パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ル・パン・コティディアン 芝公園店(浜松町)
166軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ル・パン・コティディアンに新しくオペラシティ店が開店するときのレセプションでのことだった。
料理人にして、ル・パン・コティディアンの創業者であるアラン・クーモンは、この店の象徴ともいうべき、タルティーヌについてこのように表現していた。
「これは、パンを使った寿司である」と。
ル・パン・コティディアンは、サンドイッチをデザインする。
それまで、フランス人にとって、サンドイッチはあまりに日常的でプリミティブであるがゆえに、それをデザインすることまで思い至らなかったのかもしれない。
彼らはバゲットにハムやチーズをそのままはさんだだけで満足してしまう。
同じフランス語圏にあって、アラン・クーモンは、サンドイッチのヴァージョン2.0が「寿司」であることを見て取っていたのだ。

寿司において、おかずと主食は完全に一心同体となっている。
素材の処理や、ときに味付けまでが完全になされ、口の中にどのように入り、どのように味わうかまで、板前(シェフ)のコントロール下にある。
そして、見目麗しい。
肴と飯をいっしょに食べることをデザインすると、寿司になる。
パンを食べ食事をとることをデザインすると、ル・パン・コティディアンのタルティーヌになる。

ハム&グリエールチーズ with サンドライトマト、3種のマスタード、ピクルス(1480円)
ほどけるように、カンパーニュの中身が溶けていく快さ。
湧きあがってくる落ち着いた香ばしさ、あるいは雑味、そして酸味。
そこにすがすがしさ、流麗さがある。
それら味わいにおける脇役たち(香ばしさ・雑味・酸味)は、具材といっしょになってさまざまなマリアージュを生み、奥行きを与える。
パンと、ハム、チーズは、繊細な厚さでスライスして重ねられている。
だから、やんわりと歯切れ、しかもエアリーであるために、ちょうどよく口に入り、素材のたしかさをより感じることができる。
このサンドイッチの後口に白ワインを注ぎ入れると、あるべきところにやっとすべてが収まって、食事が完成した気持ちになった。

日本でのマネージャーとして、パンを作り、店舗を統括する安類(あんるい)直宏さんは、直に接したアラン・クーモンという人物について、このように語る。
「アランが言うことがこの店のすべてです。
アーティスティックな人で、感性がものすごい。
立ち上げのときも、アランが『こうしたらいいよ』と言うように、変えていきました。
言われるままにやっています。
素材もアランがすべてチェックしました」

「たとえば、盛りつけ方であれば、もっと見た目がきれいに見えるよう、高く盛りつけるようにとか。
葉っぱ1枚にも、こう置くんだというこだわりがある。
イタリアンパセリの使い方なんかは、日本人は葉っぱだけを使うんですが、アランは「茎まで切れ」と。
茎にこそおいしさが入っている。
ル・パン・コティディアンは、雑味がおいしさなんだととらえる考え方ですね。
食べ物に含まれているものは、ぜんぶおいしいんだという」

「ベルギーでアランの店がオープンしたとき、当初はパリのポワラーヌまで買いに行ってたそうです。
だけどすごく遠いので他を探してみたところ、他人の店には納得するものが見つからなかった。
じゃ、自分でやってみようということで、パンを作った。
自分の料理に合うパンを、自分で作る。
あくまで両方とも主張しないで、料理に合うパン、パンに合う料理。
レストランありきのパン屋です」

「食べ物に含まれているものは、ぜんぶおいしい」。
その言葉は、日本において、ポワラーヌの影響のもとにルヴァンを立ち上げたピエール・ブッシュ、あるいは現オーナー甲田幹夫の哲学を思いださせるものだ。
アラン・クーモンは、そうしたエコロジーをデザインし、美学にまで高めることで、この店をあらゆる人に開かれたものにした。
例えば、ル・パン・コティディアンの世界中にある全店舗で、家具はベルギーから輸入した再生木材で作られたものを使用している。
また、テーブルはあらゆる人が同時に食べられるよう、コミュナール・テーブル(大テーブル)を基本としている。
伝統的な木という素材を使って、見知らぬ人とのコミュニケーションをも生む、シチュエーションを作り出す。
床までガラス張りですべてが見通せる厨房も含め、やはり符合するものがあった。
それは寿司屋のカウンターなのである。

ベルギー生まれのル・パン・コティディアンだが、本部はニューヨークにある。
スタッフはそこで研修を受け、全世界で同じメニューが供される。

「ニューヨークの本部には、研修で自分も行きました。
種起こしから、料理、コーヒーの落とし方まで。
それぞれのセクションのリーダーが1ヶ月行って、向こうで行われている方法を学び取りました。
さらに、この店の立ち上げの際には、本部のメンバーが3週間来日しました。
基本はまったく同じメニューを出せるように。
日本の食材に合わせて多少の変更も行いましたが、メニュー表にのっているものはほとんど世界中同じものです」

