パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
森の生活者【鳥取パンツアー2】
店名に惹かれて鳥取駅から目抜き通りを歩いていく。
5分ほど進んだところに橋がかかっていた。
橋の上に立つと、建物に遮られていた視界は開け、見通しのきいた風景が遠くまで眺められた。
小さな川とそれに沿って小さな緑地と小道。
いい町だ。
橋まできて、そんなふうに思えたのだった。
よく晴れた日曜日。
車の速度も道を歩く人の速度も心なしかゆっくりに感じられた。

森の生活者は、川のほとりの古いビルの2階にある。
窓に沿ってしつらえられたカウンターに座ると、袋川を見下ろすことができた。

店主・森木陽子さんは、数年ぶりに帰郷し、この風景を再発見した。
「学生の頃、ここは普通に歩いていたところです。
店をはじめるとき、いろいろ物件を探していたのですが、ここに上がって上から見たら風景が変わって見えたのが新鮮で。
ここで店をやったら楽しそう。
人がこなくても、一日中ぼーっとしていても楽しそうだし。
自分の中の鳥取って、この道のイメージ。
この景色がいちばんきれいだと思います」

店名は『森の生活』の著者ヘンリー・ソローの『孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智』にちなむ。

「お店の名前なににしようかな、と思ってたとき、あの本に出会いました。
森の生活者ってかっこいい。
響きだけで選びました。
自然っぽい漢字を一文字入れたいと思っていて。
『愉しむ』という漢字も『楽』より好きだし。
4〜5人で集まって食べるカフェではなくて、ひとりでコーヒーを飲んで帰れる店を作りたい。
実はあの本を読んだのは、お店をはじめてから。
読んでみてから、そういうことがやりたいんだなと、だんだん思うようになって。
言葉とか漢字が好きで、『生活』という漢字も好きでした。
うまく文章にはできないけど、お店で表現したい言葉をたまたま付けれたな」

『森の生活』とは、人里離れた森の中にソローが棲み、孤独な生活を送ることで、
たしかに、森の生活者でカウンターに座り、ベーグルを食べながらひとり高みからうつくしい風景を見ることは、孤独というカプセルに入り込んだような「愉しい」体験である。

この店のベーグルにすっかり心を捉えられた。
あっけないほどの軽さ。
オーブンであたためられて、表面の薄い皮だけがぱりぱりとしている。
もちもち感も重たくない。
コーヒーを読みながら、本を読みながらでもすいすい食べられる。
けれど、単なる軽いだけのベーグルとはちがって、国産小麦らしい生々しさはしっかりと感じさせてくれる。
ベーグルを喫茶店のトーストに接近させたならこんなふうになるだろう。

森の生活者を森木さんは「ベーグル喫茶」という新しい業態として構想した。
本があり、コーヒーの匂いがして、客たちが思い思いの時間をすごしているというたたずまいは、まさに喫茶店なのだった。

「喫茶店がすごく好きなんです。
気取らずに行ける。
カフェにはきちんとしたかっこうで行かなきゃいけないけど、喫茶店ならふらっと行ける。
なるべくおしゃれにならないように。
脱おしゃれが目標(笑)。
お客さんに笑われながら、BGMにラジオをかけたり」

私が見るところ食器もインテリアも十分におしゃれだが、そうでなくてはならないという力みが感じられないので、客も楽な気分でいられる。
それは本棚にも表れていた。
読んでみたくなるような本が並んでいるけれど、衒学的ではないし、かっこつけすぎでも、狙いすぎでもない。
ときどき、『妖怪クイズ百科事典』などという本が差してあるのも、書棚の前に立つときのちょっとした緊張をやわらげてくれる。

森木さんの課外活動も楽しい雰囲気を作るのに役立っている。
近所で店を営む友人たち「食堂カルン」や雑貨屋「山ニ鳥」などといっしょにジン『森鳥カルン』(写真はトットリMAP号)を作ったり、パン屋ではない人が主な出展者となるパン販売イベントを開いたり。

「いま鳥取県にはおもしろい人が集まってきている。
たみ(湯梨浜町のゲストハウス)、星粒憩食店(鳥取市のカフェ)のように移住者によるお店ができたり。
このへんにも、食堂カルン、山ニ鳥、ボルゾイレコード、アンティークグリーンなど、ちっちゃいお店がぽつぽつあって、みんなひっそりやっている。
なんにもないところでなにかをしようとしている。
自分たちが楽しみながら、どうしたら町がよくなるか。
ちっちゃいことだけど、なにかやってみようかと。
なにもないと思っていたけど、それが逆におもしろいのかもしれないと、帰ってきてから思えました。
自分が生活してるところだから。
自分のいいと思うことをやって、町の人がいいと思ってくれて、そこに人が集まってくれればいいな」

