パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
藤乃木製パン店(富士見台)
167軒目(東京の200軒を巡る冒険)

消え去ろうとするものには独特のうつくしさがある。
花柄のトレイ、古い棚、のれん。
コッペパンやあんぱんは、塗り玉によっててかてかに輝いている。
私は恐れる。
ある日訪れると、すべては新しい内装や、雑誌に載っているような繁盛店の方法に置き変わっているのではないかと。
古いままであってほしい。
身勝手な思いとともに藤乃木にやってきては、なにも変わってはいないことに安堵の吐息をつく。

「ピーナッツコッペは...」
高校生ぐらいの女の子がレジで言いよどんだ。
藤乃木でピーナッツコッペだけは特別にレジ横のかごに置かれている。
だが、かごの中は空っぽだった。
最後の1個を私が買ったあとだったのである。
「いま作りますよ」
藤乃木の奥さんがそう言うと、女の子の顔は途端に輝いた。
私には彼女の胸の高鳴りがわかった。
私も同じ気持ちだったからだ。

この古い店は商店街にすっかり溶け込んでいるために、何度も前を通るか、よほどのパン好きでなければ発見しにくい。
だから、「自分の店」という愛着が生まれる。
藤乃木の客たちはそうした気持ちによって密かに連帯しあっているのではないか。

コッペパン(ピーナッツクリーム)(180円)
私が藤乃木を「発見」したのは、このコッペパンの香りを嗅いだときだ。
てかりのある濃褐色から放たれる、深く、甘い、香ばしさ。
中身はふにゃにゃ。
ただのふわふわではない。
ふわふわな中にもどこかコシがある。
そして薄いながら噛み切れない強い皮。
中身は溶けて快く、皮は溶けず香ばしさを持続させる。
そして甘さを控えた生地からはきれいな味わいが溶けてくる。
創業90年になるモロズミジャムのピーナッツクリームを使用。
レトロなパンにレトロな癖のあるクリームが似合う。

藤乃木の不思議。
ごく目立たない、商店街の古いパン屋が、なぜこんなに人を夢中にさせるのか。
創業して50年以上。
店主の加藤良一さんは2代目である。

「特に変わったことはしていません」と加藤さんが言えば、
「特に変わったことしてません」と奥さんも声をそろえる。
「他のお店が変わったんじゃないでしょうか」と。

昔ながらのパン、昔ながらの味。
なつかしいからおいしい、という言葉で藤乃木のことを片付けたくはない。
私にはこんなピーナッツコッペを食べて育った過去はないのだから。
そうではなく、おいしいから、なつかしいものになった。
記憶にはないけれど、遠い夢のような過去からやってきた手紙ではないかと考えてみる。

「基本的には父の時代と同じ作り方です。
ただ、材料は時代とともに変わってっちゃう。
パンを簡単に作る材料も出てきますし。
そういうのに抵抗しているといいますか。
いま添加物とかいろいろありますが、使わないでやっている。
そういうの使うと、風味でもなんでも自然なものがなくなっちゃうって感じますね。
人の口に入るものですから、少しでも自然なものを」

残念ながら、古い構えのパン屋は、添加物の味がしたり、パン酵母が必要以上に臭うことがとても多い。
そのために、古い店より新しいパン屋がおいしいというイメージが定着したのではないか。
食べもの屋が競って添加物を入れるようになった高度成長期。
それよりもっと以前にさかのぼれば、パンは本来、おいしいものだったはずである。
この藤乃木のように。

食パン
ケーブイン(腰折れ)さえ、藤乃木の食パンにあってはうつくしく見える。
それは並ではないやわらかさの証明でもある。
へにゃへにゃといっていいほど、この中身はやわらかい。
6枚切りの端を持つと見事におじぎをする。
一方、耳はぷりっぷりっという食感があって、香ばしさ、甘さは超濃厚。
中身の甘さは透明である。
噛んでいるうちに、溶けやすい中身と溶け残る耳の、口溶けの時間差によって、白い甘さとブラウンの甘さが、さまざまなミックスを見せる。

「昔から同じやり方なので、時間がかかっちゃう。
中種法といって、前日に少しこねといて、翌日にまた材料を加えるやり方です。
手間暇かけないと、うちみたいなパンはできません。
いまどきのパンとはちがうでしょう」

「偉そうなことは言えませんけど、大事なのはいい状態を見極めるということですか。
(発酵の進み具合は)工場の温度に左右されるので、いかにいいコンディションを作るか。
日本には四季があるから、そこにもってくのはむずかしいですよね。
毎日同じものはできないですので」

クリームパン(130円)
クリームパンがおいしいかどうかの基準。
私にとって、それは幸福な気持ちになるかどうか。
藤乃木のクリームパンはその基準を満たす。
バニラビーンズを使っているわけでもない。
「だからこそ」なのか、「にもかかわらず」なのか。
このカスタードは、舌に滲み、心にも滲みる。
ふわふわなパン、とろりとしたクリームの舌触り、溶けてくる甘さ。
そのひとつひとつが、このクリームパンにおいては理想型を描きだす。

加藤さんが覚えている父の言葉とは、このようなものだ。
「パン屋っていうのは、なんでもできないとダメだ。
たとえば大工仕事だったり、機械もできないといけない、電気にも通じてないといけない。
どんな状況にも対応できないとダメだって」