「ル・パン・コティディアンとは『日々の糧』という意味です。
この食事を日常の中に浸透させていきたいというのがコンセプト。
できるだけオーガニックの食材を使っているので、価格的に毎日食べるのはむずかしいかもしれませんが、レストランではなく、ベーカリーカフェ。
朝食やランチでお気軽にこれる店でありたいと思っています。
ニューヨークでは日常使いの店という感じですね。
マンハッタンには30店舗もあって、マクドナルドより多いほどです」

価格からいえば、少し特別な朝、あるいは大切なランチに訪れたい店ではある。
だが、コティディアン(=日常の)という名は決して矛盾ではない。
それはおそらくは未来を指している。
このパンが本当にル・パン・コティディアンになる日のために。
オーガニックの食材を使い、センスあふれる空間で時を過ごす食事のあり方が、当たり前の日常になってほしいという「希望」を、店名として掲げているのだ。

オーガニック小麦のバゲット(290円)
口径が大きく、また焼きこまないゆえの軽やかさ。
皮の中のバターに似た甘い香り、中身の味わいの透明さ。
このバゲットは、フランスで食べるバゲットに本当に似ている。
特に、濃厚に漂わせるミネラル感
それはミネラルあふれるフランスの水(=硬水)の香りに似る。
パン単独で食べると、ことによっては鼻につくかもしれない。
だが、オセロゲームの形勢が一気にひっくり返るときのように、独特なミネラル感が加わることでむしろおかずと無類の相性を獲得するのだ。
日本にはない、ヨーロッパの食事パンらしさがある。

「いま使っている小麦粉は、ヨーロッパ産のオーガニックです。
何種類の粉を試してみた中から、ベーカリーの責任者であるフィリップ・ガット(エグゼクティブ・プロダクション・ディレクター)が、『これがコティディアンらしい』と言って、選んだものです。
(カンパーニュなどに使う)ルヴァン種もその粉から作っています。
店の立ち上げ以来、ずっとつないできているので、深みが出てきていると思います。
もともとポワラーヌを目指してできたので、ヨーロッパ的なパンだと思います」

安類マネージャーは、ジェラール・ミュロや和光などでパティシエとして経験を積んだ。
自分の店を構えたときの「武器」として、パンも覚えたいと思っていたところ、ル・パン・コティディアンの日本進出の話を聞き、自ら応募したという。
ル・パン・コティディアンの一員になってから料理を担当し、その後、パンの製造もまかされるようになった。

「パンはシンプルなだけに深い部分がありますね。
ケーキ、料理もそれぞれおもしろいですが、パンは考える時間がおもしろいですね。
待つ時間が多いので。
パンには発酵の時間がある。
自家製酵母は毎日状態が違うので、そこがおもしろい。
同じようにやっているつもりでも、pHも上がりの温度もちがう」

「pHは毎日計ります。
3.7〜3.8になるように日々調整する。
捏ね上げのときは、4.2〜4.3。
パンチを入れながら、様子を見て、調整していく。
酸味のバランスを考えています。
毎日のパンなんで、酸味がそこまで主張しないように」

pHとは、無論、酸性かアルカリ性かを表す数値だ。
毎日数値を計測して、酸味をコントロールしているという例は、まだあまり聞かない。
職人の勘に頼っていた部分を数値に置き換え厳密に行うのは、全世界で同じクオリティを保つために決定的に有効だろう。

「こういうパン(ハード系のパン)がもっと広がってほしい。
噛みしめるパン。
噛み込んでいくことで、おいしさが出てくる。
硬いパンはシンプルです。
素材のシンプルさが、ル・パン・コティディアンの目指すところ。
味を強く出すことはしなくて、飽きないシンプルさがテーマ。
自家製酵母だけで、なにも入れていません。
モルトなど、省けるものは省いて省いて。
その分、作るほうはむずかしいですが」

「全体的に焼きすぎないようにしています。
日本はパンの色が黒いものが多いですね。
日本人は焼きこんだものが好きなのではないでしょうか。
フランスでパンの色はだんだん白くなっていますが、日本もそうなってくるかもしれません。
焼き色を濃くするとフィリップに怒られる(笑)。
ゴールデンブラウンが目指しているところ。
ダークブラウンじゃ駄目。
焼きすぎると水分が飛んでしまいますし。
素材の水分が十分残っているといちばん味が出せる。
焼くと香りは出るが、味は飛んじゃうと思いますね」

