パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
シニフィアン・シニフィエ
日本橋の高島屋に出店しているシニフィアン・シニフィエ。

シニフィアン・シニフィエとは、言語学用語である。
意味するものがシニフィアンで、意味されるものがシニフィエ。
例えば、「りんご」という言葉がシニフィアンであれば、赤くて丸い果実そのものがシニフィエ
ということになる。

なぜ志賀勝栄シェフはこのような難解な言葉を店名にしたのか?
正確な理由を調べる気力もないまま、私は勝手に考える。
パン職人にとってのシニフィエとは、おいしいパンを作りたい、自分ならこんなパンを作るんだ、という職人魂に他ならないだろう。
そうであるなら、その気持ちの表現形態=シニフィアンは、つまりパンである。

一方、私たち、食べる側にとっての、シニフィアン・シニフィエとはなんであるか。
私たちはパンというシニフィエを食べ、さまざまに表現する。
「あのパンおいしかったよ」とか「さくさく」とか「ぱさぱさ」とかという言葉が、あるいは言葉にならないまでも、頭の中に残った記憶も、シニフィアンといって差し支えないだろう。

そうだとするなら、作り手、食べ手、パンという三者の関係の中で、シニフィアンであり、シニフィエであるものは、唯一パンだけだ。
シニフィアン・シニフィエ=パン。

今年一年、パンに関するシニフィアン(言葉)をこのブログに書きつづけてきた。
私のシニフィアンが、私の食べたパン(というシニフィエ)、あるいは作り手の気持ち(というシニフィエ)とイコールであれと願いながら、それを目指すことだけは最低の倫理として心しながら書いてきたが、今年シニフィアン=シニフィエだった幸福な瞬間はどれほどあったろうか。
パンは言葉になることから逃れ去りつづけるだろうが、私はそこに向けて書く。

今年、私の食べたパンの中でもっとも華麗に私のシニフィアンから逃れ去ったものとして、シニフィアン・シニフィエのパンを挙げたい。

高島屋限定、チョコレートとクルミのチャパタ。
まず、袋を開けた瞬間の、イーストらしからぬ、強い、素朴な香りに打たれた。
口をつけると、まったく新しいチャパタだった。
このシェフは、「やわらかい」とか「重い」とか「濃い」とかという既存のシニフィアンでパンを想像してはいない。
まちがいなく、「しっとり」ではある。
その類い稀なしっとり感のために、他のあらゆる新しいことが、見事に口に馴染む。

新しいシニフィアンとして私が思った言葉は、「ぞくぞく」だったり、「建築物」だったりという、およそパンに似つかわしくない言葉だ。
また、材料が良質であることもまちがいなくて、クルミの香ばしさや、ミルクチョコレートの甘さの染み入る感じも、すばらしい。

シニフィアン・シニフィエについて私がいつも感じるのは、舌に馴染むヒューマンなもの(シニフィアン)を、それとは反対ベクトルのように見える、先鋭的な感覚(シニフィエ)から生み出しているということである。
そのようなシニフィアンとシニフィエの関係はパンの世界の中におよそ見当たらず、アートやモードに近いと思う。(ぷ)

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ヤマザキの「レーズン好きのレーズンブレッド」
袋パンの、パッケージと中身とは、自分でハードルを設定し、それを乗り越える関係にある。
例えば、いちばん低いハードルとは、ただ「レーズン食パン」とだけ書くことである。
この場合、できはどうあれ、ただ食パンの中にレーズンさえ混ぜ込んであれば、設定したハードルは越えたことになる。
けれど、スーパーのパン売場に足を運ぶ者が、そのハードルを飛んでみたいかどうかは別である。
跳んでみたくなるハードルとは、絶対まちがいなく跳べるハードルではなく、ひょっとしたら足をひっかけてばったりと転倒、かすり傷のひとつも負いそうなハードルなのである。

そこで、「レーズン好きのレーズンブレッド」であるが、ここにはヤマザキパンサイドからのもうひとつの挑発が仕掛けられている。
「おまえは『レーズン好き』か?」と。
つまり、このハードルを跳ぶ、真のハードル走者足りうるかどうかを、大胆にも問うてきているのだ。

ここまで高飛車にこられると、一度はハードルを跳ばないことには気が済まない。
「どんな落とし前つけてくれるねん」とやにわにヤンキーさながらの口調になり、目を血走らせて袋を手に取り、レジに向かうのである。

そうなるともう、ページをめくる指に弾みがついてきたときのミステリーみたいに、一瞬も早く「落とし前」の行方を見定めなくては夜も日も明けない気持ちになる。

落とし前の話にいく前に、食パンの特徴をいえば、うーむなかなかやるな、である。
ヤマザキのどの食パンかわからないけれど、しっとり感があり、歯で噛んだとき「くねっ」とする心地いい感覚もある。

