パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ユヌクレ(豪徳寺)
146軒目(東京の200軒を巡る冒険)

豪徳寺の駅から商店街を歩いてきて、ゆるいカーブを曲がると、ユヌクレが見えてくる。
商店街と緑道の角、大きな窓が印象的な白い店。
訪れるのが2度目、3度目になると、白い壁が見えてきただけで、ほっとするようになった。
またやってきた、と。

ユヌクレと「出会った」のは、トロペジェンヌ(240円)を食べたときだ。
発酵の香りがほのかにするブリオッシュにクリームとジャムがはさまっている。
硬めに作ったミルククリームはバターが勝って、オイリーに口溶け、自家製のジャム(りんごとカラメル)との相性が身悶えするほどにすばらしい。
クリームからは練乳に似た風味がじわっと滲みだして、口の中をじんじんさせ、カラメルでまろやかに強められたリンゴの甘さと一体になって、口いっぱいに膨張する。
ブリオッシュのあたたかなふわふわ感とのコントラストも相まって、気が遠くなる。

ユヌクレは3人の「男子」の店である。
オーナー、パン職人の伊藤公二さん、焼き菓子を作り、コーヒーを入れる佐藤務さん。
粉にまみれたVANSのシューズを履いた伊藤さんが経緯を話してくれた。

「オーナーがいまして、僕と佐藤が誘われて、この店をはじめました。
どんな形態かははじめから考えていました。
3人ともカフェ好き。
狭い空間なので、パンを買う人も買えて、コーヒーを飲む人はゆっくりと飲める感じにしたいね、と。
パン屋中心に食べ歩きしてたときの経験で、パン屋で食べられればいいのにというのはいつも思っていました。
店でなら、あたためて食べることもできますし」

オーナーはパン職人でも、パティシエでもない。
でも、トロペジェンヌにもはさまっている、コンフィチュールを作る。

「オーナーは以前から、
『パン屋をやりたい、自分がパンを作るのは無理だけど』
と思っていたようで。
『2人(伊藤さんと佐藤さん)の店にしたい。
ぜんぶ2人で決めてくれ』
と言ってくれました」

「ユヌクレの謎…」と私にささやく人がいた。
「なぜ男子ばかりの店なのに、あんなにおしゃれで、女子の心をつかむのでしょうね?」

「そんなに考えて店を作ったわけではなくて、好きなものをいろいろ集めていったらこうなりました。
2人の趣味が似ている。
インテリアだったり、好きなものを」

店内に流れていたアコースティックギターの音(Bibioというアーティスト)が、きらめくようだった。
まるで大きな窓から差す春の光が反射でもしているように。
伊藤さんと佐藤さんがipodに自分の好きな曲を入れ、それが順番にかかっているだけなのだと。
それでもどの曲もユヌクレらしいと思える。
コーヒーに関しても、3人で納得いくまでさまざまな焙煎所を飲み比べ、武蔵小山のアマメリア・エスプレッソに決めたそうだ。
送ってもらった豆を飲み頃になるまで1週間置いてから供する。

「設計は、オーナーの知り合いに建築家がいて、その人に会ってみて、やった店とか見てみて、この人だったらいいですよ、という感じで決めましたね。
配置とか、大きさとか、建築家にこうしてほしいと。
すっきりさせたい。
パン屋とカフェがどうしても収まりきらない。
店を作るのは1回のことだから、相当話し合いました」

レジの下にある冷蔵ケース。
さりげないが、コンパクトに収まるよう特注したものだ。
開店まで、準備をはじめてから10ヶ月を要したという。
あらゆるものは、パズルにピースがぴたりとはまるように、3人がこれだと思うアイデアが訪れるまで、決して譲らなかった。

「ライトも、自分たちで探してきたものをつけました。
開店するまですごく揉めましたね。
壁の色も、イメージカラーは決まってたけど、塗るのか、塗らないのか。
納得するまで、ぎりぎりまで考えて」

