パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
ブーランジェリールボワ (中野富士見町)
68軒目(東京の200軒を巡る冒険)



クロワッサン(180円)を食べ、むせ返る。
そんなことはいままで決してなかった。
きなこ餅を食べるときと同じことだが、このクロワッサンの皮はパウダーのような微粒子にまで細かく分かれるので、気管へと迷いこみ、喉につまる。

切断不能のか弱い皮。
森シェフがこだわるのは、ぱりぱりのさらに上の「くしゅくしゅ」という食感。
噛むより前に勝手に崩壊。
口の中で雪のように降る、無数の破片。
バターの滲みだしは、テーブルに落ちた小さな破片をつまんで口にしたときにすら感じられるのだ。
中身の白い部分もあっというまに溶け、消えていってしまう。

ルボワはフランスのブーランジュリーを目指す。
パンの味だけではなく、肌で感じるような目に見えないものまで再現しようとしている。
「空気感、雰囲気が日本のパン屋さんとはちがいますよね。
匂いであったり、感じであったり。
お客さんに雰囲気を楽しんでもらえれば。
行った人にしかわからないような、そういう空気を出していきたい」

何から何までフランスと同じにすることを意味していない。
もしそうだったら、敷居が高くなって、フランスのブーランジュリーのもつ日常性から遊離してしまうだろう。
日常ではあるけれど、気持ちをちょっとだけ高めてくれる。
それがルボワの目指す「空気」ではないだろうか。

この話を聞いているときにやってきた小学生の男子。
常連と思われる彼はひとりで気楽に店に入ってきて、「あのパンも好きだし、このパンも食べたいけど」という感じでショーケースを覗きこみ、気に入ったパンを選んで、本日のおこづかいであろう百数十円を手渡すのだった。
その場面は、フランスでパン屋が、子供たちにとっては、日本の駄菓子屋のようなおやつを買う場所であることを思い起こさせるものだった。

たとえば、ジャムパン(100円)。
小さく、ほっそりとしたパンは水分を飛ばして焼かれている。
しゅっと溶ける目の細かい生地から沸きだす、ほどよい甘さ。
その隙間という隙間にたっぷりのラズベリージャムが滲みこんでいく。
きりりとした酸味とともに。
そのすっぱさを溶かして自分なりの甘さに馴染ませていく作業にいつのまにかはまっていた。
ざりっざりっと心地よく噛みしめながら、ジャムと生地を混ぜ合わせ、ぐっとくる甘さへと育てていく。
食べ終わってもジャムの鮮烈さがじんじんする。
100円では普通は味わうことのできない本物の味がこのパンからはしてくる。

「ヨーロッパのパンそのものでなくてもいいんですよ。
自分の考えるヨーロッパを、クロワッサンやバゲットでだしていこう。
似たものであって、同じものではない。
僕の中でイメージするヨーロッパ」

その話は、かってクロワッサンについて取材したときに森さんから聞いた話を思い起こさせた。
パリに着いてはじめて食べたクロワッサンのおいしさに感動し、それを再現するために長い時間をかけて何度も何度も試行錯誤を繰り返した。
あまりにも長い時間、その一瞬の味わいを追いかけてきたために、もう自分の作っているクロワッサンがそのとき食べたものと似たものかどうかも、本当にはわからなくなってしまったのだと。
それは人の作りだすものが、模倣を超えて本物になっていく過程なのだと思った。

「ていねいに作る」。
しばしばパン職人から聞かれるこの言葉に、森シェフはややちがった照明をあてていた。
「ひとつひとつ正確に成形する。
すべてが同じ形になるように。
きれいに形が出るように。
あんぱんでも、きちんとおしりをつまんで、同じ形になるよう。
パンだから、不ぞろいはあってもいいと思います。
それよりも、気配りをしてあげる。
卵を塗るときにも、ぱーっと手際のいい感じでするのではなく、きれいに端まで塗ってあげる。
製品をチェックするみたいにやってます」

目の前の仕事をきちんと行う。
そのことを完了させることだけをそれは意味していない。
そのときの心のありよう、目線の持ち方が、もっと大事なことにまで波及していくように、森シェフは考えている。

「パンは生き物です。
目をかけて作ってあげたい。
気持ちをこめて作るということ。
気配りがお客さんにちょっとでも伝われば。
おいしいものを提供したいので、心をこめて」

単なる精神論でなく、「心をこめる」ことには合理的な理由がある。
「ひとつひとつ丁寧にやることで、生地のでき具合が焼けるときにわかります。
修正点がわかるので、翌日に修正できる。
いい加減に作ればいい加減にできる。
パンは正直です。
微妙なちがい…色つきやふくらみ具合のちがいを知ることによって、発酵をもっと長くとろうとか、ミキシングを弱めにするとか、理想のパンに近づけていける」

パン1個1個の顔を見ているのだと思った。
たとえば、動物園で猿山を見ても私たちにはぜんぶ同じ猿にしか見えないが、飼育係なら全員の顔を覚えて名前をつけ、その猿にふさわしい接し方をしていることだろう。
パン職人は、同じようにパンの表情を正確に記憶し、生地が分割された瞬間から、焼き上がり、買われていくときまで、追跡調査していく。
つぶさに観察して得た情報は次回の製造へフィードバックされる。
心をこめてパンを成形する時間とは、パンをひとつひとつ心に刻みつける時間でもあった。

売れ残ったパンを、両親のいない子供たちの施設へ届けている。
「誕生日にはその子の好きなものを食べられるのですが、そのとき『バゲット』といってくれた子がいたり。
卒業式に自分のなりたい職業を発表することになっているのですが、『パン屋になりたい」といってくれた子もいたそうです。
思いが伝わって、おいしいと思ってくれてるんですね」

ブロン(130円)。
衝撃のパン生地。
どこまでが生地の食感で、どこからがチーズなのか。
もちもち以上のむちむち。
もわーんと潰れて、にっと歯に触れ、舌にねっとり。
はちみつの甘さが生地の食感と激しく共振する。
その甘さもまたチーズのコクと親しくて、どこからどこまでかわからない。
チーズの酸味という凹と甘さという凸が完全にはまり込むからだ。(池田浩明)


東京メトロ丸ノ内線 中野富士見町駅
03-3229-8015
9:00〜19:00
日曜・第2第4月曜休み

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