パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
東海林さだおの愛養(あるいは、耳三つ落としダブルバターの落とされなかった天井耳について)

最新刊『パンソロジー』(平凡社刊)は、古今東西のパンに関する奇書・名著が収められたパンのアンソロジー。
そこに収められた、東海林さだおの「パンの耳の丸かじり」にこんな一節がある。

 

「愛養」のトーストのメニューは次のように驚くほど多彩だ。
 特に「耳三つ落とし」を注文する男の愛憎は胸を打つものがある。
 メニューといったが、客が口で言うメニューである。
「耳ありにジャムね」「耳二つ落としバターね」「耳三つ落としダブルバターね」「耳一つ落としジャムね」「耳なしバターね」
 魚市場に集まるむくつけき男たちの耳へのこだわり。
 耳への愛憎。
 断ち切れない耳への思い。
 ふり払おうとしても払いきれない耳への愛憎。
 特に「耳三つ落とし」を注文する 男の愛憎は胸を打つものがある。
(『パンの耳の丸かじり』東海林さだお著、文藝春秋)

 

愛養は築地市場で働く人たちが仕事の合間に一服する場所。
昭和の喫茶店文化を伝える宝物である。
豊洲移転とともに閉店することになっていたが、移転の延期によって、いまだ生きながらえている。

常連なら、席に座るだけで、好みのコーヒーとトーストがすっと出てくる。
ジャムをつけるかバターをつけるかにはじまって、切り方、焼き方。

50年にもわたってトーストを焼き続ける鈴木健蔵さんは、常連の好みをすべて記憶している。

私は愛養を訪ね、『パンソロジー』をめくって、「パンの耳の丸かじり」のページを指し示した。
「え、東海林さん、ここに来たことがあったんだ!」
鈴木さんはなにも言わずに読み進み、愛養について書かれた部分に差し掛かると一瞬驚き、やがてしみじみと感じ入ったという表情になった。

 

「耳三つ落としダブルバター」という言葉の響き。
カウンターに座るなり、そんな言葉を言い放つや、スポーツ新聞を読みはじめるような大人に、私もなってみたいとずっと前から思っていたような気が、なぜかした。
それで、借り物ではあるけれど、「耳三つ落としダブルバター」という常連ワードを鈴木さんに言ってみた。
通じるんだろうか?
出てくるんだろうか??
海外旅行で「地球の歩き方」に載ってる例文を読み上げて買い物するみたいな気分でしばらく待った。

 

出てきたトーストは、まさに「耳三つ落としダブルバター」。
噛み締めると、干潟に足を踏み入れたときみたいに、じゅわーとバターの汁が滲みでてくる。
四等分されたトーストのうち、耳一つが残されたピースはあえて最後に食べた。
かりかりで甘い。
ウエハースでも噛むみたいに木っ端微塵になって口の中で軽やかに破片が舞うようだ。

 

「耳三つ落としダブルバターを頼んでた常連さんてどんな人だったんですか?」私は聞いてみた。
「どんな人って……食パンの上の耳だけを残してくれって言ってましたね」

 

やっぱりそうか!
上の耳、いや東海林さだおのワーディングにならうなら「天井耳」は、火が強く当たるゆえに「底耳」と並んでとびっきり甘く、かりかりになる。
まだ見ぬ、耳三つ落としダブルバター男に握手したいような気持ちに駆られた。

 

それを「愛憎」と東海林さだおが書くとき、彼の頭の中で鳴っている音楽はきっと演歌だろう。

「みちのくひとり旅」か八代亜紀の「雨の慕情」(あめあめふれふれもっとふれー)か?
私が、一つだけ落とされなかった天井耳を食べるとき鳴ったのは、あっけらかんとしたひたすらよろこびの音。
吉田美和が大口を開けて絶唱する「うれしい!たのしい!大好き!」か美ヶ原高原美術館の「アモーレの鐘」だった。

スポーツ新聞に視線を向けたままつまんだ最後のピースを噛んで「くくく」と声にならない含み笑いを漏らす、耳三つ落としダブルバター男の面影が浮かんだような気がした。

 

「いまのお客さんはみんな耳を落とさないで食べちゃうんですよね。半分にカットしてくれって言う注文が多いぐらいのもので」

と言う鈴木さんは、常連の注文がやたら細かった昔を思い出したのか、少しさびしそうな顔をした。

 

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