パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
TOLO PAN TOKYO(池尻大橋)
第21軒目

名店デュヌラルテは、理想に燃え、観念に突っ走るがゆえに、まるで店が空中に浮遊しているように感じられることがあった。
TOLO PAN TOKYOにはじめて訪れたとき思ったのは、ついにデュヌラルテが、ちょっととんがり、ちょっと庶民的なところのある、池尻大橋の商店街という約束の地を見つけ、空から舞い降り、地面に根を生やした、ということだった。

アメカジのセンスを入れ、ロフトガレージをコンセプトにしているというインテリアは、おしゃれにはちがいないが、店の人が正座をしているのではなく、あぐらをかいてどうぞどうぞといってくれているような、くだけた感じがある。
いい意味での、男子感覚といっていいかもしれない。

シェ・シバタという秀逸なチーズパンについて田中真司シェフに話を訊いて、
「お酒のつまみとして作りました」
という答えが返ってきたときも、男子感覚を感じた。
女性客が圧倒的に多く、女子目線、主婦感覚が当然という風潮のパン業界において希有で、やや挑戦的でもある。

「自分がおいしいと思うものを、まじめに伝えていくと、お客さんはわかってくれる。
ぱっと流行るものを作っているつもりはありません。
だから、接客の中での会話がとても重要だと思います」
田中真司というひとりの男子の好きなものは、きっと女子もわかってくれるはずだし、女子好きするものも、いつか男子はわかってくれるだろう。
それは「おいしい」ことが大前提である。
ひょっとしてわかってもらえないかもしれない、という逡巡によって、「これがおいしい」という自分の感覚がぶれることはないと、シェフはいうのだ。

「おいしいということしかこだわらんとこう」
これがテーマだと田中シェフはいう。
すべてのパン屋にとって当然であるがゆえに、誰もあえて掲げはしないテーマを、主張するのはなぜか。

「おいしい」には見えない敵がいる。
ひとつは「効率」である。
シェフは自らの繊細な舌と、それを信じる情熱によって、敵を超えようとしている。
「派生(同じ生地を別のパンに使い回すこと)はしません。
たとえば、塩は0.05%単位まできっちり量りますが、レーズンという具材にふさわしい塩分と、くるみにふさわしい塩分は異なっています。
できた生地に塩を足せばいいという考えもあるかもしれませんが、一から作ったものとはおいしさがちがうんですね」

あるいは、クロワッサン。
生地の間に折り込むバターが少しでも溶けると、皮の繊細さは失われてしまう。
それを防ぐために、発酵の間、約30℃の発酵室でバターが融点(16°)を超えそうになると、外に出して外気に触れさせ、湿気を取る。
乾けば、また発酵室に入れて、イーストを反応させる。
何度行っているかわからないというほど、入れたり出したり繰り返すこと4時間。
「神経質なんじゃないかと思うぐらいやらないと、あの皮はできない。
もっと楽な方法があればいいんですが」
私はTOLO PAN TOKYOで食べるようなクロワッサンを他で食べたことがない。
1枚1枚の皮は他にもたれかかることなく、まるで極薄の板のように毅然として独立し、少し歯に触れただけでばりばりっとかすかな音すら立て、砕け散るのだ。

もうひとつの敵は「伝統」。
それはほとんどの人に、「おいしい」の味方だと思われている。
もちろんそうにちがないが、ときとして「おいしい」よりも優先される「権威」になっているように、田中シェフには思える。

「伝統的な方法をすべて理解することは必要です。
でも、伝統を守るのはフランス人やドイツ人がやってくれることで、おいしいのを追求して、新しいことをどんどんやっていくのが日本人じゃないんでしょうか。
もうちょっとこうしたらおいしくなることってあるのに、伝統がこうなっているからといってそれをしない。
パン屋さんはプロの目を気にしすぎていて、味よりテクニックが先にきているような気がします。
本当はテクニックはどうでもよくて、味ありきなんじゃないでしょうか」

世田谷バゲット(190円)。
皮と中身の両方を主張させながらいかにしてバランスをとるかということが、バゲット永遠のテーマだと思う。
それをこのバゲットは、かつてありえなかったようなレベルで実現させている。
バゲットの神聖おかせざる掟「材料は粉と水と塩と酵母だけ」を踏み破ることによって。
表面にはガチョウ油が塗られている。
田中さんがあるレストランで見つけたこの食材のおかげで、皮には、普通のバゲットにない、のびやかな香ばしさと、かりかりかつばりばりの食感がある。
しかも、それを実現するためにぎりぎり焼き込む必要もないので、中身には、バゲットでは望むべくもないようなむっちり感が見事に残されている。