レーズンはたしかに、袋パン的なふにゃふにゃなのではなく、硬めで歯応えがあって、粒もいくらか大きい気がする。
しかし「レーズン好き」を満足させるに決定打ではない。
ヤマザキが仕掛けたギミックとは何か?
それを突き止められないぐらいなら、そもそもこのハードルを跳ぶ資格試験にすら自分は不合格だったのではないか。
と、やや焦った瞬間、パッケージの小さい字が目に入って、疑問が氷解する。
「すりつぶしたレーズン」
生地の中に細かいレーズンが練りこんである。
それが、生地のこの褐色、この甘さなのだ。
レーズンを練りこんだ生地とレーズンはよく馴染む。
生地だけを食べたときの空しさもない。
見事な落とし前であった、アッパレ!
といいたい気持ちもするし、また、レーズン好きとは、レーズンと、真っ白な生地のコントラスト、混ざりそうで混ざりあわない関係をこそ、愛する者ではないのか、という疑問も湧かなくはない。

というか、そもそもレーズン好きなら、レーズン食パンでさえあればなんでもOKではないのか。
私なんかがそうなのだが。(ぷ)

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本当にあったぐうちょきパン
魔女の宅急便に登場するぐーちょきパン店は、どこにあるのか。
オーストラリア・タスマニア説などがあるそうだが、定説を発表しよう。
京浜東北線の南浦和にある。

あまりにも息子の通う保育園に近かったので、発見した私自身が戸惑っている。
私は自分の見たものが信じられず、目をこすりこすり何度も看板を見直してみたが、本当に「ぐうちょきパン」と書かれている。

私は夢を見ているのだろうか。
心の中の理想のパン屋ぐうちょきパンに家の近所をぶらぶらしていてたどりつくなんて。

いや、現実とはそうしたものらしい。
デジャブが突然、頭の上に落ちて、現実の風景を夢に変えてしまうように、いつもの朝食用の食パンの角を曲がったところにさえ、夢の風景は現れる。

『魔女の宅急便』を見て、奇妙だと思ったのは、ほうきに乗って飛んできた少女が玄関先に立って荷物を渡すと、誰もが驚かずに、伝票にサインして「ありがとう」ということである。
けれども、どこか別の世界から見れば、保育園に子供を送りに行った帰りにぐうちょきパンを見つけ、ほいほいパンを買って写真を撮り、「ありがとうございます」といって平気でいるのも、同じぐらい奇妙なことかもしれないのだ。

「ぐうちょきパン」というテーブルロールがこの店の看板商品。
歯切れよく、だけど歯応えというか、やさしいもぐもぐ感があり、そして、乳製品のゆっくりと染み入る甘さがある。
子を持つ親の気持ちにぐいぐいがぶり寄ってくる。
子供が食いつくぐらい甘く、けれど健康に悪そうではない。
100円出してこれを買って、朝食のテーブルに置いておけばとりあえずぜんぶ食べそうなので、そうなれば、とりあえず親の務めは果たしたと安堵できる。
写真はぐーちょきイチゴで、イチゴ&ラズベリーと、ベリー系ドライフルーツがWで攻めてくる仕掛け。
酸味と甘み。
イチゴの練乳がけ、あるいはイチゴポッキーでおなじみの黄金パターン。

宮崎アニメと、南浦和ぐうちょきパンはけっこう近いかも。
「これを見せておけば」「これを食べさせておけば」という、親視点の圧倒的安堵感において。(ぷ)

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あの頃の思い出 と言う名のパン
かしわで




こ ん ば ん は 。



今 時 刻 は 2 2 時 で す 。 






remon.JPG




「 あ の 頃 の 思 い 出 」 レ モ ン ケ ー キ



フ ァ ミ マ で 見 つ け た ヤ マ ザ キ パ ン   で す 。



あ の 頃 の 思 い 出

それだけで、

あ の 頃 を 思 い 出 す 自 分 。


あ の 頃 っ て い つ や ね ん ! というツッコミなど無用です 。

そ ん な も ん い り ま せ ん 。


完 全 に 製 作 者 の 狙 い ど お り で し ょ う 。

あ の 頃 の 説 明 い っ さ い な し で す か ら 。


あ し た の 朝 食 べ よ う と 思 っ て ベ ラ ン ダ に 晒 し ま し た  。

晒 し た ほ う が 冷 た く な っ て お い し く な り そ う で し ょ う 。

そ こ を パ シ ャ り 。


ひひひ 。


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憧れのシュトーレンを食べた

思いもよらぬタイミングでシュトーレンを食べた

今年はクリスマスも終わってしまったし、食べられないだろうなと諦めていたからとても嬉しい。
カットされたシュトーレンと乾いたイチジクがお皿にのって運ばれてきた。
よく見ると、お皿全体に粉砂糖が積もっていたためペロペロと舐めたくなったほど。
(お行儀が悪すぎるのでやめた)


