パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ダンディゾン(吉祥寺)
67軒目(東京の200軒を巡る冒険)

木村昌之シェフはいう。
 「メインのコンセプトは食パンです。
食パンは日本で一番食べられているパンですが、いま大手のパンメーカーがほとんどのシェアを占めています。
日本を代表するパンなんだから、ナチュラルなものにしていきたい。
添加物や、化学物質がなにも入ってない、小さい子供が安心してを食べられるパンが常識になるような世の中に少しずつ変えていこうと。
フランスをはじめとしたヨーロッパスタイルが本格派とされ、多くのリテールベーカリーがそれを取り入れている中、食パンに力を入れていきたい。
実際にはバゲットのニュアンスで作る食パンですが、そのコンセプトに自分の人生で少しでも貢献できればと思いました」
 
生地の可能性をどこまで突き詰められるか。
手軽なもの、安価なものへと流れていく世間の流れを、技術でどこまで変えることができるか。
シニカルにも、ニヒリズムにもならず、パン職人の夢を本気で追いかけ、それが単なる夢想に終わっていない。
ダンディゾンのパンの不思議な食感、あるいは理想の口溶けには、夢が舌の上で現実化する瞬間がある。
 
ブルドノワ(小)(380円)。
新しいぷるぷるがある。
舌触りのイメージは、無数に折り重なり、錯綜したメッシュ。
そこに歯の先端が少し触れただけで、ぷちんと断裁される。
ぎりぎりまで引きのばされた生地の歯切れ。
ミルクがすっと香ってすっと消えていく。
とても淡くてナチュラルなのに、不思議なことにそれは強調されはっきりした味わいとして感じられる。
虫眼鏡で覗き込んだように鮮明なくるみの味と食感がそこに重なる。
同系色で描かれた水彩画のような調和と透明感。
 
イーストを操って自由自在にパンを作るダンディゾンという店のイメージからすれば意外だが、木村シェフは、自家製酵母パンの草分けであるルヴァンでチーフを務めていた。
ルヴァンのパンを食べたデュヌラルテの井出則一シェフ(現ポワン・エ・リーニュ)に誘われ、ダンディゾンに参加した。

「当時、僕はイーストから離れていた上、当時のデュヌラルテのパンは僕にとって明らかに真似のできない境地にありました。
ダンディゾンの立ち上げの際、井出さんには2つの生地の製造過程を一度だけ見せてもらいましたが、直後デュヌラルテを辞められた井出さんと音信不通に。
以降、それを再現し応用、派生するために、自分なりに井出さんの理論をずっと追究し、今までアイテムを広げてきました。
3年ぐらいして再会した井出さんと答え合わせ、といった感じでした。
直接教えてもらうと回避できる失敗をきっとずいぶんしたと思います。
そういった意味では不思議な位置関係ですが、僕の中では間違いなく師です。
井出さんには谷に落として良かったと言われましたが、僕も落とされて良かった」
 
ダンディゾン(Dans Dix ans)=10年後。
「10年後って人が思うとき、すごく漠然としている。
10年後にこうなる、という具体的な目標を指しているわけではありません。
上を見る。
常に目標を上のほうに置いていこう、ということです。
作ってる側だけじゃなくて、『10年後』という言葉を聞いたとき、お客さんにもなにかしらいい影響があったらいいなと思います。
常に10年後、いまから10年後」
 
「10年後」の8年目。
開店のとき夢見ていた未来に現実があと2年で追いつくとき、ダンディゾンは新たな挑戦をはじめた。
自家製酵母のパン。
スタイリッシュなパンが代名詞のダンディゾンが、ごつごつしたカンパーニュを並べるようになった。
木村シェフにとってのホームグラウンド。
いまでもルヴァンのような店が「自分のやりたいことの最終形態」だという。
 
