)の3種。

ベルリナーラントブロートはしょう油を焦がしたような香りが特徴的。
ライ麦パンとして実にソフト。
歯切れよく、しゃくしゃくと音を立てる、
スポンジのように唾液を吸い込むゆえに、気持ちよく溶け、跡形もなく消える。
破片すら残さず、まるで麦のエキスへと、舌に触れた瞬間からどんどん変貌していくのだ。
と同時に、味わいも丁寧なので、違和感はまったくなく、心地よさだけがある。

ボーネンブロートは日本人が作った日本人のためのドイツパンである。
甘い大納言とライ麦の甘さというのは、やさしさにおいて相通じていて、実によく合う。
ライ麦の味わいをあんこの甘さへと引っ張っていってくれるのだ。
ドイツパンは食べにくい、という印象を一変させる。
これはドイツパンをもっと日本人に広めていくための武器になるのではないか。

「ボーネンブロートなら、年輩の方でも食べられるし。
お茶菓子のパンですよと説明しています。
以前は、ドイツにあるのを忠実に作るのがドイツパン屋だと思っていた。
だけど、日本人が食べるライ麦のパン屋でいいんじゃないかな。
ドイツ人もそう考えてる。
日比谷公園で毎年行われるオクトーバーフェスト(ドイツビール祭り)には、自分のパンを持ってって、ソーセージ、ビールといっしょに食べます。
パン屋だから、まわりにいる人にも分けて、食べてもらう。
あるとき、ビールを頼んだら、ドイツから持ってきたというパンがついてきた。
このパンが、ふわふわで甘くて、『なんだ?』と思ったら食べやすい。
(伝統的なドイツパンとちがって)砂糖も油脂も入ってたけど、おいしい。
食べやすいパンってこんなにいいものなのかって」

マインベッカーの厨房はぴかぴかだった。
仕込みはまだ終わっていない。
にもかかわらず、粉が床にも作業台の上にも落ちていないのだ。
それこそ、ブロートハイム明石克彦の教えだった。

「簡単なことを丁寧にやる。
鉄板のそうじができてなかったら、絶対にきれいなパンはできない。
いくらすごい配合で、いくらかっこよく作っても、そこにゴミがくっついてたらおいしくない。
丁寧を通り越してバカ丁寧というのがブロートハイム。
入る前は、技術を覚えられて、すごいパン屋になれるんじゃないかって思っていた。
入ってみたら、はじめて2、3年の子が、普通のことをやっていた。
ただ、粉の振り方やデニッシュのフルーツののせ方が、いい加減にしろよっていうぐらい、ばかっ丁寧。
むずかしいことではなく、簡単なことを丁寧にやるとおいしいパンができる」

ブロートハイムに入った初日の衝撃をいまに至るまで忘れていない。
のみならず、それを完璧に守り通している。
宮崎章シェフのすばらしさである。

「ブロートハイムでフランスパンを担当しているとき、どうしても焼きが悪いことがありました。
明石さんにどうしたらいいか訊きにいったが、なにも言ってくれず。
なんで教えてくれないのかなって思ってた。
帰りがけに、明石さんがこんなふうに言ってくれた。
『パンは楽しくやれば、おいしくできるんだよ。
今日の出来見て、明日はここを変えて、こうしてやろうって思ったら楽しくなるじゃん。
明日が楽しみになるじゃん』
明石さんいいこと言うな」

隘路に入り込んでいた宮崎さんを救った、明石シェフの言葉。
いいパン職人は口を揃えて「仕事が楽しい」という。
「楽しい」という言葉は単純に思えて、むずかしい。
その意味を、明石シェフは端的に指し示したのだった。

ミキサーの横のメモ。
仕込みのとき記すのを、宮崎さんは開店以来欠かしたことがないという。
基本を守り、明日はもっといいパンを焼くと日々決意する。
その証紙のようなものだ。

「小麦粉のロット番号から書いていく。
気温、粉の温度、水温、ミキシング時間。
それを全部書き込んで、明石さんがきたらぜんぶチェックしていました。
今日の生地の感じはどうか明石さんは食べていて、今日はこうだったから、明日はこうしよう、と指示を出してくる。
ブロートハイムのパンがおいしいのは、そういうところなんでしょうね。
うちも同じように書いて、オープンしてからのぜんぶとってあります。
最近できが悪いけど、前はどうだったかな。
振り返って調べることができる」

いいパンを作る秘密はどこか遠くにあるかのように思われている。
青い鳥のように、いつか捕まえることができるのだと。
それは、実は足下にしかないと、宮崎さんはいう。
いまこの瞬間の仕事を完全に行うほかはない。

「カメリア(日清製粉のポピュラーな小麦粉)100%、塩、イースト2%。
いちばん基本的な配合で100点のパンができて、次に材料を考えることができる。
パン屋って、すぐ材料のせい、窯のせいにする。
それは言い訳。
土台が駄目なのに、上を積んでも、崩れてきちゃう。
国産の窯で100点を出せるようになって、次に110点を目指すときに、ドイツの窯を使えば120点が出せるかもしれない。
それが明石さんの言いたいこと。
ブロートハイムにも独立したい人が大勢勉強にくるんですけど、すぐに『窯はどこのがいいですかね?』と訊いてくる。
明石さんは答える。
『あなたはどんなパンが作りたいの?』
そのパンに合った窯がある。
うちはブロートハイムと同じ窯を使っています。
独立して同じ窯があれば、同じパンが焼けるの当たり前じゃんって思うかもしれないけど、1台1台窯はちがうし、それを使いこなせていない限り、同じパンは焼けない」

「いまはブロートハイムにも最新の設備が入ったけど、むかしは明石さんの自作のものとかを使っていた。
それが僕はすごく好きだった。
自分の機械ぐらい構造をわかってたほうがいいって。
明石さんはなんでも作っちゃうし、なんでも直しちゃう。
パンの場合、基礎を覚えておけば大丈夫。
それ以外ない。
パン学校(パン技術研究所)の井上好文先生も『パンには基礎しかない。基礎ができれば中級も上級もできる』。
すごい技術じゃなく、基礎をやっている。
それが大事なこと」

「僕はラッキーでした。
明石さん、金林さんに教えてもらうことができた。
近くにパン学校があるので、生徒さんがうちにもいっぱいくる。
若い子にはみんな見せてあげて、その子たちに教えてあげないと。
僕は明石さんに恩返しできてない。
下の子に継いでいかないと」

スイートポテト(110円)
このスイートポテトはピュアで、味わいがとてもじんわりしている。
ぽろぽろとして、ゆっくりじゅわっと溶け、ミルクの甘さをはじめはじんわりと、じょじょに激しく燃え上がらせる。
菓子パン生地の抜群の軽やかさ、歯切れ、口溶け。
パンとフィリングが一体となった心地よさに思わず目を閉じた。

「焼き芋を濾して、ミルクを混ぜて作ってます。
シンプルがいちばんおいしい」

スイートポテトはあまりに単純なので、他のやり方で作ることはできない。
にも関わらず、味にはやはり個人差が出る。
おいしく作るためには、丁寧に作ることしかない。
「パンもスイートポテトと同じ」と、宮崎さんは言った。(池田浩明)

マインベッカー
東京メトロ東西線 南行徳駅
047-711-1015
9:00〜18:30
月曜火曜休

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以前は日、月定休だったので、客からすると、断然使い勝手は良くなりましたね。
from. 通りすがりの者ですが。。。 | 2012/12/11 23:57 |
管理者の承認待ちコメントです。
from. - | 2017/02/08 12:54 |
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