パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
タロー屋(北浦和)
199軒目(東京の200軒を巡る冒険)

季節を焼くパン屋。
橋口太郎さんはいろんな植物から酵母を採取し、それを元にパンを焼く。
花、果実、葉っぱ、野菜。
それぞれの植物にはそれぞれの香りと発酵の性質があって、四季折々にさまざまなパンとなって店に並ぶ。

酵母を起こしはじめたきっかけはこのようなものだ。
「元々はデザインの仕事をしていました。
ウエダ家の上田君(パン教室COBOの主宰者)がデザイン予備校の同級生。
発足当時のCOBOの活動に参加させてもらった。
『その辺から木の実を取ってきて、ビンに水といっしょに入れ、ふたすれば発酵する。
パンも作れるんだよ』
こんな世界があったんだと、衝撃を受けました。
フルーツの色彩はきれいだし、活性化した菌がガスのしぶきをあげてる。
目に見えないけど生命感が感じられた。
それが楽しくて、家の床に酵母の瓶をびっしり置いて、生活してたことがありました」

酵母を起こしはじめた橋口さんに起こったよろこばしい変化。
それは世界を見、季節を感じとるための新しい視点を与えた。
身の回りに、それまで見過ごしていたたくさんの自然を発見するようになった。

「このあたりの環境を見返してみると、果物が実る木がいろいろある。
いろいろやってるうちに、ものすごく元気な(発酵力のある)酵母ができたり。
発酵すると、(素材自体の)香りもまろやかになります
実家の母屋は薮みたいな庭ですが、ザクロ、柿、そんなものをいっぱい発酵させました。
植物採集が好きな子供でした。
酵母を起こすうちに、当時の感覚が呼び覚まされてきて。
『あの花は食べられる』とか、そんな知識を手がかりに、果物や花を採集していく。
近くの親戚のゆずも取らせてもらったり。
昨年のシュトーレンはそのゆずで作りました。
ピールを作って、酵母を作って」

身近にありすぎて気づかないけれど、どんな植物もそれ自体香りを持つ。
橋口さんの方法はそれを「可視化」し、パンに乗り移らせることで、食べ物として体に取り入れることを可能にする。
たとえば、桜は見た目にうつくしいけれど、香りもまたうつくしい。

「桜の季節には、八重桜の若葉をつませてもらって、酵母を起こしたり。
桜って、花より葉っぱのほうが香りがあるんですよ。
芽吹きたての若葉は香りがいい。
花はとれる時期が(年ごとに)2、3週間もずれるんです。
『八重桜酵母のパン、そろそろ出るんですか』と訊かれてもお答えできなくて。
八重桜はソメイヨシノよりずっと後に咲く。
葉っぱを取らせてもらうのも4月中旬以降。
ときには5月の連休以降になったり」

どんな花がいつ咲くのか。
誰にも知ることができない季節の巡りにパン作りは翻弄されるけれど、橋口さんはむしろそれを肯定する。

「毎年同じパンができるかもわからない。
(予定していた)素材がとれたらほっとするし、ありがたいと思うし、酵母が湧いたときは毎年感動します」

(左から桜の葉、きんもくせい、りんご)

橋口さんは、瓶の中に浸かっている花や葉っぱを作業台の上に並べ、見せてくれた。

「バラ、桜、きんもくせい、ラベンダーの花。
お花は瓶の中で浮遊するんです。
酵母を眺めているのもすごく楽しい」

橋口さんがおもしろいものを見せてくれた。
これら休眠中の酵母の瓶のふたを開け、ひとすくいの砂糖を投入する。
すると、彼らはふたたび息を吹き返し、しゅわしゅわと泡を立てる。

「活きてるな。
久しぶりにガスも出てるし」

橋口さんの呼びかけに応じ、息をする酵母たち。
まぎれもなく生命。
パンを作るとは、つまり生命と対峙することに他ならない。
橋口さんが見せたかったのはそのことだったのだろう。

別の瓶を取りだし、ふたを開ける。
まるでコーラの瓶を振ったみたいに、口からあふれださんばかり元気に泡を吹き出す。

「これぐらいでパンを仕込むようにしています。
酵母が元気かどうかでパンの上がりが変わってくる。
今日は発酵がよかったです。
ミキシングは昨日のお昼すぎ、今日の朝6時に焼きあがりました。
発酵のコンディションがよかったです。
昨日までは(自分が)冬モードになりきれてなくて、『あんなふうにしなきゃよかったな』とか、後から思ったりしてました」

取材時、2014年12月11日。
やっと本格的な寒さが訪れだした頃。
発酵は季節ごとに変わるという言葉は、特に種を自家培養するパン職人からよく聞かれる。
秋と冬とで、酵母の振舞いかたは変わる。
それをキャッチし、夜通し仕事をつづけながら発酵時間や温度を巧みに調節して、自分の望む方向へ発酵を導く。
自らの感性を開いて生命と対峙するのだ。

