希望のりんごツアー2015春
2015.05.23 Saturday 18:21

地震の傷から完全に癒えたとはいえない被災地の子どもたちに、なにか残せることはないだろうか。
私たちは陸前高田市米崎町コミュニティ・センターでパン教室を行うことにした。

『ポリ袋で作る天然酵母パン』が人気の梶晶子さんがアシスタントするという豪華な陣容。
米崎小学校学童クラブの生徒たちや、米崎小学校仮設住宅の子どもたちや20人以上が参加した。
ここにアップルガールズ(地元のお母さんたちが元気に復興に向かっていくために結成した、精神的な支えあいの会)、そしてツアーメンバー30人も加わり、みんなでパンを作る。

いろんな子どもたちがいるけど、みんな飽きずにパン作りに熱中する。
発酵は、生地温を上げるため、お腹の中でとる。
ビニール袋ごしに伝わってくる生地が成長する様子を、興奮ぎみに伝えあう。

ポケットの中にお惣菜を入れて食べる。
オーブンなどの家財が揃ってないことを考慮し、ポリパン(ビニール袋の中で生地をこね、フライパンにふたをして焼く)という方法をとった。

薄くのばした生地がフライパンの中で見事にぷーっとふくらむ。

僕もやってみたい! そんな顔で目を輝かせる。
子どもたちの心は正直におもしろいことへどんどん向かっていく。

粉にまみれるのもかまわず夢中で触る。
フライパンの中の生地を見つめている子どもに伊原さんが声をかける。
「ふくらめふくらめと思わないとふくらまないからね」
「ふくらめー、ふくらめー」とみんなで声を合わせて呪文を唱えると、ピタパンは見事にふくらんだ。


みんなで楽しくパンを作ることができた。

アップルガールズのリーダー菊池清子さんが語る、被災地の現状。
自宅を再建し、仮設住宅から出ていく人が増えてきた。
それは望ましいことだけれど、一方で残される者はさびしい。
経済的事情で自宅を再建できない人であれば、なおさらだ。
地震のとき、避難所のひとつ屋根の下で助け合いつながりあった被災者同士に、再び溝ができつつある。
だから、心をひとつに楽しくパンを作ることには意味があるのだと。
大阪のたくさんの個人店さんに陸前高田のりんごやジュース、ジャムを売っていただく「大阪りんごの日」。
1月に行われたこのイベントで大阪の人たちが、りんごのおいしさや被災地への思いをつづったメッセージを書いてくれた。
それは週刊大阪日日新聞の濱田さんによって、パン教室の場を借りて、米崎町の人たちの前で読みあげられた。
遠く離れた場所でもいまだに被災地に思いを寄せる人が多くいることを知ってほしい。
思いは必ず伝わり、被災地の人たちに前に進む勇気を与えると思うから。

私たちはパン屋さん、お菓子屋さんとともに、支援をつづけてきた。
カレーパンを現場で揚げ、巻きパンを作り。
そんな姿を目にしたからかはわからないけれど、「パティシエ」になりたいという夢を抱く子どもが出てきた。
人口が減少しコミュニティが崩壊するかもしれないといわれている被災地。
その将来を支えていくのは子どもたちだ。
ぜひこの陸前高田で夢のある仕事に就いてほしい。
そのためにも、農業や職人仕事も含めた「もの作り」を応援したい。
パン作りの楽しさの記憶が心の中で種となり、そうした仕事に興味を持つようになってくれたらと願っている。

震災後、長谷川建設社長の長谷川順一さんが描いた夢。
森の中で子どもたちが自然と親しむ「森の学校」を作りたいという思いが、ホテルという形に結実した。

ウッドデッキから海を望めるロケーション。
陸前高田には気仙大工の伝統がある。
地元の木材を使い、天井の高い空間に、ペレット(製材したときの端材などで作られる再生可能な木質燃料)ストーブのあたたかさが満ちている。
車も通らず、静寂と木の香気に包まれたこの場所にいつまでもいたい、そんな気持ちにさせる。

津波で社屋は全滅、社員の中にも犠牲者が出た。
長谷川さんの会社はフォークリフトなどを所有していたことから、遺体の片付けに従事した。
道の両脇にたくさん並んだ遺体の列を見て、まるで戦争の映画でも見ているような錯覚に陥り、現実感覚が麻痺してしまったという。
震災直後の目の回るような忙しさでテレビを見る暇さえなかったけれど、一瞬目にした、福島原発が爆発する画面が、長谷川さんを新しい事業に走らせた。
地元産ペレットを販売して地産地消の循環型エネルギーを陸前高田に根づかせること。
箱根山テラスもペレットによって給湯や暖房がまかなわれる予定(現在はセンター棟の暖房がペレットストーブ。宿泊棟はペレットボイラーを導入する予定)、長谷川さんが展開するペレット事業のモデルケースとなるだろう。
エネルギーという生活の根幹の部分を自前で賄うことは地域の自立につながる。
陸前高田に作られる新しい町が、ペレットを活用したエコロジカルなものになることが長谷川さんの夢。
津波によって更地に戻ってしまった陸前高田に未来志向で復興を企てようとしている。
それは希望のりんごとも深く共鳴するものだ。

