パンの研究所「パンラボ」。
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パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
【代々木八幡】365日、開店! スギクボムーブメント第4弾
デュヌラルテのシェフという肩書きに「元」がついたのが約1年半前。
その看板は、杉窪章匡にとって、むしろ窮屈なものだったにちがいない。
才気煥発、一気呵成。
ここ3ヶ月のうちに、名古屋「テーラテール」、福岡「ブルージャム」、川崎(向ヶ丘遊園)「セテュヌ・ボンニデー」と、まったく別コンセプトの店を次々とオープンさせた。
そして「スギクボムーブメント」最後を飾るのは、自らがオーナーシェフを務める、代々木八幡「365日」。

【スギクボムーブメント統一コンセプト】…添加物は一切使わず、国産小麦のみ使用(一部自家製粉)。ドライフルーツもオーガニックかそれに準ずるものを使う。

彼が掲げた「365日」という店名には、日々の食事を愛おしみ、それに役立つものを提供していきたいという思いが込められる。

「食って、血となり、肉となり体を作るもの。
もっと楽しんでいいし、もっと大切にしていい。
最初の1歩を踏み出せる提案をしたい」

添加物や残留農薬の影響を受けない、いい材料を使う。
素材の特徴や性質について知り、理論的なパン作りをする。
「料理」としてのクオリティを持った、パンと具材との組み合わせ。

それらを極めようとすれば、職人には休む暇がなくなる。
パンの試作を重ね、うまい店を惜しみなく食べ歩き、旅に出れば地元の食材を探す。
365日24時間、職人でありたいという思いが、この店名には込められているという。

杉窪シェフはこの店を、「食全般にわたるセレクトショップ」と標榜する。
置かれるのはパンのみではない。
同じく杉窪プロデュースの一軒・福岡「ブルージャム」のコンフィチュール。
青果卸として名高い築地御厨(つきじみくりや)から仕入れる自然農法による野菜や果物。
紅茶やペーストなどの食材。
北海道産、共働学舎のチーズや「想いやり牛乳」。
作家ものの器や仏ラギオール社の食卓用ナイフなど生活雑貨。

イートインスペースでは料理も食べられる(現在準備中)。
夜な夜な一流店を食べ歩くグルマン杉窪シェフが選び抜いたレシピで作る「フォワグラのテリーヌ」。
無添加のハム・ベーコンを安価に提供するため、ブロックで仕入れた肉をさばいて自家製し、それをパンにも使用する。

「食をカテゴリーわけしたくない。
パンだけじゃなく、お菓子も料理も出したい。
和食も食べたいし、洋食も食べたいじゃないですか。
朝にごはん定食やりたい。
自家製の精米機を用意しました。
パン屋でごはん出すってすごいでしょ?
そしたら、パンを食べたくないときも、店にきてもらえるじゃないですか。
自然栽培のお米と大分の有精卵。
めちゃめちゃうまいですよ。
食べると元気になる」

365日3食、口に入るものを1食たりともおろそかにしない。
もし本当に「おいしい」ということにこだわりつづけているならば、パンという狭いフィールドだけに追究を限定することはありえない。
その思いが、自分の考えるあらゆるおいしいものを提供するというスタイルを要請したのだ。

「365日」には、ネクストレベルの衝撃がある。
バゲット、カンパーニュ、クロワッサン、ブリオッシュ…。
それらすべてに新しい解釈が与えられている。

かって杉窪さんはこう言ったことがある。
「パンを食べたとき、つんとする独特の香りがありますよね。
イースト臭が残ってる粉の香りが鼻に抜けるときの。
パンが好きな人はそれがきっと好きだと思うんですけど、僕、苦手なんです」

イーストが不完全にしか発酵しなかったとき残る匂いを、「悪い」ものだとしっかり認識すること。
それを完全に取り去ったとしたらどんなパンができるのか。
パン・ペルデュ、それを継ぐデュヌラルテが発火点となったパンの革命を、杉窪シェフは引き継ぎ、先に進めようとしている。

「365日×ブリオッシュ」(160円)は人を虜にする。
あたたかく湿り、少しだけぷにゅっとしたかと思うと、しゅうっと溶けて、ミルキーな香りを芬々とまき散らす。
見事な口溶けのあとには雲散霧消したミルクの官能の記憶しか残さない。
私はこのブリオッシュを歩きながら食べたのだが、その後口をなにかと合わせずにはいられず、近くにあった自動販売機でココアを買って飲み込んだ。
缶ココアさえ、あるいは、うちに帰ってからつけた、どこにでも売っているようなありふれたジャムさえも、このブリオッシュは極上のものに変えた。

もうひとつ、パン・ペルデュの生み出した伝説のクロワッサンが「クロアソン」。
あるいは、デュヌラルテ初期の傑作「コーヌ」。
その一口によって人生を変えられ、パン職人を目指した人がいるのを私は知っている。
師の作りだしたそのパンを杉窪さんはなんとしても超えようとしていた。
かってデュヌラルテ時代に自分が作っていたクロワッサンでさえ納得していなかったのだ。

