アンゼリカ(下北沢)
2011.08.12 Friday 00:00
91軒目(東京の200軒を巡る冒険)
カレーパン(スタンダード)(210円)。
再三テレビなどで紹介された下北沢の名物パンを食べて改めて思う。
パン屋はパンが命。
カレーパンというフィリングのインパクトが大きなウェイトを占めるパンであっても、客はしっかりとパン生地の味わいに気づき、それが人気の理由になっている。
透明感と湧きあがるようなコクを両立させたカレーフィリングの辛さと、小麦の甘さがきちんとする生地の味わいが相補的に響きあって、味覚の正円を作る。
スパイスもぴりりと舌先を刺激し、麻痺させ、味全体を軽やかにする。
飲み込んだあと口の中に残るものは実にさっぱりしたすがすがしさである。
フィリングが秀逸なのももちろんだが、体の奥深くで感じるような本能的なおいしさは、この生地がなくてはありえないものだ。
店主の林大輔さんはいう。
「ドイツ人がやっている神戸のパン屋(フロインドリーブ)で修行しまして、ドイツパンのパン職人になりました。
そこはいちばん厳しい修行をするパン屋だと聞いて入ったのですが、びしばし体で教えてもらいました」
ドイツパンというとまずライ麦を思いだす。
林さんによればそれは一面であって、ドイツには白い小麦のおいしさをひきだす優れた方法もある。
「実はドイツには白いパンがいっぱいあるんですよ。
ドイツパンの製法を使えば小麦のもっている甘さを表現することができます。
強力粉は小麦の芯の部分を使った甘い、うまい粉ですが、持っている力(グルテン)がすごいのでコントロールするのがむずかしい。
どったんばったん捏ねると、硬くなり、ぎんぎんにグルテンがでちゃう。
そうではなく、粉の持ってる力だけで、そば粉と水を合わせるときのように(やわらかく)練っていく。
量が多いのでミキサーを使っていますが、電気が止まったって手で生地は練れます。
うちに入った従業員には手じゃないとパンは教えられない。
手の感覚で覚えていかないと」
カレーパンはどのように誕生したのか。
「ドイツパンというと、日本人はあまり得意じゃない。
あたしがパン屋をオープンしたとき、見た目もよくないし、硬い、酸味がいやだというお客様がいらっしゃる中で、どうやったらドイツパンの技術を活かせるかと。
そのとき、『俺。カレーパンがいちばん好きだから、カレーパン作ろう』と思いました。
パンメーカーの作ったカレーパンは生地とフィリングがフィットしてなくて、バランスがよくないものが多かった。
生地とフィリングの相性がよくなければ、欠点を引き立てるだけになってしまい、せっかくがんばって生地を作っても、パンがおいしいっていってもらえない。
だから、一念発起してカレーの勉強をはじめました。
パン生地に合うカレーを突き詰めようと」
スパイスの勉強からはじめるほどカレーの研究にのめりこんだ。
「カレーって食べてすぐ辛くなるのと、あとからくるタイプとがあるんですが、すぐくるのがうちの夏カレー、冬カレーはあとからくる。
そういうバランスを、四季を通じて出し入れしています。
マニュアルがあって、その通りにやんなさいじゃなく、天候やスタッフのコンディションによって、煎り方から変わってくる。
雨の日と晴れの日では焙煎の仕方から変わってくる。
うまくいった日は香ばしさが立ってくる」
まるで、コーヒーの奥義を彷彿とさせるような、いやパンそのものと同じく、カレーには極めても極め尽くせないような奥深さがある。
「カレーのスパイスには4つの要素があって、香りはガラムマサラ、色のターメリック、コクのコリアンダー(パクチーの根っこ)、辛さのチリ。
4つが相まってカレーの味を作り出します。
それを基本にして味をまとめるカレー粉も入れて、いいシンフォニーを生んでもらう。
そして副素材は、うちでよく使うヨーグルト、リンゴ、はちみつ」
アンゼリカのカレーパンはなぜはまるのか。
なぜもういちど食べたくなるのか。
カレーパンに潜ませたマジックの種を林さんは明かしてくれた。
「季節の果物も入れます。
モモとかナシとか季節によってちょっとずつちがう。
ちょっとずつちょっとずつ変える。
それをやることによって飽きなくなる。
ほとんど同じ味なんだけど幅がある。
ぎりぎりのところだよね。
同じ味じゃないというのをやるのたいへん。
わからないようにちょっとずつ変える。
それがいつまでもおいしいというポジションでいられる秘訣。
いまのお客様の舌は洗練されてるから、慣れると『前のほうがおいしかったね』となってしまう。
いつも新鮮な衝撃。
それを見せるんじゃなく、中に仕組んだもので提供する。
気を使うけどやってて張り合いがある。
そのためには毎日食べてチェックしないと」
いわれてみれば…という世界だが、たしかにアンゼリカのカレーパンには味わい尽くせないようなところがある。
要素は同じだから同じ味として感じられるけれど、強調されている部分がちがっているゆえに、毎回新しい側面に出会い、それを奥深さとして感じる。
なぜかはわからないが南口商店街を通るたびここを素通りできないような気がしていたが、その裏側には、こうした深謀遠慮が潜んでいた。
「いまでも巡り会っていないスパイスがあります。
それを使いこなせるようになれば、まだまだおいしくなる可能性が十二分にある。
おいしくせていく自信もあります」
ジャーマンエクセラン(小) (294円)。
神戸フロインドリーブ直伝、ドイツにも食パンはある。
きのこ型、型からはみでた部分の大きなふくらみが豊かさを思わせる。
ふわふわにして、むっちり、そしてねっちり。
皮にしっかりと味わいがのって、それが中身と混ざりあうときスプレッドの役目さえ果たす。
やがて塩に促されて中身の逆襲がはじまる。
塩気のあるうまみとおもわれたものが、喉のあたりでは甘さに変わっている。
しょっぱさと甘さのあいだで揺れるほどに、どの味わいと決めきらないリーンさが、食事パンとして秀逸である。
レモンショートブレッド(252円)
さくさくな中にあって、歯にねっちりした感触が残る。
レモンの酸味は危うい快さで舌をぴりぴりさせ、一方でレモンの香りは軽やかに鼻へと抜けていく。
そして、アーモンドのような、チーズケーキのような、不思議な甘さ。
後味には甘さとレモンの残り香がさわやかに口の中にふわりと満ちる。
カレーパンだけではない。
見知らぬ舶来パンとの思わぬ出会いが待っている。
ドイツパン、小さな焼き菓子のさりげない充実もこの店に魅力を加えている。
#091
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