希望のりんご 真夏の陸前高田ツアー
2014.08.11 Monday 18:05

5月以来、2ヶ月ぶりの訪問だったが、大きな変化が生まれていた。
津波で壊滅した陸前高田の中心市街地・高田町。
地震によって地盤沈下したこの場所を10mかさあげするための、総延長3キロのベルトコンベアが全貌を現していた。
高台移転のため切り崩される近くの山で発生する土砂を、トラックより効率的に運ぶことができる。

震災前の土地の記憶も、津波の悲しみも、大量の土砂の下に埋もれてしまうとセンチメンタルな気持ちにもなった。
けれど、陸前高田市がこのコンベアへの投資を決断したことで、復興はハイスピードで前に進むことになった。

建築家の薩田英男と東京理科大学の学生たちが行う、陸前高田に自生する北限の竹を使って子供たちと遊ぶプロジェクト。

私たちもこれに協力し、竹を切り、かき氷や流しそうめんを食べるための器を作った。

ポリ袋とフライパンがあれば、オーブンも発酵器もいらず、簡単にパンができる。
上記の本の着想が生まれた日が、2011年3月11日だったという縁。
それもあり、梶さんは三陸各地で「ポリパン教室」を行ってきた。
道具のいらないポリパンなら、被災地の人たちに、パンを作る楽しみを与えられる。
ひいてはそれが心の平安や希望を与えることになると。

私たちと思いを同じくする梶さんとのコラボが実現。
米崎町を元気にするお母さんたちの会「アップルガールズ」にポリパンを伝授した。
米崎町のりんごジュースを発酵させ、酵母にする。
具材もブルーベリーなど地元の産物を使う。

あとは生地になるまでひたすら振るその行為が、ダンスみたいに楽しい。
「私みたく荒っぽいほうが上手に生地になるよ。○ちゃんは上品すぎるんでないの?(笑)」
と、お母さんたちは冗談を言いながら盛り上がる。
梶さんの情熱とアップルガールズの明るさまでミキシングされて、調理場からエネルギーがほとばしっていた。

今回はアップルガールズからのリクエストで大福の作り方を教えることになった。
和菓子の経験もある加藤さんが作るあんこは、和菓子屋さん、あんこ屋さんレベルのクオリティである。

米崎小学校仮設住宅では、恒例となり、住民の方々が楽しみにしている巻きパンを、Zopfの高梨真さん、斎藤弘臣さんが作ってくれた。

今回は米崎小学校の学年行事がちょうど終わったところだった4年生たちが参加し、にぎやかなものとなった。

かき氷はなによりのものだった。
仮設住宅の子供たちがお手伝いし、かき氷機をまわしてくれる。
あまおう、とちおとめ、ゆずなど、国産フルーツを使ったシロップは、ジャムメーカーであるタカ食品工業にご提供をいただいたもの。
あまおうと練乳をかけたイチゴミルクは子供たちに大人気だった。

米崎小学校仮設住宅にイラストをたずさえてやってきた。

自分のできることをしようという高校生の気持ち。
炎天下の中、がんばっている彼らに、かき氷やパンを食べてもらった。

とれたばかりの、ぷりぷりで甘いホタテがバーベキューの火で焼かれる。

見た目がややグロテスクなせいで食べず嫌いの人も多いこの海産物のイメージは、米崎町で食べると一変するだろう。
新鮮なホヤはなんの臭みもなく、「海のパイナップル」といわれる通り、甘さはフルーティ。
みんなにこの味を食べさせてあげたい。

自分の家を建て、仮設住宅を出る人が増えているからで、それ自体はよろこぶべきことだ。
米崎小学校仮設住宅の自治会長・佐藤一男さんは、被災地の現状をこのように教えてくれた。
住宅建設の需要に、作る人の数が追いついていない。
たとえ、三陸地域以外の業者に施行を頼んだところで、事情は変わらない。
上下水道は市の指定業者だけが工事をできる。
そのために、柱を立てたはいいが、水道工事が進まずに、床を作ることができず、何ヶ月も雨ざらしになってしまう人もいるのだと。
建設費用もかさむ。
復興の動きが広がれば広がるほど、復興はむしろ遅れるというジレンマに、被災地は陥っている。

アップルガールズたちとすいかをくりぬき、皮を容器にして、いろんなフルーツを入れ、最後に米崎町の特産品、神田葡萄園のアップルサイダーを注ぐ。
30℃近くにまで気温が上がった暑い日にぴったりの涼やかなおいしさだった。

洋菓子界の巨匠である2人のコラボ。
摘果(間引く作業)で出た青りんごをバーベキューの火にかけ、焼きりんごを作る。
廃棄されるしかない未熟のりんごをおいしく食べる工夫。
折しも、アップルガールズのリーダーで、私たちの活動を変わらずサポートしてくれている菊池清子さんの誕生日。
中村さんは、立派なバースデーケーキを作った。
わざわざ東京で焼いたスポンジを陸前高田へ持ち込み、ホイップクリームも現場で泡立てる。
だからフレッシュなクリームが口の中で溶けていく感じがすばらしくピュアなのだった。
菊池さんは突然のサプライズに目を潤ませた。

