パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
災害援助のスタイリング
生きるか死ぬかの限界状況にあるとき、なりふり構わずサバイバルだけを考えるか、死に直面してもうつくしくありたいと思うのか。
難問というより答えは見えていて、後者を選びとれるのは、うつくしい生き方が身に付いている人、意図しなくても自然と所作がうつくしくなってしまう人だけではないだろうか。
そうした生き方を許された人物を数少ない知人の中で探すならば、『パニック7ゴールド』での「パンラボ」連載のデザインをお願いしている、山口信博さんになる。

パンを被災地に運ぶことをどのように成功させるべきか相談したところ、山口さんは意外な返答をした。
2つの道具を貸してくれることによって。
私の頭の中にはただパンを届けるという実際的な側面しかなかったが、山口さんは美的な面について考えてくれたのである。

ひとつはパンを運ぶための布である。
コーヒー豆の袋よりももう少し細い糸で編まれた麻布に、ベルトやひもなどがついている。
フランス語で文字が書かれていて、それを読むと、医療用の素材を運ぶためのものだったことがわかる。
十字架が描かれているのも、被災地に運ぶものとしてふさわしいし、実際にもこの布が人の命を救う場面もあったのかもしれない。

もうひとつは、古びた金属製の箱にとってがついたものだった。
ちょっと見にはなんのためのものだかわからない。
入れ子状に何層にも重なった道具をひとつひとつ取り出す。
アルコールランプ、茶筒、カップ、急須、茶こし、やかん。
つまり携帯用喫茶キットなのだった。

こんな道具をわざわざ持っていかなくても、ペットボトルの飲料を買えば、それで済む、のだろうか。
火を使える場所を探し、湯が沸くまで待ち、茶葉の量を考え、急須に湯を注ぐ。
その過程が、用件の処理だけに追われる時間の経ち方から意識を引き離す。
無駄に見える作業が実は、心を落ち着かせ、自分を取り戻すために、必要十分な時間なのだった。

ペンシャープナーという言葉がある。
作家が原稿を書く前に、敬愛する作家の文章を読み、自分の文体が鋭くなるよう感覚を研ぐ、その本のことをいう。
湧きあがる湯気に茶の香りを嗅ぎ、舌の上を通り過ぎていく鮮烈さを味わい、湯の熱さを喉で感じる。
それらに心のチューニングを合わせていくと、感受性を研ぎすませられるようだった。
ペットボトルのお茶ではそうはいかない。
通りすがった、避難所で生活をされていると思しき方をお茶にお誘いしたところ、「銭湯にいく」とご辞退された。
申し訳ないとは思いつつ、かいじゅう屋の橋本さんと2人で茶を飲んだ。

地震の直後、自粛の雰囲気が世間を覆った。
不要不急なことをやっている場合ではないと。
もちろん、被災に遭われた方のお気持ちを思えば、それは当然のことであったが、一方で、誰もが同じ振る舞いを、見えない空気によって強制されるような感じに数%の違和感を覚えなくもなかった。
体育館に布団を敷いたスペースだけで過ごす避難所での暮らしには、プライバシーもないし、思うような行動もできないし、楽しみをみつけるのもむずかしい。
本当の最低限ではあるけれど、一応の衣食住が足りているいま、被災者の方に必要なのは、むしろ不要不急なことをする自由なのかもしれない。
今度被災地に行くことがあれば、体育館からわざわざお誘いしていっしょにお茶を飲めるほどの人間関係を、避難されている方と結んでみたいと思った。

最初の問いに戻るけれど、生きるか死ぬかの瀬戸際に人は美を必要とするのか。
瀬戸際だからこそ美が必要だと思いたい。
生きるためだけに生きねばならないとしたら、人生がむなしすぎる。
明日の命も知れない戦国時代、千利休が豊臣秀吉によって重用され、多くの武将から最高の尊敬を受けていたのはなぜだったのか。
生死の境にあって、一杯の茶を楽しむ余裕が、死地に活路を開くからなのかもしれない。
おいしいパンを食べることも然り、であってほしい。(池田浩明)


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