「デュヌラルテのときは変わった形だったので、『これクロワッサンじゃないよね』という感想になった。
(他の店と)同じタイプのクロワッサン作ったら、(自分の作るクロワッサンとの)ちがいが明確になるかなと。
東京のクロワッサンを作る。
たとえば、デュヌラルテのコーヌ
あれはよくできたパンです。
考え抜かれている。
超えるものを作りたい。
クロワッサンって通常縦巻きですよね。
縦巻きか横巻きかでバターが溶けたときの流れ方が変わるので食感も変わる。
コーヌは斜め巻きで、いいとこ取り」

この話を聞いたのは、オープンに先立つレセプションのときだった。
そのとき出ていたクロワッサンも、列席者を驚かせるほどのおいしさだった。
「こんなんじゃない。
これを僕のレベルだと思われたくない。
コーヌを超えるものを、あと2週間で見つけられるかどうか」

1週間後に会ったとき、こうなっていた。
「形はできたんですけど、8割の確率でしか成功しない。
オーブンに入れる前と後で別の形になるんです。
スタッフも驚いてますよ」

「365日×クロワッサン」。
手のひらにおさまるぐらい小ぶりで、まるで貝殻のようなたたずまいをしている。
無二の食感。
皮はちゃりちゃりと音を立て、微細な破片に割れていく。
バター感はあっさりしてているのだとはじめは思った。
ゆっくりと急がず、やさしく滲みだす。
と思っていると、想像を超えて広がり、みるみるうちに爆発し、まるで絞りたての牛乳を飲み干しているかのような鮮烈さに襲われる。
バターを含んだやわらかな中身に、乾いた皮の小さな破片が無数に舞い降り、そのひとつひとつからバター感が発散しているのを感じるほどに。

杉窪さんはかってパティシエであり、また無類のあんこ好きである。
あんこは自前で炊くにしくはなく、パン屋の自家製あんは往々にして、素朴で素材の味があり、それが魅力となっている。
365日の「フランスあんぱん」のあんこは素朴さの形跡がほぼない。
素材の味はしっかりとありながら、和菓子屋のあんこのようにきちんと洗練されてもいるのだ。

「あんぱんはやっぱり、あんこ。
こしあんもうちで炊いてます。
白あんも手亡豆から。
デロンギのスロークッカー(火を使わず余熱で調理する)。
これで炊くとすごくおいしくできる」

白あんにはいやらしさも、過度な甘さもなく。
パンといっしょに溶ければ溶けるほど、さらに甘さの輝きを増す。
角食と同じという生地にはミルク感と白さがあり、こしあんの場合特に顕著に、あんこの甘さをくっきりと引き立てるのだ。

カレーぱん(240円)
塊で買ったブランド肉を自ら挽いたというキーマカレー。
辛さのためではなく、肉のおいしさを引き出すためにえも言われぬスパイス感はある。
肉にはうまみも香りも豊かで、コクがじわじわと胸に滲みる。
やがてワインの芳香がたなびき、それが奥深さとなる。
カレーフィリングといっしょに、さつまいものペーストが入れられている。
スパイシーにがつんといくところを、さつまいもの甘さでまろやかにする。
エロティシズムの自作自演。

あんぱんとカレーパンの秘密を見せてくれた。
上質なものを自前で作り、しかもできるだけ安価に提供するために。
ビニール素材でできたたくさんのくぼみからなるシート。
そこにあんこやカレーフィリングを詰めて冷凍保存する。
あんこはスロークッカーがひと晩かけて炊いてくれる。
シートに詰めれば自動的に量が決まる。
一度に大量に仕込むので手間がかからない。
そのために冷蔵庫は一般のパン屋に比べ大きい。

「この設備見たらみんなお菓子屋さんだと思うでしょうね。
お菓子屋なのになんでドゥーコン(温度調節機能のついた発酵機)があるんですか? ぐらいの設備。
デュヌラルテのときも、優秀な職人が集まっていると言われたけど、素人同然の子や、よそで通用しなかったからうちへきたという子もいた。
それで高いクオリティを保つには、ああいうもの(シート)が必要なんです。
感覚が鈍い子がやっても量が安定する。
あんの味つけは、そういうところで決める。
冷凍しているので、さつまいもピューレみたいなとろっとした、成形しにくいものも入れられる。
あと、型を多用すれば、成形下手でもきれいな形になる」

ぐるっと取り囲むカウンター。
入口から向かって左にパンが並べられ、右側がイートインスペース。
パンを食べることもできるし、前述したような料理やワインを楽しむことができる。
これは代々木八幡的な365日に対応している。
駅を出て、昔ながらのパン屋、そしてスーパーがあって、意外にも生活者の匂いを感じる町である。
もうひとつの顔は、アヒルストアのような、いまはやりのバルやワインバーの激戦区だということ。
このカウンターが、朝・昼は軽食を取るカフェ、夜はワインバーとなる(残念ながら、現在は19時までの営業)。