そして、塩気がすばらしい。
強めに感じられるのだが、とてもじわじわと滲みだし、小麦の味わいをすばらしくする。
ここにもひと手間と食材へのこだわりがある。
「普通のバゲットよりも少ないぐらいしか使っていません。
ローズソルトというアンデスの岩塩を使っているのですが、生地の材料を混ぜる際に、まず水と塩だけで溶きます。
このとき、きれいに溶かないで、粒を残すことがポイントです。
そうすると、ポイントポイントで、わーっと味わいを感じることができます」

カレーパン(180円)はTOLO PAN TOKYOの名物。
表面はひたすらかりっとしているのに、パン粉の下の生地は信じられないほどしなっと、ぷりっとしている。
それが油を吸い込み、完全無欠の味わいを見せ、この生地だけでも十分に成立しているほど。

フィリングがまたすばらしい。
口溶けは砂浜で波が引いていくとき砂が持っていかれるのを、足の裏で感じるときに似ている。
フィリングのここちよいざらつきが舌の上できれいさっぱりと消えていく感覚。
カレーにも口溶けのいい悪いがあり、それがおいしさを支配しているという事実に、はじめて思い至った。
その直後、舌で、鼻で感じるスパイスの千変万化に心を奪われる。
と同時に、生地のすばらしい甘さがまた戻ってきて、辛さとマリアージュを引き起こす。
このパンの存在も、TOLO PAN TOKYOのもつ池尻大橋的男子感覚の真骨頂ではないだろうか。

田中シェフはTOLO PAN TOKYOを立ち上げる前、デュヌラルテで6年間勤めた。
本当の意味での「職人」になった日のよろこびを、シェフは忘れない。
最初の3年間、プロデューサー浅野正己氏は、田中さんが挨拶しても、挨拶し返すことはなかった。
浅野氏は、職人として評価しない者に一切かまうことはなかったという。
それは早く這い上がってこいという、裏返しの愛情だったのだろう。
田中さんは遊びを一切やめ、休みの日もあらゆる理論書を読み込むほど仕事に打ち込んだ。
「浅野さんがいなかったらあんなふうにがんばれていない。
あの人に評価してもらいたいからがんばれた」

新作の試作をまかされる立場ではなかったが、勝手に作った。
「商品をなにか残したいと思って、とにかく焦ってた」
浅野氏のつぶやきすら聞き漏らさずメモを取った。
「ライ麦とカカオって相性いいよね」
その言葉をヒントに作った、カカオと栗のパンを食べた浅野氏はいった。
「それまで僕は論外だったのに、『おまえがぜんぶ作れ』と。
そのときがいちばんうれしかったですね」
4年目からはスーシェフとなり、新作の開発にたずさわった。
いまではどこでも見かけるようになったが、キューブ型のパンも、このとき田中さんが作ったものが元祖だという。
浅野氏が命じる試作のやり直しは50回にも及んだ。

「浅野さんだけを信じてやっていた。
それだけ信じたのは、あの人の作る料理が抜群においしかったから。
特に、フォワグラのテリーヌ。
他の人が同じレシピで作っても、あんなにおいしいのは作れない。
どうしてあんなにおいしいテリーヌを作れるのか、横でずっと見ていたことがあります。
浅野さんが作ると、血抜きもいい加減。
塩もきれいに振らないでぼとぼとと落ちる。
弟子のほうが上手なぐらいなのに、それでいておいしい。
塩は作る人のさじ加減だし、血抜きをどれぐらいするかもレシピには書き込めません。
その部分で、作る人それぞれの個性が味に出たのではないでしょうか。
世田谷バゲットの塩の入れ方は、そのときの浅野さんを見て盗んだものです」

田中さんがスーシェフをつとめているうち、店の方針が自分の作ろうとしているものと食い違ってきたように感じられ、デュヌラルテを離れた。
「効率化するために、それまでのようなマニアックな作り方じゃなくなってきました。
ごまかしてるような気になってきて。
『類い稀な』(デュヌラルテの日本語訳)という看板を背負っていることが苦しくなった」

「おいしいということしかこだわらんとこう」というテーマは、「類い稀」でありつづけ、かつ自分らしいパンを作るための、マニフェストなのだろう。(「ぷ」こと池田浩明)

TOLO PAN TOKYO
東急田園都市線池尻大橋駅
03-3794-7106
7:00〜19:00
火休

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先週、下北沢のTOLO PANのカフェに行きました。

一軒家で、電車も見えて、陽射しがポカポカして、店員さんもほがらかで(最近この言葉、使ってなかった)

池尻大橋よりパンの種類は、少ないのですが、そんなことかまわずに、また行きたいと思いました。

from. あーちゃん | 2011/02/22 08:18 |
あーちゃん様
カフェとてもよさそうですね。
社長さんはオーバカナル出身だそうで、
だから、専門分野のようです。
僕も行ってみたいです。
from. ぷ | 2011/02/22 20:29 |
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