トースト(山手)
2013.03.28 Thursday 21:58
178軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ここには、赤レンガ倉庫やみなとみらいのようなよそ行きの横浜ではなく、素の横浜の雰囲気がある。
チェーン店や団地ではなく、個人店や個人宅が隣り合う、下町の気配なのだ。
鈴木清文さんは、アフタヌーンティーで、商品の企画や、店舗の立ち上げを行っていた。
「もともと東京でしたが、横浜が好きだったので、家内と結婚してから移り住みました。
東京のスピード感についていけないところもあって。
横浜は緑と都会が混じり合っている」
赤いレンガの外壁。
内装には木の浮き彫りが壁面を覆う、古いイギリスのスタイル。
イギリスというこの店のテーマも横浜にとても合っている。
日本の食パンは、元町のウチキベーカリーが発祥でもある。

おばがイギリス人と結婚して、ウェールズに住んでいます。
何度も遊びに行ってて、いろんなことを教わりました。
パンも、文化も。
もともとケーキ屋、パン屋だったので、会社から独立しようと思ったとき、イギリスをテーマにして、そういった業種で店を開こうと考えました。
元々、イギリスのパンが日本で最初に入ってきたのは、この横浜。
場所的にも、地域密着の店になるだろうと思い、食パンをメインにし、個性を出していけたらと」
売り場のすぐそばでパンは作られる。
作り手と会話をしながらパンが買えるのは、得難い機会だと思う。

日によって増減はありますが、12、3種類を置いています」
ガラス越しに見える、たくさんの食パンがこの店の目印。
真四角の断面、見た目にもわかるほどかりっかりに焼けていることも、古き良きイギリスを思わせる。
そして、単なるアイキャッチではなく、クオリティそのものも客を呼ぶに値する。


型にふたをして焼いた山型食パンを、アメリカの客車の形に見立ててプルマンと呼ぶ。
焼きムラの少ないうつくしい皮の色合いがおいしさを保証しているように見える。
この皮は引きちぎらなくてもがさがさっとすばらしい感触を残して勝手に崩れ去る。
それなのに中身はやわらかで、スポンジケーキに似た感触でわさっと軽く歯切れる。
この歯切れはトーストしてさらにさくさくを増すだろう。
とともに、ブラウンの甘さが視界を覆いつくし、心地よく後を引く。
火通りのよさのせいなのか、スモーキーな香りが、甘さをブラウンにする。
そして、しゅわっとした小気味いい口溶けとともに、ミルクの味わいがそこはかとないほとばしる。

材料も水もちがうので、まったく同じものはできませんが。
プルマンには、ヨーロッパの牛であるジャージー乳の生クリームを使って、しっとり感やコクを出しています。
生地を一晩熟成させています。
食パンといえば、日本では中種法がよく使われていて、前日に作った中種を、当日の本捏ねで、他の材料と合わせる。
でも、イギリスではストレート法(当日にすべての材料を混ぜ合わせる)。
ストレート法だと、時間が経つと、けっこうぱさぱさになる。
ストレートのいいところと、中種法のいいところをとって、低温発酵で18時間熟成させています」
焼き色のうつくしさや、独特の食感は、コンベクションオーブン(ファンで庫内の温度を一定に保つ)が寄与しているだろう。
「この店にはコンベクションオーブンしかないんですよ。
そのいいところを利用しています。
いままで勤めていた職場環境が、コンベクションしかなかった。
コンベクションでもパンはできますよ、ということを発信していきたいんで。
平窯じゃないとできないと職人さんは思っていますが」
日本で意外と知られていない、イギリスのパン事情について、教えてくれた。

あとは、紅茶にミルクを入れて飲むのがスタイル。
食パンを本当に薄くスライスする。
サンドイッチ用、10枚切りぐらいに。
それをトーストしてバターをたっぷり塗って食べる。
ヨーロッパはだいたいそうですね。
だから、トーストしておいしいパンを作りたかった。
かりっかりになるまで焼いて。
バターが滲みこむぐらいに」

若い人はバターをあまりつけない。
日本といっしょです。
マックやスタバで食事をする。
お茶はスコーンといっしょに。
でも、ハイティーをやってる人はほとどいない。
昔は12時から3時まで昼休みだったそうですが、いまはそういう生活習慣がなくなりました」

「クイックブレッド(ソーダブレッド)は、お母さんが作る家庭のおやつです。
食事用に作る塩味のクイックブレッドもあります。
スパイスをいっぱい入れたジンジャーのものがあったり。
発酵させるのではなく、ベーキングパウダーを入れています。
日本でいう蒸しパンと同じ。
重曹なので、香りが似てますよね。
うちのは、ブラウンシュガーを使っているので、その香りもあります」
手早く作るパンだからクイックブレッド。
イギリス同様の、この呼び名をつけているパン屋はめずらしい。

そこはかとなく漂うベーキングパウダーの香りがなつかしい。
周囲はスコーンの外側のようにかりかりしている。
ねとっとした中身に甘さはほのかで、チョコレートの甘さを吸い込んで、まだらに甘くなって、両者は心地よさとともに強く結びつく。
じゃりじゃりとココナッツの小片を噛む。
ねっとりと、ねっちりと。
チョコなのか、生地なのか、わからなくなるほど、溶けてしたたる甘さ。

「パースバンズはイギリスのパース地方のパン。
いまはそんなに作られていないのですが、その叔父さんから聞きました」

シナモンロールだが、こんなふうにホールで大きく焼いたものは見たことがない。
軽やかだがむちっとして、舌にからまりながら、さっとクリーミーに溶けていく。
と同時にアイシングが愉楽をともなって生地にとろけ落ちる。
甘さはそれほどでもないが、シナモンの香りが濃厚に吹きすさんだかと思えば、レーズンに滲みこんだお酒のせいなのか、フルーティ方向へと快く振れる。

食パンも、カレーパンのような惣菜パンも、スイーツ系も、わさっといっぺんに歯切れて、食べやすい。
光速の歯切れ、その快楽を信条とするかのように。
これがイギリスなのだ。
バゲットのような、硬く、引きが強く、食べにくいパンの国フランスと、食パンの国イギリスと。
ドーバー海峡を超えただけで、なんと異なることか。
日本のパンは、もともと、ここ横浜居留地のイギリス人がもたらした食パンのようなパンから広まっていった。
だが、ルーツはいまや忘れ去られ、本格的なパンの紹介といえば、フランスに偏重している。
イギリス、この知っているようで知らない国のパンを、もっと食べたい。
#178