りんごをシンボルとして陸前高田を盛り上げたいという同じ志を持つSAVE TAKATAと私たち「希望のりんご」は、協力しあって目標を成し遂げたいと思っている。

人口減社会を迎え、過疎がますます深刻になりつつある陸前高田を個性で光らせるためのアイデア。
なにか私たちも協力できないだろうか。

パラリンピックで15個の金メダルを獲得した成田真由美さんからは、「ゼロからの挑戦ではない、マイナスから挑戦するからもっと大きな力が発揮できる」と、自身の体験に即しての発言があった。
ただ福祉としてパンを作るだけでなく、売れるようにもっていくことで、障害者の経済的な自立に貢献してきたNGBC。
そのノウハウを陸前高田で役立てることのお手伝いもしていきたいと思っている。

第八十八丸又丸の船長は金野広悦さん。
いっしょに乗り込んだのは、佐々木正悦さん。
家も船も津波によって流された金野さんが、3年余りを経て、やっと復興させた船だ。

海中から紐を引き上げ、1年でこれぐらい大きくなるんだよと教えてくれる。
7、8センチぐらいだったと記憶しているが、いまや11、2センチとぐんと大きくなって、成長を感じることができた。

海水で洗っただけの、まだ動いているホタテを食べさせてくれる。
肉厚な貝柱の甘みが海水の塩味で引き立って、参加者からは『人生でいちばんおいしかった』という言葉も出た。

そこには金野広悦さんのこんな思いが込められている。
「震災の日は、午後から漁に行く予定でした。
ところが、2ヶ月前に生まれたばかりの孫の子守りを娘に頼まれて、自宅に残りました。
その日に限って、海に行こうという気になれなかったんです。
1時間後、地震がありました。
親父の口癖は、『震動の大きさは関係なく、揺れが長いと津波がくるよ』。
とてつもなく大きな揺れが、長くつづいたので、絶対に津波がくるって直感して、海抜35mのうちの畑に避難した。
家はなくなりましたが、おやじのおかげ、孫のおかげで命をもらえました。
88まで現役で漁師をしていた親父にあやかって、私たちに恵みを与えてくれる、この海を守りたい」
金野さんがどうしても知ってもらいたいことがあるという。
それは新しい防潮堤のことだ。
「大勢の方が地震で亡くなったし、この死を無駄にしないよう、町づくりにも意見を言っています。
いま作ろうとしている防潮堤の高さは12.5mですが、大震災での津波の高さは17mでした。
もし同じ程度の津波がきたら、なんにもならない。
それに、10mを超えるような防波堤で海を隠されたところに、都会の方々が本当にきたくなるでしょうか。
そこに暮らす住民が幸せを感じるでしょうか。
震災のとき、当初の津波の予想は3m。
(当時)6mの防潮堤があったために、みんな安心してしまい、逃げるのが遅れた。
その後、予想は10mに変更されましたが、それから逃げても遅かった。
立派な堤防があることで、逆に逃げない人がいっぱい出てくる。
生活する場所は高台に作り、地震がくれば逃げる。
そういう形が必要だと思います。
人の命を守るのはハードではなくソフト。
大事なのは、逃げるしかないと伝えていくことなんです」
陸前高田で、命からがら逃げた人たちから何度も聞いたことがある。
海が見えたから逃げられたと。
ずっと海と共生してきたこの町に、海と人間とを区切るものが必要なのかどうか。
海の見える風景は、観光資源としてもこの町の宝物なのだから。

5月にりんごの花を見てから2ヶ月余り。
りんごの実はすでに姫りんごほどの大きさに成長していた。
夏を通じて少しずつ大きく、色づいていき、ジョナゴールドの場合、10月20日ごろ収穫を迎える。
次はその頃に陸前高田をお邪魔し、自分の手で実を摘み取ってみたい。

なにかを食べられるとは思っていなかったところに、金野さんが桃を出してくれた。
たっぷりの水分がみずみずしく口の中を潤し、あふれる香りもうつくしい。
それはホタテと同じく、私たちの本能をよろこばせるようなものだった。
それを生み出すのは陸前高田の自然である。
そこに寄り添って生き、守り、次代に伝えようとする人たちを、私たちは「希望のりんご」の活動を通じて、サポートしていきたいと思う。(池田浩明)
希望のりんご
ご協力いただいた方々・団体
大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
薩田建築スタジオ
一般社団法人SAVE TAKATA
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
タカ食品工業株式会社
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ハッピーデリ
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
リリエンベルグ
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。
写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)