パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
粉花パン教室受講ノート
ボウルの中の生地を見たときや、成形されたまんまるな生地を見たときにも、
「かわいい」
と藤岡真由美さんはいう。
パン教室の受講者に教える立場ではあっても、生地を見るたびごとに、パンを愛らしいと思う気持ちが思わず湧きあがる、というように。
「パン1個1個の表情を見る」
とも藤岡さんはいう。
表情を見るとき、漠然とただのパンと眺めていたものが、いま自分の目の前で息づく「このパン」として見えてくる。
なめらかだったり、粒だっていたり、かすかにふるえていたり、という微妙な感触まで立ち上がってくるような見え方をする。
それがパンを作る人の目かもしれないと思った。

ふたつきのガラス瓶の中でふつふつと泡立つ酵母液(レーズンを水に漬け1週間程度置いたもの)を取り出して、受講者にひとさじずつすすめたあと、藤岡真由美さんは自分でも舐めて、
「おいしい」といった。
「酵母がレーズンの糖分を食べ、息をしてできた泡なんです。
アルコール発酵をしているからワインと同じなんですよ」
黄色く濁った妖しい液体は意外にも本当においしい。
ぶどうの香りを含み、うす甘く微妙な変化をして、鼻へ抜けていく。
その風味は、本当のワイン以上にリアルで、野生である。
ボウルに移して小麦粉と混ぜ合わせると、舐めたときとはまた微妙に異なって、さらにふくよかな香りになる。
このパンはきっとおいしくなる、そう予感することができた。

手に取った生地は指に粘り着いて、すぐどうにもならなくなる。
思い通りにいかないことのおもしろさ。
自分の不器用さに途方に暮れていると、
「できてきた」
と藤岡さんが励ましてくれる。
生地はじょじょになめらかにまとまりはじめ、弾力を持つ。
吸い付き、力を加えると手のひらを押し返し、勝手に跳ねまわる。
ぬくもりさえ持った生地はまるで生き物だった。
酵母液の中の無数の酵母たちが小麦粉のひとつぶひとつぶに浸透し、行き渡った結果が、生命をはらんだというように。

「100まで数えながら捏ねてください」
と藤岡真由美さんはいう。
無心になるために。
いらいらしながら作るとパンに気持ちが出る、とよくいわれる。
それだけではなく、愛情をこめようという気持ちまで、藤岡さんは慎んでいる。
「ニュートラルなのがいいと思います」
いい素材と素材を組み合わせて作っているのだからおいしいパンができる。
あとは酵母たちの力を信じるだけでいいのだと。

数時間発酵をとったボウルの中の生地は見事に膨らんでいた。
手に取ったパン1個分の生地は空気をはらみ、ちょっと力を入れると押しつぶしてしまいそうで、その危うさ、かよわさは、赤ちゃんを抱き上げたときに似ている。
手のひらで転がすところんと丸くなり、しわの寄っていた肌はつるんとなめらかになり、成形が完成する。
できあがった生地のうつくしさを損ねないよう着地させたいと、手に持ったままあたふたしていると、手回しよくオーブンペーパーを敷いてくれた場所を、妹の藤岡恵さんが指し示す。
恵さんは黒衣のように目立たなく振舞いながら、タイミングよくいろいろなものを用意してくれるのだ。

1分前にオーブンの前に集まり、焼き上がるのをみんなで待つ。
生地が膨れ、持ち上がっているのをガラス越しに見たとき、以前、被災地に持っていくパンを真由美さんが私に手渡しながらいった言葉を思いだした。
「パンががんばってくれました」
オーブンの中のパンを言葉にださず応援していた。
がんばれ、がんばれと。
パンをかわいい、愛おしいと思う気持ちが私にも芽生えていた。

焼きたてをいただいた。
味わい深いといってもいいし、すっきりしているといってもいい。
存在感があるといってもいいし、ふわふわ浮かび上がるようだといってもいい。
つまり、ニュートラルだった。
「ぶどうの木にぶどうがなるように、りんごの木にりんごがなるように、なったパン」
と、ある人にいわれたのを藤岡さんはずっと記憶している。
木は自分で果実を実らせようとするのではなく、「自然に」なる。
それと同じ、ごく自然においしいパンなのだと。
粉花のパンについてこれほどうまくいいあてる言葉を、私は思いつかない。

パン作りは実にあっけなかった。
自分がおいしいものを作ったという記憶はない。
ただオーブンからパンがでてきて、それがおいしかった、というにすぎない。
なんと単純なことだろう。
単純であるがゆえに、奇跡のように思われた。
この奇跡が日々何十億回起こらなければ、地球上の人びとのお腹が満たされることはない。
なんとありふれた奇跡。
大事なことはいつも目の前にあり、それに気づくとき、愛おしい気持ちが心を満たす。
粉花のパン教室が教えてくれたのはそのことだった。

(池田浩明)



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