「久しぶりにルヴァンに行って、現スタッフとふれあい、酵母に触れ、パンを食べ、火がついて、次の日から自家製酵母のパンを作りはじめちゃいました。
刺激になりました」
 
同じ頃、木村さんはもうひとつの大事な出会いを経験している。
「そろそろ自家製酵母的なものをやったほうがいいのではないか、と思っていたところに、パンの講習会でアトリエ・ド・プレジールのシェフ田中さんと知り合いました。
すぐにお店に遊びにいって、衝撃を受けました。
食べて、厨房を見せてもらって。
この圧倒的な衝撃を受けて、『じゃあどうするんだ』と。
当然、井出さんのときのように自分でのりこえなきゃいけないと思った。
去年の秋から没頭しましたね。
クリスマスを控え、忙しい時期に入るっていうのに。
先ずはクリスマスに向け、カンパーニュと、青レモン、自家製ヨーグルトでパンドーロ、パネトーネのような生地を開発しました。」
 
アトリエ・ド・プレジールは現在の自家製酵母パンの先端に位置する店だ。
希少な小麦粉とたくさんの種類の自家製酵母を駆使し、誰も実現できなかったパンを作る。
発酵は思いのままにコントロールされ、酸味もない。
やわらかいパンも、弾力があるパンも自在に作り分ける。
香りは素材の微妙な味わいと完全にマッチングされる。
 
「初めて食べた時、目からうろこでした。
はっとした。
これを自家製酵母で作れるのか。
これは作れない、と。
でも、製法を予想すればするほど、作ろうと思ったら家に帰れなくなるのがわかる。
パン生地への献身の覚悟と、それによる経験のベースが半端ではない。
尊敬以外のなにものでもないです」
 
衝撃とあふれる思いを努力に変えた。
「ルヴァンの作り方を一度リセットし、発酵学を一から勉強しました。
ファーメンテーションウォール(雑菌を阻む壁)と呼ばれる、腐敗をさせないための重要な理論など、知らないことはたくさんありました。
おもしろいもので、当時は、井出さんと日本酒の製造過程に興味を持ち可能性を模索していた時期でした。
『例えば俺が富士山の頂上を目指しているなら、木村君は月に行き、まだ誰も知らぬ月の山を制覇してほしい』
と井出さんにいわれたこともあり、自然と僕自身、自分らしさを考えるようになっていました。
その結果、発酵食品を生業にしているのだからもっと発酵に深く踏み込んだ自家製酵母に戻ろうと思うようになって。
酸味をコントロールできるようになり、ルヴァンとちがう感じのパンをできるようになった」

「実際、ほとんどイーストでまわしているラインに、発酵の時間が読めない自家製酵母パンを組み込むのはとても難しく、ホイロなどの設備もないために製法レベルでなんとかしないと話になりませんでした。
オープン当初もそれが理由でイーストに切り替えましたが、今度こそなんとかしてやろうと。
ようやく現在はイーストを使わない商品が7種類まで増えました。
それぞれ、種や発酵のさせ方などを変えています。
酵母の味を前に出すパン、酸味のない膨張力に長けた酵母で副素材を生かすパン、お菓子のような発酵菓子など、個性のある商品を少しずつ作れるようになりました。
製造ラインは確実に複雑になりましたが…。
でもこれはまだ完全にスタートラインです」
 
自分のパンを完成したい気持ちと、古巣ルヴァンへのリスペクトが、相半ばする。
「あの場所(ルヴァン)でやると不思議とできてしまうものもある。
自家製酵母に適した設備があり、長く継ぎつづけてる酵母には生命力と安定力、積み重なった旨みがあって、環境に住み着いた微生物、浮遊する野生酵母もいる。
ルヴァンから出た人はいっぱいいて、でも出てみると、意外とルヴァンのようにはできない。
それぞれ自分なりのパンを追うことになるのですが、きっと僕は当時ルヴァンで自分が作ってたときのパンを追っている。
いろいろできるようになって分かったのですが、それがいちばん好きだったんですね。
逆に自信がなくなってきます。
やればやるほど自信がでてきたり。
その繰り返しで。
お裁縫でいう、返し縫いのように進んでます」
数ヶ月かかって完成した自家製酵母のパンを、木村シェフはルヴァンに送った。
そのパンにはさまざまな気持ちが込められていたことだろう。
 