そうした気持ちからコーヒーとともにパンが供されている。
梶晶子さんが1週間ここに滞在し、ポリパンを伝授した。
梶さんの熱が伝わり、箱根山テラスの従業員さんはパンが好きになった。

山の上の薪窯パン屋にたくさんの人が訪れるにちがいない。
もしそんな夢のようなことが現実になるとしたら、希望のりんごの活動に参加いただいているたくさんのパン関係者とともに、全力で応援したい。


スタッフのみなさんに笑顔で見送られ、りんご畑に向かう。

樹齢50年以上の木がここにはある。
いまほとんどのりんごの木は矮化(管理を省力化するために木を小さく作ること)されているが、ここにある木の幹は堂々とし、枝は軽やかに宙を這う。
及川さんによると、しっかり根を張った古木はたくさんの養分を土から吸い上げ、おいしくなるのだという。

高齢化が進む米崎町において矮化されていない畑は手に負えないものと思われているけれど、数十年の歴史を経て育ったその木こそ、津波に見舞われた陸前高田に残る貴重な財産だ。
及川さんはそれを守るため、農業に従事したい若い人たちに、高齢などの理由で栽培から退かなくてはならない人のりんご園をゆだねようとしている。
Three Peaks Winreyのりんごジュースはおいしい。
今年からはシードルも作ろうとしている。
一戸あたりの栽培面積が小さい米崎町では、大量生産では展望は開けない。
手をかけておいしいりんごを作り、品質にふさわしい値段で買ってもらうことが望ましい。
そのためには、農家同士が連携していくことや、法人化も必要となる。
及川さんのそうした考えは、希望のりんごの目指すところと一致している。
後押ししていきたいと思っている。

日本でも珍しい海の見えるりんご畑でお花見をするという企画。
今年は好天がつづいて、開花が1週間早まり、残念ながら花はほとんど散ってしまったあとだった。

みんなでりんごの摘花作業をお手伝いした。

妻・牧子さんの作ったがんづき(東北で伝統的に食べられる黒糖蒸しパン)、そしてりんごをいただく。
収穫されて長くたったものであっても、このゴールデンデリシャスは感動するほどおいしかった。

金野さんが植えてくれた幼い木の中から、これはと思うものを選んで、自分の名札をかける。
「自分の子どもが陸前高田にできたみたいです」とある参加者は言った。
自分はこの土地を去って家に帰るけれど、気持ちはりんごの木といっしょにずっとここにあって海を見つめているのだ。

その間、収穫はわずかで、農家は管理費だけがかかり、収入にならない。
それを支援できるオーナー制度はりんごの木を増やすために大事な方法だと、私たちは考える。
この取り組みを米崎町全体に広げ、利用方法がまだ決まっていない津波で浸水した人の住めない土地をりんごの木でいっぱいにできたら、というのが私たちの夢だ。
間もなく、希望のりんごでは、木のオーナーの一般募集を開始する。



海からあがったばかりの新鮮なものを食べる貴重な体験。
ほやを米崎町で食べると、みんな大好きになる。
新鮮なものは本当においしい。
金野さんはこれを食べたくて漁師になったというほど。

生で、炭で焼いて。
海の香りが口中に満ちて、体の中にパワーがみなぎっていくのを感じた。
漁師さんに分かれを告げ、一本松茶屋へ。
奇跡の一本松近くにある観光施設で、地元産のおみやげを買うのも、復興支援となる。
おすすめは八木澤商店一本松店のソフトクリーム。
醤油の旨味、香ばしさとあいまった口溶けのさわやかさが癖になる。
ソフトクリームを食べながら、かっての中心市街地・高田町を眺める。
津波のあと広大な荒野となっていた場所は、林立するベルトコンベアによって急ピッチでかさ上げ工事が進む。
今度ツアーが訪れる秋にはほぼ完成した姿を見られるはずだ。
復興はまだつづく。
私たちはそれが成し遂げられるまで、ずっと見つめつづけたいと思っている。
ご協力いただいた方々、団体
片山悟
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
三和産業
週刊大阪日日新聞
Three Peaks Winery
Zopf(ツォップ)
箱根山テラス
ハッピーデリ
パン屋のグロワール
ブーランジェリー ボヌール
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
ラ・テール洋菓子店
リリエンベルグ
りんご学童クラブ
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。