少しフォークをいれただけで、崩れる。
「そうそうこの感じ! 」と思いながら、フォークを置いてそのまま手で粉砂糖を擦り付けて食べた。

このシュトーレンに憧れていたのではなくシュトーレンを食べることに憧れた年末だったから、
2010年にやり残していたことをすっかり遂行できたという気になっている。【D】


追伸:
そういえばかしわで氏こと柏手重宝氏が明日からどこかへトリップするという情報が!
国内なのか海外なのかさえ不明!!
ワイハーとか言ってたけど、かしわで氏の言うワイハーを単純に「ハワイ」と思ってはいけない!
次に直接お会いできるのは年明けだと思うけど、ブログUPとかしてくれたりするのかな。
いや、ないよね?
だってワイハー(ってホント何処なんだろう?)だもの、絶対ヒャクパーいやオクパーないよね? 


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(年末年始も休まず更新する予定! …あくまでも予定!)


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かのピエールマルコリーニの傑作、ショコカルゴ!!
 朝、会社の机の上にショコカルゴが置いてあった。
かしわで氏が買ってきてくれたものだ。
いわれてみれば、かしわで氏はサンタクロースに見えなくもない。

とりあえず朝一番にピエールマルコリーニのパンオショコラを口にできただけで
クリスマス気分は高まった。

味はかしわで氏の言うとおりなかなかに苦い。
自分が食べたのはショコカルゴ オランジュというオレンジピール入りだったから
そういう味のチョコレートを食べているという感じ。
パンなのに、パンという存在感を極限まで消そうとしているかのようなパン。
昆虫の羽みたいなパリパリしたカサカサした層がとにかく薄く軽い。

こういうパンもあるのだな。
というかこれはパンじゃないのかもしれないな。
パンとスウィーツの境目の話を思い出すなら、これは完全に完璧に完成品に属する!! 【D】


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(今日が本番)


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クリスマスイブだし。
かしわで



クリスマスイブだし、なんかパンを食べないと。


そう思ってISEブラしてたら、 

ピエール・マルコリーニでパンを発見。

で、即断。


まるこりーに


パン・オ・ショコラ


チョコパンのチョコの質をウリにするパン屋がチョコチョコ出てきそう気がしてましたが、
チョコの老舗のピエールも参戦してることは知りませんでした。

それが正しいチョコパン道とは思いませんが、
それも1つのチョコパン道だとは思うので、
その道を歩いてみたのでした。

行けばわかるさというやつです。

左の写真はチョコ&オレンジピールで右がチョコ。



まるこりーにわり

チョコパンの断面。


思った以上に苦みばしったビターの味で攻撃的だ!

実に攻撃的なチョコパンだ!

(味のつづきはコイデェー編で)



サイレントナイト、ホーリーナイトの夜、
こういう味も悪くない。


さて、こうなったら大晦日、除夜、年越しもなんか考えないと。
さぁどうしよう。


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(メリークリスマス!!


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夜食パン
7.jpgかいじゅう屋の奥様からゼルコバのパンをいただいた。

いつも撮影に使用しているトレイいっぱいの長さと、チョコレートのはみ出し具合が特徴的なパン。
上にのっているのは種っぽい木の実っぽいもの(よくわからない)。
リスになったつもりで端からガリガリガリと食べ進めれば、振動が頭蓋骨に響きわたって
たちまち目が覚める。


6.jpg 世の中の多くのひとが忘年会やクリスマスやなにかで楽しそうにしているのを想像しながら、
仕事をしていると少し悲しい。
でもこのパンを食べていたら悲しいことを忘れた。
振動とチョコレートのほろ苦さで、すっかりそれどころではなくなるのだった。
それにおいしいパンを食べられて、日頃の(パン屋さんへ行けないという)後ろめたい気持ちも
払拭された。

一時的であったとしても、
パンで救われている人がどこかにいるということを今日は言っておこうと思います。
ちょっと雰囲気出るBGM→"Auld Lang Syne" 【D】


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(おつかれさまです)


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サンクス大ヒット商品の新作メープルフレーキ
1.jpgクリスマスも明後日に迫っているというのにシュトーレンを食べ比べる様子を綴る気配もなく、
ただただコンビニエンスストアで買った菓子パンをUPするわたくしを許してくれる方はいるだろうか。
(いやいない)