オルヴァン(700円)。
カンパーニュという言葉のまとった先入観を洗い流し、新たに発見されたカンパーニュだと思う。
しっかりと図太い皮、一転して中身の食感は泡のよう。
渋さは気高さにつながる。
端正な香ばしさがじわじわと地崩れを起こし、透明な味わいが現れる。
それは透き通っているために、複雑な味わいの深みを見通すことができる。
淡いけれど鮮明な塩気によってあたたかな甘さが押し出される。
この自家製酵母パンはダンディゾンという看板を決して裏切らない。
「現在は酵母パンらしい骨太な生地作りにシフトしてます。
まだまだ進化する必要がある」
 
木村さんの目に新しい地平が見えはじめた。
イーストのパン、天然酵母のパン、その他のパン…とばらばらにあるように見えていたそれらのパンが、ひとつの地平上、ひとつの理論で説明できるようになった。
そして様々な発酵による個性を理解し操れたら…。
「田中さんにいわれた内容がようやく理解できはじめた。
やはり田中さんを追うのではなく、自分なりのものを作り出したい。
3、4ヶ月かかった。
色にたとえると、完全カラーの絵を描きたいとして、白黒=ルヴァンの頃作っていたパンだとすると、もう1色、青系のを使えるようになった。
まだその段階。
天然酵母がいいとか、イーストだからいいとか、はない。
天然酵母の深みや食感もあるし、イーストしかできないパンもある」
 
黒しかないと思っていた絵の具に、色彩のあることがわかった。
いまは青色の絵の具しか持てないけれど、黄色と赤をそろえれば、想像したどんなパンでも自家製酵母で描くことができる。
その境地がダンディゾンの目指す新しい「10年後」である。

「井出さんや、田中さん、本当にたくさんの方とのご縁で今の自分があります。
ありがたいことで、感謝しきれません」

取材を終えると、木村シェフは冷蔵庫の中から自家製酵母のリキッドを取り出し、翌日のためのパンを作りはじめた。
酵母の管理は職人から休日を奪い、発酵を待つ長い時間を要求する。
自家製酵母のパンがなくても、ダンディゾンはまわっていくのかもしれない。
この仕事はお金や必要のためではなく、木村さんとスタッフの情熱の発露としてつづけられているのだろう。
 
セーグルオルヴァン(250円)。
何かと合せることを前提としているがゆえに、この自家製酵母パンはあいだにあることを選んだのだろう。
主張することと主張しないこと。
酸味がないことと酸味があること。
硬さとやわらかさ。
ある問題に立ち至ったとき、人は二者択一だと思って、どちらかを選ぼうとする。
けれど、その問いの前に立ち止まり、真摯に両方の可能性に答えようとするなら、このパンのようになるだろう。
はっきりと味わわせるのではなく、漂わせる。
毛糸玉を押したときのような、あたたかく、もくもくとした食感。
雑味は純化され、セーグルの強さと小麦粉の白さのあいだのおっとりとした風味がある。
食べ終わったあとには、口の中にすがすがしい香りがたなびいている。 

「ダンディゾンは緊張する」という声を聞く。
でも、そんな必要はまったくない。
取材で訪れたときも、小さい女の子が店に入ってきてショーケースを覗きこむなり、
「きのこのパン(ブラーヴォ)がないよー!」
店の人みんなが笑った。
おいしいパン屋はどこでもそうだけれど、木村シェフはじめダンディゾンの人たちも、とてもあたたかい心を持っている。(池田浩明)



中央線 吉祥寺駅
0422-23-2595
水曜・第1第3火曜休み

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from. - | 2016/03/01 13:18 |
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