なぜパン屋が電気のことをわかっていなければいけないのか。
最初はぴんとこなかったが、そのあと奥の工場を見せてもらったとき氷解した。

こんなに古いオーブンを私は見たことがない。
昭和43年製。
煤けた、黒い金属の塊は、蒸気機関車を思わせた。
いまの電気オーブンのように、数字で温度調節するわけではない。
4つのハンドルをまわして、通電量を調整し、勘で自分の望む温度に導く。
機械の仕組みに通じていなければ、うまく操ることはできないだろうし、いざ不具合があれば仕事はお手上げだろう。

「慣れが必要なんですよね。
若い人にはとてもじゃないけど、教えられないでしょうね。
昔のものは自然なんですね。
火の入り方もそうですし。
全体に火が行き渡るので、ムラも少ないですし」

藤乃木のパンにある独特の香ばしさ、素軽さは、決して他の店で味わうことがないものだ。
おそらくこの時代物のオーブンなくしてありえないものだからなのだろう。

「川口の機械屋さんにずっとお世話になっています。
少々無理言ってもいつでも直してくれる。
その人いなくなったらどうしようかって」

滅びゆくもののうつくしさ。
パンも、それを生み出す機械も、同じように。

「人手が限られているので最低限しかできないですけど。
2人いれば3人前できるが、1人は1人のことしかできない。
ジレンマはありました。
ところが、女房が意外とパン作りの素質があって。
朝は手伝ってくれますし、母親も店番してくれる。
超零細企業です(笑)。
息子もいるんですけど、継がせるのもどうかと。
パン屋の仕事を考えるとたいへんですし。
ひとりでできるとこまでやろうと」

加藤さんは店の最後を予期している。
まだ老け込む年齢ではないが、時代遅れのうつくしい仕事に殉じようとしているのだろう。

「高円寺でいっしょに働いていた、父の兄弟弟子にはこう言われました。
パン屋は一度に3つの仕事できないとダメだ。
私なんかのんびり屋なもんで、正直パン屋には向いてない」

そんなことは決してない、と思う。
もし加藤さんが「のんびり屋」でなかったら。
人を雇い、新しい機械を入れ、店を改装し。
父親から譲られたこの店をあっというまに現代風にしてしまっただろう。
そうなれば、このパンは残っていまい。
加藤さんほど、私の好きな藤乃木の店主に向いている人は2人とない。(池田浩明)

藤乃木製パン店
03-3998-4084
10:00〜20:00
火曜休み



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#167
200(西武池袋線) comments(7) trackbacks(0)
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ついに出ちゃいましたね。

藤乃木。

胸がキュンとなります。
ワタシの大切な思い出の街。


富士見台の焼肉屋さんに行くために
練馬高野台から
彼と二人で自転車を漕いだ。
あの商店街を抜けて。
藤乃木の前を通って。

最後に前を通った時は、
お休みだった。
今日こそ買おうと思ってたのに。


あの時、
藤乃木でパンを買うことができたなら、
かしわでさんが言うように
ワタシの想いは
成仏できてたのかもしれませんね。

from. ヒランヤ | 2013/01/07 22:00 |
ヒランヤ様

新春早々悲しい記憶を思い出させ失礼つかまつりました。
この場所だけは時が流れないみたいに、いつでもまったく不変です。
おそらくは数十年間。
だからなのか、僕にとっても、藤乃木を訪れるだけで、なにかを思いだすようで、理由もなくせつなくなります。
from. 池田浩明 | 2013/01/08 15:30 |
今日行きました。初めて食べたのに、何だか懐かしい気分になりました。コロッケパン、美味しかったです
from. あゆみ | 2013/01/09 19:45 |
あゆみ様

わざわざ行っていただいてありがとうございました。
from. 池田浩明 | 2013/01/10 09:42 |
かしわで


近所の人がヤキソバパンを10本くらい欲しいんだけど…つったら、
ちょっと待ってて、今作るからって。

そういう会話をお会計中に聞いた。藤乃木パンで。

ヤキソバパン10本!! にもピクついたけど、
今作るからで、ワオ!となった。

いいなぁ〜出来立てホヤホヤのヤキソバパン。

そこに乗って、自分も出来立てホヤホヤのを一本!
ってお願いしたかったけど自粛した。
このやり取りに乗っかる参加権をまだ持っていないように感じたから。


ああハムカツサンドが食べたい。
(サンドウイッチもド・ストライク! マイ・ド・ストライク!)

ぜいたくを言わせてもらえるなら、
本格的なパリジャンなパン屋と藤乃木パンのような横町のヌーベル・キュイジーヌなパン屋が近所にダルブであると最高だ。
from. かしわで | 2013/01/10 13:42 |
かしわで様

藤乃木に共感していただける人が多いのは、ちょっと驚きで、またとてもうれしいことです。
あと、やきそばパンの話しかりですが、行くと必ず自分エピソードみたいなのができるのも、藤乃木のすごさではないでしょうか。
from. 池田浩明 | 2013/01/11 10:45 |
2週間に一回位の割合で買いに行きます。勿論、前もって予約をしていきます
何故なら、多い時は13听から少ないときも7听位買います…。そー!!箱持参です。少なくも五人分のパンです(笑)
良く、パン屋の買い物じゃないってレジの前でお嫁さん?と笑います
さて、今週は無理だから来週行きます
電話しなきゃ
因みに火曜はお休みですよ
from. Tracy | 2013/09/20 22:16 |
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