先月の日記で紹介したローストバターフレーキの新作が出ており、つい手に取ってしまった。
メープルを練り込んでくるとはサンクスもしたたかなものである。
メープルと剥き系生地を合わせるという行為は大変危険だからだ。
だいたい最低でも1週間くらいはそのパンを食べ続けるのであって、だいたいカロリーは高い。
(常軌を逸した剥き系生地を実現したセブンイレブンのバタスコなどは未だに週1ペースで食べている)


2.jpg ちなみに味はローストバターフレーキといい勝負。
普段バター風味ばかり食べていると、メープル風味のほうが特別な感じがして良く思えるというのはあった。
外部の乾いた様子と反して、内部のしっとり具合は半端なく、
割れ目に沿って圧力をかけるとすぐに分割される。
正確に言うと剥いたりめくったりというパンではないかもしれない。

ちなみにパッケージ裏面が実に挑発的なので御覧頂きたい。
豆知識みたいなスペースがあるのだけど、そこには"メープルとは何か"という説明書きがあるのみだ。
何々の木から採れた樹液を…云々という感じのやつ。
だって「メープルフレーキ」という名前のパンがあれば、
「メープル」よりは「フレーキ」のほうが気になるというか意味が分からない。
なのにあえてモヤモヤさせたまま「ふふふ愚民どもが」みたいな感じで華麗にスルーしてくれるのだから
また気になって買う。
こういう戦いには燃えるほうなので、しばらくの間は相手の出方を見守る姿勢でいよう。


妄想だが、開発担当者の方はたぶんこのブログを見ている。【D】



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(1枚目の写真がお煎餅っぽい色)


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かいじゅう屋のイギリス食パン
午後4時、かいじゅう屋の開店を待つ人びとの列に並んで気づく、他では嗅いだことのないような生々しい香り。
それを嗅いではじめて思ったことだけれど、普通のパン屋で嗅ぐパンの香りとは、陳列棚にすでに収まりきったおいしそうなパンが放つ香りではないかと。
かいじゅう屋の店先に漂っていたのは、現場の香りである。
いま小麦と炎が衝突をしている。
丹誠こめて練り上げられた生地がオーブンの中で火炙りにあって、その受難を経て、なにかが生み出されようとしている。
家に帰って買ってきたイギリス食パンをじっくりと見てみると、受難の刻印があった。
それをうつくしいと思った。
他のパン屋でなら、下手をしたら、失敗作と断じられかねない、そのぎりぎりのものをかいじゅう屋は拾い上げようとしている。

数ヶ月前、かいじゅう屋の橋本さんに
「新しいイーストのやり方のパンができた」と聞いた。
「できた」とはなかなかいわない方であるから、本当にすごいものができたんだろうと思った。
「ぱりっとした皮の」という言葉も聞いたけれど、それがなにを意味しているかはわからなかった。
実際に食べて感じたのは、その言葉が普通に指し示している意味よりも、もっともっと大きなものをイメージして、橋本さんが開発に取り組んできたということである。
おいしいパン屋はたくさんあるけれど、この感性は、かいじゅう屋が唯一無二なのだ。

生で食べるこの食パンはそばがきのようである。
しっとり、ねっちりとした食感もそうだし、なによりも小麦の風味が目覚ましい。
小麦への信頼、ということを思った。
人が味を整えるより、すべてを素材にゆだねきっているのではないか。
小麦の中にある可能性がすべて出し切られたとき、おのずとおいしいパンはできるはずだと、橋本さんは謙虚にそう考えているのではないだろうか。

トーストしたとき、私は「ぱりっとした皮の」という言葉の本当の意味に出会った。
それは単に皮=クラストと意味しない。
食パンを切る、そして焼く。
表面はすべて皮になる。
食パンとは食べ手が無限に皮を作りだすことのできる食べ物であったことをはじめて知った。
飛び抜けておいしいものは、その食べ物が生まれてきた原点の意味を、このようにしばしば照らし出すものなのだ。

気泡の大きい荒々しい生地は、表面がなめらかなものよりフラクタル的に多くの表面積を持ち、そのためにより多く皮のよろこびを与えてくれる。
より香ばしく、よりかりかりとしている。
けれど、「ぱりっとした皮の」という言葉の中には、皮のことだけではなく。中身のイメージも含まれていたのだ。
皮と中身は対立しない。
皮がぱりっとしているから中身がよりおいしい。
ぱりっとした表面が中身を守って、あるいはそのコントラストによって、中身のしっとり感、むっちり感、やわらかさ、なめらかな舌触りが際立つ。
あのそばがき感は、焼いたあとも見事に保存されていた。

「おいしい皮」か「おいしい中身」か、という二者択一ではなく、「おいしい皮」が「おいしい中身」を作りだすのだという真実。
そういえば、いままで私が食べて感動してきた食パンはすべてそうなっていたなと、これもかいじゅう屋のイギリス食パンを食べてはじめて気づけた。(ぷ)

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