ゴールデンブラウンの例として、安類マネージャーは売り場に積まれたクロワッサンを示した。
日本のクロワッサンは表面を「ダークブラウン」になるまでこんがりと焼いてさくさく感を出し、一方で中身はしっとりとさせて、ぷるぷるとした食感やバター感を残す。
それはそれで日本人らしい高度で繊細な技術だ。
だが、バゲット同様に、このクロワッサンの何気なさもまた、フランスを思い起こさせる。
香りは濃く際立っているわけではないが、中まで火が通って全体に乾き、さくさくなのである。
私はクロワッサンを口にし、そしてル・パン・コティディアンのロゴ入りのカフェオレボウルが目の前にあった。
「両手をあたためながら飲むイメージです」と安類さんがいうそのボウルの中にはあたたかなカフェオレが注がれている。
普段はそんなことをしようとは思わないのに、私は自然とクロワッサンのひとちぎりをカフェオレボウルに浸していた。
クロワッサンの乾きへとコーヒーは吸い込まれていく。
バターの甘さとコーヒーの苦さが入り混じる味覚のまだら模様をかつてないほどおいしく感じた。
それはル・パン・コティディアンという、あまりにヨーロッパ的で、あまりに快適な空間にいるためにそう思ったのかもしれなかったが。

パンについての専門的な話をしていたときだ。
安類マネージャーは急に指差した。
「ほら、見てください」
指の先、ガラスの向こう側の厨房では、職人たちが笑い合いながらパンを成形していた。
「この楽しい感じがコティディアンです」
ル・パン・コティディアンでは、就業中笑いあうことが、咎められるどころか、むしろ奨励されているのだ。

「4つのコンセプトがあります。
シンプル、コミューナルテーブル、品質、そして楽しい空気感。
あまりまじめにやっててもおもしろくない。
ニューヨークでは、踊ってますからね。
女の子が踊ったら、みんなわーわー言い出す。
客席にも絶対聴こえていると思います。
日本だったら怒られてますね」

「ここで働いている人はみんな同じ気持ち。
この店が好きな人が集まってますから」

ル・パン・コティディアンのロゴ入りのTシャツを着て、ベルギーのハイセンスな家具に囲まれた空間に身を置き、アラン・クーモンによって細部までデザインされた料理と、オーガニックのパンを供する。
そのことに誇りを覚え、それが楽しさとなり、従業員を自然と笑顔にさせる。
スターバックスコーヒーにも共通するアメリカのサービスの良質な部分だ。

ル・パン・コティディアンの日本1号店=旗艦店であるこの店は芝公園内に位置し、大きな窓からは緑が見えている。
このロケーションを選んだのは、ニューヨーク・セントラルパークに隣接する店舗をイメージしてのことだったという。
日本上陸から約2年。
現在は2店舗、これをあと4年で12店舗にまで広げる計画だ。
もっと多くの日本人がル・パン・コティディアンを体験するようになる。
そうなれば、タルティーヌに象徴されるように、パンとフードがデザインされ、分ちがたく結びつき合うことが、食卓をどれだけ豊かにするか認識するだろう。
そのとき、日本人にとってのパンは、本来の意味で「コティディアン」になるはずだ。

JR山手線 浜松町駅/都営三田線 御成門駅/都営浅草線・大江戸線大門駅
東京都港区芝公園3-3-1
7:30〜22:00 (L.O.21:00)

#166
200(JR山手線) comments(2) trackbacks(0)
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ちょくちょく、ブログを拝見させて
いただいているブレーメンというものです。
(かしわでさんのブログより1年前くらいに流浪)

ル・パン・コティディアン。

ちょうど自分の家の近くにあって、気になって
いたので、池田さんのご紹介文章を発見したのを
きっかけに、先日行って来ました。

もう、最高でした。
昼時に行って、タルティーヌを食べて。

美味しいのはもちろんなんですが、
「懐かしさ」も同時に感じた次第です。

10年くらい前にデンマークに行ったことがあって、
それを思い出す感じの懐かしさもあったんですが、
それだけではない趣もあったように思います。

池田さんが書かれていた、寿司的な感覚でしょうか…。

帰りにバケットを買って帰り、今は毎朝、食しています。
今後も定期的に通ってしまいそうです。

ご紹介、ありがとうございました。
from. ブレーメン | 2013/01/08 20:03 |
ブレーメン様

気に入っていただいたようでよかったです。
デンマークを思いだすというのは本当にそうかもしれません。
僕もこの店に行くと自分の行った外国を思いだします。
西欧にしかない種類の快適さがあると思います。
そういうものって癖になってしまうんですよね。
from. 池田浩明 | 2013/01/08 21:31 |
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