「うちにはワインのソムリエとチーズソムリエがいる。
最強のサービス陣。
この2人の味覚がこの店の中心。
バーテンダーでもなんでもできる2人です」

レセプションのとき、次から次にパンが焼き出され、それに合うチーズとともに供された。
特に、ライ麦40%のカンパーニュとフルムダンベールの組み合わせに瞠目した。
青カビの癖のある香りの中にライ麦につながるなにかがある。
それがパンと響きあって、経験のないほどのマリアージュに襲われたのだ。

「ライ麦40%のカンパーニュにはレーズン液種とイーストを使っています。
全粒粉のカンパーニュはレーズン種だけ、ライ麦70%のカンパーニュには、セーグル(ライ麦)種とレーズン液種。
セーグルのパンにはセーグル種が合う。
風味に合わせて種の種類を変えてやりながら調整しています。
ライ麦は北海道産、全粒粉は岐阜県産のタマイズミを自家製粉しています」

いま、バゲットはモルト(大麦の麦芽)を入れる製法が一般的である。
杉窪シェフは、小麦粉、酵母、水、塩のみでバゲットは作られるべきだと考える。
「モルトを入れなくても風味は出せる。
レイモン・カルヴェル(「パンの神様」といわれる元フランス国立製パン学校教授)はなぜモルトを入れる配合を日本に伝えたのか。
あの時代は麦の質が悪かった。
いまは麦の味がじゅうぶんに出せる時代になったのに、なぜ使うんだろう」

バゲット
皮の香りにコクを感じたのははじめてだった。
焼け焦げた香りではない、麦自体のコクである。
その一事をもってしても、このバゲットの香りがどれだけ濃厚かわかる。
中身の香りを嗅いで、さらに驚く。
穀物的な香りが激しいほど湧き上がってきたからだ。
薄めの皮は軽く、ぱりぱりして、弾け、オイリーに溶ける。
皮の甘さは明るく、どこか気品がある。
その背後でここでも穀物的な香りは作用している。
中身を食べると、時間に添ってさまざまな風味がほどけていった。
穀物感であり、ミネラル感であり、当たりのやわらかい塩気であり。
そしてしっかりと味があったのに、どこまでもさわやかな余韻に至るまで。
変化はつづき、ストーリーが展開される。
このバゲットは、食べ手のバゲット観さえ、変更を迫る。
どれだけ甘いか、ではなく、どれだけ香りがあるか、どれだけ小麦を感じるかによってバゲットは評価されるべきではないかと。

「江別製粉のE65(TYPE ERの添加物抜きバージョン)、はるきらり(前田農産)、江別製粉のTYPE100(春よ恋、きたほなみ)。
この配合には、色でいえば黄色とグレーの香りがある。
はるきらりは黄色い。
ブレンドして香りのバランスをとっています。
香りには黄色、グレー、白、茶色がある。
4種類の香りを5段階で評価して、試作しています。
口に入れたときが黄色の3、後味は白の2。
じゃあもっとこっちの粉を入れてみようか、とか」

香りを色彩で表現する方法は、ワインやウイスキーやビールをテイスティング、あるいは調合する現場で使われている。
とらえどころのない香りというものを、システマティックに扱うための、効果的な方法である。

「バゲットを作るためにはひとつの粉では不完全。
この粉は10分の7にして、この粉は10分の2、もうひとつは10分の1にして、というふうにバランスを取る。
たとえば絵を描くときに、ただ色をつけていく人はいないと思うんですよね。
ファッションもそうですけど、色のバランスを見ながら、こっちの色はアクセントに使おうとか考える。
同じ系統の色を合わせたり、逆に相反する色にしてみたり。
料理の世界では『相性』っていいますよね。
だけど、その勉強をしてるパン職人がまだまだ少ない」

先進的な試み。
自分がその先頭を切ることで、パン業界全体を引っ張ろうとしている。
「日本のパン屋さんがそのへんを勉強したら、パンも次のステージにいける。
いまは冷蔵庫にあるものをただ入れてるだけ。
ひじきあるからひじき入れようとか、野沢菜あるから野沢菜入れようとか、おやきみたいな感覚で作ってる。
主婦レベルと変わらないんですよね。
プロというのは、寿司職人のようなこと。
ネタに合わせてシャリの大きさを変えたり、形を変えたり、握り方を変えて、作品にしていく。
どういうふうに口に入るのか、余韻をどうするかまで考える。
それがプロの仕事。
早く次のステージに日本のパンをいかせたい」

そして、人が聞いたら笑うような、壮大すぎる目標を、杉窪さんは真顔で語るのだ。
「食べ物は血となり肉となり、精神にも作用していきますから。
精神が平安になれば世界平和に貢献していきますよね。
添加物やポストハーヴェスト(輸入する作物に収穫後散布される農薬)も悪影響を及ぼしている。
それがなくなれば世界平和につながっていくはずなんです」

究極の目標への小さな一歩。
だが、この店から新しい「ムーブメント」は確実に広がっていくだろう。
「365日」の出現はこんなにも衝撃的なのだから。(池田浩明)

365日
小田急線 代々木八幡駅/東京メトロ千代田線 代々木公園駅
東京都渋谷区富ヶ谷1-6-12
tel 03-6804-7357
9:00〜17:00(水曜休み)


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