空の青のような壁の色は、ユヌクレのイメージを決定づけるものだ。
たしかに、白でもかっこよかったはずだが、またきたいと思うような、なごみを演出したかどうかはわからない。

パン屋めぐりをするようなひとりのパン好き。
それが伊藤さんのパン職人の経歴の原点である。

「地元の愛知にパピパンというお店があって、フランスで修行した方が、バゲットとかフランスのパンだけを作っている。
そこで食べたとき、パンがおいしくてびっくりしました。
そんなにおいしいパン、それまで食べたことなかったから。
それで食べ歩きがはじまった。
急に目覚めちゃった(笑)。
ポワンタージュ(麻布十番)で3年やって、その前と後にも別の店で働きました。
ポワンタージュはいまも好きだし、愛知から東京に食べ歩きできてたときも、とてもいい店だと思いました」

パンを売るショーケースのすぐ目の前でイタリアンが食べられるポワンタージュ。
バールらしいにぎやかさと、いろんなパンを揃えた気取らないスタイルは、このユヌクレにも影響を与えているだろう。

「バゲットも作りたいし、街のパン屋でもありたい。
きてくれる人が偏らないように、日常に使えるパンを作りたい。
菓子パン、惣菜パン、いろんなパンを。
おいしいものを食べてほしいんで、そのために、それだけを考えています。
みんなやってるとは思うんですけど、自分で食べてみて、常にあれこれと変えてみる。
ちょっとおいしくならないか、もうちょっと水分量増やしたほうがいいかもとか考えたり」

桜と黒豆(200円・季節限定)
食パンの軽やかさ。
生地がふわふわと揺れ、たわむ。
黒豆の黒、桜のピンク、パンの白。
口の中ですぐパンが溶け、小さくなる。
黒豆のほんのりした甘さが、桜の塩味で増幅し、桜の香りとともに、白い味わいを目覚めさせながら、その範囲を広げていく。
食パンの味わいがシンプルで透明だからこそ、それを鮮やかに感じ、うつくしいと思えるのだ。

「食パンはむずかしいですね。
おいしくても、毎日食べられるかどうか。
本当にオープンぎりぎりまで、すごく甘い食パンをおいしいと思ってて、試作で食べたら、これだめだと、急遽変えたんですね」

実はパンもまた、メンバーの合議によって練られ、ふくらまされる。

「アイデアはひとりで考えて、それから作って、佐藤に食べてもらいます。
かなり厳しい意見をもらう。
だめならだめとはっきりいわれる。
こうしてみたら、とか。
『いいけど、甘すぎる。
1度買ったら買わないよ』
たとえば、タルティーヌにレンコンがのっていると、
『苦みがほしい。
下に春菊をのせたらおいしそう』」

パティシエの修行もしたパン職人がお菓子のみならず、パンも秀でているのによく出会う。
お菓子作りが、ある意味パン以上に繊細さを要求し、素材の知識や、バランス感覚を磨くからだろうか。
オーナー、パン職人、菓子職人。
ユヌクレという3本の矢は、ひとりのオーナーシェフがすべてを統括するやり方を乗り越える。

ローズと林檎のスコーン(230円)
パティシエの佐藤さん自身が作る焼き菓子もパンと並び立って秀逸である。
このスコーンは、かりかりな外側と一転し、口溶けはスムーズで、やわらかい。
なにより、ローズの芳香とリンゴのほのかな甘さと酸味がはかなく、うつくしく漂う。
まるでほの暗い、静かな部屋にアロマキャンドルを灯したような。
このスコーンを食べていると、不思議な、幻想的な気持ちに襲われる。

日だまりの席で、ひと口含んだパンをコーヒーで流しこむ。
外を見やると、ただ行き交う人さえ、なぜか楽しそうに見える。

(池田浩明)

ユヌクレ(une clef)
小田急線 豪徳寺駅/東急世田谷線 山下駅
03-6379-2777
世田谷区松原6-43-6 A101
9:00〜18:00
火曜水曜休み

#146 
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