町おこしというほど大げさではない。
おもしろいことへの感性を共有できる人とコミュニケートしたいというごく個人的な活動なのだ。

ベーグルショップのオーナーには独学で学んだ人が多いけれど、森木さんは西宮市の名店でパンを作っていたバックボーンがある。
「ブーランジェヤマウチ(現リョウイチヤマウチ)で3年弱働きました。
面接のとき、オーナーさんが言っていた。
『パン屋を開店するなら7〜8年、ベーカリーカフェなら3年は働いて基礎を押さえないと開けないよ』。
職人めっちゃ厳しいと思いながら(笑)。
パン好きなんですけど、基礎もわかってるかどうかわからないぐらい。
食パンもハード系もやってたら、ぜんぶ中途半端になるかな。
それなら、1個の生地にしよう。
この辺にベーグル売ってる店がなかったんで、ベーグルにしよう」

一般的にいって、ベーグル専門店のベーグルと、パン屋のベーグルは異なっているように思う。
後者は前者よりきちんと発酵がとられ、ふわふわして、熟成感もきちんとある。
パン屋勤めの経験があり、現在ベーグル専門店店主である森木さんのベーグルはどちらでもなく、両者の中間でいいとこどりのような感じがある。

「パン屋さんは、他のパンのタイミングもありますが、ベーグル専門店はベーグルを焼くためだけに設備を使えるので、それがいいのかもしれません。
いちばん最初のベースは務めてたお店の配合です。
でも、粉は好きなのがいいなと思って、知ってる粉をいろいろ取り寄せて、検討しました。
いま使っているのは、春よ恋、北海道産石臼全粒粉。
まだまだ勉強中です。
味はこっちがおいしいけど、翌日も食べられるのはこっちかな、とか。
自分のおいしいと思うものと、町から求められるものと、生活できるだけのもの。
その3つを変化させていければいいのかな」

フィリングにもセンスを見せる。
すももジャムのおいしさ。
甘さと酸味に、心地よいバランスがあって、果実の香りをふくよかに感じさせる。
白あん+クリームチーズはベーグル史に残る発明だと思う。
あんこの甘さの蔭に潜むようにチーズの酸味。
鼻に抜ける豆の香りをなぜか引き立てる乳酸菌の香り。

「おみやげに1個だけもらったチーズまんじゅうがすごく感動して。
チーズと白あんのベーグルを作ってみようかなと思って生まれたんですけど、お互いが活かしあってる気がする」

喫茶店なので、カウンター越しに森木さんの仕事をする姿は見えている。
清潔なおしぼりと、うつくしいグラスに入れたお冷やを用意する。
コーヒーは注文を受けてから、1杯1杯淹れる。
大事に焼いたベーグルを焼き戻し、ジャムやあんこを塗る。
心を尽くした手づくりのものたちが快適な時間を作りだす。
そこになんの説明もなく、あくまでさりげない。

「コーヒーがすごく好きで。
パン屋の前は、スターバックスでも働きました。
アンチおしゃれだったので、スタバに行ったことなかったのに(笑)。
人と働くのも、苦手だと思ってたけど、価値観が変わって、自分も成長できました。
それまでは、一人で陰気に働くような仕事しかできないんじゃないかなと思ってましたから(笑)。
人と関わるのってすごい。
自分だけでできないことを勉強させてもらえるから」

パンが好きで、コーヒーが好きで、本が好き。
それらが合わさって、ベーグル喫茶という、ありそうでなかった業態に至ったのは、ひとりでいる時間を大事にする人だからだろう。
孤独を愛する人の気持ちは、自身も孤独を愛する人にしかわからない。

「いまはコーヒーを淹れるのが楽しく、ベーグルを焼くのが楽しい。
焼きたくない日はないです。
焼きたくないと思って、焼くのだけはやめよう。
明日ベーグル焼きたいと思って寝るのはもちろん、なんかもやもやするな、もうだめだ、というときにも無理しないように。
ストレスのない状態を作ろうとしている。
でも、接客の仕事に疲れることがあります。
本当は引き蘢ってやりたいんです。
サポートしてくれる人がいたら専念できるんですが。
どこかお店に行ってぼーっとするのが好きだし、かまってくれない店員さんが好き。
狭い空間の中でも私は一人で楽しんでくれる空間を作りたい」

誰にも邪魔されず、どんな憂いにも惑わされず、静かで清らかな時間。
本を読み、おいしいベーグルとコーヒーをときどき口に運びながら。
もし老後がきて、なにもしなくていい時間がたくさんあったなら、こんな店で日がな過ごしたい。

森木さんは理想とする店のイメージをこんなふうに表現する。
「常に風通しのいい感じ。
風が通ったときに気持ちがいいなと思った。
そういう店にしたい。
その理想に、いつになったら近づけるんだろう。
まだまだだから、飽きずに仕事ができるんだろうな」

(池田浩明)

森の生活者
鳥取市弥生町103、0857-50-1170。
JR山陰本線 鳥取駅
9:00〜18:00
月曜火曜休み

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