この日、焼きあげたパンを手に、橋口さんは各酵母について説明する。
「レモン酵母は、このへんの庭から分けてもらったのを使用しています。
レモンといっても大きくて、園芸種のインドレモン。
皮がすごく厚いんですけど、苦みがちょっと出て、それがよかった。
はるゆたかブレンド、石臼挽全粒粉(ともに江別製粉)を使っています。
酵母が変わると、生地感が変わるので、粉の配合を変えて骨格を変えないと、危ないかなと思いました」

レモン酵母のノアレザン
風味の透明度が高い。
自然発酵種のパンに独特の熟成感をあえて排除し、素材がマスキングされないようにしていることがタロー屋のパンの特徴なのである。
そのために、口溶けの小麦感が生々しい。
私はこのレーズンをみかんのドライを食べているかのように誤解しながら食べた。
それほど、レモン酵母とレーズンが重なって作りだされる甘さは、かわいらしく、好ましいものに思える。
甘さとフレッシュさ、そして後味に柑橘系の香りとわずかな苦みを残す。

どのようなパンにすれば酵母液のもつ香りが活きるのか。
その酵母がどれぐらいの発酵力を持つのか。
香りと発酵力を頭の中でかけ算し、できあがりをイメージしながらパンを作る

「酵母の種類によって生地色も変わりますし。
うちの畑でとれたラズベリーを酵母にしてパンを作ると、ピンクがかった色になる。
(ラズベリー酵母の香りは)ドライフルーツとぶつけても負けないな。
フリュイ(ドライフルーツのパン)をラベンダーで焼くとすごく相性がよかった。
今年いちばんの発見でした。
はじめはラベンダーの酵母でパンができるだけでうれしいから、シンプルに作ってました。
でも、香りが強すぎて、問題作になっちゃう。
はちみつと合わせたり、ベリーを利用して、中和しながら、食べ物としておいしくしていく。
昔は稚拙でした。
酵母の香りを伝えたいということばかり前に出ちゃって。
そういうところだけじゃだめなんだな、食べ物としてよくしていかなきゃ。
だんだんそれがわかってきました」

この日、フリュイはラベンダーに変わって、バラ酵母となっていた。
バラの香りがたしかに香って、散りばめられたドライフルーツたちが、それぞれの甘さを発している。
それはまるで、弦楽器のハーモニーがブーケのように鳴り響く中を、ピアノの音色がぽろぽろと明るくこぼれ落ちる音を思わせた。
音楽的でもあり、絵画的でもあるようなマリアージュなのだ。

橋口さんがパンを買いにきた客と会話をしている。
聞けば、この日店頭に出ていたバラ酵母のパンは、その人の育てたバラを使って作られたものだという。

「たまたま常連のお客さんが、薬かけしてないバラの花をもってきてくれました。
そういうときは、パンでお返しする。
そうやってコミュニケーションをとらせていただいています。
プロの農家さんが作るものはもちろんすばらしいですが、庭になってた果物は農薬もかけないので安心安全。
ほったらかされてる分、野性味が強いし、形がおかしくてもパンにすれば関係ないですから。
消費社会だと、ものを買ってきて、それを元に生みだすのが基本。
でも酵母は、そこらへんに生っているものをもぎとってきて起こせる。
ちょっとだけですけど、自立できてる感覚。
そういういろいろな発見があって、はまっちゃった」

私たちが決して逃れることのできない、資本主義という桎梏。
橋口さんの方法は、そこからほんの少しだけ自由になることを可能にする。
生硬な反資本主義論を振りかざすより、その反逆はずっとうつくしい。

「散歩しながら、よそさまの庭を覗いちゃう。
畑で育てているもの、近所のいただきものを含め、半分以上の酵母は近所でまかなうことができてます。
カリン、ゆず、秋生りのラズベリーはそうですね。
りんごの酵母には畑でできる春菊を練りこんでいますし。
小さいときから食べることが好きで、おいしさの探究心みたいなものが芽生えた」

りんご酵母と畑の春菊、有機黒ゴマのブール
春菊の香りを和のハーブとして嗅ぐ。
それはすーっと香り深まってすがすがしくなっていく。
りんごの酸味が若干の甘さをともなってやわらかく訪れる。
たっぷりの黒ゴマは香りとして訪れ、やがて噛むうちに油となって、春菊の苦味を甘さに変えていく。
中身はしゃきしゃきとみずみずしく、薄い皮はそれを邪魔することがない。 

酵母にすること念頭に置くと、自然を見ることがそのまま食べることになる。
酵母の香りと具材の風味をいかにマリアージュさせるかに、橋口さんはいつも関心を寄せる。

「既成の味の再現は、すでに見えてるから、あまり惹きつけられないんです。
あとから考えると、酵母と具材が両方ともバラ科同士だから合ったんだな、とか思うことがある。
アカシエ(タロー屋と同じくさいたま市にある名パティスリー)のシェフも『品種をたどっていくとカップリング成立するんだよ』とおっしゃってて。
レシピを考えるときは、酵母が起きてからどんなパンにするか考える、という作り方。
逆にいうと、それしかできない。
不器用だけど、それが自分らしさならば、つづけていけばなにか生まれるんじゃないか」

