パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
パンのペリカン(田原町)
83軒目(東京の200軒を巡る冒険)

なにかについて考えるときは、これ以上はなにも取り去ることができないような、もっともミニマムなモデルを考えればうまくいく。
そうすれば枝葉に気を取られ本質を見失うことがない。
スタンダード、オーソドックス、メートル原器のようなもの。
それがペリカンである。

私は食パンを食べるときしばしばペリカンの食パンの味を思いだし、比較する。
ペリカンという常に動かない基準があるおかげで食パンについてより理解できるようになった。

食パン(1斤 290円)。
口にする寸前すっと鼻孔に入る香りのたとえようもないすばらしさ。
発酵の香りが香ばしさのヴェールでくるまれたような。
パンの快楽とは単にやわらかさだけではない。
ペリカンの食パンはそのことを教えてくれた。
弾力に加え張力が重要だという先代の教えは、「欲求の本質的な部分を探る」ことから見いだされたという。
当たりはやわらかく、噛んでいくとやや抵抗し、ぎりぎりに沈み込んだところで、ぷちっと表面に亀裂が入り、歯切れる。
あるいは、「理由はわからないけど無性にあれが食べたい」と思う味。
つまり、毎朝、飽きずに食べつづけられるためには、「理由」に気づかれてはならないのだ。
味わいは特別ではない。
むしろリーン。
口に運んだ瞬間は無色で、口溶けの中に小麦の味わいと、それを活かすだけの最小限の甘さが微妙にたゆたう。
完全に満たされないがゆえに、次の一口を思わず誘われてしまうのだ。

たったそれだけのこと。
あれやこれやを付け加えると邪魔になる。
なぜ人はパンを口にするとき快楽を覚えるのか。
その本質さえパンに仕掛けられていれば必要十分である。

ミニマムはこの店のありとあらゆることに貫かれ、哲学の域に達している。
基本生地は、食パンとロールパン、わずか2種類。
それから、生地は共通のバンズとドッグパン、それらの大きさを変えたもの含めてもわずか10種類のみ、すべてプレーンなパンばかり。

店ではなく、工場である。
入口近くのにいくつかの照明とレジ台を置いて販売スペースとしている。
つまり、店としてもっともミニマムな形態がここでも選びとられている。

撮影をするためにはじめて工場内へ足を踏み入れた。
いままで私は客として訪れながら、あこがれと恐れを同時に抱いていた場所である。
そのリアリティは、パンが小麦と炎の衝突から生まれてくる危険な営為だということを、表していた。
ほとんどのパン職人が客への気遣いからあえて見せようとはしていないこの事実が、ペリカンではミニマムであるゆえに露出している。

形のないもの、ソフトの面にも、それはあてはまる。
現在の店主である3代目の渡辺猛さんは接客についていつもこう考えているといった。
「いかに余計な言葉を重ねないか」
「ひとつの言葉で別の気持ちも伝えられないか」
客に気を遣わせない、そっけなさという名のミニマム。
それを店が心がけていることすらさとらせないような。

パン屋として親から子へ伝えられていくもの。
それを先代は、「種」と表現していたという。
唯一無二の味わいを種として保存し、未来へと伝えていくこと。
それはパン屋だけに許された特権である。
製法、経営、店舗、接客。
単にパンだけではなく、ありとあらゆるものが種として残されているのではないだろうか。

パンを焼く火柱によって焼かれたかのように、グレーに煤けた工場。
職人がみんな帰ったあとのがらんとした場所に、4代目となるだろう渡辺陸さんがひとりいた。
「これから掃除をします」
種を劣化させないためには、1日も休まず、厳しく管理しなくてはならない。
ペリカンはこれからもメートル原器でありつづけるはずだ。

中ロール(5個 350円)。
外は香ばしさが漂い、中身を噛むとバターの甘い香りがふっと湧きだす。
両者とも、やわらかで、つつましやかだが、快さにあふれている。
歯ごたえの魅力は、新雪を踏むときに似ている。
ふわふわの部分を歯で確かめながら、踏みしめて愛おしみたくなる。
唾液に濡れ、香ばしさが消えていくにつれ、ミルクの甘さへと移り変わっていく。
中身の触感のなめらかさと、口溶けの甘さのまろやかさの間に感覚的なシンクロがあって、思わず目をつぶり陶酔してしまう。
この甘さをずっと噛みしめていたい。(池田浩明)

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東京メトロ銀座線 田原町駅」
03-3841-4686
8:00〜17:00 
日曜日・祭日・特別休業日(夏・秋・年末年始)


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