橋口さんはパンを作りはじめたとき、自らのやり方で極めようとした。
それが、タロー屋のあり方を独自のものとした。

「最初はわからないことばっかりでした。
パン教室は行かず、あえて自分の力で(パンを作ってきた)。
ロブションのガラスにずっとへばりついて、パンを作るところを見てたこともありましたね。
見てわかることもいっぱいあるんで。
バゲットの成形を必死になって見ました。
タルティーンベーカリー(サンフランシスコの名店)の窯入れするシーンも(インターネットで見たら)自分の店といっしょで、安心したり。
作るものは同じパンだから、突き詰めるとみんな近いところに行くのかな」

このあたりは、住宅の庭や校庭や寺社の敷地に緑があったり、取り残されたような畑が点在する。
大自然ではなく、小自然。
駅からタロー屋へはたしかに遠いけれど、その道のりを歩くと小さな自然を発見することができる。
私たちはごく身近にそうしたものを持ちながら取り逃がし、自然との関わりを自ら絶ってはいないだろか。
橋口さんの仕事とはそうした回路を取り戻し、自然へと私たちを導いてくれる。

「ひところは街の中の物件も探したことがありました。
こんなところ(駅から遠く離れた立地)でやること自体が無茶すぎる。
ここを選んだのは金額的なこともありますけど、街の中を行き交う人の流れ方がこのパンに合わなかった。
それに、こっちには酵母の元がいっぱい生っていますし。
その中でやらない手はない。
ちょうど開店したのが、インターネットが広まった時期。
ネット通販と卸でできないか(と考えた)。
それが、8年前」

価値あるものは、黙っていても人に存在を気づかせ、作り手はそれを生業にすることができる。
橋口さんはまず近所の人たちにパン屋として迎え入れられたのだ。

「作ったパンを窓辺に置いてた。
それを見た人に、『このパンどうやって買えるの?』と訊かれるようになりました。
決め手は中学生の手紙。
ちょうど中学の通学路にあたっていて、『パン屋さんいつできるんですか?』と手紙が毎日入っていた。
『バナナの叩き売り』(自宅の入口にテーブルを置いてパンを売ること)がはじまって。
びっくりなことにお客さんがきてくれる。
最初、近所の人だったのが、そのうち東京からもきてくれたり」

週に2日しか店は開かない。
すべてのパンが自然発酵種のみを使用して作られるために、長い発酵時間を必要とするからである。
対面販売を採用しているため、行列ができることはしばしば。
でも、列に並んでいる人は前の人をせかすこともなく、穏やかに並んでいる。
自分の番がきたら、販売を担当する橋口さんの奥さんらと会話し、買物を楽しむ。
この店ではゆっくりと時間が流れるようだ。
季節が巡るのを待ち、発酵を待ってパンを作る姿勢が、気配として人に伝わっていくのだろう。

「販売するときにも自然な会話があり、ついついお客さんと話し込んだりするんです。
いちばんうれしいのは、パンを媒介に人とつながれること。
パンがなかったら誰とも話せなかったかもしれない。
パンというか、(酵母の瓶を指差しながら)こいつのおかげで。
やりたいことやって人とつながれるのすごくうれしい。
やりたいことつづけるのも、いまの世の中むずかしいですし」

タロー屋の庭にある畑を見せてもらう。
それは、店の前で交通整理をしながらいつも笑顔で挨拶をしてくれる、橋口さんのお父さんが丹精を込めた作物だ。

(ついでにいうならば、日替わりの「おしながき」を丹念に書き留めた黒板も、美術教師だったお父さんの仕事である。)

春菊、ルッコラ、木いちご、ローズマリー。
酵母の元となり、パンに練りこむ具材になるそれらの作物は、橋口さんがパンを作る上でのインスピレーションのもとである。
と同時に、橋口さんにとってそれ以上のものではないかと思った。
生命を感じ、それによって自分がいま生きていることを実感する手がかりのようなものなのではと。

ふと橋口さんが指差した方向に、大きなケヤキが立っていた。
透き通った冬空を差してそびえ立つその様子は堂々として、神々しいといってもいいうつくしさがある。
なのに、私は橋口さんに導かれるまで、その存在を意識することはなかった。
いま、この木は切り倒されそうになっているのだと、橋口さんは残念がる。
巨木の価値が理解されない。
あまりにも私たちは、身近にある自然に対して盲目なのだ。
目を開けば、そこにきっとなにかがあるのに。(池田浩明)

京浜東北線 北浦和駅
048-886-0910
10:00〜売切れまで(木曜土曜営業)
予約方法はHPで確認。


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